フリッツル事件の概要とその後!子供の障害や現在・娘エリーザベトや犯人ヨーゼフの犯行動機なども総まとめ

2008年にオーストリアで発覚した「フリッツル事件」は、父親が実の娘を24年間監禁し強姦で7人を出産させた猟奇的な事件です。

 

この記事ではフリッツル事件の概要と犯人のヨーゼフの動機、娘のエリーザベトや子供に残された障害、その後と現在、この事件をモチーフにした映画などについてまとめました。

フリッツル事件の概要① 24年間にわたる実父による娘監禁事件が発覚

 

出典:https://s.france24.com/

 

フリッツル事件は、2008年4月にオーストリアで発覚した実の父親による娘の監禁事件です。

 

犯人のヨーゼフ・フリッツル(Elisabeth Fritzl)が、実の娘のエリーザベト(Elisabeth)を18歳から24年間にわたって自宅の地下室に監禁し、さらに、その24年間に実の娘を何度も強姦して7人もの子供を出産させた猟奇的な事件として日本でも大きく報じられました。

 

まずはこのフリッツル事件の概要を事件の発覚から順番に見ていきます。

 

 

 

犯人の孫娘・ケルスティンが病院に搬送される

 

2008年4月19日午前7時頃、オーストリア北東部に位置するニーダーエスターライヒ州の小さな町、アムシュテッテンの救急センターに、ヨーゼフ・フリッツルと名乗る男から、19歳になる娘・ケルスティンの容態が悪いという電話が入りました。

 

ケルスティンはこの時、意識不明の状態で生死の境を彷徨っているような状態で、すぐに救急車で地元の病院へと搬送されます。病院では命に関わるほどの重篤な腎不全との診断が出ています。

 

救急に連絡をした男、ヨーゼフ・フリッツルも少し後に病院に駆けつけ、自分はケルスティンの祖父で、ケルスティンの母親で自分の娘であるエリーザベトは、何年も前にカルト宗教団体に入って家出していて一緒に暮らしていないと説明しました。

 

そして、ヨーゼフは、そのエリーザベトからの手紙だとして「娘を助けてください。彼女は人見知りが激しく、これまで1度も病院を訪れた事がない、酷く怯えていると思うので優しくしてください」と書かれた紙を医師に手渡しています。(この手紙はヨーゼフがエリザーベトに命令して書かせたものだった)

 

さらに、ヨーゼフは補足するように、医師に「娘のエリーザベトには家出癖があり、子供達を置いて行ってしまうのだ」とぼやくように伝えました。

 

 

担当した医師が異常性に気がつく

 

この時、ケルスティンの治療を担当した医師の1人が、ケルスティンに歯が一本もない事に不審を抱き、母親のネグレクト事件ではないかと疑って警察に通報しています。

 

警察はこの通報を受けて、母親のエリーザベトの行方を捜索しますが、全く手がかりを得られずに捜査はすぐに手詰まりの状態になってしまいます。

 

ネグレクトを疑う医師は、ケルスティンの治療のためにも母親の話を聞く必要があると考え、2日後の21日にテレビのニュース番組に出演して事のあらましを話し「これまでの病歴などを知りたいので連絡をください」と、母親に向けて呼びかけました。

 

 

エリーザベトが児童虐待とネグレクトの疑いで警察に連行される

 

それから5日後の26日、ヨーゼフは妻のロゼマリア(Rosemarie)に「医師の呼びかけを見たエリーザベトが帰ってくると連絡があった」と伝えた後、妻のロゼマリアにエリーザベトを会わせています。母子の再会は24年ぶりでした。

 

その後、エリーザベトはヨーゼフと共に、ケイルスティンが入院している病院へと向かいました。そして、医師が警察に連絡し、エリーザベトは児童虐待とネグレクトの疑いで取り調べのために警察署に連行されます。

 

エリーザベトはしばらくの間、口を閉ざして何も語りませんでしたが、夜更ごろになって「私は子供を置き去りにしたり、ネグレクトをした事など1度もない、私はずっと父に監禁されていた」、「もし、父親と2度と会わないようにしてくれるのなら全てを話す」と、衝撃的な内容を話し始めました。

 

フリッツル事件での衝撃的な監禁事件の内容については次の見出しで紹介します。

 

