神取忍さんは現役の女子プロレスラーで、若い頃の伝説的な試合が話題です。
今回は神取忍さんの身長や性別、天龍源一郎さん・北斗晶さん・ジャッキー佐藤さんとの試合、ギャビガルシアさんとの騒動、結婚の有無や現在を紹介します。
この記事の目次
- 神取忍のプロフィール
- 神取忍の身長は?性別を超えるほど鍛え抜かれた体が話題に
- 神取忍の生い立ち:柔道家として輝かしい成績を残すも五輪は目指さず
- 神取忍の若い頃の経歴① ジャパン女子プロレスでデビュー
- 神取忍の若い頃の経歴② 四天王として活躍
- 神取忍の若い頃の経歴③ フリーレスラーに
- 神取忍の若い頃の経歴④ LLPWを旗揚げ
- 神取忍の若い頃の経歴⑤ 叶わなかったギャビガルシアとの対戦
- 神取忍の若い頃の経歴⑥ 筋肉隆々なセミヌード写真集が話題に
- 神取忍の若い頃の経歴⑦ タレント・女優活動も
- 神取忍の若い頃の経歴⑧ 参議院議員に当選
- 神取忍の若い頃の経歴⑨ 参議院時代は苦労続きだった
- 神取忍の伝説① ジャッキー佐藤との壮絶なシュートマッチ
- 神取忍の伝説② デンジャラスクイーン・北斗晶との大流血試合
- 神取忍の伝説③ 天龍源一郎との顔面ボコボコマッチ
- 神取忍は結婚している?過去には風間ルミと熱愛の噂も
- 神取忍の現在① 現役プロレスラーとして活躍中・RIZIN出場にも前向き
- 神取忍の現在② 2022年に風間ルミの追悼イベントを開催
- 神取忍の現在③ プライベートでの北斗晶との交流が話題に
- まとめ
神取忍のプロフィール
生年月日:1964年10月30日
出身地:神奈川県
所属:LLPW-X(CINEMACTと業務提携)
神取忍の身長は?性別を超えるほど鍛え抜かれた体が話題に
出典:https://jp.rizinff.com/
神取忍さんは柔道家から転向した女子プロレスラーで、元参議院議員でもあります。
本名は「神取しのぶ」といい、中性的な名前やルックスから、プロレスファン以外には性別の判断に迷う人も多いそう。
それもあってか「ミスター女子プロレス」「女子プロレス最強の男」というニックネームがつけられています。
身長170cm、体重75kgで、巨漢というわけではないですが、ガッシリとしたプロレスラーらしい体型です。
神取忍の生い立ち:柔道家として輝かしい成績を残すも五輪は目指さず
神取忍さんが柔道を始めたのは中学3年生の時で、意外にもそれまでは帰宅部だったそうです。
また、部活ではなく町道場でのスタートだったといいます。その後、女子高に進学するも柔道部がなく、町道場で柔道を継続。
周囲からは大学や実業団で柔道を、と勧められていたものの、組織に所属するよりも自由に柔道をやりたいと町道場で柔道を続けていたそうです。
当時、日本の柔道界では講道館・全日本柔道連盟と、全日本学生柔道連盟との内紛が勃発しており、そういった背景も影響していたのかもしれません。
その後、神取忍さんは1983年の「全日本選抜柔道体重別選手権」66kg級で3連覇を果たし、同年開催の「第1回福岡国際女子柔道選手権大会」で2位に入賞。
1984年開催の「世界柔道選手権大会」で3位に入賞したほか、1985年開催の「第3回福岡国際」でも3位に入賞するなど各大会で頭角を現します。
しかし柔道でオリンピックを目指すとなると、直近のソウルオリンピックでさえ3年先でした。
それまでの間、柔道に対するモチベーションが保てないと判断した神取忍さんは、オリンピック選考会を待つことなく、プロレスラーへの転向を決意しました。
神取忍の若い頃の経歴① ジャパン女子プロレスでデビュー
神取忍さんは柔道を引退したら、トレーニングジムのインストラクターなどになるつもりだったそうです。
そのため、周囲からはプロレス転向をしきりに勧められていたものの、当時はそのつもりがなかったといいます。
- しかし、ジャパン女子プロレスが選手を募集していることを知った柔道仲間が、神取忍さんの履歴書を勝手に送付。自宅に社長から電話がかかってきたため、面会に応じたのだそう。
