笹子トンネル天井板落下事故を覚えていますか?高速道路でトンネル内を走行していたら、上から天井のコンクリート板が落ちてきた。さて、あなたはどうするでしょうか?
「まさか、天井が落ちてくるなんてことはない」と思うかもしれませんが、運悪くそのような事故現場に遭遇することもあるんです。
笹子トンネル天井板落下事故の犠牲者について、また生存者と消防隊の証言、原因、心霊スポット、笹子トンネル天井板落下事故のその後と現在についてまとめました。
この記事の目次
笹子トンネル天井板落下事故とは
笹子トンネル天井板落下事故とは、2012年12月2日に山梨県の中央自動車道上り線の笹子トンネルで天井板のコンクリートが約130mの区間で落下し、そのトンネル内を走行していた車が巻き込まれて9名が死亡、2名が負傷した事故です。
笹子トンネル天井板落下事故の概要をまとめました。
場所:中央自動車道笹子トンネル上り線
犠牲者:9名
事故内容:東京側からトンネル内に約1700m入った地点で、コンクリートの天井板が138mにわたって落下した。
この笹子トンネルの天井は、ちょっと変わった造りになっています。上から吊り下げられた天井なんです。
そして、この吊り下げられた天井はコンクリート製で、1枚が縦1.2m×横5m、厚さは8~9cm、重さは1.2トンとなっています。そのコンクリート製の天井板が138mにわたって270枚も落ちてくるんです。
138mにわたって、1.2m巨大なコンクリート板が270枚も降ってくる。こんな恐ろしいことはありません。
その落下事故現場をちょうど走行していた車はコンクリート板に潰されて下敷きになります。この笹子トンネル天井板落下事故で車3台が下敷きになり、そして、そのうちの2台から発火して、トンネル内に高温の煙が充満することになったんです。
笹子トンネル天井板落下事故の犠牲者
笹子トンネル天井板落下事故では、9名の方が犠牲になりました。
乗用車に乗っていたのは男性(70代)1名と女性(60代・70代)2名で焼死体となって発見されたそうです。
レンタカーのワゴン車には20代の6名が乗っていましたが、1名は自力で脱出できたものの、5名は脱出することができず焼死体として発見されています。このワゴン車に乗っていた6名は、シェアハウスで生活していたそうです。
出典:asahi.com
出典:asahi.com
そして、保冷車を運転していた50代男性は、事故直後は意識があり、携帯電話で助けを求めています。午後8時5分に事故が起こり、正午過ぎ頃まで応答があり、「所長、助けて欲しい」と訴える声が聞こえたものの、わずか数秒で通話が途切れてしまったとのこと。
レスキュー隊が保冷車にたどり着いたのは、その約5時間後のこと。その時には亡くなっていて、死因は肺損傷などによる呼吸障害でした。
笹子トンネル天井板落下事故の生存者と消防隊の証言
笹子トンネル天井板落下事故では、運よく難を逃れた生存者や被害者の救助に当たった消防隊(レスキュー隊)の証言が非常に生々しく、事故の凄惨さを物語っています。
笹子トンネル天井板落下事故の事故現場の様子がよくわかる証言です。
NHK甲府放送局の記者
笹子トンネル天井板落下事故が起こった時、NHK甲府放送局の後藤喜男記者が笹子トンネル内にいました。しかも、本当に間一髪のところで難を逃れたんです。
後藤喜男記者の証言をNHKのサイトから引用します。
「私から見て左側の方から剥がれ初めて、次に右も剥がれて、ずっと一気に二列あるものがすっと落ちてくる感じで、生き物みたいに蛇がうねるよう。
大きい一枚板がドーンと落ちるのでない。
バラバラと落ちるのではなくて、本当に流れるように落ちていく。」
「ドシン、ガシャンという音とともに加速が鈍くなって、車体の左側をこう天井板がばっと落ちてきたのかなと。
(アクセルを)踏み込んで無理矢理、落ちて重なってくる天井板を押しのけてなんとかギリギリ走り抜けることができた。
後藤記者が運転していた車にコンクリート製の天井板が落下してきて、車を直撃しますが、そこで止まることなく、アクセルを踏み続けて走り続けたことで、トンネル内から抜け出すことができました。
この時、天井板が落下して直撃した時にビックリしてブレーキを踏んでいたら、おそらくさらに天井板がどんどん落下してきて、事故の犠牲になっていたものと思われます。
