「翼をください」「卒業写真」などの名曲で知られるシンガーソングライター・山本潤子さんの現在が話題です。
今回は山本潤子さんの経歴や、若い頃の貴重な姿、ヒット曲の数々を動画で振り返り、急逝された夫の山本俊彦さん、2人の子供、病気の噂や現在の様子などについてまとめました。
この記事の目次
山本潤子のプロフィール
山本潤子のプロフィール
出生名 :新居潤子
生年月日:1949年12月30日
出生地 :奈良県吉野郡天川村
出身地 :大阪府大阪市阿倍野区
血液型 :A型
山本潤子さんは、「翼をください」、「卒業写真」などの国民的ヒットソングを歌った事で知られるシンガーソングライターです。過去にはフォークソンググループ「赤い鳥」や、コーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」などで活動し、その染み渡るような声と高い歌唱力で絶大な人気を誇りました。
山本潤子さんは、1994年に「ハイ・ファイ・セット」が解散したのちは、シンガーソングライターとしてソロ活動を続けていましたが、2014年から活動休止に入り、現在(2020年5月時点)も活動を再開していません。
山本潤子の生い立ちや経歴
山本潤子さんは、奈良県吉野郡の天川村で4人姉妹の末っ子として生まれました。生後半年で父親の実家である大阪市阿倍野区に移住し、そこで成長しました。
大学卒業までは関西で過ごし、地元の南大阪幼稚園を卒園後、苗代小学校、阿倍野中学校と進み、奈良県奈良市の私立の名門。帝塚山高校を経て帝塚山大学卒業という学歴を持ちます。
山本潤子さんは、学生時代、地元の大阪市阿倍野の歩道橋の上で、当時フォークグループ「ロックキャンディーズ」で活動していたシンガーソングライターの谷村新司さんに声をかけられてコーラスグループ「ヒルビリー・シンガーズ」を結成しますが、わずか3ヶ月ほどで脱退しています。
山本潤子さんは、1969年、ミュージシャンの後藤悦治郎さんに「ヒルビリー・シンガーズ」から引き抜かれる形で、フォークソンググループ「赤い羽根」を結成します。この時、一緒にのちの夫となる山本俊彦さんも「ヒルビリー・シンガーズ」から引き抜かれています。
「赤い羽根」はその年の「ヤマハ・ライト・ミュージックコンテスト」に出場し、小田和正さん率いる「オフコース」を抑えて見事グランプリを勝ち取ります。
「赤い羽根」はその翌1970年にシングル「人生/赤い花白い花」にてコロムビアレコードからメジャーデビュー。さらにその翌1971年に、アルファ・アンド・アソシエイツに移籍してリリースした「竹田の子守唄/翼をください」が100万枚を超える大ヒットとなり、「赤い羽根」は一躍国民的な人気グループになり、山本潤子さんの知名度も急上昇しました。
その2年後の1973年4月、山本潤子さんはメンバーの山本俊彦さんと結婚しています。なお、「赤い羽根」では、リーダーの後藤悦治郎さんとピアノ担当の平山泰代さんも1974年2月に結婚されています。
その後、「赤い羽根」はメンバー間での音楽路線の対立から1974年9月に解散し、同年10月、山本潤子さんは夫の山本俊彦さんと、ベースの大川茂さんと共に、コーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」を結成しています。
1975年、山本潤子さんと「ハイ・ファイ・セット」は「東芝EMIエキスプレス」から、ユーミンこと荒井由美さん作詞作曲の名曲「卒業写真」をリリースしてメジャーデビューし、同曲の大ヒットもあって、瞬く間に国民的人気グループとなりました。
1977年、ブラジルの人気シンガーソングライター・モーリス・アルバートのヒット曲「愛のフィーリング(原題・Feelings)」をカバーした「フィーリング」が大ヒットとなり、山本潤子さんと「ハイ・ファイ・セット」は、その年の紅白歌合戦にも出演を果たしました。
その後も「ハイ・ファイ・セット」は、ユーミン作詞作曲の5thシングル「冷たい雨」や、小田和正さん作詞作曲の28thシングル「忘れないわ」など、数多くのヒット曲を飛ばしたのち、1992年ん活動を休止。その後、1994年9月に「ハイファイセット」は解散しています。