- 団体側は「(柔道で)メダルを取って、食べていけるのか」などと諭し、考えが変わった神取忍さんは「3年間やって、次の世界行こう」とプロレスラーになることを決意。
こうして神取忍さんは、1986年に旗揚げされたプロレス団体「ジャパン女子プロレス」へと入門しました。
神取忍の若い頃の経歴② 四天王として活躍
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ジャパン女子プロレスに入門直後、神取忍さんは「ダンプ(松本)は10秒で倒せる」と発言して話題に。
また、プロレスラー・山本小鉄さんの元でプロレスの基礎を学びました。
「柔道の経験があるから」と神取忍さんだけ、練習で提携をしていたプロレス団体「新日本プロレス」の男子選手とスパークリングをさせられるなど厳しい環境にも耐え抜きました。
そして、同年8月にジャパン女子プロレス旗揚げ戦「後楽園ホール大会」にてデビュー。
女子プロレスラーとして一時代を築いた、元「ビューティ・ペア」のジャッキー佐藤さんとのシングルマッチでメインイベンターを務めるという異例のデビューとなりました。
以降、対戦相手であるジャッキー佐藤さん・ナンシー久美さん・風間ルミさんと並び、「四天王」として団体の看板レスラーとなっています。
だから下積みはまったくなしで、つらいと思うようなこともなかったねー。柔道で苦しい稽古はさんざんやっているから今さらキツイなんて思わなかったしね。それにしてもレスラー初心者で最初から四天王。おかしいでしょ(笑い)。異端児ですよ。新しいタイプの“ヒール”でした。
神取忍の若い頃の経歴③ フリーレスラーに
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神取忍さんはその後、ジャパン女子プロレスの経営不振を機に、プロレス界初となるフリーを宣言。
各団体と自分で交渉し、試合の内容やギャラを決定していたといいます。
前代未聞のスタイルに世間から騒がれ、”問題児”などと揶揄されたものの、本人は「ほかのスポーツの世界じゃ当たり前のことだからね」と意に介さなかったそう。
しかし、プロレス団体「全日本女子プロレス」のエース・長与千種さんとの対戦を交渉していた最中に、古巣のジャパン女子プロレスが「5年契約の契約期間中である」と主張。
他団体のリングに上がることに対して、警告を発する事態となってしまいます。
これに対し、神取忍さんは弁護士を立てて反論するも事態は収束せず、その間に長与千種さんが現役を引退。対戦が叶わぬまま、交渉終了となってしまいました。
神取忍の若い頃の経歴④ LLPWを旗揚げ
神取忍さんはその後、フリーランスとしてジャパン女子プロレスへと復帰。
1992年には、同団体崩壊を機に新たなプロレス団体「LLPW(現在のLLPW-X)」を旗揚げしました。
同年にはブル中野さんとチェーンデスマッチを開催しており、勝負には敗れたものの、神取忍さんにとって同試合がプロレス人生におけるベストマッチだと語っています。
また、1995年には女子初の総合格闘技「L-1」で準優勝。1998年の第2回大会ではリベンジを果たし、優勝を勝ち取っています。
L-1は、ブラジル発の「バーリ・トゥード」スタイルで行われ、目潰し、噛み付きといった必要最低限の反則を除き、なんでもありという激しい戦いとなりました。
女子のバーリ・トゥード大会は世界でも初めてだったんだよね。あの時も言われたんだよ、「女子にはできっこない。危険すぎる」と。でもやったからね、私もほかの選手も。金網の中で顔面ボッコボコに殴り合って、首絞めて、関節極めてね。ファンもマスコミも驚いてたけど、私としては「してやったり」だよ。
引用:ザ・インタビュー
なお、2002年にはLLP-Wの代表取締役に就任しています。
神取忍の若い頃の経歴⑤ 叶わなかったギャビガルシアとの対戦
