1980年代に歌手やグラビアで活躍した元アイドルの小出広美さんが現在は反ワクチン活動をされていると話題になっています。
この記事では小出広美さんの身長や若い頃の経歴や画像、解雇理由が中森明菜さんだという噂、結婚や反ワクチン運動などの現在の活動についてまとめました。
この記事の目次
小出広美のプロフィール
小出広美のプロフィール
生年月日:1966年3月3日
出身地 :愛知県海部郡大治町
身長 :154cm
血液型 :A型
小出広美さんは、1980年代に活躍した元アイドル歌手、グラビアアイドルです。
アイドル歌手としては、マイナー調の歌謡曲路線で「ポスト中森明菜」として注目浴び、その後はグラビアアイドルとしてデビューして、バスト83、ウエスト60、ヒップ87という豊満なボディで人気を博し当時の男性を虜にしました。
今回はそんな小出広美さんについてまとめていきます。
小出広美の身長は154cm
小出広美さんのWikipediaには身長が記載されていないため、「小出広美の身長が気になる」という人も多いようです。
小出広美さんのアイドル時代の雑誌特集などに掲載されたプロフィールデータによると、小出広美さんの身長は「154cm」です。
小出広美の若い頃① 地元名古屋でタレント活動中にスカウトされ東京進出
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小出広美さんの若い頃の画像や経歴を紹介します。
小出広美さんは中学生時代から地元の名古屋市でローカルタレントとして活動していました。15歳だった1981年にCBCテレビのバラエティ番組「ぱろぱろエブリデイ」の火曜日のアシスタントとしてレギュラー出演し、それを見たキングレコードの関係者にスカウトされて東京への進出を果たしました。
小出広美の若い頃② アイドル歌手デビューしポスト中森明菜と呼ばれる
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小出広美さんは東京進出後の1982年10月から、当時NHKで放送されていた若者向け音楽番組「レッツゴーヤング」の番組内で結成されたグループ「サンデーズ」のメンバーに選ばれ、1983年9月25日まで活動しました。
1983年3月21日には、キングレコードからデビューシングル「タブー」にてアイドル歌手としてデビューし、1983年6月21日に2ndシングル「チェンジLOVE」、1983年8月5日に3rdシングル「水色の輝き」、1983年10月21日に4thシングル「心はプリズム」と、立て続けに新曲をリリースしました。
曲調が当時絶大な人気を誇っていた中森明菜さんとよく似たマイナー調の楽曲ばかりだったため、「ポスト中森明菜」と呼ばれるようになり、3rdシングルの「水色の輝き」発売直後には、キングレコードから、当時、中森明菜さんが所属していた「研音」へと電撃的に移籍しています。
小出広美の若い頃③ 研音を解雇されるもグラビアアイドルとして復活
中森明菜さんも所属していた「研音」に移籍した小出広美さんでしたが、移籍後2枚目のシングルとして1984年5月5日にリリースされるはずだった5thシングル「最近のム・ス・メ」が、急遽お蔵入りになり、そのまま研音から契約を破棄(事実上の解雇)されてしまいました。
小出広美さんはそのまま、芸能界の表舞台から一時的に姿を消し、アイドル歌手としては事実上の引退となりました。
当時、小出広美さんは堀越高校を卒業したばかりの頃で、「せっかく憧れのアイドルになれたのにとても悲しかった」と、当時の気持ちを近年受けたインタビューの中で話されていました。
しかし、それから3年後の1987年、小出広美さんは突如フリーでの芸能活動を再開し、グラビアアイドルを中心に活躍。豊満なボディを武器に一躍人気を獲得し、復活を遂げました。
小出広美さんはグラビアアイドルとして人気を博し、1988年から2002年にかけて9冊の写真集を発表しています。
小出広美の若い頃④ クラブのホステスとして活躍していた
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小出広美さんはアイドル歌手を事実上の引退に追い込まれた後、一時は芸能界から距離を置いて六本木のクラブでホステスとして働き始めました。
その後にグラビアアイドルとして芸能活動を再開していますが、それからも水商売の世界で継続して働かれていて、クラブではナンバー1人気だったようです。その後独立して「水芭蕉」という会員制の高級クラブをオープンさせてママとなって成功し、地元の名古屋にも系列店を展開しています。当時は月収で2〜300万円とかなりの金額を稼がれていたそうです。
クラブママ時代の小出広美さんのエピソードは、当時の5ちゃんねる(当時の名称は2ちゃんねる)などでよく話題に上がっていました。
小出広美さんは若い頃に水商売の世界に入り、その後も長くクラブを経営しママとして活躍されていましたが、45歳の時に閉店して水商売の世界からは足を洗われています。
水商売の世界から足を洗ったきっかけは、2008年のリーマンショックの影響で売り上げが落ち込んだ事や、2011年の東日本大震災を経験して人生観が変化した事だったようです。
小出広美が「研音」を解雇された理由は中森明菜とも噂された
「研音」に突然契約破棄された事から、当時は小出広美さんが解雇された理由が色々と噂されました。
その中には、研音の先輩だった中森明菜さんに嫌われたのが理由で小出広美さんが解雇されたのではという衝撃的な噂も浮上していました。
この噂によると、当時中森明菜さんが衣装契約を結んでいたブランドメーカーで、小出広美さんが勝手に衣装を作り、それが中森明菜さんの怒りを買ったのが解雇の理由になったのだそうです。
