「銀座の女帝」の異名をとる伝説のホステス・田村順子さんが話題です。
この記事では田村順子さんの現在の年齢、実家の家族と生い立ち、銀座最年少ママになるまでの若い頃の経歴、パトロンの森崎は誰なのか、なかにし礼との恋愛と俳優・和田浩治との結婚と生きてるか話題の現在についてまとめました。
この記事の目次
田村順子は銀座の高級クラブ「クラブ順子」のママで伝説的ホステス
田村順子のプロフィール
生年 :1941年
出身地:東京・西巣鴨
田村順子さんは、東京・銀座で半世紀以上にわたって活躍した伝説的なホステスで、自らの名を冠した「クラブ順子」のオーナーママとして、政財界のトップから文豪、スター俳優まで、時代を動かす男たちを魅了し続けた存在でした。
田村順子さんが銀座で駆け抜けた人生は、戦後の貧しさから銀座の頂点へと駆け上がった、まさに一代記だと言えます。
そして私生活では、田村順子さんは、作家・なかにし礼さんの恋人であり、人気俳優・和田浩治さんが最期まで愛した妻でもありました。
ここでは、「田村順子」という稀代のホステスの生い立ちと実家の家族、若い頃の経歴、そして伝説が終わりを迎えた「現在」までを詳しく紹介していきます。
田村順子の現在の年齢

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銀座の伝説的ママである田村順子さんは生年が「1941年」(昭和16年)である事を公表しています。
したがって、2025年の誕生日で年齢は「84歳」という事になります。
ちなみに、田村順子さんが、銀座で独立し「クラブ順子」を開店した時の年齢は「24歳」で、当時は「銀座の史上最年少ママ」として大きな話題になりました。田村順子さんの若い頃のホステスとしての伝説的な経歴については後述します。
田村順子の生い立ちと実家の家族
続けて、田村順子さんの生い立ちや実家の家族についてみていきます。
後に「銀座の女帝」とまで呼ばれるようになる田村順子さんは、1941年(昭和16年)、太平洋戦争開戦前夜の東京・西巣鴨で生まれています。
田村順子さんの実家の家族構成は両親と兄弟姉妹7人の9人家族で、田村順子さんは7人きょうだいの6番目として生まれています。
実家は西巣鴨のお寺でしたが、戦争により貧しい生活を余儀なくされ、父親は戦争中に疎開先の信州で亡くなっています。
田村順子さん本人が後年に語ったところによれば、実家はとても貧しく、少女時代の田村順子さんは、戦後の混乱期を家族と生き抜く中で「母親に少しでも楽な暮らしをさせたい」という強い想いを抱くようになったと言います。
そんな田村順子さんの想いが具体的な目標となったのは、中学生の頃、偶然手にした雑誌「婦人画報」に掲載されていた銀座のママの特集記事を目にした事がきっかけだったそうです。
そこには、自らの才覚と魅力で店を切り盛りし、時代の寵児たちと渡り合う、華やかで自立した女性達の姿が紹介されていました。田村順子さんが、貧しい暮らしから抜け出し、母親を幸せにするための道が、光り輝く銀座にあると直感した瞬間だったようです。
田村順子さんは幼い頃から勉学にも励まれたようで、女性の進学が珍しかった当時の時代において、東洋女子学園高等部に入学し卒業されています。この頃は東京でOLをする姉と2人で暮らしていたのだそうです。
田村順子の若い頃と経歴① 受付嬢から「クラブ姫」のエースホステスへ

続けて、田村順子さんの若い頃の経歴について詳しくみていきます。
田村順子さんは、東洋女子学園高等部を卒業後、すぐに夜の世界に飛び込んだわけではなく、日本楽器(現在のヤマハ楽器)に就職しOLとして働き始めています。
当時から容姿端麗だった田村順子さんは、それを買われて銀座支店の受付係に配属されますが、「ニチガク(日本楽器の通称)の受付にかわいい子がいる」と銀座中で噂になってしまい、会社の受付電話に連日にわたって男達からのデートの申し込みが多数入るようになってしまい、電話の交換台の担当者が会社の上層部に報告。
この電話によって会社の業務も著しく停滞するようになり、田村順子さんは会社の幹部に呼び出されて解雇を通告されてしまいます。
