2023年6月29日に発生した冨永紗菜さん刺殺事件の犯人の伊藤龍稀の荒れた生い立ちと経歴が話題になっています。
この記事では伊藤龍稀の複雑な生い立ちと母親ら家族、中学や高校、事件を起こすまでの経歴、冨永紗菜さんを殺害した事件の動機などについてまとめました。
この記事の目次
- 伊藤龍稀は横浜の女子大学生・冨永紗菜さん刺殺事件の犯人
- 伊藤龍稀の生い立ち① 幼少期は転居を繰り返していたか
- 伊藤龍稀の生い立ち② 母子家庭で中学時代は家出を繰り返し警察沙汰も
- 伊藤龍稀の生い立ち③ 中学時代は明るく人気者だったがメンヘラっぽい面も
- 伊藤龍稀の生い立ち④ 高校の途中でグレて17歳の時に中退
- 伊藤龍稀の家族は母親と弟と妹
- 伊藤龍稀の出身中学
- 伊藤龍樹の高校(17歳で中退)
- 伊藤龍樹の経歴① 高校中退後は主に水商売のボーイとして生計を立てていた
- 伊藤龍稀の経歴② 20歳頃に事件の被害者となる冨永紗菜さんと知り合う
- 伊藤龍稀の経歴③ 冨永紗菜さんと半同棲もヒモのような状態に
- 伊藤龍稀が冨永紗菜さんを刺殺した事件に至るまでの経緯と背景
- 伊藤龍樹が冨永紗菜さん刺殺事件を起こした動機
- まとめ
伊藤龍稀は横浜の女子大学生・冨永紗菜さん刺殺事件の犯人
出典:https://news.tv-asahi.co.jp/
伊藤龍稀(いとう・はるき)容疑者(事件当時22歳)は、2023年6月29日に神奈川県横浜市鶴見区のマンション敷地内(駐車場)で発生した、女子大学生の冨永紗菜さん(事件当時18歳)刺殺事件の犯人として殺人容疑で逮捕された男です。
伊藤龍稀容疑者は、被害者の冨永紗菜さんと事件から見て2年前(2021年頃)から交際していましたが以前から交際トラブルがあり、2021年10月から事件の直前までに合計4回も警察沙汰になっていました。
関係者の証言によると、伊藤龍樹容疑者は以前から冨永紗菜さんに対して暴力を振るっており、冨永紗菜さんが別れを望んでもそれに納得せず、「別れたら殺す」などと脅して無理矢理に関係を続けていたと見られています。
事件当日の朝にも、伊藤龍稀容疑者は盗み持っていた冨永紗菜さんの自宅の鍵を使用して侵入して復縁を迫り、冨永紗菜さんの家族に追い出されていました。その後、伊藤龍樹容疑者はそのままマンションの敷地内に止まって待ち伏せし、自宅から出てきた冨永紗菜さんを隠し持っていた包丁で刺して殺害しています。
伊藤龍稀の生い立ち① 幼少期は転居を繰り返していたか
伊藤龍稀の幼少期の生い立ちは情報がなく明らかにされていません。
ただ、特定されている伊藤龍稀のTwitterのプロフ文から、幼い頃から子供時代は家族で転居を繰り返していた可能性があるようです。
南部→焼香→新田→雀宮→生麦→受験生
このアカウントは大事な人だけフォローするってか、信じられるの女だけ女子限定フォロー
引用:伊藤龍稀のTwitterのプロフ文(現在はアカウントは削除)
伊藤龍稀のTwitterプロフにある「南部」は、山形県南部地方かあるいは同地域の小学校を指していると推測されています。
「焼香」については不明ですが、「新田」については栃木県宇都宮市の「新田小学校」を指していると見られています。
「雀宮」については、宇都宮市雀宮町、「生麦」については、神奈川県横浜市の生麦町を指していると見られ、これらの地域を転々としていた事が推測されます。
伊藤龍稀の生い立ち② 母子家庭で中学時代は家出を繰り返し警察沙汰も
出典:https://news.tv-asahi.co.jp/
伊藤龍樹の生い立ちについては、一部テレビニュースや集英社オンラインなどのメディアが中学2年生から高校時代までの関係者証言をいくつか報じています。
それによると、伊藤龍稀は、中学2年生の初めに、栃木県宇都宮市から神奈川県横浜市へと家族で引っ越して来たようです。
当時、伊藤龍稀は母子家庭で母親と弟と妹の4人家族だったようです。それ以前は父親がいた時期もあったようですが、何らかの理由で結婚生活が終わり母親が伊藤龍稀と弟と妹を引き取り育てていたようです。
