数々の許されざる犯罪を起こしたオウム真理教教祖・麻原彰晃(松本智津夫)死刑囚の生い立ちや家族構成、現在をまとめました。
麻原彰晃の嫁や子供(娘4人息子2人)の家族、オウム関連事件、死刑執行や現在の様子を紹介します。
この記事の目次
麻原彰晃死刑囚のプロフィール&経歴
生い立ち
麻原彰晃(あさはら しょうこう)
本名:松本 智津夫(まつもと ちづお)
誕生日:1955年3月2日
出身地:熊本県
”わが国犯罪史上、最も凶悪な犯罪者”と言われた、オウム真理教の元代表であり教祖の麻原彰晃こと松本智津夫死刑囚。
なぜ、麻原死刑囚はあのような事件を起こしてしまったのでしょうか…。
まず、麻原死刑囚の生い立ちに迫ってみたいと思います。
・熊本県八代市高植本町(旧八代郡金剛村)で1955年3月2日午前3時34分に生まれる
・実家は畳職人で麻原彰晃死刑囚は9人兄弟(6男3女)の第7子として誕生
・麻原彰晃の家系は目の先天性疾患を持った一族で、麻原も先天性緑内障だった
・祖父が戦前に朝鮮半島に渡って警察署長をしていた
・片目は見えていたのに、学費から食費など生活費まで補助金が出る盲学校に入れられた
麻原死刑囚は、片目が見えていたにも関わらず、学費、食費など生活費まで補助金が出る盲学校に入れられます。
それから学校に両親が訪ねてくることは一度もなく、また仕送り等も無く、成人してからもこの麻原死刑囚の3兄弟だけ里帰りができなかったそうです。
このことから親に捨てられたと思い、テロリストの思想が芽生え、歪んだ人格が出来上がったものと思われます。
国政選挙に出馬
麻原死刑囚は、1990年「坂本堤弁護士一家殺害事件」で世間から犯人として注目が集まっているにも関わらず、衆議院議員選挙に出馬します。
しかも麻原死刑囚は、東京で最も激戦区と言われた4区から出馬し、街頭でオウムソング(彰晃マーチ)を歌うなど痛々しい選挙活動を繰り広げました。
この選挙をきっかけに、麻原死刑囚による「尊師のマーチ」が話題となり「オウム真理教」のテーマソングとして、ネットを中心に現在まで語り継がれることになったのです。
様々な注目を集めはしましたが、選挙では落選します。
この選挙での惨敗が、麻原死刑囚がテロリストとして道を外してしまうきっかけとなってしまったようです。
「社会に負けた」「選挙管理委員会にハメられた」と逆恨みをし、大量殺人(テロ)を計画するようになっていったと言われています。
麻原彰晃死刑囚が起こした「オウム真理教事件」とは
オウム真理教が起こした凶悪犯罪は、最終的には17事件(殺人26人と逮捕監禁致死1人)となっています。
その中でも”オウム「3大事件」”と呼ばれた史上最悪の凶悪事件と、テレビでも騒然となった当時の東京都知事を狙った”東京都庁小包爆破事件”の真相について迫ってみましょう!
