元漫才師という異色の経歴を持つ美容研究家・シルク姉さんの年齢不詳とも言われる美貌が話題です。
今回はシルク姉さんの経歴やプロフィール、非公開の年齢、若い頃の画像、漫才師時代の相方・ミヤコさんの死亡にショックを受けたシルク姉さんが美容家として復活を遂げた経緯、現在の活躍などについてまとめました。
この記事の目次
シルク姉さんのプロフィール
「シルク姉さん」は、よしもとクリエイティブ・エージェンシーに所属する女性タレントで、元々はお笑いコンビ「非常階段」でお笑い芸人として活動していました。
近年はその美意識の高さと年齢不詳のセクシーさで「吉本一のセクシー熟女タレント」「吉本の美容番長」のキャッチフレーズで活躍し、女性向けの美容イベントなども開催するなど多くの女性達からの人気を集めています。
シルク姉さんの経歴
シルク姉さんの本名は粕谷文子さんといい、1959年3月31日に大阪府大阪市の和菓子問屋を営む家庭に、三姉妹の長女として誕生しました。
裕福な家庭でお嬢様として育ち、国立の大阪外国語大学の外国語学部英語科(現在の大阪大学外国語学部)卒という高学歴を持ちます。大学時代には英語を身につけるためロンドンへの留学も経験されています。
シルク姉さんは、小中高、大学、さらに就職先まで一緒だった幼馴染の親友・吉崎勢津子さん(芸名はミヤコ)と大学卒業後の1985年にお笑いコンビ「非常階段」を結成してお笑い芸人デビューしました。
実は、シルク姉さんは大学卒業後は教師になるつもりだったそうなのですが、親友のミヤコさんが吉本興業に入って女優を目指したいと言い出した事で、シルク姉さんは「ここまで姉妹のようにずっと一緒にやってきたミヤコさんと離れるのは嫌だ」と思い、それならば一緒に吉本に入って漫才をやろうと誘ったのが「非常階段」結成のきっかけだったそうです。
シルク姉さんは、漫才師になる事を親から反対されて家を追い出され、その期間ミヤコさんと一緒に住みながら漫才を続けました。
1985年に初舞台を踏んだ「非常階段」は、2人ともが高学歴の漫才コンビとして注目を集め、1986年の「ABC漫才・落語新人コンクール」では漫才の部の最優秀新人賞を獲得。シルク姉さんは、当時親から、1年続けても賞が取れなければ漫才師をやめろと言われていましたが、この受賞によって漫才師を続ける事が認められたのだそうです。
さらに、「非常階段」は同年の「NHK上方漫才コンテスト」でも最優秀賞、翌1987年の「上方漫才大賞」、翌々年の1988年の「花王名人大賞」でもそれぞれ新人賞を獲得し、当時の若手漫才師達の中でも将来を嘱望されるコンビとなります。
シルク姉さんはその後も「非常階段」として舞台のほか、「4時ですよーだ」や「ダウンタウンのゆーたもん勝ち」などのテレビのバラエティ番組にも出演し、漫才師として順風満帆な活躍を見せていました。
しかし、1996年に相方のミヤコさんが肺がんで37歳という若さで突然この世をさってしまいます。親友でもある相方の死に、大きなショックを受けたシルク姉さんは、周囲からの同情の声をかけられる事で余計に辛くなるのを避けるため、単身アメリカ・ニューヨークへと渡ります。
シルク姉さんは、学生時代からの憧れの街だったというニューヨークで、フェイスダンスやサルサダンスなどと出会い、それらを熱心にレッスンしたのをきっかけにして美容の世界に興味を持つようになり、次第に前向きな気持ちを回復させ、約1年後には日本に帰国してタレント活動を再開させました。
シルク姉さんはタレント活動を続けながら、美容の勉強を続けてピラティスと出会い、7年間勉強を続けてついにインストラクターの資格も取得するまでになります。
シルク姉さんのこうした活動は次第にメディアの注目を集めるようになり、美容イベント「べっぴん塾」を開催するなど美容研究家として人気が爆発。女性を中心に絶大な支持を集めるようになったシルク姉さんは、ラジオパーソナリティやトークショー、卓越した英語力を生かした英会話講師など、幅広い分野に活躍の場を広げていきました。
シルク姉さんは現在も、タレントの枠にとどまらず美容の世界を中心に幅広い分野で活躍を続けられています。
シルク姉さんの年齢不詳の美貌が話題
そんなシルク姉さんの最大の魅力は、「吉本一のセクシー熟女タレント」とまで言われる年齢不詳の美貌にあります。
そのため、シルク姉さんの年齢は実は公表されていません。ただ、芸人として活躍されていた頃は生年月日を1959年3月31日と公表していたため、2020年現在の年齢は61歳という事が判明しています。
とても年齢61歳とは思えないシルク姉さんの美貌に驚かされます。
シルク姉さんの若い頃の画像は?
