わらべは「めだかの兄弟」で知られる高部知子さん・倉沢淳美さん・高橋真美さんによるアイドルユニットですが、メンバー脱退のきっかけや解散理由も話題です。
今回はわらべの若い頃や脱退の経緯、結婚した旦那や子供、現在を紹介します。
この記事の目次
- わらべは「欽ちゃんのどこまでやるの!」で人気になった3人組
- わらべのメンバー① 長女の萩本のぞみ役:高部知子
- わらべのメンバー② 次女の萩本かなえ役:倉沢淳美
- わらべのメンバー③ 3女の萩本たまえ役:高橋真美
- わらべの若い頃の活躍:「めだかの兄弟」が大ヒット
- わらべの若い頃に起きた「ニャンニャン事件」と高部知子の関係とは?
- わらべの解散理由
- わらべ解散後の活動① 高部知子は迷走して芸能界引退
- わらべ解散後の活動② 倉沢淳美はアイドル継続
- わらべ解散後の活動③ 高橋真美はタレントへ
- わらべ・高部知子の旦那や結婚と離婚・子供
- わらべ・倉沢淳美の旦那や結婚と子供
- わらべ・高橋真美の旦那や結婚と子供
- わらべの現在① 高部知子は精神保健福祉士に
- わらべの現在② 倉沢淳美の娘が芸能界デビューし話題に
- わらべの現在③ 高橋真美はダイエット本が大ヒット
- まとめ
わらべは「欽ちゃんのどこまでやるの!」で人気になった3人組
出典:https://www.dailymotion.com/
わらべの3人
活躍したのは、昭和後期である1982年から1985年までの約3年という短い期間だったにもかかわらず、令和になった現在も愛され続けている異色のアイドルユニット「わらべ」。
当時の大人気番組だった「欽ちゃんのどこまでやるの!」の企画物として誕生したユニットでしたが、リリースした楽曲は100万枚を超えるヒットになり、社会現象を巻き起こしました。
まずは、「わらべ」誕生の経緯、また高い視聴率を誇った「欽ちゃんのどこまでやるの!」がなぜ人気だったのか、その秘密を調査しました。
欽ちゃんのどこまでやるの!とは
出典:https://www.sankei.com/
「わらべ」が誕生したのは、テレビ朝日で1976年10月から1986年4月まで10年に渡り放送された人気バラエティ番組「欽ちゃんのどこまでやるの!」です。
その名の通り、萩本欽一さん主演で最高視聴率は42%という驚異の記録を叩き出したお化け番組で、日本中から「欽どこ」という愛称で親しまれてきました。
ホールなどのイベント会場のステージにセットを組んで、観客を入れた状態で公開生放送というスタイルが特徴です。
家族を模した出演者がホームコメディを繰り広げ、「お茶の間ドラマ」と呼ばれていました。
まず、主演の萩本欽一さんがお父さんで、真屋順子さんがお母さん。
長男は見栄晴さん、そしてその後に生まれた3姉妹こそが「わらべ」の三つ子という設定です。
三つ子はしばらくは人形を使っていましたが、娘役を立てることになったのです。
わらべとは?
