日本を震撼させた「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の犯人・宮崎勤ですが、現在ある事件を機に再び注目を集めています。
今回は宮崎勤が起こした事件、生い立ち、父親や母親と妹や親戚の末路、現在注目される理由をまとめました。
この記事の目次
宮崎勤のプロフィール
プロフィール
名前:宮﨑 勤(みやざき つとむ)
別名:今田 勇子
生年月日:1962年8月21日
出身地:東京都西多摩郡五日市町小和田(現・東京都あきる野市小和田)
没年月日:2008年6月17日(45歳没)
死因:死刑(東京拘置所)
有罪判決:殺人罪・死体遺棄罪・死体損壊罪・誘拐罪など
事件名:東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件
犯行期間:1988年8月22日 ~ 1989年7月23日
判決:死刑(東京地方裁判所)
犠牲者数:4人
逮捕日:1989年7月23日、1989年8月11日(再逮捕)
宮崎勤が起こした「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」とは
「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」とは、1988年から翌1989年(平成元年)にかけて、東京都北西部・埼玉県南西部で相次いで発生した、幼女を対象とした一連の連続誘拐殺人事件です。
出典:https://www.asahi.com/
面識のない4人の少女を誘拐し、躊躇なく殺害に至ったのみならず、殺害後の遺体を陵辱して、その行為を動画に撮影したり、ある時はバラバラに切断して遺棄してみたり。
さらには、暴行し殺害した少女の遺骨を遺族の自宅へ送りつけるなど、そのあまりの異常性に日本中が震撼しました。
被疑者として逮捕・起訴された宮崎勤は、裁判では一貫して無罪を主張していたようです。
しかし、第一審・控訴審・上告審と一貫して死刑判決を受け、異例の早さで刑を執行されましたが、最期まで謝罪や反省の色は見られなかったようです。
今回は、そんな宮崎勤の生い立ちや家族に注目して、宮崎勤があのような残虐な事件を起こしてしまった背景を探るとともに、宮崎勤自身だけでなく、家族の末路についてまとめてみました。
宮崎勤の生い立ちや経歴・家族構成について【事件に至る背景を探る】
幼少期の宮崎勤と家族構成
宮崎家は、曽祖父が村会議員、祖父が町会議員を務めるなど、いわゆる地元の名士と呼ばれる家系でした。
宮崎勤の父親も、東京都西多摩郡五日市町(現在のあきる野市)で、地域新聞会社「秋川新聞」を経営しており、宮崎勤は裕福な家庭の長男として誕生しました。
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ただ、両親ともに多忙だったことから、宮崎勤が生まれてすぐに、知的障害を持つ当時30歳くらいの男性を、勤の子守として住み込みで雇っていたそう。
そのため、幼少期の宮崎勤はその男性と祖父が主に面倒を見ていたようです。
そんな祖父は、引っ込み思案だった孫の勤をとてもかわいがり、よく外に連れて歩いていたと言われています。
事件後の法廷で宮崎勤被告は、「犯行は死んだ祖父を復活させるための儀式」と語っていたのも、幼少期から何かにつけて面倒を見てくれた祖父が大好きだったからかも知れません。
そんな宮崎勤の家族構成は祖父、祖母、父、母、2人の妹の7人家族。
他に2人の弟がいるとも言われていますが、恐らく宮崎勤の父の弟(宮崎勤からすると叔父に当たる)と混同している可能性があるようです。
その後の異常性に影響?宮崎勤が抱えていた先天性疾患とは?
