ミステリー界の女王と言われた山村美紗さんですが、人気推理小説家の西村京太郎さんとの関係も話題です。
今回は山村美紗さんの経歴、家族・家系図、旦那との結婚や子供(娘)、西村京太郎さんとの関係、自宅、死因や遺産を紹介します。
この記事の目次
山村美紗は日本のアガサ・クリスティ
出典:prtimes.jp
山村美紗
生年月日:1931年8月25日
没年月日:1996年9月5日
出身:京都府京都市
職業:推理小説家
山村美紗さんは推理小説家です。
1974年に『マラッカの海に消えた』でメジャーデビューして以降、たくさんの推理小説を発表し、次のような異名を持っていました。
・トリックの女王
・日本のアガサ・クリスティ
1996年、帝国ホテルのスイートルームで執筆中に亡くなりました。
山村美紗の経歴
出典:amazon.co.jp
山村美紗さんは、1931年に京都府京都市で生まれました。
しかし、父親が「朝鮮総督府京城法学専門学校校長事務取扱」という役職に任じられていたため、1945年の終戦まで朝鮮の京城(現在のソウル)に住んでいました。
そのため、中学生までは朝鮮にある学校に行っていたようです。
・京城第一公立高等女学校
終戦後は日本に帰国しましたが、一時期は喘息がひどく、家で臥せっていた時期もありました。
1957年に京都府立大学女子短期大学部文学部国文科を卒業し、京都市立伏見中学校で国語教師をしていましたが、1964年に退職。
1967年頃から小説を書くようになり、1974年に『マラッカの海に消えた』で作家としてメジャーデビューを果たしています。
・1971年:『死体はクーラーが好き』で小説サンデー毎日新人賞候補
・1972年:『死の立体交差』で第18回江戸川乱歩賞候補
・1973年:『ゆらぐ海溝』で第19回江戸川乱歩賞候補
・1983年:『消えた相続人』で第3回日本文芸大賞
・1992年:第10回京都府文化賞功労賞受賞、京都府あけぼの賞受賞
山村美紗さんの作品は女性が主役・探偵役であることや、舞台は京都が多いことが特徴で、次のような作品シリーズが有名です。
・葬儀屋・石原明子シリーズ
・祇園舞妓・小菊シリーズ
・女検視官・江夏冬子シリーズ
・不倫調査員・片山由美シリーズ
・看護婦・戸田鮎子シリーズ
・推理作家・池加代子シリーズ
・税関検査官・今井陽子シリーズ
・推理作家・ニュースキャスター・矢村麻沙子シリーズ
・女子大生ホステス・小川麻子シリーズ
・推理小説作家・沢木麻沙子シリーズ
山村美紗さんの作品は、テレビの2時間ドラマなどでたくさん映像化されています。浅野ゆう子さんやかたせ梨乃さん、伊藤蘭さん、片平なぎささんなどが主役を演じました。
山村美紗の家族・家系図
山村美紗さんの家系図・家族を見ていきましょう。
・母親:みつ
・妹:2人
・弟:木村汎
山村美紗さんの父親は民法学者で、京都大学名誉教授の木村常信氏です。
太平洋戦争中は、日本統治下の朝鮮・京城の「法学専門学校校長事務取扱」として、朝鮮で勤務していました。
山村美紗さんは4人姉弟の長女で、妹が2人、弟は政治学者の木村汎氏です。北海道大学の名誉教授であり、2016年には瑞宝中綬章を受勲し、同年に第32回正論大賞を受賞しました。
山村美紗さんの家族は、学者が多いんですね。
また、家系図を見るとわかりますが、山村美紗さんと俳優の船越英一郎さんは遠い親戚にあたります。
山村美紗さんの「狩谷警部シリーズ(TBS)」に船越英一郎さんが主演しているのを見ると、何かしらの縁・運命を感じますね。
山村美紗が結婚した旦那は山村巍
山村美紗さんが結婚した旦那は、山村巍氏です。
山村美紗(旧姓・木村)さんと山村巍氏が結婚したのは1957年のことでした。
山村巍氏は1928年に大阪府大阪市で生まれ、1948年に立命館大学理工学部を卒業しています。
大学卒業後は京都市の中学校で数学教師をしていて、京都市立伏見中学校で山村美紗さんと出会い、結婚しました。
旦那の山村巍氏の存在は、山村美紗さんの編集者ですら知らないこともあったそうです。
また、「不仲で別居」といわれ、美紗さんの生前は編集者ですら存在を知らなかった夫との関係は、実は世間でいわれていることと違うのを知りました。 巍さんは、とても穏やかで紳士的な方で、ただひたすら美紗さんを献身的に支え、「陰の存在」に徹しておられました。
山村美紗さんと旦那の山村巍氏は京都で近所に住んでいましたが、別居していました。