2016年、総合格闘技大会「RIZIN FIGHTING WORLD GRAND-PRIX」無差別級トーナメントで、ブラジルの女子総合格闘家・ギャビガルシアさんとの対戦が予定されていました。
しかし、直前に神取忍さんは肋骨を骨折してしまい、無念の辞退に。
翌年の同大会で再度ギャビガルシアさんとの対戦が組まれるも、ギャビガルシアさんが12.7kgもの体重オーバーとなり、試合が中止となってしまいました。
女子プロレスラー・神取忍(53)=LLPW-X=と95・0キロ契約で対戦予定の柔術家ギャビ・ガルシア(32)=ブラジル=が、実に12・7キロもオーバーする前代未聞の大失態を起こした。この試合は95・0キロ契約。ふだんは75キロでファイトしており、コスチューム姿で問題なくクリアした神取は「何だよ、これ!?どうなってるんだ!?」と、計量会場に怒号を響かせながら退場した。ギャビは無言のままだ。
ちなみにその後、体重オーバーの要因は怠惰によるものではないと判断されており、ギャビガルシアさんへのペナルティーは課せられていません。
榊原委員長によると、ガルシアはこれまで通りに食事制限、トレーニングを重ねてきたが、体重がいっこうに落ちずに血圧も高くなったという。関係者への聞き取り調査により、怠慢による体重オーバーではないことが確認されたため、試合中止に伴うペナルティーなどは課さない方向だ。
また、翌年以降はマッチメイク自体がされなくなってしまい、両者の試合は実現しないままの状態となっています。
神取忍の若い頃の経歴⑥ 筋肉隆々なセミヌード写真集が話題に
神取忍さんは2001年に写真集「Physique 神取忍写真集」を発売。セミヌードを披露して大きな話題を呼びました。
神取忍の若い頃の経歴⑦ タレント・女優活動も
出典:http://llpw-x.spo-sta.com/
一方、バラエティ番組といったメディアにも多数出演しています。
これまでにTBS系列の「ガチンコ!」女子プロ学院企画や、日本テレビ系列の「ナカイの窓」のスー女VSプ女子企画などに出演しました。
2014年に出演したバラエティ番組「有吉反省会」には、「イカツイ見た目にも関わらず中身がすごく乙女チックで、そのギャップで周りを混乱させて、すみません」という反省内容で出演。
試合では強烈な強さを誇る神取だが、プライベートではスイーツ好き、毎日の爪のお手入れ、週2回のコラーゲンマシンと乙女そのもの。しかし洋服は常にアロハシャツにジーンズとおじさんそのもので、虫も全然平気だという男らしさも満点。
禊として「メイド服姿でお化け屋敷に行く」という試練にも挑戦しています。
また、女優として1994年公開の映画「SAEKO」に出演。
2013年に発売されたロックバンド・SHO-YAの「V.S. MYSELF」、2017年発売のアイドルグループ・AKB48の「シュートサイン」などのミュージックビデオにも出演しています。
なお、神取忍さんはミュージックビデオ出演を機に、SHO-YAの「V.S. MYSELF」を入場曲に採用。
SHO-YAのボーカル・寺田恵子さんは元々女子プロレス好きだったそうで、幼い頃からプロレスラーに憧れていたのだとか。
同曲発売の3年ほど前に共通の知り合いが開いた飲み会で初対面を果たし、「一緒に協力しあえることがあったらいいね」と話していたのだそうです。
神取忍の若い頃の経歴⑧ 参議院議員に当選
神取忍さんは「プロレスラーを引退後は国会議員になりたい」と周囲に明かしていたといいます。
そんな神取忍さんに対し、当時の自民党から「やる気があるのならば公認を出す」と選挙1ヵ月前に声がかかったそうです。
急遽、自民党のバックアップを受けることが決まった神取忍さんは、2004年7月の「第20回参議院議員通常選挙」に自由民主党の公認を得て比例区より立候補。
しかし、準備不足で選挙演説でおおまかな発言しかできなかったこと、出馬会見で「年金を払っていなかった」と自ら告白してしまったことなどが影響して、次点で落選してしまいます。