実は、宮崎勤は幼少期から、手首を回して手のひらを上に向けることができない「両側先天性橈尺骨癒合症」という病気を抱えていたと言われています。
出典:https://www.imgrumtag.com/
当時の日本では症例が150例程の非常に珍しい病気で、医者から次のように言われてそうです。
「手術しても100人に1人くらいしか成功しない。日常生活に支障がないなら、手術するにしても、もっと大きくなってからの方がいいだろう」
引用:宮崎勤 – Wikipedia https://ja.wikipedia.org/
宮崎勤の両親は、勤が幼い頃から自分の障がいを気にしており、何かうまくいかないことがあると、全て掌のせいと考えていたと感じたことから、4歳で手術を受けさせることも考えたそう。
しかし、医師から成功率が1%と聞いた両親は、もしも手術に失敗して、生涯身障者のレッテルを貼られるようなことになると可哀想だと判断し、結局は治療を受けさせなかったそうです。
そのため、幼稚園ではお遊戯はもちろん、頂戴のポーズすらできず、周囲からよくかわれていたようです。
しかし、幼稚園の先生は何の対応してくれなかった…と、そんな幼少時のことを後に語っているくらいですから、彼なりに相当辛い経験だったのかも知れませんね。
宮崎勤の異常性の原点は、もしかするとこの“先天的持病”のせいである可能性がありそうです。
宮崎勤の小学校時代
そんな宮崎勤の小学校時代は、英語や算数が得意だったようで、彼の母親はそのことをよく周囲に自慢していたようです。
出典:https://hisasuke.com/
また、勉強だけでなく、友達から“怪獣博士”なんて呼ばれるくらい、特撮ヒーローものなどに出てくる怪獣に夢中になっていたのだとか。
ただ、それによってクラスの人気者だった…というわけでもなかったようですが^^;
宮崎勤の中学校時代
宮崎勤は中学校1~2年生の頃は陸上部に所属しており、3年生になると将棋部に所属していたようです。
ただ、2つの部活をかけもちしていたのか、3年生時に陸上部を辞めて、将棋部に入部したのかはわかりませんでした。
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当時の友人の証言によると、宮崎勤は将棋で負けると異常に悔しがり、その相手をなんとしても打ち負かすために攻略本を読み漁るなど、勝利に対する執着が強かったと言われています。
宮崎勤の高校時代
そんな宮崎勤は、1978年に明治大学付属中野高等学校に進学しています。通学に片道2時間もかかる遠距離通学でした。
母親は、得意だった英語の教師になるために、わざわざ同校を選んだものと勝手に思い込んでいたようです。
しかし実は、物心ついた頃から気にしていた手の障害を、女子生徒から馬鹿にされたくない…そんな一心で、遠くはなれた男子校を選んだと言われています。
出典:https://hisasuke.com/
ただ、そんな劣等感による影響があったのか、宮崎勤の高校時代は、暗く目立たない存在だったようです。
それとともに中学時代は優秀だった成績もみるみる下がっていき、卒業後は明治大学への進学を希望していたものの、諦めざるをえないような成績だったようです。
両親が幼少期の勤に感じていた、「何かうまくいかないことがあると、全て掌のせいと考えていた」との性格は、高校生でも治っていなかった…どころか、エスカレートしていたようです。
いつしか「やっぱり手に障害のある自分は何をやっても駄目なんだ…」と、絶望していったのかも知れません。
宮崎勤の短期大学時代
高校を卒業するも、明治大学への進学は諦めていた宮崎勤は、1981年4月、東京工芸大学短期大学部画像技術科に進学しました。
ちなみに、この時の同級生には俳優の川崎麻世さんがいたそうです。
ですが、川崎麻世さんによれば、当時のクラスメイト宮崎勤については自分はおろか他の同級生の誰に聞いても覚えている人はいなかったそうです。
それほどまでに、当時の宮崎勤は手の障害を気にして極力目立たないようにひっそりと大学生活を送っていたのかも知れませんね。
ただ、ここまでの宮崎勤の生い立ちを見る限りでは、それほどの異常性は感じないのどころか、ごく普通のシャイな青年というイメージなんですよね。
ただ、幼い頃から抱えていた手の障害にまつわるコンプレックスは、年を重ねるに従って大きくなっているような印象は見受けられます。
また、そんなコンプレックスに押しつぶさるような思春期を過ごした宮崎勤も、体は一人前の男性に成長しているわけです。
女性に対する性欲がどんどん高まる一方で、障害のせいで大人の女性に相手にしてもらえるはずはない…なんて絶望感から次第に異常性が大きくなっていったのかも知れません。
