ドスの利いた低音と美しいハイトーンボイスを武器に一世を風靡したクリスタルキングですが、メンバーの不仲説や事故が話題です。
今回クリスタルキングのヒット曲とメンバー不仲説、田中昌之さんの不慮の事故、現在をまとめました。
この記事の目次
クリスタルキングとは
クリスタルキングは、1970~1980年代にかけて一世を風靡したロックバンドです。
「低音のムッシュ」と評され、パンチパーマとサングラスがトレードマークのリーダー・ムッシュ吉﨑さん、唯一無二のハイトーンボイス・田中昌之さんによるツインボーカルが圧巻でした。
クリスタルキングのメンバー
ムッシュ吉﨑のプロフィール
プロフィール
名前:ムッシュ吉﨑
本名:吉崎 勝正(よしざき かつまさ)
生年月日:1948年12月25日
出身地:山口県下関市
担当:ボーカル(低)、 パーカッション
所属:株式会社クリスタルキングカンパニー代表取締役
かつて、クリスタルキングは7人組ロックバンドとして活動していましたが、現在は“ムッシュ吉﨑さんによるソロプロジェクト”として活動されています。
クリスタルキングの最大の魅力である、ツインボーカルの一角を担った田中昌之さんは、現在もなおライブを中心にアーティスト活動を続けています。
しかし、ムッシュ吉﨑さんとの溝はもはや修復不可能なほど深くなっていると言われています。
クリスタルキングの元メンバー
田中昌之のプロフィール
プロフィール
名前:田中 昌之(たなか まさゆき)
別名義:田中雅将、田中雅之
生年月日:1951年6月30日
出身地:佐賀県伊万里市
担当:ボーカル(高)
「3オクターブの美声」と賞賛されたテナーハイトーンボイスから、和製ロバート・プラントの異名を博していた田中昌之さん。
クリスタルキングでは、ムッシュ吉﨑さんのドスの利いた低音と共鳴し合い、お互いを引き立て合っていましたよね。
また、田中昌之さんはクリスタルキングの一部の楽曲の作詞や作曲も担当しており、クリスタルキングにとっては不可欠なメンバーとも言えました。
しかし実は、田中昌之さんのクリスタルキングでの活動は、1973~1974年、1975~1986年、1995~1998年と、加入と脱退を繰り返していたりします。
その他の元メンバー
出典:http://thumbnail.image.shashinkan.rakuten.co.jp/
・内田 聖治(ボーカル) 1998~2002年
・山下 三智夫(ギター) 1975~1986年
・川上 聡(ギター) 1986年~
・上坂 哲史(ギター)
・福田 彰一郎 (ギター) ~1998年
・中村 公晴(ピアノ) 1975~1998年
・今給黎 博美(キーボード)
・野元 英俊(ベース) ~1986年
・尾町 英司(ベース) ~1993年
・秦 好樹(ベース・プログラミング) 1993~1999年
・金福 健(ドラム) ~1983年
・ファンキー末吉(ドラム) 1984年
・高木 和好(ドラム) 1985年~
・高岡 丈二(ドラム) ~1998年
クリスタルキングの大ヒット曲「大都会」誕生秘話
佐世保の米軍キャンプやクラブで腕を磨いたクリスタルキング
クリスタルキングは、1971年にムッシュ吉﨑さんを中心に長崎県佐世保市で結成されました。
長らく佐世保の米軍キャンプのクラブや、米兵が多く集まる佐世保市内のディスコを中心に、主に米兵相手にアメリカ音楽を演奏していました。
クリスタルキングが佐世保で下積みしていた頃の心情を、切々と歌い上げたクリスタルキングの隠れた名曲「SA・SE・BO」がこちら。
耳が肥えたアメリカ人相手に腕を磨いたクリスタルキングは、田中昌之さんの加入により、低音のムッシュ吉﨑さんと高音の田中昌之さんによるツインボーカルが話題に。
主に九州を中心に、徐々に人気が出始めたと言います。
出典:https://www.youtube.com/
そして1975年には、博多のディスコから好待遇で引き抜かれたのですが、そこで待ち受けていたのは厳しい現実だったそうです。
翌1976年に、カバー曲「カモン!ハッスル・ベイビー」でテイチクよりデビューを果たすのですが、鳴かず飛ばずって感じで思うようにセールスは伸びませんでした。
ケジメをつけるために出場したポプコンで「夢想花」に破れる
「クリキンで6年間やってきたことにケジメをつけたい!」
グランプリを獲得して区切りをつけるつもりで参加した、1978年秋のポプコン本選大会でしたが、そんな熱い想いも円広志さんの「夢想花」によって打ち砕かれてしまうんですよね。
この「夢想花」がグランプリを獲得し、クリスタルキングは入賞に終わってしまいました。
そんな結果に打ちひしがれていたメンバーを見て、ポプコンスタッフの1人が次のように声をかけたと言います。
「お前ら、九州の男やったらもう一回勝負するよね?」
この言葉が、クリスタルキングに火を点けることに…!