そんな山村巍氏は1962年からは東山高校の教員として働き、1994年に退職後は画家に転身しています。
・2002年:東郷健氏から人物クロッキーを学ぶ
・2005年:彫刻家・川村幸久氏に師事する
それぞれ、グループ展などに出展し、2006年には個展を開催し、その後も個展を開くなど本格的に画家として活動しています。
山村美紗さんが亡くなった後に画家活動を始めていて、山村美紗さんの肖像画を中心に創作活動をしていました。
https://www.instagram.com/p/CTpVvEHvFOb/
現在は、山村巍氏は山村祥さんという女性と再婚されています。2022年で14回目の結婚記念日とのことですので、2008年に再婚されたようです。
再婚された時の年齢は、夫の山村巍氏は80歳、再婚相手の山村祥さんは40歳という超年の差婚でした。
山村祥さんもアーティストで創作活動をしていて、現在は夫婦で個展などを開いています。
山村美紗さんが亡くなってから10年以上経ってからの再婚ですので、何の問題もありません。
ただ、40歳差の超年の差婚で、しかも山村美紗さんの莫大な遺産を夫の山村巍氏が相続していることなどを考えると、「遺産目当ての再婚かな?」とうがった見方をしてしまいます。
もちろん、アーティスト同士で才能に惹かれたという可能性も十分にあります。
また、再婚相手の山村祥さんのInstagramを見ていると、山村巍氏も山村祥さんも幸せそうで、素敵なご夫婦に見えます。
山村美紗の子供(娘)は2人
山村美紗さんは2人の子供を出産しています。2人とも娘です。
・次女:山村真冬(山村紅葉の7歳年下1967年生まれ?)
山村美紗さんは長女を出産した後も、教員として働いていました。
ですが、紅葉さんが4歳の頃に子育てに専念するために教員を辞め、小説を書き始めました。
山村紅葉は2時間ドラマのサスペンス裏女王
山村紅葉
生年月日:1960年10月27日
出身:京都府京都市
身長:156cm
所属:山村美紗オフィス、東宝芸能
血液型:A型
活動:女優
山村美紗さんの娘である山村紅葉さんは、2時間ドラマのサスペンス裏女王と呼ばれる女優さんです。
・幼稚園:京都教育大附属幼稚園
・小学校:京都教育大附属桃山小学校
・中学校:京都教育大附属中学校
・高校:京都教育大附属高校
・大学:早稲田大学政経学部経済学科卒業
山村美紗さんの娘ですから、生粋のお嬢様で、親のコネだけで生きているタイプかと思いきや、そんなことはありません。
山村紅葉さんは東大受験に挑むも失敗し、早稲田大学に進学しました。
学生の頃は「思い出作りに」という理由で、山村美紗さん原作のドラマに出演していましたが、大学卒業後は国税庁国税専門官試験に合格。
大阪国税局で国税調査官として働き、財務省のキャリア官僚と1987年に結婚して、専業主婦になります。
しかし、女優としての出演依頼が相次いだため、女優として本格的に復帰します。
夫が海外に転勤になった時は一緒についていく必要がありましたが、1年前から女優の仕事が入っていたため、夫は単身赴任をすることもありました。
山村美紗さんの作品を中心に出演しているので「親の七光り」と思われがちですが、実際は公務員から専業主婦になったけれど、オファーが多かったために女優になったんです。
山村紅葉さんは主役ではありませんが、サスペンス2時間ドラマへの出演がとんでもなく多いために、「サスペンス裏女王」と呼ばれています。
そんな娘の活躍を、山村美紗さんは応援していたとのことです。
「私が舞台をやったときは、観に行かないって言っていたのに、亡くなったあとに関係者に頭を下げてチケットを配っていたと聞いたときは、涙が流れました」
テレビ局のプロデューサーに「紅葉は私のコネで出ている女優だから、私が原作いっぱい書かないと」と話していた美紗さんは、知り合いの俳優らに会えば“娘をお願いします”と頭を下げていたのだ。
引用:「紅葉のために、原作を書き続けねば」。山村美紗が死ぬまで原稿に向かっていた理由。 (2013年1月29日) – エキサイトニュース(2/2)
山村紅葉さんが女優に戻った経緯を見ると、親の七光りとは言い難い部分はあります。でも、出演作品を見ると、山村美紗さんのコネだと思えます。
ただ、山村美紗さんの死後20年経っても、山村紅葉さんが2時間ドラマやバラエティ番組に出演し続けています。
単なるコネだけではなく、自分の実力も兼ね備えている不思議な女優さんであると言えるでしょう。
山村美紗と西村京太郎の関係① 交流のきっかけ
