相撲部屋のおかみさんは大変な仕事と言われていますが、それを立派にこなした元女性アイドルがいます。その元女性アイドルは高田みづえさんです。
高田みづえさんのプロフィールや身長、若い頃からの経歴、ヒット曲や旦那の若嶋津六夫との馴れ初めや子供(息子・娘)について、自宅や旦那の死因と現在をまとめました。
この記事の目次
高田みづえは元アイドル+相撲部屋おかみ

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高田みづえ
本名:日高みづえ
生年月日:1960年6月23日
出身:鹿児島県揖宿郡頴娃町
所属:バーニングプロダクション
活動:元相撲部屋女将・元アイドル
高田みづえさんは元アイドルで、結婚後は松ケ根部屋(のちの二所ノ関部屋)の女将として相撲部屋を切り盛りしていました。
超人気トップアイドルから相撲部屋の女将に転身するという異例の経歴が注目されましたが、女将業を立派にこなし、さらに旦那の若嶋津六夫さんが意識不明になる大けがを負った時には懸命に看病する姿が報じられ話題になりました。
高田みづえの身長

高田みづえさんの身長は153.8cmです。日本人女性の平均身長よりは約4cm低いですが、そこまで「背が低い」というわけではありません。
でも、高田みづえさんはかなり小柄で背が低いイメージがあると思います。なぜ、そのようなイメージがあるのか?それは、旦那の若島津六夫さんの身長が高いからだと思います。
旦那の若島津六夫さんの身長は188cm。大相撲力士(しかも大関)ですから、身長も高いし横にも大きく、ガッシリした体型をしています。晩年は持病の影響で痩せましたが、それでも骨格はしっかりしていて大柄であることが分かります。
それに対し、高田みづえさんは身長153.8cm。しかも、芸能人ですから体の線は細く華奢な体型をしています。芸能界引退後は夫婦2人で並んで写真を撮ることも多かったので、高田みづえさんの身長は低いという印象がついたのでしょう。
高田みづえの若い頃からの経歴
芸能界を目指して上京

高田みづえさんは、1960年に鹿児島県指宿郡頴娃町別府(現在の南九州市)で生まれました。
実家は農業を営んでおり、両親は忙しかったのか、おじいちゃん子・おばあちゃん子だそうです。そして、祖父母が歌が好きだった影響もあり、高田みづえさんも歌を歌うようになり、歌手を目指してのど自慢大会に多数出演していました。
また、子供のころは新聞配達のアルバイトを小学3年生から中学3年生までの7年間続けていて、そのバイト代で歌のレッスンに通っていました。
中学校を卒業した1976年に歌手を目指して上京し、フジテレビのオーディション番組『君こそスターだ!』で第18代グランドチャンピオンに輝き、芸能界入りを果たします。
所属事務所はバーニングプロダクションで、上京後は社長の家に下宿をして、社長の子供の世話をしながら、成人するまでの5年間は生活していました。
アイドル歌手として人気に

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1977年3月に「硝子坂」でデビューをします。アイドル歌手としてデビューしましたが、アイドル離れしている歌唱力と表現力、よく通る声がファンの心をつかみ、デビュー曲からヒットを飛ばし、新人賞を総なめにしたほか、大晦日の紅白歌合戦にも出場しました。
その後もヒット曲に恵まれ、1979年以外は引退するまで合計7回、紅白歌合戦に出場しています。
また、歌手活動だけでなく、アイドルらしくテレビタレントとしても活動していて、次のような人気番組に出演することが多くありました。
・『8時だョ!全員集合』
・『ドリフ大爆笑』
・『カックラキン大放送!!』
高田みづえさんはドリフターズや研ナオコさんや新御三家の野口五郎さん・郷ひろみさん・西城秀樹さんらとコントを演じ、幅広い年代から支持されるアイドルに成長しました。
結婚を機に引退

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人気アイドルとして、歌手活動をしたり、「カックラキン大放送!!」にレギュラー出演するなどバラエティ番組に出演していた高田みづえさんですが、1985年2月に大関・若嶋津関との婚約発表と同時に芸能界引退を発表しました。
そして、同年6月には東京と大阪でファイナルコンサートを開催して、ファンに別れを告げ、6月5日には人気歌番組の『夜のヒットスタジオ』に出演し、「高田みづえサヨナラ企画」で自身のヒット曲のメドレーと最後のシングル曲「カーテン・コール」を熱唱し、芸能界を完全に引退しています。
高田みづえのヒット曲

