注目の若手俳優の菅田将暉さんですが、実はその父親である菅生新さんもすごい人だと話題です。
今回は菅生新さんの学歴や経歴などプロフィール、嫁や子供、息子の菅田将暉さんの自宅出産などエピソード4つをまとめてみました。
この記事の目次
菅生新のプロフィール① 学歴
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名前:菅生新(すごうあらた)
生年月日:1959年8月8日
出身:高知県高知市
学歴
菅田将暉さんの父親である菅生新さんは、高知県高知市出身ですが、進学した高校は大阪の南海清風高校です。
当時は私立の男子校でしたが、現在は共学となっていて、偏差値70超えの超難関高だと言われています。
菅生さんが通っていた頃には今ほど高い偏差値ではなかったものの、それでも名門の進学校として知られていました。
高校卒業後は京都の有名私立・同志社大学法学部に進学。
豊富な知識と経験で様々な仕事を手掛けているだけあって、立派な経歴ですね。
息子である菅田将暉さんの出身地を調べると大阪府箕面市となっているので、菅生新さんは高校進学を機に関西に生活の拠点を移したようですね。
菅生新のプロフィール② 経歴
藤沢製薬工業時代
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同志社大学を卒業した菅生新さんは、藤沢製薬工業という会社に入社し、営業マンとして働くようになりました。
藤沢製薬には営業担当の社員が1200人いましたが、菅生さんはなんとこの中でトップの営業成績だったそうです。
菅田将暉さんの持つカリスマ性は、父親譲りだったのですね。
営業はただ自社の製品を売ることだけではなく、人と人の信頼関係を築き、いわば自身のファンを増やす仕事でもあります。
菅生さんは日本を代表する大手製薬会社のトップ営業マンとして、人を惹きつける才能を開花させたのです。
ちなみに、藤沢製薬工業と聞いてもピンとこない人は多いかも知れません。
2005年に山之内製薬と合併して、現在は「アステラス製薬」という名前に変わっているので、こちらの名前の方が若い人たちには浸透しているかもしれません。
アステラス製薬は東証一部上場、医薬品業種の時価総額2位を誇る国内トップ企業ですから、その営業のトップがいかに凄いのかは誰もが分かりますよね。
しかし、菅生新という男はこんなことでは満足しませんでした。
経営コンサルタント
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藤沢製薬工業で10年足らず働いたあと、菅生さんは独立して、SMI(サクセス・モチベーション・インスティテュート)という会社の代理店を設立しました。
SMIは、「人間の潜在能力には限界がない」という哲学を基に、現在世界3000社の代理店を持ち、世界80数か国で教育機関として活用されている組織です。
ここでの菅生さんの主な仕事は、経営コンサルタントです。
中でもベンチャー企業のビジネスコンサルタントとして、起業から株式公開までの指導を行なっているそう。
全世界に代理店を持つこのSMIの、営業成績優秀者に送られる「セールス世界大賞」を、菅生さんは1991年、1992年と2年連続で受賞しています。
先程藤沢薬品では1200人の営業マンのトップだったと言いましたが、SMIではなんと3万人の営業マンの頂点に立ちました。
これだけたくさんのコンサルタントがいる中で、多くの起業家たちが菅生新という人間に、自身の夢の手助けをお願いするわけです。
豊富な知識や経験、話のうまさなど営業マンとしてのスキルはもちろん、やはりこれだけ大勢の中の1番になるには、並々ならぬ努力とその人間性の良さが最大の持ち味と言えるでしょう。
タレント・作家
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最近ではテレビやラジオにも出演し、能力開発に関する自身の考えを発信するなど、メディアへの露出も増えています。
2005年には、サンテレビ「菅生新のサクセスファイター」、2007年には東京MX「菅生新のドリームファイター」など自身の番組まで持ち、自身の経営論を展開していました。
また、作家としても活躍していて、これまで2つの著書を出版しています。
著書「スゴー家の人々 〜自叙伝的 子育て奮闘記〜」では、幼少期に経験した両親の泥沼離婚や貧乏生活などが綴られ、そういった経験を踏まえた独自の子育て論が詰まった1冊です。
もう1つは、「成功する人はなぜ『やる気』を持ち続けられるのか」という著書です。
経営コンサルタントとしての経験を生かして、起業して成功を収める実業家もいれば、すぐに廃業してしまうという実業家も多くいます。
さまざまな起業家を見ている菅生さんだからこそ、成功を収める人に共通するものが見えて来たのでしょう。それが「やる気の継続」です。
初志貫徹と言いますが、誰しも初めは強い志を持って取り組むものの、なかなかその志を持ち続けることは難しいものです。
どうすれば初めの『やる気』を持続できるのか、敏腕経営コンサルタントならではの秘訣が学べる1冊です。
菅生新の嫁はどんな人?
