1980年代半ばから1990年にかけてファミコン名人として一斉を風靡した高橋名人の現在が話題です。
この記事では高橋名人の本名・高橋利幸や経歴、名言「ゲームは1日1時間」の続き、結婚した嫁や子供(息子や娘の噂)、当時と現在の年収や、現在の活動などについてまとめました。
この記事の目次
高橋名人のプロフィール
高橋名人のプロフィール
本名 :高橋利幸
生年月日:1959年5月23日
出身地 :北海道札幌市西区琴似
身長 :163cm
血液型 :O型
「高橋名人」は、1980年代半ばから1990年頃までにかけて、当時社会現象にもなっていたファミコンの名人として一斉を風靡した人物で、当時のゲーム好きの子供らの間では憧れの存在でした。
必殺技は1秒間あたりボタンを16回連打する「16連打(16連射とも)」で、スイカを指で連打して爆砕するトレーニングによって習得した技だとして、当時の小学生の間で同様のトレーニングを行う者が続出しました。(実際に爆砕できた子供はいない)
また、全盛期の高橋名人が発した名言「ゲームは1日1時間」は、ゲームをやりすぎてはならない事を意味する慣用句的な言葉として現在でもしばしば使用されています。
当時は、ゲームセンターやコンピューターゲームなどに対して、不健全や不健康、不良化の原因といった悪い偏見が持たれがちでしたが、高橋名人のジャイアン的で健康的なキャラクターは、そうした悪いイメージを払拭するのに一役買いました。
今回はこの、ゲーム業界では伝説的存在となっている高橋名人についてまとめていきます。
高橋名人の本名は高橋利幸
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プロフィールでも書きましたが、高橋名人の本名は「高橋利幸」さんです。本名は別に非公開ではなく、当時から「高橋利幸名人」と紹介される事もありました。
現在でもメディアなどでは「高橋名人こと高橋利幸さん」といった具合に紹介されています。
高橋名人の経歴① スーパー社員からコンピュータ講師を経てハドソン入社
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高橋名人は、北海道札幌市西区の琴似という街の出身で、実家は金物屋などを経営する名家の本家筋でした。
「東海大学付属第四高等学校(現在の東海大附属札幌高校)」卒業後、「北海道自動車短期大学(現在の北海道科学大学短期大学部)」に進学しましたが、授業がつまらなかったため3ヶ月ほどで中退し、当時アルバイトをしていたスーパーマーケット「札幌フードセンター」にそのまま就職し青果部で勤務して3年目の1981年には主任に昇格しています。
高橋名人は、責任者として仕入れや在庫管理、伝票整理などの煩雑な業務に嫌気がさし、それを解決するために当時話題になっていた「マイコン・シャープMZ-80B(現在のパソコン)」を70万円のローンで購入しますが、活用には専門的なプログラミング知識が必要であったため挫折。
しかし、毎月届く高額なローン返済の振り込み用紙を見て一念発起し、BASIC(プログラミング言語の一つ)のコマンドを30個覚えたところで、スーパーを退職。覚えた知識を活用して地域のカルチャーセンターでマイコン講師の仕事に就いています。
高橋名人は、このカルチャーセンター講師の仕事を通じて独学によってマイコンの知識を深め、友人の勧めもあって、1982年8月、当時、国内で初めてパソコンゲームを製作販売していた「ハドソン」に入社しています。
高橋名人の経歴② ハドソン社員としてのゲーム実演をきっかけに名人襲名
ハドソン入社後は営業部で働いていた高橋名人でしたが、ハドソンが当時発売されたばかりだった任天堂ファミリーコンピューター(ファミコン)のソフトウェア開発への参入を決めたのを機に宣伝部へと配属されています。
ハドソンは、当時発刊されていた子供向け漫画雑誌「コロコロコミック」と組んでプロモーションを展開し、宣伝部の高橋名人はコロコロコミック編集部に通い、連載されていたビデオゲームをテーマにした漫画作品「ファミコンロッキー」へのハドソン作品の登場などをに関わりました。
そして、1985年3月、高橋名人は、コロコロコミックが銀座松坂屋の屋上で主催した「コロコロまんが祭り」に、ハドソンの新作ゲーム「チャンピオンシップロードランナー」を実演するためにハドソン社員として出演しました。
