高木ブーの現在!若い頃・死去した嫁や娘・車椅子や痩せた噂まとめ

志村けんさんの追悼生番組での高木ブーさんの「志村は死なないの。ずっと生きている。」のコメントが大きな反響を呼んでいます。

 

今回はそんな高木ブーさんの若い頃の経歴をはじめ、年齢、結婚や嫁、娘、車椅子や痩せた噂、死去説、現在の活躍などについてまとめました。

高木ブーのプロフィール〜本名や年齢・出身地など紹介

 

高木ブーのプロフィール

 

本名  :高木友之助

生年月日:1933年3月8日

出身地 :東京府東京市豊島区

身長  :160cm

血液型 :O型

 

 

「ザ・ドリフターズ」で人気だった高木ブーさんは本名は「高木友之助」。1933年3月8日、東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)の生まれで、2020年4月時点で年齢は87歳を迎えられています。

 

 

高木ブーは一流ミュージシャン

 

「ザ・ドリフターズ」のボケ役で「ドリフ大爆笑」では「雷様」の役でおなじみになった高木ブーさん。ドリフのコントなどで見せるのんびりとした語り口調で、周りにいじられる事でウケを取るようなキャラクターとは裏腹にその本当の姿は超一流のミュージシャンなのです。

 

高木ブーさんといえばウクレレ奏者としての活躍が有名ですが、ギターをはじめ様々な楽器をプロフェッショナルに操り、さらには歌唱力も抜群で、元々は音楽バンドとしてスタートした「ザ・ドリフターズ」の本質を最も色濃く残しているのはこの高木ブーさんだとも評されています。

 

次の見出しからは、ミュージシャンとしてスタートした高木ブーさんの若い頃の経歴から紹介します。

 

 

 

高木ブーの若い頃① 戦争で苦労するも中3でウクレレにのめりこみ音楽の道へ

 

出典:https://twitter.com/

 

高木ブーさんは東京府東京市豊島区(現在の東京都豊島区)で生まれ育ちました。上に兄が3人、姉が2人いる6人兄弟の末っ子だった高木ブーさんは、家族みんなからとても可愛がられたそうです。

 

高木ブーさんは12歳になった太平洋戦争末期の1945年、アメリカ軍による東京空襲が激しくなり、家から焼け出され、母の実家を頼る形で千葉県東葛飾郡柏町篠籠田(現在の千葉県柏市)という土地に一家で疎開する事になります。

 

疎開した直後に戦争は終結したものの、すでに東京府の家は空襲によって焼けており、帰る場所もないため、高木ブーさん一家はそのまま柏町で暮らす事になり、中学校(京北学園中がっこ王)再開後も、高木ブーさんは毎日汽車に乗って柏町から東京日暮里まで通学していたそうです。

 

こうした苦労の多い少年時代を送った高木ブーさんでしたが、15歳の誕生日にハワイアンにはまっていたというひとつ上の兄からウクレレをプレゼントされます。

 

高木ブーさんはこれをきっかけに音楽にのめり込み、戦後の混乱期でウクレレの本も楽譜も手に入らなかったため、レコードを何度も聴きながら独学で演奏法を勉強したのだそうです。

 

高木ブーさんは高校を経て、中央大学経済学部へと進みますが、この間もウクレレへの情熱は燃え続け、ウクレレのサークルに所属し、バンド活動なども熱心に行なっていたそうです。

 

ちょうど、当時の大学はハワイアン音楽がブームになっていたそうで、ハワイアンバンドの大学対抗戦なども盛んに行われていたんだそうです。こうした時代背景もあって、高木ブーさんはどんどんと音楽の世界へとのめり込んでいた様子です。

 

 

 

高木ブーの若い頃② 中央大学卒業後プロのミュージシャンの道へ

 

出典:http://www.matsuyomi.co.jp/

 

音楽漬けの学生生活を送った高木ブーさんは、父親のコネもあって中央大学在学中に東京ガスの内定を得ていました。しかし、音楽の道に進みたかった高木ブーさんは「俺、嫌だ」と就職を拒否、卒業後はプロのミュージシャンになる道を選びます。

