上村遼太くんが惨殺された川崎市中1男子生徒殺害事件ですが、犯人の舟橋龍一の家族や生い立ちも注目されています。
今回は事件詳細、犯人・舟橋龍一ら加害者少年3人の生い立ちや親兄弟など家族、判決などその後や現在を紹介します。
この記事の目次
- 「川崎市中1男子生徒殺害事件」とは?上村遼太くんが惨殺される
- 「川崎市中1男子生徒殺害事件」の被害者・上村遼太くんとは
- 「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人① 主犯格・舟橋龍一(加害者少年A)
- 「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人② 加害者少年Bは“のび太みたいなやつ”
- 「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人③ 加害者少年Cは“キレたら何をするかわからないやつ”
- 「川崎市中1男子生徒殺害事件」が起きたきっかけとは
- 「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人・舟橋龍一の親や兄弟など家族とは
- 「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人・加害者少年3人のその後&現在
- 「川崎市中1男子生徒殺害事件」の被害者・上村遼太くんの家族のその後&現在
- まとめ
「川崎市中1男子生徒殺害事件」とは?上村遼太くんが惨殺される
「川崎市中1男子生徒殺害事件」は、2015年2月20日午前2時頃、神奈川県川崎市の多摩川河川敷で、当時13歳の中学1年生だった上村遼太くんが殺害された、残虐極まりない少年犯罪です。
全裸にされて何度も許しを請う上村遼太くんに対し、3人の加害者少年らは馬乗りになって殴りつけます。
次第にエスカレートした加害者少年らは、上村遼太くんの顔や足、腕、さらには首を業務用カッターで何度も斬りつけた挙げ句、凍えるような真冬の多摩川で泳ぐことを命じました。
それに逆らうことができなかった上村遼太くんは裸で川に入るのですが、平泳ぎのような動きで必死に泳ぐ上村遼太くんの姿に、加害者少年らは「おもしろくね?」と笑っていたと言います。
そして、冷たい真冬の川で泳ぎ疲れて川べりにへたり込む上村遼太くんを、さらにカッターで斬りつけた加害者少年たち。
やがて動かなくなった上村遼太くんを蹴り転がし、加害者少年の1人が「息、してるか?」と問いかけ、別の少年が遼太くん顔に耳を近づけ、「少ししてんな」と答えたとされています。
出典:https://www.hmv.co.jp/
その時点で救急搬送していれば、上村遼太くんの命はもしかしたら助かっていたかも知れません。
しかし、その後に加害者少年らは、「上村遼太くんの下半身が川に浸かった状態でそのまま放置して逃げた」と証言しています。
そして、翌早朝6時15分頃、通行人が多摩川河川敷で全裸で倒れている上村遼太くんの遺体を発見し、110番通報して事件が発覚しました。
しかし、なんと上村遼太くんは、川べりから約20メートル離れたところで発見されていたのです。
つまり上村遼太くんは、加害者少年らが逃げ去った後、動かない身体を懸命にひきずって、約20メートルも移動した可能性があるのだとか。
出典:https://aucfree.com/
上村遼太くんが瀕死の状態でもなお、生きることへの執念を見せていた頃、加害者少年たちは証拠隠滅を図るため、近くの公園の公衆トイレで上村遼太くんの衣服を燃やしていたようです…。
出典:https://www.jiji.com/
その後の検死の結果、上村遼太くんの死因は、首の後ろから横にかけてカッターで切られた傷による出血性ショック死でした。
そして、上村遼太くんの全身に刻まれた切り傷43ヶ所のうち、実に31ヶ所は首に集中していたと言います。ここから、加害者少年らの明確な殺意が読み取れます。
その後の裁判の中で、検察側の意見陳述に立った上村遼太くんの母親は、上村遼太くんの遺体の写真を初めて見ることになりました。
そして、嗚咽とつもに次のような言葉を搾り出したと言います。
「首、腕、足、体のいたるところにあるのをみて、怒りよりも『どれだけ遼太が辛かったか』『どれだけ苦しかったか』を思うと耐えられない。くだらない理由で何で…」
引用:【衝撃事件の核心】川崎中1殺害の法廷で遺族は少年たちの残酷な手口に嗚咽を漏らした 「怒りよりも耐えられない…」 https://www.sankei.com/
