1997年4月に起きた白暁燕誘拐殺人事件は、有名人の両親を持った女子高生・白暁燕さんが残虐な方法で殺害された事件です。
今回は白暁燕さんと家族のプロフィール、事件の経緯、犯人のその後、殺害理由など真相をまとめました。
この記事の目次
白暁燕誘拐殺人事件とは
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1997年4月に台湾で起きた「白暁燕誘拐殺人事件」の被害者である白暁燕さんは、当時17歳の女子高生でした。
有名人の両親を持ち、テレビにも出演するなど注目を浴びる存在でした。
平和な日常が一瞬で消え去った、恐ろしいこの事件について詳しく見ていきましょう。
台湾史上最も残忍な誘拐殺人事件
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台湾史上、最悪で最も残忍な誘拐殺人事件として知られる「白暁燕誘拐殺人事件」。
罪のない17歳の女性を誘拐後、身体の一部を生きたまま切断。その後、強姦やひどい暴行などを受けた形跡が残る無残な有様で遺体が発見されました。
身代金を要求する犯人との金の受け渡しは失敗に終わっています。
誘拐だけでなく殺害に至った理由は過剰な報道をしたマスメディアにも罪があると、被害者の母親である白冰冰さんは声高に主張しています。
被害者の白暁燕さんの父親は日本の有名漫画原作者、母親は日本でも一時活動していた台湾きってのトップ歌手という、両親揃って著名人だったため、日本でも大々的に報道されました。
白暁燕の家族は著名人① 父親は梶原一騎
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生前の梶原一騎
事件が注目を集めたのは、白暁燕さんの両親が名の知られた人物だったことも影響しています。
まずは、父親の梶原一騎さんについて見ていきましょう。昭和を代表する漫画家として、現在も多くの作品が愛されています。
梶原一騎のプロフィール
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梶原 一騎(かじわら いっき)
本名: 高森 朝樹
生年月日: 1936年 9月4日
没年月日: 1987年1月21日
出身地: 東京都台東区
職業: 漫画家、小説家、プロデューサー
梶原一騎さんは、1953年にボクシング小説を雑誌「少年画法」に入選したことがきっかけで、執筆活動を開始。梶原一騎という名前は、この頃に誕生したそうです。
その後、少年向け小説は次第に人気に陰りが見え、漫画が市場を占有するようになると漫画原作者に転向。
1966年から週刊少年マガジンにおいて「巨人の星」を連載すると大ヒットを飛ばし、以降は「スポ根の梶原」と呼ばれる程、スポーツを扱った作品を発表しました。
プライベートでは素行の悪さが目立っていたという梶原一騎さん。
1983年の少年マガジン編集長襲撃事件や、赤坂のクラブに勤務する女性への暴行事件などに関与していたことが分っています。また、大麻所持疑惑で拘留されていた時期もありました。
保釈された日、ステーキと鰻を食べた直後に倒れて救急車で病院に運ばれた梶原一騎さんは、壊死性劇症膵臓炎と診断されました。4回の手術をしたものの、1987年に死去しています。
病室には辞世の句が残されていました。
白暁燕の家族は著名人② 母親は白冰冰
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母親である白冰冰さんは、台湾の売れっ子歌手です。梶原一騎さんとの間に長女である白暁燕さんをもうけました。
1981年に離婚し、シングルマザーとして娘を台湾で大事に育てていました。
白冰冰のプロフィール
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白冰冰(パイ・ピンピン)
生年月日: 1955年5月17日
出身地: 台湾省
職業: 歌手、社会運動家
白冰冰さんの実家は貧しく、経済的な理由で高校を中退した経歴を持っています。1973年、台北で開かれた歌の大会で優勝したことをきっかけに、歌手活動を開始しました。
1975年、演歌を学ぶために日本へ留学した際、梶原一騎さんと出会い、結婚しています。
日本で結婚生活を送っていましたが、梶原一騎さんの家庭内DVなどが原因で2人は別居を開始。
白暁燕さんをお腹に宿していましたが、台湾に帰国し、1980年に出産しました。翌1981年に正式に離婚しています。
出産後、歌手活動を再開すると人気を獲得し、1980年代後半には台湾における有名な歌手の1人になりました。
白暁燕誘拐殺人事件の経緯① 誘拐~身代金の受け渡し失敗まで
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白暁燕誘拐殺人事件は、1997年4月14日の台湾台北市で起こりました。