ワゴン車に乗っていた女性と一緒に脱出した夫婦
出典:jiji.com
甲府市在住の夫婦は河口湖に向かうために笹子トンネルの上り車線を走行していました。その時、前の車が急ブレーキをかけたので、なんだろうと思って前方を確認すると、約10m前方でコンクリート製の天井板が落下し、ワゴン車が潰されていたのが見えたそうです。
そして、潰された車のボンネットから発火したのが見え、口の周りは血だらけで両手をやけどした女性が「彼が! 友達が!」と泣き叫びながら裸足で煙の中から現れたそうです。この女性はワゴン車の3列目に座っていて、なんとか難を逃れた女性です。
女性は「何が起きたんですか? 何が起きたのか全然分からないんです」と繰り返した。主婦の夫が「車に何人乗っていたの?」と聞いても、取り乱した様子の女性は答えることができず、「消防や警察が助けてくれるよ」と励ました。
主婦は自分のブーツを女性に履かせ、夫と若い女性の3人で出口(トンネル西側の入り口)の方へ逃げた。途中から別の女性も加わった。止まっていた観光バスで若い女性をいったん休ませたが、すぐに「やっぱり避難した方がいい」と再び歩き出した。車で逆走して避難する男性が同乗させてくれ、ようやくトンネルの外へ。負傷した女性を救急車に乗せることができた。難を逃れた主婦は「『誰か助けてください』という声が、今も耳の奥にこびりついていて離れない」と振り返った。
本当に九死に一生を得た体験です。この夫婦がいたから、ワゴン車から脱出してきた女性は、トンネルの外に出ることができて、助かったのだと思います。こんな非常時に、自分のブーツをはかせて、救助しながら一緒に避難するというのは、なかなかできないですよね。
トンネル内にいた家族連れ
次は、トンネル内にいた家族連れの証言をご紹介します。この家族連れは車が10台ほど立ち往生していたところで、事故に気づいたとのことです。おそらく、事故現場の30~40m手前ですね。
出典:asahi.com
トンネル内にいた 鈴木智博さん
「板状のものがあって、その下敷きに車がなっているのが見えて、もうその時点では火があがっていて、さらに近づいたら天井に板が落ちた後のぽっかりと空洞が真っ黒く見えた。
ああ、これは天井が落ちていると分かって落ちるものなのかと驚愕(きょうがく)というか。」
この証言をした家族連れは夫婦2人と子供2人で車に乗っていたそうです。天井板が落下したと分かった時点で車を乗り捨てて、Uターンし、歩いてトンネルの外に出ました。
「とにかく火がいつ回ってくるかという不安でいっぱい、子供を逃がすことでいっぱいいっぱいだった」
子どもは9歳と6歳。この年齢の子どもを連れて、大混乱のトンネルの中を歩いて脱出するのは大変ですよね。笹子トンネルは全長4,700m。そして、事故現場は東京側から約1,700mのところで起こりました。
つまり、上り線で事故現場の手前で遭遇した人たちは、約3kmの道のりを歩かないと、トンネルの外に出ることができなかったということです。大混乱の中、子供2人を連れて3kmの道を歩く。しかも12月の寒い時期です。想像を超えた恐怖だったと思います。
救助にあたった消防隊の証言
この笹子トンネル天井板落下事故は、消防隊が救助にあたりましたが、トンネル内は高温の煙が充満し、さらに天井板がまた落下するかもしれないという二次災害の危険が高かったため、救助作業は難航しました。
出典:iza.ne.jp
「進入退避。進入退避の繰り返し。非常にじれったい。焦燥感が募る救助現場だった」。笹子トンネルで救助活動に当たった東山梨消防本部の楠照雄消防長(60)は唇をかんだ。
引用:トンネル内崩落 そのとき50台が走行、惨事なぜ3台だけ、進入退避繰り返し 最後の遺体は22時間後 – 日本は大丈夫!?
「天井板がいつ落ちてくるか分からないことが一番のネックだった」と塩山消防署の小笠原克也署長(57)。幾度も作業が中断される。救助隊が最初に目指したのは、生存していた中川達也さんのトラックだ。ハンマードリルでコンクリート板を破壊、カッターで鉄筋を切断する。この作業を繰り返し、ようやく16・8メートル先のトラックに到達する。トラックはコンクリート板3枚の下敷きになり、車体は半分ほどに押しつぶされていた。
引用:トンネル内崩落 そのとき50台が走行、惨事なぜ3台だけ、進入退避繰り返し 最後の遺体は22時間後 – 日本は大丈夫!?