当時は、小出広美さんもメディアの取材を受けて「中森明菜さんが原因かも」とする発言をされていたようです。この頃は小出広美さんも若く、事務所の先輩でもある中森明菜さんを意識されているところもあったようなので、メディアの取材を受けてそのように話題を振られると「中森明菜さんのせいで解雇されたのかも知れない」と考えてしまう部分もあったのかも知れません。
しかし、後に、小出広美さんはこの中森明菜さんに嫌われて解雇されたという説を改めて否定されています。小出広美さんは、中森明菜さんとの当時会話をした事も無かったとし、引退の理由は契約上のトラブルに巻き込まれた、大人の事情だったと明かされています。
突然の引退は、事務所の先輩・中森明菜に嫌われたからと噂された。
「明菜さんとは直接お話ししたこともないんですよ。引退は、契約のトラブルに巻き込まれて……大人の事情でした。また明菜さんの元気な姿を見たいですね」
小出広美さんがキングレコードから研音に移籍したのも電撃的だったため、その際に何らかの契約上のトラブルが発生したのかも知れません。
また、小出広美さんの解雇の理由としては、中森明菜さんとのトラブルの噂以外にも、枕営業が原因でスポンサーやプロデューサーとの間にトラブルが生じたという噂もありましたが、これは根も葉もないデマ情報だったようです。
小出広美さんが芸能活動と並行してクラブママとして水商売の世界でも活躍されていたので、そうした噂を流す人が一部いたのかも知れません。
小出広美の結婚
小出広美さんは結婚はされておらず独身を貫かれているようです。これまでにも結婚された事はなく離婚経験などありません。
後述しますが、小出広美さんは現在はトイプードルのブリーダーとして活躍されていて、それを特集された記事の中で、結婚はしておらず現在も独身であることを明かされています。
「今はトイプードル専門のブリーダーをしています。結婚? してません。花の独身です(笑い)」
小出広美の現在① トイプードル希少種ブリーダー
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上でも触れましたが、小出広美さんは現在はトイプードル専門のブリーダーをされています。
小出広美さんは希少種の「ブルーマール」というトイプードル系の犬種の専門ブリーダーをされているそうです。
小出広美さんは、2011年の東日本大震災の後、人生観が変わり、1度きりの人生なので今までやった事が無いことに挑戦しようと思い、アメリカへ渡って雑貨の卸業などに挑戦されたそうです。
小出広美さんは2012年から3年間アメリカの西海岸に拠点を置いていたそうなのですが、そんな時にネットでブルーマールの存在を知って一目惚れし、日本から連れてきて飼っていたパピヨンとプードルのミックスと一緒に飼い始めたのをきっかけにこの犬種のブリーダー業を始められたそうです。
そのとき、人生の相棒に出会った。
「たまたまネットで見かけた一匹に、一目惚れしたのが始まりでした。4年前に東京都に登録して、いまはブリーダーをしています。先日2匹生まれて、10匹を育てるのに夢中です」
小出広美の現在② ホテルのクロークで派遣社員として勤務
また、現在、小出広美さんは上で紹介したトイプードルのブリーダー業のかたわら、アメリカ滞在時に培った英語力を活かして都内のホテルのクロークで派遣社員として週に2〜3日ほど働かれているのだそうです。
ブリーダーの他にも派遣社員として週に2、3日、都内の高級ホテルでクロークもしている。もちろんアメリカ仕込みの英語力を買われてだ。
小出広美の現在③ 反ワクチン団体で活動中
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小出広美さんが現在、国内最大規模の反ワクチン運動団体「神真都Q」で活動されている事を日刊ゲンダイが報じて話題になっています。
1980年代のアイドル歌手時代に「ポスト中森明菜」とも呼ばれ、90年代にはグラドルとして何冊もの写真集を出した小出広美さん(56)。その彼女が今、新型コロナウイルスに関連して「反ワクチン」「ノーマスク」を唱えるデモ活動などに加わっている。
小出広美さんが参加している反ワクチン団体「神真都Q」はかなり過激な活動でも知られていて、数百人を集めてのデモ活動の他、新型コロナワクチンの接種会場の入り口を封鎖したり乱入して「殺人罪だ」、「殺人が行われている」などと騒いだりするなどして問題になっているようです。
小出広美さんはアメリカの友人にワクチンの危険性を教えられて、この反ワクチン団体に加入されたそうで、「行政交渉部隊」に所属しているのだそうです。
小出広美さんがいつから反ワクチン運動をされているのかは不明ですが、日刊ゲンダイによると、バスなどの公共機関に乗った際に、マスクの真ん中をくり抜いて鼻と口を丸出しにしたマスクを装着してマスク着用を拒否するといった行動をしているようで、物議を醸しているようです。
まとめ
今回は、1980年代にアイドル歌手やグラビアアイドルとして活躍した小出広美さんについてまとめてみました。
小出広美さんの若い頃は中学生の頃から地元の名古屋市でタレントとして活動していたところを大手レコード会社にスカウトされ、上京してアイドル歌手としてデビューしました。しかしその後、契約上のトラブルから所属事務所を解雇されています。解雇の理由は先輩だった中森明菜さんに嫌われたためとも噂されましたが、これは本人が否定されています。
その後、小出広美さんは六本木でクラブホステスやママをしながらグラビアアイドルとして活躍しました。
現在は水商売は引退しており、トイプードルのブリーダーやホテルの派遣社員として働きながら、反ワクチン運動にも参加されています。