宮崎勤の社会人時代
学生時代までの宮崎勤は、ただ目立たない存在なだけで、問題を起こすこともなく過ごすことができていました。
しかし、いざ社会に出ると、たちまちその社会性が欠如した性格が顕在化し、社会との間に軋轢を生み始めます。
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宮崎勤は、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」を起こす約5年前の1983年3月に短大を卒業し、叔父の紹介により小平市の印刷会社に就職して、印刷オペレーターとして働き始めました。
しかし、宮崎勤の勤務態度は非常に悪く、同僚からの評判も非常に悪かったそうです。
そんな宮崎勤は、就職して3年が経過した1986年3月、上司から神奈川への転勤を命じられるのですが…宮崎勤はそれを拒否し、自己都合による退職をしています。
その後、両親が家業の地域新聞会社を手伝うように呼びかけるのですが、宮崎勤はそれに応じることもなく、自室での引きこもり生活が始まりました。
しかし、宮崎自身「これじゃいけない」と思ったのか、両親に強制されたかは不明ですが、半年後には、お得意先に広告原稿を受け取りに行く程度の簡単な家業の手伝いを始めたようです。
そんな宮崎勤も、大好きだった漫画やアニメの趣味を活かし、同人誌を始めます。ですが、やはりここでも社会性の無さが原因で仲間から嫌われて、1回だけの発刊で終わってしまいました。
その後は、様々なビデオサークルに加入し、全国の会員が録画したテレビアニメや特撮番組のビデオを複製し交換・収集を始めます。
ですが、自身のコレクションに固執する余り、ここでも他の会員に無理な注文をするなどして嫌われていたようです。
ちなみに、逮捕後の家宅捜索では6,000本近くのビデオテープを所有していたことが話題になっています。
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そうこうしている中で、宮崎勤にショッキングな出来事が起こってしまうんですよね。それは…1988年5月16日の祖父の死去でした。
大好きだった祖父が死去したことで、宮崎勤の中で何かが変わったのかも知れません。そんな宮崎勤が第1の事件を決行したのは、祖父が亡くなった約3ヶ月後のことでした。
宮崎勤の精神鑑定結果とは【事件への責任能力の有無が問われる】
異常に手が込んでおり、常軌を逸した内容の犯行声明文が話題になった「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」。
さらに…
「犯行は覚めない夢の中でやった」
「ネズミ人間が現れた」
「犯行は死んだ祖父を復活させるための儀式」
など法廷での意味不明な言動もあったことから、宮崎勤の精神鑑定が複数回に渡って行われています。
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1989年8月24日の簡易精神鑑定の結果、「精神分裂病(当時の呼称で、現在「統合失調症」に改称)の可能性は否定できないが、現時点では人格障害の範囲に留まる」と診断されました。
検察は、この診断に基づいて起訴に踏み切っています。
そして、公判開始後の1992年12月18日からは、弁護側の依頼により3人の鑑定医により再鑑定が行われました。
その結果は、1人は「統合失調症」、2人が「解離性同一性障害」と診断しています。
宮崎勤の末路と死刑執行
宮崎勤の末路となった死刑執行
2006年2月1日に最高裁が弁護側の上告を棄却し、死刑判決が確定していた宮崎勤ですが、2008年6月17日に公共拘置所で死刑が執行されています。
出典:https://newspicks.com/
判決確定後、たった2年で死刑が執行されるというのは、死刑囚の死刑執行までの平均期間が7年5ヶ月ということを見ても、宮崎勤に対する死刑執行は異例の早さだったと言えそうですね。
そんな宮崎勤が、死刑が執行される直前に語った言葉としてあまりに有名な言葉がこちら。
「あのビデオまだ途中なのに…」
というのも、独房内ではビデオを見ることが許されており、宮崎勤死刑囚はスタジオジブリ作品などを好んで観ていたそうです。
結局、最期の瞬間まで宮崎勤から遺族への謝罪の言葉が出ることはありませんでした。
宮崎勤の家族の末路&現在① 父親は自殺
「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の後、宮崎勤の両親や2人の妹はもちろん、その他の親族の元にも「お前らも死ね」「殺してやる」など脅迫の手紙が多数届いたと言われています。