 

プロのミュージシャンになった後も高木ブーさんはハワイアンのバンドに参加しますが、この頃にはウクレレではなくギタリストとして活躍しました。

 

当時の主な仕事は、在日米軍キャンプでの演奏だったそうで、そこではジャズを好む将校クラブ、ハワイアンを好む下士官クラブ、カントリーミュージックを好む兵隊クラブに大まかに分かれていて、ミュージシャン達はそれぞれに合わせて様々な音楽を演奏していました。

 

高木ブーさんの専門はハワイアンミュージックでしたが、それだけだと仕事が少ないのでジャズやカントリーなど、様々な音楽に対応できるよう練習されたとの事でした。国内だけでなく、当時はまだ米軍の占領下にあった沖縄をはじめ台湾やフィリピンの米軍キャンプを数ヶ月かけて回るような忙しい日々を送ったのだそうです。

 

当時、高木ブーさんは「高木智之」という芸名を名乗っていて、自分が率いる「高木智之とハロナ・リズム・コーラス」、「高木智之とハロナ・セレナーダス」といったハワイアンバンドをはじめとし、「ニュー・フレッシュメン」、歌手で俳優のジェリー藤尾さんが率いていた伝説的バンド「パップ・コーンズ」、や、パップコーンズでドラムを務めたロジェ滋野さんが結成した「ロジェ滋野とシャドーズ」など、今では伝説化している数々のバンドのメンバーとして活躍しました。

 

特に「パップ・コーンズ」では、伝説のジャズ喫茶「銀座ACB(アシベ)」やテネシーなど、東京界隈のジャズ喫茶を回って演奏し人気を博しました。

 

ちなみに、この「パップ・コーンズ」には、後に共に「ザ・ドリフターズ」で活躍する事になる仲本工事さんがセカンドシンガーとして参加されています。

 

その後、ハワイアンやジャズではなく、エレキ・インストバンドが流行したのをうけて、高木ブーさんは「パップ・コーンズ」を抜け、イギリスのエレキ・インストバンド「The Shadows」のコピーバンド「シャドウズ」を結成します。この「シャドウズ」には仲本工事さんもギタリストとして参加されています。

 

そして、この「シャドウズ」で活動していた頃に、高木ブーさんは「ザ・ドリフターズ」のリーダー・いかりや長介さんからのスカウトを受ける事になります。

 

 

高木ブーの若い頃③ ドリフターズ加入後のエピソード

 

出典:https://twitter.com/

 

当時「ザ・ドリフターズ」は日本テレビで放送されていた「味の素ホイホイ・ミュージック・スクール」という番組で伴奏を担当していたのですが、メンバーの小野ヤスシさんやジャイアント吉田さんら脱退する事になって困っていました。

 

そこで、リーダーのいかりや長介さんは、当時から存在を知っていた高木ブーさんに白羽の矢を立て勧誘に動いたのでした。前述のように、高木ブーさんは自分のバンドを率いていたため、最初はドリフターズへの加入に難色を示しました。

 

当時、高木ブーさんは結婚して娘が産まれたばかりだった事もあり、いかりや長介さんから「お宅は母乳ですか?」と尋ねられたそうなのですが、高木ブーさんは「うちはミルクだから、結構ミルク代がかかるんです」と暗に給料を上げて欲しいという事を伝えようとします。

 

そうした世間話を30分近くも続けたところ、いかりや長介さんは、ようやく、高木ブーさんが給料を上げて欲しいと暗に伝えている事に気がつき「それならばベースの給料5000円アップでどうですか?」という事で、ドリフターズへの正式加入が決定したのだそうです。

 

当時は現在よりも物価がかなり安かったので、ベース5000円のアップは相当な条件で、高木ブーさん本人も「当時としてはかなりの高給取りです」と話されています。

 