そして、それからちょうど1週間後の2月27日、当時17歳と18歳だった少年3人が上村遼太くん殺害の容疑で逮捕されました。
ちなみに、上村遼太くんの殺害現場となった河川敷は、彼らが中学時代からたまり場としていた場所だったと言います。
出典:https://www.jiji.com/
「川崎市中1男子生徒殺害事件」の被害者・上村遼太くんとは
上村遼太くんは両親の離婚によって母親の実家がある川崎に戻ってきた
上村遼太くんは川崎市出身で、5人兄弟の次男として誕生しました。
上村遼太くんが5歳の頃、漁師をやりたいという父親の希望で、町のIターン制度を利用して、一家は島根県の隠岐諸島・西ノ島へ引っ越しました。
しかし、上村遼太くんが小学3年生頃に両親が離婚し、その後は看護師の助手として働く母親が一家を支えていましたが、生活が苦しく、母親の実家がある川崎市に戻ってきたそうです。
出典:https://www.sankei.com/
西ノ島時代の上村遼太くんは、大好きだったバスケットボールなどを通じて交友関係が広く、上村遼太くんが船で島を去る際には、小さな港に80人もの友達が見送りに集まったと言います。
上村遼太くんは川崎市の中学校へ入学してからも笑顔を絶やさない人気者だった
川崎市に戻り、地元の中学校へ入学した上村遼太くんは、西ノ島にいた頃から大好きだったバスケットボール部に入部し、熱心に取り組んでいたといいます。
そんな上村遼太くんについて、同級生の友人や先輩たちの証言を集めてみると…
・上村君ははいつも笑っていた
・上村君が水飲み場にいると、みんなが自然と集まってきた
・年上からたばこを勧められて困っていた小学生を見たら、間に入って助けていた
・上村君は明るい性格で友人が多かった
・目立つタイプで、違う学年にもよく知られていた
・上村君は殴られても、自分は手を出さなかった
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持ち前の明るい性格から、川崎市に戻ってからも多くの友人ができ、皆に慕われていたことが分かりますね。
が、しかし!そんな上村遼太くんが、2015年1月からは不登校となり、学校の授業を全て休んでいたそうです。
上村遼太くんに一体何があったのでしょうか?
「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人① 主犯格・舟橋龍一(加害者少年A)
「川崎市中1男子生徒殺害事件」の主犯で事件当時18歳だった舟橋龍一は、日本人でトラック運転手の父親と、フィリピン人で元ホステスの母親との間に誕生したハーフで、姉2人がいます。
川崎区の自宅はローンで買った1軒家で、そこには祖母も同居しており、家族仲は取り立てて悪いわけではなかったようです。
しかし、両親の教育方針が少し特殊だったようで…
「2回口で言ってわからなければ、手を出すということは本人に言ってありました」
引用:いじめられっ子たちが上村君を殺すまで【川崎中1殺人事件の真相】(石井 光太) | 現代ビジネス | 講談社(1/5) https://gendai.ismedia.jp/
公判で父親がこのように言って憚らないくらい、両親のしつけはかなり厳しかったようです。
舟橋龍一が言うことを聞かないと、父親は拳で殴ったり足で顔を蹴ったり、6時間正座させることもあったのだとか…。
しかも、そんな父親の暴力を見ていた母親は、止めるどころか、自身もハンガーで殴るなどしていたそうです。
一方、舟橋龍一が通っていた小学校では、同級生からハーフであることをからかわれ、「おい、フィリピン!」と呼ばれたり、いじめの対象にもなっていたようです。
つまり、家庭では両親から暴力を受け、学校ではいじめに遭っていたことがうかがえます。
そんな舟橋龍一は、家にも学校にも居場所が無かったようで、そんな中で唯一見つけた居場所が、自宅近くにあったイトーヨーカドー内にあるゲームセンターでした。
このゲームセンターは、同じようないじめられっ子や不登校児童のたまり場だったようです。
舟橋龍一はそこに入り浸っては、そこに集まっていた同世代の子供たちと仲良くなり、いつしかグループを作るようになったと言います。
舟橋龍一の友人の1人は、舟橋龍一について次のような証言をしています。
「Aは不良グループにパシリにされてた。年下のグループからも目をつけられて不登校になったほど。あいつはゲームセンターで仲良くなったゲームやアニメオタクの連中を引き連れて、隠れてタバコを吸っていきがってたな。
不良の前では偉ぶれないから、自分より弱いオタク連中の前でいきがるんだよ。本当にせこくてビビりな奴だった」
