元オウム真理教信者で17年の逃亡の末に逮捕された菊地直子元被告の恋人との同棲生活や無罪判決確定が話題です。
今回は菊地直子元被告の無罪確定への物議や逮捕までの足取り、高橋克也との偽装夫婦生活、高橋寛人との相模原での同棲生活、釈放後の現在についてなどをまとめました。
この記事の目次
菊地直子(元オウム真理教信者)とは
菊地直子元被告は、1995年に地下鉄サリン事件を起こしたカルト宗教団体オウム真理教の元信者で、一連のオウム事件後に警視庁から特別指名手配され、17年間の逃亡の末、2012年に逮捕された人物です。
菊地直子元被告は、オウム真理教に所属していた当時、教団内の陸上部の部員として、東京国際マラソンや大阪国際マラソンなどに出場してそれなりの記録を残していた事と、オウム真理教の起こしたテロ事件「東京都庁小包爆弾事件」で使用された爆弾の原料となった薬品を運搬したと報じられていた事などから、一部マスコミによって「走る爆弾娘」というあだ名を付けられ報道されていました。
菊地直子の生い立ち
菊地直子元被告は1971年12月9日、埼玉県の生まれで、大学教員の厳格な父親の元で育てられたとされます。父親の仕事の関係で大阪へ引っ越し、地元の小学校を経て、当時倍率10倍以上だった偏差値70以上(当時)の名門校・大阪教育大学付属天王寺中学へと進学しています。
学生時代の菊地直子元被告は、成績はトップクラス、運動神経も抜群で中学ではバスケットボール部、高校時代は陸上部に所属し、校内のマラソン大会では、毎回大差をつけて優勝、地区大会で上位入賞を果たした事もあるといわれています。
1989年12月27日、高校卒業後の18歳の頃に、家族の猛反対を押し切ってオウム真理教に入信。家族との折り合いは悪く、これをきっかけにして家出しています。オウム真理教に興味を持ったのは、教祖の麻原彰晃の著作を読み、そこに書かれていた神秘を体験した事がきっかけだったとされます。
1990年5月に出家信者となり「エーネッヤカ・ダーヴァナ・パンニャッター」というホーリーネーム(オウム内での宗教名)を授けられ、以降は教団の施設で他の信者とともに修行しながら共同生活を送っていました。
1995年「地下鉄サリン事件」によって、オウム真理教が警察の強制捜査を受けると、菊地直子元被告は他の信者数名とともに逃亡し、その後警視庁による特別指名手配を受けます。
菊地直子が17年間の逃亡の末に逮捕
菊地直子元被告は、地下鉄サリン事件が発生した1995年から2012年まで、実に17年にもわたって逃亡生活を続けた末に逮捕されています。
逮捕時、菊地直子元被告がオウム真理教とは関係のない高橋寛人という男性と恋人関係にあり、逮捕に至るまでの数年の間、この高橋寛人元被告(後に犯人蔵匿罪で有罪判決)と同棲生活をしていた事も明らかにされセンセーショナルに(一部ではまるで純愛ストーリーのように)報じられました。
菊地直子逮捕のきっかけは高橋寛人の兄のタレコミ?
警察関係者からの情報として、この高橋寛人元被告が自分の兄に、交際中の女性が元オウムの菊地直子元被告である事を明かし、当時金に困っていたというその兄が懸賞金を目当てに警視庁にその情報を提供したという内容が報じられています。
警視庁はその情報をもとに、菊地直子元被告の潜伏先に捜査員を張り込ませ、仕事先から帰宅してきた菊地直子元被告に任意同行を求めたところ抵抗する事なく素直に応じ、取り調べに対して自分が菊地直子であると認めたため逮捕に至ったという事でした。
菊地直子の無罪判決確定に物議
菊地直子元被告は、逮捕後に「東京都庁小包爆弾事件」による「殺人未遂幇助」および「爆発物取締罰則違反幇助」の疑いで起訴されました。なお、菊地直子元被告の逃亡中に、関与していると盛んに報じられていた「地下鉄サリン事件」に関しては、実際には関与を示す証拠は一切見つかっておらず起訴すらされていません。
2014年5月に東京地裁で始まった裁判員裁判(第一審)では、菊地直子元被告が運搬した薬品を爆発物の原料とまでは認識していなかったとして「爆発物取締法罰則違反幇助」については認められませんでしたが、オウム真理教が人の殺傷を含む活動をしようとしている事は認識していたとして「殺人未遂幇助」については認定され、懲役5年の実刑判決を受けました。
菊地直子元被告は、自分にオウム真理教が犯罪集団だという認識はなく、地下鉄サリン事件などの一連のオウム事件も、全て社会からの宗教弾圧によって生じた冤罪だと信じており、したがって起訴された内容についても全く犯意などは無かったと主張し、一貫して「無罪」を主張しており、この一審判決を不服として即日控訴しています。
