安倍晋三元首相が殺害された事件で統一教会の創始者の文鮮明が話題です。
この記事では、文鮮明の国籍や早稲田の学歴、家族の家系図や3人の嫁、息子や娘などの子供、その子孫、ヘリコプター事故での死亡の噂や死因と命日、墓の場所、岸信介や安倍晋三との関係などについてまとめました。
この記事の目次
- 文鮮明は統一教会の創始者
- 文鮮明(統一教会創始者)の国籍は韓国
- 文鮮明(統一教会創始者)の学歴① 京城商工実務学校
- 文鮮明(統一教会創始者)の学歴② 早稲田高等工学校
- 文鮮明(統一教会創始者)の家族の家系図
- 文鮮明の嫁① 崔先吉(チェ・ソンギル)
- 文鮮明の嫁② 金明煕(キム・ミョンヒ。婚姻しておらず愛人関係)
- 文鮮明の嫁③ 韓鶴子(ハン・ハクチャ)
- 文鮮明と韓鶴子の子供① 娘(長女)文誉進
- 文鮮明と韓鶴子の子供② 息子(長男)文孝進
- 文鮮明と韓鶴子の子供③ 娘(次女)文恵進
- 文鮮明と韓鶴子の子供④ 娘(三女)文仁進
- 文鮮明と韓鶴子の子供⑤ 息子(次男)文興進
- 文鮮明と韓鶴子の子供⑥ 娘(四女)文恩進
- 文鮮明と韓鶴子の子供⑦ 息子(三男)文顕進
- 文鮮明と韓鶴子の子供⑧ 息子(四男)文國進
- 文鮮明と韓鶴子の子供⑨ 息子(五男)文權進
- 文鮮明と韓鶴子の子供⑩ 娘(五女)文善進
- 文鮮明と韓鶴子の子供⑪ 息子(六男)文榮進
- 文鮮明と韓鶴子の子供⑫ 息子(七男)文亨進
- 文鮮明と韓鶴子の子供⑬ 娘(六女)文妍進
- 文鮮明と韓鶴子の子供⑭ 娘(七女)文情進
- 文鮮明の子孫
- 文鮮明のヘリコプター事故
- 文鮮明の死因は肺炎などの合併症と発表
- 文鮮明の墓
- 文鮮明の命日
- 文鮮明と安倍晋三元首相の祖父・岸信介元首相の関係
- 文鮮明と安倍晋三元首相の関係
- まとめ
文鮮明は統一教会の創始者
2022年7月8日に安倍晋三元首相が参議院選挙での応援演説中に銃撃を受けて殺害された事件で山上徹也という41歳の男が逮捕されました。
この山上徹也は、安倍晋三元首相殺害の動機はが宗教団体「統一教会」への恨みだったとする旨を供述しています。
山上徹也は、統一教会の熱心な信者だった母親が同団体に多額の寄付をして破産した事から同団体に恨みを抱いていたとして、最初は統一教会の指導者である韓国人・韓鶴子(ハン・ハクチャ)という人物をターゲットにしていたが、コロナ禍もあって来日しなかったため、代わりに以前から統一教会との関係が噂されていた安倍晋三元首相にターゲットを切り替えたといった内容の供述をしているようです。
この事から宗教団体「統一教会」に注目が集まっており、その創始者である文鮮明という男への関心も高まっています。
文鮮明のプロフィール
本名 :文龍明
生年月日:1920年2月25日
没年月日:2012年9月3日
出身地 :朝鮮半島平安北道定州郡
文鮮明は、1954年に「統一教会(世界基督教統一神霊協会)」を設立し、自らを原罪がない神と同然の存在としてこの地上に再臨したメシア(再臨主)だと名乗り、自らを信仰の対象としました。
文鮮明は、1950年代の後半から欧米諸国や日本にも布教活動を広げ、反共産主義を強く掲げる事によって資本主義勢力との関係を強化して勢力を伸ばしました。
文鮮明は1960年頃から、神同然の存在である自分(文鮮明)を中心にして、信者同士が結婚することで汚れ(原罪)から救われるなどと主張して、自分が決めた信者同士を結婚させる「合同結婚式」を開始しました。
この合同結婚式は、文鮮明が身体の関係を持った女性と、他の信者男性が関係を持ち、さらに別の信者と肉体関係を重ねる事で文鮮明の清い血が「リレー式」に伝えられ、アダムとイブの時代から人類が背負う原罪が償われるとする「血分けの儀式」と呼ばれる理解し難い教えが元になっているとも言われています。
統一教会の教えでは自分の意思で結婚をすると現在を償えずに地獄へ行くが、メシアたる文鮮明の言う通りに結婚すれば、現在が償われて天国に行くなどとされており、文鮮明にマッチングされる前に信者が男女の交際をする事や結婚をする事は絶対のタブーとされてきたという事です。(文鮮明死去後も合同結婚式は実施されているが、マッチングアプリを利用した比較的自由度の高いシステムが導入されている模様)
