「DQNの川流れ」と揶揄される玄倉川水難事故ですが、生き残りの加藤朝香さんが話題です。
今回は玄倉川水難事故の生き残り・加藤朝香さんのブログ炎上騒動、プリクラの魚拓、父親の加藤直樹さんのDQNエピソード、現在をまとめます。
この記事の目次
加藤朝香は玄倉川水難事故の生き残り
玄倉川水難事故は、1999年8月14日、神奈川県の玄倉川でキャンプをしていた18人が濁流にのみ込まれ、13人が死亡、5人が生き残った重大事故です。
通称「DQNの川流れ」と呼ばれており、あまりにも無謀で軽率・無知、さらに非常識な行動・判断により起こった水難事故・悲劇でした。
ちなみにDQNとは、インターネットスラングで「バカ・非常識・浅はか・軽率」などを表す蔑称です。
加藤朝香さんはこの5人の生き残りの中の1人です。
加藤朝香さんは、事故から12年経った2011年に事故に関するブログをアップしたことで注目を集めました。
内容があまりにもポエム的であり、そのほかのブログ記事もDQNな内容だったため、「DQNの子はDQNか!」と大炎上しました。
加藤朝香が生き残った玄倉川水難事故とは 【時系列で詳細を解説】
玄倉川水難事故(DQNの川流れ)とはどんな事故だったのでしょうか。
生き残りの加藤朝香さんや父親の加藤直樹さんのことを語る前に、まずは玄倉川水難事故の詳細を見ていきましょう。
この玄倉川水難事故の詳細を知っていないと、生き残りメンバーのやばさは理解できません!
8月13日:大雨の中キャンプをしていた
1999年8月13日、神奈川県足柄上郡山北町の玄倉川の中州で、リーダー格の加藤直樹さんをはじめとした総勢25人のグループがテントを張ってキャンプをしていました。
この25人の中には、1歳~9歳まで6人の子どももいました。
事故当日は関東に熱帯低気圧が近づいてきており、周辺で大雨が降った影響で玄倉川の水位が急上昇することが予想されていました。
そして、15時ごろから現場に雨が降り始めます。増水・水位上昇の危険があることから、15時20分ごろには上流にある玄倉ダムの職員が見回りに来た際、退避・避難を促しました。
この時、周囲で同様にキャンプをしていたほかのグループはその避難勧告に従いましたが、加藤直樹さんのグループは勧告に従うどころか、冷ややかな反応を示しています。
その後の16時50分には、神奈川県全域に大雨洪水注意報が発令されました。
8月13日夜:再三の避難勧告を無視
そのまま夜になり、19時ごろに日帰り参加の予定だった4名が帰宅。グループは21名になりました。
雨はどんどん強くなり、19時35分に玄倉ダムが放流予告のサイレンを鳴らしました。放流が始まれば、玄倉川の水位は一気に上昇します。しかし、21名のDQNチームは動きませんでした。
19時50分ごろに再びダムの職員が巡回に来て、中州から退避するように勧告しますが、加藤直樹たちはこれを拒否します。
ダム側はこれ以上は危険すぎると判断し、警察に通報しました。
20時20分になると、玄倉ダムは大雨の影響で放流を開始しました。
そして、21時20分ごろにダムの職員と通報を受けた警察が現場に来て、加藤直樹ら21人のグループに退避勧告を行います。
この時点で既に玄倉川の水位が上昇し、流れが速くなっていたため、ダム職員と警察は中州まで行くことができませんでした。
この退避勧告に従ったのは21名中3名のみ。この3名は中州を離れて自動車に避難しました。しかし、残りの18名は3回目の避難勧告にも従うことなく、中州でキャンプを続けました。
8月14日:18人が流される
出典:youtube.com
翌8月14日の早朝、神奈川県に大雨洪水警報が発出されました。前日の夜に中州から退避したメンバーが中州から退避するように呼びかけますが、18人は従うことはありませんでした。
7時30分に警察が再び避難を呼びかけますが、18人はこの勧告を無視しています。このあたりから本格的な暴風雨になり、前日夜に退避したメンバーは救助要請のために119番通報しました。
8時30分にはテントが流され、水位は上がり、岸からの距離は80mにもなり、18人はパニック状態になります。9時すぐに救助隊が到着するも、大雨や地形などが関係し、救助活動は難航します。
10時ごろになるとテレビカメラのクルーが到着し、救助の様子が生中継されると、川の真ん中で腰辺りまで濁流に浸かり、ひと塊になって川の流れに耐える18人が映し出されます。