救助したいのに、危険な現場であるがゆえに救助できない。特に、保冷車に乗っていた50代男性は正午の時点で携帯電話で生存が確認されていたために、救助を最優先とされましたが、救助隊が保冷車にたどり着いたのは午後5時過ぎで、実際に救助できたのは午後10時頃だったとのことです。
そして、最後の9人目のご遺体をトンネルから搬出できたのは事故発生から22時間後でした。夜通し救助活動が行われたんですね。
笹子トンネル天井板落下事故のインプレッサがすごい
笹子トンネル天井板落下事故では、先ほど紹介したNHK甲府放送局の後藤記者が間一髪で脱出することができましたが、この時に後藤記者が運転していたインプレッサがすごいと話題になりました。
後藤記者を乗せて、コンクリート製の1.2トンの天井板の直撃を受けながらも走り続け、後藤記者と奥様の命を救ったインプレッサ。こんな状態になりながらも、走り続けたのは本当にすごいですよね。
この状態でも走り続け、命を救ったインプレッサがテレビで報道されると、「さすがスバルのインプレッサ!」と話題になりました。
ただ、さすがにここまで損傷が激しいと、廃車になるのもやむなしという状態でしたが、スバルのディーラーの中津スバルがこのインプレッサを修理して、蘇らせたそうです。
運転していた後藤記者とも再会を果たし、現在は中津スバルで保管されているそうです。スバルってすごい!
笹子トンネル天井板落下事故の5つの原因
笹子トンネル天井板落下事故は9人もの犠牲者を出した深刻な事故でしたが、原因については、「たまたま起こった事故」、「防げなかった事故」というわけではありません。
はっきり言えば、笹子トンネル天井板落下事故は人災なんです。
原因:1.点検がきちんと行われていなかった
出典:mainichi.jp
笹子トンネル天井板落下事故は、NEXCO中日本のずさんな点検が原因の1つとされています。高速道路のトンネルは1年に一度の定期点検、5年に一度の詳細点検が行われることになっています。
事故の3ヶ月前に行われた2012年9月の点検では異状なしという結果でしたが、2012年12月13日の検査では670以上の不具合が発見されました。たった3ヶ月で670以上の不具合が発生するというのはあり得ません。
しかも、NEXCO中日本では打音検査をきちんと行っていなかったことが判明しました。一般的な検査では目視と打音検査を一緒に行いますが、NEXCO中日本では「目視で異常が発見されたら打音検査を行う」としていて、2000年以降は打音検査を行っていなかったんです。
このようなずさんで適当な定期点検によって、笹子トンネルの天井の異常を見逃してしまい、今回の事故が起こったということです。
原因:2.設備が老朽化していた
出典:mainichi.jp
笹子トンネルが開通したのは1977年のこと。それ以降、天井板を固定するボルトや金具の交換や補修は行われていませんでした。
ただ、つり金具やボルトなどに目立った腐食はなかったと結論付けられ、その後の国土交通省の検査でも笹子トンネル上り線のコンクリート壁やボルト自体の強度に問題はないとされていて、設備の老朽化が笹子トンネル天井板落下事故の直接的な原因というわけではありません。
原因:3.設計ミスで煙が充満
出典:chibawanganwalk.sakura.ne.jp
笹子トンネル天井板落下事故では高温の煙がトンネル内に充満し、そのことが救助に時間がかかった原因の1つとされています。天井板が落下したことで、換気ダクト機能が使えなくなってしまったんです。
さらに、コンクリートの天井板をつるすような構造に設計したことで、天井が高くなり、点検が困難になってしまったとも言われています。
原因:4.ボルトの接着の強度が不十分
出典:ameblo.jp
コンクリートの天井板を上から吊り下げる形の笹子トンネルは、ボルトの接着強度が不十分だったことで、天井が落下してしまったことも原因の1つとされています。
そもそも、笹子トンネルはボルトは1本あたり4トンの荷重に耐えることができ、万が一耐えられなかった場合、ボルトが折れるような設計がされていたはずでした。
でも、2013年の国土交通省の検査では183本中113本のボルトが4トン未満で抜け落ち、さらに16本は天井板の重さの1.2トンにも耐えられなかったということです。
原因:5.欠陥コンクリートが使われていた?