引用:現代ビジネス-いじめられっ子たちが上村君を殺すまで【川崎中1殺人事件の真相】 https://gendai.ismedia.jp/
さらに、舟橋龍一の同級生や知人らの証言を集めてみると…
・「昔から自分より年下の人間を子分のようにして威張っていた」
・「中学生の時から友人の金を盗んだり喧嘩で顔が骨折するまで殴っていた」
・「Aは弱い者いじめをする奴だったが、強い奴には逆らわない。周りは年下ばっかだった」
・「年下の少年を連れてゲームセンターやショッピングセンターにたむろしているのをよく見ました」
・「不良というほどでもなかったが、年下ばかりを引き連れてることで有名。事件がニュースになった時もAじゃねえかと噂になった」
・「同級生と話しているのを見たことがない。(同年代の)友達はいなかった。ただ弱い者いじめをしていた。弱い者には強く、強い者には弱い」
・「小学校時代から体格の小さい同級生を舎弟のように連れまわし、その舎弟にランドセルを持たせた」
引用:川崎市中1男子生徒殺害事件 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人② 加害者少年Bは“のび太みたいなやつ”
出典:https://philippine-pub.com/
加害者少年Bについては、実名は明かされていませんが、舟橋龍一と同じく日本人の父親とフィリピン人ホステスの母親との間に生まれたハーフでした。
ただ、家庭環境は舟橋龍一より複雑だったようで、Bが誕生した直後に父親が蒸発、その後別の男性と結婚したBの母親は妹を産むもののすぐに離婚し、2人の子供を抱える母子家庭でした。
しかし、Bの母親は家にほとんど帰らず、ほぼネグレクト(育児放棄)に近い状態だったと言います。
そんな加害者少年Bについて、友人は次のように語っています。
「Bはのび太みたいなやつだよ。いつも不良にいじめられてた。存在感が驚くほどなかったね。同じ中学だったのに、たまたまSNSで知り合うまで存在すら気付かなかったから。
あいつは不良グループに連れ回されて、パシリや万引き、それにカンパをやらされていた。カンパっていうのは、不良のための金集めだよ。物盗んだりしてかき集めてたんじゃないかな」
引用:現代ビジネス-いじめられっ子たちが上村君を殺すまで【川崎中1殺人事件の真相】 https://gendai.ismedia.jp/
そんなBが舟橋龍一と出会ったのは、舟橋龍一が高校2年生で、Bが高校1年生の春のことでした。
2人は共通の友人から紹介されたのをきっかけに、同じフィリピン人の母親と日本人の父親を持っていることや、アニメとゲーム好きという共通点から意気投合したようです。
「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人③ 加害者少年Cは“キレたら何をするかわからないやつ”
加害者少年Cは、舟橋龍一と同じ中学の卒業生で、高校でも舟橋龍一と同じクラスになったことで自然に親しくなったようです。
Bが舟橋龍一よりも1学年下だったのに対し、Cは舟橋龍一と同級生であり、対等な関係にあったと言われています。
Cは、川崎市内の鉄鋼製造工場で工場長を務める日本人の父親と、日本人の母親の間に生まれました。また、Cの両親には虐待や育児放棄といった事実はなく、ごく普通に育てられました。
しかし、Cには幼少期から自分の意思を通そうとする少し頑固な面があり、それは成長とともに強くなっていったと言います。
出典:https://allabout.co.jp/
小学校時代にはそれが顕著になり、担任教師への反抗や同級生との喧嘩が絶えなかったそうです。
そんなCについて友人は次のように語っています。
Cは昔から1匹狼的なところがあり、「キレたら何をしでかすかわからない奴」と言われていた。自分の気に食わないことがあれば、相手が教師であっても飛びかかって暴れる。ただ、不良というより、裁判で発達障害の傾向があると指摘されたように、周りにはあまり理解されないような行動が目立ったらしい。
(中略)
「Cがやばい奴っていうのは有名だった。あいつは自分がやりたいと思ったこと以外は絶対に許さないで、邪魔されるとキレて暴れだす。そうなったら手に負えない。だから絶対に彼の意にそぐわないことをしちゃダメって感じだった」
引用:現代ビジネス-いじめられっ子たちが上村君を殺すまで【川崎中1殺人事件の真相】 https://gendai.ismedia.jp/
「川崎市中1男子生徒殺害事件」が起きたきっかけとは
人気者だった上村遼太くんがなぜ加害者少年たちとつるむようになったのか?
