素人の歌番組でデビューし一躍注目を集めた歌手の木山裕策さんですが、若い頃や病気だった過去が話題です。
今回は木山裕策さんの歌手デビューまでの経緯、生い立ちなど若い頃、嫁や子供、病気や現在の活動をまとめてみました。
この記事の目次
木山裕策のプロフィール
本名:木山 裕策(きやま ゆうさく)
生年月日:1968年10月3日
体重:70kg
身長:183cm
血液型:A型
職業:歌手・広告関連出版社社員
1968年、広島県出身の高校教師の父と、自宅で美容室を経営する美容師の母の間に生まれた木山裕策さん。
大阪府立大手前高等学校を経て、大阪外国語大学外国語学部スペイン語専攻に入学しています。そして、大学時代にバンドを結成し、ボーカルを担当していました。
プロ志望を断念し、シナリオライターを目指しながらアルバイト生活をするも挫折、食べていくために一般企業に就職しています。そして結婚して、4人の子宝に恵まれます。
好きなミュージシャンはビリー・ジョエル、中島みゆきさん、山崎まさよしさんで、アマチュアバンド時代でも、ビリー・ジョエルをよく歌っていたそうです。
病をきっかけに再挑戦の道を選んだ
2004年頃、左側の甲状腺に悪性腫瘍が見つかった木山裕策さん。
手術で声帯と繋がる反回神経を傷つけてしまう可能性があり、医師より「手術後に声が出なくなる危険がある」と告げられたそうです。
木山裕策さんは、声が出るように回復したら、昔からの歌手の夢に挑戦しようと決意していたとのことで、幸い全摘出手術は成功し、奇跡的に声も残りました。
そこで木山裕策さんは、自分の声をCDに残して子供たちに聞かせたいと、歌手活動を始めます。
自分が歌うことで、子供たちに“大人になると良いことあるよ”ということを伝えたいと語り、また最後まで諦めない姿を見せたいとも明かしています。
2007年、日本テレビの歌番組『歌スタ!!』に出演し、平井堅さんの大ヒット曲「瞳をとじて」を歌います。さらにビリー・ジョエルの「Piano Man」を熱唱しました。
そこで番組審査員だった音楽プロデューサー多胡邦夫さんの目に留まり、後に2008年「home」でメジャーデビューを果たします。
この楽曲は、元々番組内の最終プレゼンテーションで歌ったもので、不合格だったものの、多胡さんの説得を受け、フルコーラスで仕上げた2度目のプレゼンでデビューが決定しました。
この曲は、オリコンで7位を記録しています。
ちなみに、オーディション番組に出演したのは、120名くらいの部署の課長として、人とプロジェクトをマネジメントしていた時のことでした。
歌手としてデビューすることを会社の人事担当に報告したところ、「規定として許可できませんけど、どうしますか?」と言われてしまったそう。
ですが、困惑していると当時の社長から、「ルールを変えてしまえばいいだろう」と、その場で規定を変えてくれたそうです。
2008年には紅白にも出場
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2008年10月8日にエリオット・ヤミンさんとのクロスカバー楽曲を含む、企画ミニアルバムを発売した木山裕策さんは、さらに同年の『第59回NHK紅白歌合戦』に初出場しています。
そんな木山裕策さんは、歌手となっても会社員としてフルタイム勤務を続けています。
勤務していた会社は、「リクルートメディアコミュニケーションズ(現在は「リクルートコミュニケーションズ」)で、Web制作の部署で働いていたそうです。
残業が比較的少ない会社であることを重視して会社を選んでいたそうで、3年前の48歳時点では、まだあと2回くらい転職するかもしれないと語っています。
歌手活動は主に週末行っている木山裕策さんは、曜日が変われば嫌でも頭を切り替える必要があります。
金曜の仕事帰りになったら、『もう今週はここで終わり』と言い聞かせ、会社員に戻る時は『明日からまた重たいプロジェクトがあるぞ』と気持ちを奮い立たせていたそうです。
2009年2月11日に1stフルアルバム「Memorial」をリリース、2009年10月からは、初のワンマンコンサートを東名阪で開催しました。
