太平洋戦争において、日本はたくさんの部隊が存在しました。その中で最も残虐なことをしていて、危険だと言われている部隊が731部隊です。731部隊は生物兵器を開発し、人体実験をしていたと言われています。しかし、その一方で、「人体実験をしていたなんて嘘だ!捏造だ!」という意見もあります。
731部隊の生物兵器や人体実験について、さらに人体実験は捏造や嘘という意見、人体実験は真実という証言、さらにその後をまとめました。
この記事の目次
731部隊とは?正式名称は関東軍防疫給水部本部
731部隊とは、第二次世界大戦で大日本帝国陸軍に存在した部隊の1つで、正式名称は関東軍防疫給水部本部と言います。秘匿名称で満州第七三一部隊と呼ばれていて、そこから731部隊と呼ばれるようになりました。
基本的な任務(表向きの任務)は衛生的な給水体制の研究でしたが、実際は生物兵器や化学兵器の研修・開発をしていたり、捕虜を人体実験したり、人道に背いた研究を行っていた部隊でした。
731部隊は関東軍に所属している部隊ですが、実際は陸軍軍医学校防疫部に近いというちょっと特殊な部隊でもありました。
731部隊は石井四郎が中心だった
出典:eritokyo.jp
1932年に陸軍軍医学校防疫部の下に石井四郎ら軍医5人が属する防疫研究室が作られました。そして、その防疫研究室の出先機関として関東軍所属の関東軍防疫班が作られます。
そこから、発展して731部隊(関東軍防疫給水部本部)が作られるようになりました。この731部隊が正式に創設されたのは1945年のことです。
関東軍防疫給水部長は創設メンバーである石井四郎であり、石井四郎の影響力が非常に強かったため、731部隊は石井部隊と呼ばれることもあったほどです。
・所属人数:3560人(終戦時)
・研究費:年間200万円(東大の研究費と同じ程度)
陸軍軍医学校防疫部の下に創設されたのに、日本本土ではなく、満州のハルピンに研究所が作られたのは、人体実験をするためと考えられています。
部隊長の石井四郎は戦後に、医学研究をするにあたって「内地(日本国内)ではできないことを実行するために、ハルピンの研究施設を作った」と話しています。
731部隊は生物兵器を開発していた
7313部隊は生物兵器を開発していた部隊です。生物兵器とは、細菌を使った兵器や化学兵器のことですね。
ノモンハン事件ではチフスをばらまく
出典:eritokyo.jp
1939年に満州とモンゴルの国境をめぐって起こった紛争がノモンハン事件です。満州は日本が支配し、モンゴルはソ連が支配していましたので、日本とソ連の国境紛争の1つになります。
このノモンハン事件で731部隊は出動部隊の給水支援や衛生指導を行い、その功績を称えられ、衛生部隊として史上初となる感状授与の栄誉を受け、石井四郎も金鵄勲章と陸軍技術有功賞を受けています。
しかし、このノモンハン事件で731部隊が行ったのは、給水支援と衛生指導だけではありません。戦地となった「ホルステン河(ハルハ河)」にチフス菌を流したんです。
培養液を川に流す際に、軍曹が培養液を頭からかぶってしまい、腸チフスで死亡しています。
しかし、ソ連の将校は生水を飲まなかったため、この細菌兵器での攻撃は失敗に終わったようです。また、ノモンハンでは731部隊は感情授与を受けていますが、これは給水支援や衛生指導の功績ではなく、細菌兵器を使用したことの功績だったとも言われています。
ペスト菌を撒いた
731部隊はペスト菌をばらまいたこともありました。穀物や綿にペストに感染したネズミの血を吸わせた「ペストノミ」をまぶして、それを低空飛行の飛行機からばらまくというものです。
1940年10月末に寧波でペストをばらまき、ペストが流行して37人が死亡しています。また、1940年の11月に満州の新京でペストが流行します。
この時、731部隊は疫病対策に協力しますが、実はこの新京でのペストの流行は、731部隊が引き起こしたのではないかとも言われています。
2011年に日本の国立国会図書館関西部から発見された金子順一論文(元731部隊所属の金子順一軍医の論文集)によると、731部隊のペスト攻撃による感染者は合計2万5946人にも上ると報告されています。
