東電OL殺人事件を覚えていますか?1997年3月9日に渋谷の円山町で起こった殺人事件で、被害者の一流企業OLが売春をしていたというセンセーショナルな事件でした。そして、冤罪の悲劇を生んだ事件でもあります。
東電OL殺人事件の概要や被害者の渡辺泰子さんと父親・母親について、真相や真犯人についてをまとめました。
この記事の目次
東電OL殺人事件とは
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東電OL殺人事件とは、1997年3月9日に渋谷の円山町で起こった殺人事件です。
・場所:渋谷の円山町にあるアパートの1室
・被害者:東京電力社員の渡辺泰子さん(39歳)
・死因:絞殺
被害者の渡辺泰子さんが遺体で発見されたアパートの1室は、ネパール料理店のオーナーが経営するアパートで、いわゆる「ボロアパート」でした。とても東京電力のエリート社員が出入りするような建物ではありません。
通報したのは、そのアパートの経営者がオーナーを務めるネパール料理店の店長でした。
この事件は東京電力の社員が売春していたことが判明し、センセーショナルな事件としてマスコミに取り上げられました。
そして、渡辺泰子さんの売春の客の1人であったネパール人のゴビンダ・プラサド・マイナリさんが逮捕されています。しかし、このネパール人のゴビンダさんは、冤罪であったことが判明し、2012年に無罪が確定して、ネパールに帰国しています。
東電OL殺人事件の被害者の渡辺泰子さん
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東電OL殺人事件の被害者である渡辺泰子さんについて、どんな人だったのかを見ていきましょう。被害者の渡辺泰子さんは、2つの顔を持つ人物であり、ストレスから心のバランスを崩していたようなんです。
東電初の女性総合職のエリート
東電OL殺人事件の被害者である渡辺泰子さんは、エリート街道を歩んでいた人でした。1980年に慶應義塾大学経済学部を卒業し、東京電力に入社します。当時は、東京電力初の女性総合職のエリートでした。
そして、31歳でシンクタンクの日本リサーチ総合研究所に出向し、35歳で東京電力本社に戻ります。本社に戻り、1993年には企画部経済調査室副長に昇進し、東京電力の女性初の管理職になりました。
企画部調査課では熱心にレポート・報告書を作成し、29歳の時には高橋亀吉記念賞で佳作を受賞し、高い評価を受けています。東京電力にいながらも、原子力発電の危険性を指摘し、地熱発電に移行するように訴えていました。
事件当時の渡辺さんの年収は、軽く1000万円を超えていたと言われています。
ストレスで拒食症になっていた
被害者の渡辺泰子さんは、エリート街道を歩んでいましたが、順風満帆というわけではありませんでした。
彼女は28歳の頃に拒食症を患い、入院しています。拒食症になった理由は、東大卒の同期女性社員に社内評価で負けたためと言われていますので、相当出世欲が強かったことが伺えます。
一度は拒食症を克服したようですが、事件当時はまた拒食症を患っていたようです。コンビニ店員の証言によると、おでんではこんにゃくなどの低カロリーの具材を選び、汁を容器にたっぷり注いで飲み干していたそうです。
また、逮捕されたゴビンダさんによると、「骨と皮だけ」の状態だったとのことですので、拒食症を再発していたと推測することができます。
出向後に水商売や風俗のバイトを始める
慶応義塾大学卒で女性初の総合職としてバリバリ仕事をしていた渡辺さんですが、31歳の時にシンクタンクの日本リサーチ総合研究所に出向します。
このころから、水商売や風俗のバイトを始めたようです。最初はクラブホステスのバイトをしていましたが、派遣型風俗店の「マゾッ娘宅配便」に所属するようになります。この風俗店ではSMプレイなどをしていて、ベッドに汚物をまき散らしたこともあって、ラブホテルを出禁になったこともあるようです。
ただ、風俗嬢は派手なメイクや服装をするものですが、この当時の渡辺泰子さんはすっぴんに近いナチュラルメイクで、風俗嬢っぽくはなかったとのことです。
渋谷の円山町で「立ちんぼ」をしていた
