田山恒彦さんは坂口杏里さんの父親で、元嫁の坂口良子さんとの再婚や離婚原因も話題です。
今回は田山恒彦さんの経歴や結婚歴、子供(娘や息子)、結婚した元嫁・坂口良子さんの死去と死因、がん闘病やその後など現在をまとめました。
この記事の目次
田山恒彦のプロフィール
生年月日:不明
出身地:不明
職業:不動産会社社長→不明
所属:不明
田山恒彦さんは、かつて不動産会社の社長を務めていた人物です。
今は亡き女優・坂口良子さんの元夫であり、元タレントで現在はYouTuberとして活動する坂口杏里さんの父親としても知られています。
田山恒彦の経歴:”地上げ屋”と呼ばれていた
田山恒彦さんは坂口良子さんとの結婚当時、不動産会社「本州興発」に勤務していました。
同社は当時、新宿ゴールデン街などを精力的に買収しており、一部では”地上げ屋”と称されていた会社でもあったようです。
そのため、世間からの心証はあまり良くなく、坂口良子さんが所属していた芸能事務所も交際にはあまり良い顔をしていなかったといいます。
田山恒彦さんは坂口良子さんが結婚した後、本州興発が政治献金・脱税の問題で経営危機に陥ると、田山恒彦さんは同社を退職しますが、警察の事情聴取を受けたと報じられています。
田山恒彦さんはのちに不動産会社「ヤシマ産業」を設立。本州興発と同じく”地上げ屋”と揶揄されていた会社で、1994年に倒産してしまったようです。
田山恒彦が結婚した元嫁は女優・坂口良子
田山恒彦さんは、1986年に19歳年下の女優・坂口良子さんと結婚しました。
坂口良子のプロフィール
生年月日:1955年10月23日
出身地:北海道
職業:役者
所属事務所:不明
“お嫁さんにしたい女優ナンバーワン”とも言われていた女優・坂口良子さん。
「坂口良子」は芸名で、本名は「尾崎良子」さんと言います。
坂口良子さんは北海道で育ち、小樽双葉女子学園高校(現在の双葉高等学校)に入学。その後、東京の堀越高校に転校し、同校を卒業しました。
1971年に「ミスセブンティーンコンテスト」で優勝したことを機に芸能界入りを果たし、翌1972年にシングル「あこがれ」で歌手デビューしています。
また、同じく1972年には、フジテレビ系ドラマ「アイちゃんが行く!」で初主演を務めて、女優として活動を開始。
その後、日本テレビ系ドラマ「前略おふくろ様」シリーズでブレイクし、1980年放送の日本テレビ系ドラマ「池中玄太80キロ」など、ドラマを中心に数多くの作品に出演しました。
特に、ホームドラマを得意とするテレビドラマプロデューサー・石井ふくこさんが手がける作品への出演が多く、”石井組”として知られていました。
映画においては、映画監督・市井崑さんの作品に出演することが多く、1976年公開の映画「犬神家の一族」や、1978年公開の映画「女王蜂」などに出演しています。
2010年以降になると、娘の坂口杏里さんとバラエティ番組でたびたび共演し、渋谷のど真ん中で親子喧嘩をしたエピソードを披露するなど、仲睦まじいやりとりが話題になりました。
2011年頃から体調を崩し、2013年3月27日に57歳という若さで死去。死因は、横行結腸がんおよび肺炎でした。
田山恒彦の結婚歴:元嫁・坂口良子とは再婚だった
田山恒彦さんは坂口良子さんと結婚する前に、2度の結婚・離婚をしていたことがわかっています。
つまり、坂口良子さんとは再々婚にあたります。
また、坂口良子さんと結婚当時、前妻との間にはすでに18歳となる娘がいたそうです。
田山恒彦と元嫁・坂口良子の子供:娘は元タレントの坂口杏里
田山恒彦さんと坂口良子さんの間には、男女1人ずつ2人の子供が誕生しています。
長女はタレントとして活躍したのち、YouTuberへと転身した坂口杏里さんです。
坂口杏里のプロフィール
生年月日:1991年3月3日
出身地:東京都
所属事務所:アヴィラ→不明
坂口杏里さんは堀越高校を卒業後、2世タレントの1人として芸能活動を開始し、母親で女優の坂口良子さんとバラエティ番組に出演して認知度がアップ。
2014年公開の映画「ハニー・フラッパーズ」では映画初主演を務め、2015年公演の舞台「刀神姫抄-TOUZINKIISHO-」に出演したりと女優としても活動しました。
女優やタレントとしてずっと活動していくと思われましたが、2016年3月に突如、所属していた芸能事務所「アヴィラ」を退社。
