「ダウン症のイケメン」としてメディアで活躍するあべけん太さんですが、その活動や家族も話題です。
今回はあべけん太さんについて、生い立ちや軽度の知的障害、事故死した母親、父親と兄・姉、年収など現在をまとめました。
この記事の目次
あべけん太のプロフィール 【ダウン症のイケメン】
あべけん太
生年月日:1987年4月2日
本名:安部 健太
出身:東京都
身長:153cm
所属:ケイプランニング
血液型:O型
活動:会社員、タレント
あべけん太さんは、ダウン症であることを公表しながら、幅広い活動をしている方です。
染色体は通常、2本1組となっていますが、ダウン症の場合、21番目の染色体が3本(トリソミー症)になる先天性の遺伝子疾患です。
・特徴的な顔つき
・軽度の知的障害
この3つがダウン症の特徴で、あべけん太さんもこの3つの特徴を持っています。
ダウン症は知的障害がありますので、あまり公の場に出て人前で活動をすることは少ない傾向があります。
でも、あべけん太さんは、ダウン症だからと言って、自らの可能性を狭めることはなく、ダウン症を自分の強みとした活動をしています。
そして、あべけん太さんは自分のことを「ダウン症のイケメン」と称しています。
これは、NHKのEテレの番組「バリバラ」の控室で他の出演者と話していた時、「知的障害と言われるは嫌だ」と言って、それなら「ダウン症のイケメン」が良いとふと思いついたのだそう。
そしたらみんなにハハハハって笑ってもらえて。「それ本番でも言ったほうがいいよ」と言われました。
その時だと思います。俺はダウン症のイケメンになるぞ! ダウン症の希望の星になるぞ! って思ったのは。
引用:タレント・あべけん太が自分を「ダウン症のイケメン」と呼ぶ理由 (1/2) 〈dot.〉|AERA dot. (アエラドット)
ちなみに、小栗旬さん似のダウン症のイケメンとのことです。
そんなあべけん太さんは、「ダウン症のイケメン」として、ダウン症について少しでも多くの人に知ってもらうため、あべけん太さんだからこそできる活動をしています。
あべけん太の生い立ちなど経歴① ダウン症で生まれるも知的障害は軽度
出典:ameblo.jp
あべけん太さんは1987年、東京で生まれます。
出産時は比較的安産で生まれましたが、生後数か月後で21トリソミー(ダウン症)と診断されます。
あべけん太さんもダウン症の特徴である、軽度の知的障害がありましたが、日常生活に支障ないレベルのようで、区立の保育園に入園、その後は区立の小中学校の普通学級を卒業しました。
中学校卒業後は、横浜市のフリースクールに入学して5年間在籍します。
あべけん太さんは20歳で普通自動車運転免許を取得しており、このことからも、知的障害は軽度であることが分かりますね。
運転免許は実技試験は1発合格だったものの、学科試験ではひっかけ問題などに苦労したとのことで、55回目の受験で合格したそうです。
あべけん太の生い立ちなど経歴② IT企業に就職している
出典:jdss.or.jp
横浜のフリースクールに5年間在籍した後、あべけん太さんは21歳で区立知的障碍者就労支援センター入所し、職業訓練を受けました。
その間、就職活動をして11社連続で就職に失敗しますが、大手のIT関連企業に就職が決まったあべけん太さん。
総務部でデータ入力や郵便物の整理、オフィスの清掃などの仕事を行っています。その仕事ぶりは、上司からの評価も高いようです。
テンポ的には結構スローなんですけど確実にね、丁寧にさっきも言ったんですけど、スローになんだけどやってくれる。
仕事のスピードはゆっくりだけど、丁寧で確実性が高いということですね。
あべけん太さんも、仕事について「モットーは集中、より丁寧により確認、で、確認漏れがないように集中すること」と話しています。
あべけん太の生い立ちなど経歴③ バリバラなどメディア出演もしている
出典:downup.jp
あべけん太さんは23歳からIT関連企業で契約社員として働いていますが、同時進行でタレントとしても活動しています。
24歳の時に、NHKのEテレ『バリバラ』にダウン症初のお笑い芸人として初出演して、そこからバリバラはもちろん、それ以外のテレビにも積極的に出演していくようになりました。
またバリバラでは、自らインタビュアーとして街頭でインタビューをしたり、障碍者をテーマにしたドラマに出演したりしています。
あべけん太の家族① 父親