出典:http://blog.livedoor.jp/
島根県の西ノ島で伸び伸びと育っていた上村遼太くんですが、両親が離婚したことで小学6年生の時に、母方の実家のあった川崎市に引越してきました。
そして、上村遼太くんは引越し先でも、そのかわいらしい顔立ちと愛嬌のある性格ですぐに友達ができ、中学校ではバスケットボール部に入部し、男女問わず人気を集めていたと言います。
遼太君は両親の離婚を大きなきっかけに、小学6年生の時、母親とともに島根県の島から川崎へと引っ越した。
中学では、バスケット部に所属し、可愛らしい顔立ちに人懐こい性格で「カミソン」と呼ばれ、男子からも女子からも人気だったという。
けれど、夏頃から、部活を休みがちになり、先輩たちとつるみ、ゲームセンターに入り浸るようになり、夜の街で徘徊するようになっていく。
引用:上村遼太君は、なぜ殺されなければならなかったのか?『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』 https://www.excite.co.jp/
では、なぜ引っ越して1年も経たないうちに非行に走るようになり、後に殺害されることになる舟橋龍一らとつるむようになったのでしょう?
当時まだ中学1年生だった上村遼太くんは、家に帰ると4人の兄弟に加えて、母親の新しい恋人が同棲し始めていたと言います。
出典:https://twitter.com/
こうした家庭環境なども影響していたのでしょうか…、家に帰りづらかったかは分かりませんが、上村遼太くんは先輩たちとつるんで夜遅くまで家に帰らないようになっていたようです。
上村遼太くんが舟橋龍一と知り合ったのは事件前年の年末だった
舟橋龍一がそんな上村遼太くんと知人を通じて知り合ったのは、2014年の年末のことでした。
お互いにアニメとゲームが好きだったことで意気投合し、間もなく、同じ趣味を持つBとも親しくなるようになりました。
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その当時、舟橋龍一は学校でのいじめなどが原因で不登校になっており、Bは高校を中退していました。
上村遼太くんはそんな舟橋龍一やBに気を遣ったのか、それを見習うように3学期からパタリと学校へ登校しなくなりました。
学校の友達よりも、夜遊びに付き合ってくれる先輩グループの方に居心地の良さを感じてしまったのかも知れませんね。
上村遼太くんが殺害された「川崎市中1男子生徒殺害事件」のきっかけ
ただ、舟橋龍一たちのグループは所詮は家庭や学校に行き場のない者たちの集まりに過ぎず、毎日のようにつるんで遊んでいても、深い信頼関係で繋がっていたわけではありませんでした。
実際、誰1人としてお互いのことを“親友”とは思っていなかったと言います。
そんな少年達がつるんだところで、すぐに上手くいかなることは当然だったのかも知れません。
2015年1月14日、舟橋龍一は横浜市の駐車場で、上村遼太くんに「LINEの返信が遅い」などと言いがかりをつけ、遼太くんを正座させて10分以上殴り続ける…という出来事がありました。
ちなみに、「正座をさせて殴りつける」という行為は、まさしく舟橋龍一が日頃から父親から“教育”と称して受けている折檻なんですよねぇ…。
それはさておき、この時は別の少年が止めに入ったことで、それ以上エスカレートすることはなかったのですが、上村遼太くんの頬は腫れ上がり、目の周りには大きなアザができていました。
出典:https://twitter.com/
この出来事から、上村遼太くんは舟橋龍一のグループから抜けたいと漏らしていたと言います。
2月12日、そんな上村遼太くんの窮状を知った知人が舟橋龍一の自宅まで出向いて、遼太くんへの暴行に抗議したそうです。
