2012年に起こった関越自動車道高速バス居眠り運転事故は7人が亡くなり、38人が重軽傷を負った大惨事でした。
今回は事故の場所や原因、犠牲者の死因、運転手と会社への判決、後遺症や心霊現象などその後と現在をまとめました。
この記事の目次
関越自動車道高速バス居眠り運転事故とは
関越自動車道高速バス居眠り運転事故は、2012年4月29日に群馬県藤岡市を走る関越自動車道上り車線の藤岡ジャンクション付近で、ツアーバスが防音壁に衝突した事故です。
これにより、乗客7名が死亡・乗客乗員39名が重軽傷を負いました。
金沢発東京行のツアーバス
出典:mainichi.jp
事故を起こしたのは、金沢駅発東京駅行の都市間ツアーバスでした。
・出発地:金沢駅
・到着地:東京駅・ディズニーランド
・主催会社:株式会社ハーヴェストホールディングス
・運行会社:有限会社陸援隊
この都市間ツアーバスは、片道3000円台(高速路線バスの約半分の値段)と格安の料金で運行されていました。
運行会社の陸援隊は千葉県印西市にあり、このバスと運転手は4月27日の21時20分に東京ディズニーリゾートを出発し、4月28日の朝8時に金沢駅に到着しています。
運転手はホテルで仮眠をとった後、同日の22時10分に45名の乗客を乗せて、新宿駅・東京駅を経由して、東京ディズニーリゾートまで運行する予定となっていました。
金沢駅出発したのは22時10分。その後、富山県高岡駅を経由して、東京に向かう途中の関越自動車道で事故が起こりました。
防音壁に激突
事故が起こったのは4月29日の午前4時40分、群馬県藤岡市の関越自動車道上り線藤岡ジャンクション付近です。
片側3車線の緩やかな左カーブのところで、バスは左側のガードレールに接触し、そのまま高さ3m・厚さ12cmの金属製の防音壁にバス正面からぶつかりました。
そして、防音壁がバスの正面から突き刺さったような状態、バスを真っ二つに切断する状態になったのです。
バスの速度計は92km/hで止まっていたので、ぶつかった時の速度は90km/hを超えていたと思われます。
そのスピードで金属の防音壁にぶつかったため、防音壁がバスにめり込んでいったようです。
バスの全長は約12mありましたが、10.5mもめり込んでいました。まさに「真っ二つ」です。
この事故の衝撃は非常に大きく、近隣の工場でも「ドーン!」という大きな音が聞こえたり、近所の住宅の窓が揺れたりしました。
明け方の静寂を引き裂く「ドーン!」という大爆音が、群馬県の関越自動車道藤岡ジャンクション付近の住宅街にまで轟いたのは、4月29日午前5時前のことだった。
近所に雷でも落ちたのか−−。地元住民が錯覚したほどの轟音。しかしそれは、関越自動車道を走行中の大型バスが防音壁に突っ込んだ音だった。
バスの窓は全部割れていたことからも、その衝撃の大きさがわかります。
多数の死傷者が出る大事故に
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この事故から約10分後、高崎市等広域消防局が事故を感知し、すぐに事故現場を通行止めにして、救助活動が開始されました。
しかし、出入り口があるバスの左サイドは高速道路からはみ出し、事故の衝撃でつぶれていたため、救助に使えず、後部の非常口をこじ開けたり、窓を割るなどして救助が進められています。
この関越自動車道高速バス居眠り運転事故では、7名が死亡し、38名が重軽傷を負う大事故になりました。
事故の犠牲者7人はみんな、バスの進行方向に向かって左側(運転席とは逆サイド)に座っていた人たちです。
左側の座席の窓側の1列目から5列目に座っていた人はみんな亡くなっていて、重傷者も左側の座席に集中していて、軽傷者は右側の座席に座っていた人たちでした。
右側の座席に座っていたか、左側の座席に座っていたかで被害状況は大きく違ったようです。
高速道路でのバスの単独事故で、7人もの死者が出たのは過去最多であり、高速道路での死亡事故全体で見ても当時最多でした。
関越自動車道高速バス居眠り運転事故の場所
関越自動車道高速バス居眠り運転の事故の場所は、群馬県藤岡市を走る藤岡ジャンクション付近です。
ゆるい左カーブでしたが、見通しが悪い場所ではありませんでした。
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また、実はバスはこの場所を走る予定ではなかったのです。
運行指示書では上信越自動車道を経由して、事故現場付近の藤岡ジャンクションで関越自動車道に入る予定でした。
しかし、バスは長岡ジャンクションを経由して関越自動車道に入っていたのです。そして、上信越自動車道から藤岡ジャンクションで合流する直前の地点で事故を起こしました。
関越自動車道高速バス居眠り運転事故の原因は居眠り運転
