大山のぶ代さんはアニメ「ドラえもん」の3代目声優として有名ですが、旦那・砂川啓介さんとの闘病生活や老人ホーム生活も話題です。
今回は大山のぶ代さんの若い頃、代表作品、旦那・砂川啓介さんの死因や子供、闘病生活や老人ホーム生活の現在をまとめました。
この記事の目次
大山のぶ代のプロフィール
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大山 のぶ代(おおやま のぶよ)
本名: 山下 羨代(旧姓は大山)
愛称: ペコ
生年月日: 1933年10月16日
出身地: 東京都渋谷区
血液型: O型
身長: 162cm
大山のぶ代の若い頃
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大山のぶ代さんが26年の長い年月をかけて演じてきた「ドラえもん」は、国民的な人気番組として現在も放送が続いています。
そんな声優の大御所として知られる大山のぶ代さんですが、若い頃は女優をしていた時代もあったのです。
そもそも声優になった理由も、家庭の事情が大きかったのだとか。大山のぶ代さんの知られざる若い頃の様子を振り返ってみましょう。
幼い頃の大山のぶ代さんは、声が特徴的なことからいじめを受けていたそうで、性格が極端に引っ込み思案だったそうです。
将来を心配した母親から、「黙ってばかりでは弱くなってしまうから、聞き取りやすい話し方や声の出し方を覚えておいた方が良い」とアドバイスを受けました。
中学生だった大山のぶ代さんは、放送部に入りアナウンスやラジオドラマを披露してみたところ、演劇部から誘われて初舞台「シンデレラ」で意地悪な継母役を演じました。
高校生になった大山のぶ代さんは、演劇部と水泳部に所属し青春を謳歌していましたが、高校2年生の時に母親が病気で他界。
将来、独身でも食べるに困らないようにと決意し、演劇を人生の仕事として選んだのです。
女優としてデビュー
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若い頃の大山のぶ代さんの写真がこちらです。絶世の美女というわけではありませんが、可愛らしく親しみやすい感じの女性ですね。
俳優養成所に通い、第7期生として1956年に冨士眞奈美さんと同時にNHKドラマ「この瞳」で女優としてデビューを果しています。
俳優養成所の同期には、田中邦衛さん、露口茂さん、井川比佐志さんなど豪華な俳優陣がいましたが、冨士眞奈美さんと1番仲が良かったのだとか。
冨士眞奈美さんは、大山のぶ代さんが住むアパートに転がり込み、暫く同居生活を送っていたそうです。
大山のぶ代の代表作品① ドラえもん
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女優としてデビューした大山のぶ代さんは、徐々に吹き替えの仕事が入り始め、ハスキーボイスでヤンチャな演技が評価されるようになりました。
人生の最大の出会いと言っても過言ではないドラえもんとの出会いを果し、人気声優として大ブレイク。
大山のぶ代さんとドラえもんに関するエピソードを紹介します。
ドラえもん役をオファーされた
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大山のぶ代さんが1966年にフジテレビで放送されたアニメ「ハリスの旋風」に出演した際、録音監督を務めた浦上靖夫さんから、ドラえもんの役をオファーされました。
アニメのドラえもん役は、声優が何人か入れ替わっています。大山のぶ代さんは3代目のドラえもんで、実は2代目は「ドラゴンボール」で有名な野沢雅子さんでした。
アニメで使用されるイラストを受取り、大山のぶ代さんは「こいつ、かわいいな」と思い、引き受けたのだとか。
当時はまだドラえもんのコミックは16巻までしか出版されていなかったものの、全巻購入して一晩で読み切り、魅了された大山のぶ代さん。
役を作るにあたり、ドラえもんは猫型ロボットではあるけれど、どちらかと言うとドジでおっちょこちょいな男の子をイメージしたそうです。
そんな憎めない愛嬌のあるドラえもんの話し方が、お茶の間で受け入れられて人気に繋がったのです。
ほとんど地声で演じていたのですが、幼い頃からのコンプレックスは、いつしか最強の武器に変化を遂げていました。
実は、大山のぶ代さんがドラえもんを演じ始めたのは40歳を超えていました。
声優界においては、40歳を超えるとベテランとして若者をサポートや育成に回る年齢でしたが、この抜擢でアニメドラえもんは長寿番組へと成長しました。
藤子・F・不二雄のお墨付きも
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初期のドラえもんは、原作においてぶっきらぼうで一人称も「オレ」だったことから、渡された台本も、それに倣ったキャラクター設定だったようです。
しかし、大山のぶ代さんの考えとして視聴者は子供が中心になることから、「悪い言葉を使うまい」と決めたのだとか。
一人称を「僕」にした「こんにちは。僕ドラえもん」という挨拶を自身で考えて、アドリブでアフレコを行いました。
