1980年に人気だったアイドルの水谷麻里さんは漫画家でイラストレーターの江口寿史さんの妻としても知られています。
この記事では、水谷麻里さんの若い頃の経歴や画像、ヒット曲、旦那さんの江口寿史さんとの馴れ初めと結婚、子供、自宅、現在の様子などについてまとめました。
この記事の目次
水谷麻里は1980年代に活躍したアイドルで人気漫画家・江口寿史の妻
水谷麻里のプロフィール
本名 :江口葉子(旧姓は水谷)
生年月日:1971年7月18日
出身地 :愛知県津島市
水谷麻里さんは1986年から1990年にかけて活動したアイドルです。1980年代のアイドルブームに彗星のごとく現れ、現在でいうところの「不思議ちゃん」的な個性的な魅力で一世を風靡しまし、当時のアイドルを代表する1人でした。
水谷麻里さんは人気絶頂であった1988年にアイドル歌手としては活動を休止し、その後はタレントとして活動するも1990年に人気漫画家の江口寿史さんとの結婚を発表して電撃的に芸能界を引退。短い活動期間ながらも鮮烈な印象を残しました
その後は、日本を代表する漫画家・イラストレーターである江口寿史さんを妻として支えていたとされていますが表舞台からは姿を消していました。しかし、2025年10月、旦那である江口寿史さんのトレース疑惑が浮上し、大きな騒動に発展した事でその妻である水谷麻里さんへの関心も高まっているようです。
ここでは、そんな水谷麻里の輝かしいアイドル時代やヒット曲など若い頃や旦那である江口寿史さんとの馴れ初めと結婚や子供、自宅、そして現在に至るまでをまとめていきます。
水谷麻里の若い頃① 「’86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」

1985年、資生堂が主催した「’86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」は、全国から54129名もの応募者が集まる大規模なものでした。そのグランプリに輝いたのが、当時まだ無名の少女だった水谷麻里さんでした。
水谷麻里さんは、その愛くるしいルックスだけでなく、特技として披露した「カラスの鳴き真似」で審査員の度肝を抜き、強烈なインパクトを残しました。このユニークな自己アピールが功を奏し、「烏の一声」でグランプリを獲得したとまで評され、非凡な才能と度胸の良さを世に知らしめ一躍注目の存在となりました。
このコンテストでのグランプリ受賞をきっかけに、水谷麻里さんは芸能界への扉を開きました。所属事務所は、数々のトップアイドルを輩出してきた名門「サンミュージック」に決まり、未来のスターとしての道を歩み始めたのでした。
水谷麻里の若い頃② 「新人類アイドル」として一世を風靡

グランプリ受賞の翌年、、1986年3月21日、水谷麻里さんはビクター音楽産業から「21世紀まで愛して」で、待望の歌手デビューを果たしました。このデビュー曲はオリコン初登場20位を記録し、幸先の良いスタートを切りました。
コンテストで見せたカラスの鳴き真似のイメージや、彼女自身の持つ不思議な雰囲気から、水谷麻里さんは単なる可愛いだけのアイドルではなく、「不思議ちゃん」という新たなジャンルを確立し、「新人類アイドル」とも呼ばれ、他のアイドルとの差別化に成功したのでした。
当時のアイドルには欠かせなかったのがキャッチフレーズですが、水谷麻里さんは一時期「わたし、少し変!」をキャッチフレーズとしていました。
水谷麻里の若い頃③ バラエティやグラビアなど幅広く活躍

デビュー後の水谷麻里さんは、まさに破竹の勢いでスターダムを駆け上がりました。テレビの歌番組はもちろんのこと、バラエティ番組にも多数出演。その天真爛漫で少し変わったキャラクターがお茶の間に愛され、瞬く間に人気者となり、年末の各音楽祭では、彼らと共に多くの新人賞を争い、その実力と人気を証明して見せました。
また、雑誌のグラビアにも頻繁に登場し、その透明感あふれる美少女ぶりは多くのファンを魅了しました。近代映画社から発売された「水谷麻里マガジン M-3」や、リイド社の「水谷麻里写真集 思いがけないことしたら…」など、複数の写真集も出版されています。
ラジオパーソナリティとしても才能を発揮し、「水谷麻里のジャンピング・スニーカー」(TBSラジオ)や、「有希子・章子・麻里 夜遊びしナイト」(ニッポン放送)など、複数のレギュラー番組を持ち、ファンとの交流を深めました。
さらに、防衛庁(当時)の自衛官募集ポスターに起用されるなど、そのクリーンなイメージは多方面から絶大な人気を集めました。
水谷麻里のヒット曲
水谷麻里さんのアイドル活動期間は約2年と短いものでしたが、その間にリリースされた楽曲は、今なお多くのファンの心に残り続けています。彼女の楽曲は、単なるアイドルポップスにとどまらない、ユニークで質の高いものが多く、その音楽性は高く評価されています。
水谷麻里のヒット曲① デビュー曲「21世紀まで愛して」