出典:http://www.nicozon.net/
“つかみ”重視の「大都会」の舞台は実は“博多”だった
「次は絶対にグランプリを獲る!」
クリスタルキングのメンバーがそう奮起して作った曲が…後にクリスタルキングの最大のヒット曲となる「大都会」だったんですよね。
出典:https://ameblo.jp/
「前回はあの“夢想花”のサビのインパクトに負けただけだから、とにかくサビのフレーズで審査員を驚かせればいい。田中の高音で歌メロが始まればビックリして審査員がマルをつけるやろうって(笑)」
(中略)
「とにかくクリキンの最大の武器であるツインボーカルを活かすこと、そしてハッタリを利かすために田中の高音を曲の冒頭に持ってこようと…それだけで決めたんです。」
引用:大都会〜クリスタルキングが夢を賭けた楽曲の誕生物語〜 http://www.tapthepop.net/
クリスタルキングは、この「大都会」を引っさげて、翌1979年秋に開催されたポプコンに登場すると、見事、宣言通りにグランプリを獲得しました。
ちなみに、「大都会」というと、東京やニューヨークなどの大都市を連想する人がほとんどですが、作詞を共作した1人の田中昌之さんによれば、「大都会」の舞台は“博多”を想定したそう。
この件について、田中昌之さんはとあるインタビューの中で、次のように語っています。
「佐世保から見るととにかく博多は都会だったんです。当時は博多に行こうとすると選別を頂くくらいの距離感があったんですよ(笑)佐世保に比べると道路が広くて足がガクガク震えた記憶があります(笑)」
引用:大都会〜クリスタルキングが夢を賭けた楽曲の誕生物語〜 http://www.tapthepop.net/
クリスタルキングのその他のヒット曲も紹介 【動画多数】
この「大都会」は、その後同年の「第10回世界歌謡祭」でグランプリを獲得し、それをきっかけにキャニオン・レコードより再デビューを果たしたクリスタルキング。
同年11月21日にリリースされたデビューシングル「大都会」は、累計150万枚以上のミリオンセラーを記録しました。
クリスタルキングの快進撃は続きます。
1980年にリリースされた「蜃気楼」は、資生堂のキャンペーンソングに起用され、75万枚の大ヒットを記録し、当時大人気歌番組「ザ・ベストテン」で、2曲連続の1位を獲得しました。
さらに、クリスタルキングは1984年6月に公開された阿久悠原作の映画「瀬戸内少年野球団」の主題歌「瀬戸内行進曲」を担当しました。
また、同年10月に発表された「愛をとりもどせ!!」は、大ヒットしたテレビアニメ「北斗の拳」の主題歌に起用されると、50万枚のセールスを記録しました。
クリスタルキングのメンバー不仲説① 田中昌之が脱退・再加入・脱退を繰り返す
そんなヒット曲を連発していたクリスタルキングですが、1986年になると田中昌之さんが半ばケンカ別れするような形で独立してしまうんですよね。
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脱退の理由は、バンドにありがちなメンバー間の方向性の違いだったようです。
特に田中昌之さんにとって、クリスタルキング内でのハイトーン・ボーカルをあまりにも期待され続けたことで、自分が本来歌いたいロックが歌えなかった…というのが大きかったそうです。
実際、田中昌之さんが1987年3月にリリースしたソロアルバム「クロスロード」では、クリキン時代に見られた高音のシャウトはほとんど入れられませんでした。