今や日本を代表する美熟女と言っても過言ではないシルク姉さんですが、そうなると若い頃の画像も気になるところです。
上の画像は、シルク姉さんが「非常階段」で活躍されていた20代の若い頃の画像です。シルク姉さん本人は「若い頃はブスだった」と話される事もあるのですが、若い頃の画像を見るに十分に美人だと言えるのではないでしょうか。
また、シルク姉さんは芸人としてデビューする前の若い頃には、当時流行っていた聖子ちゃんカットにしていた事なども明かされています。
シルク姉さんは相方・ミヤコの死亡にショックで顔面麻痺になるほど悩んだ
シルク姉さんの漫才コンビ「非常階段」の相方・ミヤコさんが、肺がんによって37歳の若さで死亡した事は既に触れましたが、シルク姉さんは小学校時代からの親友であるミヤコさんの死亡に大きなショックを受けられたそうです。
ミヤコさんは、肺がんの発覚からわずか半年ほどで亡くなってしまったそうなのですが、シルク姉さんは、不健康な生活をしていた自分と比べて、健康的な生活をしていたミヤコさんが若くして亡くなってしまったのは、自分のせいなのではないかと自分自身を責められたのだそうです。
シルク姉さんは、自分は夜遅くまで遊んだり、寝る前にポテトチップスを食べたりと不健康極まる生活をしていたのに比べ、ミヤコさんはベジタリアンで、タバコも吸わず、規則正しい健康的な生活を送っていたのに、何故30代の若さで肺がんにかかって死亡しなくてはならないのかと思い悩んだそうです。
さらに、シルク姉さんは、自分がミヤコさんをよくラーメンを食べに連れ出してしまった事や、周りでタバコをパカパカ吸っていた男性達が悪かったのではないかと考えてしまい、自分がもっとミヤコさんの体を気遣う事ができたのではないか?とどんどんと自分自身を責めるようになってしまったのだとか。
こうして自分自身を責め続けたシルク姉さんは、ミヤコさんの死亡後自宅に引きこもるようになり、起きている時には部屋の片隅でずっと座っているような深刻な精神状態に陥ってしまいました。
そして、夜眠っている時には、毎晩ミヤコさんの夢を見るようになったそうです。
その夢は、ミヤコさんが本当は生きていて、「本当はミヤコは生きています」と世間に向けていつ公表しようかと相談しているという夢だったそうです。シルク姉さんはミヤコさんの死亡を受け入れる事ができず、本当は生きていると信じたかったのかも知れません。
それでも夢から目がさめると、やはり自分は1人なのだという事を強く自覚してしまい、さらに精神が落ち込んでいくという苦しい日々を送られたそうです。
そうした精神状態の日々が続くうち、シルク姉さんは顔の片側がヒクつくようになり、顔面神経麻痺との診断を受けています。どれほどシルク姉さんが姉妹のようだったというミヤコさんの死にショックを受けたのかがわかります。
シルク姉さんは美容の勉強をきっかけにして復活した
顔面神経麻痺になってしまうほど、精神的に追い込まれていたシルク姉さんは、カウンセラーから環境を変えるべきとのアドバイスを受けました。
会社からも休養を勧められたシルク姉さんは、学生時代からの憧れの街だったというアメリカ・ニューヨークへと渡ります。
当時、ニューヨークには知人がいたそうで、その方の家に居候させてもらったのだそうです。
シルク姉さんはお金もないという事で、ニューヨークの名所であるセントラルパークでジョギングを始めたのだそうです。
セントラルパークでは、マドンナやロビンウイリアムズなど、アメリカの超一流スター達がボディガードを連れてジョギングをしていたりしたそうで、そんな光景を見て、シルク姉さんは驚き、ニューヨークは凄い、楽しいと感じるようにもなって、次第に明るい気持ちを取り戻していったのだとか。