白暁燕さんはどのようにして事件に巻き込まれたのか、時系列に振り返っていきます。
通学途中で連れ去られた
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白暁燕さんは、台北市に所在する立醒吾高級中学に通っていました。通学途中に犯人グループに拉致され、車に押し込まれてアジトに連行されたのです。
犯人グループは全員黄色いゴムのバンドで頭と顔を覆い、身元が分からないようにしていました。
小指を切断など危害が加えられた
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犯人グループのアジトに到着すると、白暁燕さんは身体を縄で縛られ、自由を奪われます。
そして、白暁燕さんの洋服を脱がせて片方の胸を露出させた状態の写真を撮りました。
さらに白暁燕さんの小指を切断、その激痛に耐え切れず白暁燕さんが泣き叫ぶと、犯人グループは、黙らせるために暴行を加えたのです。
犯人は誘拐の証拠を揃えて身代金を要求
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犯人グループは、白暁燕さんのバストが露わになった写真3枚、切断した小指、そして身代金を要求する旨を記載したメモを、亀山郷にある霊園管理室の近くに置きました。
その後、母親の白冰冰さんに電話をかけて「娘を誘拐した。嘘だと思うのであれば指定の場所に行け」と霊園管理室の場所を伝えたのです。
電話を受けた白冰冰さんは即座に霊園に向かい、犯人グループが置いていった証拠物を発見。
メモに記載された身代金は500万ドル。おおよそ日本円に換算すると5億円になります。
指定日の2日間に犯人は現れなかった…
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母親の白冰冰さんは警察に通報した上で、言い値の500万ドルを用意して、娘の救出に万端の用意をして臨みました。
地元の警察は「0414特別案件」として特別な捜査体制を敷いています。
犯人グループから、身代金受け渡しを4月18日と4月19日にすると白冰冰さんに連絡がありました。
しかし受け渡し当日、指定された場所に犯人グループは現れず、身代金の受け渡しは失敗に終わりました。
身代金受け渡し失敗の理由とは?
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犯人が受け渡し場所に現れなかった理由の1つに、捜査は内密に行われたにも関わらず、マスコミが事件を嗅ぎつけ、連日メディアで報道合戦が繰り広げられていたことが挙げられます。
特に、大手メディアの中華日報と大成報はかなり大々的に事件を取り上げ、身代金受け渡し現場にヘリコプターを飛ばして実況中継をしていたのです。
その後の4月23日も身代金受け渡し日に設定されていましたが、ここでも現場にカメラマンが集結してしまい、結局、受け渡しは失敗してしまいました。
ただし、この時点において白暁燕さんは既に死亡していたことが後の検死の結果から判明しており、犯人グループとしては、もはやまともに取引をする気が無かったことになります。
白暁燕誘拐殺人事件の経緯② 遺体が発見される
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身代金の受け取りに失敗した犯人グループは激怒し、白暁燕さんに更なる暴行や強姦を加えて死亡させています。
遺体は台北県泰山郷にある川に捨てられ、数日後に近隣住民によって発見されました。
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白暁燕さんの遺体は4月28日に発見されました。
誘拐後の激しい暴力により酷い有様で、発見者によると「豚の死骸があるのかと思った」という証言をしています。
検死の結果、直接の死因は頭部と腹部の殴打による出血過多および内臓破裂です。
腹部には500ccの出血が確認されて、切断した指の根には針金が巻かれていました。切断した際の出血を止めるためだと考えられています。
両手両足の爪は剥がされ、髪の毛を引っ張られたのかむしり取られていて、頭皮に残った髪の毛がまばらな状態だったという噂もあります。
ベテランの検視官ですら「こんなに惨い遺体を見たことがない」とコメントを残しています。それだけ悲惨で残忍な殺人事件だったのです。
遺体の写真がそのまま掲載された
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一番裁かれるべきは犯人グループですが、マスコミの報道の仕方に問題がありました。