「ハイ・ファイ・セット」解散後、山本潤子さんはシンガーソングライターとしてソロ活動を開始。1994年10月にはソロデビューアルバム「JUNKO YAMAMOTO」をリリースしています。
山本潤子さんはソロでの活動後も人気を上昇させ、1997年11月に開催されたサッカーワールドカップの予選や、1998年の長野オリンピックのスキージャンプ競技での表彰式イベントなどで名曲「翼をください」を歌唱し、多くの日本国民や世界中のスポーツファンからもその素晴らしい歌声が称賛されました。
その後も、山本潤子さんのソロとしての音楽ツアーや楽曲リリースをはじめ、2000年に「Song for Memories」、2001年に「V3」など、一流のミュージシャンたちと音楽ユニットを結成した他、全国各地で様々な音楽イベントにも出演し精力的に活動を続けました。
そして、2014年5月6日の名古屋でのコンサートを最後に、山本潤子さんは無期限の音楽活動休止に入り、現在も音楽活動の再開は発表されていません。
山本潤子の若い頃の動画
続いては、そんな山本潤子さんの貴重な若い頃の歌唱動画などを紹介します。
「赤い鳥」時代の翼をくださいを歌う若い頃の山本潤子
こちらは「赤い鳥」時代の若い頃の山本潤子さんが歌う「翼をください」の貴重な動画です。若い頃の山本潤子さんの卓越した歌唱力と美貌が素晴らしいです。
「竹田の子守唄」を歌う若い頃の山本潤子
シンガーソングライターの永井龍雲さんと「赤い鳥」のヒット曲「竹田の子守唄」を歌う若い頃の山本潤子さんの動画です。圧倒的な歌唱力と、心に染み入ってくるような歌声です。
山本潤子のヒット曲
続けて、山本潤子さんの代表的なヒット曲を紹介します。
「卒業写真」
ユーミンこと松任谷由実さんのイメージが強い「卒業写真」ですが、元々は「ハイ・ファイ・セット」のために提供された楽曲です。松任谷由実さんによるセルフカバーをはじめ、多くの一流歌手たちがカバーしてきた国民的名曲ですが、そのオリジナルこそが、この山本潤子さんの歌う「卒業写真」です。
冷たい雨
この「冷たい雨」も松任谷由実さんの作詞作曲の名曲です。「ハイ・ファイ・セット」の5thシングルとしてリリースされ大ヒットを記録しました。
「卒業写真」もそうですが、リリースから何十年経っても全く色褪せない名曲中の名曲です。年を重ねた山本潤子さんの歌声も素晴らしいの一言です。
忘れないわ
この「忘れないわ」は、小田和正さん作詞作曲の楽曲で、「ハイ・ファイ・セット」としては最後にリリースされたシングル曲です。
これぞ、小田和正という美しいメロディと、山本潤子さんの美しい声と完璧な歌唱力が絶妙にマッチした至高の一曲だと言えるのではないでしょうか。
ここで紹介した以外にも、山本潤子さんは数々のヒット曲を歌われています。
山本潤子の夫・山本俊彦について
続いては、山本潤子さんが、1973年4月に結婚した夫・山本俊彦さんについても紹介します。
山本俊彦さんは1947年2月23日生まれで、山本潤子さんの2歳年上です。1969年の「赤い鳥」結成時からギターとして参加し、その4年後に結婚、「赤い鳥」解散後の「ハイファイセット」でも共に活動し、妻の山本潤子さんとずっと一緒に音楽活動を行ってきました。
1994年の「ハイ・ファイ・セット」解散後は、音楽プロデューサーとして活動していました。
しかし、山本俊彦さんは2014年3月27日、自宅2階で倒れているのを妻の山本潤子さんによって発見され、病院に搬送されましたがその日のうちに死亡が確認されました。
山本俊彦さんの死因は「虚血性心不全」で、享年は67歳でした。
山本潤子さんは夫との突然の死にも気丈に振る舞っていたそうで「ツアーを頑張ってやる」と関係者に話されていたのだそうです。
山本潤子の子供は娘が2人
出典:http://www.sonymusic.co.jp/
山本潤子さんと夫の山本俊彦さんの間には、2人の子供がいます。
2006年1月20日にインターネットで公開されたインタビュー記事の中では、山本潤子さんの子供について触れられています。
その記事は、音楽活動に自信を無くしかけた時、当時小学5年生だった子供(長女)がリコーダーで「翼をください」を吹いていて、山本潤子さんが「なんで知ってるの?」と驚き、それで、自分の歌っていた「翼をください」が学校の音楽の授業で採用されるほど国民的な歌だと気がついたといった内容でした。