結果的に採用されたことで、長年続く定番のセリフが誕生となったのです。
放送開始後に、原作者である藤子・F・不二雄に初めて会った際に「(ドラえもんの声は)大丈夫でしょうか?」と恐る恐る聞いてみたそうです。
「第1話を見ましたが、ドラえもんはああいう声をしてたんですね」と言われたという。この声のコンプレックスを克服したエピソードは小学校の道徳の資料にも取り上げられた。
引用:大山のぶ代 -Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
原作者にも認められた大山のぶ代さんは、役者冥利に尽きるとコメントしています。
病気を患ってもドラえもんを継続
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2001年、大山のぶ代さんには直腸がんが発見されました。手術した結果、長期間の入院が必要になることが判明。
ドラえもん以外の仕事は調整してセーブするも、どうにか小さな子供達に夢を与え続けたいと考えた大山のぶ代さんは、前代未聞の働き方を始めたのです。
病室に機材一式を持ち込み、病院のスタッフが付き添いの上で、ドラえもんのアフレコを続けてきました。
入院する前の声のコンディションと全く変わらず、プロフェッショナルの意地を見せた大山のぶ代さん。
一方で、体力の限界を感じて降板も考えましたが、世の中への影響が大きく、すぐに代役という訳にいかず、長い時間をかけて話し合いを続けてきたそうです。
ドラえもん降板は世間を震撼させた
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関係者で話し合いを続けた結果、2005年で3月を持って4代目の水田わさびさんに、ドラえもんの役を引き継ぐことが決まりました。
2004年11月22日、大山のぶ代さんの降板が大きなニュースとして流れ、日刊スポーツは一面記事として取り上げられました。
1979年から継続してメインキャラクターだったのび太役、しずか役、ジャイアン役、スネ夫役の声優さんも同時に勇退することが発表され、大きな波紋に。
のび太の役を長年務めた小原乃梨子さんは、身を引いたことに対してコメントを発表しています。
小原は「5人の平均年齢は60代後半。後輩にきれいにバトンタッチしましょう、とみんなで決めました」と明かす。25年の歴史を振り返って、5人は一様に「長いようで、あっという間だった」と話した。
引用:大山のぶ代「ドラえもん」降板 世代交代へ/復刻 – 日刊スポーツ https://www.nikkansports.com/
大山のぶ代の代表作品② ダンガンロンパ
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ダンガンロンパとは、PlayStation用のゲームソフト「ダンガンロンパ 希望の学園と絶望の高校生」から人気に火が付いて、テレビアニメ、Webラジオ、舞台が制作されました。
モノクマ役を担当
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大山のぶ代さんは、ドラえもんを降板後に声優としてアニメ作品に関わることが無かったことから、5年ぶりの作品にファンはどよめきました。
演じたモノクマは、見た目はぬいぐるみですが、牙や左の赤い左目の持ち主で、高校の学園長を名乗る謎のキャラクターとして登場。
大山のぶ代さんにとって人生初の悪役に挑戦しました。
インタビューにおいて、「この子(モノクマ)はかわいいでしょ」と前置きした上で、新しい挑戦について語っています。
「最初は、私はそういうのはできないからって遠慮してたんですけど、まず実際に声を出してみたんです。そしたらちょっと『大丈夫かな?』って思って、やってみたんです、そしたらできちゃったんです」とコメント。
引用:「ダンガンロンパ」完成披露発表会イベントリポート – ねとらぼ https://nlab.itmedia.co.jp/
ゲームのシナリオライターを担当した小高和剛さんは、「イメージした通りのモノクマで、悪役らしくない悪役が大山のぶ代さんらしいですね」と感想を述べています。
大山のぶ代の旦那・砂川啓介とは
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大山のぶ代さんは、女優を始める際、結婚しない可能性が高いと考えて1人でも生きていけるように演劇を始めたのですが、33歳で結婚しています。
旦那となった男性や、2人の結婚秘話について紹介します。
旦那はタレントの砂川啓介
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砂川 啓介(さがわ けいすけ)
本名: 山下啓一
生年月日: 1937年2月12日
出身地: 東京都
血液型: B型
1961年にNHKで放送された教育番組「うたのえほん」の初代「たいそうのお兄さん」、としてデビューした砂川啓介さん。
お茶の間の人気を得て、8年間に渡り出演しています。活動の場はバラエティーや、舞台を中心に活動してきました。
2人の馴れ初めとは?