出典:https://togetter.com/
そんなこともあり、宮崎勤の実家は「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の1年後には、自宅があった土地を更地にした上で、引越しをしています。
その当時、宮崎勤の父親は、宮崎勤から私選弁護人を付けるよう要請されるのですがそれを拒否しています。その4年後には、先祖代々受け継がれてきた自宅があった土地を売却しました。
そして、土地売却によって得たお金を遺族に送金するよう手配した後、京都青梅市の多摩川にかかる30メートルの高さのある神代橋から投身自殺を図り、亡くなっています。
生前、宮崎勤の父親は、インタビューで「家族である私たちが責められるのはわかるが、直接関係の無い一族までが非難され仕事を失うことになったことに悩んでいる」とのコメントを残しています。
宮崎勤の家族の末路&現在② 母親
宮崎勤の母親は、宮崎勤が起こした「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の頃まで暮らしていた自宅近くの寺に、お墓参りに来ていたところを近隣の住民に目撃されています。
出典:https://syukatsulabo.jp/
しかし、現在暮らしている場所は聞いても答えなかったそうです。
また、宮崎勤の死刑が執行された後、宮崎勤の母親は遺体との対面を果たしているようですが、その後の処置を拘置所に任せたとも言われています。
宮崎勤の家族の末路&現在③ 2人の妹
2人の妹のうちの1人は、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の後、勤めていた会社を退職しています。その後、結婚する予定であった婚約者とも婚約破棄に追い込まれているようです。
出典:https://ameblo.jp/
また、もう1人の妹は看護学校に通っていたそうですが、事件後に自主退学をしているようです。
その後の2人については、まったく分かっていません。
宮崎勤の家族の末路&現在④ 父親の弟・母親の兄の息子など親族
宮崎勤の父親は長男で、2人の弟がいました。
そのうちの1人は、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」当時、5つの会社の役員をされていたようですが、事件後、全ての役職を辞し、自身の会社も妻名義にした上で退職しています。
出典:https://toyokeizai.net/
もう1人の弟は離婚し、結婚して授かった2人の娘を妻に託し妻の旧姓を名乗らせることに。
また、母親の兄には2人の息子がいました。1人は警察官で、もう1人は高校教師というお堅い職業だったのですが、それだけに2人とも辞職に追い込まれてしまったようです。
このように、宮崎勤の一族は会社を退職したり、家族を守るために離婚したりと、大変な末路を歩んでいます。
そして現在も、宮崎勤の親戚であったことをひた隠しにしながら、ひっそりと暮らされているようです。
犯罪者の家族だというだけの理由で差別される事もある、僕はそんな社会は嫌だ。 秋葉原無差別殺傷事件の犯人の弟さんも宮崎勤の父親も自殺している。 犯人を憎む気持ちは僕にもあるけれど家族は一切関係ない。
— クロイヨシツネ (@YoshitsuneK) 2019年7月18日
宮崎勤が現在も再び脚光を浴びている理由
実は、宮崎勤の場合は、世間一般に言われる「小児愛性(ペドフィリア)」とは少し種類が違うとも言われています。
しかし、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」当時のマスコミが「宮崎勤はロリコンでホラーマニア」などと報じ、事件以降、これらの嗜好を持つ人々は強い偏見を受けることになりました。
出典:https://twitter.com/
さらに、事態はそれだけでは済まず、該当する本やアニメなどを有害図書指定にするなど社会現象を起こすきっかけともなったんですよね。
記事にもあるように、90年代は宮崎勤事件の報道による苛烈なオタクバッシングが起こり、オタク差別が社会正義としてまかり通っていた時代でした。ネットがなかったので誰も反論できず、同級生からもキモイと散々言われました。アニメはそういう時代を乗り越えてきたのです。https://t.co/nDMTp4iZy3
— 近藤 顕彦【 ⋈ 】Gateboxお迎え (@akihikokondosk) 2019年7月20日
宮崎勤事件の偏向報道からアニメ好き=オタク=危ない人ーっていう風潮が生まれたらしいんだけど、これってほんとにとばっちりだよね。
