昭和を代表するアクション女優・志穂美悦子さんは、シンガーソングライター・長渕剛さんの妻としても話題です。
今回は志穂美悦子さんの若い頃の活躍や身長をはじめ、長渕剛さんとの結婚や馴れ初めや芸能界で活躍する3人の子供、現在の活躍についてもまとめました。
この記事の目次
志穂美悦子のプロフィール〜身長や現在の年齢なども紹介
志穂美悦子のプロフィール
生年月日:1955年10月29日
出身地 :岡山県岡山市東区西大寺
身長 :163cm(ネット情報)
血液型 :A型
志穂美悦子さんは、1970年代から1980年代にかけて活躍した女優です。手足の長いスレンダーな体型でアクション女優として絶大な人気を誇りました。
1955年10月29日生まれで、2020年3月時点で年齢は64歳になります。また、身長はネット上の情報では163cmとされていますが、公式に発表されたデータではなく、本当のところは不明です。
志穂美悦子の経歴
志穂美悦子さんは、子供の頃から運動神経が抜群で、小学生時代から高校生時代まで陸上部に所属し、中学校時代に80メートルハードルで「13秒4」の岡山県歴代2位の記録を出しています。
1968年放送のドラマ「キティハンター」に風間洋介役として出演していたアクション俳優・千葉真一さんに憧れてスタント俳優になりたいという夢を抱きます。
志穂美悦子さんは、高校生時代の1972年に千葉真一さんが主宰する、アクション俳優・スタント俳優に特化した芸能事務所「ジャパンアクションクラブ(JAC)」を受験して合格。
その年のうちに高校を転校(中延学園高等学校)して上京し、翌1973年には、千葉真一さん主演映画「ボディガード牙」にて、主人公・牙直人の妹のマキのアクションの吹き替え役(技斗)に抜擢され、スタント俳優としてのデビューを果たしました。
さらに、翌年の1974年には「女必殺拳」の主人公・李紅竜役に抜擢されます。「女必殺拳」は国内で大ヒットを記録してシリーズ化。志穂美悦子さんは「女必殺拳 危機一髪」「帰ってきた女必殺拳」と立て続けに主演し、一躍アクション女優として絶大な人気を獲得しました。
志穂美悦子さんは、男性アクション俳優顔負けの華麗で激しいアクションで世界的にも知名度を上げ、映画やドラマに次々と出演。年間のブロマイド販売数が数年間連続で1位を記録するなど、国民的アクションスターの地位を獲得します。
1970年代後半からは、アクション性の強い作品以外にも出演の幅を広げ、「やる気満々」「三男三女婿一匹III」などのホームドラマにも出演。アクションができるだけでなく演技力もある実力派女優として高い評価を受けるようになりました。
その後も数々の作品に出演した後、1987年にミュージシャンの長渕剛さんと結婚し、それを機に芸能界から引退し、以降は芸能活動は行なっていません。
志穂美悦子の若い頃の画像まとめ
そんな志穂美悦子さんの若い頃の画像を紹介します。
1974年公開の映画「女必殺拳」での志穂美悦子さんです。この作品がきっかけとなり、志穂美悦子さんはスターアクション女優としての階段を駆け上がりました。
「女必殺拳」の大ヒットを受け製作された続編「女必殺拳 危機一発」での志穂美悦子さんです。
志穂美悦子さんの最高傑作との呼び声も高い1975年公開の映画「若い貴族たち 13階段のマキ」の志穂美悦子さんです。
1976年に出版された映画雑誌「映画情報」の表紙を飾った志穂美悦子さんです。トップアイドル並みにかわいい顔立ちで、世界レベルとも評される本格アクションを演じていたわけなので人気が瞬く間に爆発したのも当然だと言えるでしょう。
1973年放送開始の特撮ドラマ「キカイダー01」の、後半のヒロイン役とも言えるビジンダーことマリ役を演じる志穂美悦子さんです。新人時代の志穂美悦子さんがセンセーショナルなデビューを飾った作品として現在でも度々話題にのぼっています。
志穂美悦子の結婚相手はミュージシャン・長渕剛