一部の媒体では、なんと遺体の写真を修正を加えずにそのまま記事として掲載するという、モラルが問われる報道がなされていたのです。
これらの報道は、市民から反感を買い、台湾中でマスコミに対する抗議デモが行われました。
白暁燕誘拐殺人事件の経緯③ 犯人の逃亡~逮捕まで
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その後の警察の捜査によって、犯人が構えたアジトが特定され、事件は急展開を見せています。
主犯格は3人だった
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台湾の捜査グループはアジトを襲撃したところ、そこには犯人グループの7人がいました。
そのうち、誘拐事件の主犯格だった3人の犯人・林春生、陳進興、高天民を取り逃しています。
犯人を逃してしまったことで新たな事件へと繋がることになりました。
林春生は銃撃戦で死亡
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台湾国内では、大規模な指名手配を展開します。3人の主犯格はこのような最中でありながら、新たな誘拐を実行する大胆さを持ち合わせていたのです。
主犯格3人は指名手配を受けた後の1997年6月6日、台北議員を誘拐。家族から身代金500万ドルの強奪に成功しています。
さらに金属会社の経営者を誘拐し、こちらも身代金の受け取りに成功。家族が警察に通報せずに言われた値段を渡したことで、被害者は解放されています。
同年8月19日、犯人3人の姿を警察官が発見したところ、犯人グループ3人も銃を所持していたため、台北市内で銃撃戦が繰り広げられました。
主犯格の1人である林春生は6発の銃弾を受けて、最終的には自殺により死亡しています。警察側も1人が殉職、1人が負傷する被害が発生しました。
銃撃戦を潜り抜けた残る犯人2人は、さらなる殺人事件を起こすことになります。
整形後に医師と看護師を殺害
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高天民、陳進興の2人は逃走を継続します。
顔を変えるために整形外科に押し入り、医師と看護師に強制的に整形をさせています。
手術後、医師夫妻と看護師に手錠をはめ、抵抗されないようにしてから銃で頭を打ち抜き、3人を殺害。
さらに、看護師の女性は殺害前に強姦されていたことも検死により判明しています。
高天民は自殺
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その後も主犯格の2人は、逃亡をつづけていましたが、11月17日、石牌路で高天民は警察官から包囲されました。
諦めた高天民は、自身の拳銃で頭を打ち抜き、自殺しました。
陳進興は人質事件を起こし逮捕された
最後の1人となった陳進興は、11月18日に南アフリカ大使館で人質を取り、立てこもり事件を起こしています。
人質5人の中にいた弁護士が、必ず弁護を引き受けるからと確約したことにより、陳進興は自ら投降、警察に逮捕されています。
こうして、長きに渡る逃亡劇は終わりを迎えました。
白暁燕誘拐殺人事件の犯人その後
死刑5回懲役59年9ヶ月の判決
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逮捕された陳進興は裁判にかけられました。
陳進興は、犯行をリードしていたのは高天民と林春生であり、自分は従わされていただけと供述しました。
しかし、これまでの残忍な犯行に斟酌の余地は一切なく、1998年1月22日、死刑5回と懲役59年9ヶ月の判決が言い渡されています。
死刑5回とは、台湾の死刑制度がベッドに横たわった状態で銃弾を浴びることから来ています。
刑の確定後、高等法院(日本では最高裁にあたる)では、陳進興に対して1憶7130万台湾元の賠償金を白冰冰さんに支払うよう命じられています。
1999年10月6日、陳進興への死刑が執行されました。
白暁燕誘拐殺人事件の真相
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17歳の少女が狙われた理由について、ただの営利目的だけではないという説が浮上しました。
どのような理由が囁かれているのでしょうか。
白冰冰への恨み説
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白冰冰さんは歌手ですが、台湾マフィアの追放運動に力を入れている人物として知られています。
やはり、著名な人物がこういった意志を持っていると、民衆の支持を得やすくなります。
白冰冰さんの活動を苦々しく思っているマフィアグループが、報復の一環で、娘である白暁燕さんを誘拐・殺害することで、警告したのではないかという見方がされています。
ゲームセンター経営者が殺人を依頼した?