1975年に文鮮明が送金命令を出した事をきっかけに、日本の統一教会は末端信者に課した過酷な献金や違法な商売(霊感商法)などによって得た多額の金銭を統一教会本部に送金するようになりました。
本部への送金のため、日本の統一教会は信者に対し毎月数十万円もの献金のノルマを課し、霊感商法で高額な壺や書籍(1つ数千万円のものも)などを信者に購入させるなどし、1980年代には社会問題化しています。こうした霊感商法による被害額は全国霊感商法対策弁護士連絡会が把握しているだけでも2021年3月時点までの総額で約1237億円にも上るという事です。(実際の被害総額は1兆円を超えるとも推測されている)
こうした1970年代から2000年代にかけての日本の信者による多額の献金が、統一教会の勢力拡大のための資金源になったとされています。(文鮮明は日本人信者からむしり取った莫大な資金を使って世界各国で機関紙を発行し、アメリカの通信社なども買収した)
こうした活動により、統一教会信者以外の多くの人々からはカルト教団の凶悪な指導者のようにみなされていた文鮮明ですが、2012年9月3日に92歳で死去し、その後の統一教会の実権は嫁であった韓鶴子が握っています。
続けて、文鮮明の国籍や学歴、3人の嫁や十数名にも及ぶ子供やその子孫などの家族についても順番に見ていきます。
文鮮明(統一教会創始者)の国籍は韓国
文鮮明は日本統治下の朝鮮半島で出生(1920年2月25日誕生)しているので、出生時は日本国籍という事になっていました。
その後、第二次世界大戦が終結し、朝鮮半島がアメリカを中心とする資本主義勢力と、ソ連を中心とする共産主義勢力に分割統治され、1948年までに両陣営の傀儡国家として韓国と北朝鮮が成立しました。
文鮮明は1947年の時点で北朝鮮の勢力下に所在していましたが、この頃に北朝鮮の共産党警察当局によって、異端の教えを広めている韓国側のスパイであるとして逮捕投獄され拷問も受けています。1948年に再び当局によって「社会秩序紊乱罪」で逮捕されて、興南の強制労働収容所へ収監され、5年間の強制労働を言い渡されています。
1950年に朝鮮戦争が勃発し、同年10月に同地を占領した国連軍によって他の囚人達と共に解放されています。その後、文鮮明は韓国側へと移動し、韓国の市民権を得て宗教的な活動を行っており、以降は韓国籍として扱われていたはずです。
文鮮明(統一教会創始者)の学歴① 京城商工実務学校
文鮮明の学歴について見ていきます。
統一教会に関する資料や書籍などによると、文鮮明は1936年から1939年まで、ソウル漢江のほとりにあった京城商工実務学校の電気科で学んでいたようです。この学校は日本人の土居山洋氏(九州電気学校校長代理などを歴任)が、韓国人の子弟への電気、建築、商業などの教育を目的に設立されたものでした。
なお、統一教会の公式見解では、文鮮明がこの学校を卒業したのは1941年3月という事になっています。
文鮮明(統一教会創始者)の学歴② 早稲田高等工学校
統一教会関連の書籍や資料などによると、文鮮明は19歳の時(留学年については、1938年、1939年、1941年などの複数の記述が確認できはっきりしない)に、早稲田大学の附属校である早稲田高等工学校電気工学科に留学したという事になっています。
統一教会の公式見解では、文鮮明は早稲田高等工学校電気工学科には、1941年4月に入学し1943年10月に卒業したとなっています。
日本に留学していた頃の文鮮明は、共産党員と協力して抗日運動に関わっていたとする説もあります。
過去には最終学歴を早稲田大学理工学部卒と詐称していた
早稲田高等工学校電気工学科に留学していた文鮮明ですが、過去には早稲田大学の理工学部卒業と詐称していた時期があり、統一教会の関連書籍の中で1970年代から1980年代終わりにかけて発行されたものにはそのように記載されているものが多くあります。
現在は、これは早稲田大学卒というのは誤りというのが、統一教会内でも統一見解とされており、早稲田大学附属早稲田高等工学校卒業で統一されているようです。
