映画化もされて大ヒットした漫画「テルマエ・ロマエ」の作者であるヤマザキマリさんは、非常に個性的でユニークな経歴を持っています。テルマエ・ロマエの作者であるヤマザキマリさんのプロフィールや若い頃からの経歴、家族(母親・旦那・息子)と自宅や現在をまとめました。
この記事の目次
ヤマザキマリはテルマエ・ロマエの漫画家・エッセイスト

出典:news.line.me
ヤマザキマリ
生年月日:1967年4月20日
出身:東京都新宿区、北海道千歳市
活動:漫画家、エッセイスト、画家
ヤマザキマリさんは、「テルマエ・ロマエ」で知られる漫画家、エッセイスト、画家です。
イタリアと日本を拠点に活動していて、「テルマエ・ロマエ」や「プリニウス」などのイタリア(古代ローマ)をテーマ内板あ漫画を描いているほか、海外生活をテーマにしたエッセイ等を多数出版しています。
イタリアや古代ローマへの造詣が深く、明るくユニークで、固定概念にとらわれない自由な作風は、幅広い世代から支持されています。
ヤマザキマリの若い頃①:14歳でヨーロッパ1人旅

ヤマザキマリさんは東京都新宿区で生まれましたが、母親の仕事の都合で、北海道千歳市で生活しました。母方が代々カトリックで、ヤマザキマリさんも幼少期に洗礼を洗礼を受けていたこともあり、中学校はミッションスクールに通っていました。
そして、14歳の時、仕事で行けなくなった母親の代わりに1ヶ月間フランスとドイツに1人旅に行くことになったのです。14歳で1人でヨーロッパ1ヶ月旅行。すごいですよね。
このヨーロッパ旅行はカルチャーショックを受けるなどいろいろな経験をしたとのことですが、高齢のイタリア人男性と運命の出会いをします。ドイツからフランスへ移動する列車を待っている時、高齢のイタリア人男性に「お前は家出少女だろう?」と話しかけられました。
ヤマザキマリさんは片言の英語で「母親に行って来いと言われた。本場の芸術に触れる旅行だ」という旨を話すと、その高齢男性は「芸術なのに、なぜイタリアに来ないんだ」と怒りだし、さらに「お前がちゃんと日本に帰ったかどうか心配だから、帰国したら母親から私に手紙を書くように」と絵葉書を渡されました。。
ヤマザキマリさんは日本に帰国後、母親に訳を話すと、母親はすぐにその高齢男性に手紙を書きました。すると、返事がすぐに届き、ヤマザキマリさんの母親と高齢男性は文通友達になりました。
このイタリア人高齢男性(マルコ)との出会いが、ヤマザキマリさんのその後の人生に大きな影響を及ぼすことになります。
ヤマザキマリの若い頃②:高校中退してイタリア留学

ヤマザキマリさんが17歳の時、母親から「高校を辞めてイタリアに行け」と突然言われました。マリさんが14歳の時に出会ったイタリア人高齢男性(マルコ)が、画塾と先生を紹介してくれるから、「イタリアに行くしかない」と母親に勧められました。
突拍子もない母親ですが、実は当時のヤマザキマリさんの様子を見ての決断だった可能性があります。
ヤマザキマリさんは当時通っていたミッションスクールの規則に馴染めず、髪型を学校に注意されたら、翌日には髪を全部剃っていったこともありました。そんな娘を見て、日本のミッションスクールに通わせるよりも、イタリアで自由にやったほうが良い思ったのかもしれません。
ヤマザキマリさんは17歳で高校を中退し、イタリアに行き、ヴィチェンツァの画塾に通ったあと、フィレンツェの国立フィレンツェ・アカデミア美術学院に入学して、美術史と油絵を学び始めました。
ヤマザキマリの家族:母親が破天荒でスゴイ!

ヤマザキマリさんの両親は父親は指揮者、母親はヴィオラ奏者という音楽一家でしたが、父親はマリさんが生まれる前に病気で亡くなってしまいます。
その後、母親は海外駐在の設計技師と結婚して、ヤマザキマリさんの異父妹になる娘を出産しますが、最初から別居婚だったあこともあり、再婚2年後には離婚することになりました。
そんなヤマザキマリさんの母親は山崎量子さんというお名前ですが、かなり破天荒な女性だったようです。
・14歳の娘を1人でヨーロッパ旅行に行かせる
・17歳で高校中退&イタリア留学を薦める
破天荒なタイプの母親でしたが、愛情あふれる人で、娘のマリさんもその愛情をしっかり受け止めていました。
いつも生きることにまっしぐらでエネルギッシュ、生きる楽しさの見本となるような人。一緒にいる時間が短くても、彼女のあふれるような愛情は精いっぱい受け止めていたと思っています。
芸術家肌の両親のDNAを受け継ぎ、母親の自由で破天荒な生き方を間近で見て、愛情をしっかり受け止めて育ったから、ヤマザキマリさんも芸術の才能を持ち、海外を転々とするような自由な生活を送れているのかもしれません。
そんな母親は晩年認知症を発症して、2022年末に亡くなりました。
ヤマザキマリの経歴①:イタリア留学&出産