出典:https://ameblo.jp/
三つ子が生まれた当初は、3人の娘は人形でコントが行われていきましたが、長男役の見栄晴さんが成長して高校生になったことをきっかけに、番組がリニューアル。
それまで人形だった三つ子も、娘役をオーディションを経て、子役として実績があった高部知子さん、ほぼ活動実績のない倉沢淳美さん、高橋真美さんが選ばれました。
三つ子の娘の名前は「のぞみ」、「かなえ」、「たまえ」。命名したのは萩本欽一さんで、「望みを叶えたまえ」を切り離して作ったのだとか。
「欽どこ」に出演するだけではなく、歌手として活動を始めたところ、ミリオンセラーを叩き出すなど、あっという間にお茶の間の人気者になった「わらべ」。
メンバーの詳細なプロフィールや経歴は、この後の章で詳しく紹介します。
わらべのメンバー① 長女の萩本のぞみ役:高部知子
高部知子のプロフィール
出典:https://www.pasonica.com/
高部 知子(たかべ ともこ)
生年月日: 1967年8月25日
出身地: 東京都文京区
血液型: B型
幼少期に病弱だった高部知子さんは、小学生の時に児童劇団に所属し、1979年に公開された映画「東京大空襲ガラスのうさぎ」でデビューしました。
事務所を移籍後、1980年にドラマ化された「ガラスのうさぎ」にも出演。
そして1982年から、「わらべ」の活動を開始しました。
わらべのメンバー② 次女の萩本かなえ役:倉沢淳美
倉沢淳美のプロフィール
出典:https://idol.ne.jp/
倉沢 淳美(くらさわ あつみ)
生年月日: 1967年4月20日
出身地: 神奈川県相模原市
血液型: B型
子供の頃からピアノを習っていた倉沢淳美さんは、将来の夢は歌手かピアノの教師になることでした。
中学生になると、得意のモノマネで「欽也のそっくりベスト10」に出場し、松田聖子さんの「夏の扉」を歌ったところ見事合格。
この様子を見ていた事務所の社長がスカウトしたことで事務所入りが決まり、「わらべ」のオーディションを受けたのです。
倉沢淳美さんは、ほぼ芸能界での実績がない状態でいきなり人気アイドルになりました。
わらべのメンバー③ 3女の萩本たまえ役:高橋真美
高橋真美のプロフィール
出典:http://scoopire.net/
高橋 真美(たかはし まみ)
生年月日: 1967年9月20日
出身地: 東京都目黒区
血液型: A型
身長: 160cm
高橋真美さんが子役デビューしたのは、1978年放送のポーラ名作劇場「みずきの匂うとき」ですが、その後は目立った活躍の場もないまま、1982年の「わらべ」オーディションに挑戦。
10人程まで書類選考で絞られて、最終審査会場に赴きました。
役者のオーディションというと、台詞を読んだり演技を求めたりするイメージですが、全く違ったものだったそう。
2時間ぐらい会場で待っていると、萩本欽一さんが突然現れて、女の子たちをパーッと1分くらい眺めた後で「もう帰っていいよ」と部屋を出て行ってしまったのだとか。
これは全員落ちたんだなと覚悟して帰宅しようとしたところ、高橋真美さんが合格。
気になって後で理由を聞いたところ、以下のような答えが返ってきたそう。
「ズラリと並んでいる端っこに、なんだか丸っこくて色の白いのが座っているなって思って、その印象だけで決めたって言われました。
絶妙な太り具合だったらしくて(笑)」
引用:三女・たまえに高橋真美を選んだ絶妙な理由 – 週刊女性PRIME https://www.jprime.jp/
今でこそ細身ですが、オーディション当時は高橋真美さんはポッチャリ女子だったんですね。
そんな高橋真美さんは「欽どこ」以来、ずっと萩本欽一さんと懇意にしていて、今でも「お父さん」と呼ぶ間柄だそうです。
プライベートでも本当の親子のように呼び合う仲になり、いかに「欽どこ」が雰囲気の良い現場だったかがわかるエピソードですよね。
わらべの若い頃の活躍:「めだかの兄弟」が大ヒット
出典:https://aucfree.com/
「わらべ」が結成されると、最初の仕事は「欽ちゃんのどこまでやるの!」に出演し、エンディングテーマである「めだかの学校」を3姉妹で歌うことでした。
当初、「めだかの兄弟」のレコード化は先の予定でしたが、生放送で歌ったところ大反響で、慌ててシングルリリースが決まるという異例の形でデビューを果たしています。
ここでは、一世を風靡したデビュー曲について見ていきましょう。
反響が大きすぎて前倒しリリース
出典:https://uverinfo.com/
「わらべ」のデビュー曲「めだかの兄弟」は、萩本欽一さんが「欽どこ」のエンディング曲として3姉妹に歌わせるために、交流のある作曲家の三木たかしさんに依頼して完成した曲。
萩本欽一さんは「最近、兄妹をテーマにしたほのぼのとした歌が全くないので、そんな歌を作ってほしい」と頼み、編曲を担当した坂本龍一さんは1週間苦しんだそうです。
当初、番組側とレコード会社は「めだかの兄弟」を、1983年発売として計画していました。
しかし、「欽ちゃんのどこまでやるの!」エンディング曲をテレビで披露すると、あっという間に子供たちの間で大流行。幼稚園関係者からも次々に問い合わせが入ったのだとか。
そのため、急遽前倒しで「めだかの兄弟」のレコード化が決定し、1982年12月にリリースされたのです。
いきなりミリオンセラーに
発売すると3か月で70万枚を売り上げた「めだかの兄弟」は、その後のオリコン集計で88.5万枚を達成し、最終的には100万枚を超えました。
あまりにも売れすぎたので、当時物品税対象になる歌謡曲扱いなのか、非課税対象の童謡なのかという解釈で、レコード会社と国税局の主張が対立するという問題まで勃発する事態に。
それだけ、「わらべ」が社会に与えた影響が大きかったということを表すエピソードですよね。
ちなみに、3人が「めだかの兄弟」を歌う時は、パジャマにちゃんちゃんこを羽織るという、独特の衣装でした。
衣装の理由は、「欽どこ」の放送時間帯が夜だったので、三つ子がエンディングを歌ってから寝る、という設定からでした。
わらべの若い頃に起きた「ニャンニャン事件」と高部知子の関係とは?