文鮮明(統一教会創始者)の家族の家系図
文鮮明はこれまでに3人の嫁(1人は婚姻のない愛人関係)がいて、それぞれの嫁との間に子供が生まれています。時系列順に嫁ごとの3つの家系図を掲載します。(韓鶴子との家系図は子供の数が多すぎて粉雑になるため、2つに分けて掲載)
文鮮明と1人目の嫁・崔先吉との家系図
文鮮明と1人目の嫁の崔先吉との家系図です。
息子の文聖進の娘(次女)の信淑の結婚相手の大塚洪考は、日本統一教会の8代と10代の教会長だった大塚克己の息子です。
文鮮明と2人目の嫁(愛人)・金明煕との家系図
文鮮明と2人目の嫁(愛人関係)の金明煕との家系図です。1954年に息子の喜進が生まれていますが、中学2年生の時に鉄道事故で死去しています。
文鮮明と3人目の嫁・韓鶴子との家系図(上から7人目の子供まで)
文鮮明と韓鶴子の上から7人の子供(長男〜三男の息子3人、長女〜四女の娘4人)までの家系図です。
文鮮明と3人目の嫁・韓鶴子との家系図(8人目から14人目の子供)
文鮮明と韓鶴子の8人目から14人目の子供までの家系図です。七男の文亨進は統一教会から分派したトランプ元大統領支持の過激派としても知られる「サンクチュアリ教会」の指導者としても知られています。(後述)
文鮮明の嫁① 崔先吉(チェ・ソンギル)
家系図のところでも触れましたが、文鮮明には3人の嫁(1人は愛人関係)がいました。文鮮明の3人の嫁について1人ずつ見ていきます。
文鮮明の最初の嫁は崔先吉(チェ・ソンギル)という女性で、1945年4月28日に結婚し1957年1月8日に離婚しています。
文鮮明と最初の嫁・崔先吉の子供は息子の文聖進
文鮮明と最初の嫁の崔先吉との間には、1946年4月2日に息子の聖進が生まれています。
文鮮明の最初の息子である文聖進は、1973年に金東淑という女性と結婚しています。この金東淑は、文鮮明の第一弟子の金元弼(キムウォンピル)の娘です。
金東淑が実は文鮮明の娘で、文聖進とは異腹兄妹にあたるという噂があるようですが真偽は不明です。
文鮮明の嫁② 金明煕(キム・ミョンヒ。婚姻しておらず愛人関係)
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文鮮明の2人目の嫁は金明煕という女性です。金明煕は梨花女子大学の学生でしたが、統一教会に入信し、詳しい経緯は不明ながら文鮮明と体の関係をもって妊娠させられています。
当時、文鮮明は1人目の嫁の崔先吉と結婚していたため、金明煕とは愛人の関係でした。1955年、文鮮明は重婚罪や姦通罪で摘発されるのを恐れて、妊娠中の金明煕を日本へと密航させたといいます。
文鮮明と愛人の金明煕の子供は息子の文喜進
文鮮明と2人目の嫁(愛人)の金明煕との間に生まれた息子が文喜進です。1955年8月17日に金明煕の密航先の日本で生まれています。
文鮮明にとって2人目の息子である文喜進は、13歳の中学生だった1969年8月1日に亡くなっています。
統一教会の公式の記録では韓国内で開拓伝道に向う途中に列車事故で亡くなったとされているようですが、これについては、文喜進の器量を恐れての暗殺説など色々と闇深さを感じる噂が存在するようです。
文鮮明の嫁③ 韓鶴子(ハン・ハクチャ)
文鮮明の嫁・韓鶴子のプロフィール
生年月日:1943年2月10日
出身地 :朝鮮半島平安南道安州信里
文鮮明の3人目の嫁は、統一教会(現在の名称は世界平和統一家庭連合)の現在のリーダーである韓鶴子(ハン・ハクチャ)という女性です。
統一教会の信者の間では「真のお母様」などと呼ばれています。(文鮮明は「真のお父様」などと呼ばれている)
韓鶴子は、母親が統一教会の熱心な信者だったのをきっかけにその教えに触れるようになり、17歳の時に文鮮明の結婚相手に選ばれたという事です(1960年4月に結婚)。
文鮮明は、結婚後に韓鶴子を「全人類の真の母」などと称して、自分と同様に統一教会における信仰の対象と位置付けています。
韓鶴子は文鮮明の死後、その権力を引き継ぎ、統一教会のトップの地位についています。
