宮川花子さんと言えば夫婦漫才コンビ「宮川大助・花子」として活躍する芸人ですが、車イス姿でがんを公表し話題です。
今回は宮川花子さんの経歴、旦那と娘、過去の胃がん治療と余命宣告、車イス姿や闘病生活など現在をまとめました。
この記事の目次
宮川花子のプロフィール
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宮川 花子(みやがわ はなこ)
本名: 松下美智代
生年月日: 1954年8月28日
出身地: 大阪府
血液型: AB型
身長: 160cm
宮川花子の若い頃の経歴
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若い頃の宮川花子さんは、なんと優秀な警察官だったそうです。どのような経緯で公務員から漫才師に転向したのでしょうか。
宮川花子さんと宮川大介さんの若い頃の出会いについて見てみましょう。
高校を卒業した宮川花子さんは、「男性にもボロクソに言えてスカッとするから」という理由で警察官を志し、大阪府警に入庁しました。
配属先は城東警察署で、交通巡査員として日々交通の安全を守る役目を担い、違反の検挙率はトップを誇っていたそうです。
警察として勤務しながらも、MBSテレビの「素人名人会」に出演して落語を披露し、名人賞を受賞します。
その後、トップの成績を誇りながらも花嫁修業をするからという理由で、警察を退職した宮川花子さん。
万引きの取締保安員として仕事を再開した会社の先輩が、宮川大助さんでした。
宮川花子の家族① 旦那は宮川大助
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宮川 大助(みやがわ だいすけ)
本名: 松下孝美
生年月日: 1949年10月3日
出身地: 鳥取県
血液型: B型
身長: 179cm
宮川大助さんの父親は大工をしていたのですが、生活は苦しく極貧状態で育ったことを明かしています。
高校を卒業すると三菱電機に就職したものの、松竹芸能の養成所に通い、漫才師を目指しました。宮川青丸さんとコンビ「大助・小助」を組みましたが、コンビはわずか3年で解散。
その後は漫才師を休業して警備会社に勤務しましたが、100本もの台本を作り、復活の準備を進めていたそうです。
勤務1年を経過した時に入社して来たのが、宮川花子さんでした。漫才のコンビを組まないかと誘ってきたことがきっかけで、漫才の相方で人生の伴侶となったのです。
宮川花子の家族② 娘は宮川さゆみ
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宮川 さゆみ(みやがわ さゆみ)
生年月日: 1978年3月25日
出身地: 大阪府
血液型: A型
身長: 162cm
宮川大介さんと、宮川花子さんの間に誕生した子供は、1人娘の宮川さゆみさん。
以前は、漫才コンビ「さゆみ・ひかり」を組んでいました。相方のひかりさんは、横山やすしさんの娘です。
2007年、ひかりさんが芸能活動を停止したのと同時に、コンビも自動的に解消となりました。
その後は「宮川家の女達」というトリオを組み活動しています。
宮川花子と旦那・宮川大助とのコンビ秘話
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夫婦で漫才コンビとして、公私共にニ人三脚で走ってきた宮川花子さんと宮川大助さん。
お人良しの性格が滲み出る旦那と早口でテンポよく畳みかける宮川花子さんの芸風は、見てる方も楽しくなってしまいますね。
ここでは、芸人として知られざる2人の活動秘話を見てみましょう。
芸名は宮川トリ子が候補に挙がった
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コンビを結成した年は1976年頃であると言われています。明確な時期が不明なのは、吉本興業に所属し始めた1979年が、公式の結成年になるからです。
2人は各々のお笑い芸人の師匠にデビューすることを了承してもらうと、屋号を宮川と決定。
宮川花子さんの芸名を決めるにあたり、師匠であるチャンバラトリオからは名前を「トリ子」にしてはどうだろう?」と提案されたそうです。