「受付失格」を宣告され会社を解雇されてしまった田村順子さんは22歳でモデルの仕事を始めましたが、それを見つけたのが、元女優で銀座でクラブ「姫」を開業していた山口洋子さんでした。(山口洋子さんは後に作詞家、直木賞作家としても有名に)
山口洋子さんは、田村順子さんの類まれな美貌と、あどけなさの中に潜む「男を狂わせる魔性の魅力」を瞬時に見抜き、即日スカウトしたと言われています。この時、山口洋子さんはスカウト料として破格の20万円(当時は大卒の公務員の初任給が月給約2万円)を提示したそうです。
山口洋子さんからのスカウトと受けた田村順子さんは、1964年、23歳の時に、クラブ「姫」でホステスとしての第一歩を踏み出しました。
当初はホステスとしてやっていけるのか不安だったという田村順子さんでしたが、4歳年上のママ・山口洋子さんの「誰よりも率先して一生懸命働き、イキイキと楽しそうにしている」姿を見て、「私も一生懸命ホステスとして働こう」と決心したそうです。
山口洋子さんの見立ては正しく、田村順子さんは「姫」に入店するや否や、瞬く間に店のナンバー1ホステスへと駆け上がりました。
田村順子さんは「姫」に入店から2年間、無遅刻無欠席、6ヵ月連続同伴出勤という圧倒的な記録を打ち立て、入店時は2800円だった日給が、2年後には1万2000円にまで上昇。銀座でもトップクラスの人気ホステスへと上り詰めています。
山口洋子さんは、そんな田村順子さんを高く評価し、「順子ちゃんは姫学校の優等生」と絶賛していたそうです。田村順子さんも憧れたのママである山口洋子さんに褒められる事がとても嬉しかったそうで、「自分のことよりも洋子ママの喜ぶ顔が見たいがために働いていたような気がします」と当時について振り返っています。
2人の間には、単なる雇用主と従業員を超えた、深い信頼関係が築かれていたようです。
それを象徴するのが、現在も伝説的に語られる「ビートルズ接待事件」でした。
1966年、初来日したビートルズの「夜の接待役」として、当時「姫」のエースホステスだった田村順子さんに白羽の矢が立ちます。しかし、山口洋子さんはこの要請を「何と言われても順子ちゃんだけはダメです!」と断固として拒否し、彼女を守り抜きました。田村順子さんがいかに大切な存在として扱われていたか、そして山口洋子さんの母親のような深い愛情を物語るエピソードとして伝説的に語り継がれています。
2014年、山口洋子さんが死去した際には、田村順子さんは「ママと一緒に働いた2年間が、人生の中で一番幸せだった」と話されていました。
山口洋子さん死去
銀座「クラブ順子」の田村順子さんは「ママと一緒に働いた2年間が、人生の中で一番幸せだった」としのんだ。
田村順子の若い頃と経歴② 「クラブ順子」を開店し「銀座最年少ママ」に

一躍、銀座のクラブ「姫」のナンバー1ホステスとなった田村順子さんでしたが、その才能は、ただ美しいだけでありませんでした。客の心を掴む会話術、さりげない気遣い、そして何よりも、相手が何を求めているのかを瞬時に察知する洞察力に長けていたのです。
その才能と人気を武器に、田村順子さんは大きな決断を下します。1966年(昭和41年)、わずか24歳で独立し、銀座6丁目の数寄屋通りに、自らの名を冠した「クラブ順子」をオープンさせたのです。
わずか13坪の小さな店からのスタートでしたが、「銀座最年少ママ」(当時)の誕生は大きな話題を呼びました。
24歳という年齢での独立開店にあたっては、パトロンの存在が示唆されていますが、その具体的な名前は明らかにされていません。
田村順子さんの半生を描いたセミドキュメンタリー漫画「順子 銀座女帝伝説」に登場する「森崎達也」というキャラクターが、そのパトロンをモデルとしているのではないかと言われていますが、その正体は明らかにされていません。
いずれにしても、銀座の一等地に城を構えるには、相当な資金力と人脈を持つ支援者の存在があったことは間違いないと言われています。田村順子さんには、そうした有力者たちを惹きつけ、夢を託させるだけの特別な何かがあったのでしょう。