この韓鶴子の権力の継承について、一部からは、文鮮明は生前に七男の文亨進(ムン・ヒョンジン)を宗教部門の後継者に指名していたが、韓鶴子が文鮮明の死後に文亨進を追放し、文鮮明に「原罪があった」と宣言したとする情報が出ています。
文鮮明氏は生前、教えに沿って七男の文亨進(ムン・ヒョンジン)氏を宗教部門の後継者に指名。事実上の二代目メシア有力者だった。ビジネスに邁進する他の兄弟と違い、亨進氏は信心深かったという。
しかし、実の母である鶴子は亨進氏を追放した。そして、教団の核心的信仰対象である文鮮明氏に「原罪があった」と宣言した。
文鮮明と3人目の嫁の韓鶴子との間には、息子7人、娘7人の合計14人の子供が誕生しています。次の見出しから文鮮明と韓鶴子の14人の子供を順番に見ていきます。
文鮮明と韓鶴子の子供① 娘(長女)文誉進
文鮮明と韓鶴子の1人目の子供である娘(長女)の文誉進は1961年1月27日(陰暦の1960年12月11日)に生まれています。長男の文孝進の嫁だった洪蘭淑の兄の洪珍輝と文鮮明の指示のもと結婚し4人の子供を儲けましたがその後離婚しています。
文鮮明と韓鶴子の子供② 息子(長男)文孝進
文鮮明と韓鶴子の2人目の子供は息子(長男)の文孝進で、1962年12月27日(陰暦の1962年12月1日)に生まれています。
ロックバンドを組んで音楽活動をしており、統一教会信者の前でライブパフォーマンスを行なっていました。一方で、アルコール依存症や薬物依存症に陥っています。
19歳だった1982年に文鮮明の選んだ洪蘭淑と結婚し4人の子供が生まれていますが、1997年に離婚しています。離婚の原因は文孝進による家庭内暴力だったようで、裁判所でも認められています。
この洪蘭淑という女性は、文孝進との離婚後に文鮮明一族の暴露本「わが父文鮮明の正体」を発表し物議を醸しました。
その後、文孝進は別の女性と再婚して4人の子供を儲けましたが、2008年3月に45歳の若さで死亡しています。死因は心臓麻痺だったようです。
文鮮明と韓鶴子の子供③ 娘(次女)文恵進
文鮮明と韓鶴子の3人目の子供は陰暦の1964年7月28日に生まれた娘(次女)の文恵進ですが、生後1週間後の8月4日に夭折しています。死因については記録がなく不明です。
文鮮明と韓鶴子の子供④ 娘(三女)文仁進
文鮮明と韓鶴子の4人目の子供は娘(三女)の文仁進で、1965年8月14日(陰暦の1965年7月18日)に生まれています。統一教会の古参幹部である朴普煕の次男の朴珍成と結婚し5人の子供を産んでいますが、その後別の男性との不倫(ダブル不倫)の果てに私生児を出産したとされます。
文鮮明と韓鶴子の子供⑤ 息子(次男)文興進
文鮮明と韓鶴子の5人目の子供は息子(次男)の文興進で、1966年12月4日(陰暦の10月23日)に生まれています。1984年1月2日に改造自動車を無免許運転して事故を起こし17歳で亡くなっています。
この死から1ヶ月後に、文鮮明は「霊魂結婚」などと言って、文興進と統一教会幹部の22歳の女性と結婚させています。
ブラックフンジン
さらに、1987年にはジンバブエ国籍の黒人男性に文興進の霊魂が乗り移ったなどとし、この黒人男性を「ブラックフンジン」などと称して、世界各国を歴訪させています。
文鮮明と韓鶴子の子供⑥ 娘(四女)文恩進
文鮮明と韓鶴子の6人目の子供は娘(四女)の文恩進で、1967年12月24日(陰暦の1967年11月23日)に生まれています。
1986年4月11日に朴珍憲という統一教会信者と結婚し子供が生まれていますがその後離婚し、かなり年上の競馬関係者と再婚して、こちらでも子供を出産しています。
文鮮明と韓鶴子の子供⑦ 息子(三男)文顕進
出典:https://kigensetsu.files.wordpress.com/
文鮮明と韓鶴子の7人目の子供は息子(三男)の文顕進で、1969年5月25日(陰暦の1969年4月10日)に生まれています。
統一教会の古参幹部で実質的ナンバー2とみなされていた郭錠煥の娘の郭全淑と1987年3月に結婚し7人の子供を儲けています。