いつまでも“クリキンのボーカル”と見られたくない…そんな気持ちから、意識してシャウトしないようにしたそうです。
が、しかし!このソロアルバムのセールスは伸び悩むことに…。
そして田中昌之さんは、その翌年には地元・博多に戻って、ホストクラブで細々と歌う“落ちぶれた歌手”に成り下がっていたのだとか。
出典:https://twitter.com/
そして、1989年にはさらなる悲劇が田中昌之さんを襲います。
なんと不慮の事故により唯一無二のハイトーンボイスを失ってしまったんですよねぇ…。この事故の詳細については、後ほど詳しく見ていくことにして、話を続けます。
ハイトーンボイスを失った田中昌之が再加入するも再び脱退!2人の溝は決定的に
ハイトーンからハスキーボイスシンガーへと変身せざるをえなくなった田中昌之さんは、1995年にクリスタルキングに再加入しました。
しかし、1997年末には3人のメンバーとともに再び脱退してしまうことに。
再加入により一時は和解に向かっていたというムッシュ吉﨑さんとの関係は、悪化の一途を辿ったと言います。
出典:https://livingroomcafe.jp/
一方、クリスタルキングに残されたムッシュ吉﨑さんは、「40歳を過ぎてから声域が広がって高い声が出せるようになった」そう。
その頃から「愛をとりもどせ!!」など、過去のクリキンのヒット曲を単独でセルフカバーする活動を始めています。
そして現在では、クリスタルキングはムッシュ吉﨑さんの“ソロプロジェクト”と位置づけられるに至っています。
クリスタルキングのメンバー不仲説② 訴訟に発展
そんな中、ムッシュ吉﨑さんは2009年3月に、商標権侵害の訴訟を起こす事態に発展しました。
田中昌之さんが「クリスタルキングはもう残念ながら解散したんですが」と発言したり、自身のソロコンサートの広告に「大都会 田中雅之(クリスタルキング)」と表記したことを争ったようです。
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2010年3月26日、「解散発言」は既に時効が成立、田中昌之さんが自身の経歴説明に「クリスタルキング」と表記するのは問題ないとして、ムッシュ吉﨑さんの訴えを棄却する判決が下りました。
「掲載時ではなく、曲がヒットした当時の所属バンド名を説明した」として、商標権侵害には当たらないと判断。
その上で「脱退後に『クリスタルキング』の名前を使っても、吉崎さんの活動に関する社会的評価を低下させない」と指摘した。
一方で、田中が脱退後の1998年ごろ、テレビ番組などで「クリスタルキングは解散した」と発言したのを「吉崎さんの活動に支障を来す虚偽の事実の流布」と認め、不正競争防止法違反に当たると判断したが、時効で損害賠償請求権は消滅しているとした。
引用:「クリキン」使用OK!“仲間割れ”訴訟で判決 https://www.sponichi.co.jp/
クリスタルキングの現在
そんな訴訟沙汰もあり、もはやムッシュ吉﨑さんと田中昌之さん他、元メンバーの関係は修復不可能なほど悪化していると言われています。
出典:https://www.s40otoko.com/
実際、2013年には地元九州で、翌2014年には関東でクリスタルキングの元メンバーが集結し、同窓会コンサートが開かれたのですが、残念ながらムッシュ吉﨑さんは不参加だったようです。
元クリスタルキング 同窓会コンサート
出演:ファンキー末吉、上坂哲史、中村公晴、今給黎博美、山下三智夫、川上聡、田中昌之、野元英俊、金福建、高岡丈二、高木和好
(ムッシュ吉﨑の名前は無し…)
クリスタルキングの元メンバー・田中昌之の事故と現在の活動
