1980年代に活躍した「Sugar」の元メンバー・毛利公子さん(モーリ)は29歳の若さで死去し、その死因が話題です。
今回は毛利公子さんのSugarでの活動、結婚した旦那、子供の死産や死因、福井県にあるお墓を紹介します。
この記事の目次
毛利公子(モーリ)は元Sugarで、夭逝した悲劇のシンガー
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29歳で突然死した毛利公子
Sugarのメインボーカル兼リーダーを務めた毛利公子さん。
才能溢れるシンガーでありながら、志半ばにして1990年に29歳の若さで死去しています。
あれから30年が経過し、少しずつ分かってきたことがあります。まずは、毛利公子さんのプロフィールを見ていきましょう。
毛利公子のプロフィール
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毛利 公子(もうり きみこ)
生年月日: 1960年9月29日
没年月日: 1990年4月7日
出身地: 神奈川県横浜市
担当楽器: ボーカル、ベース
毛利公子さんは、Sugarのメンバー2人と共に1981年にメジャーデビューを果たした、美しい歌声が特徴のシンガーです。
Sugarでは、リーダーとしてメンバーを引っ張り、ボーカルとベースを担当。
毛利という苗字から「モーリ」の愛称で、メンバーからもファンからも親しまれていた存在でした。
1987年にSugarが解散すると、その後はソロとしてラジオのリポーターなどを中心に芸能活動を続けていました。
しかし、1990年4月7日午前2時に入院先の病院で死去したことが発表され、あまりにも突然の死に世間は驚きを隠せませんでした。
毛利公子(モーリ)が結成したSugarとは
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Sugarの3人(右の女性が毛利公子)
毛利公子さんが所属していたコーラスグループ「Sugar」は、もともとはバンドでしたが、途中から3人の歌声メインのグループに転向しています。
ここでは、グループ名の由来や結成のきっかけ、デビューから活躍まで見ていきましょう。
Sugarの経歴
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Sugarのメンバーはモーリこと毛利公子さん、ミキさん、クミさんの3人組です。
もともとクミさんと毛利公子さんは、横浜市立寺尾中学校に在学中に出会い、仲の良い友人でした。
高校生になった2人は音楽バンド「かりんとう」を結成し、「第14回ヤマハポピュラーソングコンテストに出場しています。
2人は「杉山清貴&オメガトライブ」の前身である「きゅうてぃぱんちょす」に所属していたこともありました。
その後、ミキさんが合流して新たなバンド「Sugar」が結成されたのです。
メジャーデビューを果たしたのは1981年のこと。その後、1987年にバンドは解散しています。
Sugarの由来とは?
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Sugarは日本語にすると「砂糖」ですが、コーラスグループとしての「Sugar」には、もっと違う由来があったことをご存知でしょうか。
Sugarが結成された当時の日本は、フリフリとした可愛い衣装を着たアイドルが盛り上がりを見せていて、女性のバンドが本格的に脚光を浴びるのはそれから10年くらい後のことです。
メンバー達の言葉を借りると、Sugarは「しおらしくない子ばかり」だったそう。
しおらしいというと、控えめでいじらしい、思慮深い、奥ゆかしいなど大和撫子のイメージがありますよね。
可愛くてしおらしいアイドルを売り出すことがセオリーだった時代に、気さくで飾らない親近感のある3人組は、確かにしおらしいとは真逆だったかもしれません。
「しおらしくない」をもじって「塩らしくない」という言葉が浮かび、「砂糖」へ変化し、結果としてSugarになったのだとか。
言葉遊びによって生まれたグループ名が「Sugar」だったのです。
毛利公子(モーリ)が所属したSugarの代表曲は「ウェディング・ベル」 【動画あり】
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1981年、デビュー楽曲「ウェディング・ベル」をリリースし、翌1982年にはNHK紅白歌合戦に出場する快挙を成し遂げたSugar。
ここからは、「ウェディング・ベル」のヒットと曲にまつわるエピソードをお届けします。
ウェディング・ベルでのギャップがスゴイと話題に