3大事件① 坂本堤弁護士一家殺害事件
横浜市に住む坂本弁護士は、オウム真理教に入信したまま帰ってこない子供の親たちが集まって結成した「オウム真理教被害者の会」の中心的役割を果たしていました。
テレビの取材でも、教団を徹底追及していくことを発言していました。
オウム真理教の幹部たちは、その収録テープの内容を見て坂本一家の殺害を決意します。
麻原死刑囚は、早川紀代秀、村井秀夫、新実智光、中川智正、佐伯一明(現:岡崎)、端本悟に殺害を命じました。
実行犯6名は、1989年11月3日に、坂本弁護士宅のアパートに押し入り、坂本弁護士、妻・都子さん(当時29歳)、長男・龍彦ちゃん(当時1歳)の首を絞めるなどして殺害したのです。
遺体はそれぞれ新潟、富山、長野の山中に埋めたと言われています。
3大事件⓶ 松本サリン事件
死亡:8人・被害:140人以上
オウム真理教は、長野県松本市に支部を開設しようとしていましたが、購入した土地をめぐって地元住民との間でトラブルになっていました。
1994年7月19日に、長野地裁松本支部で予定されていた判決で敗訴の可能性が高いことを理由に、麻原死刑囚は裁判官はじめ、反対派住民への報復を計画します。
土谷正実、中川智正、林泰男らがサリンを作成し、そして6月27日にサリンを散布したのです。
村井秀夫、新実智光、遠藤誠一、端本悟、中村昇、富田隆の「実行部隊」6人で午後10時40分ごろから約10分間、サリンを大型送風機で噴射しました。
これにより7人が死亡、586人が重軽傷を負う事件となりました。
3大事件③ 地下鉄サリン事件
東京都で発生した同時多発テロ
日本史上、いや世界でも類を見ない凶悪犯罪が起きたのは、1995年3月20日の朝でした。
東京の営団地下鉄(現:東京メトロ)丸ノ内線、日比谷線、千代田線の電車内でサリンを散布し、乗客や駅員ら12名が死亡し、さらに約5,510名が重軽傷を負う大惨事が起きました。
この事件の経緯は、警察によるオウムへの強制捜査を察知した教団側が、捜査のかく乱を目的に起こしたものと思われています。
通勤のラッシュアワーの時間帯を狙った事件だったため、多くの被害者が出ました。
都内にあった解毒剤が使い果たされ、全国の病院・薬品卸会社に収集令が出されるほどの事態となったそうです。
この「地下鉄サリン事件」では「被害者の会」が発足。
2018年3月17日に、東京都内で集会が開かれ、被害者の会代表世話人で、またこの事件によって夫を亡くした高橋シズヱさんは「被害は今も続いている」と訴えています。
高橋さんは今も後遺症に苦しむ被害者がいることなどを挙げ、「23年前の事件を現実のものととらえ、被害が今も続いていることを実感してほしい」と述べた。
また犯罪被害者の心を一度丸めた紙に例え、「広げても元のしわのない状態には戻らない。それでも、ほぐして広げようとすれば助けてくれる人が現れる」と体験を元に呼びかけた。
その他の事件① 「東京都庁小包爆弾事件」
青島知事宛の殺人未遂事件…
1995年5月16日に発生したテロ事件「東京都庁小包爆破事件」も麻原死刑囚が計画、指示した事件です。
この事件は、当時の東京都知事・青島知事宛の小包を職員が開いたとたんに爆発。
被害者の都職員の男性は、左手の指全てと、右手の親指が吹き飛び、2カ月の重傷を負いました。
この事件の犯行はオウム真理教による爆弾テロだと後に判明しています。
都職員の被害男性は裁判でこのように語っています。
内海さんは爆弾で左手指を全て失ったほか、鼓膜が破れ、やけども負った。
「左手が引きちぎられたと感じ、骨が見えた。偶然反った姿勢だったので直撃を免れたが、そうでなければ命はなかったと言われた」と振り返り、子供と十分遊べなくなり、身支度にも不自由すると証言した。
こう語った上で「職務上の災害として割り切ろうと思った」と辛い胸中を告白。
公判冒頭の際に謝罪の言葉を述べた菊地直子被告に対し「今更言われても、私の20年間は返ってこない」と述べています。
その他の事件⓶ 信者の殺害
教団のナンバー2「村井秀夫」も殺された…
麻原死刑囚が手を染めた最初の殺人となる事件は、1988年にオウム真理教の信者だった男性が同じ教団の信者らによって殺害される事件です。
いつものようにで修行をしているときに、一人の男性信者が大声を上げて暴れ始めたと言います。