ですが…舟橋龍一はこのことで次のように感じたと、後に供述しています。
「上村遼太くんが周囲から慕われてムカついた」
そしてこの感情こそが、残忍な「川崎市中1男子生徒殺害事件」の動機に繋がったと言われています。
「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人・舟橋龍一の親や兄弟など家族とは
上村遼太くんの被害者遺族が、想像を絶する悲しみや苦しみを味わった2015年の年の瀬…。
加害者犯人の主犯とされる舟橋龍一の実家であり、川崎市内にローンで建てたという一軒家の玄関には、来たるべき新年に備えて色鮮やかな「しめ飾り」が飾られていました。
出典:http://oratio.jp/
そのあまりに無神経な振る舞いに、近隣住民からは非難の声が溢れたと言います。
また、そんな舟橋龍一の両親や兄弟のDQNっぷりがマスコミの取材で明らかになると、ネットを中心に大変な話題になりました。
「母親はくりんくりんの付けまつげを付けて、化粧もバッチリして毎晩出て行ってますよ。父親も毎日仕事に行ってる。もうまったく普段と変わんない。事件後、あの家の塀はたくさん落書きされたんだけど、ちょっと消しただけで、そのまんま住んでる。他の加害少年2人の家族は、逃げるようにすぐに引っ越したのにね」(近隣住人)
引用:川崎中1殺害 主犯少年宅の新年のしめ飾りに近隣住民違和感 http://news.livedoor.com/
そのため、舟橋龍一本人だけでなく、その家族の写真もネット上に拡散することに…。
ただ、実際に犯行を犯したのはあくまで舟橋龍一なので、その他の家族については目隠しを入れさせていただきました。
さらに、週刊文春とのやり取りの中で、舟橋龍一の父親から次のような証言が出たことで、ネット上でのバッシングはさらにヒートアップすることに…。
A父親はこう嘆息した。「うちには事件後、ガキたちが嫌がらせで毎日来てる。ピンポンを鳴らすのはしょっちゅうだし『人殺し』っていう紙がポストに入っていたり……」
父親は、家の前に停めた車の前方ライト付近を指した。赤いインクの跡が白い車体に付着している。舟橋喜一「車には『KOREA』って赤ペンキで落書きされてたんだ。婆さん(舟橋龍一の祖母)が韓国人だからね。」
凶悪事件が起こるたびに、犯人は在日朝鮮人、韓国人ではないか?というような推測や決めつけがなされることはよくある光景ですが、週刊文春の取材によると舟橋龍一の祖母が韓国人であることは事実だったようです。
引用:【川崎中1殺害】19歳少年に懲役10~15年求刑 | ガールズちゃんねる – Girls Channel - https://girlschannel.net/
「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人・加害者少年3人のその後&現在
「川崎市中1男子生徒殺害事件」の犯人に下された軽すぎる判決
「川崎市中1男子生徒殺害事件」に対する裁判の結果は次の通りです。
出典:https://blog.goo.ne.jp/
・舟橋龍一: 懲役9年以上13年以下の不定期刑
・加害者少年B: 懲役4年以上6年6ヶ月以下の不定期刑
・加害者少年C: 懲役6年以上10年以下の不定期刑
少年Bは舟橋龍一に命令されて犯行に及んだこと、少年Cは舟橋龍一に凶器である業務用カッターを手渡すなど、舟橋龍一に次いで事件を主導したことが考慮されての量刑になっているそう。
出典:https://blog.goo.ne.jp/
事件の残虐性から考えると、いずれの量刑も軽すぎると言わざるを得ません。
「川崎市中1男子生徒殺害事件」の被害者・上村遼太くんの家族のその後&現在
上村遼太くんの父親のその後と現在は?