1981年11月21日にフォーライフ・レコードから発売されたシングル「ウェディング・ベル」は、元彼が他の女性と結婚することになり、式場に招待された女性の心理を綴る楽曲です。
3人の歌声のハーモニーが美しいのに、「くたばっちまえ!アーメン」など新郎に向けた歌詞のギャップが受けて、レコードは約70万枚のセールスを記録。
これにより、1982年には、Sugarにとって最初で最後のNHK紅白歌合戦に出場を決めました。
歌詞の内容的に、日本のキリスト教の関係者の一部からは「冒涜されているようだ」と不愉快なるとの指摘もあったそう。
キリスト教関係者が多いと言われるNHK神戸放送局では、「ウェディング・ベル」を流す時は自主的に、歌詞の一部が聞こえてくるとフェードアウトするという対応を取ったのだとか。
なお、「ウェディング・ベル」は、これまでにPUFFYやchayなどの著名なシンガーがカバー曲を発表しているので、若い人でも1度は聞いたことがあるかもしれませんね。
そんなSugarは、1982年11月にデビュー1周年を記念して「ウェディング・ベルⅡ」もリリース。
この楽曲は、新婚なのに旦那が仕事で忙しくてなかなか一緒に過ごせない嫁の不満を綴ったもので、やはり「くたばっちまえ!」や「アーメン」という歌詞が使われています。
毛利公子(モーリ)が所属したSugarの他のメンバー① ミキ
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ミキこと笠松美樹
メンバーのミキさんこと笠松美樹さんは、ボーカルとキーボードを担当。1960年7月15日生まれで、東京都大田区出身です。
Sugar解散後は、子供向け番組「パオパオチャンネル」で「ねこのひげ」、「すきだからあだな」などを持ち歌として活動していました。
現在は、ソロのシンガーや作曲家として活動しています。
毛利公子(モーリ)が所属したSugarの他のメンバー② クミ
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クミこと長沢久美子(左)
メンバーのクミさんこと長沢久美子さんは、ボーカル兼ギター担当。神奈川県横浜市出身で、毛利公子さんと同じ中学校に通っていました。
グループ解散後は、ソロ活動を経てデザイン会社Bringを設立。
NPO法人シュガープロジェクトを運営していた経歴を持っています。
毛利公子(モーリ)が所属したSugarの解散理由
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1981年にメジャーデビューを果たし、シングル11枚とアルバムを7枚発売したSugarですが、1987年に解散しました。
解散の理由とは、どうやら毛利公子さんの結婚に関係があるのだとか。
ここからは、解散の経緯と毛利公子さんの旦那について見ていきましょう。
メンバーの結婚と出産が理由だった
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1987年、Sugarのメンバー・クミさんが結婚し、程なくして妊娠が発覚します。
メンバーが出産と子育てに専念できるよう、一時的に解散することに。
翌1988年には、毛利公子さんも結婚し、子供を妊娠しています。解散後は、クミさんと共にランチタイムを過ごすのが日課になっていたそう。
毛利公子さんは「また一緒に(Sugarを)やろうね」とよく言っていたのですが、その願いは叶うことはありませんでした。
毛利公子(モーリ)結婚した旦那とは
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毛利公子さんの旦那は一般人のため、名前や顔写真など個人が特定できそうな情報は公開されていません。
毛利公子さんが妊娠中、夫は海外勤務をしていると語っていたようで、商社に勤務している男性なのかもしれませんね。
毛利公子(モーリ)は子供を出産前に死去している…
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毛利公子さんが死去したのは1990年4月7日のこと。
29歳の若さで子供の出産を控えたシンガーの死去は、連日テレビで取り上げられました。
毛利公子さんの死因について迫ります。
子供の心肺が停止していた
1990年4月6日、陣痛が来ていると感じた毛利公子さんは、すぐに病院に向かい、診察してもらいました。
しかし、胎児の心音が聞こえず、死産になることを医師から告げられています。
強い悲しみが襲ってきて取り乱した毛利公子さんに対し、母体の負担を考慮し、すぐに胎児を取り出さずに安静の措置が取られることになりました。
その日は、毛利公子さんの妹が病院に付き添っていましたが、午前2時頃に妹が姉の様子を確認しようとベッドを見ると、毛利公子さんの呼吸が止まっていたそうです。