トリ子と言うと、鶏を連想させる名前ですが、実は宮川花子さんは鶏肉の皮にある毛穴のようなプツプツした部分が大の苦手。
トリ子になるぐらいなら漫才師デビューは辞める、と猛烈な抗議をしたことで、「花子」に落ち着いたのだとか。
怪我が原因で芸風を変えた
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デビュー当初は、宮川大助さんが勢いよく喋り、宮川花子さんが相槌を入れる芸風でしたが、徐々に宮川花子さんを投げたりと、俗に言う「どつき漫才」へ方向性を変えました。
しかし、宮川花子さんに生傷が絶えなかったようです。
そこで周囲からアドバイスを受け、宮川花子さんが話の主導権を握ってまくし立てる口調で話して、宮川大助さんがぼんやりした感じの返しをする芸風へとスイッチしたそう。
すると、大いに受けて瞬く間に人気者になりました。
旦那を尻に敷く、かかあ天下のようなネタが多いですが、ネタは宮川大助さんが全て考えており、夫婦仲はとても良いのだとか。
宮川花子の過去の胃がん治療・余命宣告が話題に
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宮川花子さんは、1988年に胃がんを患った過去があります。
この当時はがんの告知に関して今と異なるため、不安な思いを抱えて手術に臨んだことを後年明かしています。
病名を明かされず手術を受けた
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宮川花子さんの胃がんの告知を医師から受けたのは、宮川大助さんでした。娘のさゆみさんは、当時は小学生。
宮川花子さんを不安にさせまいと、宮川大助さんは「ポリープができたので手術で除去する」と伝えたのです。
宮川大助さんは、これまで宮川花子さんに負担をかけ、母親としての役目も中途半端にさせてしまったことを負い目に感じていたそうです。
入院した宮川花子さんは胃の一部を切除する手術を受けましたが、本当の病名を明かされていないことに対して不安が大きかったと語っています。
実は宮川花子さんは、母親と看護師が「転移が…」と話しているのを聞いてしまい、もしかしたら胃がんなのではないかと精神的に厳しかったそうです。
病室を訪れた宮川大助さんに向かって、「もう別れてもいい。こんな体のやつ嫌やろ」と当たりちらしたこともあったんだとか。
それを聞いた宮川大助さんは、見たことが無いほど激怒したそうです。
「あほか~っ! 見損なうな。嫁のひとりぐらい病気になったからいうて、それで負けるような、捨てて逃げるような、弱い男と違うぞ!」
そして大助はこう続けた。
「心配すな。絶対元気になる。がんばらなあかん。本人が負けてどないするんや」
引用:宮川花子 胃がんと聞いたのは手術5年後だった – NEWSポストセブン https://www.news-postseven.com/
宮川大助さんの剣幕に押されながらも、この言葉が入院中の心の支えになったと明かしています。
結局、本当の病名を知ったのは手術から5年後のことだったのだとか。
宮川花子の旦那・宮川大助が脳出血で倒れたことも
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宮川花子さんの胃がん手術から数年後、宮川大助さんはある日突然脳出血で倒れ、治療のために暫く入院しました。
当時について、宮川花子さんはかなり気が動転していたそうです。
ここでは、宮川大助さんが脳梗塞を起こした経緯について見てみましょう。
稽古中に倒れて宮川大助は覚悟を決めた
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2007年、テレビの企画でダンスのレッスンを受けている最中に、突如頭の中でブチッという音が聞こえた宮川大助さん。途端に左半身が痺れて真っすぐ立つことができなかったそうです。
床に倒れ込み、これは死んでしまうかもしれないと考えて、稽古場にいた娘のさゆみさんに「お母さんとさゆみに会えて良かった。ありがとう」と言葉を掛けたそうです。
