2021年11月に亡くなられた瀬戸内寂聴さんの過去の不倫相手の作家・井上光晴さんが話題です。
この記事では、井上光晴さんの若い頃の経歴、瀬戸内寂聴さんとの不倫関係、結婚した嫁の郁子さんや、子供で娘の井上荒野さん、死因やお墓の場所などについてまとめました。
この記事の目次
井上光晴のプロフィール
井上光晴のプロフィール
生年月日:1926年5月15日
没年月日:1992年5月30日(享年66歳)
出生地 :福岡県久留米市(関東州旅順生まれは虚偽)
出身地 :長崎県崎戸町、佐世保市
井上光晴さんは、戦後から1990年代はじめにかけて、戦後文学の旗手として活躍した作家で、「ガダルカナル戦詩集」、「虚構のクレーン」、「死者の時」、「地の群れ」などの代表作で知られています。
この井上光晴さんですが、天台宗の尼僧で作家の瀬戸内寂聴さんと若い頃に不倫関係にあった事でも知られており、2021年11月9日に瀬戸内寂聴さんが99歳で逝去された事で、この井上光晴さんにも注目が集まっています。
今回はこの井上光晴さんについてまとめていきます。
井上光晴の若い頃の経歴① 旅順(現在の中国大連)生まれは虚偽
井上光晴さんは自身の著作などの中では、自身は当時は日本の統治下にあった大陸の軍港都市旅順口市の生まれと書いていますが、後に発表された井上光晴さんに密着したドキュメンタリー映画「全身小説家」の中で、この経歴が虚偽だった事が明かされています。
実際には井上光晴さんは福岡県久留米市の生まれで、幼少期に長崎県へと移住して崎戸町や佐世保市で育っています。井上光晴さんは幼い頃に両親と生き別れになったため貧しい生活を送り、子供時代から鉄工所や炭鉱などで少年工として働いたそうです。
井上光晴さんは働きながら独学で勉強して旧制中学卒業資格検定試験に合格し、陸軍の電波兵器技術養成所卒業しています。
井上光晴の若い頃の経歴② 日本共産党に入党し「書かれざる一章」を発表
戦時中は軍国少年だったという井上光晴さんでしたが、敗戦後は、天皇制否定の論理に関心を抱くようになった事から19歳の時に当時の日本共産党に入党しています。
共産党時代の井上光晴さんは、長崎地区や九州地方委員会などの常任として活動し、この時の経験を元にして、当時の共産党の内部での下部党員の苦しみを描いた「書かれざる一章」や「病める部分」を、文芸誌「新日本文学」で発表し、作家としての活動を開始しています。
しかし、これらの作品が共産党の上層部から激しく批判され、井上光晴さんは共産党から除名処分を受けています。
井上光晴さんは共産党上層部から批判される一方で、スターリン主義批判の先駆け的存在として、若い共産党主義者からは熱烈に支持され、それに応えるような形で「双頭の鷲(わし)」、「長靴島」、「虚構のクレーン」など、戦前のプロレタリア文学的な作品を次々と発表されています。
井上光晴の若い頃の経歴③ 「ガダルカナル戦詩集」で作家の地位を確立
出典:https://auctions.c.yimg.jp/
井上光晴さんは共産党を追われた後も作家として作品を発表し続け、1958年に戦中の青年の姿を描いた「ガダルカナル戦詩集」を発表し、それまでの共産党での生活をモチーフにした一連の作品からの飛躍を果たし、作家としての地位を確立しています。
その後も精力的な創作活動を続け、「地の群れ」、「他国の死」、「赤い手毱」、「黒い森林」、「丸山蘭水楼の遊女たち」、「心優しき叛逆者たち」、「憑かれた人」などの名作を発表しました。
一方で、1977年に文学の拠点を問う場として、「文学伝習所」の第一期を長崎県佐世保市
で開講し、その後も九州や北海道、山形、群馬、新潟、長野など全国各地で、文学伝習所を開講し、後進の育成に力を注がれました。
井上光晴は瀬戸内寂聴と不倫関係だった
作家で天台宗の尼僧だった瀬戸内寂聴さんが2021年11月9日に99歳で亡くなられ、大きく報じられましたが、井上光晴さんは若い頃にこの瀬戸内寂聴さんと不倫の関係にありました。