出典:https://anoima.info/
「わらべ」はデビュー後、順調な滑り出しを見せたのですが、1983年6月に起きた「ニャンニャン事件」により、高部知子さんが活動休止に追い込まれることになります。
1人の男性が自殺を遂げてしまうという、最悪の結末となった事件の経緯について紹介します。
ベッド写真がスクープされた
出典:https://twitter.com/
スクープされた高部知子の「ニャンニャン写真」
社会現象まで巻き起こした「わらべ」でしたが、人気絶頂の最中だったデビュー翌年の1983年6月、写真週刊誌「FOCUS」が高部知子さんのショッキングな写真を掲載しました。
問題の写真では、高部知子さんが裸のまま布団を胸までかけて、タバコをくわえた姿で映っていたんです。
当時の高部知子さんはまだ15歳で未成年、当然タバコは吸えない年齢です。また、そのリラックスした表情から、交際相手の男性と性行為後の一服と世間は判断しました。
未成年の喫煙と、清純なイメージとはかけ離れた熱愛発覚というダブルスキャンダルから、出演していたバラエティ番組やラジオも降板。
テレビCMは打ち切り、さらにソロで女優活動もしていましたが、撮影中だった映画「積み木くずし」は降板という最悪の事態になりました。
交際相手は自殺していた…
出典:https://www.sudo-sekizai.co.jp/
この写真を週刊誌に持ち込んだのは、高部知子さんの交際相手だった当時18歳の少年で、高部知子さんの手紙や会話を録音したテープなども提供していたそうです。
その後、その少年はストレス性の胃潰瘍で入院した後、9月4日に茨城県城里町の林道に停まっていた車の中から遺体で発見されました。
死因は、自動車の排気ガスを使った自殺とされています。
週刊誌が発売された時、高部知子さんは2か月の謹慎を言い渡されていました。
しかし、少年の自殺を受けて「わらべ」を脱退、欽ちゃんファミリーからも破門という処分を受けることになったのです。
そのため、1983年9月から「わらべ」は倉沢淳美さんと高橋真美さんの2人になることが決まりました。
わらべの解散理由
出典:https://jp.mercari.com/
倉沢淳美さんと高橋真美さんで再出発した「わらべ」は、リリースしたシングル「もしも明日が…。」が大ヒットしたものの、1985年3月で解散しています。
なぜ解散してしまったのでしょうか。その理由について紹介します。
売れなくなったから?