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高田みづえさんの主なヒット曲をご紹介します。
・硝子坂(1977年)
・だけど…(1977年)
・ビードロ恋細工(1977年)
・花しぐれ(1978年)
・パープル・シャドウ(1978年)
・私はピアノ(1980年)
・そんなヒロシに騙されて(1983年)
1977年のデビュー曲からヒット曲に恵まれていた高田みづえさんでが、1978年後半から1979年にかけてはヒット曲に恵まれず、1979年の紅白歌合戦出場を逃すことになりました。そんな高田みづえさんを再ブレイクさせた曲が「私はピアノ」です。
この「私はピアノ」はサザンオールスターズの桑田佳祐さんが作詞作曲していて、高田みづえさんの最大のヒット曲になりました。また、1983年の「そんなヒロシに騙されて」も桑田佳祐さんが作詞作曲でオリコン6位とヒットしました。
高田みづえの旦那は若嶋津六夫

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若嶋津六夫
本名:日高六男
生年月日:1957年1月12日
出身:鹿児島県熊毛郡中種子町(種子島)
身長:188cm
体重:125kg
所属:日本相撲協会
活動:元大相撲力士、親方
高田みづえさんの旦那は若嶋津六夫さんです。
若嶋津六夫さんは1957年に鹿児島県の種子島で生まれました。ご両親は農漁業を営んでいて、8人兄弟の末っ子(六男)として生まれます。
小学校の時には鹿児島市内に引越し、中学3年生の時には下校途中に鹿児島商工高校の相撲部監督に勧誘され、同高に入学。相撲部では国体優勝に貢献するなど突出した才能を見せ、高校卒業後には相撲部監督の紹介で二子山部屋に入門しました。
1975年3月場所で本名の「日高」として初土俵を踏み、1980年には新十両になり、四股名を「若島津」に変えました。翌年には新入幕を果たし、敢闘賞を受賞するなどの活躍を見せます。
1983年には念願の大関昇進を果たし、2度の幕内優勝を成し遂げましたが、その後は綱取りに失敗し、成績不振となり、糖尿病などを発症して、1987年7月場所で現役を引退することになりました。
引退後は年寄・松ヶ根を襲名し、二子山部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たり、1990年には独立して松ヶ根部屋を設立します。その後、日本相撲協会理事などを務め、2023年には停年で相撲協会を退職しています。
高田みづえと若嶋津六夫の結婚や馴れ初め