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2人は、舞台「孫悟空」で共演したことをきっかけにして、交際がスタートしました。
ドライブデートをしていた際に不良に絡まれた少年を発見した大山のぶ代さんと砂川啓介さんは、お互い何も言わなくても救わなければと考え、足を踏み出しました。
アドリブで、田舎から出てきて周辺に不慣れな夫妻を演じて、不良に道を尋ねている間に、少年を逃がしました。
あうんの呼吸で、少年を救ったことに対して砂川啓介さんは、初めて結婚を意識したと語っています。2人は、1964年に晴れて夫婦になりました。
ちなみに、結婚した当初、大山のぶ代さんはNHKで放送されていた教育番組「おかあさんと一緒」の人形劇において「ブーフーウー」の声優をレギュラーとし担当していました。
2人は同じ局の番組に出演していたのですが、不思議なくらい顔を合わせることが無かったそうです。
大山のぶ代の子供とは
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大山のぶ代さんは、第一子を妊娠するも死産だったそうです。
さらに、第二子を出産するも未熟児として生まれ、数ヶ月で他界しました。
2人にとって子供を失った悲しみは深く、追い打ちをかけるように医者から「今後の妊娠は難しい」と伝えられたそうです。
大山のぶ代さんは、これ以上失いたくないという恐怖から、以後セックスレスになってしまったことを、砂川啓介さんの自著で明かされました。
大山のぶ代と旦那・砂川啓介の壮絶な介護生活が話題に
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大山のぶ代さんが認知症に罹っていることを旦那の砂川啓介さんが公表し、著書「娘になった妻、のぶ代へ」は反響が大きく、12万部の売上を記録しています。
ここでは、少しずつ変わっていく嫁の様子を赤裸々に明かした砂川啓介さんの介護生活の内容を紹介します。
大山のぶ代は認知症を発症
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大山のぶ代さんの認知症は、2008年に遡ります。
頭が重いと訴え、病院で検査をしてみると脳梗塞であることが判明。命は取り留めたのですが、記憶障害が残り、リハビリを行っても行動がおかしいと気が付きました。
例えば、料理をしている時にお鍋の火を付けたまま放置したり、食べ物を書類ケースに入れるなど認知症の典型的な行動をしていたのです。
外出した際に、見知らぬ人に怒り出すなど感情を押さえられない嫁の姿を見るにつけ、脳梗塞の後遺症だけではないと考えるようになった砂川啓一さん。
2012年に認知症と診断された大山のぶ代さんですが、ドラえもんとして国民的スターになった大山のぶ代さんのイメージを考慮して、当時は公表を控えていたようです。
時間の経過と共に症状が重くなり、1人で留守番もできなくなりお、風呂もトイレも介助が必要になりました。
砂川啓介さんの生活は介護中心になり、次第に精神的に追い詰めらた状態になっていったそうです。
2015年に認知症を公表
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やがて、砂川啓介さん自身に胃がんが見つかり、肺気腫などの病気にも罹りました。
この状態について砂川啓介さんは未来を悲観し、毒蝮三太夫さんに相談を持ち掛けたんだとか。
毒蝮三太夫さんは、「このままでは、お前が先に逝ってしまうぞ。残されたペコ(大山のぶ代さんの愛称)はどうなる」と問いかけられました。
砂川啓介さんは、TBSのラジオ番組内において大山のぶ代さんの病気を公表しました。周囲からの反響が大きく、励ましの声が数多く寄せられました。
周囲の反応を気にしていたこともあり、温かい周囲の声に対して「今はホッとしているし、むしろもっと早く明らかにすればよかったとも思う」と心境と吐露しています。