運び込まれた病院には幸い、脳外科専門医が当直していたのですぐに処置を受けられたようです。しかし、医師からは「今夜がヤマです」と伝えられました。
宮川花子は思い詰めていた
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宮川花子さんは一旦自宅に戻りながらも、頭の中で最悪の事態がぐるぐると駆け巡りました。
思い詰めて心中を考えた宮川花子さんは、娘のさゆみさんに向かって「棺桶は二つ用意して欲しい」と頼み、驚かれたそうです。
結果的に宮川大助さんは意識が戻り、後遺症も心配ないことが判明。
倒れた原因は塩分過多でした。塩辛いものが大好きで何にでも醤油かけて食していたんだとか。脳梗塞を起こしてからは、塩分や血圧の推移に気を遣うようになったそうです。
宮川花子の現在① がんが再発・余命宣告を受けていた
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30代の頃に胃がんを患った宮川花子さんは、2018年に余命半年を宣告されていました。
2018年に余命半年を宣告された
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2018年3月に腰痛を訴えた宮川花子さんは、病院でレントゲン写真を撮ってがんの再発が発覚しました。
そして医師からは、余命半年の宣告を受けました。
告知を受けた夫妻ですが、がん治療をすると副作用で姿が変わってしまうことに躊躇してしまったそうで、大坂にあるがんセンターを紹介されるも迷ううちに5ヶ月が経過。
その間にも腫瘍ができてしまい、体が動かなくなってしまいました。
トイレにも1人で行くことができなくなり、宮川大助さんと娘のさゆみさん、さらにお手伝いさんの3人がかりでやっとだったのだとか。
そのうち、トイレに連れて行くだけで骨折をすることが多くなりました。神経がマヒしている状態なので、痛みが全く感じられなかったのです。
病院へ入院し治療へ
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さすがに副作用に躊躇っているわけにもいかないと、病院へ入院し治療を開始した宮川花子さん。病気であることを伏せて、闘病生活を送ると決心。
精密検査をしてみると、転移型のがんではないことが発覚し、余命半年という話は無くなりました。
しかし、がんであることには変わりません。医師からは「下半身は動かなくなるだろう。覚悟してください」と告げられています。
宮川大助さんが語るには、どうにか宮川花子さんの余命をどうやって伸ばせるだろうか、こればかりを考える日々だったそうです。
ただ、新しい薬品がマッチしたようで効果がみるみると出始めて、動かないと言われた足が動くようになりました。
リハビリに取り組み始めた
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リハビリを始めた当初は、医師に体を支えられた状態で1cm歩くのがやっと。宮川花子さんは、暫く寝たきりの状態が続いたことで、筋力が落ちて足が細くなってしまいました。
毎日リハビリをしても筋肉が付き始めるまで半年以上かかるのだそうで、地道に歩行器に捕まって1歩ずつ歩行距離を伸ばせるように頑張った宮川花子さん。
顔の形も少しずつ以前の形に戻り、宮川大助さんは信じられない気持ちで回復していく宮川花子さんを見守っていたのだとか。
その後、リハビリの成果もあり、トイレに1人で行けるようになったそうです。
回復を遂げたかに見せた宮川花子さんですが、一見手足が動くようになったものの、劇的な回復をしていたわけではありませんでした。
腫瘍は残っていたため激痛に襲われ続けており、地道に化学療法に取り組んできたのです。
宮川花子の現在② 車イスでがんを公表し話題に
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これまで病気を伏せて闘病を続けてきた宮川花子さんでしたが、2019年12月に「多発性骨髄腫」を患っていると公表しました。
多発性骨髄腫とは?
