1977年に起きた強姦殺人事件は、現役の警察官だった松山純弘が逮捕されたことで警察の信頼が大きく揺らいだ事件です。
今回は制服警官女子大生殺人事件の経緯、犯人の松山純弘と被害者情報、判決と犯人の現在をまとめました。
この記事の目次
制服警官女子大生殺人事件とは
制服警官女子大生殺人事件とは、1978年1月10日に東京都世田谷区経堂で起こった殺人事件です。
現職の制服警官が、勤務中に制服を着たままで女子大生を殺害したことで、センセーショナルなニュースとして報道されました。
この制服警官女子大生殺人事件で、警視庁総監が引責辞任しています。
制服警官女子大生殺人事件の詳細① 女子大生が遺体で発見される
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1978年1月10日の午後4時40分ごろ、東京都世田谷区経堂にあるアパートで「若い女性が死んでいる」と110番通報がありました。
通報したのは、このアパート「東荘」の家主の女性(68歳)です。
すぐに警察が駆け付けると、若い女性が窓際のベッドの下にうずくまるようにして死亡していました。
・部屋はカギがかかっていなかった
・レイプされた形跡あり
・ガラス戸のガラスが割れていた
・室内を物色した形跡あり
現場に制服警官がいたことが発覚
第一通報者の家主から事情を聞いていると、なんと通報前には現場に若い警官がいたことが発覚しました。
家主の話によると、家主がたまたま外出した時、何気なく現場の部屋を窓からのぞいたそうです。
そうしたら、室内で制服警官が立ち尽くしていて、覗いている家主に気付くと、家主に「女性が死んでいる。すぐに通報して下さい」と指示されたとのこと。
警察は最初、その情報を聞いた時に「ニセ警官だろう」と思ったようです。
本物の警官なら、市民に110番通報を頼まずに、無線ですぐに知らせるはずです。
そもそも、本物の警官が制服姿のままで殺人現場にいて、通報もせずに現場から消えるのはあり得ないと考えたのでしょう。
しかし捜査をしていくと、殺人現場にいた若い警官とは北沢警察署経堂駅前派出所勤務の20歳の巡査・松山純弘であることがすぐに判明しました。
制服警官女子大生殺人事件の詳細② 頬の傷がきっかけで逮捕
北沢署は松山純弘の事情聴取をします。すると、松山純弘は次のように供述しました。
・窓ガラスが割れたのは午後4時30分ごろ
・アパートから20mの地点で窓ガラスが割れた音を聞いた
しかし、松山純弘の供述はすべて矛盾していました。
窓ガラスが割れた音を聞いたのは午後4時30分ごろと供述しましたが、聞き込み捜査で実際は午後4時ごろに窓ガラスが割れたことがわかっています。30分の誤差は大きいです。
しかも、松山純弘は家主に通報を頼んだ後、警察が駆け付けるのを待たずにその場をすぐに立ち去っています。そして何の報告もせずに、そのまま勤務に戻っているのです。
このような矛盾点・不審な点がありましたが、決定的な証拠はありませんでした。
そんな時、取調官が松山の顔に引っかき傷があるのを発見します。そして、「その傷はどうした?」と松山に尋ねたところ、松山は観念したのか、強姦殺人を認めて自供しています。
家主の証言によると、殺人現場にいた松山は制服のボタンがちぎれるなど服が乱れていたとのことです。また、穿いていたパンツから、被害者の血液が付着していることが判明しました。
松山は同日の22時ごろに強姦殺人で緊急逮捕され、その日のうちに懲戒免職処分となっています。
松山純弘が強姦殺人をした
松山純弘は1978年1月10日、被害者の両隣の部屋の住人が外出していることを確かめてから被害者の部屋をノックし、「派出所から巡回連絡に来ました」と言ってドアを開けさせました。
そして、ドアが開いたタイミングで、無理やり部屋の中に侵入してレイプしようとしたのです。
被害者は必死に抵抗しました。この抵抗で、松山純弘は顔に引っかき傷ができて、窓ガラスも割れてしまいます。
窓ガラスが割れた音で、アパートの住人に気付かれたと思った松山は被害者を殺害することを決めました。
手で首を絞めた後、ストッキングで絞殺しました。そして、その後に被害者の服を脱がせてレイプします。
さらに強盗の犯行に見せかけるために、部屋の中を荒らしていたところ、家主に見られたので、第一発見者を装って、家主に110番通報を依頼し、自分はその現場を離れ、勤務に戻りました。
しかし、勤務に戻った松山純弘はかなり異常な状態だったようです。
事件当日、北沢署内では第一発見者である松山巡査の様子を見て、捜査員全員が何のためらいもなく、松山巡査を即、被疑者と断定していたとのこと。
同期生他、数人が署内で松山を囲み取り押さえたとのこと(これは松山に自殺させないようにが第一目的であったという)であった。当時、それほど松山の様子が異常だったという…
それだけ異常な様子であれば、現場から消えた制服警官が松山純弘であるとすぐに判明したことも不思議ではないですね。
制服警官女子大生殺人事件の詳細③ 警視総監などが処分
現職警察官、しかも制服警官(勤務中)が強姦殺人を犯したというニュースは、世間に大きな衝撃を与えました。
警察バッシングが起こり、松山純弘が被害者にドアを開けさせる口実にした巡回連絡は、しばらく中止せざるを得なくなりました。
そして、責任問題にも発展しました。警視総監や警視庁幹部3名、北沢署次長兼刑務課長など8名が減給処分になり、北沢署の署長は引責辞任しています。警視総監も2月に辞任しました。
この事件は、管轄警察署である北沢警察署に特別捜査本部が設置されています。そして、犯人の松山純弘は北沢警察署経堂駅前派出所勤務です。
つまり、自分たちの同僚・仲間・顔見知りの警官を疑い、取り調べをして逮捕したということになります。
現場の刑事・警察官たちは、犯人を憎むとともに、「仲間を疑わなければいけない」というかなり複雑な心境だったと思われます。
しかも、世間から「制服警官が強姦殺人なんて!警察はどうなっているんだ!?」と自分たちは直接的な責任はないのにバッシングを受けることになったのですから。
制服警官女子大生殺人事件の犯人・松山純弘の生い立ちや性格
制服警官女子大生殺人事件の犯人は松山純弘です。
松山純弘はどんな人物・どんな警官だったのでしょうか?