2015年8月には、事件から半年経っているにもかかわらず、主犯である舟橋龍一の両親は上村遼太くんの遺族に対して謝罪すらしていなかったことが報じられています。
出典:http://news.mikimedia.net/
ノンフィクション作家の石井光太さんの著書「43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層」の中で、上村遼太くんの父親へのインタビューが掲載されていたので引用しておきましょう。
「遼太は13歳で未来を奪われ、死後もプライベートを暴かれる。でも、犯人たちにはまだ人生が何十年とあり、少年法によってたくさんのことを守ってもらえる。
(中略)
遺族だって、事件後にマスコミの餌食にされても、根拠のないデマで傷つけられても、加害少年に好き勝手言われても、それで体調を崩しても、国は何一つ助けてくれません。自分の責任で乗り越えるしかない。こんなの間違っていますよ。絶対におかしい」
引用:上村遼太君は、なぜ殺されなければならなかったのか?『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』 https://www.excite.co.jp/
上村遼太くんの母親と兄弟のその後と現在について
上村遼太くんの母親と4人の兄弟たちは、事件後まもなく住んでいた川崎市を離れているようです。
「シングルマザーだった上村くんのお母さんは事件後ずっと憔悴しきっていて…。痛ましい姿に、声もかけられなかった。夏前には兄妹を連れて横浜市内に引っ越しました。ここは息子さんを亡くした悪夢の地ですから。少しでも離れたかったのでしょう」(前出・近隣住人)
引用:川崎中1殺害 主犯少年宅の新年のしめ飾りに近隣住民違和感|NEWSポストセブン https://www.news-postseven.com/
その後、上村遼太くんの母親はかねてから同居していた男性と再婚しており、忌まわしい思い出となってしまった「上村姓」を捨てたそうです。
出典:https://ryukyushimpo.jp/
ただ、家族全員が「上村姓」を改姓してしまうと、上村遼太くんも戸籍上から消えてしまうことから、長男だけは転籍せずに「上村姓」を守っているのだとか。
そんな上村遼太くんのお兄さんが、四十九日のお参りに河川敷に来て、弟へのメッセージと、中学2年生用の参考書を2冊供えたことが報じられました。
「遼太へ」という書き出しで始まっているこの手紙には、丁寧な文字で次のようなメッセージが綴られていました。
少し久しぶりになった。そっちの世界にはもうだいぶ慣れたか?今日お前と話したいのは3つあるんだ。49日だな!進級おめでとう!!
いよいよ「先輩」だな。2年生は難しいぞ~。3年生と1年生の板ばさみになったり、3年が引退すれば、いよいよお前らが部活を引っ張っていかんといけんしな。それにだ。「勉強」が急に難しくなるぞ~。ということで、今日のみやげは参考書な!「えー、そんなのいらない」って言われるかもだが、ちゃんと勉強しろー
遼太、お前はこんなことに……って思ってマイナス思考になってたらいかんのだよな。だからこそ、笑顔で前に進まないといかんのだよな!大切なこと、大切な人を守る強さ、信念を持ってさ、頑張るよ!遼太に笑われちまうからよ。見ててくれよ!それじゃ、また来る!じゃまって言うなよw
引用:川崎の上村遼太さん殺害 四十九日に兄が現場に供えた手紙 – ライブドアニュース https://news.livedoor.com/
そんな上村遼太くんの遺骨は、現在も自宅に大切に保管されているのだとか。
そして、母親が亡くなった時に一緒にお墓に入れてもらうよう、兄弟たちに頼んでいるそうです。
出典:https://www.jiji.com/
事件から5年経った2019年4月に初めて取材に応じた母親のコメント
上村遼太くんがもし生きていれば18歳になるはずだった、2019年4月25日に、事件のその後の心境について、神奈川新聞の取材に答える形で母親が初めてその重い口を開きました。
相反する2人のわたしがいる。遼太と一緒にいてあげないといけないと思うわたしと、ほかの子供たちのために、前を向いて生きていかなければいけないと思うわたし。遼太はあどけない13歳のまま、心にとどまり続けている。思い出にとらわれていては、生きている子供たちに申し訳ない。本当はずっと遼太の側にいてあげたい。でも、思い出にふたをしないといけない。生きていかなきゃいけないから。自分が2人いれば便利なのに――。
引用:「遼太とわたしだけが止まっている」母親が初めて語る葛藤 | 事件事故 | カナロコ by 神奈川新聞 https://www.kanaloco.jp/
上村遼太くんが亡くなったことで、うつ病を患った母親は、抗うつ剤と向精神薬を飲まないと寝ることもできない状態だったそうです。
この神奈川新聞の取材の最後に、上村遼太くんの母親は誰に話すともなくこうつぶやいたと言います。
「ああ。遼太に会いたいな」
出典:https://www.kanaloco.jp/
まとめ
いかがでしたでしょうか。
2015年2月20日、当時まだ13歳だった上村遼太くんが、舟橋龍一ら3人の加害者少年によって殺害された「川崎市中1男子生徒殺害事件」についてまとめてみました。
そのあまりにくだらない犯行動機によって、無残にも殺害されてしまった上村遼太くんのご冥福を、心よりお祈りいたします。