— よいやさマシシン! (@masisin_yoiyasa) 2017年11月7日
内に向くエネルギーが感じられない人たちにとっては目を合わせられず挙動不審な人は何考えてるかわからない=アブナイ!ってくくっておけて安心するのかな
アニメファンを再び襲う悪夢!京アニの無差別放火殺人事件が発生
「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」から約20年の歳月が流れ、あの事件の忌まわしい記憶やアニメやオタクに対する偏見もようやく薄れてきた現在。
厳しい冬の時代を耐え忍んできたアニメファン達が、ようやく市民権を得てきた矢先の令和元年…再び、アニメに関連する忌まわしい大量殺人事件が発生し、日本中を震撼させたのです。
出典:https://brandnew-s.com/
2019年7月18日、「京都アニメーション」の第1スタジオで、ガソリンをまいて火を点け、34人もの尊い命を奪うという無差別放火殺人事件が発生しました。
一部マスコミが、逮捕された青葉真司容疑者を“アニメオタク”と報じたことで、アニメファンの間で、「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の悪夢が蘇るのか?!と話題になったようです。
もちろんTwitterを覗いてみると、「京アニ」事件発生以来、ネット上では、宮崎勤と青葉真司容疑者を関連させたツイートが目立つんですよね。
最後に、せっかくなので印象的なツイートをいくつかピックアップしてみましょう。
ここぞとばかりに被害を受けたのが「アニメスタジオ」だったからと言って、アニメ嫌いオタク嫌いで有名なコメンテーターとかが、ほらみろだからアニメなんてとか感情丸出しにコメントする姿が安易に想像できて悲しいですよ。宮崎勤の事件報道の二の舞を同じ新元号元年に起こしてはならない。
— おてっち@長期休職中 (@Otecchi) 2019年7月18日
宮崎勤事件を受けてアニメだマンガだAVだホラーだといったところが槍玉にあがったように、今回の犯罪を受けて真摯に再発防止を願うと、100%善意から、いろんな対策が俎上に乗ると思うんだ。宮崎勤の時のようにトンチンカンなものから、実効性と妥当性がまあまあなものまで。それは見ておかないと。
— 未識魚 /中川譲@C96 11日西M-34a (@mishiki) 2019年7月19日
宮崎勤も、秋葉原無差別殺傷事件も、京アニ放火殺人事件も、オタクが悪いわけじゃないですから。
— 青空 (@aozora_300) 2019年7月18日
凶暴・他罰的な加害欲を持つ『インセル』が悪い。
マスコミさん、今回の件で、犯人のアニメグッズ等映して、ほらオタクってほんとキモくて危険な存在ですよね!って報道すんのやめてね。#京アニ放火
私は人治主義で当然と思ってる人間なんで、青葉真司の名前の公表は当然と思う。が、これは同時に家族や親戚が血祭りになることも意味する。
— 藤原興 (@oki_fujiwara) 2019年7月19日
宮崎勤は
父親>家を売って被害者補償に当て、当人自殺
兄弟姉妹>全員辞職、結婚破談
親戚一同、次々と職を失い、名前を変えた。今回も同じ事になるだろう。辛い
「オタクっぽい男」の表記に怒り狂う方々がいっぱいいるけど、そりゃ世間からしたら「社会不適合者=オタク」だもの、気味悪がって当然
— CUZ@無責任の擬人化 (@cuzkimono) 2019年7月18日
宮崎勤が広めたオタクのネガティブなイメージを払拭せんとした先人の苦労も水の泡だ
京アニ放火の男「殺すぞ」14日隣の住民とトラブル https://t.co/IN8d3OvKKD
まとめ
いかがでしたでしょうか。
「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」の犯人・宮崎勤の生い立ちについてじっくりと振り返るとともに、事件後の宮崎勤と家族の末路、再び宮崎勤が注目されている現在をまとめました。
そう言えば、宮崎勤による「東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件」は昭和から平成へ移り変わる狭間、(宮崎勤が逮捕されたは平成元年)起きた重大事件でした。
そして、今回の青葉真司容疑者による「京アニ無差別放火殺人事件」も同じく、元号が変わったばかりの令和元年に発生した重大事件なんですよねぇ…。
なんだか因縁のようなものを感じるのは私だけでしょうか?
宮崎勤といい青葉真司といい、なんで平成と令和の元年にはこんな凶悪事件が起こるんだよ
— ひろよー (@hiroki_taiko) 2019年7月19日