2010年11月16日には童謡アルバム「うたおうか~親子で歌う童謡vol.1~」をリリース、2013年より自身初のプロデュースのディナーショーを開催するなど精力的に活動していました。
2016年、レコード会社をユニバーサル ミュージックに移籍し、移籍後第1弾アルバム「F 守りたい君へ」を同年3月2日に発売しています。
ジャケット写真には、プロレスラーの佐々木健介さんと彼の長男が起用されて話題となりました。
木山裕策の若い頃まとめ 【生い立ち~学生時代まで一挙紹介】
音楽好きの両親の影響からか、3歳の頃からピアノなど音楽に触れていた木山裕策さん。1歳年上のお姉さんがおり、24歳までは大阪・京橋で育った下町っ子です。
また、おばあちゃん子だったそうで、自宅から2軒隣に祖父母が住んでいました。子供の頃、野菜が食べられず、食べると必ず吐いてしまうため、入院させられた経験があります。
人見知りが激しく、幼稚園ではほとんど友達はいなかったようです。
子供の頃から歌うのが好きだった
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幼い頃はそろばんと英語を習っており、お絵かき、水泳などもしていたそうです。
子供の頃から誰もいない所で1人で歌を歌うのが好きで、小学校で配布される「歌のしおり」にある歌を片っ端から覚えていたそうです。
しかし、相変わらず人見知りが激しく、人前では緊張するので絶対に歌えなかったんだとか。
父親と姉と一緒に週末によく登山に行くことが多く、雪山で胸まで雪に埋まって死ぬ思いをした経験があります。
母親がクラシック好きで、経営する美容院に大きなステレオを置いており、お客さんがいない時は好きなクラシックのレコードを自分でかけて聴いていたそうです。
小学校時代はさだまさしさんや松山千春の大ファンで、小6の時に初めて自分で買ったレコードは、松山千春さんのアルバム「起承転結」でした。
学生時代について
義務教育時代は、無遅刻無欠席という健康優良児だった木山裕策さん。
高校時代は父親が生物教師として勤務し、姉も同じ高校の生徒だったので、廊下で父親や姉に会うのが嫌だったそうです。
確かに、思春期の男の子にとって、学校で常に父親など家族がいるのは恥ずかしかったことでしょう。なかなか例がないエピソードですよね。
高校から大学にかけては映画に熱中し、よく学校をサボって映画館に行くほどの映画好きでした。
レンタルした作品を徹夜で一気に5作品見たこともあるそうで、お気に入りの作品を何度も観て台詞を覚えたりもしていたんだとか。
また、アカデミー賞年鑑を買ってアカデミーの各賞を暗記したり、アルバイトをして稼いだお金で部屋をAVルームに改造したりもしています。
大学時代はイベントでライブ活動を行ったり、何度もスペイン旅行に行ったそうです。
20代は自分がどう生きていくのかに悩み、30代は子供を育てるために、必死で身を粉にして働くことが自分の人生だと思っていたそうです。
木山裕策の性格・趣味などプライベート情報まとめ
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木山裕策さんは大の偏食家で、食べられないものが多く、嫌いな食べ物は野菜全般です。
一方で、讃岐うどん、パンとお好み焼き、お菓子は甘いものが好きだそうです。
週末に時間がある時は料理をする趣味があります。また掃除や整理整頓が好きで、食器はキッチンペーパーで拭くほど清潔好きです。
しかし、料理をしながら吹きこぼれをアルコール除菌で掃除しようとして、火事になりかけたエピソードがあります。
大病を患っていたせいか、健康には気を遣っているようで、サプリメントを常飲しているようで、お酒はあまり飲まないようです。
さらに職業柄、喉のために首にタオルを巻いて寝て、外出時にマスクをする習慣があるようです。
暑がりで夏はあまり好きでないそうです。また、自分の鼻血を見て失神しそうになるほど、血液が苦手だと言われています。
好きな音楽や趣味は?