出典:natalie.mu
高校を中退してイタリアに留学したヤマザキマリさんは、国立フィレンツェ・アカデミア美術学院で学びますが、この時に住んでいたアパートの隣人である「自称詩人」と交際することになります。この自称詩人はちょっと厄介な芸術家肌タイプでした。
留学して間もなく、大学で文学と作曲を学ぶ、自称詩人の彼氏ができましたが、彼にとって人生の優先順位はお金よりも芸術と文学。
ヤマザキマリさんが留学していた時、日本はバブル期だったこともあり、たくさんの日本人観光客が訪れました。貿易の商談に訪れる企業もあり、マリさんは通訳をすることでそれなりの収入を得ることができていました。」
しかし、マリさんが稼いだお金をその彼氏が高いワインや詩集の出版に使ってしまい、極貧生活を強いられ、ガス・水道・電気も止められるような生活を送っていたのです。
そんな自称詩人彼氏とイタリア生活を送っていたヤマザキマリさん。27歳の時に妊娠が発覚します。
出産後すぐに、マリさんは彼氏と別れてシングルマザーになる道を選びます。この詩人と一緒にいる事よりも息子への愛・母性が勝ったのでしょう。
ヤマザキマリの経歴②:帰国して漫画家に

出産後に息子さんと2人で日本に帰りましたが、母親は「孫の代までは私の責任だ」とヤマザキマリさんを笑顔で受け入れてくれました。そして、マリさんは息子を育てるために、いろいろな仕事をやるようになります。
画家の友人に勧められて描いた漫画は雑誌に採用され、1996年にはイタリアで生活をつづったエッセイ漫画でデビューしました。その後、次のような仕事をします。
・事務職
・大学講師(イタリア語)
・テレビ出演(リポーター)
・キュレータ
・ラジオパーソナリティー
・漫画家
とにかく自分ができる仕事は何でもやったとのこと。イタリア料理ブームだったこともあり、「週末はイタリアン」というテレビ番組のコーナーで料理を作ったこともありました。
テレビの温泉リポーターの仕事もしたことがあり、その時の経験がのちの「テルマエ・ロマエ」にも活かされているそうです。
ヤマザキマリの経歴③:結婚して旦那とは別居婚

日本でシングルマザーとして働いていたヤマザキマリさんでしたが、2001年頃に母親に誘われて、マルコの家族に会いに久しぶりにイタリアを訪れました。マルコとはマリさんが14歳初めてヨーロッパ1人旅をした時に出会い、17歳の時にイタリア留学のきっかけをくれたイタリア人の高齢男性です。
2001年時点ではすでにマルコは亡くなっていましたが、まだマリさんの母親とマルコ一家の交流は続いていて、家族同然の付き合いになっていました。
ヤマザキマリさんは母親と6歳の息子と共にイタリアのマルコの家族を訪れ、楽しいひと時を過ごします。ちょうど年末だったこともあり、イギリス留学中のマルコの孫、ベッピーノさんも帰省していて、ベッピーノさんとマリさんの息子はすぐに打ち解け兄弟のように仲良く遊ぶようになりました。
また、ベッピーノさんは古代ローマとイスラムオタクだったこともあり、マリさんとは3日3晩寝ずに古代ローマの歴史を語りつくしていました。その後、マリさん達は日本に帰国します。
帰国直後のマリさんに1本の国際電話がかかっています。電話の相手はベッピーノさんでした。ただ、ベッピーノさんは息も絶え絶えの状態。なぜかというと、マリさんが日本に帰国した直後に心筋炎を患ってICUに入院していたからです。
ベッピーノさんは、こんなに古代ローマについて深く話し合ったことはない。お互いにかわす言葉や条件がすべて良い触発となる。そんな人とはもう出会えないかもしれないといって、マリさんにプロポーズしたのです。
「なので結婚をしませんか。それぞれ暮らしている国は違うし、最初から一緒に暮らすのは難しいとしても、家族になりませんか。時々でいいから皆で会って、素晴らしい時間を過ごしませんか」
引用:(4ページ目)イタリア人夫は14歳年下、新婚時代から「別居婚」…ヤマザキマリ(58)が明かす、“夫との出会い”と“家族の遍歴”《別居婚の何が悪い?》 | 文春オンライン
ステキなプロポーズですね。ただ、ベッピーノさんは当時20歳の大学生。マリさんは34歳のシ
ングルマザー。マリさんは母親にプロポーズされたことを報告すると、「せっかくだから結婚してみたらいい。ダメならまたやり直せばいいだけ」とマリさんの背中を押し、2人は当時のベッピーノさんの留学先であるエジプトのイタリア領事館で結婚式をあげました。
14歳の時に偶然出会った縁が、ヤマザキマリさんの旦那にまでつながったと考えると、マリさんとマルコの出会いは運命だったのかもしれません。
旦那とは別居婚
旦那のベッピーノさんは比較文学の研究をしていたため、ヤマザキマリさんと息子はベッピーノさんと共に世界各地を転々とします。
・エジプト
・シリア
・イタリア
・ポルトガル
・アメリカ
そして、2013年からイタリアを拠点にしていますが、ヤマザキマリさんは日本での仕事も多いことから、別居婚状態になっているそうです。
確かに別居といえば別居だが、お互いの仕事の内容上、自然のなりゆきでこうなってしまっただけである。精神面での結束はあるけれど、物理的には離れて生きている、こういう少し変わった夫婦も世の中には存在するのである。
ただ、もちろん夫婦仲が悪いわけではなく、お互いの仕事や生活を大切にした結果、別居婚になったそうです。
ヤマザキマリの経歴④:テルマエ・ロマエが大ヒット!