この金子順一論文にはペスト菌を太平洋や東南アジアで撒くことを想定し、地域や季節による効果を試算した研究内容が書かれていたとのことです。
炭疽菌の実験も行っていた
731部隊は炭疽菌爆弾の実験も行っていました。炭疽菌爆弾で人体実験を行い、炭疽菌爆弾で負傷した人間は、どのくらいの割合で感染し、どのような傷で感染するのか、さらに何日くらいで死ぬのかなどが観察されていたそうです。
731部隊の人体実験と証言
731部隊では人体実験が行われました。この人体実験は非常に残酷なもので、非人道的な行為という表現では片づけられないものだったとされています。
この731部隊の人体実験を証言と一緒に説明していきます。
「マルタ(丸太)」と呼ばれた人で人体実験を行う
出典:twitter.com
731部隊は人体実験を行っていましたが、被験者(犠牲者)となる人々は「マルタ(丸太)」と呼ばれていました。
マルタは捕虜やスパイ容疑で捕まっている朝鮮人、中国人、モンゴル人、アメリカ人、ロシア人などでしたが、一般市民の女性や子どもマルタとして犠牲になることがありました。これは、幅広い人種・年齢・性別でのデータが必要だったためとされています。
戦後に行われたハバロフスク裁判によると、マルタとして犠牲になった人数はなんと3000人以上とも言われています。
旧日本陸軍731部隊の衛生兵だった三重県尾鷲市の大川福松さんは、2007年に次のように証言しています。
「そのうち、毎日2〜3体解剖しないと仕事が終わらん気になっていった。多い時は1日5体を解剖した」
引用:波紋呼びそうな読売新聞記事731部隊元隊員証言〜ネットでは戦後は「国から口止めされていたから」発言部分などを削除してたらしい情けないプチ加工 – 木走日記
マルタは高い外壁で囲まれた「マルタ小屋」と呼ばれるコンクリート造りの特設監獄に入れられ、逃げることはできなかったとのことです。一度、40人ほどが集団脱走したことがあるそうですが、空港に作られているため隠れるところがどこにもなく、逃げたマルタは全員がトラックでひき殺されたとのことです。
生きたまま解剖をした
出典:twitter.com
731部隊では生きている人間を解剖していました。これは、被験者が死亡してしまうと人体に雑菌が入るため、人体に雑菌が入らないうちに解剖して臓器などを取り出す必要があったからとされています。
健康な人間に各種病原体を注射して感染を起こします。そして、生きたまま解剖をして、臓器を取り出し、病原体の侵入段階(感染段階)における人体への損害・影響を確認した実験とのことです。ワクチンや抗体を人体に注入して、その有効性を確かめることもありました。
731部隊の少年隊であった鎌田信雄さんは、1995年に次のように証言しました。
このときは麻酔をかけないで意識がはっきりしているマルタの手足を解剖台に縛りつけて、
意識がはっきりしているままの“マルタ”を解剖しました。
はじめは凄まじい悲鳴をあげたのですが、すぐに声はしなくなりました。
臓器を取り出して、色や重さなど、健康状態のものと比較し検定した後に、それも標本にしたのです。
ガス実験
出典:ameblo.jp
731部隊では、ガス実験も行われていました。
「びらんガスを人体実験に使用して、手とか足、顔がびらんガスにかかってただれて、留置所の中に入ってるのを見ました」(731部隊 衛生兵 古都証人)
ガスを用いた人体実験は、731部隊の中でも熱心に行われていて、ガスを充満させた中にマルタを入れて、ガス室の外から弱っていくマルタを観察するというものです。
使われていたガスは、イペリット、ホスゲン、ルイサイト、青酸ガス、一酸化炭素ガスなどいろいろなものが使われていたそうです。
水だけで何日生きられるか
731部隊では「水だけで人間は何日生きられるか」という人体実験も行われていました。人間の極限状態に関する実験です。
食事を与えずに、普通の水だけ与える実験、蒸留水だけを与える実験を行い、普通の水だけだと45日間、蒸留水だけだと33日間生き続けていたという証言があります。