現在好きな音楽はオールディーズ、好きなミュージシャンは、尾崎豊さん、平井堅さん、中島みゆきさん、フランク・シナトラなどです。
好きな映画は『エイリアン』、動物はペンギンが好きで、キャラクターではムーミンが好きなんだそうです。すごい落差がありますね。
自宅の庭でグミ、桑、ゴーヤ、サンショウ、ブルーベリースズラン、チューリップを栽培するほど植物好きでもあります。
自動車運転免許は2008年まで、所持していないのが分かっています。会社への通勤時間は約1時間半、日頃から1人カラオケで歌を練習しているんだとか。
几帳面で心配性、行動に移すまでに時間がかかる性格だそうで、課長になった35歳で35年ローンで郊外に4LDKの一戸建てを購入していますが、きっと慎重に購入したんでしょうね。
ウィンドウショッピングが大好きで、100円ショップにはよく通うとのことです。
木山裕策の嫁とは 【馴れ初め~結婚生活を紹介】
木山裕策さんと奥さんは、脚本家教室のゼミで知り合いました。
毎晩、自宅で奥さんと一緒にお茶(日本茶、ジャスミンティー)を飲む日課があるそうです。お茶受けはコンビニで買って来たお菓子なんだとか。
また、毎年妻の誕生日にアクセサリーをプレゼントする仲の良い夫婦です。
現在は、奥さんが外で働いて生活費を稼いでいると言われています。
新婚旅行でスペインに行きたかったそうですが、奥さんが妊娠したので志摩スペイン村で我慢したというほほえましいエピソードもあります。
老後は、2人でスペインに住みたいと思っているそうですよ。
木山裕策の子供とは 【子煩悩エピソードも多数紹介】
4人のお子さんがいて、一番上のお子さんはデビュー当時はまだ小学6年生だったそうです。
デビューが決まった時、長男の反抗期だったそうですが、長男が母親に『お父さんみたいに38歳のおじさんだってデビューできるんだから、人生何があるか分からない。だからとりあえず、やりたいことをやってみる』と話したそうです。
そんな長男は、モール細工が得意なんだとか。
そんな木山裕策さんの子煩悩エピソードはたくさんあります。
木山裕策さんはシャボン玉遊びが大好きと言われており、幼い頃は一緒に遊んでいたことがうかがえます。
また、毎年家族写真で年賀状を作ったり、自宅で子供の髪の毛を切ってあげることもあるそうで、木山裕策さんが器用で良い父親であることが分かるエピソードですよね。
さらに、毎月子供が座る食卓の席替えをするんだとか。ゲーム感覚で遊び心がある父親のようですね。
木山裕策の病気「甲状腺のがん」とその後
前述の通り、木山裕策さんには2004年に甲状腺の腫瘍が発見され、悪性のガンの疑いが検査結果から判明しました。
その病状が心配されましたが、手術は無事成功し、声も失わずに済みました。
その後、苦しいリハビリにも耐え、経過は順調で再発もしていないようです。
後のインタビューでは、病気を経験したことでの心境の変化を次のように語っています。
「会社が忙しくて、なかなか家に帰れない生活でした。それでも、家族のために働く人生に納得感があったんです。ところがガンだとわかり、ここで死んだら『あまり家にいなかった人』で終わっちゃうのかなと怖くなった」
「生きてた証みたいなもの、家族に何を残せるかと考えた結果が歌だった。死んだときでもCDに残った声を聞いてくれて、こんな人だったのかなって思ってくれたら。」
木山裕策の現在
会社員として平日は夜中まで働いて、土日は歌手活動という日々で、妻からは「『home』を歌ってるのにぜんぜん家にいないわね」なんて、冗談も言われていた木山裕策さん。
勤務していた会社では、天狗になっていると誤解を与えないためにも、それまで以上に気を遣いながら働くようにしていたそうです。
2010年秋に「子供と過ごす時間を増やしたい」理由で残業の少ない会社に転職した木山裕策さんは、妻の復職をきっかけに、1年間専業主夫を経験しています。
理由は、家族との時間を作るためだそうで家事全般をやっていたんだとか。
朝食を食べさせることから始まって、幼稚園に送って、洗濯と掃除、昼食の用意、散歩や遊ばせている間に洗濯物を取り込んで、夕飯の買い物に行く…そういった生活だったようです。
それでも、週末などには音楽活動を継続していたとのことです。その後、会社勤めを再開しています。
積極的な音楽活動
そんなの木山裕策さん直近の音楽活動は、『KIRORO☆GRAN FESTA 2019』で、9月14日土曜日に北海道でのライブに出演しました。
メディア出演は減りましたが、音楽活動は積極的に行ってるみたいですね。
2019年9月16日には『第5回 リバーサイド千秋 のど自慢大会本選』出演しており、2019年10月5日には『EBA FES 2019 「いのちの流儀」』に出演予定です。
また、テレビ出演は、J:COM「TSUKEMEN TV」に2019年4月から出演しています。
インタビューでは、『趣味ではなくプロとしてやることの違いは、たくさんのお客さん、ファンがいることだと思います。』と語っている木山裕策さん。
また、歌手だけの生活は考えられらないようで、会社は会社でやりたい事があって、会社でやりがいを感じられる状態を大切にしているそう。
歌手と会社員が両立できている現在の生活に満足している、とも語っています。何とも幸せな人生ですね。
まとめ
メディア出演は少ないものの、公式ブログではマメに活動報告をしている木山裕策さん。
今後はどんな素敵な歌声を聴かせてくれるのか、ますます楽しみですね。