 

 

フリッツル事件の概要② エリーザベトが父からの強姦と監禁を告発

 

出典:https://cdn.getshifter.co/

 

続けて、フリッツル事件の具体的な内容を見ていきます。

 

エリーザベトが父親による監禁と強姦を供述

 

怯えた様子を見せるエリーザベトに、警察は「身の安全を保証する」と約束しました。すると、エリーザベトは堰を切ったように24年間の監禁生活について2時間ノンストップで話し始めたという事です。

 

エリーザベトは、彼女が18歳の頃(1984年8月28日)に、実父のヨーゼフが自宅地下室を改造して作った監禁部屋に閉じ込められ、それ以来ずっと監禁されていた事、さらに、父親から何度も繰り返し強姦され、1986年から2002年までの間に8人の子供を妊娠し7人を出産した事(1人は流産)などの衝撃の内容を警察に語りました。

 

警察はそのあまりに衝撃的な内容に驚きますが、エリーザベトの身なりや健康状態などから、長期間にわたって監禁されていた可能性が高いと判断し捜査を開始しました。

 

この2008年4月26日中には、犯人のヨーゼフ・フリッツルは、不法監禁、強姦、過失致死、近親相姦などの容疑で逮捕されています。

 

警察による家宅捜索で地下の監禁部屋が発見される

 

出典:https://allthatsinteresting.com/

 

この供述の翌日の4月27日、警察はヨーゼフ・フリッツルの自宅の家宅捜索をしています。

 

ヨーゼフの自宅はコンクリート造の2階建で広い庭と屋上庭園付きの、この地域では一般的な家でした。しかし、この家には地下室があり、そこがエリーザベトとその子供達の監禁部屋になっていたのです。

 

地下室は、エンジニアをしていたヨーゼフが仕事場として使っている事になっていましたが、ヨーゼフはこの地下室を違法に地面を掘削して増築していました。

 

出典:https://pds.exblog.jp/

 

この地下室に降りると、狭い幅の5メートルほどの長さの通路があり、その回廊に接続して4つの地下室と、それと通路をつなぐ8つの鍵付きドア(うち3つは暗証番号が必要な電子錠が取り付けられていた)があり、まるで迷路のような構造になっていました。

 

一番奥にある8つ目のドアは、飾り棚の後ろに隠されており、その奥に広さ55平方メートル、天井の高さは1.7メートルの監禁部屋が作られていました。この監禁部屋にはホットプレートを置いた台所、ユニットバス、冷蔵庫やテレビなども設置されていました。

 

さらに、その奥には2つの寝室が設けられ、それぞれ2つのベッドが置かれていました。

 

犯人のヨーゼフ・フリッツルは、この地下の監禁部屋を1978年に作り始めています。当時は被害者のエリーザベトは11歳でしたが、この頃からヨーゼフはエリーザベトへの性的な虐待を始めています。エリーザベトはそうした父からの虐待に耐えかね、16歳の頃にウィーンへと家出していますが、すぐに警察に保護され連れ戻されています。

 

そして、エリーザベトは18歳になった1984年に、父のヨーゼフによってこの地下室に監禁され、2008年に事件が発覚するまでの24年間をこの監禁部屋で過ごす事になりました。

 

監禁の最初の2日間、エリーザベトは手錠をかけられ、最初の6ヶ月の間は自力でトイレに行ける程度の長さのチェーンで繋がれていた事も明らかになっています。

 

エリーザベトは監禁された当初、大声で叫んで助けを求めていますが、誰もそれに気がつく者はありませんでした。また、父親からの地下室に毒ガスを流し込む、ドアに触れれば感電して死ぬなどと言われて脅された事もあり、エリーザベトは脱出を数日であきらめ、その後は父の言いなりのようになっていたようです。

 

また、エリーザベトの母親のロゼマリアは、夫のヨーゼフの「エリーザベトはカルト宗教に入信して家出した」という説明を信じてしまい、エリーザベトが姿を消した事に疑問を抱きませんでした。

 

加えて、犯人のヨーゼフは、監禁しているエリーザベトに強制的に両親宛の手紙を書かせる、音声を録音させて、電話でその音声を母親に聞かせるなどして、家出していると思い込ませる工作も行っていました。

