「平成おじさん」としても有名な第84代内閣総理大臣・小渕恵三さんは脳梗塞で亡くなっていますが、実は暗殺説もあります。
今回は小渕恵三さんの家系図や嫁と子供、死因の脳梗塞とろれつが回らないなど前兆、暗殺説をまとめました。
この記事の目次
小渕恵三のプロフィール
プロフィール
・名前:小渕 恵三(おぶち けいぞう)
・出身地:群馬県吾妻郡中之条町
・生年月日:1937年6月25日
・没年月日:2000年5月14日(62歳没)
・出身高校:東京都立北高等学校(現東京都立飛鳥高等学校)
・最終学歴:早稲田大学第一文学部英文学科/早稲田大学大学院政治学研究科
・職業:政治家(第84代内閣総理大臣等)
・所属:自由民主党
・活動期間:1963年〜2000年
「平成おじさん」として日本人の記憶に鮮烈に刻まれている小渕恵三
小渕恵三さんと言えば、元号が昭和から平成に変わる際に内閣官房長官を務めていたことから、首相官邸でのあの記者会見でのワンシーンが、多くの人の記憶に残っていることでしょう。
このシーンは昭和から平成への時代変遷を象徴する映像として、様々なシーンで利用されてきました。
そこでついた愛称が…「平成おじさん」。
ちなみに「令和おじさん」はこの人!
今後、「令和おじさん」として長く語り継がれることでしょう。
小渕恵三の家系図 【父親も衆議院議員】
現衆議院議員の小渕優子さんが、小渕恵三さんの娘であることは有名ですが、実は小渕恵三さんも、父親である小渕光平さんが衆議院議員という2世議員なんですよね。
つまり、小渕優子さんは3世議員ってことになります。そんな小渕恵三さんをとりまく小渕家の簡単な家系図がこちら。
出典:https://twitter.com/
小渕恵三さんの父親・小渕光平さんは、群馬を拠点とする光山社グループの創業者です。
尋常高等小学校を卒業後、叩き上げで製紙や電気関係の会社を起こして大成功を収め、やがて群馬経済界の重鎮となり、1940年代から政界に進出!
と、実に華々しい経歴をお持ちなのですが、選挙は苦手だったようで、初当選を果たして以降、3回連続で落選。
その後やっとのことで2回目の当選を果たすのですが…選挙での心労が祟ったのか、任期中の1958年に脳梗塞を発症して急死されています。
しかし、そんな父の死に触れ、当時まだ早稲田大学に入学したばかりだった小渕恵三さんは、政治家を目指すことを決意しました。
「親父の2回目の挑戦はさすがに家族の皆が反対、しかし自分一人だけが『最後の挑戦としてやってみるべき』と賛成した。それがあって、父親の無念を晴らすのは自分しかいないと考えた。そこで、政治家になろうと決断したんだ」
引用:天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 小渕恵三・千鶴子夫人(上) https://news.livedoor.com/
小渕恵三の嫁・小渕千鶴子とは 【理想的な政治家夫人として有名】
プロフィール
小渕恵三の嫁:小渕 千鶴子(おぶち ちづこ)
出身地:群馬県吾妻郡中之条町
生年月日:1940年8月16日
学歴:群馬県立吾妻高等学校
職業:エッセイスト、環境保護活動家
結婚:1967年
小渕恵三さんの嫁・千鶴子さんは、父親に大野製材株式会社社長・大野太郞氏を持つ社長令嬢です。
小渕恵三さんと嫁・千鶴子さんは、ともに群馬県吾妻郡中之条町出身で、実家が近所だった2人はいわゆる幼馴染みの関係だったようです。
交際が始まったのは、小渕恵三さんが早稲田大学に入学してからでした。
出典:https://www.dailyshincho.jp/
大学入学早々の父親の死によって、政治家を目指し始めた小渕恵三さんは、「そのためには見聞を広めなければならん」と、世界38ヶ国を巡る放浪の旅を敢行したそう。
その約9ヶ月の旅の間、千鶴子さんに300通ものラブレターを送り続けたそうです。
