個性あふれる戦国武将達が大活躍した戦国時代ですが、この時代を生き抜いた女性達にもとても魅力的なエピソードが数多く残されています。
今回はそんな戦国時代の女性達の中でも特に有名な人物をランキング形式で紹介してまとめました。
この記事の目次
戦国時代の有名女性ランキングTOP25-21
25位:妙林尼
戦国時代有名女性ランキング第25位は妙林尼という女性です。
妙林尼は、北九州の大名・大友宗麟に仕えた武将・吉岡鎮興に嫁ぎますが、夫が薩摩島津家との合戦(耳川の戦い)で討ち死にし未亡人となり出家しました。
その後、主家である大友氏は島津氏との抗争を続け、1586年、島津軍が妙林尼の吉岡家の城、鶴崎城にも迫りました。城主であった妙林尼の息子は主・大友宗麟に従って出陣し、主だった吉岡家の武将達も従軍していたため、城の守備の指揮をこの妙林尼が取る事になります。
妙林尼は、城の周囲に巧みに罠を仕掛け、農民兵らに鉄砲の扱いを教えるなどして守りを固め、押し寄せる島津の大軍を散々に打ち破りました。
戦国時代には女性が戦いに参加したという記録が多く残っているのですが、ここまで圧倒的に優勢な敵を打ち破った例はほとんどなく、戦国最強の女城主の呼び声も高いのがこの妙林尼です。
24位:朝日姫
戦国時代の有名女性、第24位は、豊臣秀吉の妹として知られる朝日姫です。
朝日姫の兄・豊臣秀吉は、本能寺の変で明智光秀を討った後、巧みな政略と合戦によって次々とライバルを倒し、天下統一へ向けて着々と進んでいました。
そんな秀吉にとって、最強の敵とも言えるのが、当時、三河、遠江、駿河、信濃、甲斐などを領有する一大勢力に成長していた徳川家康でした。
秀吉は、小牧長久手の合戦などで徳川軍と戦争状態に突入しますが、徳川軍は手強く、武力で従わせる事が難しいと判断した秀吉は、家康を懐柔すべく、自らの妹・朝日姫を家康に嫁がせる事にします。
これは家康を安心させるための事実上の人質であり、朝日姫と家康との間に夫婦関係はなかったようで、子供も誕生していません。その後、朝日姫は1590年に病気で亡くなったと伝わります。
23位:土田御前
第23位は、織田信長の生母・土田御前です。
奇天烈な行動が多く、うつけと呼ばれ周囲からの評判の悪かった息子・信長を嫌い、対照的に、品行方正で周囲からの期待を集めていた信長の弟・織田信行を溺愛していたと伝わります。
しかし、弟の織田信行が兄の織田信長に対して反乱を起こして敗れた後は、信長の庇護を受けるようになり、信長やお市の方(信長の妹)らの子供(土田御前にとっての孫)らの面倒を見ながら余生を過ごしたとされます。
22位:おつやの方
第22位は、おつやの方です。おつやの方は織田信長の祖父・織田信定の娘で、叔母にあたる女性ですが、年齢は信長より年下であったと伝わります。
美濃国の国衆・遠山氏に嫁ぎますが夫に先立たれ、居城の岩村城が敵国武田の軍勢に包囲された際、城兵の命と引き換えに、武田軍の大将・秋山虎繁の妻となります。
その後、おつやの方は秋山虎繁との間に子供を残しますが、武田氏が衰退し岩村城を織田家に奪還された後、裏切りに激怒した織田信長によって処刑されてしまう悲劇の女性です。
21位:義姫
第21位は、伊達政宗の生母として知られる義姫です。
義姫は、伊達政宗のライバルとして知られる大名・最上義光の妹で、兄妹仲がとても良かったようで、伊達家に嫁いだ後も頻繁に兄とやりとりしていた手紙が多数現存しています。
息子の伊達政宗と、兄の最上義光が争いになり、軍勢が対峙して一触即発の状態になった時、義姫は輿で両軍の間に乗り付け、身を呈して停戦を迫ったという記録が残されています。
その他、義姫には、隻眼で醜い息子伊達政宗を憎み、食事に毒を盛って暗殺しようとしたという逸話が残りますが、信ぴょう性の高い史料にはこの記録は残されておらず、創作だとする見方が有力になっています。