芸能界を引退した形となった坂口杏里さんはその後、キャバクラでホステスとして勤務し、話題になりました。
さらに同年10月、「ANRI」名義でAV「芸能人ANRI What a day!!」を発売してセクシー女優デビュー。また翌月にはヘアヌード写真集「What a day!!」を発売しています。
職を転々とする迷走っぷりで注目されていた2017年4月、知人のホストから3万円を脅し取ろうとした容疑で逮捕され、とうとう警察沙汰になったとまた世間を騒がせました。
ただ、この件に関しては不起訴処分になっています。
その後、六本木の高級キャバクラに所属してNo.1キャバ嬢として活躍していたようですが、店側とトラブルを起こし、そのまま退店してしまったようです。
現在はYouTuberとして活動する一方、格闘家で新宿・歌舞伎町のバーの店長である進一さんと結婚し、夫婦喧嘩をしつつも、ラブラブな様子をインスタに投稿しています。
田山恒彦と元嫁・坂口良子の子供:長男の詳細は不明
田山恒彦さんには1989年に誕生した息子もいますが、一般人のため詳細は不明です。
なお、ネットでは「慶応義塾大学出身」「医者」といった情報もささやかれているようですが、いずれも根拠が提示されておらず、信憑性は高くないでしょう。
田山恒彦と元嫁・坂口良子の離婚原因はお金
坂口良子さんは同年に離婚会見を開き、バブル崩壊による借金苦がきっかけとなり、夫である田山恒彦さんに対する信頼感がなくなったと語りました。
離婚の原因について、バブル崩壊に伴う借金苦に端を発した、と説明。夫が関係する建設会社が多額の負債を抱え、それを肩代わりしたため、負債が10億円にも。結果、夫の会社や自宅は金融機関や債権者から差し押さえられ、競売にかけられる予定である、と語った。「お金のことは直接結び付かないと自分自身に言い聞かせていますが、主人に対する信頼感がなくなってしまったことは確かです」
坂口良子さんは夫の連帯保証人であったほか、田山恒彦さんが坂口良子さん名義で勝手な契約や取引を行っていたといいます。
そして、最終的に田山恒彦さんが作った約40億円もの借金を全て坂口良子さんが背負い込む形となってしまいました。
その後、坂口良子さんは全額を10年かけて完済したといいます。
田山恒彦は元嫁・坂口良子との離婚後に再婚した?
田山恒彦さんは一般人のため、坂口良子さんと離婚後、再婚したかどうかは具体的な情報が出てきませんでした。
一方、元嫁・坂口良子さんは、2012年にプロゴルファー・尾崎健夫さんと再婚し、尾崎さんの故郷である徳島県で披露宴を執り行っています。
実は、入籍するまで約10年間にわたり事実婚の関係にあったようで、坂口良子さんが2011年頃から体調を崩してからは、尾崎健夫さんが懸命に看病を続けていました。
しかし、入籍してからわずか7ヵ月後に坂口良子さんは死去しています。
坂口良子さんがまだ存命の頃は、尾崎健夫さんと娘の坂口杏里の関係は良好で、入籍後には3人でテレビ番組にも出演しています。
しかし、尾崎健夫さんは坂口良子さんの子供たちとは養子縁組をしておらず、坂口良子さんが亡くなった現在は、疎遠になっているようです。
尾崎健夫のプロフィール
生年月日:1954年1月9日
出身地:徳島県
職業:プロゴルファー
所属:不明
尾崎健夫さんは、ドライバーショットがまるでジェット機のようだと、「ジェット尾崎」の愛称で親しまれているプロゴルファーです。
兄は「ジャンボ尾崎」こと尾崎将司さん、弟は「ジョー尾崎」こと尾崎直道さんというプロゴルファー兄弟としても有名でした。
また、尾崎健夫さんはもともと高校球児で、1971年には投手として徳島大会で優勝した実績を持っています。
ドラフト会議では、プロ野球球団「ヤクルトアトムズ(現在のヤクルトスワローズ)」から3位指名されるという実力の持ち主でした。
ゴルフは18歳から始め、1975年にツアープレイヤーとなり、1976年のフィリピンオープンでツアーデビュー。
これまでに「フジサンケイクラシック」、「ゴルフ日本シリーズ」、「ファンケルクラシック」などのツアーで度々優勝を飾っています。
田山恒彦の現在:2015年に娘・坂口杏里と再会した情報が最後
田山恒彦さんは晩年、がんを患って入院していました。
坂口杏里さんは当時所属していた芸能事務所からその事実を聞かされたそうですが、「母親を苦しめてどん底まで追いやった人間の顔なんてみたくない」と、お見舞いに行かなかったそう。
