釈尊会の代表である小野兼弘氏は女優の若村麻由美さんの夫ですが、性の儀式が話題です。
今回は小野兼弘氏のプロフィールや経歴、渡辺謙さん夫婦とのトラブル、若村麻由美さんとの馴れ初めや結婚歴、子供の有無、死因と現在を紹介します。
この記事の目次
小野兼弘は釈尊会の会長
出典:twitter.com
小野兼弘氏は、宗教法人釈尊会の会長です。
スキンヘッドで180kgの巨体という強烈なルックスでも話題になりましたが、女優の若村麻由美さんと結婚したことで、一般的に知られるようになりました。
2007年4月に54歳の若さで亡くなっています。
小野兼弘のプロフィール
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小野兼弘
生年月日:1953年4月18日
没年月日:2007年4月18日
出身:岡山県?
身長:不明
所属:釈尊会
血液型:不明
活動:宗教家
小野兼弘氏は1953年生まれです。出生地はWikipediaなどには掲載されていませんが、岡山県の可能性が高いです。
小野兼弘氏の父親は、岡山県で有名な宗教団体大尊会の設立者であり教祖でした。2004年に小野兼弘氏の母親・登始子さんが亡くなりましたが、通夜は岡山県倉敷市の斎場で営まれました。
そのため、小野兼弘氏は岡山県出身でほぼ間違いないでしょう。
また、小野兼弘氏のプロフィールでひときわ目を引くのがその体重だと思います。
小野兼弘氏の体重は150kgとも180kgとも言われています。身長はわかりませんが、そこまで大きいわけではないようですので、170cm前後、高くても180cm未満と思われます。
小野兼弘の経歴
小野兼弘氏は1954年に岡山県で生まれたと思われます。
父親は大尊会の設立者で教祖である男性で、母親は登始子さんという女性です。大尊会は日蓮宗系の宗教団体で、父親は大霊能力者であったと言われています。
実家が宗教団体の教祖・設立者だったこともあり、幼い頃から法華経の修行を行っています。
高校は東京都大田区にある立正大学付属立正高校に進学し、池上本門寺に日参行をしていました。立正大学仏教学部に進学し、卒業後は立正大学大学院の修士課程を修了しています。
学生時代は月の仕送りが100万円で、20歳の頃に銀座のホステスのスポンサーになるなど、かなり豪遊していたようです。実家の大尊会は金銭的にかなり潤っていたんですね。
1970年秋に霊鷲山山頂で祈祷中、釈尊との親子の情を感じ、1982年に岡山県倉敷市児島で釈尊会を立ち上げています。
実家の宗教団体「大尊会」から独立する形となりましたが、実家の人脈は使っていたそうです。また、実家の大尊会は妹の妙彰さんが後継者となっています。
釈尊会を設立後は、信者をどんどん増やして大きな宗教団体となっていき、いろいろと手広くやっていたようです。
小野兼弘氏は日印文化交流協会の会長をしていて、インドに何十回も行っている宗教家です。宗教を通して、インドとの文化交流を行っていたようです。
また、中小企業のコンサルタントをしていましたので、ビジネスマンとしての一面も持っています。
政界やマスコミにもつながりを持っており、小野兼弘氏が代表を務める釈尊会の20周年パーティーには森喜朗氏が出席しています。
毎日新聞のメールマガジンにも執筆をしていましたので、かなり顔は広かったようです。
2003年には美人女優の若村麻由美さんと結婚していますが、2007年に54歳の若さで亡くなりました。
小野兼弘氏は実家と絶縁?
小野兼弘氏は実家と絶縁しているという情報がありました。
実家は岡山県では有名な仏教系の宗教団体である大尊会です。
その影響もあり、小野兼弘氏も自ら釈尊会を立ち上げたのですが、実家と絶縁したから釈尊会を立ち上げた、もしくは釈尊会を立ち上げたから実家と絶縁した可能性があります。
そもそも、妹が実家の大尊会を継いで、兄である小野兼弘氏は独立して新しい宗教団体を立ち上げるというのも、変な話ですよね。
霊的な能力に差があったから妹が継いだとも考えられますが、一般的には年長者である兄が大尊会を継ぐことになるでしょう。
しかし、小野兼弘氏は独立して釈尊会を開いた。ここにはなんとなくいざこざがあったように思います。
それを裏付けるのが、母親の登始子さんのお通夜です。実の母親のお通夜に、小野兼弘氏と妻の若村麻由美さんは出席しませんでした。
宗教団体「釈尊会」の小野兼弘会長の母・登始子さんの通夜が9日、岡山県倉敷市の斎場で営まれた。小野会長の妹・妙彰さんが喪主を務め、小野会長や妻で女優の若村麻由美(37)は姿を見せなかった。
引用:news
亡くなった日に、小野兼弘氏は母親の遺体と対面したそうですが、お通夜を欠席ということは、「絶縁」まではいかないけれど、実家の家族と何らかのわだかまりがあるのかもしれません。
小野兼弘は渡辺謙の元嫁にお金を貸していた?