取り急ぎ、別の救命救急病院に搬送されましたが、そのまま意識を取り戻すことはなく、毛利公子さんの死亡が確認されました。
当時は経緯も死因も詳細が明かされることなく、ただ死去したという事実だけが淡々と報じられ、これらの事実は死去から約30年後に明かされています。
モーリの存在はタブーだと言われた
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突然の毛利公子さんの死去は、ワイドショーや週刊誌など数多くのメディアで報道されました。
メンバー2人は、突然のリーダーの死因について口をつぐみ続け、沈黙を守りました。
次第に毛利公子さんの存在も、Sugarというグループの存在もタブー視されるようになり、ヒッソリと忘れ去られていきました。
ちなみに、代表曲「ウェディング・ベル」の歌詞にある「くたばっちまえ!アーメン」という強烈な歌詞を歌っていたのは、メインボーカルを務める毛利公子さんでした。
毛利公子(モーリ)の死因の真相
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2020年3月13日に放送された「爆報!THEフライデー」に突如、メンバーのクミさんが出演しました。
長い長い年月を経て、毛利公子さんの死去の真相について語り、大きな話題を呼んでいます。
30年越しの真相が明かされた
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2人の子育てを終えて59歳を迎えていたクミさんは、毛利公子さんが死去する前日から、当日までのことをスタジオで詳しく語っています。
それによると、毛利公子さんが死去する前日、クミさんは毛利公子さんから「陣痛が始まったみたい」と電話があったそうです。
さらに、毛利公子さんのお腹の中にいた子供は女児で、誕生したら「さくら」と名前を付けることを決めたと聞いていました。
翌日、毛利公子さんの妹から電話がかかってきて「お姉ちゃんと赤ちゃん、死んじゃった」と告げられて、愕然としたクミさん。
慌てて病院に駆けつけると、すでに毛利公子さんは霊安室で横たわっていたそうです。
そして「これが現実なのか、とても受け入れることなどできず忘れられないです」とスタジオで語りました。
死因は現在も不明のまま
1990年に亡くなった際に、明らかにされなかった毛利公子さんの死因。
しかし、医師から家族への説明によると、本当に「死因は分かりません」と言われたのだとか。
一般的に、出産前に母親が死亡するケースで考えられるのは、常位胎盤早期剥離や妊娠時高血圧症候群が多いようですが、近年でも25%は死因が分からないそうです。
毛利公子(モーリ)のお墓は福井県にある
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クミさんは出演した「爆報!THEフライデー」において、毛利公子さんのお墓についても語っています。
娘と共に眠っている
毛利公子さんと、生まれるはずだった子供の「さくら」さんは、福井県内にあるお墓に共に弔われています。
VTRでお墓参りを済ませたクミさんは、最後に以下のように毛利公子さんについて語っています。
「モーリがいなくなって30年たちました。モーリのことを悲劇の人として辛く思わないで欲しいなって。笑顔で思い出してほしい」と“30年目の告白”の理由を明かしていた。
引用:親友・クミこと長沢久美子さんが30年目に明かした真相 – スポーツ報知 https://hochi.news/
30年が経過した現在、クミさんもようやく前を向いて歩く決心ができたのかもしれませんね。
まとめ
出典:https://zaitakudemamawork.com/
毛利公子さんは、1980年代に活躍した3人組のコーラスグループ「Sugar」の元ンバーです。
3人の美しいコーラスと歌詞の「くたばっちまえ!アーメン」という歌詞の荒々しさのギャップが受けて、デビュー楽曲「ウェディング・ベル」は大ヒットし、紅白歌合戦にも出場しました。
グループは1987年に解散した後も、メンバーは子育てや仕事にそれぞれ打ち込み、毛利公子さんも1988年に一般人男性と結婚しています。
そして1990年4月に子供を出産する予定でしたが、4月6日に子供を死産し、自身は翌日未明に死去したことが明らかになりました。
死因については当時詳細に語られることはありませんでしたが、2020年にメンバーのクミさんが長い沈黙を破り、死去までの経緯や死因が本当に不明であることを語りました。
現在、毛利公子さんは福井県内にあるお墓に娘と共に眠っています。
29歳の若さで死去した毛利公子さんの冥福をお祈りします。