その後、2006年9月に竹中平蔵が参議院議員を辞職したことで、自民党比例代表選出議員に欠員が発生。神取忍さんが同年10月に、繰り上げで議員に就任することとなりました。
神取忍の若い頃の経歴⑨ 参議院時代は苦労続きだった
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ただ、議員時代にはプロレスラーとは違った苦労があったのだとか。
「政治の世界に入って、生まれて初めて眠れなくなった」と振り返る。「それまでは、早寝早起きで運動して食事にも気を使う生活だったのが、突然不規則になって。政治の勉強やいろんなストレスで精神的に疲れてるんだけど眠れない。あれはつらかった」
その後の2010年に行われた「第22回参議院議員通常選挙」では、前回と同条件で立候補するも落選しました。
神取忍さんはのちに「政治を全く知らなかった」、「国会での戦い方がわからなかった」と語っており、やる気は十分あったものの政治家になるための準備が足りなかったと認めています。
2017年8月に出演したテレビ朝日系列のバラエティ番組「しくじり先生」では、当時のしくじりやそこから得た学びを語っており、こちらも大きな話題になりました。
彼女は「とにかく何か成し遂げたい」と息巻いていたが、同じ1年生議員から出遅れた感は否めず、更に誰も国会の事を教えてくれないという状況に四苦八苦。当時について「実力不足。国会での戦いが分からなかった」と振り返った。神取は任期満了後に「大きな理想を語らずに、自分のできる事を地道にひとつひとつやろう」と決心。議員にならなくても実際に「社会貢献ができている」と現在の状況を語った。
神取忍の伝説① ジャッキー佐藤との壮絶なシュートマッチ
神取忍さんは前述のとおり、当時すでに高い人気を得ていたジャッキー佐藤さんとの対戦で華々しくデビューしました。
しかしその後、場外での攻撃を受けて目を負傷したことによりジャッキー佐藤さんとの確執が生じ、さらに1987年の対戦でジャッキー佐藤さんの攻撃が同じ目の部分に当たったことに憤怒。
「そういうつもりなら、そういう試合をしましょう」とジャッキー佐藤さんに決着戦を申し込みます。
すぐさま試合が組まれ、同月に開催された「大和車体工業体育館大会」にて2人は対戦。
当時はまだほとんどなかったというシュートマッチへと発展し、神取忍さんは壮絶な戦いののちに勝利しました。
シュートとは、ガチンコやセメントマッチと同じくプロレス界の隠語であり、一定の取り決めを逸脱した“真剣勝負”のことを指す。
なお、神取忍さんは同試合を以下のように振り返っています。
やりすぎた部分はあったけど、ただ、事前に会社にも相手にも『こういう試合になるかもしれない』とは伝えてあった。当時は『掟破り』と言われたけど、それでも骨折はさせていませんから。
神取忍の伝説② デンジャラスクイーン・北斗晶との大流血試合
神取忍さんは1993年に、「全日本女子プロレス」に所属していた北斗晶さんと対戦。2戦1勝1敗となりました。
また、「デンジャラスクイーン決定戦」と銘打たれた同試合は、女子プロレス界の中でもまれにみるレベルの流血試合に。
北斗晶さんによる渾身の顔面パンチで幕を開け、神取忍さんによる腕固めで北斗晶さんが場外に。場外戦にもつれ込み、両者ともに額から流血。
血まみれになりながらも技を繰り出し、最後はシンプルな殴り合いへともつれ込みます。
北斗は額を割り流血、大ピンチに陥る。サブレフェリーが「ギブアップか」と尋ねるとうめき声をあげながら「NO!」と叫ぶ北斗。なんとかリングインした北斗に神取は額へのパンチ、走り込んでの顔面へのケンカキック(ビッグブーツ)を見舞う。北斗はその蹴り足を捕らえてテイクダウンさせると、場外戦に持ち込み、神取を蹂躙。鉄柵に何度も顔面をぶつける。すると今度は神取が流血する。
最後は、お互いのパンチが顔面へと炸裂し、ダブルノックダウン。北斗晶さんが先に這いより、3カウントによって北斗晶さんとの勝利となりました。