高田みづえさんと若嶋津六夫さんは、1985年に結婚しています。高田みづえさんが25歳、若嶋津六夫さんは28歳での結婚でした。
2人の結婚式・披露宴は1985年9月27日に執り行われましたが、ホテル・ニューオータニで行われた披露宴はテレビ朝日が生中継し、平均視聴率30.2%という驚異的な視聴率を叩き出しました。
2人の披露宴をテレビ朝日が独占生中継できたのは、「大相撲ダイジェスト」で民放キー局の中では角界と深いつながりがあったからのようです。
それにしても視聴率30.2%というのは、とてつもない数字ですよね。現代とは異なり、娯楽の数が少なく、「娯楽といえばテレビ」という時代だったにせよ、披露宴の生中継で視聴率30%超!!!
それだけ人気アイドル・タレントの高田みづえさんと現役大関の若嶋津六夫さんは、世間に注目されるカップルだったのでしょう。
披露宴は芸能界・角界から著名人が出席しましたが、芸人の明石家さんまさんも出席していました。明石家さんまさんと高田みづえさんは、「なるほど!ザ・ワールド」で共演していて、息の合ったコンビだったこともあり、2人には熱愛の噂があったんです。
披露宴で高田みづえさんがその噂をネタにして、替え歌を披露したら、旦那の若嶋津六夫さんが激怒してしまったことがありました。
披露宴で高田さんが「そんなヒロシに騙されて」の替え歌「そんなさんまに騙されて」を披露したところ、大盛り上がり。
だが、真面目な若嶋津さんは「本当か?」と真に受けてしまい、大激怒。さんまをつかみステージ上でぐるぐると振り回し、サンマのワイシャツのボタンが吹き飛んでしまったという。
引用:さんま「修羅場や」若嶋津さんと高田みづえさんの披露宴懐かしむ「みづえちゃんが悪い女でな」 – 芸能 : 日刊スポーツ
明石家さんまさんを現役大関の若嶋津六夫さんがグルグルと振り回している様子が全国に生中継されたと考えると、なかなかカオスな生中継ですね。
2人の馴れ初めは対談
高田みづえさんと若嶋津六夫さんの馴れ初めは対談です。元々、若嶋津六夫さんは高田みづえさんの大ファンで、幕内に上がった際のインタビューで、「理想の女性は?」と聞かれた時に「高田みづえさん」と答えていました。
そして、1981年にスポーツ新聞の対談で初めて2人は出会いました。その1年後にまた仕事で会うことになったのですが、若嶋津六夫さんは高田みづえさんに「次の大一番に勝ったらデートしてくれ」とお願いして、見事に白星を挙げてデートに行き、交際を始めました。
ただ、若嶋津六夫さんは身長188cm。外でデートすると、とても目立ちます。そのため、基本的には電話をするのみで、デートは新宿に「インディ・ジョーンズを見に行った」という1回だけだったそうです。
特別にプロポーズがあったわけではないものの、1984年7月場所で若嶋津関が全勝優勝した後に、「事務所の社長さんにごあいさつに行ってもいい?」と言われたことが結果的にプロポーズになりました。
高田みづえさんは芸能界を引退することにためらいはあったものの、「2つを一緒にやるのは無理だろうな」と感じ、歌うことも好きだけどもっと好きな人ができたという理由で、芸能界を引退することを決めたそうです。
「歌も大好きだけど、もっと好きな人ができました」
かつて人気絶頂だった歌手は、事務所社長にそう引退の意思を伝えた。
高田みづえは相撲部屋の女将を立派にこなす

高田みづえさんは結婚を機に芸能界を引退して、旦那の若嶋津六夫さんが引退した後は、相撲部屋の女将さんとして相撲部屋を切り盛りすることになりました。しかし、結婚当初は「アイドルに相撲部屋の女将は務まらないのでは?」というネガティブな意見が多く見られました。
しかし、高田みづえさんはその下馬評を自らの行動で見事にひっくり返したのです。
旦那が相撲部屋を立ち上げる時には、独身時代の貯金を「役立ててください」と差し出したそうですし、いつなん時も割烹着やエプロン、ジーパン姿で飾らない姿で部屋の切り盛りをしていました。
また、「高田みづえ」であることを表に出さず、時々は旦那の若嶋津六夫さんと夫婦で共演することはあるものの、芸能界からは完全に身を引いていました。
さらに部屋の力士たちかも、高田みづえさんの気配りは好評で、旦那の若嶋津六夫さんからは全幅の信頼を得ていたとのこと。
力士たちは、「クリスマスには、部屋の階段一段一段におかみさんからのプレゼントがそれぞれに置いてあるんですよ」「成人式にはおかみさんが赤飯を炊いてくれるんです。うちの親だったらきっと忘れてますよ(笑)」などと口々に“おかみさん自慢”をするのだった。
引用:「これでもアイドルだったのよっ」芸能界を引退し“男だけの”相撲界へ…元・高田みづえが32年間のおかみさん業を“卒業”するまで(3/5) – 相撲 – Number Web – ナンバー
2014年、二所ノ関一門9部屋をたばねる二所ノ関の大名跡を継承したのは、親方の人望に加え、みづえさんの「内助の功」が大きかった。
若嶋津六夫が5人の関取を育て上げ、親方としても充分な実績を残すことができたのは、高田みづえさんが親方をしっかりと支えていたからでしょう。
私生活でも旦那を支える
高田みづえさんは女将として相撲部屋を切り盛りしただけでなく、妻として旦那の若嶋津六夫さんを支えていました。
若嶋津六夫さんは現役時代から糖尿病を発症していましたが、健康管理のために高田みづえさんは栄養管理を勉強し、食生活を支えていました。
また2017年には若嶋津六夫さんは路上で転倒して頭部を強打し、5時間にも及ぶ大手術をして意識不明の重体になりましたが、その際もみづえさんは病院に通い、その合間には相撲部屋のこと(地方場所や巡業のための段取り決めなど)を切り盛りしていたとのこと。
意識不明の状態が長く続いていた若嶋津六夫さんでしたが、高田みづえさんの看病のかいもあり、2018年には杖をついて歩けるようになり、相撲協会の職務に復帰できるまでに回復しました。
高田みづえと若嶋津六夫の子供は2人(息子と娘)