翌2015年5月に始まった控訴審では、菊地直子元被告の主張が認められ、東京高等裁判所が逆転無罪の判決を下しています。東京高検はこの判決を不服として上告しますが、2017年12月27日、最高裁判所は上告を棄却し、菊地直子元被告の無罪判決が確定します。
菊地直子元被告は、逃亡していた17年間、さも極悪犯のように報じられていた事もあって、この無罪確定には驚いた人が多かったようです。
菊地直子元被告には本当は犯意があったが、その証拠がないために有罪にできなかっただけだと考え、「司法の限界」「無実と無罪は違う」といった無罪判決を批判する声も多く出ています。
一方で、裁判記録を見る限り、菊地直子元被告の主張には確かに信ぴょう性があり、最高裁判所が「無罪」の判決を下した事について「社会の空気にとらわれる事なく、淡々と事実に基づいて判断を下した」として肯定的な意見も多く見られるなど賛否両論あり、現在も物議を醸しています。
菊地直子の逮捕までの足取り① オウム信者・高橋克也らと共に逃亡
菊地直子元被告の逮捕までの17年の逃亡生活についても見てみたいと思います。
1995年6月頃、菊地直子元被告は、指名手配を受けた元オウム真理教信者複数名との逃亡を開始しています。当初は「松本サリン事件」や「地下鉄サリン事件」の実行犯の一人でオウム真理教の幹部だった林泰男元死刑囚(2018年7月死刑執行)らと共に、千葉県市川市、名古屋市、京都市などを転々同年11月頃まで転々と逃亡。
その後、1996年11月頃までは埼玉県所沢市のマンションに、共に特別指名手配されていた元信者の高橋克也服役囚(無期懲役刑が確定)、北村浩一服役囚(無期懲役が確定)ら5人と共に潜伏していた事が明らかになっています。
菊地直子と高橋克也が住んでいたとされるアパート
そして、1997年頃から2006年頃までは、高橋克也服役囚と夫婦を装い、神奈川県川崎市のアパートに潜伏していたようです。この頃のことについて、菊地直子元被告は「飛騨高山や北海道に(高橋克也と)2人で登山に行った」と話していたという情報も出ています。
この頃、菊地直子元被告は「櫻井千鶴子」という偽名を使い、派遣社員として横浜市の倉庫会社で働いていたようです。
菊地直子の逮捕までの足取り② 逮捕時は高橋寛人と相模原市で同棲
菊地直子元被告は、2005年頃に前述の横浜市内の倉庫会社の勤務先で1歳年上の高橋寛人元被告と知り合い、その後交際に発展。出会った時の菊地直子元被告の印象について高橋寛人元被告は「清楚な美人で一目で心を惹かれた」と後の裁判で陳述しています。
2人は2006年頃に東京都町田のアパートへと移住し同棲をはじめています。2人はアパートの他の住人らとも交流し、月に1、2度は皆で連れだって食事や飲みに出かけていたといいます。
菊地直子元被告は、2010年7月から、高橋寛人元被告の紹介で相模原市の訪問介護の会社で経理としてアルバイトとして働きはじめており、2012年1月には介護ヘルパー2級の資格も取得し高齢者の介護業務なども担当するようになったそうです。
当時の同僚の話では、菊地直子元被告は「真面目で明るい性格で仕事は丁寧、施設利用者にも敬語で接し評判も良かった」との事。この会社に菊地直子元被告は週6日勤務し、月に13万円から14万円ほど稼いでいたという事です。他の同僚との仲も良かったようで、2012年2月頃には同僚の女性らと「女子会」を開いていたとの情報も出ています。
「オウムの菊地直子」と明かしプロポーズを断っていた
高橋寛人元被告は、菊地直子元被告と知り合って半年後に結婚を申し込んでいますが、菊地直子元被告は「私は結婚できない。実はオウムの菊地直子なの。」と明かしてプロポーズを断っています。
高橋寛人元被告は最初は冗談だと思ったようですが、ネット検索して手配写真と比べてみたら確かにオウムの菊地直子だったと取り調べで供述しています。
菊地直子元被告の告白の翌月、2人は教会で擬似結婚式を挙げています。菊地直子元被告はウェディングドレス、高橋寛人元被告はタキシード姿で記念撮影をし結婚指輪も交換。同僚らを招いての披露宴も開いたとの事。また、菊地直子元被告は岩手県の高橋寛人元被告の実家に挨拶にも行ったという事です。
菊地直子元被告はこうした日々に幸せそ感じていたようで、逮捕後の警察の取り調べに対し「高橋寛人元被告と愛し合うようになり、この生活を失いたくないから出頭する事が出来なかった」といった趣旨の供述をしています。