関越自動車道高速バス居眠り運転事故の原因は、運転手の居眠り運転です。
ただ、直接的な事故原因は居眠り運転ですが、そこにつながるまでの間接的な原因もありました。
運転手が居眠り運転
関越自動車道高速バス居眠り運転事故の原因は、運転手の居眠り運転です。これは、運転手自身が認めています。
また、事故の前から居眠りをしていたようで、バスはフラフラと左右に蛇行しながら走行していたようです。
金沢大4年の女性(21)は「左右に揺れていて事故が起きるのではないかと思っていたら、そうなった」と知人男性に話した。
そして、周囲の不安が的中して事故を起こしてしまいました。
その時の様子を「居眠りをしていて事故当時のことは覚えていない」などと供述している。
睡眠時無呼吸症候群だった
運転手は鑑定留置で、睡眠時無呼吸症候群と診断されています。
睡眠時無呼吸症候群の場合、眠りが浅いために常に寝不足の状態であり、突然の眠気に襲われることもあります。
運転手は途中のサービスエリアでの休憩中に、運転席でうつぶせで休んでいるところを乗客に目撃されています。
キツイ勤務だった
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睡眠時無呼吸症候群だった運転手は、キツイ勤務を強いられていました。運転手の勤務スケジュールを見ていきましょう。
・4月27日 21時20分:東京ディズニーリゾートで客を乗せて金沢に出発
・4月28日 8時00分:金沢駅着
・4月28日 8時30分:仮眠用ホテルにチェックイン
・4月28日 16時30分:仮眠用ホテルをチェックアウトして駐車場へ
・4月28日 22時10分:金沢駅で乗客を乗せて東京に出発
・4月29日 4時40分:事故発生
これを見ると、事故を起こす前日は14時間以上の連続勤務をしています。往路は交代要員はいたものの、運転時間だけでも約11時間です。
仮眠時間は8時間しかありません。シャワーや食事時間、出勤前の用意などを考えると、実質の仮眠時間は5時間あるかどうかというところでしょう。
短時間の仮眠時間を挟んで、また長時間の長距離運転。もちろん、居眠りした運転手が一番悪いのですが、この勤務スケジュールで働かされていたと思うと、同情してしまいます。
安全管理の不徹底
また、この関越自動車道高速バス居眠り運転事故の原因には、安全管理の不徹底もあります。
・乗務前後の点呼を実施していなかった
・運転手にとって初めての道だった
運転手は日本残留孤児の子弟で、1993年に来日し、1994年に日本国籍を取得していますが、日本語は日常会話程度で、取り調べにも通訳が必要な日本語レベルでした。
また、この運転手は短距離運転がメインで、東京~金沢間の長距離運転は未経験で不安を訴えていたことがわかっています。
往路は別の運転手と2人で運行させたが、河野容疑者がその後も「もう少し先まで一緒にいってほしい」と訴えたため、事故を起こした復路の途中まで同じ運転手が同乗した。事故当時は1人だった。
運転手は運転中にカーナビの画面をよく見ていたり、頻繁に急ブレーキをかけたりしていました。カーナビ頼りの不安な中での運転だったようです。
関越自動車道高速バス居眠り運転事故の犠牲者の死因は圧死
関越自動車道高速バス居眠り運転事故では、7人の乗客が犠牲となりました。犠牲者の死因は圧死で、内臓破裂の状態だった犠牲者もいます。
時速90km以上のスピードで、厚さ12cmの金属の壁に正面から突っ込んだのですから、すごい圧力が体にかかったことでしょう。
そのため、遺体の損傷が激しかったようで、身元判明にも時間がかかりました。
確認が遅れた理由について、木村光雄交通部長は「連休で被害者の家族と連絡がつかなかった。損傷があり、顔だけで特定できない遺体もあった」と釈明した。
事故後のバスの損傷を見ただけでも、遺体の損傷が激しいことは想像に難くありません。
関越自動車道高速バス居眠り運転事故では運転手と会社の違反が発覚していた
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関越自動車道高速バス居眠り運転事故では、事故後に運転手と運行会社の無許可営業が発覚しました。
運転手の男性が所有するバス4台のナンバープレートを、陸援隊名義で取得し、それを運転手が違う屋号で無許可営業していたのです。
陸援隊(運行会社):道路運送法違反(名義貸し)で逮捕
運転手の男性は、中国人ツアー客向けに無許可営業していたようです。
また、運行会社の陸援隊は法律で禁止されている日雇いでの運転手雇用や、乗務前後の安全点呼なし、運行指示なしなど、いろいろ違反があったことが発覚しています。
陸援隊を巡っては、国土交通省関東運輸局による特別監査で、乗務前の点呼を実施しないなど、36件の道路運送法上の違反が浮上。