アメリカで活動しており、2001年に、ボランティアを通じて世界平和を目指すNPO「サービスフォーピース」を設立しています。
2010年頃に自身への権力集中を狙う母親の韓鶴子の思惑によって統一教会から追放されますが、その年に教団の資産管理団体UCI財団を押さえて対抗し、2011年に「自身の活動は統一教会とは関係がない」と宣言。2017年にはFPA(世界家庭教会)を新たに創設しています。
文鮮明と韓鶴子の子供⑧ 息子(四男)文國進
文鮮明と韓鶴子の8人目の子供は息子(四男)の文國進で1970年6月17日(陰暦の1970年5月14日)に生まれています。
1989年1月10日に、文鮮明の指示で劉順珠という統一教会幹部の娘と結婚していますが、子供ができなかった事を理由に2003年に離婚しています。
2004年9月26日に元ミスコリアの朴知鋭という女性と再婚していますが、できちゃった結婚だったと言われています。
統一教会の経済部門である「統一教財団」を任されていましたが、文鮮明の死後に権力を掌握した母親の韓鶴子によってその要職を解かれています。
文鮮明と韓鶴子の子供⑨ 息子(五男)文權進
文鮮明と韓鶴子の9人目の子供は息子(五男)の文權進で、1975年4月13日(陰暦の1975年3月2日)に生まれています。
文鮮明の子供達の中では珍しく、特にスキャンダルを起こしていない人物です。結婚されていますが子供はいません。
文鮮明と韓鶴子の子供⑩ 娘(五女)文善進
文鮮明と韓鶴子の10人目の子供は娘(五女)の文善進で、1976年7月11日(陰暦の1976年6月15日)に生まれています。
ハーバード大学心理学科を卒業しており優秀な方のようで、統一教会では世界会長という役職についているようですが何をしているのか詳しい事は良くわかりません。
1995年4月16日に結婚していますが子供はいないようです。
文鮮明と韓鶴子の子供⑪ 息子(六男)文榮進
文鮮明と韓鶴子の11人目の子供は息子(六男)の文榮進で、1978年6月22日(陰暦の1978年5月17)に生まれています。
1997年9月6日に結婚していますが、1998年に離婚し、1999年10月28日未明に旅行先のアメリカ・ネバダ州のホテルの17階から飛び降りて自死しています。21歳でした。
文鮮明と韓鶴子の子供⑫ 息子(七男)文亨進
文鮮明と韓鶴子の12人目の子供は息子(七男)の文亨進(ムン・ヒョンジン)で、1979年9月26日(陰暦の1979年8月6日)に生まれています。
一時は統一教会の正当な後継者と目され、文鮮明も生前に自身の後継者に指名していたようで、2008年には統一教会から公式に発表されています。
しかし、文鮮明の死後に、独裁を狙う韓鶴子によって統一教会の要職から追われました。
文亨進は統一教会から離れ、自身の支持者と共にアメリカで「サンクチュアリ教会(世界平和統一聖殿)」なる宗教団体を設立し、名指しで韓鶴子への批判を行なっています。
この「サンクチュアリ教会」は、聖書の中で預言書的な意味合いを含む「ヨハネの黙示録」に登場する「鉄の杖」は銃を表しているとして、信者にはAR-15という半自動小銃で武装するべきという教えを説いています。
ドナルド・トランプ元アメリカ大統領の支持を表明しており、2021年に発生したアメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件にも信者を率いて加わっています。
文鮮明と韓鶴子の子供⑬ 娘(六女)文妍進
文鮮明と韓鶴子の13人目の子供は娘(六女)の文妍進で、1981年2月7日(陰暦の1981年1月3日)に生まれています。
統一教会を離れてイギリスで映画関係の仕事をしているとされ、2011年には「Love」というタイトルの同性愛をテーマにした映画を制作して話題になりました。(統一教会では同性愛は禁止されている)
そして、2014年に自由恋愛の相手の統一教会信者でない一般男性と結婚しています。(建前上40日間の伝道を受けて統一教会信者になったという事になっている)
文鮮明と韓鶴子の子供⑭ 娘(七女)文情進
文鮮明と韓鶴子の14人目の子供は娘(七女)の文情進で、1982年5月16日(陰暦の1982年4月23日)に生まれています。
