湯川遥菜さんが、イスラム過激派組織「イスラム国」に殺害されてから5年以上の月日が経過し話題になっています。
今回は湯川遥菜さんの生い立ちや経歴、謎とされた性別やオカマ説、陰部切断での自殺未遂や、イスラム国に命乞いの噂や、実は生きているとの噂、実は日本政府のエージェント説の真相についてまとめました。
この記事の目次
湯川遥菜はイスラム国(ISIL)に拘束され殺害された日本人の1人
湯川遥菜さんは、2014年から2015年のはじめにかけて発生した「イスラム国(ISIL、ISISとも)による日本人拘束事件」で、イスラム国によって殺害された2人の日本人のうちの1人です。
湯川遥菜さんは、2014年7月頃に、政府軍、反政府軍、イスラム国などの諸勢力が入り乱れて泥沼の内戦の続く中東シリアに入国。同年8月頃、トラブルに巻き込まれてイスラム国に拘束され、日本政府に対する身代金要求の人質とされた末に殺害されました。
政府が中東の危険地帯への渡航を警告する情報を発信している中で、湯川遥菜さんが警告を無視して中東の中でもっとも危険なシリアへの渡航を強行していたことや、邦人が初めてイスラム国に殺害された事件という事もあり、日本国民の間に大きな衝撃が走りました。
湯川遥菜の生い立ちや経歴
まず最初に、湯川遥菜さんの生い立ちや経歴から見ていきます。
湯川遥菜のプロフィール
出生名 :湯川正行
生年月日:1972年4月27日
出身地 :千葉県千葉市
血液型 :O型
湯川遥菜さんは、1972年4月27日に千葉県千葉市で誕生しました。出生名は「湯川正行」でした。父親は湯川正一さんで、母親の名前は公表されていません。
小学校時代は上級生にいじめられていた
湯川遥菜さんの幼少期の生い立ちは不明ですが、小学2年生の頃から卒業まで、上級生からの陰湿ないじめにあい、自殺を考えた事もあったと言います。
湯川遥菜さんは自身のブログで、この時のいじめの経験から、今の自分の性格が形成されたといった趣旨の内容を綴っています。
いじめの経験から、心を読まれない様にしたり、寂しく辛くても心を読まれない様に明るく振る舞い、辛さを見せない事が技と言うか本心を隠す事が身についてしまった。
高校卒業後ミリタリーショップ「日高屋」を経営
湯川遥菜さんは、地元千葉県内の私立高校を卒業後の1997年頃に、軍用のヘルメットなどを販売するミリタリーショップ「日高屋」を知人らと共同で設立しています。
湯川遥菜さんは27歳の頃に、このミリタリーショップを通じて知り合った女性と結婚されています。
ミリタリーショップ「日高屋」の経営は当初は順調で、小さなアパートの一室から新たに大きな事務所に移り、2002年頃に事業を拡大しています。しかし、2004年頃から経営状態が悪化し、2005年頃には「日高屋」の経営権を他者に譲渡しています。
精神を病み自殺未遂
父・湯川正一さんの証言や、湯川遥菜さん本人がブログに綴ったところによれば、借金を抱えた湯川遥菜さんは夜逃げをしてホームレスとなり、1ヶ月近く公園で寝泊まりする時期もあったということです。
最終的にこの借金は父・湯川正一さんが所有していたアパートを売却して返済しています。これに気を病んだ、湯川遥菜さんは家族の前から失踪し、2008年に自殺を図っています。
この自殺は妻に発見されて未遂に終わりましたが、さらに不幸は重なり、その妻はその2年後に肺がんで亡くなります。
「人生のラストチャンス」として民間軍事会社「ピーエムシー株式会社」を設立
2013年12月、湯川遥菜さんは父の湯川正一さんと再会。父の正一さんは、様変わりした息子を心配し、実家近くのアパートに住まわせる事にします。
この時、湯川遥菜さんは正一さんに「人生の行き詰まりを感じている」「人生のラストチャンス」などと話し、2014年1月、東京都江東区青梅に、民間軍事会社「ピーエムシー株式会社(PMC Co.,LTD)」を設立します。
湯川遥菜さんは、この「ピーエムシー株式会社」の経営理念として、海外へ行く法人の保護や救助、アジア地域の平和と豊かさ、幸せの向上をもたらす事などを掲げ、「危険な海域を航行する日本船を護衛するのが夢」と話していたという事です。
この経営理念には賛同者もいたようで、出資者もいたとの事でした。