出典:prtimes.jp
山村美紗さんと西村京太郎さんは特別な関係だったと言われています。
山村美紗さんはミステリー界の女王と呼ばれ、西村京太郎さんはトラベルミステリーを得意とする大御所の推理小説作家です。
この2人は、ただの作家仲間ではなかったんです。まずは、2人の出会いから見ていきましょう。
山村美紗さんと西村京太郎さんが出会ったのは、山村美紗さんのファンレターがきっかけでした。
「僕がまだ、そんなに売れていないころ、初めてファンレターをくれた人」が山村さんだったとなれそめ明かした。
山村美紗さんが西村京太郎さんのファン第1号だったなんて、すごい縁ですよね。
そして、西村京太郎さんがお見合いに失敗したのをきっかけに、山村美紗さんに電話をしたそうです。
見合いがダメになって暇になったので、山村さんに京都を案内してもらえるかと電話してみたら、電話に出たので、京都駅前で初めて会いました。以前、『夏休みを利用して北海道を一人でドライブします』というハガキをもらっていたので、文面からてっきり女子大生とばかり思っていた。ところが、会ったら人の奥さんだった。
「お見合いに失敗して、女子大生だと思っていた山村美紗さんに電話した」というのは、西村京太郎さんは山村美紗さんをちょっと狙っていたということがうかがえるエピソードですよね。
当時はまだ山村美紗さんは学校の先生をしていた頃ですから、2人の出会いは1960年代前半だったと思われます。
山村美紗と西村京太郎の関係② 自宅は隣
山村美紗さんと西村京太郎さんは、京都の自宅が隣同士でした。
山村美紗さんは京都の東山にある高級料亭旅館に食事をしに行った時、その料亭をとても気に入り、自宅として買い取りたいと申し出ました。
すると、その料亭は「本館と別館を両方買い取ってくれるなら」という条件付きで、山村美紗さんに売ることを了承したんです。
しかし、本館・別館どちらも購入すると、山村美紗さん的には予算オーバーだったため、山村美紗さんは西村京太郎さんに「半分買ってほしい」とお願いして、共同購入することにしました。
これが1978年のことです。
本館を山村美紗さんが所有し、別館を西村京太郎さんが所有していました。本館と別館は渡り廊下でつながっていたとのことです。
隣同士というか、同じ敷地内に住んでいたということからも、山村美紗さんと西村京太郎さんの関係は「ただの作家仲間」ではなく、特別な関係であったことがうかがえます。
山村美紗と西村京太郎の関係③ 恋人だった?噂と真相
出典:jiji.com
プロポーズしたことも!?
山本美沙さんと西村京太郎さんの関係は、恋人同士だったいう噂があります。
というか、山村美紗さんと西村京太郎さんの恋人関係は、公然の秘密だったようです。
「西村先生は山村先生のことを『好きだった』と明言しており、我々の間では、恋仲であることは”公然の秘密”でした。同時に作家としては無二の盟友。不思議な関係でした。」
ただ、山村美紗さんは1957年に山村巍氏と結婚していますので、2人が本当に恋人同士だったのなら、山村美紗さんは不倫をしていたということになります。
西村京太郎さんは、山村美紗さんが既婚者であることを知らずに、プロポーズしたことはあったそうです。
恋人関係は否定しながらも「でも、プロポーズしたことはありますよ」。
プロポーズをしていたということは、西村京太郎さんは山村美紗さんを好きだったことは間違いなさそうです。
隣同士の自宅で同棲していた説もある
山村美紗さんと西村京太郎さんは、1978年に京都市の東山にある高級料亭だった場所で本館と別館に分かれているものの、渡り廊下でつながっている家に住むことになりました。
この2人の隣同士の生活は、「事実上の同棲生活」と言われていました。
でも、山村美紗さんには結婚した旦那がいました。旦那が一緒に住んでいれば、「同棲」とは言われないはずですよね。
そうなんです。この京都の自宅には旦那さんの山村巍氏は住んでいませんでした。だから、編集者も山村巍氏の存在を知らなかったのです。
では、山村巍氏はどこに住んでいたのか?なんと、向かいのマンションに住んでいたとのことです。
ふたりの家は地下でつながっていたとも書かれています。一方、夫はその向かいのマンションに住んでいる。
山村美紗さんと西村京太郎さんは、隣同士で渡り廊下でつながっている元高級料亭に住み、旦那の山村巍氏は向かいのマンション・・・。うーん、不思議な三角関係です。