また、「姫」のママで田村順子さんを見出した山口洋子さんは、田村順子の独立を快く応援したとされます。
田村順子の若い頃と経歴③ 政財界の大物や文化人を魅了する伝説的存在に
開店当初13坪だった「クラブ順子」は、やがて政財界や文化人が集う、銀座を代表するサロンへと成長していきました。店の成功の裏には、ママ・田村順子さんの卓越した経営手腕と、人間的魅力がありました。
田村順子さんは、一流の男たちほど無口であり、その態度や目線から要望を汲み取ることが勝負だと見抜いていました。口数の少ない客の心中を察し、絶妙なタイミングで酒を勧め、あるいは静かに寄り添う。その繊細なもてなしが、多言を弄さずとも権威と品格を示す大物たちの心を掴んだとされています。
「クラブ順子」の顧客リストには、そうそうたる名前が並びます。後の総理大臣である小泉純一郎氏や安倍晋三氏、森喜朗氏、政界の実力者であった小沢一郎氏などが常連として知られています。特に安倍晋三元首相は、「クラブ順子」で自身の誕生会を4度も開くほど、この店を気に入っていたそうです。
田村順子さんの役割は、単なるクラブのママに留まりませんでした。店は、重要人物たちが本音で語り合う密談の場となり、時には歴史の裏側で重要な役割を果たすこともあったとされます。2002年の小泉純一郎首相(当時)による電撃的な北朝鮮訪問の際には、田村順子さんが北朝鮮の“密使”と森喜朗元首相との間を仲介したことが、訪朝実現の端緒になったと言われています。
これが事実であれば、田村順子さんの人脈と信頼が、国家間の極秘交渉の一助となったという事になります。
きらびやかな衣装に身を包み、圧倒的な存在感で客席を睥睨する姿から、田村順子さんはいつしか「銀座の女帝」と呼ばれるようになりました。その魅力は、政治家のみならず、なかにし礼さん、五木ひろしさん、みのもんた、平尾昌晃さん、星野仙一さんといった一流の文化人や大物タレント、スポーツ界のスターたちをも虜にしました。
彼らは皆、田村順子という女性が持つ不思議な魅力に惹きつけられ、夜な夜な彼女の店へと足を運んだとされています。
田村順子のパトロン「森崎」とは誰なのか

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経歴のところでも触れたように、田村順子さんの半生を描いたセミドキュメンタリー漫画「順子 銀座女帝伝説」に登場するパトロン「森崎達也」というキャラクターのモデルは誰なのかもネット上で話題のようです。
漫画「順子 銀座女帝伝説」では、森崎達也は有名電機メーカー「パシフィック電機」の社長という設定で、田村順子さんにアルバイトや就職先を紹介し、高校卒業を機に愛人関係となった既婚男性とされます。田村順子さんのパトロンであり、銀座の「クラブ妃」(クラブ「姫」がモデル)への橋渡した存在であり、そして、「クラブ順子」が開店してからは男女関係を清算し、田村順子を優しく見守り続ける存在として描かれています。
漫画「順子 銀座女帝伝説」は実話を元としており、登場人物はほぼ全て実在の人物をモデルに描かれています。そのため、パトロンとされる森崎達也も実在する財界の大物が存在すると言われていますが、それが誰なのかは明らかにされていません。
おそらく、愛人の関係にあったという事もあり、森崎達也が誰なのかはわからないように描かれているのだと推測されます。
田村順子と作家・作詞家のなかにし礼は恋仲だった
なかにし礼のプロフィール
本名 :中西禮三(なかにし・れいぞう)
生年月日:1938年9月2日
没年月日:2020年12月23日(82歳没)
出身地 :満洲国牡丹江省牡丹江市
田村順子さんは、作家で作詞家のなかにし礼さんと恋仲だった事もよく知られています。
当時、新進気鋭の若手作家でプレイボーイとして知られていたなかにし礼さんと、「銀座最年少ママ」として話題になっていた田村順子さんとの恋愛は週刊誌でも報じられ世間を騒がせました。

田村順子さんとなかにし礼さんの恋愛については、田村順子さんの半生を描いたセミドキュメンタリー漫画「順子 銀座女帝伝説」でも描かれており、同作に登場する「喜多嶋玲」というキャラクターのモデルがなかにし礼さんです。