瀬戸内寂聴のプロフィール
出生名 :三谷晴美
生年月日:1922年5月15日
没年月日:2021年11月9日
出身地 :徳島県徳島市塀裏町
井上光晴さんと不倫関係にあった瀬戸内寂聴さんは、1957年に「女子大生・曲愛玲」が新潮同人雑誌賞を受賞して作家として本格的にデビューし、1963年に不倫をテーマにした作品「夏の終り」で女流文学賞を受賞し人気作家となりました。
そして、1966年、既に作家として活躍していた井上光晴さんと、香川県高松へ講演に旅行したのをきっかけに不倫関係になり、お互いの作品を通じても繋がりを深める濃密な関係が続いたそうです。
井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんの不倫の関係は約7年間続き、1973年に、瀬戸内寂聴さんはこの不倫の関係を終わらせるために出家して尼僧になられています。
井上光晴の結婚していた嫁は一般の女性の郁子さん
井上光晴さんは瀬戸内寂聴さんと不倫の関係にありましたが、その当時井上光晴さんが結婚していた嫁は、一般の女性の郁子さんという方でした。
井上光晴さんは瀬戸内寂聴さんと不倫の関係にありながら、この嫁の郁子さんとの関係も良好に保っていたようで、嫁の郁子さんについて「うちの嫁さんは美人で街を歩くとみんな振り返る」、「料理がうまくてなんでもできる」などと、瀬戸内寂聴さんに自慢げに語る事もあったそうです。
そんな井上光晴さんの嫁の郁子さんは実際にかなりの美人で評判だったそうで、瀬戸内寂聴さんによれば、当時の編集者たちの間でも、作家の嫁の中で1番の美人で1番の料理上手だと言われていたそうです。
井上光晴さんにとっても不倫をしながらも自慢の嫁だったようで、なんと不倫相手である瀬戸内寂聴さんを招待して、嫁の手料理をご馳走になった事があるという驚きのエピソードを明かされていました。
何しろ当時の編集者の間では、「井上光晴の奥さんが作家の妻の中で一番美人」「一番の料理上手」って評判だったもの。私も井上さんに「来い来い」といわれるものだから、行ってお宅でお昼をご馳走になった、奥さまお手製の(笑)。
井上光晴さんの嫁の郁子さんも、夫が瀬戸内寂聴さんと不倫している事を知っていましたが、激昂するでもなく、ごく普通に夫婦生活を続けられていたそうです。
瀬戸内寂聴さんは井上光晴さんとの不倫の関係を終わらせるために出家されましたが、その時に井上光晴さんはどこかホッとしたような表情をされたそうなのですが、この時に嫁の郁子さんが井上光晴さんに「行ってやれ」と背中を押して、瀬戸内寂聴さんのお寺へと行かせたとのエピソードも、瀬戸内寂聴さんによって明かされています。
さらに、井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんの不倫の関係が終わった後には、この郁子さんは夫の不倫相手であった瀬戸内寂聴さんとまるで親友のような関係になられたのだそうで、亡くなられる前には瀬戸内寂聴さんにあててハガキも出されています。
井上光晴の子供は娘で小説家の井上荒野
井上光晴さんは嫁の郁子さんとの間に子供が1人います。
井上光晴さんの子供は娘で、作家として活躍されている井上荒野(いのうえ・あれの)さんです。
井上光晴の子供で娘の井上荒野のプロフィール
生年月日:1961年2月4日
出身地 :東京都
井上光晴さんの娘の井上荒野さんは、成蹊大学文学部英米文学科を卒業後に小学館の「近代文学全集」の編集部で3年間勤め、1989年に「わたしのヌレエフ」にて「第1回フェミナ賞」を受賞して作家としてデビューしています。
その後、体調不良などでしばらく作家としての活動は休止されていましたが、2001年に「もう切るわ」を発表して、再び作家として活動を開始し、2004年に「潤一」にて、「島清恋愛文学賞」を受賞、2008年には「切羽へ」にて、「直木賞」を受賞されています。