風俗店でバイトをしながらも、渋谷の円山町で立ちんぼをするようになります。最初は2万5000円~3万円程度の値段でしたが、どんどん値段が下がっていき、最後は2000~3000円で売春するようになりました。
渋谷のラブホテル街に立ち、「私とセックスしませんか?1回5000円です」のように行きかう男性に声をかけ続けていました。
奇行が目立つがルーティンの生活をしていた
最初は地味なメイクで風俗店のバイトをしていた被害者の渡辺泰子さんですが、立ちんぼをするようになると、退勤後は渋谷の109のトイレで立ちんぼ用のメイクをし、かつらをかぶります。青いアイシャドウを塗り、口紅ははみ出すくらいに塗りたくっていて、長い髪のかつらをしてから、円山町に向かったとのことです。
また、事件前には奇行が目立つようになり、路上で放尿をしたりすることもあったようです。また、ラブホテルではなく、公衆トイレや駐車場、路地裏などで性行為に及ぶこともありました。
彼女は1日4人の客を取ることを自分にノルマとして課していたと言われています。しかし、退勤後から渋谷の路上に立ち、男性に「セックスしませんか?」と声をかけ続けても、必ず井の頭線の最終電車に乗って帰宅していたとのことです。
「1日4人と売春をして、最終電車に乗って帰宅する」というルーティンの生活を送っていたようです。
ただ、ここまで読んでいるとわかると思いますが、そのルーティンの内容がはっきり言って異常ですよね。
昼は東京電力の管理職としてバリバリ働き、夜は渋谷の円山町で1日4人の客を取る。そして、土曜日は派遣型風俗店の「マゾッ娘宅配便」で客を取る。
昼と夜では全く違う顔を持ち、精神的に不安定な状態であり、ある意味ギリギリのところで踏みとどまっていた被害者は、1997年3月9日に事件に巻き込まれてしまうのです。
東電OL殺人事件の被害者の父親・母親
父親
被害者の渡辺泰子さんの父親は、渡辺泰子さんと同じ東京電力の社員でした。父親は1949年に東京大学工学部を卒業し、東京電力に入社します。将来の幹部候補として期待されていましたが、原子力発電の危険性を指摘したために、降格させられたと言われています。
そして、52歳の若さでガンで亡くなっています。
渡辺泰子さんは父親の遺志を受け継ぎ、原発の危険性を指摘するレポートを作成し、会社に報告していました。
母親
渡辺泰子さんの母親は、日本女子大学卒で、母親の兄弟はみんな国立大学卒の医師なので、エリート一家の出身です。彼女が売春をしていたことを知っていたと言われています。
東電OL殺人事件の発生から逮捕までの流れ
東電OL殺人事件の発生から逮捕までの流れを見ていきましょう。
事件当日の被害者の行動
事件当日の被害者の渡辺さんの行動を時系列で追っていきましょう。
■昼頃
五反田にある「マゾッ娘宅配便」に出勤するも、1人も客が付かなかった
■17時30分頃
「マゾッ娘宅配便」を退店し、渋谷に向かう
■18時40分頃
常連の初老の男性と渋谷駅前で待ち合わせをして、渋谷のラブホテル街に向かう。代金は3万5000円だったとのこと。
■22時20分頃
ラブホテルを出て、いったん神泉駅方面に向かうも、また道玄坂に戻り、売春をするために通りすがりの男性に「セックスしませんか?」と声をかけていく。
■23時00分頃
黒いジャンパーを着た男性と円山町へ歩いていくのを目撃されている。
■23時45分頃
黒と白のジャンパーを着た外国人風の男性と一緒にいるところを遺体発見現場のアパート「喜寿荘」前で目撃されている
遺体発見から逮捕まで
1997年3月8日の23時45分を最後に、被害者の渡辺泰子さんは行方不明になります。そして、遺体が発見されたのは、それから10日後の3月19日のことです。
発見したのはネパール料理店の雇われ店長をしていたネパール人です。
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そして、遺体発見から約2ヶ月後に、遺体発見現場の「喜寿荘」の隣に住む不法滞在のネパール人「ゴビンダ・プラサド・マイナリ」さんが逮捕されました。