両親に反発して一時は姉(三女)の仁進と暮らしていましたが、この頃に数度の自殺未遂事件を起こしているようです。
2014年に自由恋愛をしていた統一教会信者でない一般の男性と結婚しています。(建前上40日間の伝道を受けて統一教会信者になったという事になっている)
文鮮明の子孫
文鮮明の子孫については、現在の時点で確認できているだけで少なくとも36人の孫がいます。
海外の一部メディアによると、文鮮明の孫は現時点で40人以上おり、成人して結婚している人もいるという事なので、すでに文鮮明の子孫は曽孫(第4世代)まで誕生している可能性が高いです。
文鮮明の孫の世代も統一教会に関わる活動にも参加しているようですが、現時点ではあまり詳しい情報は出ておらず、重要なポストについている人間もいないようです。
文鮮明のヘリコプター事故
2008年7月19日、文鮮明や嫁の韓鶴子ら16名が乗ったヘリコプターが不時着し、搭乗者の避難後に炎上爆発するという事故が起きています。
当時の発表によると、このヘリコプター事故では文鮮明や韓鶴子を含む14名が負傷し、うち1人は重傷という事でしたが死亡者は出ていません。
しかし一部から、事故直後のニュース映像でヘリコプターの燃え後の中から黒焦げの遺体が運び出される様子が映っており、実はこのヘリコプター事故で文鮮明は死亡したのではないかという噂が出ました。
文鮮明はこのヘリコプター事故での負傷で入院し、同年8月3日に退院しています。この時の様子を撮影した写真(上の画像)が公表されていますが、この画像が合成写真ぽく見えるとして、文鮮明がヘリコプター事故で死亡しており、その死を隠蔽するために複数の写真を合成して退院したときの写真を捏造したのではないかという噂にも繋がりました。
文鮮明の死因は肺炎などの合併症と発表
ヘリコプター事故で死亡した噂もある文鮮明ですが、公式にはそのヘリコプター事故からちょうど4年後の2012年9月3日に92歳で死亡した事が発表されています。
文鮮明の死因については、「肺炎などの合併症」と発表されています。
世界基督教統一神霊協会(統一教会)の創始者、文鮮明氏が3日、肺炎などの合併症のため、韓国京畿道加平郡の病院で死去した。92歳だった。
同年8月の中旬頃から風邪と肺炎の合併症を引き起こして入院しており、その後危篤状態になって死亡したという事です。
文鮮明の墓
文鮮明の墓は韓国・京畿道加平郡の「天聖山」という場所です。
出典:https://blog-imgs-119-origin.fc2.com/
漣川(ヨンチョン)という場所にある公園墓地に、「文鮮明先生頌徳碑」という記念碑がありますが、これは墓ではありません。
文鮮明の命日
文鮮明の命日は2012年9月3日です。
ただ、統一教会は陰暦を基準にしているので、西暦で見ると命日は毎年変わるようです。陰暦での命日にあたる日に何らかの行事も開催されているという事です。
文鮮明と安倍晋三元首相の祖父・岸信介元首相の関係
安倍元首相を襲撃し手製の銃で銃撃して殺害した山上徹也は、犯行の動機を統一教会に恨みだとし、統一教会を日本に招き入れたのは、安倍元首相の祖父の岸信介元首相なので、安倍元首相を殺害したと供述しているとの報道が出ています。
安倍晋三元首相が奈良市で街頭演説中に銃撃され死亡した事件で、元海上自衛隊員の無職、山上徹也容疑者(41)が、恨みを抱いていたとされる宗教団体について「(海外から日本に)招き入れたのが岸信介元首相。だから安倍氏を殺した」と話していることが11日、捜査関係者への取材で分かった。
この事から、統一教会やその創始者である文鮮明と安倍晋三元首相の祖父の岸信介元首相との関係にも注目が集まっています。
まず、統一教会や文鮮明と岸信介元首相が関係していた事は事実です。
文鮮明は冷戦対立の緊張が最高潮に高まりつつあった1968年1月に反共産主義政治団体「国際勝共連合」を韓国で設立し同年4月にはその日本支部を設立しています。そして、この設立の後ろ盾になった1人が、当時自民党内で絶大な権力を持っていた岸信介元首相でした。