その後も、2011年に「そこへ行くな」で「中央公論文芸賞」、2016年に「赤へ」で、柴田錬三郎賞、2018年に「その話は今日はやめておきましょう」で、「織田作之助賞」を受賞されています。
そして2019年には、父の井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんの不倫をテーマにした小説、「あちらにいる鬼」を発表し大きな話題となりました。
そんな井上光晴さんの娘の井上荒野さんは2012年に古書店の店主の須賀典夫さんと結婚されています。
井上光晴の死因は大腸癌
出典:https://p.potaufeu.asahi.com/
井上光晴さんは、1992年5月30日に66歳で亡くなられており、死因は「大腸癌」です。
井上光晴さんは晩年に癌が初めて見つかってからも闘病生活を送りながら、精力的に作家として創作活動を続けられていました。
井上光晴さんの亡くなられるまでの5年間に密着した原一男監督のドキュメンタリー映画「全身小説家」は現在でもカルト的な人気を集めています。
井上光晴の墓は瀬戸内寂聴が住職を務めていた岩手県二戸市の天台寺霊園
出典:http://www.asahi-net.or.jp/
井上光晴さんの墓は、かつて不倫相手であった瀬戸内寂聴さんが住職を務められていた、岩手県二戸市浄法寺町御山久保33–1の天台寺霊園にあります。
井上光晴さんのお骨は、亡くなってから7年もの間自宅のクローゼットの中に置かれていたそうなのですが、瀬戸内寂聴さんの勧めで、当時寂聴さんが住職を務めていたこのお寺に墓所を買い、お骨を納められたそうです。
また、井上光晴さんの嫁の郁子さんも、井上荒野さんら娘たちに「自分が死んだ後はお骨を絶対にこのお墓に入れてほしい」と約束させたのだそうです。
荒野:母は父と一緒のお墓に一緒に入りたかった。お墓のことはどうでもいい感じの人だったのに。そもそも寂聴さんが住職を務めていらした天台寺(岩手県二戸市)に墓地を買い、父のお骨を納めたのも世間的に見れば変わっていますよね。自分にもう先がないとわかったとき、そこに自分の骨も入れることを娘たちに約束させました。
一般的な感覚で見ると、井上光晴さんと瀬戸内寂聴さん、嫁の郁子さんの三角関係はなんとも不思議ですが、当人たちにしかわからない絶妙な相性の良さのようなものがあったのかも知れません。
まとめ
今回は、戦後から1990年代前半にかけて活躍した作家で、瀬戸内寂聴さんの過去の不倫相手としても知られる井上光晴さんについてまとめてみました。
井上光晴さんは若い頃は、共産党に所属し、その時の活動の経験を元にした作品を多数発表して注目の作家となりますが、その作品の内容が当時の共産党の幹部に激しく批判されて除名処分となっています。
井上光晴さんはその後も作家として活躍を続けて大物作家となり、一般女性の郁子さんと結婚されて子供も生まれています。
そうした中で同じく作家であった瀬戸内寂聴さんと不倫関係となりました。井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんとの不倫関係は7年にも及びましたが、井上光晴さんの嫁の郁子さんは、それに特に怒ったりはせず、平然と夫婦生活を続けられていたそうです。
さらには、井上光晴さんと瀬戸内寂聴さんとの不倫関係が終わった後には、嫁の郁子さんと瀬戸内寂聴さんはまるで親友のような関係性になり、郁子さんが亡くなられるまでそうした関係が続いたようです。
井上光晴さんの死因は大腸癌で、享年は66歳でした。井上光晴さんのお墓は、かつて瀬戸内寂聴さんが住職を務められていた岩手県二戸市の天台寺霊園にありますが、この墓所を購入したのも瀬戸内寂聴さんが嫁の郁子さんに勧められたからだそうです。
嫁の郁子さんも娘の井上荒野さんに、自分が亡くなった後はこのお墓に入れるように約束させるなど、井上光晴さんと瀬戸内寂聴さん、嫁の郁子さんの間には不思議な関係性が出来上がっていたようです。