遺体発見現場である「喜寿荘」101号室は1996年8月までは、ネパール人が住んでいましたが、その後は空き部屋になっており、電気やガスも止められていたようです。
ただ、その部屋は隣に住むネパール人が買春をする時に使われていたようです。合い鍵を勝手に作って、入室できるようにしていたという証言があります。
ゴビンダさんが逮捕された理由
ゴビンダさんが逮捕されたのは、遺体発見現場の「喜寿荘」101号室から、ゴビンダさんのDNAが発見されたためです。部屋の中からはゴビンダさんの体毛が見つかり、さらに精液が付いたコンドームが見つかりました。
ゴビンダさんは殺害はしていませんが、被害者と性交渉をしたことはありました。それを「性交渉はしていない」と嘘をついたために、警察の心証が悪くなったのかもしれません。
渡辺さんの最後の売春の客がゴビンダさんであり、ゴビンダさんが渡辺さんを殺害したと警察は決めつけて、逮捕となりました。
東電OL殺人事件で逮捕されたゴビンダさんは冤罪
ネパール人のゴビンダさん
東電OL殺人事件で逮捕されたゴビンダさんは、ネパール人です。ネパールに妻子を残して、日本に出稼ぎに来ていました。
事件当時は、千葉県の海浜幕張にあるインド料理屋「幕張マハラジャ」で働いていました。
ただ、ゴビンダさんは不法滞在でした。90日間有効の短期滞在ビザで来日しましたが、90日を過ぎてもネパールに帰らず、ビザの延長申請をすることもなく、日本で働き続け、ネパールの家族に送金していたようです。
ゴビンダさんは1994年2月に来日していますので、3年以上も不法滞在をしていたことになります。
そのため、ゴビンダさんは入管難民法違反で逮捕され、起訴されます。その後、強盗殺人容疑で再逮捕されることになりました。
ゴビンダさんは冤罪だった
ゴビンダさんは、1審では無罪判決を言い渡されますが、検察側は控訴し、控訴審・上告審では無期懲役の判決を受けることになりました。
しかし、最高裁の判決後、再審請求を行います。遺体から採取された体液はゴビンダさんのものではないことが判明し、無罪判決を勝ち取りました。ゴビンダさんが逮捕されてから、無罪判決を得るまで15年の月日が流れました。
ゴビンダさんは冤罪によって15年という長い年月を無駄に過ごしてしまったのです。
不当な捜査が行われた
東電OL殺人事件では、ゴビンダさんが逮捕されましたが、冤罪であり、結局は無罪判決となっています。
・ゴビンダさんはアパートの鍵を持っていなかった
・10日間も自分が殺害した遺体がある隣で生活しているのはおかしい
・被害者の定期券が巣鴨で発見されるが、ゴビンダさんは巣鴨に土地勘がなかった
遺体から検出されたDNAや血液型がゴビンダさんのものを一致しないのに、さらにこれだけ「ゴビンダさんは犯人ではない!」と示しているのに、警察はゴビンダさんを逮捕したまま釈放することもなく、検察に送致しました。
しかも、検察はゴビンダさんが無罪を主張しているにも関わらず、自白を強要しました。
また、1審で無罪判決が出た後は、不法滞在による母国ネパールへの強制退去処分となるはずでしたが、「ネパールへの出国を認めて送還したあとに逃亡されてしまうと、裁判審理や有罪確定時の刑の執行が事実上不可能になる」と検察は主張して、無罪判決後も勾留が続けられたのです。
そして、検察は被害者の胸からゴビンダさん以外の唾液(血液型も違う)が検出されていたにも関わらず、それを裁判で開示しないという証拠隠しともとれることをしていました。
ゴビンダさんの現在
2012年6月に被害者の体内に残されたDNAがゴビンダさんのものと一致しないことがわかり、再審開始が認められました。ゴビンダさんは、再審開始とともに刑の執行が停止され、国外退去処分となって、ネパールに帰国しました。
そして、2012年11月に無罪判決が確定します。2013年(平成25年)5月、補償額上限額の6800万円が支払われました。
2017年には再来日して、「くりかえすな冤罪!市民集会」に出席しています。
ただ、ゴビンダさんが冤罪で拘留されていたのは15年。奥様や娘さんと過ごすはずだった時間はもう戻ってきませんし、息子の無罪を信じ続けていたお父様はゴビンダさんがネパールに戻る5年前に亡くなっています。
東電OL殺人事件の真相と真犯人は?