当時は、日本国内でも共産主義勢力に対抗する政策を進める必要があり、その背景の中で岸信介元首相が国際勝共連合を率いる文鮮明と接近したという経緯でした。
その後も岸信介元首相と文鮮明の関係はずっと続き、日本国内で開催された文鮮明の講演会「希望の日晩餐会」には、岸信介元首相が名誉実行委員長という立場で関わっています。
また、1982年から文鮮明がアメリカ政府当局に脱税の罪で摘発され服役した際には、文鮮明が設立した関連団体「世界言論人協会」が毎年世界の報道関係者を集め開催する「世界言論人会議」の議長を岸信介元首相が務め、文鮮明の釈放を求める意見書を当時のレーガン大統領に送っています。
さらに、東京都渋谷区南平台にあった岸信介元首相の私邸に隣接して、当時の日本の統一教会本部があり、相互に交流を持っていたと言われています。
こうした事実から、岸信介元首相がその晩年まで、文鮮明やその関連団体と関係を持っていた事は間違いないようです。
文鮮明と安倍晋三元首相の関係
文鮮明と安倍晋三元首相が直接的に深い関係にあったか不明ながら、少なくとも統一教会系組織との間には何らかの友好的なつながりがあった事は間違いないようです。
安倍晋三元首相は、2021年9月に開催された統一教会の関連団体「天主平和連合(UPF)」が主催した大規模イベント「神統一韓国のためのTHINK TANK 2022 希望前進大会」に映像でリモート出演し、基調演説を行っています。このイベントにはドナルド・トランプ前大統領も映像での基調演説を行っていました。
実は、これよりもかなり以前から安倍晋三元首相と統一教会の関連団体との関係は取り沙汰されていて、2006年5月には、当時の小泉政権の官房長官の立場で、「UPF」が福岡県で開催したイベント「祖国郷土還元日本大会」に祝電を送った事が一部メディアで報じられていました。
2009年から2012年までの自民党在野時代に、安倍晋三元首相は、保守系のイベントである統一教会関連団体の幹部と親しくなり、それをきっかけに統一教会との距離を縮めたという情報も出ています。
2012年12月に第二次安倍内閣が発足していますが、この時の選挙では統一教会が自民党を強力に支援し、選挙支援スタッフを派遣するなどの動きもあったと一部メディアが伝えています。
この頃から、自民党と統一教会の間のつながりが強化されたとも言われており、同教会の息のかかった議員が多数国会に送り込まれていると報じているメディアもあります。
2016年にUPFが創設した「世界平和国会議員連合」なる組織には当時の閣僚5人を含む、100名以上もの国会議員が出席していたとの情報もあります。
また、統一教会系の機関誌「世界思想」の表紙を安倍晋三元首相が複数回飾っていた事もわかっています。
まとめ
今回は、安倍晋三元首相が殺害された事件をきっかけに注目を集めている、宗教団体「統一教会」の創始者である文鮮明についてまとめてみました。
文鮮明は日本統治下の朝鮮半島で生まれた人物で国籍は韓国でした。学歴は早稲田高等工学校卒業ですが、過去には早稲田大学理工学部卒業と詐称していた時期もあったようです。
家族については、これまでに少なくとも3人の嫁(1人は愛人)がおり、それぞれに子供を作っています。子供の総数はわかっているだけでも16人います。3人目の嫁で現在の統一教会の最高権力者である韓鶴子との間には、7人の息子と7人の娘がいてアメリカなどを拠点に活動し、子孫達もそれぞれに権力を握っています。
文鮮明は2008年7月にヘリコプター事故に遭い、その際に死亡したとする説も流れましたが、実際には生存しており、その4年後の2012年9月3日に亡くなっています。死因は「肺炎などの合併症」と発表されています。
文鮮明は9月3日に死亡していますが、統一教会は陰暦で動いているため、命日は西暦で見ると毎年異なります。陰暦における命日には毎年何らかのイベントが開催されているようです。文鮮明の墓は韓国・京畿道加平郡の「天聖山」という場所にあるようです。
現在、国内では、安倍晋三元首相の祖父の岸信介元首相と、文鮮明との関係や、安倍晋三元首相と統一教会との関係などが取り沙汰されている状況です。