ドリフターズは当時はロックをメインにして、銀座や池袋、横浜などのジャズ喫茶を回って演奏し、高木ブーさんはギターを担当していました。この頃からドリフターズはコミックバンド色が強く、ジャズ喫茶の演奏の合間などにコントをしていました。ただ、高木ブーさんはこの頃は演奏専門でコントには参加させてもらえなかったのだそうです。

 

 

いかりや長介が高木ブーをスカウトした理由は「見た目」だった

 

出典:https://twitter.com/

 

高木ブーさんは当初、自分がドリフターズに誘われたのはミュージシャンとしての実力を買われてだったと思っていたそうなのですが、後にその理由をいかりや長介さんに尋ねたところ「太っている外見がコミックバンドに向いていると思ってスカウトした」と答えたというエピソードはよく知られています。

 

 

「高木ブー」の芸名を名乗ったのはドリフターズ加入後

 

高木ブーさんはドリフターズ加入までは「高木智之」の芸名で音楽活動をしていましたが、当時の事務所「渡辺プロ」の先輩で「クレージーキャッツ」を率いていたハナ肇さんの「お前は太っているからブーでいいや」という鶴の一声によって「高木ブー」という芸名が決定したのだそうです。

 

この「高木ブー」の芸名決定のエピソードについては、いかりや長介さんが、最初から高木ブーさんは「ブーたん」というあだ名で呼ばれており、ハナ肇さんから「たんを取れ」と言われたためといったエピソードを明かすなどしていますが、ハナ肇さんが「高木ブー」命名に影響を及ぼしたのは確かなようです。

 

 

「8時だョ!全員集合」での大怪我で脱退も考える

 

出典:https://twitter.com/

 

その後、「ザ・ドリフターズ」は伝説のコント番組「8時だョ!全員集合」のスタートによって、一躍国民的スターグループへと駆け上がります。

 

そんな人気絶頂の1984年9月、高木ブーさんは、「8時だョ!全員集合」の体操コーナーのリハーサル中にアキレス腱を断裂する大怪我を負い、その後約4ヵ月の間、活動を休止しています。

 

この時のことについて、体操コーナーを担当していた仲本工事さんは以下のように振り返っています。

 

ブータンはアキレス腱を切ったことがあった。ボクは「全員集合」で体操コーナーを任されていて、トランポリンで2時間は稽古をするので、ブータンにその前に準備運動をするように言ったんです。なのに、座っているだけで何もしない。それで乗ろうとしたら、ブチッと大きな音がして。「どうした?」と言ったらアキレス腱が切れていて、もうあとの祭りです。

 

引用:ザ・ドリフターズ 仲本工事が明かす「全員集合」裏話(2)棺の中でいびきをかいて…

 

高木ブーさんはこの怪我をした時、このまま「8時だョ!全員集合」の出演から正式に脱退する事も考えたのだそうです。しかし、それを聞いたいかりや長介さんが熱心に説得した結果、高木ブーさんは「8時だョ!全員集合」への復帰を決めたと言われています。

 

 

 

高木ブーの若い頃④ 「8時だョ!全員集合」終了後は様々な分野で活躍

 

出典:https://twitter.com/

 

国民的人気を誇り、視聴率50パーセント超えという未曾有の大記録も打ち立てた「8時だョ!全員集合」でしたが、1985年9月28日、ついに番組が終了となりました。

 

それまでは「メンバー別々での個人活動はしない」という方針で活動を続けてきたというドリフターズでしたが、「8時だョ!全員集合」の終了を機に「これからはみんな好きな事をやろう」という事に決まったのだそうです。

 

そして、高木ブーさんはドリフターズのメンバーの中で真っ先に個人活動を開始し、劇作家の別役実さんの複数の舞台に出演しています。この時には今後は「新劇」の役者になろうと考えていたのだとか。

 

 

 

「ドリフの大爆笑」の「雷様」が大ブレイク

 

 

「8時だョ!全員集合」は終了しましたが、ドリフターズのコント番組として月1回フジテレビで放送されていた「ドリフの大爆笑」は続いていました。

 

