1993年1月に発生した「山形マット死事件」はその悲惨ないじめ内容はもちろん、現在の加害者の現在の態度も悪質だと話題です。
今回は山形マット死事件の概要、被害者がいじめられた背景、加害者のその後や現在をまとめました。
この記事の目次
「山形マット死事件」とは
「山形マット死事件」とは、1993年1月13日に山形県新庄市立明倫中学校で、当時13歳の中学1年生・児玉有平さんが上級生や同級生によるいじめの末に殺害された死亡事件です。
児玉有平さんの遺体が、体育館の体育用具室に縦に丸めて立てられたマットに頭を下にした逆さの状態で包まれて発見されたことから、俗に「山形マット死事件」と呼ばれています。
この他にも「マット死事件」「マット事件」「明倫中事件」などとも呼ばれ、少年法改正への気運を醸成した象徴的事件として、今日でも度々取り沙汰されているようです。
出典:http://blog.ap.teacup.com/
「山形マット死事件」の概要
「山形マット死事件」が発覚したのは、1993年1月13日の午後8時過ぎのことでした。
「見つかりました!有平君が”逆さ吊り”になって見つかりました」
普段ならとっくに帰宅しているはずの時間に、児玉有平さんの姿が見えなかったことから、心配した両親が学校へ連絡し、心当たりの場所を探していたところ、学校から入った第一報でした。
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すぐに学校に駆けつけた両親は、児玉有平さんの亡骸と対面します。
ですが、長時間逆さで放置されていたことから、児玉有平さんの顔は鬱血し、無残にも倍ほどの大きさにパンパンに腫れ上がっており、すぐには両親ですら判別できないほどだったそうです。
司法解剖の結果、児玉有平さんの死因は「胸部圧迫による窒息死」でした。
5日後の児玉有平さんの葬儀の日でもある1月18日、山形県警は傷害及び監禁致死の容疑で、児玉有平さんに暴行した当時14歳の上級生3人を逮捕、当時13歳の同級生4人を補導しました。
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当初、山形県警の事情聴取に対し、7人の少年全員がそれぞれ犯行を全面的に認めていたのですが、その後、1月25日には早くも供述を覆す少年が現れ始めます。
そして、少年1人を除く6人が次々と否認し始めることに…。
その後の裁判では、被告少年側の弁護団は「自白は警察に強要されたもの」として無罪を主張し、検察・被害者遺族側と真っ向対決の様相を呈しました。
「山形マット死事件」で被害者がいじめられた背景~一家で村八分状態だった
「山形マット死事件」の被害者である児玉有平さんは、幼稚園を経営する児玉家の次男とした誕生しました。
そもそも児玉さん一家は、事件の約15年前に都会から新庄市に引っ越してきました。
ただ、事件当時の児玉有平さんは13歳なので、児玉有平さん自身は純粋な山形県新庄市出身だと言えるんですよね。
ただ、児玉有平さんのご両親は、新庄市に引っ越してきてからも標準語を話し続けていたことから、必然的にその子供である児玉有平さんとお兄さんも、標準語を話していたそうです。
また、父親が幼稚園を経営する裕福な家庭だったことから、被害者家族は周りからは常に“よそ者”として見られており、半ば村八分のような扱いを受けていたと言われています。
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そして、その矛先は児玉家の息子たちにも向かい、児玉有平さん小学校の高学年頃からいじめの対象になっていたようです。
なお、児玉有平さんに対するいじめについては、次のようなエピソードが見つかりました。
1992年夏頃、部活動でいじめられた経験のある兄(中3)が、「部活でいじめられていないか」と有平くんに尋ねると、有平くんは「いじめられてもギャグを言って切り抜けているから大丈夫」と答えていた。
1992年9月 集団宿泊研修から、有平くんが顔を腫らして帰宅したため、家族が学校に「いじめられているのでは」と相談。学校側は有平くんから事情を聴くが、いじめられたことを認めなかったため放置。
引用:山形マット死事件 http://yabusaka.moo.jp/