このような違反を見ると、関越自動車道高速バス居眠り運転事故は起こるべくして起こった事故と言えるかもしれません。
関越自動車道高速バス居眠り運転事故の裁判:運転手の判決
関越自動車道高速バス居眠り運転事故では、運転手の河野化山が自動車運転過失致死傷容疑で逮捕されました。
その後、白バスの無許可営業が発覚し、道路運送法違反、電磁的公正証書原本不実記録供用の罪で再逮捕されています。
裁判では、運転手の睡眠時無呼吸症候群による突発的な眠気の有無が争点となり、「事故の20分前から眠気を感じていたが、運転を中止しなかった」として運転手の過失が認められました。
運転手は裁判で、次のような反省の弁を述べています。
河野被告は「運転中に眠気を感じたことはないが、睡眠を十分に取っておらず、バスを運転すべきでなかった」と述べ、「心からおわびします」と謝罪した。
運転手には前橋地裁で、2014年3月25日に懲役9年6ヶ月及び罰金200万円の有罪判決が言い渡されています。
関越自動車道高速バス居眠り運転事故の裁判:会社の判決
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関越自動車道高速バス居眠り運転事故では、運行会社の陸援隊も罪に問われることになりました。この「罪」は運転手の男性に会社の名義を貸していたことです。
会社と社長の男性、それぞれが起訴されていて、次のような判決が言い渡されています。
・社長:懲役2年執行猶予5年、罰金160万円
この社長の男性は事故から約1週間後の2012年5月6日に記者会見を開き、「亡くなった7人の方々にお悔やみを申し上げ、深く深くおわび申し上げます」と謝罪しました。
事故の原因については、運転手にあると強調していました。
運行管理の甘さを認める一方で、事故原因は「(運転手)本人の居眠り」と強調した。
確かに、実際に居眠りをしたのは運転手ですし、会社を守る=従業員を守るという意味では仕方がない主張なのかもしれませんが、なんとなくモヤッとしてしまう記者会見でした。
関越自動車道高速バス居眠り運転事故のその後① 後遺症に苦しむ人も
出典:jin115.com
関越自動車道高速バス居眠り運転事故で、命は助かったもののPTSDなどの後遺症で苦しんでいる被害者もいるようです。
県内の病院に搬送され、額を縫うけがだったが、駆けつけた両親は医師から「心的外傷後ストレス障害(PTSD)の恐れがある。窓から飛び降りるかもしれない」と告げられた。
ハロウィンの映像を見ると、事故の車内の血まみれの映像を思い出して、パニックになってしまうこともあるのだとか。
心に大きな傷を負うほど、関越自動車道高速バス居眠り運転事故はひどい事故だったということですね。
関越自動車道高速バス居眠り運転事故のその後② 現場で心霊現象が?
関越自動車道高速バス居眠り運転事故の事故現場は、現在は心霊スポットになっています。
まず、事故を報じるニュース映像で、事故の場所で顔のようなものが映りこんで話題になりました。
当時の映像を見ると、確かに不気味な顔のようなものを確認することができます。
また、2ちゃんねるの「殺したい人間の実名をあげるスレ」で名前が挙がっていた人物と、犠牲者の名前が一致したという不気味なことも起こりました。
しかも、その名前はありがちな名前ではなく、珍しい部類に入る名前だったのです。
その「殺したい人間の実名をあげるスレ」で、被害者と同じ名前が書きこまれたのは2012年1月24日、そしてその約3ヶ月後にこの関越自動車道高速バス居眠り運転事故が起こりました。
心霊現象的な何かを考えずにはいられません・・・。
関越自動車道高速バス居眠り運転事故の現在
出典:jin115.com
関越自動車道高速バス居眠り運転事故が起こってから、高速バス、特にツアーバスの安全性が問題視されるようになりました。
ツアーバスはコスト削減のために、安全性がおろそかにされていることも多いとの声が挙がり、この事故を機に高速ツアーバスは廃止され、新高速乗合バスに集約されています。
また、事故現場のガードレールと防音壁の間に10cm(報道によっては20~30cm)の隙間があり、この隙間が事故の被害を大きくした可能性があるとして、その対策が行われました。
2022年で事故から10年経ちましたが、事故で母親を亡くした男性が、現在は群馬県警の白バイ隊員になっているというニュースも話題になっています。
関越自動車道高速バス居眠り運転事故のまとめ
関越自動車道高速バス居眠り運転事故について、場所や事故原因、犠牲者の死因と後遺症、運転手と会社のそれぞれの判決と心霊現象などその後、現在をまとめました。
楽しいはずのゴールデンウイークで、東京やディズニーランドに行くはずだったのに取り返しのつかない事故が起こってしまい、被害者やご家族の心情を考えるとやり切れません。
せめて、この事故を教訓に安全性を高める対策が進むことを祈ります。