小野兼弘氏は渡辺謙さん夫妻と金銭トラブルがありました。
1989年頃、渡辺謙さんの妻は小野兼弘氏と知り合い、釈尊会に入信。渡辺謙さんも一緒に入信することになったようです。
この頃、渡辺謙さんは急性骨髄性白血病を発症していて、妻は藁にもすがる思いで、釈尊会に入信したと言われています。
そこから、渡辺謙さんの妻はどんどん釈尊会にお金を献金し続け、借金を増やしていきました。
渡辺謙さんの妻は、釈尊会に総額2億5000万円もの大金を振り込んでいたんです。
A子さんが杏さんの同級生の保護者を含む知人50人から、約2億円もの借金をしていたこと。同時期に心酔していた宗教団体に、約2億5000万円もの大金を振り込んでいたことが明かされました。
このお金を用意するために、妻は知人から2億円もの借金をしていました。この借金が発覚すると、渡辺謙さんは妻に離婚を申し出ます。ここから泥沼離婚騒動に発展しました。
妻側は渡辺謙さんの不倫を主張しています。妻が主張した不倫の相手は9人いましたが、その中の1人が女優の若村麻由美さんでした。
それに対し、渡辺謙さんは妻の多額の借金を主張しています。この裁判で、2人の知人である小野兼弘氏も証人として裁判に出廷しました。
この小野兼弘氏の証言がヤバいんです。
ところが、2人を知る関係者として裁判の口頭弁論に立った小野氏が「夫人に4億5000万円を貸した」と証言。残り4100万円の返済が滞っている、と暴露したから大変。
引用:ドロ沼「不貞裁判」から3年…若村麻由美「釈尊会会長」とのビックリ婚/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史 (2022年8月19日) – エキサイトニュース
小野兼弘氏は釈尊会の代表ですから、渡辺謙さんの妻から2億5000万円のお布施を受け取っていたのに、「夫人に4億5000万円貸した。まだ4100万円返済されていない」というのは・・・。
渡辺謙さん夫妻の裁判に巻き込まれたと思ったら、まさかの「お金は貸してました」発言。
また、将来結婚する若村麻由美さんが、この裁判では渡辺謙さんの不倫相手の1人として名前が出たのは、なんとなく因縁めいたものを感じずにはいられません。
小野兼弘はお金に強欲なタイプ?
小野兼弘氏はお金に強欲なタイプだったようです。信者にお金を貸し、さらにお布施もさせていたのですから。しかも、ケチの可能性が高いです。
小野兼弘氏のお金関係は、次のようなことが報じられています。
・料亭の代金を踏み倒した
・競艇選手からの借金を踏み倒した
・自分の写真を1万円で売った
・信者に「金銭欲の因縁を経つ」として、300万円をあずかり、そのまま返さなかった
・銀座のクラブで代金未払い
宗教家というよりも、強欲な経営者のような印象を受けてしまうのは私だけでしょうか。
小野兼弘は若村麻由美と14歳の年の差結婚
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小野兼弘氏は若村麻由美さんと結婚しています。
若村麻由美さんは1967年生まれで、淑徳高校を卒業後に無名塾に入塾しています。そして、1987年にNHKの朝ドラである「はっさい先生」のヒロインでデビューしました。
その後、高い演技力が評価され、エランドール賞やギャラクシー賞を受賞しています。濡れ場も体当たりで演じていている美人&演技派女優です。
その美人女優の若村麻由美さんと釈尊会の代表である宗教家の小野兼弘氏が2003年に結婚していたことが発覚したのです。
2003年9月に極秘入籍していたことが、2004年2月に発覚し、若村麻由美さんは2004年2月26日に結婚記者会見を開きました。そして、小野兼弘氏のことを次のように述べています。
「見た目のタイプではなく、何より人柄に惹かれました。(一緒にいると)大きく包み込まれている感覚です」
引用:ドロ沼「不貞裁判」から3年…若村麻由美「釈尊会会長」とのビックリ婚/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史 (2022年8月19日) – エキサイトニュース(2/2)
小野兼弘氏は50歳、若村麻由美さんは36歳という年の差14歳の結婚でした。
小野兼弘の結婚歴
小野兼弘氏は若村麻由美さんと2003年に結婚していますが、その前にも2回の結婚歴があります。
・2回目の結婚:梨園の人で結婚生活は3年
そして、3回目の結婚が若村麻由美さんというわけですね。
ちなみに、小野兼弘氏はほかの女性と事実婚をしていたこともあったようです。
*小野氏の結婚は7回目?(正式には3回目らしい)
事実婚まで含めると、7回目?!これが事実だとすると、女性関係はかなり派手なタイプだったと言えるでしょう。
小野兼弘と若村麻由美の馴れ初め
小野兼弘氏と若村麻由美さんの馴れ初めは日本舞踊です。
若村麻由美さんは日本舞踊板東流名取であり、若い頃から日本舞踊を本格的に習っていました。
その師匠は板東三津五郎さんです。その日本舞踊の板東流関係者を通じて、入籍の10年前頃に小野兼弘氏と知り合い、交際・結婚に至ったとのことです。
実家とのつながりもある?
