デーモン・コア事故の原因と現在!実物画像・被爆量など被害・参加者のその後・現場猫との関係も徹底解説【マンハッタン計画】

「デーモン・コア」の実験事故はアメリカの核兵器開発プロジェクト「マンハッタン計画」の中で起きましたが、現場猫との関係も話題です。

 

今回はデーモン・コアの画像、事故の原因、被爆量など被害、その後や現在までの影響を紹介します。

「デーモン・コア(悪魔の核)」とは 【実物画像も紹介】

 

 

「デーモン・コア」は、アメリカの核兵器開発プロジェクト「マンハッタン計画」の初期に製造された原子爆弾の核分裂性コアであり、未臨界のプルトニウムの塊です。

 

直径は89mmの完全な球状で、重さは6.2kgとなっています。

 

 

「デーモン・コア(悪魔の核)」を使った実験の目的とは

デーモン・コア

出典:https://livedoor.blogimg.jp/

 

1945年8月21日と1946年5月21日の2度にわたって、アメリカ・ニューメキシコ州にある米国エネルギー省傘下の国立研究機関・ロスアラモス研究所での実験中に事故は起こりました。 

 

実験では、日本の広島と長崎に投下された原子爆弾に次ぐ、第3弾の原子爆弾を作る予定でしたが、日本が2発の原子爆弾で降伏したため、実験用へと変更されました。

 

ロスアラモス研究所で行われた「デーモン・コア」を使った実験は、反射板を使って中性子を反射させ、どれくらいの量で臨界状態に近づくかを確認するためのものでした。

 

そのため、実際に炉心が臨界点に近づくので、ちょっとした作業ミスが大事故に繋がる恐ろしい実験でもありました。

 

しかし、1945年と1946年の2回、作業ミスにより臨界状態にしてしまい、大量の放射線が発生する事故が起きたのです。

 

この事故により、ハリー・ダリアンとルイス・スローティンという2人の科学者が急性放射線障害で死亡しています。

 

このことから、このプルトニウムの球状のコアを指して、「デーモン・コア(悪魔の核)」と呼ぶようになりました。

 

 

「デーモン・コア(悪魔の核)」を使った1度目の事故の経緯と原因

 

 

「デーモン・コア」を使った1度目の事故は、1945年8月21日に発生しました。

 

ニューメキシコ州ロスアラモスから約3km離れた場所にあったロスアラモス研究所で、物理学者ハリー・ダリアン博士は、プルトニウムの塊を使った中性子反射体のテストを行ってました。

 

実験では、プルトニウムを臨界点に近づけるための中性子反射体を放射するため、炭化タングステンのブロックを少しずつ積み重ねるというものでした。

 

この炭化タングステンのブロックを積み上げ過ぎると、プルトニウムが臨界点に達し、核分裂反応を起こして大量の放射線が発生するため、細心の注意が必要な危険な実験でした。

 

ハリー・ダリアン博士は慎重に炭化タングステンのブロックを積み上げていきましたが、緊張のせいか、あろうことかブロックをプルトニウムの塊の上に落としてしまいます。

 

一瞬で臨界点を超えたプルトニウムの塊からは、核分裂反応によって大量の放射線が放出され、ハリー・ダリアン博士は約5.1シーベルトという致死量の放射線を浴びてしまいました。

 

これにより、ハリー・ダリアン博士は事故から25日後、急性放射線障害により亡くなっています。

 

なお、このときハリー・ダリアン博士は実験室で1人で実験をしていました。

 

ただ、実験場から3、4メートル離れた場所には特別技術者のロバート・J・へマーリー一等兵が座っていたことがわかっています。

 

 

「デーモン・コア(悪魔の核)」を使った2度目の事故の経緯と原因

1度目の事故から約9ヶ月後となる1946年5月21日の午後、ロスアラモス研究所で同様の実験が行われました。

 

1度目のハリー・ダリアン博士の失敗を受けて、少しのミスも許されない状況であり、2回目の実験は「ドラゴンの尻尾をくすぐるようなものだ」と例えられました。

 

そのため、アメリカ合衆国の国家任務とはいえ、多くの科学者がこの実験への参加を拒否しています。

 