ただ、大山のぶ代さんは短いセリフであれば対応可能であったことから、ビデオレターの仕事を受けることもありました。
認知症ながら、本格的に仕事をしたいという意思があったことが明かされています。
大山のぶ代の現在① 旦那・砂川啓介と死別
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大山のぶ代さんは、現在どのように生活しているのでしょうか。砂川啓介さんは大山のぶ代さんを心配しながら、最期を迎えました。
砂川啓介は死因「尿道ガン」で他界した
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症状が少しずつ進み、2分前のことを覚えることができなくなっていた大山のぶ代さん。旦那に介護されてきましたが、砂川啓介さんに尿道ガンが発見されたのです。
砂川啓介さんは入院による治療が必要で、これ以上介護ができないと、泣く泣く施設に預けられた大山のぶ代さん。砂川啓介さんは、2017年7月11日に入院先の病院で息を引き取りました。
最期を看取ることができなかった大山のぶ代さんは、棺桶に入った状態の砂川啓介さんと対面すると「お父さん」と語り掛け、涙をこぼしたのだとか。
症状が進行していても、旦那のことは覚えていた大山のぶ代さんはショックを受けたようで、すぐに病院を後にしています。
喪主は大山のぶ代さんが務めましたが、葬儀には体調不良を理由にして参列していません。
大山のぶ代の現在② 老人ホームに入居している
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大山のぶ代さんは現在、老人ホームに入居していることが分かりました。
健康面に問題はない
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老人ホームに入居している大山のぶ代さんは、2020年現在86歳で、認知症の症状は進んでいます。
一方で、健康状態に問題が見当たらないようで、むしろ規則正しい生活を送ることで食欲は旺盛で、元気そのものなのだとか。
旦那の砂川啓介さんが生前プレゼントしてくれた可愛らしいパジャマがお気に入りで、ゴムが伸びた状態になっても、毎日着ているそうです。
老人ホームでジャイアンと呼ばれている?
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大山のぶ代さんは、社交的な性格でホームにおいて人気者であることが分かっています。
ホームに入居者は、ちぎり絵教室や合唱のレクリエーションがあるのですが、グループを組むと上手に仕切って、リードする役割りを無意識に担っているようです。
持ち前のリーダーシップから「ホームのジャイアン」と呼ばれることもあるのだとか。
まとめ
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大山のぶ代さんは、若い頃女優として芸能界デビューし、徐々に声優の仕事が舞い込むようになりました。その中で運命の出会いと言える、ドラえもん役のオファーを受けたのです。
1979年から26年間に渡り、国民に愛されるキャラクターを演じ続けたその陰には、子供に愛されるためのセリフの言い回しを考えるなど、たゆまぬ努力がありました。
私生活では、タレントの砂川啓介さんと舞台の共演をきっかけに結婚しています。2008年に脳梗塞を起こし、リハビリに励むも認知症の診断をされた大山のぶ代さん。
献身的に介護した砂川啓介さんでしたが、自身の病気もあって2015年に大山のぶ代さんの認知症を世間に公開し、大きな波紋を呼びました。
それから2年後の2017年、砂川啓介さんは尿道ガンで逝去しています。
旦那に先立たれた大山のぶ代さんは、現在は老人ホームで生活を送っています。持ち前の明るさとリーダーシップを発揮して、人気者なんだとか。
いつか大山のぶ代さんの声をメディアで聞くことができるのでしょうか。ゆっくり静養してほしいですね。