趣味の草野球でボーカルとしての最大の武器を失う
2018年1月15日放送「激レアさんを連れてきた。」に田中昌之さんが“激レア”さんとして出演。3オクターブとも言われるハイトーンボイスを失った事故を告白し、話題になりました。
元々野球が大好きで、野球をするために歌っていると言ってはばからなかった田中昌之さん。
クリスタルキングから2度目の脱退をし、ソロ活動をしていた1989年6月、福岡空港近くにあった野球場で、バンド仲間らによる草野球の試合中のことだったようです。
出典:http://tulip-kimkim2.jugem.jp/
サードの守備についてた田中昌之さんの元に飛んできた打球が、直前でイレギュラーし、あろうことか田中昌之さんの喉を直撃してしまったのだとか。
その時、あまりの痛みに声が出なくなったそうなのですが、一時的なものと軽く考えた田中昌之さんはすぐには病院へ行かず、そのまま野球を続けたそうです。
野球好きにもほどがありますよね。
その後、すぐに地声は出るようになり、約3ヶ月後には痛みも取れたのですが…あの美しいハイトーンボイスが戻ることはありませんでした。
全国各地の病院を回って検査を受けるも、骨にも声帯にも全く異常が見られなかったそうです。
そして遂には、「これは呪いに違いない(誰の?)」と考えるようになり、霊能者を頼ったこともあったのだとか…。
出典:https://www.info-dive.net/
田中昌之さんはその時の心境について、後に次のように語っています。
「ハイトーンなら自分が一番」と思っていた、そのスキルがなくなった。誇り高いはずの男が、人格を全否定された。生きる意味がないと思うわけですよ。それで「じゃあ、死のうか」と。喉を痛めてからしばらく、死ぬことしか考えなかったですね。
引用:時代を駆ける:田中雅之/6 喉にボール、「高音」失う http://archive.fo/
元クリスタルキング・田中昌之の現在は?
大好きな野球での事故で、最大の武器であるハイトーンボイスを失った田中昌之さん。
その後、ハスキーボイスでクリスタルキングに再加入するも、すぐに上手くいかずに脱退。その後は、やはり仕事も激減し、一時は食べることにも事欠いたそうです。
しかし、辛いリハビリに耐え抜き、名前を“田中雅之”に改名。仮面ライダークウガやウルトラマンガイアの主題歌を担当したり、様々なアニメソングを任されるようになったそうです。
ちなみに、現在は再び「田中昌之」に戻されているようです。
出典:https://www.instaghub.com/
残念ながら、田中昌之さんは現在もなお、あの美しく伸びやかなハイトーンボイスは戻ってはいません。
しかし、全盛期のような力強い歌声は健在ですし、独特のハスキーボイスを活かして精力的にライブ活動などを続けているようです。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
パンチパーマとサングラスがトレードマークの“低音のムッシュ”と、唯一無二のハイトーンボイスが魅力の“アフロ田中”によるツインボーカルで、一斉を風靡したクリスタルキング。
そんなクリスタルキングのヒット曲の数々とメンバー、そして現在、“3オクターブの美声”と称賛された田中昌之さんの不慮の事故などについてまとめてみました。
メンバー間の訴訟沙汰などがあり、ムッシュ吉﨑さんと田中昌之さんをはじめとする元メンバーとの関係は、もはや修復不能とも言われています。
しかし、またいつの日か完全体のクリスタルキングが復活することを期待したいですね。