そして、2人は1967年に結婚しています。
また、小渕恵三さんの嫁・千鶴子さんは、橋本龍太郎元総理の嫁・久美子さんと双璧をなすくらいの「理想的な政治家夫人」と呼ばれていたそうです。
出典:https://www.jiji.com/
そんな小渕恵三さんの嫁・千鶴子さんについて、長年に渡って小渕恵三さんの秘書を務めていた人物が、次のように語っています。
「政治家の妻としての必須条件であるタフさ、辛抱強さはもちろんだが、生来のおおらかさで周りを惹きつけていた。慈母観音のようなふくよかな顔立ちもあいまって、夫人がいると不思議にその場の空気が和らいでしまう。多少ギスギスした場でも、物事が円満な方向に向かってしまうという独特のムードがあった。加えて、万事が控え目で、小渕が外務大臣時代には揃って公の席に出ることが多かったが、夫人は必ず一歩下がったところにいて、万事に目立たないことを心掛けていたようだった。首相のときも同様で、メディアの前に出ることは避けていたものです」
引用:天下の猛妻 -秘録・総理夫人伝- 小渕恵三・千鶴子夫人(上) – ライブドアニュース https://news.livedoor.com/
出典:https://www.nikkei.com/
小渕恵三と嫁・千鶴子夫人の子供は3人~娘が2人・息子が1人
小渕恵三さんと嫁・千鶴子さんは、以下の3人の子供に恵まれました。
・長女:小渕暁子さん(1968年生まれ)
・長男:小渕剛さん(1971年生まれ)
・次女:小渕優子さん(1973年生まれ)
それぞれについて詳しく見ていくことにしましょう。
小渕恵三の長女:小渕暁子
プロフィール
・小渕恵三の長女:小渕 暁子(おぶち あきこ)
・出身地:東京都北区
・生年月日:1968年2月3日
・最終学歴:玉川大学文学部芸術学科
・職業:エッセイスト、イラストレーター、デザイナー等
・肩書き:aubedesign代表
小渕恵三さんの長女・暁子さんは、現在、イラストレーターとして活躍されています。
2010年には上海万博で、日本産業館のメインキャラクター「昆昆」のデザインやアテンダントユニフォームのデザインを監修されたそうです。
タオルやハンカチ、ネクタイなどの小物にイラストデザインする作品が多いようで、独特なタッチのイラストが人気です。
小渕恵三の長男:小渕剛
小渕恵三さんの長男・剛さんは一般人のため、画像など詳細な情報は一切公開されていません。
ネット情報によると、ANA系列に勤めていると噂されているようですが…詳細は不明です。
ただ、小渕優子さんが自身の公式ホームページに、姉と兄について次のように記述されています。
よくある兄弟げんかは日常茶飯事だった。6つ離れた姉と、2つ離れた兄。一番末の私は、相当生意気で元気な子供だったのだろう。 姉とは今では友達のようで、正反対の性格のため、よく助けてもらっている。
引用:経歴 1970年代|衆議院議員 小渕優子 https://www.obuchiyuko.com/
小渕恵三の次女:小渕優子
プロフィール
・小渕恵三の次女:小渕 優子(おぶち ゆうこ)
・生年月日:1973年12月11日
・本籍地:群馬県
・出身地:東京都文京区
・血液型:A型
・学歴:成城大学経済学部/早稲田大学大学院公共経営研究科専門職学位課程修了
・職業:政治家、元TBS社員
・所属:自由民主党
・選挙区:衆議院議員 群馬5区
・好きな言葉:誠実、謙虚
・衆議院議員:2000年〜
小渕優子さんは、小渕恵三さんが亡くなった直後の2000年6月の衆議院議員総選挙に亡き父の遺志を継いで出馬し、初当選を果たしています。当時、26歳でした。
以降、若くして政務官や経済産業大臣などを歴任し、一時期は日本初の女性首相の候補と目されるほどの勢いを見せましたが、2014年に政治資金問題で一度大コケをしています。