東電OL殺人事件ではゴビンダさんが逮捕されましたが、冤罪であることが判明しています。それ以降は、誰も逮捕されていません。つまり、事件の真相はもちろん、犯人もわかっていない状態なんです。
売春の客
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東電OL殺人事件の犯人と思われるのは、やはり事件当日の23時45分ごろに遺体発見現場のアパートの前で被害者の渡辺泰子さんと一緒にいた外国人風の男です。
渡辺泰子さんの遺体には、犯人のものと思われる唾液や精液、付着物が残されていました。つまり、渡辺さんと最後に性交して殺害したと思われます。
ただ、この外国人風の男性は、お金で揉めたり、サイコパスだったりなどその男性の単独犯である可能性もありますが、あくまでも実行犯であり、黒幕がいるとも言われているんです。
どんな人物が黒幕なのかを見ていきましょう。
巣鴨のヤクザ説
巣鴨のヤクザも東電OL殺人事件の犯人として浮かび上がっています。東電OL殺人事件の真相は、ヤクザとのトラブルだったというわけです。
売春というのは、基本的にヤクザにみかじめ料を払って行われます。しかし、渡辺さんはみかじめ料を払わず、風俗店にも属さず、直接街を歩く男性に声をかけて客を取る「直引き」を行っていました。これはヤクザにとってはルール違反です。
渋谷の円山町では、当時巣鴨に住んでいたヤクザが客引きをしていました。この客引きとトラブルが起こって、殺害されたというのが真相ではないかと言われています。
巣鴨のヤクザが犯人なら、渡辺さんの定期券が巣鴨の民家で発見されたというのも説明が付きます。
東京電力の圧力説
東電OL殺人事件は、東京電力の圧力が真相ではないかとも言われています。渡辺さんは、お父様の影響もあって、原発反対のレポートを提出していました。原発の危険性を指摘していたんです。
東京電力にとって、「原発は危険である」ことが認められ、世間に認知されてしまったら、多額の資金をつぎ込んできた原発から撤退せざるを得なくなるかもしれません。
また、渡辺さんの売春の客には、東電幹部も数名いたと言われています。つまり、渡辺さんに弱みを握られていたという可能性があります。
だから、東京電力としては渡辺さんが邪魔になり、外国人を使って殺害したのではないかと推測されているんです。
この説は一見突拍子もないように思えますが、事件当時に渡辺さんと同じ企画部にいた人物が、渡辺さん殺害後に出世しています。
その人物とは、2011年3月の東日本大震災の時に東京電力の会長の勝俣恒久氏と東京電力の社長だった清水正孝氏です。
これらのことを考えると、東電OL殺人事件の真相は東京電力の圧力だったという説もあながち間違いではないかもしれません。
まとめ
東電OL殺人事件の概要や被害者の渡辺泰子さんとその父親・母親について、冤罪のゴビンダさんや事件の真相と犯人をまとめましたが、いかがでしたか?
東電OL殺人事件は現在でもまだ犯人は逮捕されていません。今後、どうなっていくのか?事件の進展はあるのかを注目していきたいと思います。