東郷部隊に傭人として勤めた栗原義雄さんは次のように証言しています。
「自分は、軍属の菅原敏さんの下で水だけで何日生きられるかという実験をやらされた。その実験では、普通の水だと45日、蒸留水だと33日生きました。蒸留水を飲まされ続けた人は死が近くなると『大人、味のある水を飲ませてくれ』と訴えました。
引用:青山貞一:「731舞台の真実」 今までの記録(4)・人体実験 ・実験材料としてのマルタ ・細菌学的実験 ・生理学的実験
冷凍実験
出典:kknews.cc
731部隊では冷凍実験も行われていました。中国人やロシア人のマルタを氷点下40~50度の冷凍庫に入れて、凍っていく様子を観察し、死んでいく様子をフィルムに撮るという人体実験です。
また、ソ連での冬季の戦争を見越して凍傷の対策をするために、人為的にマルタを凍傷にさせて、凍傷になった部分を棒で叩いて凍り具合を確認したりしています。凍傷で凍った指は、棒で叩くとつららのように砕けてしまったとのことです。
ハバロフスク裁判で西俊英は次のように証言しています。
吉村研究員から聞いた所によりますと、酷寒に部隊の監獄から人々を引出し、素手にさせ、人工風によって手を凍らせていました。それから、小さな棒をもって凍傷にかかった手を、小板を叩く様な音が出る迄叩き続けました。
血液を抜き取るとどうなるか
731部隊による人体実験には、人間の極限状態を知るために、血液を抜き取るとどうなるか?というものもありました。
元731部隊の大川福松さんの証言はこちらです。
「生きとる人間から血液を抜きとるのも、生体解剖の目的だった」
このように人間の血液を全部抜き取るという人体実験のほかにも、「馬や猿の血液と人間の血液を交換したらどうなるか」や「うすめた海水は血液の代用になるか(生理食塩水)」などの実験も行われていました。
性病実験
マルタの女性は性病実験に使われることが多かったようです。当時の日本軍は、現地の女性をレイプしたりして、性病が蔓延し、1個師団相当(10,000~20,000人)の兵力が失われたとされています。
そこで731部隊は性病に打ち勝つ対策を立てるために、マルタの女性をわざと性病にさせて、マルタの男性とセックスさせ、それを731部隊が観察したなどの実験をしたそうです。また、731部隊の中には、マルタの女性を強姦したということもあったようです。
そやね。私たちが片付けにいったとき、中国の女の人がありましたね。梅毒の実験の。スペロヘータの実験の。それは思い出ありますね。
えーと、やられた先生は、園田中佐。教育隊の中佐のね。それで私たちが入ったのは梅毒のそれをやったあとですから、恥部をずうっと切り開いとったですね。
引用:七三一部隊元隊員証言記録
731部隊の人体実験は捏造で嘘?
出典:eritokyo.jp
731部隊が人体実験をしていたのは嘘である。すべては捏造であり、731部隊はただ兵士の感染症予防や衛生的な給水体制の研究していた部隊であるという意見があります。
731部隊は給水部隊で、衛生的な水の確保を任務としていました。人体実験なんてしていません。
— 璃 (@lazuli13) February 3, 2020
まして、NHKや「悪魔の飽食」で描写されている目的が意味不明の人体実験(ていうかお医者さんごっこ?)なんかやっているような暇はなかったです。
マルタ?731部隊?全部デマだよ
— リベさん (@ZwWDsZLuXVUPTd2) February 3, 2020
これら、731部隊の人体実験は捏造である、嘘であるとする人たちの意見は、次のようなものがあります。
・軍隊は官僚組織なのに人体実験に関する文書が発行されていない
・慰安婦はデマだから731部隊もデマだ
・南京事件の史実も怪しいところがあるから、731部隊の人体実験も捏造だ
このような意見から、731部隊が人体実験をしていたというのは中国による捏造だというものです。
堀越先生がマルタ(maruta)で話題になってるが731部隊のデマは嘘だと証明されたはずでは?