出典:https://mainichi.jp/
ただ、その2ヶ月後に行われた総選挙に出馬すると、高い支持を得て再選を果たしています。
ちなみに小渕優子さんは、政界に入る前はTBSに就職し、かねてより希望していた番組制作の仕事を担当していました。
そんな小渕優子さんが、会社を辞め、父親側でサポートをしようと決意した経緯について、後に次のように語っています。
父のことが心配で、たびたび公邸に顔を出した。「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫だよ」と言った。その言葉で私は安心させてもらって、好きなことをさせてもらっていた。でも、実際もう限界だった。ある日、同じように公邸に顔をだすと、父は寝室にいた。長いすに座って、父はつぶれたようになって寝ていた。
使いすぎて擦り切れた雑巾のようだった。もう、遠くから大丈夫?と言ってるだけなんてできなかった。私は中途半端でなんの手伝いだってできないけど、でも近くにいなければ、と思った。なんでもいいから、どんな小さいことでも私に出来ることを父のためにしようと思った。それが私のためだと。今、やらなければ一生後悔する。会社を辞めよう。と決めた。
引用:経歴 1990年代|衆議院議員 小渕優子 https://www.obuchiyuko.com/
出典:http://mikarin1215.com/
そんな小渕優子さんは、2004年12月7日にTBS同期入社の瀬戸口克陽さんと結婚しており、現在までに2人の男の子に恵まれています。
小渕恵三の死因は脳梗塞~ろれつが回らなくなる前兆
小渕恵三が首相在任中に脳梗塞を発症し小渕内閣は総辞職へ
小渕恵三さんは首相在任中の2000年4月2日夜に脳梗塞を発症し、その日のうちに順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院となりました。
それから2日後の4月4日には、首相代理となった青木幹雄官房長官の下、小渕内閣の総辞職が決まると、翌5日には森喜朗さんが総理大臣に就任し、森政権が誕生しています。
実はこの時、青木幹雄官房長官が、「入院中の小渕総理から指名された」として臨時首相代理に就任するのですが、意識不明だったはずの小渕総理が意思表明できたのかが問題になりました。
このため、森内閣からは、組閣の際に内閣総理大臣臨時代理の5人の就任予定者をあらかじめ順番に指定しておくのが慣例となったようです。
小渕恵三、2000年5月に死去…死因は“心原性脳梗塞”だった
小渕恵三さんは、43日の闘病生活を経て、結局意識が戻らないまま2000年5月14日に逝去されました。
出典:http://viewer.shinmai.co.jp/
小渕恵三さんの死因となった脳梗塞は、その中でも特に死亡率が高いことから、俗に“ノックアウト型脳梗塞”とも呼ばれる「心原性脳梗塞」でした。
出典:https://www.nhk.or.jp/
この「心原性脳梗塞」は、心房細動などにより心臓の中で血液が滞るようになり、血栓と呼ばれる血液の塊ができやすくなります。
そして、心臓でできた血栓が、血液で脳の血管に運ばれて詰まることで脳梗塞が起きます。
心房細動によって心臓内でできる血栓は、動脈硬化などでできる血栓に比べると大きいことが多く、血栓の中には数cmに及ぶものもありました。
それが脳の比較的大きな血管を詰まらせると、脳の広範囲に障害が及び、必然的に死亡率も高くなります。
元々小渕には心臓病の持病があり、それに加えて首相の激務が脳梗塞を引き起こしたと考えられている。
引用:小渕恵三 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
小渕恵三が倒れる直前、ろれつが回らなくなるなどの前兆があった!