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菅生新さんの嫁、すなわち菅田将暉さんの母親はどんな方なのでしょうか。
安定したサラリーマン生活を捨てて独立し、そして現在はその知識や経験を全国を飛び回ってセミナーやメディアで発信している菅生新さんなので、彼を支える奥様の存在は大切なはずです。
それに加えて、日本アカデミー賞主演男優賞を受賞し、並外れた演技力を見せる菅田将暉さんを育て上げた女性ですから、どんな方なのかというのはかなり気になるところです。
菅生新さんの嫁の名前は好身(よしみ)さんというそうで、菅生さんより4歳年下の奥様です。
息子が注目を集めるイケメン俳優で、夫もテレビに出たり全国で講演を行うような方なので、マスコミは少しでも好身さんにコンタクトを取ろうと、家に電話がかかって来たりもするそう。
しかし、好身さんは完全に一般の方なので、テレビにも一切出演などはされていませんし、詳しい情報などは完全非公開のようです。
ただ、過去に一度、菅田将暉さんの両親として夫婦揃って取材を受けたことがあります。
笑顔が素敵な美人で、とてもエネルギーを感じる女性です。
菅田将暉さんは菅生家の長男で、2人の弟がいるので、好美さんは息子3人の母親です。
男の子3人を育て上げるのがどれだけ大変か想像しただけでぞっとしますが、それを立派にやり遂げたわけですから、バイタリティ溢れる女性であることは間違いありませんね。
菅生新の息子・菅田将暉のプロフィール
菅生新さんには3人の息子がいます。
菅田将暉さんは長男で、4つ下に次男、7つ下に3男がいるそうで、歳の離れた3兄弟です。
菅田将暉は長男!
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名前:菅田将暉(すだまさき)
本名:菅生大将(すごうたいしょう)
生年月日:1993年2月21日
出身:大阪府箕面市
身長:176cm
血液型:A型
2008年、「ジュノンスーパーボーイコンテスト」でファイナリス12人に選出されたことで、優勝は逃したものの、トップコートへの所属が決定。
翌年、「仮面ライダーW」でシリーズ最年少でフィリップ役を演じ、これがテレビドラマ初出演にして初主演となりました。
「共喰い」「そこのみにて光輝く」「溺れるナイフ」「あゝ、荒野」「火花」「3年A組」など出演した映画やドラマのほとんどで主役を演じ、その演技力は絶大な評価を受けてきました。
日本アカデミー賞においては、最優秀主演男優賞、新人賞、話題賞など3度も受賞経験があり、助演でも主演でもその存在感の大きさを示しています。
デビュー当時はアイドルのような仕事が中心でしたが、俳優として文芸作品から漫画の実写版まで幅広くこなすその演技力から、次第に実力派俳優、個性派俳優としての地位も確立しました。
感覚的な演技の才能は、「天才」と評されることもあるくらいですが、実はその繊細で敏感な感性は音楽活動の中でも表現されています。
2013年頃から音楽活動も開始し、2017年に出演した映画「キセキーあの日のソビト–」で結成された期間限定ユニット「グリーンボーイズ」でCDデビューを果たしています。
同年にソロデビューも果たし、米津玄師さんプロデュースによる「灰色と青」や「まちがいさがし」などは大変な話題となり、2019年末の紅白歌合戦にも出場しています。
菅生新と息子・菅田将暉のエピソード① 全員自宅出産
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いまどき珍しい、もはやほとんど聞かないと言っても過言ではないですが、実は菅生家の子供たちは全員が自宅で生まれました。
妻である好身さんは「お産は病気じゃない。赤ちゃんのためにも、自分のためにも、自然の力に任せたい」という強い意志があり、菅生さんもこれに賛同し、全員を自宅で出産したそうです。
長男の菅田将暉さんと3男は7歳も歳が離れているので、自宅で3男が生まれる際には、菅田さんが「弟!がんばれ!」と声を挙げたそうです。