プロフィールや生い立ち
松山純弘は1957年1月28日に、鹿児島県指宿市小牧で生まれました。実家は理髪店を営んでいました。
品行方正なタイプではなかったようです。
・高校1年:喫煙で停学処分
・高校1年:バイクの無免許で家庭裁判所送致
・高校3年:不純異性交遊
性欲は強かった
警察官になった後は、独身寮に住んでいました。
普段はおとなしかったようですが、性欲は人一倍強かったようで、月2~3回はソープランドに通い、さらにキャバレーに行ったり、道で知り合った女性と肉体関係を持つこともありました。
寮に住んでいるとはいえ、高卒警官の給料は安いので、月に2~3回も風俗に通い、その他も女遊びをしていたら、給料だけではとても足りません。
給料が足りないために、巡回中に空き巣に入っていました。
空き巣には5回、さらに盗んだクレジットカードを使うなどの詐欺行為は23回確認されています。
被害者女性に目をつけていた
犯人の松山純弘は、事件の前から被害者に狙いを定めていました。
1977年の夏に、巡回中に被害者を見かけて一目ぼれします。被害者は大柄で目を引く美人だったそうです。
一方的に好意を持つようになり、被害者のアパートをたびたび覗くようになりました。
事件の2日前の1月8日、松山純弘は新宿歌舞伎町でポルノ映画を見ています。そして、その夜に興奮しながら被害者のことを思い出し、レイプすることを決意したのです。
制服警官女子大生殺人事件の被害者は清泉女子大生
出典:https://www.seisen-u.ac.jp/
制服警官女子大生殺人事件の被害者は長谷川優子さんという女性です。清泉女子大学キリスト教文化学科の4年生でした。
清泉女子大と聞くとお嬢様のイメージですが、被害者が住んでいたアパートは木造2階建て、4畳半一間でトイレは共同という物件ですので、「お嬢様」という感じではなかったようです。
ただ、目を引く美人で、婚約者がいました。
犯人の松山純弘がたびたび部屋の中を覗いてくることに気付いていた被害者は、婚約者に相談していました。
しかし、制服警官がまさか強姦しようと部屋に押し入ってくるとは思わなかったのでしょう。
いくら怪しい警察官がいても、制服姿で「巡回連絡です」と言われれば、ドアを開けないわけにもいきませんよね。
制服警官女子大生殺人事件の判決
制服警官女子大生殺人事件の裁判では、第一審で無期懲役の判決が言い渡されました。
松山純弘はすぐに控訴しましたが、1982年11月に控訴棄却となり、上告は取り下げたので無期懲役が確定しました。
また、東京都の公務員が職務中に起こした犯罪だったということで、被害者の遺族に東京都が4360万円の損害賠償金を支払っています。
制服警官女子大生殺人事件の犯人・松山純弘の現在
制服警官女子大生殺人事件の犯人である松山純弘は、現在も千葉刑務所にいると見られています。
無期懲役の判決が言い渡されても、松山純弘が刑務所に収監されてから40年近く経過していますので、仮出所している可能性はあります。
しかし、インターネット上では仮出所できる可能性は低いと見られています。理由としては次の3つがあります。
・警察の威信にかけて、仮出所させない
・死刑求刑での無期懲役である
14:名無しさん@お腹いっぱい。
10/02/15 18:31:51 nOWXvh04
>>11
死刑求刑での無期だし
なおかつ警視総監を辞任に追い込んだ
警察組織最大の汚点やろうを
仮釈するわけないやろ
事実上終身刑扱い
また、松山純弘はメンタルに異変をきたしているようです。
金原龍一著「31年ぶりにムショを出た」によると、千葉刑務所から八王子医療刑務所に移送されたこともあったそうです。
私は千葉刑務所に入って松山と話す機会があったのだが、素人目にも明らかに精神に
変調をきたしているようだった。
「ふ、富士山に、ぶ、ブタが、と、飛んでるみたいです・・・・・・」
案の定というかべきか、その後間もなく松山は八王子に送られた。
松山純弘は20歳で殺人を犯し、無期懲役の判決で、仮出所の見込みも少ない状態です。
80歳まで生きると考えると、60年は刑務所の中にいるということになります。
現在、松山純弘は64歳。まだまだ刑務所暮らしは続きそうです。
制服警官女子大生殺人事件のまとめ
制服警官女子大生殺人事件の概要・詳細、犯人の松山純弘や被害者について、事件の判決と現在をまとめました。
制服警官女子大生殺人事件が起きたことにより、たった1人の警官・松山純弘のために、日本の警察の威信は失墜しています。
日本の警官が悪いわけではなく、この松山純弘が悪いのですが、警官でも強姦殺人を起こす可能性があると考えると、やっぱり怖くなってしまいますね。