歌手でタレント、そしてコントでも活躍する大物芸能人の研ナオコですが、薬物での逮捕やホスト狂いも話題です。
今回は研ナオコの若い頃の経歴、薬での逮捕、旦那と娘や息子、ホスト狂いで離婚危機など現在をまとめてみました。
この記事の目次
研ナオコのプロフィール
出典:https://prtimes.jp/
名前:研ナオコ(けん ナオコ)
本名:野口 なを子(のぐち なおこ)
旧姓:浅田 なを子(あさだ なおこ)
生年月日:1953年7月7日
出身地:静岡県伊豆市
血液型:A型
身長:162cm
研ナオコは芸能事務所「田辺エージェンシー」に所属する歌手・タレント・女優・コメディエンヌです。
気怠さと儚さを持ち合わせた独特な歌声と歌唱法は「ナオコ節」と称され、1970年代中盤から1980年代中盤にかけて、数々の名曲をヒットさせ、歌手として世に名を広めました。
代表曲は、「あばよ」「かもめはかもめ」「夏をあきらめて」などです。
歌手としての活動のみならず、テレビタレントとして数多くのCMやバラエティ番組にも出演。
特にザ・ドリフターズ志村けんとの共演や、「カックラキン大放送」のナオコばあちゃんのキャラクターなど、インパクトのある存在感を武器に、コントで人気を博しました。
芸能界で顔が広く、志村けん以外にも明石家さんま・タモリ・所ジョージ・関根勤といったお笑いタレントと交友関係があります。
また、「天才バカボン」や「ひみつのアッコちゃん」の作者として知られる漫画家の赤塚不二夫は研ナオコのファンで、ファンクラブの会長を務めていました。
1990年代以降は、歌手として新曲をリリースすることは激減しましたが、コンサートなどの活動は精力的に行っています。
そんな研ナオコですが、プライベートでの衝撃エピソードがよく話題になります。
特に、ナインティナインの岡村隆史とロンドンブーツ1号2号の田村亮が司会のトーク番組「おかべろ」で暴露した研ナオコのエピソードは、ネットニュースになるほど話題をさらいました。
それは、自身のストーカーをマネージャーにして家に住まわせたという驚愕のエピソードです。
研ナオコが好きすぎてストーカーになってしまった人が、研ナオコに拾われてマネージャーになったという噂があることについて、研ナオコ本人が真実であると認めました。
研ナオコの好物であるみたらし団子を毎回差し入れする女性ファンが、ストーカーのような動きをしていたそうです。
研ナオコが東京でホテル暮らしをしているという情報を聞き付けた際には、東京中のホテルに片っ端から公衆電話で電話をかけるというストーカー行為をしていました。
さらに、研ナオコに近づくために仕事を転々とし、研ナオコの兄の会社を探し出してそこに勤めたりと、そのエピソードはスタジオから悲鳴が沸き起こる立派なストーカーっぷりです。
そしてとうとうストーカー女性は、研ナオコ本人に「研さんの所属事務所に入りたい」と訴えました。
数々のストーカーぶりを見てきた研ナオコは、彼女を「外に置いとくと危ないから」という理由で迎え入れます。
そして「監視しとけば大丈夫」と、研ナオコの子供も暮らす自身の家に住まわせたそうです。
マネージャーとなった女性の他にも、熱心なファンを何人か同様に自宅に住まわせたことがあるという研ナオコに、司会の岡村・田村亮も観覧客も、驚きを隠せずスタジオは騒然としました。
この強烈すぎるエピソードにネット上も盛り上がり、破天荒な研ナオコに対して「面白い」「かっこいい」といった肯定的な声が挙がりました。
ストーカー的なファンさえも身近に置いておくという、衝撃エピソードを持つ研ナオコ。
そんな彼女の若い頃から現在までの芸能人生をまとめました。
さらに結婚した旦那や娘・息子の情報、薬物で逮捕された時の状況や罪など、研ナオコにまつわる気になる情報をくまなく紹介していきます。
研ナオコの若い頃
出典:https://style.nikkei.com/
研ナオコは若い頃から歌手を目指していました。
歌手としてデビューし、現在のようなマルチに活躍するタレントとなるまで、どのような若い頃を過ごしてきたのでしょうか。
ここでは、研ナオコのデビュー前の若い頃から、歌手として頂点にのぼりつめるまでの半生をご紹介していきます。
若い頃から歌手を目指していた研ナオコは、1970年に上京しました。
宝塚劇場でエレベーターガールのアルバイトをしながらトレーニングに励み、晴れて1971年4月1日に東宝レコードの第1号歌手として「大都会のやさぐれ女」でデビューを果たしました。
1973年、美人画で有名な画家・岩田専太郎に「百年に一人出るか出ないかの不世出の美人」と絶賛されます。
それほどの美貌を持っていた研ナオコの若い頃の画像がこちらです。
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1975年、シングル「愚図」をリリース。