出産の一部始終を見るというのは子供にとってはかなり刺激の強いものかもしれませんが、命の誕生を目の当たりにしたからこそ、おのずと弟に対する慈愛の感情が生まれてくると言います。
そのせいか、兄弟は本当に仲が良く、両親も兄弟喧嘩をしているのを見たことがないのだとか。
菅生新と息子・菅田将暉のエピソード② 菅田将暉は幼少期から感性が豊かだった
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菅田将暉さんが中学生の頃、父である菅生新さんは菅田さんとともに福山雅治さんのライブを観に行ったそうです。
普通なら、「かっこよかったな〜」とか「歌素敵だったな〜」という感覚を持つものでしょうが、少年だった菅田将暉さんは「福山さん、気持ちよさそうやったなぁ」と言ったのです。
菅生さんはこれを聞いて、息子の意識は客席ではなくてステージにあったのだと思い、漠然と「親としてすくいあげないといけないんだろう」と感じたと言います。
この頃からすでに菅田さんが観ていたのは客席から見える景色ではなく、ステージからの眺めだったのかもしれませんね。
菅生新と息子・菅田将暉のエピソード③ 菅田将暉の俳優への道は文化祭がスタートだった
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日本アカデミー賞を3度も受賞するほどの実力派俳優・菅田将暉さんですが、俳優としての初ステージは中学2年の文化祭だったそうです。
菅田さんがシナリオを書いて、演出衣装、照明などを中心となって考え、自らも出演。
内容は「ちびまる子ちゃん」がタイムスリップしたというもので、菅田さんははなわくんを演じました。
クオリティーはさておき、この経験で得た達成感から次第に芝居に興味を持ち、大手事務所のオーディションを受けるきっかけになったと言えます。
菅生新と息子・菅田将暉のエピソード④ 父の人生初の平手打ち
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トップコートへの所属が決まった菅田将暉さんが初めて掴んだチャンスが、「仮面ライダーW」での主演でした。
当時、菅田さんは地元の進学校に通い成績も良かったそうです。
そのため、父・新さんとしては息子について、早稲田大学にでも進学してその傍ら芸能活動をして、大学卒業までに芸能界で芽が出なかったら就職させようと考えていたそうです。
そのため、今すぐに上京する必要がある、「仮面ライダーW」の主演という仕事を受けるかどうかというのは家族で悩みに悩みました。
話し合いの結果、新さんは東京を歩き回ってアパートを決め、菅田さんを一人暮らしさせて東京の高校に転校させることを決めたのです。
しかし、しばらくして高校から「レポートが出ていない」と連絡があり、新さんは東京の菅田さんの自宅へ飛んでいって、初めて菅田さんを平手打ちしたと言います。
「どういうことだ!仕事は仕事で大切やけど、学校もしっかりやると言うたやないか!」という父に、菅田さんは「分かっているんやけど、体が動かへんねん…」と話したそう。
深夜までの撮影、主演という重圧。
それらを1人でこなすには16歳の少年にはとても大変なことで、それは新さんも十分分かっていることでした。
そして、息子がしんどいからとサボるような人間じゃないことを1番よく知っているのも父・新さんでした。
息子のしんどさも十分分かった上で、それでももう少し頑張れという意味での平手打ちだったのかもしれません。
いろんな感情が湧いてきた新さんは、平手打ちした後にボロボロと泣いたと言います。
まとめ
今回は菅田将暉さんの父である菅生新さんについてまとめました。
息子のビッグネームにも負けない、有能で人を惹きつけるカリスマ性のある菅生新さんは敏腕経営コンサルタントとして経営のノウハウを発信しています。
菅田将暉さんの活躍と同じように、菅生新さんの活躍からも目が離せませんね!