— フルりん (@Rednote0603) February 3, 2020
証拠が何一つ出されていないさは済南事件で殺された日本人の写真が731部隊の被害者として中国の教科書に掲載されているの未だに終わってないんですか?反日教育の賜物だな…
そもそも731部隊の人体実験はデマだから謝る必要ないの。
— こめじ1174 (@konohageee1174) February 3, 2020
愛国者・右翼思想が強い人に、731部隊の人体実験は捏造である・デマであると考えている人が多いようです。
731部隊の人体実験は真実であると裏付ける証言
731部隊の人体実験は捏造で嘘であるという意見もありますが、有識者の多くは731部隊の人体実験は真実であると結論付けています。
アメリカ側の証言
出典:virginiewunara.wordpress.com
戦後、日本を統治したアメリカ側の証言を見てみましょう。戦後1945~1947年にアメリカの細菌戦調査官が4回にわたって日本を訪れ、レポートをまとめています。
・トンプソンレポート
・フェルレポート
・ヒルレポート
この4つのレポートのうち、731部隊の人体実験についてはフェルレポートとヒルレポートに記されています。
フェルレポートの証言はこちらです。
人間の実験材料は他の実験動物とまったく同じ方法で使用された。すなわち、彼らを使って各種病原体の、感染最小量及び致死量が決定された。また、彼らは予防接種を受けてから、生きた病原体の感染実験を受けた。さらに彼らは爆弾や噴霧で細菌を散布する野外試験の実験材料にさせられた。
ヒルレポートの一部を引用します。
かような情報は我々自身の研究所では得ることができなかった。なぜなら、人間に対する実験には疑念があるからである。これらのデータは今日まで総額二五万円で確保されたのであり、研究にかかった実際の費用に比べれば微々たる額である。
どちらのレポートでも、人体実験が行われていたことが記されています。しかも、ヒルレポートについては、731部隊のデータを入手できたことを誇っているような印象さえ受けます。
731部隊の証言
731部隊に所属していた人たちも、戦後に人体実験が行われていたことを証言しています。先ほどの人体実験のところで紹介した以外の証言もたくさん出ていて、証言をまとめた本なども出版されています。
7313部隊の人体実験を捏造・嘘とする人たちは、これは「証言者は洗脳されたか強引に自白させられた者たちばかりだ」としていますが、731部隊の人たちは、わざわざ嘘をつく必要がないので、これらの証言は真実と考えるのが自然です。
ハバロフスク裁判での証言
731部隊を裁くために旧ソ連で行われたハバロフスク裁判でも、731部隊では人体実験を行っていたという証言がありました。この時の貴重な音声データがモスクワで見つかっています。
・731部隊 軍医 柄沢十三夫
・731部隊 第4部長 川島清
・731部隊 憲兵班 倉員
・731部隊 衛生兵 古都
これらの731部隊に所属していた人たちが、人体実験をしていたと証言していました。このハバロフスク裁判で有罪となり、シベリアで強制労働をさせられていました。日ソ国交正常化に伴って、ほとんどの人が帰国できましたが、国交正常化の前に亡くなった人もいます。
三笠宮崇仁親王の証言
出典:sankei.com
昭和天皇の弟にあたる三笠宮崇仁親王は、1943年には支那派遣軍参謀として南京に派遣されています。その時に見たことを1994年に証言されています。
南京の総司令部では、満州にいた日本の部隊の実写映画を見ました。それには、広い野原に中国人の捕虜が、たぶん杭にくくりつけられており、また、そこに毒ガスが放射されたり、毒ガス弾が発射されたりしていました。
これは、731部隊の人体実験を指すものではないかと言われています。
731部隊のその後
731部隊は1945年8月にソ連が参戦してきてからは、速やかに撤退し、日本本土に戻ってきています。そして、そのまま終戦を迎えました。731部隊のほとんどは本土に帰還できましたが、一部はソ連兵に捉えられ、ハバロフスク裁判にかけられています。
終戦を迎えた731部隊のその後はどうなったのかを見ていきましょう。
東京裁判では裁かれなかった
出典:asahi.com
731部隊は中国人や朝鮮人、ロシア人、アメリカ人などをマルタとして人体実験を行い、生物兵器も使用しています。1925年のジュネーヴ議定書では戦争時における化学兵器・生物兵器(細菌兵器)の使用禁止が謳われていますので、731部隊は普通に考えると、東京裁判で戦争犯罪人として裁判にかけられるはずでした。
でも、731部隊は東京裁判では裁かれなかったんです。どうやら、731部隊は戦犯として責任を問われることなく、戦犯免責となりました。
データをアメリカに売った?