 

 

フリッツル事件の概要③ ヨーゼフの強姦で生まれたエリーザベトの子供達

 

出典:https://miro.medium.com/

 

犯人のヨーゼフ・フリッツルは、実の娘のエリーザベトを24年間にわたって監禁していただけでなくエリーザベトを何度も強姦して7人もの子供を出産させました。

 

そして、ヨーゼフ・フリッツルは、そのうちの3人の子供を娘がどこかで出産して育てられなくなって実家に置いて行ったように偽装して、妻のロゼマリアに育てさせています。残りの3人の子供は、地下でエリーザベトと共に監禁し続けました。(1人は生まれて間も無く死亡し、遺体はヨーゼフが庭で火葬した)

 

フリッツル事件でのエリーザベトの出産と子供達

 

1986年11月、エリーザベトは父親のヨーゼフに強姦された事で妊娠した子供を妊娠10週目で流産しています。

 

1988年8月30日、監禁されてからちょうど4年目頃にエリーザベトは父親のヨーゼフに強姦された事で妊娠した1人目の子供を出産しています。エリーザベトはこの子供を地下で1人きりで出産しています。この1人目の子供は女の子でケルスティン(Kerstin)と名付けられ、母のエリーザベト共に2008年まで監禁されました。

 

この出産後も、ヨーゼフは態度を変えずにエリーザベトを強姦する事を止めませんでした。

 

1990年2月1日、エリーザベトが2人目の子供の長男・シュテファン(Stefan)を出産します。彼もまた2008年まで監禁されました。

 

1992年8月29日、エリーザベトが3人目の子供で次女のリザ(Lisa)を出産。ヨーゼフは、彼女を生後9ヶ月で家の外に段ボール箱に入れて置き、エリーザベトに「育てられないので子供の世話を頼みます」という内容の手紙を書かせ、妻のロゼマリアを騙して養育させています。

 

1994年2月26日、エリーザベトが4人目の子供の三女のモニカ(Monika)を出産します。モニカもまた、生後10ヶ月で家の外に置かれ、エリーザベトの捨て子として養育されています。この時、ヨーゼフは、エリーザベトに母のロゼマリア宛に子供の養育を頼む内容の音声を録音させ、電話をかけてその音声をロゼマリアに聞かせるなどの工作を行っています。

 

1996年4月28日、エリーザベトは双子の男の子を出産。双子のうち1人は生後3日ほどで死亡し、ヨーゼフによって庭で火葬されています。双子のもう1人はアレクサンダー(Alexander)と名付けられ、1歳3ヶ月の時にリザとモニカと同じように、捨て子として育てられています。

 

2002年12月16日、エリーザベトが7人目の子供、フェリックス(Felix)を出産。この子供は、ロゼマリアがこれ以上子供を育てるのは無理だという判断から、そのまま地下に監禁されました。

 

フリッツル事件の犯人で父親のヨーゼフ・フリッツルの生い立ちと性犯罪歴

 

出典:https://www.thesun.co.uk/

 

フリッツル事件の犯人・ヨーゼフの生い立ちと経歴

 

フリッツル事件の犯人のヨーゼフ・フリッツルは、1935年4月9日に、事件のあったアムシュテッテンで生まれました。

 

父親のヨーゼフ・フリッツル・シニア(西洋圏では父親と同じ名前をつける事はよくある)は、ヨーゼフが4歳の頃に家族を捨て家を出ており、その後は一切連絡をとっていないという事です。その後、この父親は第二次世界大戦でドイツ国防軍の兵士として戦い、1944年に戦死しています。

 

ヨーゼフは母親のマリアは、幼い頃のヨーゼフを虐待していたとされています。この母・マリアは1980年に死亡しています。

 

ヨーゼフ・フリッツルはHTL工科大学で電子工学を学び、オーバーエスターライヒ州リンツ市のヴォーストアルピナ(Voestalpine)という鉄鋼会社でエンジニアとして働き始めています。ちょうどその頃の1956年、21歳の時にヨーゼフは、当時17歳だった妻のロゼマリアと結婚しています。

 

2人の間には2人の息子と5人の娘がいました。その第4子が1966年4月6日に生まれたエリザーベトでした。

 