そんなニューヨークでのある日、シルク姉さんはフェイスレッスンの無料体験のチラシを路上で受け取ったそうです。タダなら試してみようと思い立ったシルク姉さんがそのレッスンに参加し顔の筋肉を意識した運動をしたところ、なんとそれまでは薬で抑えていた顔面麻痺の症状がピタリと止まってしまったそうです。
これに驚いたシルク姉さんは、身体の健康や美容に深く興味を抱いたのだそうです。これには、健康に気をつけていても若くして亡くなった相方のミヤコさんへの思いも関係していたと、シルク姉さんは後のインタビューで語っています。
相方はベジタリアンやったし、タバコも吸わないし、なんで肺がんになったんだと。そのうえ、なんで、命までとられるようなことになってしまったんだと。そんなやりきれない思いから、食べ物、運動、健康に関心を持つようになったんです。
そうして、シルク姉さんは美容や健康に関する勉強を熱心に取り組むようになり、それはやがてシルク姉さんの心の傷も癒し「よしもとの美容番長」と呼ばれるほどの復活へとつながっていったようです。
一時は絶望すら感じていたというシルク姉さんですが、美容と健康への探究心から見事な復活を遂げました。「今の活躍を相方のミヤコも見守ってくれているはず」とも話されています。
なんでも、ミヤコさんの命日の前日には必ずミヤコさんが夢に出てくるのだそうです。その夢はかつて見た目覚めて悲しくなるような夢ではなく、シルク姉さんにミヤコさんが色々と聞いてくるといった感じの明るい夢なのだとか。
シルク姉さんはこの夢について「私の気持ちを聞いてくれているのかな」と感じているそうで、1年に1回ミヤコさんに夢の中で会うのを楽しみにされているのだそうです。
シルク姉さんの現在
最後にシルク姉さんの現在についても見ていきます。
シルク姉さんはその素晴らしい美貌にさらに磨きをかけ、現在も美容研究家として絶大な人気を集めています。
2020年3月8日にシルク姉さんが更新した自身のインスタグラムでは、カリブ海の美しい海をバックに美しすぎる水着姿を披露するシルク姉さんの画像が投稿され話題になっています。
60歳を迎えられている方の水着姿とはとても信じられません。これもシルク姉さんの日々の努力の賜物なのでしょう。
この投稿にネット上では、「スタイルが良すぎる」「色白美肌が美しい」「セクシーすぎる」といった絶賛のコメントが数多くあがっています。
また、2018年1月には、シルク姉さんに50代日本人の新恋人がいる事が明らかになっており、その男性は年商20億円を稼ぎ出す大物で、2人はカリブ海で出会った事なども明かされています。
上で紹介したシルク姉さんの水着画像はカリブ海でのものなので、もしかするとその恋人の方と一緒に過ごされていたのかも知れませんね。
まとめ
今回は、「吉本一のセクシー熟女タレント」「吉本の美容番長」のキャッチフレーズを持つ美容研究家でタレントのシルク姉さんについてまとめてみました。
シルク姉さんは、元々はお笑いコンビ「非常階段」で漫才師として活躍されていましたが、相方のミヤコさんが37歳の若さで死亡しコンビは解散してしまいました。
幼い頃から姉妹のように過ごしてきた相方・ミヤコさんの突然の死に心に傷を負ったシルク姉さんは、環境を変えるためにアメリカ・ニューヨークへと渡り、そこで美容と健康の道に目覚めます。
日本に帰国し、タレント活動を再開してからもシルク姉さんは美容の研究を続け、次第にその活動が注目されるようになり、美容研究家として絶大な人気を獲得するに至りました。
現在もシルク姉さんは、その美しさにさらに磨きをかけ、美容研究家として絶大な人気を集めています。今後もシルク姉さんの年齢不詳とも言われるその美貌に注目していきたいと思います。