菊地直子は高橋克也の性奴隷だったという報道も
出典:https://webronza.asahi.com/
菊地直子元被告は、2006年頃に高橋寛人元被告との同棲を開始するまでは、元信者の高橋克也服役囚と夫婦を装い生活していました。
一部週刊誌では、菊地直子元被告と高橋克也元被告は1996年11月頃に埼玉県所沢市のマンションを出た後、しばらくの間、新横浜や川崎市などのホテルを転々とし、菊地直子元被告は毎晩のように高橋克也服役囚に行為を強要され精神的に嫌になったが、逃亡のために偽装夫婦を続ける必要があり「愛欲の日々はズルズルと続いて」いったとする内容が書かれています。
菊地直子は性奴隷関係を否定
なお、菊地直子本人が書いているとされるブログには、「そのような事実は一切ありません」と報道を否定する記事が投稿されています。
複数のメディアが、私が高橋克也さんの性奴隷だったという報道を流し続けていますが、そのような事実は一切ありません。
一部週刊誌が報じた菊地直子の「性愛日記」についても否定
一部週刊誌が報じた菊地直子元被告は高橋克也服役囚の性奴隷だったとする根拠になったのが、1996年11月まで高橋克也服役囚らと潜伏していた所沢市のアパートに菊地直子元被告が残していった一冊の日記でした。
報道によれば、その日記には菊地直子元被告が、共に逃亡を続けていた男性信者に対する愛憎や肉体関係があったと思しき内容が綴られているとの事で、菊地直子の「性愛日記」などと書いて面白おかしく報じています。
しかし、これについても菊地直子元被告は上述のブログにて「性愛日記など存在していない」と完全に否定しています。
菊地直子被告の書いているとされるブログによれば、これは日記などではなく1枚のメモであり、自身の不安な気持ちを綴っただけの内容が、マスコミによっていいように改ざんされ「性愛日記」にされてしまったという事でした。
菊地直子の恋人とされる高橋寛人についての悪い噂も
菊地直子元被告が2005年頃に知り合い、2006年頃から逮捕される2012年まで同棲関係にあったとされる、高橋寛人元被告についても悪い噂がいくつかのメディアによって報じられているので、これについても紹介します。
高橋克也が高橋寛人に金を騙し取られたと供述
夫婦関係を偽装し10年ものあいだ行動を共にした菊地直子元被告と高橋克也服役囚は、2人で働いて約1700万円もの金をタンス貯金していた事が、菊地直子元被告の供述で明らかになっています。
そして、この1700万円の存在を知った高橋寛人元被告が、その約半分を盗み出し、さらに「警察にタレ込まれたくなければ金を出せ」と脅迫し300万円を脅し取った疑いが持たれているのです。
これは、逮捕された高橋克也服役囚が、警察の取り調べに対して「高橋寛人元被告に金を脅し取られた」と供述した事が明らかになった情報です。これに対して高橋寛人元被告は「菊地直子元被告には内緒で2〜3年前に高橋克也服役囚から300万円を借りた。まだ返していない」と供述しており、300万円の金の受け渡しがあった事は認めています。
これについては、高橋寛人元被告の裁判でも追求されていますが、結局罪には問われていません。
また、1700万円の半分を盗み出した疑いについては、菊地直子元被告が自分の取り分として持ち出したとする供述をしている事から、事実ではない可能性が高そうです。
なお、高橋寛人元被告は、菊地直子元被告が逮捕された後に自ら出頭し、犯人蔵匿罪などで起訴され裁判を受け、2012年11月22日に「懲役1年6ヶ月執行猶予5年」の有罪判決を受けています。
高橋寛人は菊地直子のヒモ状態だったとの報道も
また、高橋寛人元被告は、菊地直子元被告の実質ヒモのような状態だったとする報道も出ています。
そうした報道によれば、元々高橋寛人元被告は内装業を営んでいたものの、経営状態が悪化した多額の借金を抱えて倒産。高橋寛人元被告は2004年頃には前の妻と離婚しており、その後自殺未遂を3度も起こしており、菊地直子元被告に近づいたのは金目当てだったのでは?という事でした。
というのも、高橋寛人元被告は、菊地直子元被告と同棲を開始していこう働いていた形跡がはっきりせず、どうやら上述の高橋克也元被告から奪ったとされる700万円と、その後借りたと主張している300万円、それに菊地直子元被告が訪問介護会社で働いて稼いだ金で生活していたのではないかと疑われているのです。