また、一時期義理の父親もいたとの事ですが、不良っぽい感じだったという以外は特に情報がありません。
こうした複雑な家庭環境、生い立ちもあってか、伊藤龍稀は中学時代には週に2、3回という頻繁なペースで家出を繰り返し公園で寝泊まりし、警察沙汰になった事もあったとの事です。
ハルキの家は中学のころから母子家庭でした。宇都宮の方から引っ越してきた時にはもう母親だけで、妹と弟のほかに一時期不良っぽい感じの義理の父親という人もいました。ハルキは中学時代から『家にいたくない』『親といたくない』という理由で週に2〜3回は家を飛び出しては近くの公園に寝泊まりしてました。それで警察沙汰になり、余計に母親から冷たくされていたんです
伊藤龍稀の生い立ち③ 中学時代は明るく人気者だったがメンヘラっぽい面も
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伊藤龍稀は中学2年の時に横浜市の中学校の転校してきていますが、その当時の同級生の証言が複数出ています。
出典:https://assets.shueisha.online/
それによると、中学時代の伊藤龍稀は運動が良くでき、部活を複数掛け持ちして特にサッカーには本腰を入れており、ゴールキーパーとして活躍していたとの事です。
龍稀は中学2年の初めくらいに転校してきました。栃木県の方から引っ越してきたはずです。部活動は複数掛け持ちしていたような気がするけど、サッカーに本腰を入れていました。運動神経はかなりよくてサッカーも上手で、ポジションはキーパーだったと思います。
また、当時の伊藤龍稀は性格が明るく、誰とでも分け隔てなく接するため、校内でも人気があったそうです。マジックを校長先生に披露して盛り上げた事もあったようです。
外交的で誰とでも仲よくなるタイプで、少年院に入っちゃうような子とも仲がよかったんですよ。本人は全く悪いことはしてなくて、いいヤツすぎるぐらいだったんですけどね。だから校内では結構な人気者でした。マジックに凝ってるときもあって、何かの集まりで校長先生たちにマジックを披露して大盛り上がりしたこともありました
また。中学時代の別の同級生も、当時の伊藤龍稀は明るい性格で、クラスの中心人物だったと証言しています。
転校生なら普通緊張したりするのに、2年の最初に転校してきた伊藤くんは初日から『よろしく!』と元気よくあいさつして、あっという間に溶け込んでいましたね。ひょうきん者で冗談を言ってみんなを笑わせたり、クラスの中心人物でムードメーカーでしたね。授業中に仲のいいメンバーと騒いだり、ふざけたりしていて先生に一番怒られていた印象があります。
明るくお調子者だったとの証言が多い一方で、当時から伊藤龍稀は恋愛依存でメンヘラっぽい一面もあったとの証言も見られます。
中学時代に付き合っていた女性にフラれたときも、LINEのタイムラインに自殺するだの、もう死ぬ、とかメンヘラっぽいことを投稿してました。
伊藤龍稀の生い立ち④ 高校の途中でグレて17歳の時に中退
伊藤龍稀の高校時代については、中学時代の明るいキャラクターという印象から一変して、大人しめのタイプだったとの証言が高校時代の同級生から出ています。
(伊藤容疑者の高校の同級生)
「一緒のクラスだった時に『友達になってください』って言われて。結構大人しめの子だったから。どうしたんだろうなと思いながら友達になろうみたいな感じになったんですけど」
そして、伊藤龍稀は高校の途中で突然グレたという事です。
「途中から急にグレた。急にヤンキーになった。先生が注意したら『あ、なんだよ?』みたいな。
中学時代からの親友の証言によると、伊藤龍稀はグレたすぐ後の17歳の時に高校を中退。こののタイミングで再婚していた母親が山形県に引っ越す事になるも、母親は弟と妹だけを連れて行き、伊藤龍稀は置いて行かれたそうです。
あいつは17歳で高校を中退したんですけど、ちょうどそのくらいの時期に母親が山形に引っ越すことになったんです。弟と妹は連れられていきましたが、あいつは置いていかれました。母親は再婚していたので、その関係かもしれませんが、詳しい理由はわかりません。あいつはそれから一度、山形に行って、『母親に冷たくされた』と帰ってきたことがありました。親から愛されてない感じはしましたね