その中の「長介・工事・ブー おなじみ雷様」というコントは、雲の上で、いかりや長介さんと、仲本工事さんと、高木ブーさんの3人が、全身タイツにトラ柄のパンツ、鬼のカツラを被って雷様に扮し、ゆるい雰囲気のトークネタを繰り広げるという内容。

 

この雷様コーナーは、メンバーがギター演奏をしたり歌ったりと本来の音楽バンドとしてのドリフターズを思い出させてくれるネタが盛り込まれた事で、番組屈指の人気コーナーになりシリーズ化されます。

 

そして、特に、高木ブーさんの雷様の格好とキャラクターが視聴者に大ウケし、一躍当たり役となり、同時に高木ブーさん本人の人気も急上昇する事につながりました。

 

 

その後、この「雷様」は高木ブーさんの代名詞となり、キャラクター化や、別番組でも「ギターの雷様」など、雷様の格好で高木ブーさんが登場するコーナーが生まれるなど、大ブレイクする事になりました。

 

1999年4月からはNHKの番組「趣味悠々」にて「高木ブーの今すぐ始めるウクレレ」という企画がスタートし、高木ブーさんは講師として出演したのですが、この番組内でも雷様の格好で出演する事があり、往年のファンを喜ばせました。

 

 

 

高木ブーの結婚した最愛の嫁・喜代子さんを早くに亡くしている

 

出典:https://twitter.com/

 

高木ブーさんは、ドリフターズに加入する前、一般女性の福本喜代子さんという女性と知人主催のダンスパーティで知り合い、1962年に結婚されています。

 

高木ブーさんの嫁・喜代子さんは、洋裁が得意な家庭的な女性で、ブーさんが売れない時代も内職をして家計を支えたのだそうです。この嫁の喜代子さんに高木ブーさんは深く感謝しており、ドリフターズで大ブレイクして国民的スターになった後も大切にし続けました。

 

しかし、不幸な事にこの高木ブーさんの嫁の喜代子さんは、1994年、脳腫瘍を患い、58歳の若さでこの世を去ってしまいます。高木ブーさんは深く悲観し、これ以来「妻を助けられなかった、神を信じる事ができなくなった」と著書の中で語っています。

 

ドリフターズのメンバー皆、何度も結婚をしていたり、何人もの女性と浮名を流したりと、女遊びが激しいイメージがありましたが、高木ブーさんだけは唯一、嫁一筋に愛し続け、亡くした後も独身を貫いたとして高潔なエピソードとして語られる事がよくあります。

 

 

 

高木ブーの最愛の娘はかおるさん

 

出典:https://potaru.com/

 

そんな嫁・喜代子さんとの間に、高木ブーさんは1人の女の子を儲けました。高木ブーさんの娘さんは「かおる」さんという名前で、学習院大学を卒業後に電通に入社された事が明らかになっています。

 

高木ブーさんはこのかおるさんを溺愛しており、かおるさんが彼氏を連れてきても、結婚の条件は「自分と一緒に住む事」といって、決して譲らなかったそうです。

 

その後、かおるさんはデザイン会社を経営する男性と結婚し、高木ブーさんの願い通りに同居しています。2004年には高木ブーさんの初孫となるコタロウくんも誕生し、現在は三世帯同居を実現しているという事でした。

 

また、この娘のかおるさんと高木ブーさんはとても仲が良く、過去には「踊る!さんま御殿!!」などのバラエティで親子共演されたことも複数回あります。

 

 

 

高木ブーの現在① 車椅子生活?痩せたと話題で死去の噂も

 

2020年4月時点で87歳と、かなり高齢になっている高木ブーさんですが、その体調面を心配する声も多いようです。

 

 

膝の病気で車椅子生活に?