出典:nikkei.com
笹子トンネルでは欠陥コンクリートが使われていたと噂されています。1996年から98年にかけて山陽新幹線の路線各地で高架橋の床板コンクリートが次々にはがれ落ちる事故がありました。
この原因はコンクリートの品質が悪かったことが原因とされています。そして、笹子トンネルは山陽新幹線の高架橋と同じ時期に作られていて、同じ欠陥コンクリートが使われていたのではないかと言われていいるんです。
コンクリートの需要急増に合わせて大手メーカー各社が新しい大量生産方式を導入したため、短期間で骨材がボロボロに分解して構造物を劣化させる「アルカリ骨材反応」が起きやすいコンクリートが全国の建築現場へ供給されたのだ。
笹子トンネルでも、その欠陥コンクリートが使われた可能性は高い。
これは笹子トンネルの天井板に欠陥コンクリートが使われていたことが隠していたわけではありませんが、笹子トンネル天井板落下事故の原因の可能性はありますね。
笹子トンネル天井板落下事故で笹子トンネルは心霊スポットに?
笹子トンネル天井板落下事故を受けて、笹子トンネルが心霊スポットになったと言われています。
出典:ghostmap.net
笹子トンネルの上り線を通ると、次のような心霊現象が起こると言われています。
・車に手の跡がつく
・エンジンが急に止まる
・天井に男性の顔が浮かび上がる
どこまで本当かは分かりませんが、あれだけの事故があったなら、このような心霊現象の噂が出るのも当然かもしれません。
一般道の笹子トンネルの方が有名な心霊スポット
中央道の笹子トンネルが心霊スポットになっていますが、実は「笹子トンネル」で言えば、一般道の笹子トンネルの方が有名な心霊スポットでした。
出典:ghostmap.net
昔、このトンネルで少女が交通事故で亡くなったことがあったようで、それからトンネルで心霊現象が起こると言われています。
このトンネルは鬱蒼とした森の中にあり、さらに狭くて圧迫感・閉塞感があります。夜は真っ暗になってしまうので、心霊スポットになったのかもしれませんね。
笹子トンネル天井板落下事故のその後と現在
笹子トンネル天井板落下事故のその後はどうなったのか?現在はどうなっているのかを見ていきましょう。
物流などに大きな影響
出典:nikkei.com
笹子トンネル天井板落下事故は中央自動車道の遮断することになりました。そのため、物流はもちろん、高速バスなどにも影響が出ました。特に、2012年12月に事故が起こったのですから、年末年始の物流・旅行客に直撃しています。
約2ヶ月後に完全復旧
笹子トンネル天井板落下事故のその後は、ただ単に落下したコンクリートの天井板を撤去すれば復旧完了というわけではありません。天井板を全部撤去して、換気装置をつけて、安全をしっかりと確認しないと、復旧にはなりませんでした。
まずは12月29日に下り線を利用しての対面通行で、暫定復旧ができ、中央自動車道の通行止めは解除されました。
そして、事故から約2ヶ月後の2013年2月8日に上り線の笹子トンネルが通行可能となって、全面復旧となっています。
民事裁判・刑事裁判
この笹子トンネル天井板落下事故の責任はどこにあるのかをハッキリさせるためにも、遺族は民事裁判を起こしています。
遺族はNEXCO中日本と子会社に対し、総額約9億1,000万円の損害賠償請求を起こし、4億4,371万円あまりを支払うよう命ずる判決が下っています。
刑事責任については、NEXCO中日本の前社長ら8人を業務上過失致死傷の疑いで書類送検しましたが、嫌疑不十分として不起訴処分となっています。
慰霊碑が設置
民事裁判で判決が下り、刑事裁判では不起訴処分になっているので、笹子トンネル天井板落下事故はひとまずの決着はついています。それでも、遺族の心の傷は癒えることはありませんよね。
2017年9月10日、NEXCO中日本は名古屋市で、安全性向上への取り組みに関する説明会を遺族に対して開催し、そこで慰霊碑の建立計画を伝えています。
そして、2019年4月13日になってようやく、初狩パーキングエリアおよび笹子トンネル下り線入り口近くの2ヶ所に慰霊碑が設置されました。
2012年の事故で慰霊碑が作られたのが2019年というのは遅いような気もします。
まとめ
笹子トンネル天井板落下事故の概要や犠牲者、生存者の証言、原因、心霊スポット、その後や現在についてまとめましたが、いかがでしたか?
笹子トンネル天井板落下事故は本当に痛ましい事故でした。もう二度とこのような恐ろしい事故を起こさないためにも、この事故は風化させてはいけません。この事故を風化させないことが、企業に安全への意識を高めてもらうことにつながると思います。