なぜ、東京裁判で731部隊は裁かれなかったのか?それは、人体実験のデータをアメリカに売って、GHQと戦犯免責の取引をしたからではないかと言われています。
第二次世界大戦が終わった後、アメリカはソ連と冷戦状態になります。そして、アメリカはソ連との戦争に備えて、人体実験のデータが欲しい。そして、そのデータは絶対にソ連に渡したくない。
だから、戦犯にしない代わりに、731部隊のデータを独り占めして買い取っていたのではないか?そう言われています。
731部隊の取材をしている青木富貴子さんによると、次のような密約が交わされたとのことです。
- ・日本人研究者は戦犯の訴追から絶対的な保護を受けることになる。
- ・報告はロシア人に対しては全く秘密にされ、アメリカ人のみに提供される。
このような密約があり、731部隊の人体実験のデータをアメリカが買い取ったとすれば、ハルレポートの「これらのデータは今日まで総額二五万円で確保されたのであり、研究にかかった実際の費用に比べれば微々たる額である。」という言葉も納得できますね。
また、731部隊の部隊長だった石井四郎はアメリカに対し、細菌戦エキスパートとして自分を雇うように持ち掛けていたとのことです。
帝銀事件に731部隊が関与?
出典:tsubuyaki3578.at.webry.info
1948年に帝銀事件が起こります。帝銀事件は帝国銀行の椎名町支店に男が訪れ、「近くで赤痢の集団感染が起こったから、予防薬を飲んでもらいたい」と言って、行員と用務員一家の合計16人に青酸化合物を飲ませ、12人が死亡した事件です。
テンペラ画家の平沢貞通を逮捕し、死刑判決が出ていますが、実はこの帝銀事件は元731部隊の人が犯人ではないかと言われています。
犯人は青酸化合物の扱いに長けていたことから、731部隊出身者を中心に捜査が進められていたのですが、GHQから旧陸軍関係者への捜査が禁じられてしまったんです。
捜査関係者は「731部隊の内50数人を調べた結果、経歴・アリバイ・人相が合致するのはS中佐しかいない」と書き記しています。
1980年代以降新証言・資料が続々と
731部隊は東京裁判にもかけられることがなく、戦後すぐは証言した人も少なかったですし、731部隊の人体実験に関する資料もあまりありませんでした。そのようなことも、「731部隊の人体実験は嘘だ。捏造だ!」と主張する人が多かった原因の1つかもしれません。
でも、1980年代になると、新証言や資料が続々と出てきているんです。フェル・レポートとヒル・レポートが公開されたのは1980年代に入ってからです。
また、元731部隊に所属していた人も、1980年代以降に少しずつ証言するようになりました。ハバロフスク裁判の肉声を記録した22時間に及ぶ音声テープは、NHKが2017年ごろに発掘しています。
さらに、2020年2月6日までに西山勝夫滋賀医大名誉教授が、1950年に軍医や軍人の状況を把握するために作成された文書「業務通報(B)第50号 関東防疫給水部」を発見しています。
今後も、731部隊に関する資料や文書が続々と出てくる可能性はあります。
731部隊に関する情報を総まとめ
731部隊が行った生物兵器の開発や人体実験、人体実験を嘘・捏造とする意見について、真実と証言、その後などをまとめましたが、いかがでしたか?
・ペスト菌を撒くなど生物兵器開発を行っていた
・残虐な人体実験を行っていた
・731部隊の人体実験は嘘や捏造とする意見もある
・証言や資料から人体実験は真実の可能性が高い
731部隊は太平洋戦争の闇の部分であり、戦争という異常事態が人間としての倫理を破壊してしまい、ストッパーがなくなったために、人体実験を行ってしまったのかもしれません。今後、さらに資料等が発見されて、731部隊のことが明らかになっていくかもしれません。