ヨーゼフは1969年から1971年まで、アムシュテッテンの建設資材会社に勤めています。その後は、技術機器のセールスマンになり、その仕事でオーストリア中を回ったようです。

 

ヨーゼフはその後、セールスマンの仕事を辞め1972年に、モンド湖畔のキャンプ場を購入し、1996年まで経営していました。ヨーゼフは60歳になった1995年には表立った仕事からは引退しましたが、その後も所有する不動産の貸し出しなどのビジネスを続けていたようです。

 

フリッツル事件の犯人・ヨーゼフには性犯罪歴があった

 

フリッツル事件の犯人のヨーゼフには実は性犯罪歴がありました。

 

1967年、ヨーゼフはリンツに住む当時24歳の看護師の家に彼女の夫の不在中に侵入し、ナイフを突きつけて脅して強姦しています。この罪でヨーゼフは禁固18ヶ月の刑に処されています。また、同じ年には別の当時21歳の女性の強姦未遂の容疑者にもされています。

 

しかし、オーストリアでは10年で表立っての犯罪記録を抹消するという法律があるので、フリッツル事件のあったアムシュテッテンには、彼が性犯罪者である事を知る者はいませんでした。

 

ヨーゼフは、1977年頃から当時11歳の実の娘エリーザベトへの性的虐待を始めたとされています。

 

 

フリッツル事件の犯人・ヨーゼフ・フリッツルの犯行動機

 

出典:https://static.standard.co.uk/

 

フリッツル事件は、犯人のヨーゼフ・フリッツルが、実の娘のエリーザベトを24年間も自宅地下に監禁し、その間に強姦を繰り返して7人もの子供を出産させるという理解不能な事件でしたが、この犯人・ヨーゼフの犯行動機は何だったのでしょうか?

 

ヨーゼフはその犯行動機について、裁判や取り調べなどで、「娘のエリーザベトが10代になって、様々な規律を破るようになった。それを見た私は、彼女を外の世界から隔絶し、保護し監視する必要を感じた。」などと語っていたようです。

 

つまり、ヨーゼフは10代になったエリーザベトが自分が思う社会の規律の元から離れ、自由に生きようとする事に対して抵抗感やら危機感やらを感じたのが動機だという事のようです。

 

まるで、実の娘を監禁したのは親としての愛情ゆえだと言っているかのようですが、24年間監禁しただけでなく、彼女を何度も強姦して7人もの子供を出産させている事実がある以上、このヨーゼフという男が、自らの狂った欲望を満たすために犯行に及んだと見る方が納得がいきます。

 

フリッツル事件の捜査の指揮をとった主任捜査官は、ヨーゼフの犯行動機について、以下のように語ったそうです。

 

ポルツァー主任捜査官は監禁の動機について、これまで暮らしてきた家族との生活を、若く美しい女性との間で再現することにあったとする見方を示した。

 

引用:オーストリア「恐怖の家」監禁事件、犯行の6年前から計画か

 

つまり、ヨーゼフは実の娘のエリーザベトと、自分がこれまでに妻や子供達と送ってきた結婚生活を再現しようとしたのが動機だとの見解を示したという事です。

 

この捜査官はヨーゼフへの取り調べも行っているので、おそらくヨーゼフ本人がそのような内容を供述したのではないかと想像されます。これが本当の犯行動機だとすれば、あまりにもおぞましいとしか言いようがありません。

 

逮捕後の精神分析では、ヨーゼフには統合失調症や境界性人格障害などのパーソナリティ障害がある可能性なども報告されています。

 

 

 

フリッツル事件の被害者の子供達には監禁生活と近親相姦に起因する障害が

 

フリッツル事件では、エリーザベスが産んだ7人の子供達も大きな被害者となりました。

 

父親と娘の近親相姦によって生まれた子供達には、それに起因するいくつかの遺伝的な障害を抱えている事も発表されています。

 

さらに、生まれてからずっと日光の当たらない地下室に監禁された3人の子供達は、極度のビタミンD欠乏症と貧血の症状があり、また、子供のうち1人には視覚と聴覚の障害も見られるという報告も出ています。

 

また、長男のシュテファンは身長が高く、地下室でずっとかがんで生活していたため、適切に歩く事ができないという障害を抱えました。

 