特に、「山形マット死事件」の舞台となった新庄市は、昔ながらの強い“ムラ”的な人間関係に支配されていると言われていました。
そして、「山形マット死事件」が起こった時にも、マスコミの取材に対してかん口令が敷かれたり、口裏合わせのようなものもあったようです。
また、そんな敵意はマスコミに対してだけではなく、なんと被害者遺族に対しても向けられていたようなんですよね。
児玉家の家の塀に「殺してやる」と落書きをされる。「あそこの育て方なら当然」「ケンカ両成敗、いじめられるには、それなりの理由がある」と言われる。有平君の兄は、通学途中に生徒から、「おまえ、弟が殺されてよく平気で外を歩けるな」と言われ、妹も数人に取り囲まれ、「兄ちゃん、殺されてうれしいか」と言われる。
引用:山形マット死事件 http://yabusaka.moo.jp/
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「山形マット死事件」の加害者少年7人の裁判の経緯
加害者少年7人の有罪判決が確定するまで
「山形マット死事件」の犯人とされた7人の被告少年は、山形県警の事情聴取の際には、当初7人全員が容疑を認めていたと言います。
しかし、加害者少年が担当弁護士と接見するようになった途端に、供述は一変しました。
被告少年のうち児童相談所に送致された1人を除く6人が、自供を「あれは嘘でした」と撤回し、事件には一切関わっていないと犯行を否認し始めたのです。
さらに当初はおくびにも出さなかった、事件当時のアリバイを主張し始めたり、中には被害者である児玉有平さんのことを知らないと言うものまで現れる始末。
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やがて、担当弁護士の空想は膨らみ、遂には「児玉有平さんの死は、有平さんが自らマットに潜って誤って死んだもの」という事故説まで振りかざすようになったと言います。
そんな被告少年らの主張に対し、山形家庭裁判所は1993年8月23日、主犯格の少年を含む、上級生3人に対しては監護措置の末、不処分の決定が下され、事実上の無罪が言い渡されました。
但し、その一方で同級生の3人には無罪は認められず、1993年9月14日に2人を初等少年院送致、もう1人の同級生に対しては教護院送致の処分が下されました。
もちろん、この同級生3人の弁護団は、この処分を不服として即座に仙台高等裁判所に特別抗告を申し立てますが、仙台高裁は3人の主張するアリバイは認められないとこれを棄却しました。
さらに弁護団は最高裁判所に再抗告しますが、これも棄却されています。
その後、1994年にはようやく被告少年7人全員の有罪・保護処分が確定していますが、それでも被告少年側は、児玉有平さんは事故死という無理ある主張を取り下げようとしませんでした。
加害者少年7人は民事訴訟でも敗訴
「山形マット死事件」の加害者少年7人全員への有罪判決に対して、まだ諦めきれない弁護団は、児玉有平さんの事故死を主張して、山形地方裁判所に提訴しています。
しかし、1995年に被害者・児玉有平さんのご両親が、加害者少年7人と新庄市に1億9400万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こします。
すると、加害者少年の弁護団は、民事訴訟での心証が悪くなると見たからでしょうか、山形地裁への先の提訴を取り下げています。
一旦はダメ元で無罪を取りにいくも、多額の損害賠償を支払うリスクが上がると見るや、「やっぱ有罪のままでいいです」って感じでしょうか。
被害者・児玉有平さんのご両親が起こした民事訴訟に対し、山形地裁は2002年3月19日に、なぜか事件性を認められないとの理由で訴えを退けますが、ご両親はすかさず仙台高裁に控訴。
すると仙台高裁は2004年5月28日、一審判決を取り消して、被告少年7人に対して5,760万円の支払い命令を下します。
これを不服として被告少年側は最高裁に上告するも、翌2005年に棄却され、判決が確定しています。
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が、しかし!