その一方で「私が生きているのは、両親が私と兄を産んでくれたから」とも思うようになり、再会を決意。
そして2015年、2人は田山恒彦さんの病室で20年ぶりに再会しました。
坂口杏里さんは、病気によって代わり果てた田山恒彦さんの姿に、母親の坂口良子さんの闘病中の姿が重なったためか、号泣してしまったそうです。
ママを苦しめて苦しめてどん底までやった人間の顔なんか見るかって、病院行くことと悩んでたんだけど悩んで考えた結果、私が今こうして生きてるのもママとお父さんが私とお兄ちゃんを産んでくれたからだって思ったらお父さんが亡くなって後悔するならちゃんと顔見て産んでくれてありがとうって泣きながら紙に書いてた。20年ぶりに会ったんだもん。ずっと伝えたかった言葉。
引用:癌
田山恒彦さんがその後、がんを克服したかどうかの情報はありませんでした。そのため、生死も不明です。
もしまだ存命中なら、2022年で84歳となっていると思われます。
田山恒彦の娘・坂口杏里の現在① ストリッパー・デリヘル嬢に
ここからは、田山恒彦さんの娘である坂口杏里さんの現在について、見ていきましょう。
坂口杏里さんは2018年、「ANRI」名義でストリッパーとしてデビューすると報じられていましたが、直前にキャンセルとなりました。
その後、新宿のデリヘル「輝き」で「坂口杏里」名義で勤務していることを告知。
さらに、神戸のデリヘル「クリスタル」、渋谷のデリヘル「デリヘル東京」に勤務していることと明かしており、風俗店を転々としている状況が明らかになりました。
田山恒彦の娘・坂口杏里の現在② 再逮捕される
坂口杏里さんは2019年に再び逮捕されています。
2017年の逮捕騒動の被害者で、かつての交際相手だったホストの男性の自宅マンションに侵入した容疑でした。こちらもその後、不起訴となっています。
元交際相手の飲食店従業員30代男性が住むマンションに侵入したとして、8月28日に逮捕された坂口杏里容疑者。警視庁によると、坂口容疑者は元交際相手と28日朝まで飲酒し、その後タクシーに同乗。男性は自宅マンション前でタクシーを降りたが、坂口容疑者は男性に拒まれたにもかかわらず後を追いかけたという。
また、再逮捕が報じられた際、坂口杏里さんの本名が「野沢瑞恵」であることが判明。
母親が坂口、父親が田山、継父も尾崎であることがら「野沢」という名字であることが大きな話題を呼びました。
結論としては、坂口良子さんの旧姓が”野沢”だったようです。
田山恒彦の娘・坂口杏里の現在③ トランスジェンダーの男性と結婚
坂口杏里さんは2022年6月8日、インスタグラムのストーリーズで結婚を報告しました。
結婚相手は同い年で、新宿・歌舞伎町のバーを経営しながら格闘家としても活動する「進一さん」です。
進一さんは性転換と戸籍変更によって、女性から男性となったトランスジェンダー(FtM)でもあります。
坂口杏里さんは結婚報告の際、「幸せな結婚生活を送りたい」と綴っていましたが、結婚からわずか1ヵ月後の7月、夫への不満とともに離婚を宣言。
「そろそろ世間の印象くずしたろっか 黙っていることに我慢の限界 まじでいい旦那アピールやめなぁ」と、夫に対しイラつく様子を見せ、さらにその後、「金銭面、だらしない」「人の痛みがわからない人です」といった辛辣な言葉のほか、夫が勤める店での金銭トラブルを示唆する投稿を長文でつづったのだ。
しばらくして発言を撤回していますが、本人曰く「我慢してため込むタイプ」らしく、我慢した結果、感情が爆発した勢いでストーリーを投稿してしまったそう。
ただ、現在は仲直りしたようで、2人でYouTubeチャンネル「坂口杏里と旦那の日常」を開設。夫婦YouTuberとしての活動を開始しました。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=xEhXfguJZcE]
進一のプロフィール
生年月日:不明(坂口杏里と同い年)
出身地:東京都
職業:会社員→格闘家・経営者
所属:不明
坂口杏里の夫・進一さんは、父親が日本人、母親がフィリピンとアメリカのミックス。さらには、母方の祖父がフィリピンとスペインのミックスなのだそうです。
保育園や小学生の頃から自身の性別に違和感を覚えるようになり、高校生の時に男性として生きることを決意したといいます。
そして、19歳頃から働きながら男性ホルモンの投与や改名などを行い、徐々に制度的にも身体的にも性別を男性へと近づけていきました。