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作詞を松本隆さん、作曲を筒美京平さんという、歌謡界のゴールデンコンビによって生み出されたデビュー曲「21世紀まで愛して」は、水谷麻里さんの代表曲として最も広く知られています。
未来への希望に満ちたキラキラとした歌詞と、キャッチーで疾走感のあるメロディは、まさに80年代アイドルソングの王道という雰囲気です。「21世紀まで愛して yeah yeah」など印象的なフレーズが盛り込まれた歌詞は、水谷麻里さんのフレッシュな歌声と共に、当時のファンに鮮烈な印象を残しています。この曲で、水谷麻里さんは多くの新人賞を獲得し、トップアイドルの仲間入りを果たしました。
水谷麻里のヒット曲② 「ポキチ・ペキチ・パキチ」

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5枚目のシングルとしてリリースされた「ポキチ・ペキチ・パキチ」は、水谷麻里さんのいわゆる「不思議ちゃん」というキャラクターを決定づけたヒット曲です。一度聴いたら忘れられない呪文のようなタイトルと歌詞、そしてエキゾチックで少しコミカルなメロディは、当時のアイドルソングとしては異色のものでした。しかし、この曲が彼女の個性と見事にマッチし、水谷麻里というアイドルの唯一無二の存在感を確立させることに成功しました。
水谷麻里のその他のヒット曲

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水谷麻里さんは、1988年3月に活動を休止するまでに8枚のシングルと、オリジナル・アルバム3枚をリリースしました。
2ndシングル「地上に降りた天使」は清純派アイドルらしい、爽やかでポップな楽曲、3rdシングル「乙女日和」は、少し背伸びした大人びた雰囲気を感じさせるナンバー。、4thシングル「春が来た」は、春の訪れのワクワク感を歌った、明るく可愛らしい一曲となっています。
他にも、夏らしいトロピカルなサウンドが特徴のサマーソング「バカンスの嵐」や、スピード感のあるロック調の楽曲「メビウス天国」、活動休止直前にリリースされたラストシングルで、卒業や別れをテーマにした切ない歌詞と美しいメロディが印象的な「春休み」など、数々のヒット曲があります。
これらの楽曲は、現在でもベスト・アルバムなどで聴くことができ、80年代アイドルソングを語る上で欠かせない名曲として輝きを放ち続けています。
水谷麻里と旦那・江口寿史との馴れ初めから結婚まで

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人気絶頂の最中、水谷麻里は突然の活動休止を発表します。そして1990年、18歳という若さで現在の旦那さんである漫画家の江口寿史さんと結婚し、芸能界を引退しました。このニュースは、多くのファンに衝撃を与えました。一回り以上も年が離れた人気漫画家と若手アイドルの結婚は、当時大きな話題となりました。
水谷麻里の旦那は人気漫画家でイラストレーターの江口寿史
江口寿史のプロフィール
生年月日:1956年3月29日
出身地 :熊本県水俣市
血液型 :O型
水谷麻里さんの旦那さんである江口寿史さんは、1956年生まれの漫画家・イラストレーターです。1977年に「週刊少年ジャンプ」でデビューし、「すすめ!!パイレーツ」や「ストップ!! ひばりくん!」などのギャグ漫画で大ヒットを飛ばしました。
そのスタイリッシュで洗練された画風、特に女性を描く美麗なイラストレーションは高く評価されており、漫画家としてだけでなく、イラストレーターとしても広告やCDジャケットなど、幅広い分野で活躍しています。
水谷麻里と江口寿史の馴れ初め