同試合以降、北斗晶さんは「デンジャラスクイーン」の異名で知られるようになります。
そんな因縁のある北斗晶さんとは、2005年に再び対峙します。プロレス団体「プロレスリング・ノア」の試合でそれぞれがセコンドとして登場したんです。
天龍源一郎さんのセコンドについていた北斗晶さんが1番嫌いな相手をセコンドにしたい、という秋山準さんの希望によるものだったといいます。
神取忍の伝説③ 天龍源一郎との顔面ボコボコマッチ
神取忍さんは、2000年に男性である天龍源一郎さんと対戦しています。
結果として敗北していますが、性別を超えた激しい戦いに大きな注目が集まりました。
試合中、天龍源一郎さんは神取忍さんの顔を集中的に攻撃。試合終了後の神取忍さんの顔はあまりの衝撃に変形しており、片方の目がまるで出目金のように腫れ上がっています。
天龍源一郎さんの娘・嶋田紋奈さんもこの試合にドン引きしたそうで、「同試合を観て、初めて自分の父親を酷い人だと思った」と試合の凄まじさを語りました。
ただ、この試合は神取忍さんからの強い要望で実現したようです。
私が「日本人でただ1人、ジャイアント馬場さんとアントニオ猪木さんに勝った天龍さんと、シングルで戦ってみたい」と風間(初代LLPW社長・故風間ルミさん)に言ったんです。そうしたら「神ちゃん、そこまで思いつめているんなら直接、天龍さんに直談判しなさい」と言ってくれたんです。
天龍源一郎さんが「お前どうなってもいいのか。俺はボコるよ。手加減しないよ」と忠告するも、神取忍さんは「どうなっても構いません」と答えたといいます。
しかし、いざ試合が始まると「組んだ瞬間、これまでと違う異次元の世界に入り込んだ」と、天龍源一郎さんとの圧倒的な実力の差を感じたという神取忍さん。
張り手と一本背負いは決めたものの、そのほかはほとんど記憶がないといいます。
その一方で天龍源一郎さんは、何をしてもくらいついてくる神取忍さんをなんとか止めようと、危険だと知りつつ、執拗に眉間を狙ったのだそうです。
こっちも顔面を殴って蹴って顔の形が変わっていくのが分かるんだ。レフェリーに「止めろ! コノヤロー!」と言ってもまだ向かってくる。左拳で首を絞めながら、人間の急所である目と目の間にパンチを入れて出血させようと思って、殴り続けたらようやくタオルが入ったんだよね
神取忍は結婚している?過去には風間ルミと熱愛の噂も
神取忍さんは結婚に関して公言しておらず、おそらくは独身であると思われます。
もちろん、結婚していてそれを公にしていないという可能性もありますが、これまでに恋愛に関する報道はおろか、噂もほとんど出ていないため、独身である説が有力でしょう。
そんな中、神取忍さんが中性的であることや、プロレス団体「LLPW」旗揚げから苦楽をともにしてきたという、風間ルミさんとの関係が噂されたこともあったようです。
しかし、神取忍さんは過去に出演したテレビ番組のデート企画で、男性を指名しています。
風間ルミさんとの噂は、一部のファンの「そうあってほしい」という希望から生まれたものだったのかもしれませんね。
神取忍の現在① 現役プロレスラーとして活躍中・RIZIN出場にも前向き
神取忍さんは現在も現役プロレスラーとして活躍中です。
2022年の「ワールド女子プロレス・ディアナ後楽園大会」などをはじめ、代表を務めるプロレス団体「LLPW-X」が主催する試合を中心に出場しています。
また、2021年に受けたインタビューでは、過去に2度流れてしまっているブラジルの女子総合格闘家・ギャビガルシアさんとの再戦にも前向きな姿勢を見せていました。
プロレスや総合格闘技ファンの間でも同対戦を待ち望む声は多く、年末が近づくたびに話題となるほどです。
2019年に開催された「RIZIN」では、マッチメイクされなかった神取忍さんがギャビガルシアさんの試合直後に乱入。その場でギャビガルシアさんとの試合を求めるも、却下されています。
同件に対し、ギャビガルシアさんは試合後の会見で以下のようにコメント。