その中で、成功させれば英雄になれるとして、カナダ出身の物理学者ルイス・スローティン博士が名乗りを上げました。

 

博士は同僚から「そんな調子では年内に死ぬぞ」と、忠告されていたようです。

 

1度目の事故と同じミスをしないよう臨んだ実験でしたが、ルイス・スローティン博士と同僚たちは、またしてもミスにより大量の放射線を発生させてしまいます。

 

プルトニウムの球体が炭化タングステンのブロックに触れないようにドライバーを挟み込んでいましたが、ルイス・スローティン博士の手が滑ってしまい、ドライバーが外れてしまいました。

 

即座に臨界点に達したプルトニウムの塊からは、青色のチェレンコフ光が発生したようです。

 

ルイス・スローティン博士は慌てて、臨界状態にある「デーモン・コア」の上半分の球体を叩いて払いのけ、連鎖反応をストップさせました。

 

この対応により、同僚達は致死量の放射線を浴びることは免れました。

 

しかし、ルイス・スローティン博士はわずか1秒の間に21シーベルトという致死量の中性子線とガンマ線を浴びてしまい、放射線障害のため、実験後の9日後に亡くなりました。

 

この時の臨海点を超過した反応度は、ハリー・ダリアン博士の時の4セントに対し、約4倍となる15セントだったため、より致命的だったと言われています。

 

なお、ルイス・スローティン博士の肩越しにプルトニウムの塊を見ていた同僚のアルバム・グレイブスも被爆しています。

 

ただ、大部分をルイス・スローティン博士が遮っていたため、アルバム・グレイブスは少量の放射線で済み、2週間の入院後に退院できました。

 

その他の同僚たちは、デーモン・コアから十分な距離をとっていたため無事でした。 

 

 

「デーモン・コア(悪魔の核)」の実験事故のその後 【被爆量や体調の変化など被害状況を紹介】

 

1946年5月21日の事故後、ルイス・スローティン博士と同僚は、ロスアラモス病院に搬送されました。

 

ルイス・スローティン博士は被爆後、数時間のうちに何度も嘔吐するような症状を見せていたものの、翌日にはその症状は治まっていました。

 

そのため、病状は回復しているとみられていましたが、時間の経過とともにルイス・スローティン博士の左手から麻痺が始まり、痛みも増していきました。

 

その理由は、ルイス・スローティン博士の左手が最も「デーモン・コア」に近い位置にあったため、放射線をより多く浴びたからだと考えられています。

 

ルイス・スローティン博士が右手に浴びた放射線量は、低エネルギーX線で1万5000レムという、人間の致死量の30倍もの放射線だったといいます。

 

さらに、全身には2100レムの 中性子線、ガンマ線、X線を浴びていました。

 

ルイス・スローティン博士の左手は、次第に青白く変色し水ぶくれとなり、右手も左手ほどではないものの同様の症状を呈しました。

 

ちなみに、ルイス・スローティン博士は事故直後に両親に電話をしていたため、事故発生から4日後に両親が病院に駆けつけました。

 

しかし5日目からは、白血球数が劇的に減少し始め、脈も安定しなくなり、ルイス・スローティン博士は激しい嘔吐と腹痛で苦しみながらどんどん体重を落としていきました。

 

そして事件から7日後、ルイス・スローティン博士は精神錯乱状態に陥ります。

 

さらに、低酸素症から唇が青色になったことから酸素テントの中での療養となりましたが、次第に昏睡状態となり、9日目に亡くなりました。

 

ルイス・スローティン博士の死因は、放射線障害として知られる「急性放射線症候群」であり、享年35歳の若さでした。

 

 

「デーモン・コア(悪魔の核)」実験事故の参加者のその後

 

 

ここからは、「デーモン・コア(悪魔の核)」実験の事故直後に亡くなったハリー・ダリアン博士とルイス・スローティン博士の他に、放射線を浴びてしまった同僚達のその後を紹介します。

 

まず、1回目の事故ですが、特別技術者として派遣されていたロバート・J・へマーリーは、3~4メートル離れていたものの、事故から33年後の1978年、急性骨髄性白血病で死去しました。

 

急性骨髄性白血病は、放射能によって誘発される病気であり、原爆が投下された広島や長崎では急性骨髄性白血病が多発したことでも知られています。

 