そのため麻原死刑囚は「頭を冷やさせろ」と他の信者に命令し、暴れている男性を風呂場に連れて行き、頭を掴み強引に浴槽の水に沈めたそうです。
しかし、その行為はやりすぎてしまったようで、男性は意識不明に。
麻原死刑囚は「自らのエネルギーを送る」という奇妙な行為をしたそうですが、残念ながら、そのまま男性は死亡してしまったのです。
また、教団ナンバー2とも言われた村井秀夫氏も、山口組系暴力団「羽根組」の準構成員によって殺されています。
こちらは村井秀夫さんが刺殺事件の様子がこちらです。
※過激な映像が含まれているので閲覧注意です。
麻原彰晃死刑囚の家族構成~嫁・子供(娘4人・息子2人)を紹介】
麻原死刑囚には嫁と子供がいるのはご存知かと思いますが、意外と知られていないのが、愛人がいたことと、愛人との間にも子供がいたことです。
ここではは麻原死刑囚の家族と愛人、子供の人数についてまとめてみました。
麻原彰晃死刑囚の嫁
麻原死刑囚の嫁である「松本知子(まつもと ともこ)」さんとは、1978年に代々木ゼミナール渋谷校で知り合い、その後2人は結婚しています。
松本知子の現在!オウム松本智津夫との娘と息子など子供6人~改名やアレフとの関わりも総まとめ
知子さんはとても気の強い女性で、筋を通さないと気が済まないタイプのようで、また言いたいことをはっきり発言する人だそうです。
きつそうな性格ではありますが、子供を大切にしている優しい面もあったようです。
また、知子さんはオウム真理教の立ち上げにも関り、オウム真理教の関わる事件にも関与していたので6年間の懲役にも服役しています。
そんな2人の間には女の子が4人、男の子が2人の計6人います。
ただ、麻原死刑囚は嫁以外の女性との間にも子供をもうけていて、子供は全部で15人いるとのことです。
現在は、関東地方のどこかで娘とひっそり暮らしていて、オウム真理教とはもう関わっていないとのことです。
麻原彰晃の娘:長女
麻原の長女「松本美和(まつもと みわ)」は1978年生まれで、学校に通っていたのかは不明です。
教団での地位は正悟師で、オウム真理教でのホーリーネームはドゥルガーだそうです。
省庁制の際には、「流通監視省大臣」だったそうです。
過去には、スーパーでの万引きや銃刀法違反での逮捕歴があります。
麻原彰晃の娘:次女
麻原死刑囚の次女は、1981年生まれです。
仮名ではありますが、「松本宇未(まつもと うみ)」、オウム真理教でのホーリネームはカーリー と言います。
2000年に、三女と長男を連れ去る事件を起こし、その後逮捕され保護観察処分となっています。
麻原死刑囚に対する、”麻原詐病説”などについて、三女と同様に四女と真っ向から対立。
四女からは「マスコミ受けの良い話をして金を得ている」と批判されています。
ブログを書いており、その記事のなかで、父である麻原彰晃死刑囚にあてた手紙に批判が殺到しています。
ブログ記事はこちら→「父(麻原彰晃こと松本智津夫)と会えなくなって今日で10年」
麻原彰晃の娘:三女
最近テレビなどのメディアに出演され、注目を浴びているのが麻原の三女の「松本麗華
(まつもと れいか)」です。
出生からこれまでの歩みがこちらになります。
・1983年(昭和58年)4月生まれ。教団での地位は正大師
・ホーリーネーム:アジタナーター・ウマー・パールヴァティー・アーチャリー
・省庁制の際には法皇官房長官であった
・2000年:1月に長男を連れ去ろうとした事件で逮捕され、保護観察処分となった
・2004年:3月に合格した和光大学から入学拒否されたとして提訴し、東京地裁は「入学拒否は違法」と認定、和光大学に30万円の慰謝料支払を命じた
・2013年:7月からブログを立ち上げ、麻原を案ずる文面をつづっている
・2015年:3月19日、NNN系列の報道番組「NEWS ZERO」のインタビューで出演
・2015年:3月20日、地下鉄サリン事件から20年目の日に松本麗華名義で手記「止まった時計 麻原彰晃の三女・アーチャリーの手記」を出版
・ニコニコ生放送に出演して田原総一朗と対談している
松本麗華さんは現在、次女と長男と暮らしているそうです。
話題となっている松本麗華さんのブログがこちら→「お父さん分かりますか?」
麻原彰晃の娘:四女
麻原彰晃の四女・ペンネーム「松本聡香」さんといえば、2017年に自分の推定相続人から両親を除外するよう申し立て、横浜家裁が認める審判をしていたことで話題となっています。