25歳には戸籍を男性に修正し、当時お付き合いしていた女性と結婚。結婚直後には朝日放送系バラエティ番組「新婚さんいらっしゃい!」にも出演しています。
その後、営業職を経て夜の街で働くようになり、現在経営しているバーをオープンしました。
格闘家となったのは、2021年に友人に誘われてキックボクシングを始めたのがきっかけで、ホストによる格闘技イベント「宴 -UTAGE」に出場。
初出場ながら勝利を収めており、翌年の同大会では妻となった坂口杏里さんがセコンドを務めて話題を呼びました。
しかし、進一さんは格闘技に専念する気はないと語っています。
僕はあくまで店の人間なので。僕のメインディッシュは、このバーだから。店をやりながらプロの格闘家ってのもあるんだろうけど、どっちつかずみたいだと他のプロ選手の方たちに失礼になっちゃうでしょ。やるんだったら、店を捨ててやるくらいじゃないと。水商売を極めてすらいないから、それはないですね。ただ、これからFtMの格闘家や選手はどんどん出てきてほしいですね。その道は僕が作ったんで。
引用:「女性器は使わせねぇ派だった。でも、実用してみたら“ほー”って」トランスジェンダー格闘家(31)が語る、性別を変えて生まれた“性への探求心”
坂口杏里夫妻の馴れ初め
坂口杏里さんと夫の進一さんは、進一さんが経営するバーで出会いました。
当時の坂口杏里さんは不眠症のような状態で、進一さんのバーが朝までやっていたことから何度か通い、すぐに意気投合したそう。
また、坂口杏里さんは2020年頃に監禁事件に遭ったといい、1人で寝る恐怖心から進一さんの家に宿泊させてもらえないかと持ちかけたといいます。
当初、進一さんは興味本位でOKしたそうですが、のちに監禁の件を知り「ここにいればいい」と居場所を提供したのです。
その後、坂口杏里さんが進一さんに惹かれ、猛アピール。しかし、すぐに交際には至らず、家を出る出ないで揉めたことをきっかけに、進一さんから交際を申し入れたといいます。
進一さんは坂口さんとのやりとりで「あっ、俺はもうこの子と交際しないとダメだ」と感じ、結婚願望が強かったという坂口さんと交際するにあたり「いつでも入籍できる覚悟を持って、もうほんとに告白するつもりで迎えに行って、戻ってきた時に『わかったから、俺と付き合って俺と住め』と伝えたって感じですね」と振り返った。
その際、坂口杏里さんに「男は口だけ」と言われたそうで、口だけじゃないことを証明するためにその場で結婚を決意。交際からわずか2ヵ月というスピード入籍となりました。
母親の坂口良子さんを亡くしてから、寂しい思いをしてきたと思われる坂口杏里さん。今度こそ、心穏やかに進一さんと幸せな家庭を築いてほしいものです。
田山恒彦さんが存命でも、たとえ存命でなくても、きっと娘の幸せを願って今回の結婚を応援してくれるのではないでしょうか。
まとめ
田山恒彦さんはかつて不動産会社に勤めていた男性で、1986年に19歳年下の女優・坂口良子さんと結婚したことで有名になりました。
坂口良子さんとは再々婚で、長男と長女が誕生するものの、1994年に離婚しています。
バブル崩壊により田山恒彦さんが経営していた不動産会社が立ち行かなくなったことがきっかけとなり、田山恒彦さんの立ち振る舞いに坂口良子さんが不信感を抱いたのが離婚の原因でした。
また、田山恒彦さんは多額の借金を作っており、離婚時にその借金を坂口良子さんがまるまる背負う形になってしまったそうです。
その総額は40億円にものぼりましたが、坂口良子さんは10年かけて完済しました。
娘である元タレント・坂口杏里さんはその苦労を間近に感じており、母親をそのような事態に貶めた父親の田山恒彦さんを恨んでいたといいます。
田山恒彦さんはその後にがんを患い、入院したことがきっかけで坂口杏里さんと20年ぶりに再会。
坂口杏里さんは父親を憎みつつも、病に倒れた母親とその姿を重ね合わせ、手を握りながら号泣したと伝えられています。
なお、以降の田山恒彦さんの病状や動向については明かされておらず、詳細は不明です。
その一方で、坂口杏里さんは度々世間の注目を集めており、話題に事欠きません。
2022年には結婚もしており、父親である田山恒彦さんがどのくらい坂口杏里さんについて知っているのか、はたまた今も存命なのか、坂口杏里さんが今後明かすことはあるのでしょうか。
新しい情報が出ることに期待しましょう。