この曲で自身初となるオリコンウィークリーランキングベスト入りを果たし、週間最高9位を記録しました。さらに、その年にFNS歌謡祭で優秀歌謡音楽賞を受賞します。
1976年にはシングル「あばよ」で、自身初のオリコンシングルランキング週間1位を獲得。
日本歌謡大賞放送音楽賞、FNS歌謡祭最優秀歌謡音楽賞、第18回日本レコード大賞歌唱賞受賞など数々の音楽賞を受賞し、研ナオコの代表作となりました。
そして、第27回NHK紅白歌合戦に初出場を果たします。
1978年、中島みゆき作詞作曲のシングル「かもめはかもめ」が大ヒット。
日本歌謡大賞放送音楽賞、第20回日本レコード大賞金賞を受賞し、第29回紅白歌合戦に2回目の出場を果たしました。
1982年、桑田佳祐作詞作曲のシングル「夏をあきらめて」でもヒットを飛ばし、第24回日本レコード大賞金賞、日本有線大賞有線音楽賞、全日本有線放送大賞優秀スター賞を受賞しました。
しかし、1983年には急性尿路感染症を患って入院することに。それでも退院後には復帰し、シングル「泣かせて」をリリースして古賀政男記念音楽大賞優秀賞を受賞しました。
多くのヒット曲を世に送り出し、数々の音楽賞を受賞して紅白歌合戦出場も果たした研ナオコ。
歌手として頂点にのぼりつめた研ナオコは、テレビタレントとしても活躍します。
2001年の日本テレビ「24時間テレビ 愛は地球を救う」で、24時間テレビ史上初、歴代最初の女性チャリティーマラソンランナーに選ばれ、85kmを完走しました。
若い頃から第一線で活躍し、現在も活動を続ける研ナオコ。
しかし、その人生は全て順調だったという訳ではなく、一時期は芸能活動を自粛せざるを得ない状況に追い込まれました。
それが、研ナオコの薬物疑惑・逮捕劇です。
研ナオコの薬物での逮捕詳細 【逮捕のきっかけ・処分も紹介】
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1977年9月30日、渋谷区千駄ヶ谷の自宅で厚生省麻薬取締部に家宅捜索を受け、大麻や喫煙具が発見されました。
任意での取り調べで、知り合いのバンドマスターから譲り受けたことを認める供述をしましたが、事案が軽微であるとして東京地検刑事部は11月15日に起訴猶予処分を下しました。
起訴猶予処分とは、犯罪の疑いが明白で容疑がかかる事実がある場合でも、その人物の性格や境遇、犯罪の軽重、犯罪後の情況を鑑みて、訴追が必要ないと判断された際に検察官が行う不起訴処分です。
つまり、起訴すれば有罪は確実であるものの、罪が比較的軽かったり、本人が深く反省していたり、被害者との示談成立などの事情により起訴されないことで、この場合は前科がつきません。
研ナオコのケースも、本人が反省していること、事案が軽微だったことからこれに該当し、不起訴処分となりました。
ただし、起訴猶予処分の場合、前科はつきませんが前歴として記録に残ることになります。
不起訴処分とはなったものの、研ナオコの逮捕のニュースは注目され、世間を騒がせることになりました。
当時、歌手として数々の名曲を世に送り出し、歌手のみならずタレントとしても人気が高かった研ナオコ。大麻使用を認めたことで、世間から非難されることになったのです。
出演予定だった番組はすべて降板となり、当然イメージを大事にするテレビCMも全てが打ち切り、半年間の謹慎を余儀なくされました。
その後、芸能活動再開の際にはテレビで特番が組まれ、謝罪と復帰についての心情を述べる番組が放送されたのです。
芸能界には薬物で逮捕される芸能人が多いですが、研ナオコと同様に不起訴処分・起訴猶予処分・事情聴取のみといった場合も珍しくありません。
しかし、薬物での逮捕はそれまで築き上げてきたイメージが地に落ちる事案で、芸能活動休止や謹慎となる芸能人が多々います。
また、研ナオコと同時期に十数名の芸能人が薬物で逮捕されており、この芋づる式の逮捕劇はのちに「芸能界麻薬汚染事件」と名付けられました。
この逮捕劇の発端となったのは、俳優の岩城滉一と言われています。
1977年、岩城滉一が暴力団から手に入れた覚せい剤を使用した容疑で、警視庁に覚せい剤取締法違反で逮捕されました。
さらに同年、歌手のジョー山中を中心に、芸能人が大麻を入手するルートがあることが発覚。
ジョー中山はこのルートで1973年から1977年までの4年間、合計400グラムもの大麻を入手していました。
長崎県佐世保市にあったこのルートは「佐世保コネクション」などと呼ばれ、複数の芸能人がジョー中山の持つルートから大麻を入手していたというのです。
この2人が逮捕されたことで、薬物疑惑のある芸能人が芋づる式に判明し、連鎖逮捕が始まりました。
1977年8月11日、ジョー中山が佐世保署に逮捕されると、取り調べで複数の芸能人の名前が挙がります。
警察の追及により、ジョー中山はロックスターの内田裕也に大麻2グラム、歌手の美川憲一に大麻1グラムを渡したことを自供しました。