母親に置いて行かれた事が高校時代に伊藤龍稀が突然グレた事と関係しているのではと見る向きもあるようです。
伊藤龍稀の家族は母親と弟と妹
伊藤龍稀の家族については、生い立ちのところでも見たようにシングルマザーだった母親と、弟と妹の存在がわかっています。
伊藤龍稀の母親は、伊藤龍稀が17歳の時に高校を中退した直後に、伊藤龍稀を横浜市に置いたまま、弟と妹と再婚相手と山形県に転居した事が明らかになっています。
母親が伊藤龍稀を捨てるようにして置いていった理由は明かされていませんが、中学時代から伊藤龍稀が家出を繰り返すなどして警察沙汰になっており、その頃から母親に冷たくされていたとの証言も出ているため、元々母親との関係は上手くいっていなかったようです。
また、母親は再婚しているとの事で、伊藤龍稀も一時期は義理の父親と同居していた時期があったようです。伊藤龍稀は家族の中で居場所がなかった可能性なども考えられます。
伊藤龍稀の母親や弟妹についての具体的な情報は明かされておらず、今回の事件に対しての伊藤龍稀の家族からのコメントなども現在の時点では出ていません。
伊藤龍稀の出身中学
伊藤龍樹は中学2年生の元に宇都宮市の中学校から横浜市の中学校に引っ越してきた事が明らかにされています。
伊藤龍稀がどこの中学校に通っていたのかの具体的な情報はメディア報道では示されていませんが、特定されている伊藤龍稀のTwitterのプロフ文の内容から、中学1年までは「宇都宮市立雀宮中学校」に中学2年からは「横浜市立生麦中学校」に通っていた可能性が高いと思われます。
伊藤龍樹の高校(17歳で中退)
伊藤龍稀の通っていた高校については情報がなく現在の時点では不明です。
私立高校か公立高校か、県内の高校か県外の高校かなどヒントになるような情報も報じられておらず、現在わかっている情報では伊藤龍稀の高校の特定は難しくなっています。
生い立ちのところでも触れましたが、伊藤龍稀は高校時代に突然ヤンキー化し、そのまま不登校のようになって17歳で高校を中退しています。
伊藤龍稀の高校中退後の経歴については次の見出しで見て行きます。
伊藤龍樹の経歴① 高校中退後は主に水商売のボーイとして生計を立てていた
伊藤龍稀は高校を中退後に黒服でキャッチをしているところを中学時代の同級生に目撃されています。
この同級生は中学時代と伊藤龍稀の印象がかなり違っていた事に衝撃を受けたという事です。
高校を卒業したくらいの時期に横浜でたまたま見かけたんですよ。黒服の格好して夜のお店のキャッチをしてました。髪型も横を刈り上げて前髪は上げて、ヒゲも生やしてて、中学時代と見た目が全然違うから、『あー、グレちゃったんだ』って思いました。
伊藤龍稀の中学時代からの親友の証言によると、伊藤龍稀は高校を中退した後、鶴見駅にある立ち飲み屋でアルバイトをして生計を立てていたそうです。
その後は建築関係の仕事にごく短期間だけ就いたもののすぐに辞め、その後は蒲田や横浜で水商売のボーイの仕事をして生活していたようです。
母親に置いていかれ1人で生活していく必要があったため、手っ取り早く稼げる夜の世界に身を置いていた可能性が高いようです。
ハルキは最初、鶴見駅の立ち飲み屋でバイトしていました。『建築関係の職場に修行しにいく』と宇都宮に出て行ったこともあったんですが、『仕事がきついから辞めた』とあっという間に戻ってきて、蒲田でボーイをしたり、横浜のキャバクラでもボーイをしていました。最近は内装業みたいなこともしていたと聞いたこともあります。
伊藤龍稀の経歴② 20歳頃に事件の被害者となる冨永紗菜さんと知り合う
中学時代からの親友の証言によると、伊藤龍稀は18歳の頃からボーイとして働くようになり、事件から見て2年前(2021年頃)に蒲田の飲食店で働いていた頃に、そこで同僚だったという当時16歳の冨永紗菜さんと知り合ったという事です。