高田みづえさんと若嶋津六夫さんには子供が2人います。
・長男:勝信(1986年12月19日生まれ)
・長女:愛里(1989年1月22日生まれ)
長男の勝信さんは高校卒業後にイギリスに留学していましたが、帰国後は俳優として活動し、「幸せになろうよ」の連続ドラマや舞台「學蘭歌劇 帝一の國」などに出演していましたが、2015年以降は俳優活動を行っておらず、現在はRITUという教育事業を行っている会社で営業・マーケティングチームのリーダーとして販売全般のマネジメントをしています。
長女の愛里さんは大学2年生の頃に芸能界入りを志し、2011年からはギャル系雑誌の「EDGE STYLE」の専属モデルとして「アイリ」の芸名で活動を始め、2012年からは舞台女優として活動をするようになりました。2015年にはTBS系「私の何がイケないの?」で高田みづえさんと親子共演を果たし、その後も舞台を中心に芸能活動を続けていました。
2022年には俳優の春山翔さんと結婚していたことを発表し、2024年に第一子を出産、2026年2月には第二子を妊娠中であることを公表しています。
高田みづえの自宅

高田みづえさんの自宅は千葉県船橋市にあります。
千葉県船橋市には、若嶋津六夫さんが立ち上げた松ヶ根部屋がありましたが、若嶋津六夫さんが65歳で定年を迎えて日本相撲協会を退職した後はその松ヶ根部屋があった建物を自宅として使っているそうです。
土俵だった場所には板を敷いてリビングにしているしていますが、部屋の隅には相撲部屋時代からあった2本のテッポウ柱が残っています。
相撲部屋だった建物をそのまま自宅に使っていたということは、現在の自宅はかなり広いのでしょう。
高田みづえの旦那・若嶋津六夫の死因

若嶋津六夫さんは2026年3月15日に亡くなりました。死因は肺炎です。
2017年に転倒して意識不明の重体になってからは高田みづえさんの懸命の看護もあり回復しましたが、完全回復したというわけではなく、2025年夏ごろから体調を崩していて、入院生活を送っていて、療養生活の中で肺炎を併発して亡くなったようです。
3月24日に告別式が行われ、高田みづえさんが喪主を務め、涙を流しながら挨拶をしていました。
高田みづえの現在

高田みづえさんは現在、旦那を亡くしたばかりで、精神的に不安定なことがあるようです。
高田さんは「今一人でいると危ない時がある」と精神的に不安定な状態であることを告白したそうで、渡辺さんは「もっと“二人きり”したかったみたいです。女将さんでしたし…」と友人の胸中を察しています。
引用:高田みづえ、元大関若嶋津と死別で「一人でいると危ない時がある」 友人・渡辺真知子が近影公開「小さな身体が痛々しい」(1/2) | エンタメ ねとらぼ
ただ、長女のアイリさんは妊娠中で第二子出産を控えていますし、娘や孫の世話などに追われて、良い意味で忙しくなり、悲しみを癒す時間になるかもしれません。また、落ち着いたら芸能活動をマイペースに再開する可能性もあると思います。
高田みづえのまとめ
高田みづえさんのプロフィールや身長、若い頃からの経歴やヒット曲、結婚した旦那の若嶋津六夫さんとの馴れ初め、子供(息子や娘)、自宅や若嶋津六夫さんの死因、現在をまとめました。
高田みづえさんは今後芸能活動を再開して、歌を披露する機会はあるんでしょうか?注目していきたいですね。

