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水谷麻里さんと江口寿史さんの馴れ初めは、1987年秋に雑誌「投稿写真」での対談がきっかけでした。
水谷麻里さんはアイドルデビューする前から江口寿史さんのファンだったそうで、対談を通じて意気投合して交際に発展したそうです。
水谷麻里さんと江口寿史さんの交際は写真週刊誌にスクープされ、1990年に婚約を宣言。江口寿史さんは自ら水谷麻里さんと手を繋いだツーショット写真を提供し堂々と交際を宣言しました。
水谷麻里と江口寿史の結婚
水谷麻里さんと江口寿史さんの交際は順調に進み、1990年中に2人は結婚。水谷麻里さんは当時まだ18歳という若さでした。水谷麻里さんはこの結婚を機に、芸能界を完全に引退し、家庭に入ることを決意します。
水谷麻里さんが人気の絶頂期に、自らの意思で表舞台から去るという決断を下した理由ですが、江口寿史さんへの想いが強くなった事に加えて、
自身のラジオの冠番組に事務所の先輩である松田聖子さんがゲスト出演した際「芸能界は色んな服が着られて楽しい」と発言したところ、後日、マネージャーづてに「後輩として自覚を持ちなさい。私たちの仕事はファッションモデルではない」と厳しく注意されたことが重なって、次第に芸能活動への熱意を失った事があったようです。
水谷麻里と旦那・江口寿史の子供は娘が1人誕生

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水谷麻里さんと旦那さんの江口寿史さんとの子供は娘さんが1人です。
水谷麻里さんと江口寿史さんの子供の名前は実里(みのり)さんといい、1991年生まれとされています。かつて江口寿史さんのSNSで顔画像が公開された事がありましたが、母親である水谷麻里のアイドル時代の面影を受け継ぎ、非常にかわいらしい女性に成長されたようです。
父親である江口寿史さんの芸術的な才能も受け継いでいるようで、大学では絵を学んでいました。卒業制作で漫画を描いた際には、父親である江口氏が展示を見に訪れ、「今、お前の漫画を観に来ている」と電話で褒めてくれたことが、とても嬉しかったという心温まるエピソードも残っています。
大学卒業後は社会人として働かれているようで、江口寿史さんのSNSでは、娘である実里さんの誕生日を毎年ケーキでお祝いする様子が投稿されるなど、家族の仲の良さがうかがえます。
水谷麻里と旦那・江口寿史の自宅は東京都杉並区西荻窪

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水谷麻里さんと旦那さんの江口寿史さんの自宅は、東京都杉並区西荻窪にある洒落た一軒家です。
一部では水谷麻里さんと江口寿史さんの自宅は東京都武蔵野市吉祥寺にあるとの説が出ていますが、これは仕事場であり、自宅は西荻窪にあることを江口寿史さん本人が公表されています。
@sherry_mana 自宅は西荻、仕事場は吉祥寺。もう30年以上ずっとそう。
— 江口寿史 (@Eguchinn) June 29, 2015
水谷麻里の現在
1990年の結婚・引退から30年以上が経過した現在、水谷麻里はメディアに登場することはほとんどなく、専業主婦として旦那である江口寿史さんを支える穏やかな生活を送っていると推測されます。
公の場に姿を見せることはないため、現在の水谷麻里さんの容姿をはっきりと確認できる画像などはありません。
しかし、旦那である江口寿史さんが描くイラストのモデルが彼女ではないかと言われることも多く、そのイラストから、現在の水谷麻里さんが年齢を重ねても変わらぬ美しさを保っていることが想像されます。
まとめ
今回は、1980年代に活躍したアイドルで1990年に漫画家でイラストレーターの江口寿史さんと結婚した水谷麻里さんについてまとめてみました。
水谷麻里さんは若い頃は「’86ミスヘアコロン・イメージガール・コンテスト」でグランプリを獲得して芸能界入りし、「新人類アイドル」という新たなジャンルを確立して絶大な人気を獲得しました。実質約2年の活動期間でしたが、数々のヒット曲を生み出し鮮烈な印象をファンに残しました。
水谷麻里さんと旦那さんの江口寿史さんとの馴れ初めは、雑誌の対談で、元々水谷麻里さんが江口寿史さんの作品のファンで、これを機に意気投合して距離を縮めて交際に発展しました。
1990年に週刊誌にキャッチされ、江口寿史さんは婚約を宣言し同年中に結婚されています。
水谷麻里さんと旦那さんの江口寿史さんの子供は実里さんという娘が1人で、現在は立派に成長されているという事です。
水谷麻里さんと江口寿史さんの自宅は東京都杉並区西荻窪にある洒落た一軒家で、現在は水谷麻里さんは芸能活動は完全に引退し、主婦として江口寿史さんの仕事をサポートされているようです。




