そして、とうとう11時38分に水位は胸まで達し、18人全員が濁流に流されていきました。
18人のうち、1歳の男の子を抱いていた男性がその子を岸に放り投げ、岸にいた男性が危険を顧みずにその子を救出し、1歳の男の子は流されず助かっています。
最終的に、18人のうち4名は対岸に流れ着き、岸に上がることができましたが、残りの13人はそのまま流されて行方不明になりました。
8月14~29日:捜索と救出
出典:twitter.com
流されてしまった13人はすぐ下流の立間堰堤(滝のような場所)に落ちていき、行方不明になりました。
対岸にたどり着いていた4人も、当日は流れが速くて救出できず、翌朝の8月15日に救出されました。
行方不明になった13人は丹沢湖で遺体となって発見されています。
加藤朝香など玄倉川水難事故の生き残りメンバーと犠牲者一覧
ここで、玄倉川水難事故の生き残りメンバーと犠牲者を確認しておきましょう。
生き残りメンバー
出典:youtube.com
玄倉川水難事故の生き残りメンバーはこちらの5人です。
・加藤朝香ちゃん(5歳)
・加藤一樹ちゃん(1歳)
・平野幸男さん(29歳)
・平野嗣富さん(31歳)
加藤一樹ちゃんが伯父によって岸に放り投げられ、なんとか救出された男児ですね。残りの4人は対岸に流れ着いて生き残ったメンバーです。
犠牲者メンバー
出典:youtube.com
次に、生き残ることができなかったメンバー、つまり、濁流に飲み込まれ、立間堰堤で落ちて丹沢湖に流れ着いてしまったメンバーを見ていきましょう。
・松尾理恵さん(30歳)
・松尾歩ちゃん(9歳)
・松尾駿兵ちゃん(5歳)
・加藤裕二さん(33歳)
・加藤美江さん(28歳)
・加藤優香ちゃん(1歳)
・梶ヶ谷剛さん(25歳)
・織立亜希子さん(25歳)
・高橋直人さん(26歳)
・小野崎恵子さん(25歳)
・原田敬介さん(48歳)
・原田千佳ちゃん(9歳)
リーダー格の加藤直樹さんの会社の同僚や家族、その恋人などが犠牲になりました。
加藤朝香(玄倉川水難事故の生き残り)がブログで大炎上した理由とは?
玄倉川水難事故の生き残りメンバーである加藤朝香さんは、事故当時5歳で幼稚園生でした。
その後、ブログで大炎上したんです。
被害者のふり&DQNがバレて大炎上
玄倉川水難事故の生き残りである加藤朝香さんが炎上することになるブログを投稿したのは、2011年のことでした。
事故当時は5歳でしたので、2011年には17歳の女子高生になっていました。
そして、次のような文章をブログに投稿したんです。
このブログは「玄倉川水難事故の生き残り・加藤朝香」と実名を出して投稿したわけではありません。
しかし、次のようなことから、玄倉川水難事故の生き残りの加藤朝香さんのブログであることが特定されました。
・「優香」という妹がいたいた
・幼稚園の頃に水難事故に遭っている
・ママは死んだけれど、パパは生きている
ポエムのような文章に加えて、ブログには次のようなことが書かれていたという情報があります。
・「前日に無理矢理避難させるべきだったのに職務怠慢」
・「真剣に救助活動してくれたら自分もこんな人生じゃなかったのに」
自分たちが避難勧告を無視したのに、「被害者意識全開」が世間にバレてしまったんです。
これにより、「DQNの子はDQNだ」「DQNのDNAは争えない」「DQNに育てられて、無事娘もDQNになった」と大炎上したのです。
飲酒も発覚
ブログの投稿が玄倉川水難事故の生き残りである加藤朝香さんのものだと判明後、インターネット上では、そのブログの発掘作業が始まりました。
その結果、当時高校生の加藤朝香さんが飲酒をしていたことが発覚したんです。未成年飲酒がバレたことで、炎上状態に燃料が投下された状態になり、さらに大炎上しました。
このブログ特定と大炎上で、ブログはすぐに閉鎖されてしまいました。
加藤朝香(玄倉川水難事故の生き残り)のプリクラ・ブログの魚拓画像を紹介
被害者意識全開のポエム風ブログが大炎上したことで、加藤朝香さんのブログは閉鎖されました。
しかし、インターネットは恐ろしい世界です。
デジタルタトゥーという言葉があるように、一度インターネット上にアップすると、ダウンロードされたり、魚拓を取られたりして、一生残ってしまうんです。