戦国時代の有名女性ランキングTOP20-16
20位:仙桃院(綾御前)
戦国の有名女性、第20位は、上杉謙信の姉・仙桃院です。
綾御前の名前でも知られるこの女性は、上杉謙信の腹違いの姉で、越後守護代家長尾氏(謙信の氏族)の分家である上田長尾氏の当主・長尾政景に嫁ぎました。
仙桃院と長尾政景の夫婦仲はとても良かったとされ、戦国時代に非常に珍しい、夫婦並んでの肖像画が残されています。上杉謙信の跡を継いだ上杉景勝の生母でもあります。
19位:鶴姫
第19位の鶴姫は、瀬戸内海の大三島にある神社「大山祇神社」の娘で、大三島に進出しようと、押し寄せる周防国の大大名・大内義隆の軍勢に立ち向かい、それを度々撃退したと伝承される女性です。
享年は18歳で、その最期は、大内軍との激戦の中で討ち死にした恋人の越智安成のあとを追って入水自殺を遂げたと伝えられています。この「鶴姫伝説」は伝承的なもので、実在も含め疑われています。
18位:立花誾千代
第18位の立花誾千代(たちばなぎんちよ)は、筑後国の大名・大友宗麟に仕えた名将・立花道雪の一人娘で、西国無双と称された立花宗茂の正妻としても知られる女性です。
父・立花道雪に男子がいなかったため、立花誾千代は女子ながら7歳にして、立花家の財産を譲られています。
武勇に優れた女性だったとされ、合戦の際には自ら訓練した城内の女性たちに鉄砲を放たせ、敵を震え上がらせたと伝わります。
17位:出雲阿国
第17位は、「かぶき踊り」の創始者として知られる出雲阿国(いずものおくに)です。
元々は、出雲大社の巫女であり、勧進(主膳などの寄付を募る事)のために諸国を巡業して踊ったところ評判になり、一座を作って京都などで興行したと伝わります。
戦国時代で最も有名な女性芸能者ですが、その多くは未だ謎に包まれています。
16位:初(常高院)
第16位は、浅井三姉妹の次女として知られる初(常高院)です。
近江大名・浅井長政と織田信長の妹で長政に嫁いだお市の方の娘で、後に格式の高い大名家である京極家の当主・京極高次に正室として嫁ぎます。
姉・淀の方の嫁ぎ先である豊臣家と、妹・江姫の嫁ぎ先である徳川家の争いを仲裁するために奔走しました。
初は、こうしたドラマティックな立場から小説や映像作品などでも重要な役として描かれる事が多く、一般にもよく知られる戦国時代の女性の1人となっています。
戦国時代の有名女性ランキングTOP15-11
15位:煕子
戦国時代の有名女性ランキングの第15位は、明智光秀の正妻・煕子(ひろこ)です。
2020年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」で明智光秀の注目度が上昇した事で、その妻・煕子の知名度も上昇しています。
夫・明智光秀との夫婦仲については、煕子が結婚前に疱瘡を患い顔にその跡が残ったが光秀は気にせず嫁に迎えたという話や、武士として落ちぶれていた時代の光秀を自らの黒髪を売って支えた話、居城が落城した時、光秀が妊娠中の煕子を背負って逃げた話など、その夫婦仲の良さを示す逸話が数多く残されています。
14位:稲姫(小松姫)
第14位には、徳川家の猛将・本多忠勝の娘で、真田幸村(信繁)の兄・真田信之の妻となった稲姫(小松姫)がランクインです。
2016年NHK大河「真田丸」では女優・吉田羊さんが演じてます。
稲姫は武勇に優れた女性だったと伝わり、真田昌幸・幸村父子が、夫の真田信之(当時は信幸)と関ヶ原合戦で敵味方に分かれた際には、孫の顔を見たいと申し出て居城に来訪した、舅の昌幸一行に鉄砲を撃ちかけ追い払ったという逸話はあまりにも有名です。
13位:千代(見性院)