出典:https://jisin.jp/
2人体制で再出発した「わらべ」は、1983年12月に「もしも明日が…。」をリリースすると、「めだかの兄弟」を超えるヒットを記録。
曲のイメージに合わせたアニメーションも制作されたり、「欽ちゃんのどこまでやるの!」以外の番組でも楽曲が流されたり、再び社会現象となりました。
また後年、太田裕美さん、新垣里沙さん、坂本冬美さんと藤あや子さんなど、有名歌手によってカバー楽曲が発表されるなど、今でも名曲として知られていますよね。
しかし1984年に入ると、シングルを発売しても以前よりは売れなくなってしまった「わらべ」は、1985年の「欽どこ」リニューアルに伴い、なし崩し的に解散に。
解散の詳細な理由については明かされていませんが、アイドル歌手は入れ替わりが激しいため、大ヒットを継続する難しさがあったのかもしれませんね。
わらべ解散後の活動① 高部知子は迷走して芸能界引退
出典:https://www.amazon.co.jp/
1985年に「欽ちゃんのどこまでやるの!」の番組がリニューアルされて、一世を風靡した「わらべ」も解散。
元「わらべ」となった3人のメンバーは、その後どういった活動をしていたのでしょうか。その後の人生の足取りを追ってみました。
高部知子は迷走して引退
出典:https://anohito-genzai.com/
高部知子さんは、1983年の「ニャンニャン事件」により「わらべ」を脱退。さらに1年3か月に渡る謹慎期間を送りました。
そして、1984年10月から12月にかけてTBSで放送された「転校少女Y」でヒロイン・小野田幸を演じて芸能界に復帰しています。
また、シングル「雨の街」をリリースしてソロデビューも果たしました。
その後、「あみん」だった岡村孝子さんのバックアップを受けて、「雨ア・ガ・リ」をリリースしますが、ヒットには至りませんでした。
芸能界に復帰したものの、決して人気があったとは言えない状況だったのです。
さらに人気は低迷していき、大胆なヌード写真集を発売したり、官能ビデオに出演したりと迷走していましたが、結婚を機に芸能活動を引退しています。
わらべ解散後の活動② 倉沢淳美はアイドル継続
出典:https://www.snowrecords.jp/
倉沢淳美さんは、「わらべ」解散後もキュートなルックスを生かして、ソロでアイドル活動を継続しています。
しかしソロデビュー後の1984年4月8日、札幌市でサイン会を終えた後、握手に応じていたところ、突然男性ファンの1人にナイフで切り付けられる事件が起こりました。
倉沢淳美さんは手首に6cmに渡る傷を負ってしまいます。
その後、堀越高校から日本女子短期大学保育学科へ進学すると、学業を優先。
1985年以降は「おニャン子クラブ」や河合その子さんなど次世代アイドルが台頭してきたことで、1987年までシングルをリリースするものの、ひっそりと表舞台から姿を消しました。
わらべ解散後の活動③ 高橋真美はタレントへ
出典:http://sensenblog.com/
「わらべ」の3人の中では、一番普通の女の子というポジションだった高橋真美さんは、「わらべ」解散後はリポーターへ転身しました。
また、TBSの「ビッグモーニング」ではお天気お姉さん、「ジャスト」の木曜日レギュラーなど、派手さはありませんが、タレントとして現在も仕事を継続しています。
10代の頃は細身の芸能人の中ではぽっちゃりさが目立っていましたが、現在はスリムな姿を維持しています。
わらべ・高部知子の旦那や結婚と離婚・子供
出典:https://blogtag.ameba.jp/
「わらべ」解散後は、それぞれ別々の人生を送ることになった3人について、ここからは結婚生活を紹介します。
まずは、メンバーの中で一番先に結婚した高部知子さんです。
22歳で幼馴染と結婚
出典:https://news.yahoo.co.jp/
「ニャンニャン事件」後、なんとか芸能界に復帰したものの1年3か月のブランクは大きく、目まぐるしいスパンで誕生する後進のアイドルたちに押され、決して順調ではありませんでした。
そんな中、高部知子さんは芸能界に見切りをつけ、22歳で幼馴染の男性と結婚し、引退。
旦那となった男性は一般人なので、氏名や写真は公開されていません。
夫婦2人でコンビニエンスストアを経営している様子が、週刊誌やテレビの「あの人は今」の特集で報道されたこともありましたが、数年で離婚しています。
その後、時期は明確ではありませんが再婚してまた離婚したようで、現在は独身とのことです。
子供はいるの?