事件当時、白冰冰さんからお金を借りていた、ゲームセンターを経営する張志成という男性がいたそうです。
日頃から借金返済を催促されるのが疎ましいと感じ、殺人を依頼したという説もあります。
ただし、台湾捜査局の資料にこの男性は登場しておらず、事件への関与は低いようです。
真相は闇の中…
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結局、主犯格のうち2人は何も語ることなく自殺を遂げており、残った陳進興も一貫して他の2人に無理強いをされていたと主張しいたので、明確な動機や理由は分からないままです。
捜査技術の向上があっても、事件の理由に関しては犯人のみが知るもののため、真相はいまだ闇の中になっています。
白暁燕の家族の現在
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白暁燕さん亡き後の家族の現在を調査しました。
父親の梶原一騎さんは、事件よりも前に死亡しているため、残った家族は母親だけです。
妊活を諦めた
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母親の白冰冰さんは、再婚することなく独身を貫いていますが、もう一度娘を育てたいと考えて、人工授精による妊活をしていた時期もありました。
5年間で15回の挑戦をしたものの、ことごとく失敗。これ以上は身体への負担が大きく、命が危なくなるとドクターストップがかかり、断念しています。
Facebookで苦しみを明かす
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事件から20年以上経過しても、母親の白冰冰さんは悲しみが癒えていません。
Facebookを更新し、時の流れは早いものだとこれまでの年月を振り返りました。
今は平和に暮らしていても、娘の苦しみを思うとたまらない悲しみが襲ってくる、と苦しい胸の内を明かしています。
さらに「かつての恨み、苦しみ、悲しみ。友人たちがそれぞれ信仰する宗教で語り、私に寄り添い、最もつらい数年を共に過ごしてくれた」と周囲に対する感謝を述べています。
ネットユーザーからは、「本当に辛かっただろう」、「私たちは皆味方。どうか頑張って」と慰めの言葉が多数寄せらています。
まとめ
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白暁燕誘拐殺害事件は1997年4月に起きた、台湾の誘拐殺人事件史上最も残忍な事件として世界中を震撼させました。
被害者の白暁燕さんは、日本の有名漫画原作者・梶原一騎さんと台湾の売れっ子歌手の白冰冰さんとの間に生まれた娘であり、当時17歳でした。
通学途中に3人の犯人により無理やり連れ去られ、誘拐の証拠として上半身裸の写真と切断された小指が母親の下に届き、身代金要求の材料として利用されました。
母親は娘を救うために身代金を用意しましたが、マスコミが過激な報道合戦を繰り広げたことも原因になり、受け渡しに失敗。
白暁燕さんは、度重なる暴行や強姦を受けた後に殺害されました。その後、遺体が酷い有様で発見され、犯人の残忍さが浮き彫りに。
犯人は逃亡を試みますが、2人が自殺、1人は逮捕後に死刑が執行されて銃刑に処されました。
犯人の死亡により、なぜ白暁燕さんが狙われたのかという真相については、現在も明かされていません。
いつか真相が明かされる日がくるのでしょうか。白暁燕さんのご冥福をお祈りします。