田村順子の結婚…夫は俳優の和田浩治
田村順子と結婚した俳優・和田浩治のプロフィール
本名 :和田愷夫(わだ・ひでお)
生年月日:1944年1月28日
没年月日:1986年7月6日(42歳没)
出身地 :茨城県水戸市
1974年、田村順子さんは人気俳優の和田浩治さんと結婚しています。和田浩二さんは1959年に日活映画「無言の乱斗」で主演デビューし、赤木圭一郎さんや小林旭さんらとともに「日活ダイヤモンドライン」の1人として活躍したスター俳優でした。銀座のトップママと銀幕のスターの結婚は当時の社交界で大きな話題となりました。
結婚後も、田村順子さんは「クラブ順子」のママとして店に立ち続けました。夫婦の間に子供はいませんでしたが、互いの世界を尊重しながら、強い絆で結ばれていたといいます。しかし、結婚生活は長くは続きませんでした。和田浩治さんが胃がんを患ったのです。
田村順子さんは気丈に夫を支え、力強く励まし続けたと言われています。1984年に病が発覚してから、和田浩治さんは入退院を繰り返しながらも俳優としての活動を続けましたが、1986年7月6日に42歳という若さでこの世を去っています。
亡くなる一週間前に昏睡状態に陥った和田浩治さんは、一時的に意識を取り戻した際、最期まで寄り添った妻に「元気でいてくれ」という言葉を遺したのだそうです。煌びやかな銀座の喧騒の裏側で、田村順子さんは愛する夫の最期を看取るという、深く静かな悲しみを経験していたのです。
田村順子の現在① 「クラブ順子」は2020年に惜しまれつつ閉店

バブル経済の熱狂と崩壊、リーマンショック、そして新しい世代の台頭。多くのクラブが開店と閉店を繰り返す中で、「クラブ順子」は半世紀以上にわたり、銀座の夜の灯火を守り続けてきました。
しかし、2020年、世界中を襲った新型コロナウイルスのパンデミックの最中、「クラブ順子」は惜しまれながらその歴史に幕を下ろしました。接待を伴う飲食店への厳しい逆風は、銀座の老舗名店とて例外ではありませんでした。
1966年の開店から54年。田村順子さんが一代で築き上げた城は、静かにその扉を閉じました。
田村順子の現在② ネット上では生きてるのかも話題に
田村順子さんについては、2025年現在の年齢が「84歳」と高齢であることもあってか、現在も「生きてるのか」も、インターネット上で話題にされているようです。
2020年の「クラブ順子」の閉業以降、田村順子さんの公の場での発言や活動はほとんど伝えられていません。2023年頃まで、田村順子さんの近況に言及する記事が確認できましたが、現在の具体的な暮らしぶりが明かされているわけではありません。
田村順子さんほどの有名人が死去したのなら大きく報じられるはずですが、そうした報道は2025年現在の時点では出ていないため、生きてる事は間違いないと思われます。
しかし、現在の様子がメディアで紹介される事はなく、静かな余生を送っていると推測されています。
まとめ
今回は、戦後から半世紀以上にわたって活躍し「銀座の女帝」とも呼ばれた伝説的ホステスである田村順子さんについてまとめてみました。
田村順子さんの実家は東京西巣鴨のお寺で、家族は両親と6人の兄弟姉妹だと伝えられています。戦争と父親の早世により貧しい中で育った生い立ちを持ち、「母親に楽をさせたい」との思いから、少女時代から銀座の世界に興味を持っていたそうです。
そして、若い頃から銀座のクラブのホステスとして活躍し、24歳という若さで「クラブ順子」を開業して独立の経歴をもち、当時は「銀座最年少ママ」として大きな話題を呼びました。
その店には、小泉純一郎、安倍晋三、森喜朗、小沢一郎といった政界の大物をはじめ、なかにし礼、五木ひろし、みのもんた、平尾昌晃、星野仙一といった一流の文化人や大物タレント、スポーツ界のスターたちも常連として訪れていたとされます。
私生活では、俳優の和田浩治との結婚と死別が知られています。
田村順子さんは2020年に「クラブ順子」を閉業しており、現在は静かに余生を送っていると言われています。





