実は、小渕恵三さんには、脳梗塞で倒れる直前にその前兆があり、多くの人がそれを目撃していたんですよね。
当時、小渕政権は自由党との連立解消という厳しい局面に立たされており、小渕恵三さんが脳梗塞で倒れる数時間前、遂に自由党の小沢さんが連立離脱を小渕恵三さんに通告しています。
その後のインタビューで「小沢さんは離脱と明確に言ったのか」と記者から質問された際、小渕恵三さんはただ口をパクパク動かすだけで、ろれつが回らない状態が約10秒間も続きました。
その間、小渕さんは何か困ったような顔をしているように見えたと言います。
また、記者会見の後、秘書官と首相官邸に向かう途中、車内で小渕恵三さんは「左手がない」と意味不明な言葉をつぶやいたとも…。
それから約2時間後の午後10時過ぎ、小渕恵三さんは遂に倒れることになります。
もしもこの前兆症状が出ている段階で病院に向かっていれば、もしかすると助かっていたのかも知れませんね…。
小渕恵三の暗殺疑惑と真相
小渕恵三さんの死因は脳梗塞ですが、ネットを中心とした一部で暗殺説が囁かれており、その中でも主流なのが…「アメリカによる暗殺説」のようです。
なんでも、アメリカの言うことを聞かない日本の政治家たちは、アメリカの陰謀により次々と失脚あるいは暗殺されてきたと言い、小渕恵三さんもその1人なのだか。
ちなみに、アメリカによって暗殺された小渕恵三さん以外の日本の政治家としては、田中角栄さんや竹下登さん、橋本龍太郎さん、中川昭一さんなどが挙げられています。
タバコの箱と同じ大きさの装置の先に針がついている。その針で人を突っつくと、毒が身体を巡り、設定によってはすぐ、もしくは一週間後か一ヶ月後に脳梗塞などで死ぬ。
(中略)
またこの彼によると田中派を中心にたくさんの政治家がこのやり方で殺されている、竹下、小渕や田中角栄もこの装置によるものだという。戦後最低200人がこの連中に殺されたそうだ。
引用:BenjaminFulford : 竹下、小渕、など200人の日本の権力者たちが英米の秘密結社によって暗殺された https://benjaminfulford.typepad.com/
死亡するタイミングを任意に操ることができるなら、便利ですよね~。
ちなみに小渕恵三さんは、いわゆる親中派として知られており、中国の緑化事業への100億円規模の支援など、外交面で中国の存在を重んじていたと言われています。
出典:https://webronza.asahi.com/
こんな小渕恵三さんの姿を、“暗殺装置”とやらの針を磨きながら、アメリカの首脳たちは苦々しい思いで見つめていたのかも知れませんな(笑)
出典:https://www.fnn.jp/
また、小渕恵三さんが脳梗塞で倒れた直後に総理臨時代理に指名されたという青木幹雄さんの言動、密室で決められた森内閣誕生の経緯も、小渕暗殺説に拍車をかける要因のようです。
そして、その後の青木官房長官の発言と行動は疑惑をさらに深める結果を招く。会話ができない状態にあった小渕首相から臨時首相代理に任命されたという発言、さらには赤坂プリンス新館の一室における、青木官房長官、村上参院議員会長、森幹事長、野中幹事長代理、亀井政調会長ら5人による〝密談〟により誕生した森政権・・・・・・こうした事態を外国メディアは皮肉を込めて「クレムリンのような秘密主義」(イギリス・ガ-ディアン紙)と報じた。
引用:小渕元首相「暗殺説」の点と線 殺された代議士は何を知っていた http://www.asyura2.com/
出典:https://r.nikkei.com/
まとめ
いかがでしたでしょうか。
第84代内閣総理大臣であり、多くの日本人に「平成おじさん」として心に刻まれている小渕恵三さん。
死因となった脳梗塞で倒れる直前に、ろれつが回らなくなった様子を多くの人が目撃していたことでも知られています。
今回、そんな小渕恵三さんの暗殺説まで出た死の経緯と、家系図や「理想的な政治家夫人」と呼ばれた嫁、3人の子供についてもまとめました。
奇しくも父親と同じく志半ばで病に倒れ、なんとその病名は父親と同じ脳梗塞、そして父親と同じ病院で帰らぬ人となりました。
ただ、小渕恵三さんと言えば、「平成おじさん」や「ブッチホン」など、お茶目な首相としての印象が強い方が多いかもしれません。
しかし実は、当時低迷していた自民党を、公明党との連立を樹立することで見事に立て直しました。
さらに、国内では周辺事態法、通信傍受法、国旗・国歌法、男女共同参画社会基本法などを次々と成立させるという、顕著な功績を残した名首相でもあるんですよ。ご存知でした?
出典:https://4travel.jp/