最初に結婚した旦那との間に、2人の娘が誕生しています。
長女は生まれつき心臓に疾患を持っていたそうで、誕生してすぐに手術を受けるなど大変なことが多かったようですが、その後は問題なく成長し、無事成人しました。
具体的にいつ娘が誕生したのかは明かされていませんが、おそらく娘たちは30歳を超えていると言われています。
わらべ・倉沢淳美の旦那や結婚と子供
出典:https://mantan-web.jp/
結婚後はドバイで暮らす倉沢淳美
倉沢淳美さんは1995年に国際結婚をして、海外で優雅に暮らしているようです。旦那はどのような人物なのでしょうか。
旦那との間に誕生した子供についても調査しました。
旦那はオーストラリア人の会社員
出典:https://katchan55.com/
倉沢淳美と旦那
倉沢淳美さんの旦那は、オーストラリア人の会社員・ジェームスさん。勤務する会社名は不明ですが、石油システムの開発を担っているそうです。
2人の馴れ初めは1990年で、出会った場所はスポーツクラブでした。
当時の倉沢淳美さんは英語を勉強中で、外国人と話してみたいという願望から、スポーツクラブで見かけたジェームスさんに声を掛けたことがきっかけで、2人は仲を深めたのだとか。
約5年の交際後に結婚し、その後はドバイに移住して裕福な生活を送っています。
3人の子供に恵まれた
ジェームスさんとの間には3人の子供に恵まれました。
第1子が長男の希和さん、第2子は長女の桂奈さん、第3子は次男の仁希さんで、3人ともハーフということになりますね。
長男と次男は一般人なので詳しいプロフィールは分かっていませんが、桂奈さんは日本で「倉沢ケイナ」名義でモデル活動を開始しています。
桂奈さんの活動については、この後の章で詳しく紹介します。
わらべ・高橋真美の旦那や結婚と子供
出典:http://stance123.com/
現在も芸能活動を続けている高橋真美さんも既婚者です。
旦那はどのような人物なのでしょうか。馴れ初めや子供について調査しました。
旦那はオリエンタルランド勤務
出典:https://www.asahi.com/
高橋真美さんが結婚をしたのは2000年4月のこと。旦那は年齢が11歳上で、当時オリエンタルランドで広報を担当していた男性です。
オリエンタルランドは、ディズニーランドやディズニーシーを運営する企業として知られていますね。
2人が出会ったのはまさにディズニーランドで、お天気中継をディズニーランドで行った際に対応してくれた男性こそが旦那だったのです。
名前などの情報は判明していませんが、「常に靴がピカピカでハンカチはシワがなく、ミシンを自身で操ってほつれやファスナーを直してしまう」そうで、何でもできる人のようですね。
一方、高橋真美さんは結婚するまで実家暮らしで、家事があまり得意でないことをカミングアウトしており、旦那も義理の母親も暖かい目で見守り続けてくれたのだとか。
旦那は結婚相手に無理強いしたりせず、高橋真美さんを丸ごと受け入れてくれる温厚な性格であることがうかがえますね。
子供は誕生していない
夫婦仲は良いようですが、子供については明かされていません。そのため、子供は誕生していないのでは?と言われています。
高橋真美さんは32歳で結婚していて、2022年1月現在は54歳。この先、子供が誕生という可能性は低いでしょう。
わらべの現在① 高部知子は精神保健福祉士に
出典:https://mainichi.jp/
現在の高部知子
2022年現在の高部知子さんについて調査しました。
現在は保険社会福祉士の資格を持ち、全く畑違いの仕事をしていることが分かりました。
一体、いつから現在の仕事の勉強をしていたのでしょうか。
恩師の言葉をきっかけに医療を目指す
結婚と離婚を繰り返した高部知子さん。実は人間不信に陥っていました。
スキャンダルが起きてからというものの、芸能界で心の底から高部知子さんを信用してくれる人に巡り合うことができなかったといいます。
しかし、北村先生という高校時代の恩師だけは、ずっと高部知子さんの心に寄り添い続けてくれる唯一の人物だったそう。
ずっと話を聞いてくれた北村先生のおかげで、人生を前向きに生きるきっかけをもらった高部知子さんは、2000年に慶応義塾大学文学部通信課程へ入学し、2005年に卒業しました。
そして2007年、東京福祉大学精神保健福祉士養成コースを終了し、国家試験に見事合格。
高部知子さんは精神保健福祉士として活動を開始しました。
精神保健福祉士として全国を飛び回る
出典:https://all-guide.com/