アクションスターとして国民的人気を得ていた志穂美悦子さんでしたが、1987年8月29日に、当時同じく国民的なスターだったシンガーソングライター・長渕剛さんとの結婚を発表し、31歳で芸能界を引退しています。
志穂美悦子と長渕剛の結婚会見
結婚を発表するために入籍の2日前に会見を開いた長渕剛さんは「婚姻届を出しといてくれとスタッフに渡した」とぶっきらぼうな様子でコメントし、わずか5分ほどで会見を終了させてしまいました。
その翌日、志穂美悦子さんも会見を開き「昨日の彼は、悪気じゃないのでどうか誤解しないで」とぶっきらぼうな対応をした長渕剛さんをフォローして見せ、「彼のステージを早く子供に見せたいから早く子供を産みたい」「癖のある男だから専業主婦をしたい」とのろける姿も見せています。
志穂美悦子と長渕剛の結婚式
長渕剛さんは、当時、アイドル歌手だった石野真子さんと1981年に結婚したものの2年後の1983年に離婚しており、志穂美悦子さんとは2度目の結婚だった事から当初は結婚式を挙げずに入籍だけで済ませるつもりでいたそうですが、初婚である志穂美悦子さんの希望で結婚式を挙げる事になったそうです。
志穂美悦子さんは「芸能人としてではなく普通の人としてひっそりと」式を挙げたいとして、奈良県天河村の標高620メートルの山奥にある「天河大弁財天社」で、お互いの両親と親しい知人だけが参列する結婚式を、地元の住人にも気づかれないままこっそりと挙げています。
志穂美悦子と長渕剛の馴れ初めとは
志穂美悦子さんと長渕剛さんの馴れ初めは、1986年6月から放送されたホームドラマ「親子ゲーム」での共演でした。
「親子ゲーム」で、長渕剛さんは元暴走族の経歴を持つラーメン屋を営む矢板保役で主演。志穂美悦子さんは、矢板保の恋人役でヒロインの三石加代の役を演じました。
本作は、2人の演じたカップルが元暴走族という設定から度々乱闘級の痴話喧嘩を起こすシーンが見せ場になっていたのですが、その喧嘩シーンの撮影中に、志穂美悦子さんが小指をテーブルにぶつけて骨折するというアクシンデントが発生。
この時、志穂美悦子さんを長渕剛さんが心配し、病院に運ばれる間もずっとそばに付き添っていたのが2人が交際に発展するきっかけになったそうです。
それから3ヶ月後の1986年9月には、写真週刊誌が長渕剛さんの自宅マンションから朝帰りする志穂美悦子さんの姿を激写。この時には、長渕剛さんは「38度の熱が出た僕を彼女が看病してくれただけ」と熱愛を否定していましたが、実際にはこの時既に2人の交際ははじまっていたようです。
その数ヶ月後、1986年12月公開の映画「男はつらいよ 幸福の青い鳥」でも長渕剛さんと志穂美悦子さんは共演し、お互いに惹かれあいなあらも気持ちを伝えられない男女の役を熱演しています。
この映画公開に先立ってインタビューを受けた長渕剛さんは「盛り上がれば結婚ということもある」と志穂美悦子さんと結婚も意識して交際している事を認め、一方の志穂美悦子さんも「私たちの交際は隠れてコソコソするものではない」「いつも堂々と付き合っていたいと思う」と長渕剛さんとの熱愛を認めています。
志穂美悦子と長渕剛の夫婦エピソード
出典:https://www.sponichi.co.jp/
長渕剛さんといえば、1991年に報じられた女優・清水美砂さんとの不倫や、1993年に発覚した女優の国生さゆりさんとの不倫など、女遊びの激しさがよく知られています。
旦那・長渕剛さんの奔放さに、普通であればとっくに離婚を決断していそうなものですが、懐の深い志穂美悦子さんはそれを毎度受け流し、長渕剛さんのイメージに傷がつかないようスキャンダルが出る度に的確に対応させ、奥方として長渕剛さんを支え続けてきました。
こうした経緯もあって、自由奔放でヤンチャなイメージもある長渕剛さんも家庭の中では志穂美悦子さんの尻に敷かれ、おとなしくするようになったのだとか。
長渕剛さんは、テレビやラジオ、雑誌など、様々なメディアで「世の中で一番怖いのは妻」と公言しており、妻を怒らせると「あなた、5階から飛ぶことができる?(アクションスターである自分は5階から飛ぶことなど容易いという意味で)」と真顔で聞いてくるエピソードなども明かしています。