内田裕也は同年9月24日に検挙、美川憲一も同年10月13日に検挙されています。
その後もわずか1年の間に、井上陽水、にしきのあきら、桑名正博、上田正樹、内藤やす子など数々の大物芸能人も連鎖的に薬物疑惑で摘発されることになりました。
研ナオコは、この中に名を連ねる内藤やす子から大麻を入手していたことが分かりました。
研ナオコは取り調べで、知り合いのバンドマスターから大麻を入手したと述べていますが、このバンドマスターの男性は研ナオコの元恋人でした。
元々の入手先はその元恋人の男でしたが、別れてからは内藤やす子から入手していたことが判明したのです。
「芸能界麻薬汚染事件」で逮捕された芸能人の1人となった研ナオコ。
当時、音楽番組では歌手同士で同じ楽屋を使っていたという背景もあり、歌手の間で薬物が蔓延したのかもしれません。
現在も薬物で逮捕される芸能人は後を絶ちませんが、芸能界がクリーンになる日は来るのでしょうか。
そんな研ナオコですが、薬物で逮捕された後に結婚し、子供も生んでいます。
研ナオコの旦那とは
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1987年7月7日、7歳年下の野口典夫と結婚したことを発表した研ナオコ。
旦那の野口典夫は、テレビ制作会社「スタッフ・アズバーズ」(現・アズバーズ)の社員として働いており、研ナオコが主演した日テレ系「主婦代行いたします」のプロデューサーでした。
2人の出会いは結婚の2年前に遡り、1985年にテレビ朝日の「女ひとり旅」のスタッフだった旦那・野口典夫と、番組に出演した研ナオコが出会いました。
番組で出会って恋仲に発展した2人は、1986年に熱愛がマスコミにスクープされています。
2年間で愛を育んだ2人は1987年、研ナオコの34歳の誕生日である七夕の日に、渋谷区役所に婚姻届を提出して夫婦となりました。
2人の結婚はワイドショーでも取り上げられ、和田アキ子や田原俊彦をはじめ、数々の大物芸能人からも祝福されました。
研ナオコの旦那・野口典夫は元々は役者を目指していたそうで、俳優だった山城新伍の付き人をしていた経験があり、「三井大介」という芸名で俳優として活動していた時期もありました。
その後、俳優引退後は「スタッフ・アズバーズ」に勤め、アシスタントプロデューサーを経て、研ナオコとの結婚を機に独立し、芸能事務所「株式会社ケンズファミリー」を設立しました。
「株式会社ケンズファミリー」は、大手芸能プロダクション「田辺エージェンシー」の関連会社で、研ナオコは提携タレントとして所属し、事務所のプロデュースも行なっています。
研ナオコの他にも、モノマネタレントの青木隆治、俳優の伊藤大翔、お笑い芸人のくれないぐみ、音楽ガールズユニットのC;ONが所属しています。
研ナオコの娘・息子とは
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研ナオコは結婚発表と同時に、妊娠6ヶ月であることも発表しました。
結婚した年の1987年10月29日に第1子となる長男が誕生し、その2年後の1989年8月8日に第2子となる長女が誕生しています。
そんな研ナオコの娘が芸能界デビューしたことが話題になりました。
娘は、歌手・タレントでの野口ひとみです。
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野口ひとみは、「小夏・ひとみ・レイナ」というチャイルドグループのメンバーとして1998年にデビューしました。
この「小夏・ひとみ・レイナ」は東横学園小学校(現・東京都市大学付属小学校)の同学年の3人によるグループで、全員が大物芸能人の2世であることが話題になりました。
小夏こと田代小夏は、田代まさしの長女です。同姓同名のプロボウラーがいますが別人です。
レイナこと近藤麗奈は、バブルガム・ブラザーズのBro.KONEの長女です。そして、ひとみこと野口ひとみが研ナオコの娘でした。
しかし、デビューしてからわずか1年で活動休止となり、1999年以降は活動していません。
野口ひとみは現在、歌手やタレントとして活動しています。
母である研ナオコとも共演しており、旅行番組で家族ロケに行ったり、母親の娘役でドラマにも出演するなど、親子揃っての活動も多いようです。
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一方、息子の検太はシアトル大学に留学したことがある秀才で、母親の音楽の才能を受け継いでバンド活動も行なっていました。
一時期は父親が代表を務めるケンズファミリーに所属して俳優として活動を行なっていたこともありますが、現在はプロフィールが削除されており、俳優業は引退したものと思われます。
息子の現在については情報がないため、芸能界を離れて一般人として生活しているのかもしれません。
研ナオコの現在① ホスト狂いで離婚危機?