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多発性骨髄腫とは血液のがんで、これまでの事例としては不治の病として認識されており、おおよそ余命は3年ぐらいと言われています。
多発性骨髄腫は60代で発症するケースが多く見られ、10万人に5人の割合で存在しています。
しかし近年では新薬の開発に伴い、根治を目指すことができる病気になってきたと「週刊朝日MOOK 新名医の最新治療 2017」で発表されています。
車イスで緊急記者会見
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2019年12月11日、奈良県立医科大学付属病院の医師が同席した緊急記者会見が開かれて、宮川花子さんが車イスに乗った状態で登壇しました。
現在の病気の名前や病気の状態について細かく説明が行われ、仕事は一切目途が立たないと明かしています。
宮川花子さんが医師や宮川大介さんに感謝の意を述べると、宮川大助さんは「嫁に2度目の恋をする。これが大介花子の人生劇場」とコメント。
インタビュアーから「大恋愛中なんですね」と話を向けられると、素直な気持ちを回答しています。
大恋愛です。好きで好きでたまりませんよ。家に帰って1人のさみしさ…1人で箸持って、茶碗持って、冷めたご飯を食べるのは味がないです。
夢を持って、大阪の3畳と6畳のアパートが僕らのスタートだったんですけど、昨日のように思い出されます。
引用:多発性骨髄腫を公表した宮川花子さん – FNN PRIME https://www.fnn.jp/
そして、全国の妻帯者の男性に向けて「女房が元気な時にもっと大事にして欲しいです」とエールを送りました。
宮川花子の現在③ がん闘病生活の密着取材が話題に
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フジテレビ「直撃LIVE グッディ!」において、病名を明かす前からカメラの密着取材を受けていた宮川花子さんの闘病生活を捉えた映像が流されました。
激痛に耐えかねた宮川花子さんが「痛い!」と悲鳴を上げる姿や、弱気にさせまいと宮川大助さんが毎日病院に顔を出して勇気づけるリアルな様子が、視聴者の心を捉えました。
旦那が病室から出て行くと、カメラが回っていても堪えきれず涙を流す宮川花子さん。それでも、宮川大助さんの前では決して泣かないと決めているそうです。
闘病生活について宮川花子さんは、「闘病というのは自分のためではなく周りの人が闘ってくれている。くじけるわけにいかない」と、今の気持ちを明かしました。
夫も苦しい?とか(聞いてくるが)、苦しないよって(答える)。苦しい言うたら、言われて帰った人の方が心配するし。
彼の人生の中で妻に迎えた私が苦労かけてると思ったら嫌やし…苦労かけてるのは私やし。それだけはしたくない。
引用:多発性骨髄腫を公表した宮川花子さん – FNN PRIME https://www.fnn.jp/
病室を立ち去る時に「明日も来るで」と言われると、内心申し訳ないと思ってしまうようです。
ですが、それを言葉にしてしまうと宮川大助さんが嫌がるからと考えて、わざと「申し訳ない」を口にしないのだとか。
グッディ!のディレクターが語る宮川花子
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ドキュメンタリーとして、宮川花子さんの闘病の様子をカメラが取材した期間は600日に及びました。番組ディレクターを務める神林紀行さんが、撮影中の様子を語りました。
初めて宮川花子さんと出会ったのは2010年だったようで、新たなスタッフが加わるとまずはニックネームを付けることから入る宮川花子さん。
「あんたはどういう性格の人なの?」と聞かれて、「まあ強いて言えばドMですかね」と答えると「じゃあエムちゃんだね」と言われてニックネームが決まったんだとか。
そして宮川花子さんから可愛がられて、「あんたは弟子見習いだから」と言われているそう。
密着取材が決まった時、「花子師匠を最期まで見届ける」という覚悟を決めた神林紀行さん。
「花子師匠がどういう病気を患い、それを乗り越えてここにいるんだということを伝えるのは、僕にしかできないですね」と意気込みを見せました。
オムツの交換場面もカメラを止めなかった
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宮川花子さんの近くで日々撮影をする内に、カメラを回すことに躊躇を覚えたシーンも何度もあったそうです。
例えばオムツかぶれができてしまい、患部を確認するためにオムツを脱がしているシーンもありました。
さすがに、カメラを回すのは忍びないと止めようとしたところ、宮川花子さんは「エムちゃん、ちゃんと撮っておいて」と言ってくれたのだとか。
また、病室を訪れた人達の様子を病室で宮川花子さん自らが撮影した動画も、番組内で放送されました。
最近のた動画には、「似顔絵を描いてもらったよー」と元気に報告する宮川花子さんの姿がありました。
まとめ
出典:http://news.yoshimoto.co.jp/
宮川花子さんは、宮川大助さんと漫才コンビを組み、夫婦漫才が受けて人気を博しました。
結婚後の34歳の時、胃がんを患い手術で治療し、見事復帰しました。
しかし2018年、「多発性骨髄腫」という血液のがんが発覚しています。
2019年12月に記者会見を開いて病名を公表し、車イスに乗った姿で登場した宮川花子さんは、がんの治療とリハビリを続けていることを明かしています。
仕事に復帰したいと希望を持つ宮川花子さん。
「宮川大助・花子」として、元気に夫婦漫才をする姿を見られることを期待して、今後の宮川花子さんの治療とリハビリを応援しましょう。