第13位の千代は秀吉や家康に仕えた戦国武将・山内一豊の妻で、夫を支え続けた良妻賢母としてよく知られています。
有名な逸話として、千代は結婚持参金を叩いて一豊のために名馬を購入し、その見事な馬が当時の主君であった織田信長の目に止まって一豊の出世につながったという話があります。これは外で働く夫を支える妻の功績を意味する「内助の功」という言葉の元になった逸話だとされています。
12位:甲斐姫
第12位の甲斐姫は、武蔵国忍城を本拠とする国衆・成田氏長の姫です。武勇に優れた女武者だったと伝わります。
豊臣秀吉による小田原征伐で、成田家は北条家に味方して小田原城に籠城しますが、忍城にも石田三成らを大将とする豊臣の大軍が押し寄せました。
この時、甲斐姫は、留守を任された一族郎党とともに豊臣軍と交戦し、その武勇を示して城を守り抜いたと伝承されています。
映画「のぼうの城」ではヒロインとして女優の榮倉奈々さんが演じる甲斐姫が登場し、その知名度を上昇させました。
11位:築山御前
第11位の築山御前は瀬名姫の名前でも知られ、徳川家康の正室です。
築山御前は徳川家康との間に、嫡男信康を生んでいますが、その信康の妻として、織田信長の娘徳姫が嫁ぐことになりました。
しかし、次第に築山御前と徳姫は対立するようになり、徳姫が父の織田信長に対して、築山御前が夫の信康と共に敵対する武田家に内通していると訴えた手紙を送ったため、信長の怒りを買い、息子信康共々処刑されてしまいました。
戦国時代の有名女性ランキングTOP10-6
10位:千姫
戦国時代の有名女性第10位は、徳川秀忠の娘で、豊臣秀頼の妻となる千姫です。豊臣秀頼と千姫の夫婦仲はとても良かったと伝えられています。
徳川家と豊臣家が対立し「大坂夏の陣」で大阪城が落城した際に救出されています。その後、秀頼や姑である淀殿の助命を必死に祖父家康に嘆願しますが、聞き届けられませんでした。
その後は再婚し、幕府の庇護を受けながら余生を送っています。
9位:江姫
第9位は、「浅井三姉妹」の三女の江姫です。
江姫は、3度の結婚をしており、最初の結婚相手と秀吉に離縁させられた後、秀吉の甥の豊臣秀勝と結婚させられ、この秀勝が朝鮮出兵で戦死すると、その数年後に徳川家康の息子・徳川秀忠と結婚しています。
三代将軍・徳川家光、豊臣秀頼に嫁いだ千姫を始め、秀忠との間に多くの子を残し、その血を現在まで伝えています。
8位:まつ(芳春院)
第8位は、織田家の家臣で加賀百万石の創始者・前田利家の正妻・まつの方です。
豊臣秀吉の正室のおねの方とは、秀吉や利家がまだ下級の武士だった頃からとても仲が良く、家族ぐるみの付き合いをしていたと伝わります。
息子の前田利長が前田家の家督を継いだばかりの頃に、徳川家康から謀反の疑いをかけられ、理不尽な恫喝を受けた際に、自ら家康の元へと人質に赴き、加賀百万石を守った逸話がよく知られています。
7位:井伊直虎
第7位には2017年のNHK大河「おんな城主直虎」で女優の柴咲コウさんが演じて話題になった井伊直虎です。
井伊直虎は、遠江国の国衆・井伊直盛の娘で、父が桶狭間の合戦で討ち死にし、その後、井伊家を継いだ一族の井伊直親も暗殺されたため、女性ながら井伊直虎という男性名を名乗り、井伊家の家督を継ぐ事になります。
徳川家康から絶大な信頼を受けた名将・井伊直政の育ての親だと伝わります。
6位:大政所(なか)
第6位は、豊臣秀吉の生母・大政所です。
尾張中村の百姓で、秀吉が出世すると、その屋敷に引き取られ、秀吉正室のおねの方とも仲良く過ごし終生大切にされたと伝わります。
秀吉はこの母・大政所を溺愛しており、母の死を聞いた時にはショックのあまり気を失って倒れたという逸話が残ります。
戦国時代有名女性ランキングTOP5-1
5位:おねの方(北政所)