また、高橋寛人元被告は前妻との間に子供がおり、その子供と月に1から2度面会して焼肉や回転寿司をご馳走していたと報じられているのですが、その金お菊地直子元被告が出していたのでは?とも疑われています。
これがただ単に菊地直子元被告が稼いだお金だけで賄われていたのであれば、当人達の関係性の問題なのでそれほど騒がれてはいないのですが、高橋克也服役囚が所持していた1700万円というのが、本当は菊地直子元被告と共に働いて貯めた金ではなく、逃亡時にオウム真理教の教団資金から持ち出したものではないかとの疑惑も上がっているため、この金の流れを問題視する声も出ています。
もしもこうした報道が真実であれば、さも純愛のように報じられた高橋寛人元被告と菊地直子元被告の恋愛関係は、実際にはドロドロな関係だったという事になります。
菊地直子の現在① 無罪確定後の生活は不明
菊地直子元被告は、2017年12月27日に無罪が確定し釈放され社会復帰しているとみられていますが、現在の生活については何の情報も出ていないため不明です。
逮捕前に約6年にわたって同棲関係だった高橋寛人元被告との関係が、現在も続いているのかについても気になるところですが、これについての情報も出ていません。
高橋寛人元被告は裁判では、「簡単には離れられない」「また一緒に暮らしたい」と陳述している事もあり、関係を続けたい気持ちがあると推測されます。
ただ、逮捕後に高橋寛人元被告が、菊地直子元被告には内緒で高橋克也服役囚から金を借りていた、あるいは金を脅し取っていたという事も発覚しているため、菊地直子元被告が高橋寛人元被告に対する信頼を失っている可能性もあり、破局している事も考えられます。
菊地直子元被告の両親は、菊地直子元被告が逮捕された際に弁護士を通じて手記を発表しており、地下鉄サリン事件の被害者らに謝罪した上で、「直子、あなたに会いたい気持ちで一杯です。」と書いており、また、勾留中も何度も面会に訪れ親子の関係は修復されていると考えられます。この事から菊地直子元被告は釈放後、実家を頼って生活している可能性が最も高いでしょう。
菊地直子の現在② ブログを開設してマスコミへの反論を展開
菊地直子元被告を名乗る人物が無罪確定後の2018年1月に「闇が深ければ深いほど星はたくさん見えるから」というタイトルでブログを開設されています。
このブログは、自身についてマスコミによる間違った内容の報道が多いため「黙ったままでいれば、それがいつまでも訂正されない」と思ったからはじめたという事です。
このブログを菊地直子元被告本人が書かれているのかを確かめる術はありませんが、かなり詳細かつ具体的であり、本人でなければ知りえないであろう内容もみられるためおそらく菊地直子元被告本人で間違い無いと思われます。
このブログでは、自身の「無実」を主張し、それを裏付ける証拠という形でオウム真理教にいた頃のエピソードなども書かれており、かなり興味深い内容です。
また、マスコミ各社への反論も展開されています。
菊地直子の現在③ マスコミ5社を相手に名誉毀損の民事訴訟中
菊地直子元被告は、2018年9月付けでマスコミ大手5社を相手取り、名誉毀損の民事訴訟を起こしています。
現在、5社相手に名誉毀損の民事訴訟を行なっています。
内容は各社少しずつ違いますが、おおむね、地下鉄サリン事件の嫌疑について真実ではないことを記事に記載されたこと、男女関係について真実ではないことを記載されたことなどに対しての損害賠償と記事の訂正、謝罪等を求めています。
まとめ
今回は、オウム真理教の元信者で「地下鉄サリン事件」などに関与したとの疑いで特別指名手配を受け1995年から17年間の逃亡生活の末、2012年に逮捕された菊地直子元被告についてまとめてみました。
菊地直子元被告は、高橋寛人というオウム真理教とは関係のない人物と交際し6年にわたって同棲しており、その人物は菊地直子元被告がオウム事件で指名手配を受けていると知った上で交際してた事も報じられ世間に大きな衝撃を与えました。
菊地直子元被告は、「東京都庁小包爆弾事件」に関与した疑いで起訴されましたが、裁判では、オウム真理教の犯罪については何も知らなかったという菊地直子元被告の主張が全面的に認められ無罪が確定しています。
現在、菊地直子元被告はブログを開設し、自身の無実の主張を改めて展開しています。事実無根の内容を報じられて名誉を毀損されたとして、大手マスコミ5社を相手取っての民事訴訟も起こしています。その結果など今後の展開にも注目していきましょう。