小野兼弘氏と若村麻由美さんの表向きの馴れ初めは、日本舞踊の板東流関係者を通じて知り合ったというものです。
若村麻由美さんの実家は練馬区にあるとんかつ屋さんでしたが、入籍の数年前には代々木の浄水器関係の会社を経営するようになっていました。
前述のように小野兼弘氏は中小企業のコンサルタントもしています。そのため、この若村麻由美さんの実家の商売の変更は、小野兼弘氏が絡んでいる可能性があります。
また、小野兼弘氏は日印文化交流協会の会長を務めていましたが、この日印文化交流協会の事務所の住所は若村麻由美さんの実家の会社の住所と一致しています。
実家の両親がが釈尊会の信者になり、そこから若村麻由美さんと小野兼弘氏が知り合ったのか、2人が知り合い交際に発展し、そこから実家と小野兼弘氏のつながりができたのかは不明です。
ただ、かなり小野兼弘氏と若村麻由美さんは結婚前からつながりが深く、ズブズブの関係だったと言えるでしょう。
お金はどちらが貢いでいた?
小野兼弘氏と若村麻由美さんの結婚報道後、いろいろな噂が報じられました。
小野兼弘氏が若村麻由美さんに金銭提供をしていたという情報もあれば、逆に若村麻由美さんが小野兼弘氏に貢いでいたとも言われています。
3年ほど前から、小野兼弘氏は若村麻由美さんに月200万円のお小遣いをわたしていたという報道がありました。
月200万円!すごいですね。さすが、宗教法人の代表です。渡辺謙さんの奥さんに4億5000万円を貸していただけのことはあります。
しかし、逆の報道もありました。
小野氏は遊び方が派手で、銀座で一晩100万円を使うこともざら。若村の方が小野会長にベタ惚れだったようですが、若村が多額の借金がある小野氏に貢いでいた、という話も伝え聞きますからね。
引用:ドロ沼「不貞裁判」から3年…若村麻由美「釈尊会会長」とのビックリ婚/壮絶「芸能スキャンダル会見」秘史 (2022年8月19日) – エキサイトニュース(2/2)
結婚が報じられた頃、小野兼弘氏は銀座のクラブでの代金未払いがマスコミをにぎわせていました。一体どちらが貢いでいたのでしょうか・・・。
小野兼弘と若村麻由美に子供はいない
小野兼弘氏と若村麻由美さんの間には子供はいません。子供を作らないまま、小野兼弘氏は亡くなりました。
しかし、小野兼弘氏は前妻や内縁の妻だった女性との間に7~10人の子供がいるとのことです。
さすが、若村麻由美さんを含めて3回結婚、内縁を含めると7回という結婚歴の持ち主です。
小野兼弘は若村麻由美に性の儀式をした?
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小野兼弘氏は若村麻由美さんに「性の儀式をした」とセンセーショナルなタイトルの報道がありました。
新興宗教の代表(教祖)が美人女優に性の儀式というのは、とても怪しい感じがします。
この性の儀式の内容は、若村麻由美さんを裸にして、小野兼弘氏がお経を全身に書き込んだというもののようです。
要するに、「小野兼弘は若村真由美を裸にして体中に経文を書き込んだ」…のだそうです。宗教の名のもとに行われる性の儀式…、うん、なかなかキャッチ効果の高い週刊誌ネタです。
「性の儀式」というと、もっとヤバそうなものを想像してしまいますが、意外と普通でした。まぁ、それでもかなりエロティックな感じはしますが・・・。
小野兼弘の死因は肝不全・現在は教団解散
小野兼弘氏は2007年4月18日に亡くなりました。死因は肝不全です。
2007年2月頃から小野兼弘氏は体調を崩し、4月18日の午後2時過ぎに容体が急変。午後5時頃に息を引き取ったとのことです。
死因は肝不全で54歳の若さでした。若村麻由美さんは次のコメントを出しています。
「あまりにも突然のことで、この事実を受け入れることがまだできません」
小野兼弘氏は180kgの巨体で、酒と甘いものを好んでいたとのことですから、持病はたくさん抱えていたことでしょう。何があってもおかしくはない体だったと思われます。
若村麻由美さんは結婚当時、栄養面を気をつけたいと話していましたが、本人にその気がなかったのか、ダイエットはしなかったようです。
亡くなった後、釈尊会は教祖・指導者がいない状況に陥りました。また、小野兼弘氏の子供が教団にいたわけでもありません。そのため、後を継ぐ人がおらず、釈尊会は解散となりました。
小野兼弘氏と若村麻由美さんの結婚生活は約3年半。この小野兼弘氏の死後、若村麻由美さんは女優業に復帰しています。
小野兼弘のまとめ
釈尊会の小野兼弘氏のプロフィールや経歴、若村麻由美さんとの結婚や馴れ初め、結婚歴、子供の有無、性の儀式、死因と現在をまとめました。
若村麻由美さんは本当に小野兼弘氏の内面に惹かれたのですね。美女と野獣カップルの典型例と言える2人だと思います。