また、湯川遥菜さんはこの「ピーエムシー」の立ち上げにあたり「頑張れ日本 全国行動委員会」のイベントに参加し、元航空幕僚長・田母神俊雄氏とのツーショット写真を撮影。同団体の茨城県本部代表の木本信男氏に顧問の依頼もしています。
シリアへと渡航しイスラム国に拘束され殺害される
湯川遥菜さんはこの「ピーエムシー株式会社」の活動に必要な、現地情報や人脈などを獲得するために、イラクをはじめとする中東の紛争地域へと度々足を踏み入れるようになります。
そして、2014年4月に単身、泥沼の内戦が続くシリアへと入国し、イスラム過激派組織「イスラム国(ISIL、ISISとも)」に拘束され、身代金要求の人質とされた挙句、殺害される事になります。
詳細な日時は判明していませんが、湯川遥菜さんが殺害されたのは2015年1月頃とみられ、享年は42歳とされています。
湯川遥菜の性別が謎と話題に、オカマとの噂も浮上
シリアで「イスラム国」に日本人男性が拘束されたという衝撃的ニュースが流れた際、男性の名前は「湯川遥菜」であるという情報が流れると、「遥菜」という女性的な名前から、本当に拘束されているのは人物の性別は男性なのか?性別が間違って伝わっているのではないか?といった声がネット上に溢れる事になりました。
さらに、その後、ネット上に公開された湯川遥菜さんの画像がどことなく女性的であった事から、「性別の転換手術を受けた女性では?」「オカマなのではないか?」といった噂まで飛び出す事になりました。
実はこれには、湯川遥菜さんが以前に起こした自殺未遂が関係しています。次の見出しで説明していきます。
湯川遥菜は自殺未遂で陰部を切断していた
湯川遥菜さんが、ミリタリーショップ「日高屋」での事業失敗によって人生に絶望し、2008年頃に自殺を図っている事は既に触れました。
実は、この時の自殺方法というのが衝撃的なもので、自ら陰部を切断するというグロテスクなものでした。
湯川遥菜さんは、この自殺方法をとる際「もしも自殺に失敗したら、今後は女性として生きていこう」という気持ちがあったと後にブログで述懐しています。そして、その通りに、自殺失敗を機に「正行」という名前から、女性的な名前である「遥菜」に改名したという事です。
湯川遥菜は元々「性同一性障害」だった?
27歳の頃には女性との結婚も経験されている湯川遥菜さんですが、自身のブログでは、幼少期は女の子とばかり遊んでいて、おままごとや花を集める遊びをしていたと綴っており、実際には「性同一性障害」だったのでは?とも言われています。
自らを「男装の麗人」川島芳子の生まれ変わりだと自称していた
また、湯川遥菜さんはブログにて自分を「男装の麗人」こと川島芳子の生まれ変わりだと盛んに訴えていました。
この川島芳子とは、清国皇族の王女で第一次世界大戦前から第二次世界大戦直後まで生きた女性です。川島芳子は17歳の頃に自殺未遂を起こし、断髪して「女を捨てる」という決意文書を綴り、当時話題を呼びました。
一説には日本軍のスパイとして大陸で暗躍していたとされ、その最期は中華民国政府に裏切り者として逮捕され処刑された、川島芳子の波乱の人生を、湯川遥菜さんは自らになぞらえ、自分はその生まれ変わりであると、心の底から信じていたようです。
湯川遥菜がイスラム国に拘束されてから首切断画像が公開されるまでの経緯
湯川遥菜さんは2014年に民間軍事会社「ピーエムシー株式会社」を立ち上げると、2月からはインドやレバノンへと渡航。4月には内戦状態にあるシリアにも単身訪れています。
実はこの初めてのシリア渡航時、湯川遥菜さんは「自由シリア軍」に疑われ拠点に拘束されています。
この「自由シリア軍」は、シリアのアサド政権に反対する武装勢力で、政府とは内戦状態にあり、欧米諸国からの支援を受けています。
ジャーナリスト・後藤健二と知り合う
この時、中東に詳しいジャーナリストの後藤健二さんが、「自由シリア軍」から通訳を依頼を受けて、湯川遥菜さんの嫌疑を晴らしその解放に尽力されています。
これをきっかけにして湯川遥菜さんは後藤健二さんと知り合う事になり、2014年6月からはイラクで行動を共にしたり、帰国時には日本で会食したりと交友を深めていきます。