こちらが、加藤朝香さんのブログの魚拓です。
さらに、2ちゃんねるを中心とした特定作業が得意なネット民は、加藤朝香さんのプリクラ写真も発掘しました。こちらが加藤朝香さんのプリクラです。
出典:ameblo.jp
出典:ameblo.jp
かわいいし、美人さんですよね。
2011年当時のオシャレ&流行大好きな女子高生という感じはしますが、「完全なDQN」という雰囲気はありません。
加藤朝香(玄倉川水難事故の生き残り)はリーダー格の加藤直樹の娘
出典:youtube.com
加藤朝香さんは1999年8月13日、玄倉川に家族と父親の同僚・その家族とキャンプに来ていました。
加藤朝香さんの父親は生き残りメンバーの1人である加藤直樹さんであり、加藤直樹さんはこのDQNの川流れグループのリーダー格だったことが分かっています。
加藤朝香さんは家族5人でこのキャンプに参加していました。
・母:加藤美江
・長女:加藤朝香
・長男:加藤一樹
・次女:加藤優香
加藤朝香の父親・加藤直樹(玄倉川水難事故の生き残り)がDQNすぎる…
加藤直樹さんは玄倉川水難事故の生き残りであり、リーダー格でした。そして、加藤朝香さんの父親ですね。
この加藤直樹さんがかなりのDQNであり、やばい人物なんです。
避難勧告を徹底無視
加藤直樹さんは避難勧告を徹底的に無視しました。
・8月13日19時50分(ダム職員)
・8月13日21時10分(ダム職員+警察)
・8月14日6時(8月13日に避難した仲間)
・8月14日7時30分(警察)
妻子よりもテントが大切
出典:youtube.com
加藤直樹さんは流された時、加藤朝香さんを抱っこしていて、2人は対岸に流れ着いて生き残りました。
しかし、妻の手を放したことで妻と1歳の娘(加藤朝香さんの母親と妹)は流されています。
この状況で加藤直樹さんと加藤朝香さんは、ほかの2人の生き残りと共に対岸で一晩を明かして、救助を待つことになります。
8月15日になって加藤直樹さんと加藤朝香さんがようやく救助された時、加藤直樹さんは次のように捜索隊に言い放ったようなんです。
確かにテントは流されました。でも、この時点で妻と1歳の娘はまだ行方不明のままでした。生きているか死んでいるかもわからず、遺体も見つかっていません。
弟も一緒にキャンプをしていた仲間も見つかっていません。それなのに、「テントを返して」って相当ヤバイですよね。
暴言を連発
出典:youtube.com
加藤直樹さんは救助前からずっと暴言を吐いていたと言われています。避難勧告をされた時は、次のような暴言を吐いています。
・「失せろ」
・「地元の人は臆病」
・「見張りを置くから平気」
・「田舎人は他人のプライバシーを侵すのが趣味ね」
そして、救助が始まった時も次のようなことを言っていました。
・「ヘリを出せ」
・「早く助けろ」
・「もたもたすんな!」
そして、ようやく助けてもらっても家族よりもテントの心配…。
DQNすぎて、思考回路が良く分かりません。
おにぎりを投げ捨てる
加藤直樹さんは8月15日朝に救助された後、地元の婦人会の方が用意してくれたおにぎりを口にします。しかしその後、とんでもない行動を起こしたんです。
そのとんでもない行動とは、「まずい!」と言い放って、おにぎりを地面にたたきつけた、というものです。
地元の方が「お腹が空いているだろう」と気を遣って好意で用意してくれたおにぎりを地面にたたきつけるなんて、普通の感覚では絶対にできないですよね。
産廃処理会社勤務で評判は良くない
出典:twitter.com
加藤直樹さんは、横浜市内にある産業廃棄物処理会社「富士繁」に勤務していました。キャンプ仲間も会社の同僚です。
実はこの産廃業者は、地元ではあまり評判が良くないようです。
また、加藤直樹さんは在日朝鮮人ではないかという噂も出ています。
産廃業者は在日の人が多いと言われているからですね。また、その他の言動でも在日の可能性が高いとも言われています。
加藤朝香(玄倉川水難事故の生き残り)は加藤直樹の被害者の可能性も
出典:kanaloco.jp
加藤朝香さんはブログが炎上し、「DQNの子はDQN」と言われていましたが、よく考えてみると、加藤朝香さんは加藤直樹さんの被害者と言えるかもしれないんです。
被害者意識を植え付けられた?