 

高木ブーさんは、肥満体形でドリフの激しいコントを長年続けていた影響で膝に負担がかかり、2009年に「変形性膝関節炎」の診断を受けています。高木ブーさんはこの症状で「人工関節置換手術」など3度の手術を受けています。

 

そうした影響もあり、現在も歩行は少し困難になっているようで、手押し車や車椅子などを利用されているそうです。

 

 

伊右衛門のテレビCM出演時に「痩せた」と話題に

 

出典:https://twitter.com/

 

高木ブーさんは、加藤茶さんと仲本工事さんの3人で、サントリーのお茶飲料「伊右衛門」のテレビCMに出演されました。

 

このCM出演映像を見たテレビ視聴者の間で、高木ブーさんが痩せたのでは?という噂が広まります。そして、激ヤセで体調不良という噂にまで発展し、現在はすでに死去しているという噂が飛び出すほどになりました。

 

もちろんこの死去説はデマ情報で、高木ブーさんが痩せたというのは事実なのですが、それは体調不良が原因ではなく、健康面を考えてダイエットされた結果だという事です。

 

若い頃は体重が90キログラムあった高木ブーさんでしたが、2019年に受けた週刊現代のインタビューでは、60キログラムまで痩せた事を明かされています。

 

 

高木ブーの現在② Blue Note Hawaiiで日本人最高齢の85歳でライブ開催

 

死去説まで流れた高木ブーさんですが、2020年4月の現在も元気に活動を続けられています。

 

2019年2月11日には、ハワイのライブハウス「Blue Note Hawaii」でステージでウクレレ演奏を披露されています。これは、「Blue Note Hawaii」で演奏した日本人の中では史上最高齢(85歳)の快挙でした。

 

とても85歳とは思えない、見事な演奏と歌声を披露してくれています。客席からも歓声が湧き上がっています。

 

 

高木ブーの現在③ 音楽活動を精力的に展開し元気な姿を見せている

 

出典:https://www.hawaii-arukikata.com/

 

高木ブーさんはそれ以外にも、精力的に音楽活動を展開されています。モアナのサーフライダーホテルでは、ウクレレミニコンサートを開催。健在な歌声や演奏はもちろん、ドリフのコント時代そのままの朗らかな笑顔を見せてくれました。

 

出典:https://maidonanews.jp/

 

2020年2月16日にも、ハワイで開催された「ウクレレ・ピクニック・イン・ハワイ」というイベントに出演。ドリフターズの名曲「いい湯だな」も演奏し、ファンを大いに盛り上げてくれました。

 

これ以外にも高木ブーさんは、「shima fes SETOUCHI 2019」や「山人音楽祭2019」など、数々の音楽イベントに出演しており、第一線でミュージシャンとしての活動を続けられています。

 

 

高木ブーの現在④ 急逝した志村けんへの感動の言葉に反響

 

出典:https://twitter.com/

 

2020年3月29日、ドリフターズで高木ブーさんと共に活躍した志村けんさんが、新型コロナによる肺炎でこの世をさりました。

 

高木ブーさんは、同年4月1日に放送された「志村けんさん追悼特別番組」に生出演しました。番組の最後、コメントを求められた高木ブーさんは、しばらく沈黙した後に言葉を絞り出しました。

 

もう、決めたの。決めました。46年…ドリフターズとして志村と僕らは一緒にやってきた人間。普通の、一般の方と違うの、僕らは…ね。だから、志村は死なないの。ずっと生きている。

 

引用:高木ブー「志村は死なないの。ずっと生きている」

 

高木ブーさんの志村けんさんへの全ての想いが詰まったかのようなこの言葉に、大きな反響が巻き起こっています。

 

 

 

 

 

 

まとめ

 

今回は、「ザ・ドリフターズ」の一員として大活躍した高木ブーさんについてまとめてみました。

 

高木ブーさんは、のんびりとした雰囲気のルックスと語り口調で、ドリフのいじられ役と言うポジションで人気を集めましたが、本来の姿は若い頃からプロとして活躍するバリバリのミュージシャンでした。

 

現在も、様々な音楽イベントに参加するなど、元気に活動を続けられており、往年のファンはもちろん、新たなファンも獲得して大きな感動を与えてくれています。

 

そんな高木ブーさんが、新型コロナウイルスの影響で急逝した志村けんさんに向けて「志村は死なないの。ずっと生きている。」とコメントし、反響を呼んでいます。

 

今後も高木ブーさんには元気に活躍する姿を見せて欲しいと思います。

 

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