去年、確かに対戦は流れてしまって、神取忍選手もフラストレーションを抱えていることは容易に想像がつきます。私は対戦相手を選びません。誰とでも、やれと言われたら私はやります
その一方で、RIZINの榊原信行実行委員長は2人のマッチメイクに消極的なようです。
神取忍はスゴイ。54歳ですよ。きょう彼女が来たのはただの話題作りじゃなくて、本当にギャビとやりたいんです。僕にも肩の怪我は問題なく『いつでもギャビとやれる』と真剣に言ってきた。ただこの試合こそ安全面が心配。
ギャビガルシアさんの強さや体格差はもちろん、神取忍さんが天龍源一郎さんらとの試合で見せた”命を削ってでも勝利に固執する戦い方”を知っている分、危険な試合になるかもしれません。
神取忍の現在② 2022年に風間ルミの追悼イベントを開催
神取忍さんは、2022年3月に「風間ルミ追悼イベント~風間祭り(祀り)~」を開催。
2021年に急逝した風間ルミさんは、女子プロレスラーとして活躍し、神取忍さんとともにプロレス団体「LLPW」を設立しました。
2003年にプロレスを引退した後は、タレント活動の傍ら、セクシー女優としてもデビュー。
亡くなる前年も、歌唱対決やプロレス解説といった形でイベントに登場しており元気な姿を見せていたため、突然の死は関係者やファンをはじめとする多くの人に衝撃を与えました。
死因は不明とされていましたが、亡くなる前から体調不良を訴えており、子宮内膜症を患っていたことを明かしています。
神取忍さんは同イベント後に「子宮内膜症、けっして死ぬ病気ではなかったです。すごく悔しいです。すごく残念です」と、号泣しながらその思いを吐露しました。
風間とはね、ジャパン女子入団で、プロレスラーとして右も左もわかんない、同期としてやってきた、いっつも、泣いて、ケンカして、酒飲んでまた喧嘩して、でもあのちっちゃい体でも女子プロレスができる。そういったことをやり、形にして夢を叶えてきました。こんなちっちゃい身体でこのLLPWを形にしてきました。そういったものを決して無駄にすることなく、風間の思いをね、しっかりと受け継いでいきたいと思います。
神取忍の現在③ プライベートでの北斗晶との交流が話題に
神取忍さんは、2022年10月にプロレスラー・井上貴子さんのインスタグラムに登場。
かつて流血試合を繰り広げた北斗晶さんとの3ショットで笑顔を見せており、プロレスファンを中心に大きな話題となりました。
井上貴子は「ジャンボ堀さんの還暦パーティーでおひさしぶりに宇野さん(北斗晶さん)にお逢いする事ができました」とつづり、自身と神取が北斗をはさんで笑顔を見せるスリーショットを投稿した。“デンジャラスクイーン”と呼ばれた北斗は、神取と天敵同士ともいわれ、一騎打ちで激突した1993年4月の試合は、大流血の激闘となった。
あの伝説の試合からおよそ30年後の笑顔の2人に、当時のファンからは多くの喜びの声が寄せられています。
まとめ
神取忍さんは中学3年生の時に始めた柔道でその才能を開花させるも、オリンピック選考会を待たずしてプロレスへと転向。
プロレス団体「ジャパン女子プロレス」に入門すると、かつて「ビューティ・ペア」として名を馳せたジャッキー佐藤さんとの対戦でデビュー。
すぐにジャッキー佐藤さん・ナンシー久美さん・風間ルミさんらとともに四天王として大活躍します。
その後、同団体の経営不振を機に女子プロレス界初のフリーに。契約関連でひと悶着ありながらも、フリーランスとしてジャパン女子プロレスのリングに復帰。
同団体崩壊を機に新たなプロレス団体「LLPW(現在のLLPW-X)」を旗揚げし、現在は同団体の代表を務めつつ、現役プロレスラーとして活躍しています。
また近年では、かつて壮絶な戦いをしてきた天龍源一郎さんや北斗晶さんらと対談やプライベートなどで交流しており、当時のファンにとってはたまらない裏話も語っています。
叶わぬままとなっている、ギャビガルシアさんとの対戦も近いうちに実現してほしいものですね。