旦那公認の関係だったのでしょうか。
売れっ子作家は、凡人にはわからないような感覚があったのかもしれません。
山村美紗の娘・山村紅葉は西村京太郎の子供説あり
山村紅葉さんは、西村京太郎さんと山村美紗さんの子供であるという噂があります。
これは、山村美紗さんと西村京太郎さんが「恋人同士で同棲している」という公然の秘密の仲だったことが大きく関係しています。
また、山村紅葉さんは西村京太郎さん原作の2時間サスペンスドラマにもたくさん出演しているからです。
山村美紗さんの娘が、西村京太郎さんの原作のドラマにあんなにたくさん出演しているのは、子供だからではないか?と言われるようになりました。
ただ、時系列をたどっていくと、山村紅葉さんは西村京太郎さんの娘ではないことがわかります。
山村紅葉さんは、山村美紗さんと西村京太郎さんが出会う前に生まれているからです。
・1960年:山村紅葉誕生
・1960年代前半:山村美紗が西村京太郎にファンレター
・1960年代前半:西村京太郎が山村美紗に電話して初めて会う
西村京太郎さんは1961年に初めて短篇が『宝石』に掲載され、1963年に『歪んだ朝』で第2回オール讀物推理小説新人賞を受賞しデビューしています。
山村美紗さんは西村京太郎さんに初めてファンレターを送った人ですから、ファンレターを送ったのは1961~1963年頃と推測できます。
山村紅葉さんは1960年に生まれていますので、西村京太郎さんが父親であるというのはあり得ません。
山村紅葉さんが西村京太郎さん原作のドラマにたくさん出演していたのは、西村京太郎さんのコネがあったことは間違いないと思います。
ただ、「自分の子供だから」という理由ではなく、「愛する山村美紗の娘だから」という理由だからと思われます。
山村美紗の死因は?
山村美紗さんは、1996年9月5日に65歳の若さで亡くなりました。死因は心不全です。
山村美紗さんは娘の紅葉さんと一緒に、8月25日から1ヶ月の予定で、原稿執筆のために東京都千代田区の帝国ホテルのスイートルームに滞在していました。
そして9月5日の午後2時頃に倒れ、医師が駆け付けたものの間に合わなかったとのことです。
帝国ホテル広報課によると、5日午後9時過ぎに部屋にいた 紅葉さんからロビーのマネジャーに電話があり、マネジャーが 部屋に行くと、室内には紅葉さんと医師がおり、「母が死にま した」と話していたという。その後遺体は午後11時ごろ、紅葉さんと医者の立ち会いのもとで、山村さん側が手配したベンツ のストレッチャーでホテルを出発、京都市の自宅に向かった。
帝国ホテルのスイートルームで原稿の執筆中に倒れ、そのまま亡くなるなんて、「ミステリー界の女王」らしい最期ですね。
山村美紗さんは急逝されたので、途中まで執筆していた『在原業平殺人事件』と『龍野武者行列殺人事件』は未完となってしまいました。
その2作を引き継いだのが西村京太郎さんです。
西村京太郎さんは1996年1月に脳梗塞で倒れましたが、それでも山村美紗さんの遺稿を引き継いだのは、山村美紗さんと西村京太郎さんの特別な関係であることを表していると思われます。
山村美紗の遺産がすごい
山村美紗さんは超売れっ子推理小説作家で、たくさんの作品がドラマ化されています。
作品の累計発行部数3千万部以上、100本以上がドラマ化され、1980~90年代は長者番付上位の常連だった。
発行部数3000万部以上の印税、さらにドラマ化の印税・権利関係を考えると、山村美紗さんの遺産は莫大であることは間違いありません。
遺産は7億円以上はあったとのことです。
1996年に心不全で急死した山村美紗、遺産総額は7億円を超えた。相続したのは夫の山村魏(たかし)が3.7億円、長女の紅葉に2.8億円、次女の真冬に1億円だったという。
さすが売れっ子作家ですね。
気になるのは、西村京太郎さんと隣同士で住んでいた京都の東山の元料亭の豪邸です。
2018年に山村紅葉さんが「ダウンタウンDX」に出演した時は「実家」として紹介していましたので、山村紅葉さんが相続しているのかもしれません。
山村美紗のまとめ
山村美紗さんのプロフィールや経歴、家族や家系図、結婚した旦那や子供、娘の山村紅葉、西村京太郎との関係や隣同士の自宅、死因や遺産などをまとめました。
ミステリー界の女王である山村美紗さん。死後20年以上経っていますが、山村美紗さんのたくさんの作品は時を超えて、現在でも色あせずにミステリーファンに愛され続けています。