ハルキは18歳ぐらいから飲食店でボーイとして働きはじめて、2年前に蒲田の飲食店に移り、そこでキャストとして働きだした紗菜ちゃんと知り合いました
当時を知る女性によると、この飲食店では従業員同士の交際は禁止されていたため、伊藤龍稀も冨永紗菜さんも数ヶ月後に店を辞めており、それに前後して交際を始めたのだろうとの事です。
また、中学時代からの親友だったという男性によれば、伊藤龍稀は冨永紗菜さんと交際するようになってから、自分達のグループからの誘いも断りがちになったそうです。そして、ある時に、家賃を払えないからと嘘をついて友人から金を借り、その金で冨永紗菜さんにアクセサリをプレゼントしていた事がわかったそうです。
この親友男性は、伊藤龍稀に苦言を呈したそうですが、結局、伊藤龍稀は金を返さないまま、この男性や他の友人をSNSでブロックして連絡を断ったのだそうです。
伊藤龍稀の経歴③ 冨永紗菜さんと半同棲もヒモのような状態に
伊藤龍稀は、冨永紗菜さんと交際するようになり、正確な時期は不明ながら横浜市鶴見区本町通のアパートで半同棲のような生活を始めています。
伊藤龍稀と冨永紗菜さんが仲良く、部屋の掃除をしたり、近所の飲食店に食事に行く姿も度々目撃されていますが、その一方で日常的にアパートの部屋から2人が言い争う声が聞こえており、何か物が壊れるような音や、冨永紗菜さんと見られる女性が大きな声で悲鳴を上げるような声も近隣住民が証言しています。
また、この頃、伊藤龍稀が冨永紗菜さんのヒモのような状態だったとの証言も出ています。
彼氏はニートだったみたいで、いわゆるヒモ状態だったようです。彼女が居酒屋でバイトをしてお金を稼いでいたと聞いています
伊藤龍稀は冨永紗菜さんを殺害して逮捕された際、警察の取り調べに対して、職業を運送会社で働いていると話していたようですが、これについては真偽不明となっています。
伊藤容疑者は勤めていた飲食店をすでに退職しており、逮捕時には運送関係の仕事についていると自称
引用:「痛い、ごめんなさい」「うるさいから黙れ!」“横浜18歳女子大生刺殺”逮捕のパチンコ狂い“22歳ヒモ男”が繰り返した執拗なDVと暴言と「1週間前にようやく別れたのに…」
伊藤龍稀が冨永紗菜さんを刺殺した事件に至るまでの経緯と背景
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伊藤龍稀は冨永紗菜さんを殺害する事件を起こすまでの経緯と背景についても見て行きます。
2021年10月〜2022年12月までに1回目から3回目までの警察沙汰
警察発表によると、2021年10月から、事件が発生した2023年6月までの2年弱の間に、伊藤龍稀と冨永紗菜さんの交際トラブルに関する通報が4回あったという事で、その都度、警察官が駆けつけて対応していたという事です。
2021年10月の1度目の通報は、冨永紗菜さんが友人に伊藤龍稀との交際について相談していたところ、伊藤龍稀が現れて暴力沙汰になり、相談を受けていた友人が通報しています。
2度目の通報は2022年6月で、伊藤龍稀が「俺の写真をSNSに載せろ」と冨永紗菜さんに迫ったのをきっかけに言い争いとなり暴力を振るわれた冨永紗菜さんが通報しています。この1ヶ月後、警察が冨永紗菜さんに確認の連絡をしたところ、「仲直りした」と言われたため、警察は一旦対応を中断しています。
3度目は2022年12月で、伊藤龍稀の自宅アパートから激しく言い争う声を聞いた近隣住民が警察に通報しています。冨永紗菜さんは駆けつけた警察官に「(伊藤龍稀に)殺すと言われ首を絞められた」、「携帯を水没させられた」、「キッチンハイターをかけられた」などの説明をしています。
この時、冨永紗菜さんは被害届は出しておらず、2023年1月に冨永紗菜さんから「仲直りした。今後はトラブルがないように関係を続けたい」と連絡があったという事でした。
2023年6月22日のトラブルで伊藤龍樹が冨永紗菜さん自宅の鍵を盗難
4度目の通報は2023年6月22日でした。この日、伊藤龍稀と冨永紗菜さんは車の中でトラブルになり、ドライブ中に車から降ろされた冨永紗菜さんはバッグを車内に置いたままになりました。