麻原の四女の生い立ちとこれまでの歩みがこちらです。
・1989年(平成元年)生まれ。ステージは正大師よりも上の正報師
・2003年:教団との関係を保つ家族のあり方に疑問を抱き、後見人となった江川紹子の下に身を寄せる
・2010年:ペンネーム「松本聡香」名義で著書『私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか』を刊行
・2014年:インタビューにて、自殺未遂が続いていることを明かした。
・2017年:10月に実父・麻原彰晃と実母・松本知子に対して相続廃除を申請し、横浜家裁が認める審判をした
※審判では両親が適切な養育をしなかったことや犯罪を行ったことで、四女が「重大な不利益を被り、現在もその影響が続いている」と認定された
四女は事件後、茨城県龍ケ崎市に転居しますが、市の方針によって学校へ転入拒否をされ、2人の弟共々学校にも通えませんでした。
その後、協力者達のお蔭で何とか学校に通えるようになりました。
学生時代はいじめに遭い、また中学の校長には「父親の所行を考慮すれば貴方は死んでも仕方のない人間だ」と言われたそう。
麻原死刑囚に死刑判決が下った年(2004年)までは地下鉄サリン事件の存在を知らなかったそうです。
自らインターネットや書籍などで調べて、ようやく自分に対する世間の冷たい視線の理由に気が付きます。
その後、オウムや家族と絶縁し、自殺未遂を繰り返しています。
ネットカフェ難民やホームレスのような生活をしながら生きてきたと言います。
2014年のインタビュー時には、自殺未遂の背景を語り「死にたいというよりも死ななくてはいけない」と語っています。
また、「オウム事件について知ってからは、幸せとか喜びを感じるたびに、オウム真理教は普通の人のそういう喜びを奪ってしまったのだなと感じざるをえない」と述べています。
また、2015年3月20日に放送されたFNN系列の報道番組でのインタビューにおいて、姉である三女に対して批判しています。
「姉は被害者に対して謝罪していない」「本の内容はでたらめで私の知っている真実とは異なる」と語っています。
麻原彰晃の息子:長男
長男:名誉棄損でテレ東訴える
長男は三女や次女らと現在一緒に暮らしているようです。
長男の出生からこれまでの歩みがこちらです。
・1992年生まれ。教団から「皇子・猊下」の称号を与えられる。
・1996年6月に教団の教祖となる。
・2001年4月から正式に学校に通うことになった。
・2014年10月24日:Alephに対し、名誉棄損による損害賠償4000万円の請求、ならびに写真と名前の無断使用の禁止を求める提訴を東京地裁に起こす。
・2018年3月15日に敗訴。
長男は、四女や次男と同様に学校に籍を置くことが許されなかったため、ほとんど学校に通わせてもらえなかったそうです。
9歳(小学4年生)になりようやく正式に学校に通えるようになりましたが、始業式の日になるとテレビ局や新聞記者等がたくさん駆け寄ったため、協力者が追い払っていたと言います。
学校生活では、次男と同じく友達は出来たそうです。
長男は、2014年に”名誉棄損”でAlephを訴えています。
訴状によると、自分がAlephと密接な関係にあり、教祖になるかのように記事で取り扱われたことにより大きな精神的苦痛を受けた、とのことです。
この他にも、テレビ東京に対しても父・智津夫の後継者のように報道されたとして訴訟を起こしましたが、2018年に敗訴となりました。
判決によると、長男は2014年1月、テレビ東京の報道番組内で、教団の後継団体「アレフ」の指導者になるよう準備しているなどと紹介され、モザイク処理した長男の画像も放映された。
長男は名誉毀損のほか、プライバシーや肖像権の侵害があったと訴えていた。
判決は報道内容について、「長男は教祖にしかできない宗教儀式を行っており、近い将来、団体の教祖となる可能性が高いということは放送当時、真実性が認められる」として名誉毀損の成立を否定。
プライバシーや肖像権の侵害の主張についても、「撮影は公道上で威圧的な態度もなく、受忍限度を超えていない」と退けた。
オウム真理教の設立には、天皇家も関与しているよね?
麻原彰晃って、逮捕される前に、とんねるずとテレビ出演もしているよね?
つまり、天皇家も許していたわけでしょ?
で、死刑囚の長男には人権がないのか?それは、おかしいだろ?