当時、ファミコンが社会現象になりかけている頃(スーパーマリオ発売の直前)で、高橋名人の実演には1000人以上の親子連れが集まりました。この実演後、高橋名人にサインをねだる子供が200人〜300人ほども殺到。この事態を見たハドソンやコロコロ編集部は、高橋名人がゲームを実演して全国を回る「ハドソン全国キャラバン」を企画する事になり、この時に初めて「高橋名人」と名付けられる事になりました。
高橋名人の経歴③ 子供達のヒーローになり社会現象に
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高橋名人は「ハドソン全国キャラバン」にて初めて必殺技「16連打」を披露し、これが「コロコロコミック」などでも大々的に特集された結果、全国の子供達のヒーロー的存在になります。
1985年8月、高橋名人は、テレビ東京の当時の朝の番組「おはようスタジオ」に初めてゲスト出演し、ファミコン名人としてゲームを実演しています。この時の視聴率が急上昇したという事で、高橋名人は同番組に定期出演するようになり、すぐに毎週出演するレギュラーコーナー化しています。
同時期には、高橋名人をモデルにした主人公「高橋原人」が登場する日本テレビ系列のテレビアニメ「Bugってハニー」も放送されヒットを記録しています。
1986年10月からはテレビ東京で「高橋名人の面白ランド」という冠番組までもがスタートし、TBSラジオの「子供電話相談室」の先生役にも抜擢されています。続く1987年10月からは、日本テレビのバラエティ「DOKIドキDO!」に司会者として出演するなど、ハドソン社員でありながら大人気タレントのような活躍を見せました。
当時は、そのあまりの人気ぶりから「高橋名人がコントローラーにバネを仕込んでいるのがバレて詐欺罪で逮捕された」、「高橋名人が連打のしすぎでコントローラーが爆発して死んだ」などの噂が子供達の間で流れ、インターネットがない時代だったにもかかわらず、わずか2週間で全国に広まって都市伝説化し、海外メディアから問い合わせが入るほどでした。
こうして、高橋名人はファミコンブームと共に社会現象となり1990年頃まで子供達の憧れの存在として活躍しました。
高橋名人は2011年までハドソン社員として働き退社し、その後もゲームに関連した様々な活動を展開されています。
高橋名人の名言「ゲームは1日1時間」には続きがある
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高橋名人の名言として知られる「ゲームは1日1時間」ですが、実はこの名言には続きがあります。
高橋名人の名言「ゲーム1日1時間」の続きは下のような内容です。
ゲームは1日1時間。外で遊ぼう元気良く。僕らの仕事はもちろん勉強。成績上がればゲームも楽しい。僕らは未来の社会人
高橋名人によると、この名言が生まれたきっかけは、当時の子供達の親世代の間には「ゲームセンターは不良の溜まり場」というイメージがあり「子供がファミコンにハマると将来ゲームセンターに行って不良になるのではないか?」という懸念も広まっていたため、そうしたイメージを払拭して健全なイメージを持ってもらうために、イベント会場などであえて親御さんに向けて発言した事だったそうです。
その後、「ゲームは1日1時間」は高橋名人のスローガンのようになり、子供に配るために作った高橋名人の名刺にもこの名言が印刷されていました。
高橋名人は14歳年下の嫁と2011年に結婚
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高橋名人は人気絶頂時にはコロコロコミックに「ファミコンやパソコンなど『コン』のつくものは何でも得意だが、唯一『結婚』はできない」と紹介されるなどネタにされていました。その後も50代まで結婚はせずに独身を貫かれていましたが、2011年52歳の時に初めての結婚をされています。
高橋名人の結婚した嫁は14歳年下の一般女性で結婚当時38歳でした。結婚した日は2011年12月9日で、嫁の誕生日に合わせて入籍されたそうです。
馴れ初めは高橋名人が主催したウォーキングイベントにこの嫁が参加した事だったそうで、その後の打ち上げの飲み会の場で嫁の方から「メアド交換していいですか?」アタックされたのだそうです。その1週間後には嫁の方から「食事行きませんか?」と誘いがあり、デートをするようになったそうです。