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愛する旦那、そして娘と息子に囲まれて家庭を築いている研ナオコですが、ホスト狂いになって離婚危機が囁かれました。
研ナオコがハマったホストは、歌舞伎町の老舗ホストクラブ「ニュー愛」に在籍し、「星の王子様」と呼ばれ絶大な人気を誇った有名カリスマホスト「夕聖」です。
王子様のような風貌でピアノやバイオリンを弾き、メディアにもよく出ていたため、多くの人に知られる存在でした。
研ナオコと夕聖は、2007年に放送されたフジテレビ「Dのゲキジョー」で共演したことがきっかけで出会いました。
この時夕聖を気に入った研ナオコがお店に通い始めますが、しばらくして大物芸能人の地位を利用して私生活で関係を迫るようになります。
2007年に週刊誌「フライデー」でホストクラブ通いが報じられ、その後カリスマホスト・夕聖を脅迫してストーカー行為を行なっていたことが「週刊新潮」により報じられました。
研ナオコは夕聖に体の関係を迫り、ホストクラブの社員旅行の行き先に押し掛けたり、ホテルに呼び出そうとしたりと、ホストと客の関係を超えた要求を突きつけていたようです。
ホテルに呼び出したり、家の前での待ち伏せ、さらにメディアでも人気だった夕聖に自身の立場を振りかざして「要求を飲まないなら芸能界にいられなくする」と脅迫したと言われています。
夕聖は警察に研ナオコからのストーカー被害を相談し、最終的には夕聖のマネージャーが研ナオコのマネージャーと話をつけてストーカー行為を止めさせたそうです。
その後、夕聖はホストを引退し、西麻布で「神楽」や「symphoniste」といった会員制バーの経営を始めました。
さらに自身が作詞作曲した楽曲を音楽配信サービスでリリースするなど、アーティストとしても活動。
そして、自身のホスト経験を活かして、著書「時給100万円の会話術」や「秒速でオトす交際術」を出版するなど、マルチに活動しています。
ホスト狂いで離婚危機が囁かれた研ナオコですが、幸い離婚には至らず、現在も旦那・娘・息子と生活しています。
研ナオコの現在② 歌手・タレントとして活動中
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研ナオコは、現在も精力的に芸能活動を行なっています。
2019年8月に千葉県鴨川市の前原海岸特設ステージで開催された令和最大級の夏フェス「江夏フェス2019」には、娘の野口ひとみと親子共演したことが話題になりました。
研ナオコ・ひとみ親子の他にも、Mighty Crown、つのだ☆ひろ、ゆるめるモ!など注目のアーティストが集結し、令和初の夏を彩りました。
また、現在研ナオコは自身のインスタグラムを開設しており、さまざまな画像をアップしています。
仕事風景やプライベートのおしゃれな画像はもちろんですが、クスッと笑えるような体を張ったギャグ画像もアップされており、現在も続々とフォロワーを集めています。
特に自身を宇宙人に見せるかのように「とうとう地球人に捕獲されてしまった」と綴った投稿はフォロワーからも大評判。
研ナオコのお茶目な一面が見られるインスタグラムはおすすめです。
現在の研ナオコは新曲をリリースすることはほとんど無くなりましたが、現在もコンサートを開催したりと音楽活動を続けています。
研ナオコの現在の歌声が気になる方は、ぜひコンサート情報もチェックしてみてくださいね。
まとめ
研ナオコの薬物逮捕事件・結婚した旦那・芸能界デビューした2人の子供・現在の活動を紹介しました。
大物芸能人の地位を手にしながら、薬物やホストなどにハマり、世間を騒がせた研ナオコですが、現在も歌手・タレントとして日本の芸能界を支えています。