24年間監禁されたエリーザベトにもこの年月の苦痛によっていくつかの精神的、身体的な障害が残され、監禁生活から解放された当時42歳のエリーザベトは、当時68歳だった自身の母親のローズマリアと変わらない年齢に見えるほど老けて見えたそうです。

 

 

 

フリッツル事件をモチーフにした映画「Room」

 

出典:https://hm-hm.net/

 

2015年に公開され、アカデミー賞にもノミネートされた映画「Room」は、このフリッツル事件をモチーフにして製作された映画です。

 

フリッツル事件をそのまま再現した映画ではありませんが、ある女性が7年間監禁され、その監禁の中で生まれた5歳の息子のためにその密室から脱出。その後、彼女達が7年間も隔絶された社会に苦しみながらも適応していく過程が描かれます。

 

映画は悲惨さを乗り越えて感動的に終わりますが、実際のフリッツル事件はあまりにも救いのない事件であり、この映画のように感動的な側面は全く存在しないだろうなというのが、実際のフリッツル事件を知った上で観た感想です。

 

単純に映画としては、息子のジャック役のジェイコブ・トレンブレイの演技が素晴らしく、観る価値のある映画だと思います。

 

 

フリッツル事件の犯人・父親のヨーゼフ・フリッツルのその後と現在

 

フリッツル事件の犯人のヨーゼフはその後、この事件で裁判を受けて2009年3月19日に終身刑を言い渡されています。ただ、終身刑とはいってもオーストリアには仮釈放制度があり、釈放される可能性があります。この判決には少なくとも15年は仮釈放は認められないという条件がつけられており、2021年2月の現在、ヨーゼフはまだ刑務所に収監されています。

 

ヨーゼフは現在、オーバーエスターライヒ州にあるカルステン刑務所の精神疾患を持つ犯罪者が収容される特別な区画に収監されているという事です。起こした事件の異常性もあって、虐待を避けるために他の服役囚からは離されて収監されているとの情報も報じられています。

 

 

フリッツル事件の犠牲者のエリーザベトとその子供達のその後と現在

 

フリッツル事件の犠牲者であるエリーザベトとその子供達のその後や現在も注目されています。

 

まず、意識不明の重体で病院に搬送され、事件発覚のきっかけとなった長女のケルスティンですが、彼女の容態はその後無事に回復しています。

 

エリーザベトとその子供らは、マスコミなどの好奇の目から避けるために、隠れ場所を提供されていましたが、2009年3月にイギリス人のパパラッチにその場所に侵入され、その場所からの退去を余儀なくされています。

 

隠れ場所から退去した後、エリーザベトとその子供らは事件で負った傷のケアのために精神科に収容された後、オーストリア北部の無名の村に厳重にガードされた隠れ家を提供され、そこで生活を始めています。

 

ヨーゼフの妻のロゼマリアはアパートで一人暮らしをし、彼女に養育された3人の子供(監禁を免れた3人の子供)らは、定期的に彼女のもとを訪問する事が認められているという事です。

 

2009年6月、エリーザベトが、彼女と家族らをガードする役目のトーマス・ワーグナーという23歳年下の男性と恋に落ち、一緒に暮らし始めた事が報じられています。

 

2021年1月には地元のニュースメディアがエリーザベトはこのパートナーと現在も一緒に住んでおり、子供達との関係も良好で静かに生活していると報じています。

 

フリッツル事件のあった家は、2016年に起業家によって購入され、監禁現場の地下室はコンクリートで埋められ、月額500ユーロの賃貸物件になっているという事です。

 

 

まとめ

 

今回は、2008年にオーストリアで発覚し、世界中に報じられた父親による実の娘監禁事件「フリッツル事件」についてまとめてみました。

 

フリッツル事件は、オーストリアのアムシュテッテンという町に住む、ヨーゼフという男が、実の娘を18歳から24年間にわたって自宅地下室に監禁し、強姦を繰り返して7人もの子供を出産させた事件です。

 

ヨーゼフは事件発覚後に逮捕され、終身刑を言い渡され現在も収監されています。被害者のエリーザベトとその子供らは、現在はオーストリアで静かに暮らしているようです。

 

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