高橋名人はバイクが趣味だったので、嫁を長距離ツーリングに誘ったそうなのですが、1日で550キロ走る長距離ツーリングに連れ出しても楽しそうにしていたため「この子いけるかな」と感じて結婚を意識されたのだそうです。
現在も高橋名人は嫁とツーリングにいかれるそうで、何日間もかけて香川県にうどんを食べに行ったり、高橋名人の出身地の北海道を回ったりもされたそうです。
また、高橋名人の嫁もゲームが好きな方だそうで、特に「ゼルダの伝説」シリーズが好きなのだとか、高橋名人は嫁とハドソン発の名作「桃太郎電鉄」シリーズを一緒にプレイする事もあるそうです。
高橋名人と嫁との子供の情報はなし…息子や娘の噂が出た理由とは
一緒にツーリングやゲームをするなど、嫁と仲の良い様子の高橋名人ですが、子供が誕生したという情報は現在までできておらず、2人の間に子供がいるのかどうかは不明です。
高橋名人について「息子」という検索ワードが表示されていますが、高橋名人とは別のファミコン界のレジェンドの橋本名人には息子がいて、そちらと混合して検索されているようです。
高橋名人について「娘」という検索ワードも表示されていますが、別の共演者との2ショットが父と娘に見えたことがあって、娘がいるのではとの噂が立ったようです。また、高橋名人は仲の良い共演者のことを娘や孫と紹介したことがあって、そちらで誤解が生じているようです。
私には、妹と娘と孫が
https://ameblo.jp/meijin16shot/entry-12377553471.html
高橋名人の当時と現在の年収
高橋名人の年収にも注目が集まっています。
高橋名人が一斉を風靡していた頃の1985年から1990年はじめにかけては相当な年収を稼いでいたと思われていましたが、高橋名人によれば、当時は一介のハドソン社員であり、普通の固定給をもらっていたそうです。また、当時出演しまくっていたテレビの出演料なども高橋名人には入らず、ボーナスなども無かったのだそうです。
なので、当時の高橋名人の年収は、当時の一般的なサラリーマンの年収程度だったと推定されます。
高橋名人の現在の年収については、後述しますが新興のゲーム関連会社で「代表取締役名人」という役職についていたり、講演活動やイベント出演、メディア出演など、かなり忙しく活躍されているため、具体的な金額は不明ですが、かなりの年収額を稼いでいると見られています。
高橋名人の現在① ゲームプレゼンテーター
高橋名人は現在「ゲームプレゼンテーター」の肩書で、ゲーム関連のイベントや番組への出演、プロデュース業など幅広く活躍されています。
現在はYouTubeやTwitterなどで生放送されているゲームとアニメバラエティ番組「木曜だからゲッチャ」にレギュラー出演されています。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=btnCScomneU]
高橋名人の現在② 株式会社ドキドキグルーヴワークスの代表取締役名人
出典:https://storage.mantan-web.jp/
高橋名人は2014年に新興のゲーム関連会社「株式会社ドキドキグルーヴワークス」の代表取締役名人に就任されています。
こちらについてはあくまでも会社のプロモーションとしての名前貸しだと思われ、実際に経営に関わっているわけではないようです。
現在まで、退任されたとの報道は出ていないので、今も同社の「代表取締役名人」を務めているようです。
まとめ
今回は、1980年代半ばから1990年にかけてファミコン名人として社会現象を巻き起こした高橋名人についてまとめてみました。
高橋名人は本名を高橋利幸さんといい、「16連打」などの特技が話題になり、当時の子供達のヒーロー的存在でした。
高橋名人はスーパー社員からマイコン講師を経て、ゲームメーカー「ハドソン」に入社した経歴を持ち、ファミコンブームと共に、その名人として子供達から絶大な支持を受けて時の人となりました。当時の「ゲームは1日1時間」は現在も名言として知られています。
そんな高橋名人は2011年に14歳年下の女性と結婚されています。嫁と一緒にゲームをする事もあるのだそうです。子供についての情報はなく、まだいない可能性が高いようです。
高橋名人の現在は、「ゲームプレゼンテーター」の肩書でゲーム関連のイベントや番組などへの出演やプロデュース業などで幅広く活躍されています。