ダウン症のあべけん太さんが、このような幅広い活動ができているのは、家族のサポートがあるからこそだと思います。どのような家族なのかを調べてみました。
まず、あべけん太さんの父親は、現在もあべけん太さんと同居して、彼の活動をサポートしています。
けん太さんがダウン症と分かった時には、正直落ち込んだそうですが、その後は「1日1つだけけん太にとっていいことをしよう」と決めて、それを実行していったとのこと。
中学を卒業してからは、あべけん太さん自身にダウン症であることを告げて、自立を促していきました。
けん太さんのInstagramにも、たびたび登場しているお父様です。
あべけん太の家族② 母親は事故死していた…
あべけん太さんの母親は、2011年、けん太さんが24歳の時に事故で亡くなっています。
けん太さんにとって、お母様の突然の死は大きな衝撃だったとのこと。病院で腰が抜けてしまったそうです。
誰でも、母親が事故で突然亡くなったら、耐えられないほどの衝撃ですし、病院で腰が抜けるのは当然ですよね。
あべけん太さんは、毎日日記を書いていて、日記の最後には、「今日は一日楽しかった。」という一文で締めくくるそうですが、お母様が事故死した日もこの文で締めくくったそうです。
それは母親の事故死を理解していないのではなく、しっかり理解していて、そのショック・悲しみに耐えるために、気持ちを保つために、いつものルーティンをしっかり行ったとのことです。
あべけん太の家族③ 兄と姉
あべけん太さんには、8歳上のお姉さんと6歳上のお兄さんがいます。
お姉さんはキレイな方ですね。裏方役とのことで、あべけん太さんのインスタグラムにもあまり登場しません。
でも、あべけん太さんと仲が良く、小さい頃からけん太さんをものすごくかわいがったとのことです。この1枚の写真だけで、良い関係性であることがよくわかりますね。
そしてこちらが、あべけん太さんの6歳上のお兄さんです。
イケメンですね。あべけん太さんと同居していて、けん太さんの活動をサポートしています。健太さんのインスタグラムにもたびたび登場しています。
けん太さんのインスタグラムを見ていると、いかにけん太さんが家族から愛されているのかがよくわかります。とてもステキな家族ですね。
あべけん太の年収はどのくらい?
インターネットであべけん太さんを検索すると、あべけん太さんの年収を知りたい人が多いことが分かります。
しかし、あべけん太さんの年収は公式発表されていませんので、実際の金額は不明です。
ただ、大手IT関連企業で契約社員として働いているため、そちらの年収は約300万円くらいかと思われます。
そして、それ以外のタレント活動もしていますので、合計して年収は500万円以上はあると推測できます。
ダウン症についての講演活動を積極的に行っていますが、一般的な講演ではないので、そこまで講演料はないと思います。もしかしたら、ボランティア活動かもしれません。
だから、忙しく幅広い活動をしていて、メディア出演が多くても、一般的なタレントほどは稼いでいない可能性はありますね。
あべけん太の現在
あべけん太さんは、現在でも大手IT関連企業で契約社員として働いています。そして、その仕事と並行して、ダウン症の啓もう活動、タレント活動を行っています。
タレント活動、ダウン症の活動をすることで、多くの芸能人・有名人とも一緒に仕事をするようで、そのことは彼のインスタグラムから見てとることができます。
あべけん太さんは、横浜DeNAベイスターズのファンのようで、球場で応援をしている時もあります。
そしてそれが縁で、横浜DeNAベイスターズの監督であるラミレス監督とも交流があります。
ラミレス監督は、自身のお子さんがダウン症であることを公表しています。
また、『今日も一日、楽しかった』というエッセイ本を出版したり、絵を描くことが趣味で、「ギャラリー日比谷」で95歳の祖母と絵画の「二人展」を開催したこともあります。
まさに、ダウン症というハンディキャップを感じさせないような活躍、ダウン症・知的障害という枠を飛び越えた活躍をしている人です。
あべけん太さんは、これからも活動の幅を広げていくことでしょう。
まとめ
「ダウン症のイケメン」と自称するあべけん太さんのプロフィールや知的障害レベル、生い立ち、家族(父・母・兄・姉)、年収、現在をまとめましたが、いかがでしたか?
・IT企業の契約社員として働く傍ら、バリバラなどに出演し、幅広い活動をしている
・運転免許も持っている
・母は24歳の時に事故死している
・父・兄・姉とは仲が良い