これだけの法廷闘争を繰り広げておきながら、加害者少年らとその両親は、現在まで一銭たりとも支払命令に応じていないようです。
「山形マット死事件」の加害者少年の現在
「山形マット死事件」で児玉有平さんを無残にも殺害した7人の加害者たちは、現在既に30代になっており、7人のうち5人は結婚し、3人は子供までいると言われています。
児玉有平さんのご両親は、犯人少年たちが結婚して子供を持ったら、事件の悲惨さをに気づき、罪を悔いて反省してくれるのではないか?そんな淡い期待をお持ちだったようです。
しかし、2019年現在、7人の加害者のうち誰1人として、裁判所から命じられた賠償金の支払いに応じようとしないばかりか、謝罪の言葉すらないようです。
「当時、犯人たちは20代半ばでした。弁護士とこんな話をしたのを覚えています。『まだ彼らも若いから、判決を受けても罪の実感はわかないかもしれない。でもこれから結婚して、自分たちの子供が生まれたら、子供を失った親の悲しみを理解してくれるようになるかもしれない。彼らが反省して謝りに来るのを待とう』。私もそして家内もその日をずっと待っていました。しかし10年もたとうとしているのに、彼らの誰一人として謝りにくるどころか、賠償金を払うそぶりも見せなかったのです。でも私たちは、裁判結果を無にしてしまうことはできません。もし、そんなことになったら、天国の有平も浮かばれません」
引用:賠償金も謝罪もなし「山形中1マット死」被害者父語る無念 | 女性自身 https://jisin.jp/
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そんな児玉昭平さんは現在、弁護士を通して7人の加害者に対して、支払の督促状を送り、勤務先が分かった相手に対しては給料の差し押さえという強行措置を取ったそうです。
児玉さんは弁護士と相談して、督促状を送ったうえ、勤務先が判明した者の給料を差し押さえることにした。
「また勤務先が不明だった者も2~3名おり、その分は差し押さえ措置もできなかったので、今年1月に再び提訴しました。なぜ判決から10年以上たったいま?そう疑問を持った方もいたかもしれませんが、私たちも急に提訴にふみきったわけではないのです」
7人の“元少年”は、いまは30代の働き盛り。5人は結婚し、そのうち3人には子供もいるという。
「なぜ父親になったのに、彼らには罪の自覚が芽生えないのでしょうか……。本当に彼らは更生したのでしょうか? 彼らへの矯正教育がもっと徹底していたら、賠償金を払わないなんてことはなかったのではないかと思います」
引用:賠償金も謝罪もなし「山形中1マット死」被害者父語る無念 | 女性自身 https://jisin.jp/
「山形マット死事件」に対するネットの声は?
最後に、「山形マット死事件」に対するネットの声を集めてみました。
山形マット死事件、こんなことになっていたのか。少年審で蚊帳の外に置かれた遺族は民事訴訟を起こす。元少年7人全員に賠償を命じた判決が確定したが賠償金は支払われず。民法の規定で10年で判決が時効になる前に遺族は給与差押えたという。賠償判決に時効があるなんて…。 pic.twitter.com/lYsFXmuC2X
— ミスターK (@arapanman) 2018年10月19日
最も残虐というのは同意ですが、私は「山形マット死事件」(https://t.co/d7fwREUEng)が違う意味で一番残酷だと思います。加害者の親たちが謝りもせず、損害賠償も1円も払わないどころか、町の人もいじめられるには、それなりの理由がある」被害者の妹に「兄ちゃん、殺されてうれしいか」と言ったり
— クロシェ (@cloche019) 2019年3月6日
山形県のマット死事件も、日本人同士で、いじめ、集団暴行、殺害、隠蔽、子供が亡くなった家族への迫害がありましたからね。
— クロシェ (@cloche019) 2019年4月23日
理由を探して少しでも違うのをいじめの標的にするんだと思います。 pic.twitter.com/rBqYB4u3ky
RT、山形出身の先輩いるけど、マット死事件はまじで地元でタブーらしい。事件起こした親が地元の有力者だからね…
— 統合の失調(てすら) (@Kohler_volnt) 2018年10月20日
ネットの中傷に限らず、被害者側は相当な時間と労力と費用をかけざるを得ない一方で、加害者側は(今回の記事で言えば)訴状を無視したり、山形マット死事件のように賠償金の支払いをしなかったり(→時効中断を求めて遺族が提訴)と、逃げ道がいっぱいある。少しずつでも、逃げ道を塞いでほしい。 >RT
— サトシ (@3104diary) 2019年7月26日
コンクリ、北九州監禁、名古屋アベックは人間の中の論外中の論外がやった事件だと思いますが、個人的には山形マット死事件こそたとえ世界が滅びようとも風化させてはいけない事件だと思ってます。
— 谷山灯夜 (@naz8_8) 2018年8月26日
検索したら「どういう顛末になったか」で「ふつうの人たちの恐ろしさ」に軽く絶望できます。
山形マット死事件では
— 映画『許された子どもたち』 (@fusyobun) 2017年6月20日
死亡した生徒宅の壁に「殺してやる」と落書きがされたり、
兄弟が「殺されてうれしいか」と暴言を浴びせられたり、
「あそこの育て方なら当然」「いじめられるには、それなりの理由がある」と地域で振りまかれたり、
地域ぐるみでの被害者中傷があったと指摘された。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
1993年1月に発生した「山形マット死事件」について、概要と被害者の児玉有平さんが7人の加害者少年からいじめを受けていた背景と、その後の裁判の経緯と現在をまとめました。
被害者遺族からの損害賠償請求も無視を決め込み、なんと謝罪すらしていないという加害者たちが現在はのうのうと生きている、さらには親にもなっているという事実には驚きです。
最後に、この事件でお亡くなりになった児玉有平さんのご冥福をお祈りいたします。