加藤朝香さんはブログで、被害者意識全開でした。
・「前の日に無理矢理避難させるべきだったのに職務怠慢」
・「真剣に救助活動してくれたら自分もこんな人生じゃなかったのに」
このようなことがあったから、ブログが炎上したんです。
でも、よく考えてみてください。加藤朝香さんは玄倉川水難事故の時、まだ5歳の幼稚園児だったんです。
それなのに「地元民から放置された」とか「避難させるべきだったのに」、「真剣に救助活動してなかった」のようなことを思うでしょうか。
おそらく、加藤朝香さんは父親の加藤直樹から「みんながきちんと助けてくれなかったから、母親と妹は死んだ」と言われ続けて成長したのだと思われます。
その結果、玄倉川水難事故の真相を知らないまま、「自分たちは悪くない。救助してくれなかった人たちが悪いんだ」と思い込んでしまったのでしょう。
母親と妹が死んだ責任を押し付けられた?
加藤朝香さんは玄倉川水難事故で母親と妹を亡くしています。この責任を加藤直樹さんに押し付けられている可能性があります。
加藤朝香さんのブログでは、次のように語っています。
パパがね私を抱いててママがパパに助けを求めていたんだ。
手を伸ばしてね一生懸命流されないようにしてたんだ。
けどねパパまで水に連れていかれそうで怖かったんだ。だからねパパやめて!って言ったんだ。
そしたらパパがママの手を離したの。 そしたらママ水と一緒にいなくなっちゃたの。これって私のせいだよね。
5歳の子どもがこんなに鮮明に事故のことを覚えているものでしょうか。さらに、娘に「パパやめて!」と言われたからといって、夫は娘を抱いている妻の手を放すものでしょうか。
もしかしたら、これに関しても、加藤朝香さんは加藤直樹さんから違う事実を刷り込まれたのかもしれません。
故意かどうかはわかりませんが、加藤直樹さんは妻の手を放してしまった。その罪を娘の朝香さんに押し付けた可能性は捨てきれません。
加藤朝香(玄倉川水難事故の生き残り)の現在
出典:kanaloco.jp
玄倉川水難事故の生き残りである加藤朝香さんは、現在どうしているのでしょうか。
ブログが炎上してブログを消してしまって以来、消息は掴めていません。
ただ、友人のブログで高校3年生ごろ(2012年)までは消息を追うことはできます。友人のブログによると、友達はそれなりにたくさんいたようですが、高校は不登校気味だったようです。
あさか生きてるかな(´д`)??←
単位大丈夫かな(ToT)?
加藤朝香だいとぅき~(。・o・。)ノ
早く学校きてね(´・ω・`)
今日は高校生活最後の授業o(^o^)o
頑張るよ頑張るよー
あさか起きてるよね?
来るよねあさかちゃ~ん(T_T)?
高校3年生の3月までは不登校気味ながらも、高校に在籍していたようです。
17~18歳でデキ婚しているというインターネット上での噂もありますが、高校卒業時まではそのようなことはなかったようです。
加藤朝香さんの父親の加藤直樹さんは、現在でも横浜市内の富士繁で働いていることが分かっていますので、加藤朝香さんも横浜市内に住んでいる可能性もあります。
ただ、2021年で27歳になりますので、結婚して苗字が変わっているかもしれませんね。
5歳のころに玄倉川水難事故に遭い、父親は完全なDQN。水難事故の間違った刷り込みをされていた可能性があるなら、精神的に病んでいてもおかしくはありません。
穏やかに生活していてほしいですね。
加藤朝香(玄倉川水難事故の生き残り)のまとめ
玄倉川水難事故の生き残りである加藤朝香さんについて、ブログ炎上騒動、ブログやプリクラの魚拓、玄倉川水難事故の詳細、父親の加藤直樹のDQNエピソード、現在をまとめました。
加藤朝香さんはブログが炎上してしまいましたが、当時の年齢や父親の被害者かもしれない事情を考えると、炎上するような案件ではなかったと思われます。
現在どこで何をしているかは不明ですが、自分を責めることなく、心安らかに過ごしていてくれることを願いましょう。