ある時には、志穂美悦子さんが師匠である千葉真一さんに泣きながら電話をかけてきて「どうしよう、長渕を殺しちゃったかも」と助けを求めた事があったそうです。
千葉真一さんが詳しく聞くと、どうやら長渕剛さんとの喧嘩がエスカレートし、志穂美悦子さんは思わず長渕さんの首筋を狙って回し蹴りを放ってしまい、直撃した長渕さんはそのまま倒れて失神してしまったとの事。
これを聞いた千葉真一さんは、あまりに豪快な夫婦喧嘩に思わず弟子の志穂美悦子さんを褒めてしまったんだとか。
志穂美悦子と長渕剛の子供① 長女・長渕文音(あやね)
志穂美悦子さんは入籍時には既に長渕剛さんの子供を妊娠しているのでは?との噂もありましたが、その噂の通り志穂美悦子さんは入籍から約6ヶ月後の1988年3月17日に、第一子となる長女・文音(あやね)さんを出産しています。
志穂美悦子さんの長女・長渕文音さんは、2008年10月公開の映画「三本木馬術高校、馬術部」で主役の菊地香苗役に抜擢されて女優デビューしています。
長渕文音さんはその後、芸名を「文音」とし、2018年の映画「ばあちゃんロード」、2020年公開の映画「いけいけ!バカオンナ」にそれぞれ主演。その他にも映画やドラマ、舞台などを中心に女優業を続けられています。
志穂美悦子と長渕剛の子供② 長男・長渕航(わたる)
志穂美悦子さんと長渕剛さんの2人目の子供として、1989年2月2日に、長男の長渕航(わたる)さんが誕生しています。
長渕航さんは、「WATARU」「WA航RU」の名義でヒッポホップミュージシャンとして活動されています。父親の長渕剛さんと顔立ちがよく似ている事でも話題になっています。
父の長渕剛さんと音楽ジャンルは違いますが、音楽的なセンスや魅力的な声は父親譲りでしょう。
志穂美悦子と長渕剛の子供③ 次男・長渕漣(れん)
志穂美悦子さんと長渕剛さんの3人目の子供として、1994年2月28日に次男の長渕漣さんが誕生しています。
子供時代から車好きだった長渕漣さんは、10代の頃からプロのレーシングドライバーとして活躍しますが、2014年のレース中にクラッシュし、腰椎を損傷する大怪我を負って引退。
レーシングドライバー引退後は、シンガーソングライター「ReN」として活動しています。父譲りの歌唱力と柔らかな歌声を持ち、アコースティックギターを基調としたレベルの高いアレンジの楽曲も注目されています。今後の人気上昇が期待されるミュージシャンです。
志穂美悦子は現在フラワーアーティストとして活躍
出典:https://www.chunichi.co.jp/
男勝りの痛快なエピソードを数多く持つ志穂美悦子さんですが、なんと現在はフラワーアーティスト(花創作家)として活動されています。
2020年2月18日には、東京ドームで開催されたイベント「世界らん展2020-花と緑の祭典-」にゲスト出演し、花を使ったパフォーマンスを披露し、華麗ならんの花を使った繊細な表現と、自身のルーツともいえる俊敏なアクションを組み合わせた斬新なパフォーマンスで、訪れた観客達の視線を釘付けにしました。
志穂美悦子さんんがフラワーアレンジメントの世界に興味を持ったのは2010年の頃だそうで、渋い色合いの作品をプレゼントされて「良いな」と思ったのが本格的に取り組むきっかけだったとの事。
夫の長渕剛さんのコンサート会場を飾る、ウエルカムフラワーも志穂美悦子さんが担当しているそうです。
まとめ
今回は、国内を代表するアクションスターとして活躍した女優・志穂美悦子さんについてまとめてみました。
志穂美悦子さんは、千葉真一さんに憧れてアクション俳優になり、抜群の身体能力とキュートなルックスを武器に瞬く間にアクションスターに上り詰めました。
その後、大人気歌手の長渕剛さんと結婚して芸能界を引退。3人の子供にも恵まれ、現在はフラワーアーティストとして活躍されています。
60代を迎えた現在もエネルギッシュに活躍を続ける志穂美悦子さんの活躍に今後とも注目していきたいと思います。