— ⚜▼👁△UKAIRISA⚜ (@Li3_SteveJobs) 2018年3月15日
麻原彰晃の息子:次男
麻原彰晃死刑囚と本妻の間の末っ子である次男も、顔や名前などは明らかになっていません。
次男のこれまでの歩みがこちらです
・1994年生まれ。教団から「皇子・猊下」の称号を与えらる
・1996年6月に教団の教祖となる。
・2004年秋、拘置所で麻原被告と対面し「会えてうれしいです」と声をかけた。
・2006年に春日部共栄中学校に合格したものの、入学拒否される
次男は、小学1年生の頃たった1学期しか登校できず、その後は茨城県龍ケ崎市に引越し四女も長男と同様学校に約8か月もの間通えませんでした。
協力者がいたためその後は、小学2年生から学校生活を正式にスタートすることができました。
また、次男は、2006年に春日部共栄中学校に合格しましたが、「麻原の息子だ」という理由で入学拒否されてしまいます。
憲法で禁止されている”不当な差別”によって精神的苦痛を受けたとして、共栄中学校を相手取り、損害賠償を求める訴えを起こしました。
愛人の子も合わせると全部で15人
オウムの教団内に愛人”100人”もいた?
麻原死刑囚は、かなりの女好きと自ら認めているほどです。
その異常さは、嫁の松本知子のほかにも、石井久子氏、タントラギーター、スメーダー、イシュタ・ヴァジリニー、マハームドラー・ダーキニーなどの愛人が教団内に多数いました。
また四女の著書「私はなぜ麻原彰晃の娘に生まれてしまったのか」によれば、教団内に愛人は約100人いたそうです。
毎夜、麻原死刑囚の部屋には彼女たちが入れ替わり立ち代り呼ばれていたそうで、その際に嫁の松本知子さんは部屋の前で落ち着きなくうろうろしていたといいます。
〈父の子供は15人いると聞きました〉
〈父は4人の女性に自分の子どもを産ませたそうです〉
愛人の筆頭格は、教団ナンバー2のマハー・ケイマ(ホーリーネーム、以下同)。
「大蔵大臣」を務め、「女帝」とも呼ばれていた。
麻原との間に3人の子どもをもうけ、麻原が地方へ行くときなど、妻に代わって同行していたという。
私は徳川家光の生まれ変わり――そう吹聴していた麻原は、家光同様に「大奥」制度を敷いたという。
四女によると、
〈延べ100人の愛人がいたと思われます〉
麻原彰晃死刑囚の現在!死刑が執行される
2018年3月14日と15日に、オウム真理教事件で東京拘置所に拘禁されていた13名の死刑囚のうち、7名が仙台、名古屋、大阪、広島、福岡のそれぞれの拘置所や拘置支所に移送されました。
その後、2018年7月3日、法務大臣・上川陽子は麻原死刑囚をはじめ、土谷正実・遠藤誠一・中川智正・早川紀代秀・井上嘉浩・新実智光の各死刑囚に対する死刑執行命令書へ押印しました。
この死刑執行命令を受けて2018年7月6日、麻原死刑囚は朝食を全部食べた後の午前7時40分頃、死刑執行を告げられました。死刑執行直前に遺体の引き取り先を聞かれ、「ちょっとまって」「四女」「グフッ」と発声したとされています。その後、収監先の東京拘置所において麻原の死刑が執行されました。
遺体の引取先に指定された四女とその代理人弁護士滝本太郎が7月7日に麻原死刑囚の遺体と対面しましたた。滝本は「『麻原彰晃』とは思わなかった。松本智津夫として死んだと思った」と語りました。また、埋葬地の聖地化を防ぐため海上に散骨することを提唱、その後、四女は遺骨を海にまきました。
まとめ
・麻原彰晃には教団内に複数の愛人がおり、子供は全部で15人いたと言われている。
・麻原彰晃と教団幹部は2018年7月に死刑執行をされた。
日本史上最悪で凶悪な「地下鉄サリン事件」をはじめ数々の殺人事件を起こした「オウム真理教」の元教祖こと麻原彰晃死刑囚についてまとめました。
テロリストになった背景として親から捨てられたことや、障碍者として差別されてきたこと、東大受験や選挙などでの”失敗”が積み重なっていたことも分かりました。
このような過去から、歪んだ人格を生み、このような凶悪犯罪を起こしてしまったようですが、とても許されるものではありません。
また、2018年7月に死刑が執行されましたが、信者が暴れないことを願うばかりです。