現在は、全国各地の精神医療や福祉関係の施設を忙しく飛び回り、認知症や依存症のカウンセリングをしたり、医療的なケアを行ったりしています。
2013年には、バラエティ番組「芸能特ダネゲッター!ワダマヨ社」で密着取材が行われ、精神保健福祉士として活動する高部知子さんの毎日が放送されました。
その他にも、東京都認定薬物専門講師の資格を取得していて、薬物依存症への理解や治療に対する基礎知識を広める講演活動も行っています。
わらべの現在② 倉沢淳美の娘が芸能界デビューし話題に
出典:https://linoo7.com/
倉沢淳美の長女・倉沢ケイナ
倉沢淳美さんの長女・倉沢桂奈さんは現在、「倉沢ケイナ」として日本で芸能界デビューを果たしました。
母親の倉沢淳美さんに似て美形だと話題です。まずはプロフィールや経歴を見ていきましょう。
倉沢ケイナのプロフィール
出典:https://thetv.jp/
倉沢ケイナ(くらさわ けいな)
生年月日: 1999年1月5日
出身地: ドバイ
所属事務所: リバティーハウス
倉沢ケイナさんの本名は、倉沢桂奈さん。カタカナ表記は芸名ということになりますね。
カナダのトロント大学で環境科学と都市計画を専攻し、2021年6月に卒業した後はしばらくドバイにある会社で勤務していました。
2021年11月23日、森田健作さんがパーソナリティーを務めるラジオ番組に出演し、2022年から日本で芸能活動を開始することを明かした倉沢ケイナさん。
まだ具体的な芸能活動内容は発表されていないようですが、インスタグラムアカウントのフォロワー数は2022年1月現在11.5万人と、すでに注目が集まっています。
ドバイのモーニングルーティンが人気
2021年から、日本での芸能活動の準備期間としてYouTuberとして活動している倉沢ケイナさん。
自宅でのモーニングルーティン動画が人気で、朝7時前に起床して飼い犬を散歩させたり、豆乳で割ったコーヒーを入れたり、トーストとサラダを作ったりと、日常を明かしています。
ただ、背後に映っている自宅のキッチンやリビングがかなり広く重厚な造りになっており、豪邸に住んでいることがうかがえます。
2022年1月には、浅草での買い物の動画がアップされているので、既に日本に居住しているようです。
活動の内容がいつ発表されるのか、楽しみですね。
わらべの現在③ 高橋真美はダイエット本が大ヒット
出典:https://nobelshow.blog.fc2.com/
タレントとして活動中の高橋真美
高橋真美さんは、若い頃はポッチャリしていましたが、一念発起してダイエットを成功させています。
ダイエットになぜ挑戦したのか、そして現在の体重についても調査しました。
ダイエットのきっかけは?
ダイエットを思い立ったのは27歳の時だそうです。
父と慕う萩本欽一さんに「きれいにならなきゃね」と言われて、なんと1か月半で13kgのダイエットに成功。
決して無茶なダイエットではなかったようで、その時実践したダイエット方法を紹介するダイエット本「みんなに黙ってダイエット」を出版しました。
スリムになった今でも毎日体重を測り、ブログに体重をアップしている高橋真美さん。
55kg台であることを明かしており、体型キープを心がけているようですね。
まとめ
出典:https://jp.mercari.com/
「わらべ」は、1970年代から1980年代中盤まで人気だった「欽ちゃんのどこまでやるの!」で生まれた3人組ユニット。
メンバーは、高部知子さん、倉沢淳美さん、高橋真美さんで、芸能界できちんとした子役実績があるのは高部知子さんだけでした。
萩本欽一さんの娘という設定で「欽どこ」に出演したのはもちろん、エンディングで歌った「めだかの兄弟」が大ヒット。
好調なデビューかと思われましたが、高部知子さんのベッドでの未成年喫煙写真が週刊誌で報じられると、相手の男性が自殺をするというショッキングな事件に発展。
これにより高部知子さんは脱退、残った2人で活動を続けるも1985年3月に「わらべ」は解散してしまいました。
その後、3人の人生は全く異なる道を歩んでいます。
倉沢淳美さんはオーストラリア人男性と結婚して、旦那や子供とドバイでセレブ生活。高橋真美さんはリポーターに転身し、現在も芸能活動を継続中です。
高部知子さんは結婚と離婚を繰り返した後、慶応義塾大学卒業後に精神保健福祉士として活動しています。
「わらべ」のメンバーは、それぞれが輝ける場所で楽しんで生活を送っているようですね。3人の活躍を陰ながら応援していきましょう。