音楽活動を続けながら無我夢中で育ててきた2人の娘も気づかせてくれた。小学5年になった娘が、ある日、リコーダーで聞き慣れた旋律を吹き始めた。
「なんで、知ってるの? それお母さんが歌ってた歌よ」
教科書に載っている「翼をください」だった。
また、この記事からもわかるように、山本潤子さんは自分の子供たちに「翼をください」が自分がかつて歌っていた曲だとは伝えていなかった事もわかります。
それについてネット上で話題にのぼっていた事もあったようです。
#山下達郎 と #竹内まりや の子供って どんな気分だろう?#竹内まりや三昧
— choco_town(平熱少年) (@choco_town) November 25, 2018
山本潤子 さんの娘さんは 「翼を下さい」を学校で習っても 母の曲だとは 知らなかったらしいです。
また、この記事が公開された2006年1月の時点で山本潤子さんの子供たちは長女が23歳、次女が20歳になったと書かれているため、現在(2020年5月時点)の山本潤子さんの子供たちの年齢は、それぞれ長女が、37歳か38歳、次女が34歳か35歳になっているはずです。
また、山本潤子さんの2人の子供は2006年1月の時点では、長女が小学校教諭。次女が大学生だという事も明かされています。
リコーダーを吹いていた娘はすっかり大きくなり長女(23)は、今春から小学校教諭に、二女(20)は大学生活を謳歌中。
山本潤子さんの長女が小学校教諭になったのだとすれば、生徒たちに自分の母が歌った「翼をください」を教えるような場面もあったかも知れません。
山本潤子の現在① 活動休止と病気説
山本潤子さんは「ハイ・ファイ・セット」解散後もシンガーソングライターとして精力的に音楽活動を続けられていましたが、2014年2月に音楽活動を休止することを発表し、その年の5月をもって音楽活動を休止されています。
この休止の理由として、山本潤子さんは「声の不調」をあげています。
この説明に、一部からは山本潤子さんは喉の何らかの病気ではないか?と心配の声が上がりましたが、所属事務所からは「喉のポリープとは、病気ということではない」と発表されているため、病気ではないようです。
4年前から喉に異変を感じていたという山本。無期限休について所属事務所は「喉のポリープとか、病気ということではありません」と説明。今後については、「休養させていただき、喉の調子が回復し、本人も納得できる歌声になりましたら、少しづつライブハウスなどで活動を開始できればと思います」と話している。
その素晴らしい歌声でファンを魅了してきた山本潤子さんなので、自分自身で歌声に満足出来ないということで休養を決断されたという事なのでしょう。
また、そのほかにも、この時期に夫の山本俊彦さんが急逝された事から、夫を亡くした精神的なショックで心の病気になったのでは?との噂も浮上しましたが、そうした事実もないようです。
山本潤子の現在② 最近の活動と近況
2020年時点の現在も、山本潤子さんは音楽活動を再開されていません。
2016年には、95曲もの名曲が収録されたCDボックス「Junko Yamamoto ALL TIME SONGS」がリリースされていますが、それ以降、山本潤子さんに関連する動きは出ていません。
公式ブログなどの更新も止まっており、山本潤子さんの現在を知る事は難しい状況です。
ファンとしては、いつの日か声の調子を回復させた山本潤子さんの復活を心待ちにしたいですね。
まとめ
今回は「翼をください」、「卒業写真」など、数多くの国民的ヒットソングをもつシンガーソングライター・山本潤子さんについてまとめてみました。
山本潤子さんは、フォークソンググループの「赤い鳥」や国民的人気コーラスグループ「ハイ・ファイ・セット」のボーカルとして活動したあと、シンガーソングライターとしてソロで活躍。その染み渡るような歌声と、抜群の歌唱力で絶大な人気を集めました。
2014年5月、山本潤子さんは「声の不調」を理由に無期限の音楽活動休止を発表され、2020年5月の現在も活動の再開は発表されていません。
いつの日か山本潤子さんが完全復活される日を待ちましょう。