冨永紗菜さんは警察に通報しておき忘れたバッグを返してもらいたいと相談し、連絡を受けた伊藤龍稀は警察に冨永紗菜さんのバッグを提出しています。ところが、バッグに入っていた鍵を伊藤龍稀が盗んだ事が判明。
冨永紗菜さんは鍵を盗まれた事を警察に相談し、警察は自宅の鍵の取り替えなどを冨永さんの家族に勧めています。この際には冨永紗菜さんの父親も警察に呼ばれ、お互いの親(伊藤龍稀の母親には連絡がつかなかった模様)が間に入って交際トラブルに対応する取り決めもされています。
県警によると、冨永さんは6月22日、伊藤容疑者と車の中でけんかになり、この際に鍵が入ったリュックサックを車内に残した。伊藤容疑者はその後、リュックを冨永さんに返したが、鍵は見当たらなかったという。
6月28日に伊藤龍稀が冨永紗菜さんのアルバイト先に押しかけてトラブル
そして、事件の前日にあたる6月28日の夜、伊藤龍稀が冨永紗菜さんのアルバイト先に押しかけて復縁を迫りトラブルが起こります。この時には冨永紗菜さんの父親が駆けつけて間に入っています。
6月29日、盗んだ鍵で伊藤龍稀が冨永さんの自宅に侵入し、その後犯行に及ぶ
そして、6月29日の朝、伊藤龍稀は盗んだ鍵を使って冨永紗菜さんの自宅に無断で侵入。その後家族によって鍵を取り上げられて追い出されています。
その日の午前9時半頃、冨永紗菜さんは友人にLINEで「朝起きたら部屋に(伊藤龍稀が)いて怖かった」との内容のメッセージを送っています。
午前10時15分頃、冨永紗菜さんの母親から「娘が血だらけで倒れている」と110番通報があり、その後、搬送先の病院で冨永紗菜さんの死亡が確認されます。冨永紗菜さんの死因は出血性ショックで、上半身を中心に複数の傷があり抵抗した際にできた傷も確認されています。
午前10時25分頃に事件現場から約1.5km離れた鶴見警察署に「(冨永紗菜さんが)出てくるのを待ち伏せして刺した」と伊藤龍稀が凶器の包丁を持って自首し、殺人の容疑で逮捕されました。
供述によれば、伊藤龍稀は冨永紗菜さんの家族に追い出された後、そのままマンションの敷地内にとどまり、冨永紗菜さんを待ち伏せし隠し持っていた包丁を使って殺害したようです。
伊藤龍樹が冨永紗菜さん刺殺事件を起こした動機
伊藤龍樹が冨永紗菜さんを殺害した動機については、2023年7月の現在も捜査が続いているようです。
伊藤龍樹は取り調べに対し「よりを戻したかったが、説得できなかった」と供述しているとの事で、警察はこれが動機になったとみて捜査を続けているという事です。
伊藤容疑者が「よりを戻したかったが説得できなかった」と供述していることが新たに分かりました。
警察は復縁を迫ってトラブルになったとみて、犯行に至った動機を調べています。
まとめ
今回は、2023年6月29日に横浜市鶴見区で発生した冨永紗菜さん殺害事件の犯人の伊藤龍稀についてまとめてみました。
伊藤龍稀は事件から見て2年ほど前から冨永紗菜さんと交際しており、これまでに何度も交際トラブルで警察沙汰となっていました。今回の事件も交際トラブルのもつれから起きたと見られています。
伊藤龍稀の生い立ちについては、幼少の頃から家族で各地を転々とし、中学2年生の時に栃木県宇都宮市から神奈川県横浜市に引っ越してきた事などがわかっています。当時はスポーツがよくできる明るい性格の人気者だったとの証言も出ています。
しかし、高校進学後に突然ヤンキー化して17歳で中退しています。高校中退後の経歴は、主に飲食店のボーイなどで働いていたようです。
伊藤龍稀の家族については、シングルマザーだった母親と弟と妹の存在が明らかになっています。母親との関係はうまくいっておらず、17歳の時に家族が山形県に転居した際に、伊藤龍稀だけが置いておかれたとの証言も出ています。
伊藤龍稀は1人残された後、冨永紗菜さんと交際して同棲するようになるも、何度も交際を巡って警察沙汰になり、別れ話になるも伊藤龍稀はそれに納得せず、それが今回の事件の動機に繋がったと見られています。