つまり、原爆を投下された場所と同じくらいの負荷が体にかかったことを証明するものと言えそうです。

 

次に、2回目の事故について見ていきましょう。この時は、事故から9日後に死亡したルイス・スローティン博士の他にも、何人も実験参加者がいました。

 

ルイス・スローティン博士の肩越しに被爆したアルバン・グレイブスは、無事退院したものの、

その後も慢性の神経障害と視覚障害に長年苦しんだようです。

 

そして、事故から19年後となる1965年、スキー中に粘液水腫と白内障を併発し、心筋梗塞が原因で亡くなりました。

 

物理学者だったマリオン・エドワードは、事故から19年後となる1965年に、急性骨髄性白血病で亡くなっています。

 

写真家のドワイト・ヤングは、事故から29年後の1975年に、再生不良性貧血と細菌性心内膜炎で亡くなりました。

 

アルバン・グレイブス、マリオン・エドワード、ドワイト・ヤングの3人は、事故からかなり年月が経った後でも、放射線の影響が色濃い死因と言えるでしょう。

 

その他、物理学者レーマー・エドガー・シュライバーは、事故から52年後の1998年に享年88歳で自然死しました。

 

また、エンジニアのセオドア・パールマンも事故から42年後の1988年6月に、自然死したとみられています。

 

レーマー・エドガー・シュライバーとセオドア・パールマンは、事故と死因の因果関係は不明ですが、もしかしたら存命中は何かしらの症状に苦しんだ可能性も考えられます。

 

ちなみに、ロスアラモス研究所の警備員、プライベート・パトリック・ジョセフ・クリーリーは、事故から4年後の1950年9月3日、朝鮮戦争でアメリカ陸軍第8騎兵連隊に参加し戦死。

 

実験への参加を拒否していた、物理学者サミュエル・アラン・クラインは、事故から55年後となる2001年に死去したようです。 

 

 

「デーモン・コア(悪魔の核)」と現場猫の関係とは

 

 

「デーモン・コア」の事故と、現場猫は元々は関係ありません。

 

しかし、プルトニウムの臨界反応実験をする様子をパロディとして書いた現場猫というイラストがネットで一時期ブームになったんです。

 

現場猫とは、様々な現場で働く猫を描いたもので、この実験紹介でも使用された際、とてもシュールだったことから人気に火がついたようです。 

 

現場猫の元となった画像は、くまみね氏が2016年にツイートした「夜中科学電話相談」が初出。猫が受話器を取り、「どうして夜中に起きてるんですか?」と言っている画像である。これ以降もくまみね氏が電話をかける猫の画像を投稿した。そのうち、自然発生的にこれらの画像が「電話猫」と呼ばれるようになったと思われる。 その後、画像掲示板「ふたば☆ちゃんねる」で電話猫のコラージュ画像が作られるようになった。これが後の「現場猫」誕生につながることになる。

 

引用:現場猫

 

この現場猫の大元は「電話猫」のようですが、現場猫を元に仕事猫が派生するなど、色々な場面で用いられているようです。

 

 

https://twitter.com/nbrs_0160/status/1246851819805929478

 

まとめ

 

原子爆弾に用いる「デーモン・コア」を使い、2名の犠牲者を出した、プルトニウム臨界反応実験についてまとめてきました。

 

第二次世界大戦下、もし日本が長崎に原爆を落とされてもすぐに降伏しなかったならば、今回紹介した実験で用いられたプルトニウムを乗せた、第3弾の原子爆弾が落とされていたようです。

 

広島と長崎は原子爆弾により多大な被害を受けたことは世界中が知るところであり、現在に至っても、まだその後遺症に苦しんでいる方が多数います。

 

第3弾の原子爆弾が実行に移されることがなく、本当に良かったと安堵するのはもちろん、現実に起きていたかと想像しただけでぞっとする思いです。

 

二度と原爆の悲劇を繰り返してはならないものの、現在世界には数万発の原爆が存在しています。

 

「デーモン・コア」の実験事故から、いかに放射線が危険で恐ろしいものかを学び、第2、第3の悲劇が生まれないことを祈るばかりです。 

 

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