戦国時代有名女性ランキング第5位は、豊臣秀吉の正室・おねの方です。
おねの方は織田家に使える武士の娘で、織田家に仕える下級武士だった木下藤吉郎(のちの豊臣秀吉)と結婚しました。当時としては非常に珍しい恋愛結婚だったと伝わります。
後に秀吉の偉業を支える事となる加藤清正や福島正則など、子飼いの家臣達がまだ幼い頃、おねの方は、母親代わりになって彼らを養育し、彼らが屈強な武将に成長した後も母上様と呼ばれ慕われたと伝えられています。
秀吉の出世劇を影で支えた妻として、後世でも高い人気を誇ります。
4位:帰蝶(濃姫)
第4位には、織田信長の正室として知られる帰蝶がランクインです。美濃国の大名・斎藤道三の娘で、織田家と斎藤家の同盟締結のために嫁いできた事から濃姫の名前で知られています。
あまりに有名なこの帰蝶ですが、実は正式な記録はほとんど残されておらず、現在伝えられているエピソードのほとんど全ては、後世に作られた物語による創作です。
3位:細川ガラシャ
第3位は、キリスト教に殉教し悲劇の死を遂げた事で知られる細川ガラシャです。
細川ガラシャは、明智光秀の娘で、明智家と親しかった名家・細川家の嫡子・細川忠興に嫁ぎました。細川ガラシャは美貌の人だったと言われ、夫の細川忠興の溺愛を受けたとされます。
キリスト教に帰依し「ガラシャ」の洗礼名を授かりますが、その後関ヶ原の合戦が勃発して夫が東軍に組みした事で、西軍方の軍勢に細川屋敷を包囲されます。
夫・細川忠興の言いつけもあって、人質になる事を拒んだ細川ガラシャは、自殺を禁ずるキリスト教の教えに従い、家臣に胸を突かせて自害し、火薬に火をつけて屋敷ごと爆砕するという壮絶な死を遂げました。
2位:お市の方
第2位には、織田信長の妹で、戦国一の美女と謳われたお市の方です。
お市の方は悲劇の女性として知られており、最初に嫁いだ近江大名・浅井長政とは仲の良い夫婦関係を築いて「浅井三姉妹」をはじめとする多くの子供を儲けますが、その後、兄・織田信長と敵対関係になったため、浅井長政は殺害され、幼い長男も処刑されてしまいます。
その後、お市の方は実家の織田家で過ごしますが、本能寺の変が勃発して兄の信長が横死すると、政治利用される形で織田家の重臣だった柴田勝家へと嫁ぐ事になります。
しかし、その柴田勝家も羽柴秀吉と敵対関係になり、最後は北陸の北ノ庄城にて、夫・柴田勝家と共に自害してこの世を去りました。
1位:淀君(茶々)
戦国時代の有名女性第1位は、淀殿(茶々)です。
淀殿は上でも紹介したお市の方と近江大名・浅井長政の長女で、「戦国一の美女」と言われた母・お市の方の血を受け継いだ絶世の美女出会ったと伝わります。
その美貌から、豊臣秀吉に請われてその側室に迎えられ、秀吉の子・豊臣秀頼を生みます。秀吉の寵愛を受けた事や、その継嗣の実母という事から豊臣政権内で絶大な権勢を持つに至り、秀吉の死後は、豊臣家の事実上の主として振る舞いました。
その後、徳川家と豊臣家は対立するに至りますが、この淀殿が、徳川家の下についての講和を頑なに拒絶したため、最終的に豊臣家は滅亡に向かったとする見方もあります。
淀殿は大坂の陣での大坂落城により、息子の豊臣秀頼と共に自害して命を落としています。
まとめ
戦国時代の有名な女性をランキング形式でまとめてみました。
乱世という時代背景から男性の事情に振り回される例が多い戦国の女性達ですが、そんな中にあって胸のすくような活躍をした女性、夫を影から支えて出世に導いた女性、悲劇の中にありながらも懸命に生き抜いた女性など魅力的な女性達が大勢存在しました。
女性の視点から戦国時代を眺めてみると、また違った見え方ができ、より楽しくその時代を知る事ができます。興味のある方は是非、戦国の女性について深く調べてみてください。