2014年7月、湯川遥菜さんは再びシリア入りの計画を立てます。これに、後藤健二さんは「危険すぎる」と強く反対しますが、湯川遥菜さんはそれを無視して単身シリアへと入国してしまいます。
この時、湯川遥菜さんはトルコ・ガズィアンテプまで空路で行き、そこから陸路でシリアに入国したようです。
湯川遥菜がシリア国内で「イスラム国」に拘束される
2014年7月28日頃シリアに入国した湯川遥菜さんは、「途中で所持金を全て奪われた」と話して、反政府武装勢力の「イスラム戦線」に保護され、以降、行動を共にしました。
同年8月14日、湯川遥菜さんは「前線の様子をレポートに書きたい」と申し入れて、「イスラム戦線」の戦闘行動に同行。その戦闘時、「イスラム戦線」が撤退する際に、湯川遥菜さんは間違えて敵の「イスラム国」側に合流してしまい、そのまま拘束されます。
シリアで「イスラム国」によって邦人拘束の衝撃ニュースが流れる
2014年8月16日、シリアで「イスラム国」に日本人男性が拘束されているという衝撃的なニュースが流れます。
翌17日、拘束されている日本人は、日本で民間軍事会社を経営する「湯川遥菜」という人物であるという内容が、イスラム国の広報用Twitterを通じて明らかにされます。
この時、イスラム国Twitterでは、地面に押さえつけられて尋問を受ける湯川遥菜さんの動画も公開されました。動画には、湯川遥菜さんが「どこから来た?」「職業は?」と英語で尋問を受け、「日本人でハルナ・ユカワ」「私は兵士ではない。カメラマンだ。医師だ。」と拙い英語で答える姿が映されていました。
後藤健二が救出に向かうが拘束される
同年10月24日、後藤健二さんが、湯川遥菜さん救出のためにシリアへと入国し、翌25日に、イスラム国の中央拠点「ラッカ」へと向かいますが、そのまま消息を絶ちます。
同年11月頃から12月にかけて、イスラム国から後藤健二さんの妻に宛てて、後藤さんの拘束を告げ10億円から20億円の身代金を要求するメールが届きます。
「イスラム国」から日本政府へ身代金要求
2015年1月20日、「イスラム国」の処刑人「ジハーディ・ジョン」が、日本国政府に向けて「72時間以内に身代金2億ドル(当時のレートで約230億円)の支払いがなければ、湯川遥菜と後藤健二の2人を殺害する」と要求する動画がネットで公開されます。
湯川遥菜殺害を示す静止画と音声の動画がネット公開される
これに対して、日本国政府は「一切身代金の要求には応じない」という方針を貫いたまま交渉を続けましたが、期限後の1月24日午後11時頃、湯川遥菜さんが殺害された様子が写された写真パネルを持つ、後藤健二さんの静止画像がネットで公開されます。
この動画に映し出された湯川遥菜さんの頭部は切断されており、その映像に合わせて、後藤健二さんとみられる声で「湯川遥菜を殺害した」とする音声もつけられていました。
専門家の分析の結果、この静止画像の信ぴょう性は高いとの見解が示され、湯川遥菜さんが殺害された事はほぼ、確定的となってしまいます。
これを受けて、湯川遥菜さんの父の湯川正一さんは報道陣の取材を受けましたが、この席で大粒の涙を流しています。
報道陣の取材に応じた湯川さんの父親は、今までの思いがあふれたのか堰(せき)を切ったように涙を流し始めた
後藤健二も殺害される
また、同年2月1日午前5時頃には、後藤健二さんの殺害しているとみられる様子を撮影した動画がネット配信されます。こちらも警察による鑑定の結果「信ぴょう性が高い」との見解が発表され、後藤健二さんの死亡もほぼ確定的となってしまいます。
この「イスラム国」の凶行に多くの日本国民が怒りに震えましたが、その後、2010年9月7日に後藤健二さんがTwitterに投稿していた以下の言葉がピックアップされ、憎しみに憎しみをぶつけても何も解決しないという慈愛に満ちたメッセージは人々の心に深く響きました。
目を閉じて、じっと我慢。怒ったら、怒鳴ったら、終わり。それは祈りに近い。憎むは人の業にあらず、裁きは神の領域。-そう教えてくれたのはアラブの兄弟たちだった。
— 後藤健二 (@kenjigotoip) September 7, 2010
湯川遥菜が命乞いしたためイスラム国は殺害シーンを公開しなかった?