ヤマザキマリさんは結婚後も漫画家やエッセイストとして活動していますが、代表作は2008年から連載していた「テルマエ・ロマエ」です。
古代ローマ時代の浴場と、現代日本の風呂をテーマとしたコメディで古代ローマの浴場設計技師が日本のお風呂文化にカルチャーショックを覚える内容です。
・書店員の選ぶマンガ大賞2010受賞
・第14回手塚治虫文化賞短編賞受賞
・「このマンガがすごい!」2011年版オトコ編2位
・全国書店員が選んだおすすめコミック2011、3位入選
・2013年仏アングレーム国際漫画祭(Festival International de la Bande Dessinée d’Angoulême)ノミネート作品。
・2013年米アイズナー賞(Will Eisner Comic Industry Awards)アジア部門(Best U.S. Edition of International Material Asia)ノミネート作品
日本ではもちろん海外でも高く評価されている作品です。2012年からはアニメ化され、さらに阿部寛さん主演で公開された映画も大ヒットしました。
また、2024年4月には「プリニウス」が第28回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞しています。
母親のことや海外生活などを面白くつづったエッセイも大人気ですし、テレビなどマスコミ出演も積極的に行っています。
ヤマザキマリの子供は息子が1人

ヤマザキマリさんには息子が1人います。お名前はデルスさん。息子さんは海外を転々として、小学4年生の時にポルトガルのリスボンの小学校に転入しました。
数学オリンピックで優勝したこともあるほどの秀才で、高校からはアメリカに行き、IBプログラムのクラスで学んでいました。
大学はイリノイ工科大学を選ぼうと思っていましたが、ハワイ大学に興味が湧き、ハワイ大学工学部に進学します。卒業後は映画や文学に興味が出てきたたため、動画編集の学校に入り直して、動画の撮影や編集をしたりアニメを作ったりする仕事をしているほか、フリーのカメラマンとして働いています。
ヤマザキデルスさんは、理系でロボット工学を専攻していましたが、ヤマザキマリさんのDNAなのかクリエイティブなお仕事をしているんですね。
ヤマザキマリの自宅

ヤマザキマリさんの自宅は現在、東京にあります。旦那さんはイタリアで高校教師をしているそうで、家族が顔を合わせるのは年に2~3回程度とのこと。
ヤマザキマリさんの東京のご自宅、メチャクチャおしゃれです。


ちなみに、東京だけでなく、アルプスのふもとにも家があり、イタリアにも旦那さんが住んでいる自宅があるので、その時の仕事状況や気分によって、自宅を変えているのかもしれません。
ヤマザキマリの現在

出典:asahi.com
ヤマザキマリさんはアメリカのサンフランシスコで行われた大規模マンガ展「『Art of MANGA』展覧会」にも参加していたほか、日本でも2026年2月から京都駅ビル内で『ヤマザキマリの世界』という展覧会を行いました。
『テルマエ・ロマエ』の原画だけでなく、幼少時の絵日記などもあり、さらに「漫画家・画家・著述家」という3つの側面からヤマザキマリさんを紐解く展示となっています。
今後、60歳くらいで漫画に区切りをつけて、油絵に戻っていく予定とのことです。
ヤマザキマリのまとめ
ヤマザキマリさんのプロフィールや若い頃からの経歴、家族や母親、結婚した旦那や子供、東京の自宅と現在をまとめました。
エネルギッシュでユニークで自由奔放な生活を送っているヤマザキマリさん。そのような生活スタイルだからこそ、テルマエ・ロマエのよう作品や面白いエッセイを生み出すことができるのかもしれませんね。
今後、ヤマザキマリさんは漫画から油絵に戻るのかもしれません。漫画ファンとしては寂しい限りですが、ヤマザキマリさんが生み出す油絵も楽しみですね。


