「イスラム国」は、人質や捕虜の殺害を公開する場合、その処刑の様子を必ず動画で配信してきました。
しかし、湯川遥菜さんを殺害する場面だけは動画配信されず、静止画が公開されたのみでした。この例外的な事実は疑問を呼びましたが、この真相について、中東の情報筋からある情報がもたらされています。
それによれば、湯川遥菜さんは殺害される際に、必死に命乞いをし、その様子があまりにも見るに耐えないものだったため、「イスラム国」のイメージ悪化につながるとして動画公開されなかったというのです。
ISはこれまで処刑シーンをYouTubeなどで公開してきましたが、湯川さんについては映像が公開されず、胴体の上に切り落とした首を載せた写真しか公開されませんでした。ある中東の情報筋の話によれば、これにはIS側の都合のようなんです。湯川さんが処刑される際に命乞いをしたため、見るに耐えない処刑シーンになった可能性があると……。
ただ、これはあくまでも噂に過ぎず、真相は不明です。
湯川遥菜さんは死を覚悟してシリアなどの紛争地帯へ向かっていたとブログで度々書かれています。湯川遥菜さんの尊厳にも関わる事なので、この命乞い説は、あくまでも噂だと見ておいた方が良いでしょう。
湯川遥菜は本当は殺されておらず生きている説の真相とは
また、湯川遥菜さんを殺害する動画が公開されていない事から、湯川遥菜さんは実は殺されておらず今もどこかで生きているという説も浮上しています。
その根拠として、公開された湯川遥菜さんの遺体画像の身体の位置関係に違和感がありフェイクが疑われている事などがあげられています。
生きているとすれば、現在もイスラム国に拘束されている可能性が高まります。しかし、これもネット上の噂に過ぎず、根拠は説得力に乏しく、ほとんど信ぴょう性はない説と言わざるを得ません。
湯川遥菜と後藤健二が日本政府のエージェントだった説の真相とは
湯川遥菜さんと後藤健二さんは、「イスラム国」によって殺害されたというのがほぼ確定的情報になっていますが、2人が殺害されるまで「イスラム国」はアメリカ人とイギリス人のジャーナリストは殺害していたものの、日本人に対しては概ね友好的で、2人が殺害されたのは異例の事という意見も多く出ていました。
そのため、湯川遥菜さんと後藤健二さんが殺害されたのには、何か明らかになっていない真相があるのでは?という声が多く上がっています。
その中のひとつに、湯川遥菜さんと後藤健二さんは、日本政府の指示を受けたエージェントとして中東に潜入していたのが真相とする説があります。
この説は、アラビア語も話せず、英語も拙く、戦闘に関しても素人同然だった湯川遥菜さんは、実は、日本政府が新設しようとしてた情報機関の研修生であり、中東の専門家である後藤健二さんが教官として指導にあたっていたのではないか?というものです。
根拠として、湯川遥菜さんの中東での活動にはいつも後藤健二さんが関わっている事があげられ、日本政府が2人の救出にあまり積極的でなかったのも、責任を問われる事を恐れた政府が証拠をもみ消そうとしたからだと主張しているものもあります。
こうした説ははっきり言って、荒唐無稽な珍説でしょう。後藤健二さんは、日本国内でもイスラム世界でも顔が広かった有名なジャーナリストなので、エージェントとしては不向きです。他にもっと適任な人物がいるでしょう。
湯川遥菜さんについては、アラビア語はほぼ全く話せず、英語も拙いという事で全くエージェントとしては適任ではありません。ましてや、湯川遥菜さんは中東での出来事を事細かに能天気な様子でブログに綴っていて、エージェント候補生の行動とはとても思えません。
そもそも、現地の言語だけでなく、基礎的な戦闘訓練も受けていない人間を危険な紛争地帯に送り込むなどという、問題が起きた際に政権が転覆しかねないほどハイリスクな命令を政府が下すはずがありません。
したがって、この湯川遥菜さんと後藤健二さんエージェントが真相とする説は、「トンデモ説」と断定して差し支えないでしょう。
まとめ
今回は、2015年にイスラム過激派組織「イスラム国」に拘束された末に殺害された湯川遥菜さんについてまとめてみました。
湯川遥菜さんは、高校卒業後にミリタリーショップを開店しますが、経営に失敗して夜逃げ。それを苦にして陰部を切断するという凄惨な方法での自殺を試みますが、未遂に終わります。
この自殺失敗時、女性として生きて行く事を決意し、名前を「正行」から「遥菜」に改名しています。(戸籍は男性のまま)
その後、2014年に湯川遥菜さんは、民間軍事会社「ピーエムシー」を立ち上げ、イラクやシリアなどの危険な紛争地帯へと足を踏み入れるようになります。
そして、同年8月、シリアにて、湯川遥菜さんはイスラム過激派組織「イスラム国」に拘束され、翌2015年1月頃に殺害されたと報じられます。
政府の渡航しないようにという警告を無視しての渡航だった事や、その後、助けに赴いたジャーナリストの後藤健二さんも拘束され殺害された事などから、湯川遥菜さんには批判的な声も多く上がっていますが、亡くなってしまった可能性が高い今はただ、冥福を祈りたいと思います。