山岳ベース事件の詳細!場所や犠牲者(遠山美枝子/大槻節子/妊婦など12名)・犯人のその後・脱走映画や漫画も徹底解説

あさま山荘事件につながるリンチ殺人事件として知られる山岳ベース事件。


今回は山岳ベース事件の場所や連合赤軍メンバー、遠山美枝子や大槻節子など犠牲者、犯人のその後、山岳ベース事件を題材にした脱走映画や漫画をまとめました。

山岳ベース事件の概要や場所

出典:nounai-backpacker.hatenablog.jp

 

山岳ベース事件とは、赤軍派と革命左派が合流して結成された連合赤軍が、1971年12月下旬から2ヶ月間にわたり、山岳ベースで起こした連続リンチ殺人事件です。

 

山岳ベースには合同軍事訓練などと称して29名のメンバーが集まり、そのうち12名がリンチによって犠牲になっています。

 

・場所:山岳ベース
・犯人:連合赤軍の森恒夫や永田洋子など
・犠牲者:連合赤軍の12名(+胎児1名)
・犯行:総括と称した暴行・リンチ、極寒の屋外に放置、食事を与えないなどで殺害

 

リンチされたメンバーは、顔が判別できないほどボコボコにされたり、内臓が破裂していたり、凍死したり、食事を与えられないことで衰弱死したりしました。

 

また、12名のうち2名は裏切りを疑われたことで、ナイフやアイスピックで刺され、さらに絞殺されています。

 

このおぞましい山岳ベース事件は、あの「あさま山荘事件」の後に判明し、あまりにも残虐な事件だったために、日本中を震撼させました。

 

 

山岳ベース事件の場所

出典:jiji.com

 

山岳ベース事件が起こった場所は、群馬県北部の山岳部です。

 

 

出典:ameblo.jp

 

山岳ベース事件は、3つの場所(山岳ベース)を移動して事件が続きました。

 

・棒名ベース→8名が犠牲
・迦葉山ベース→3名が犠牲
・妙義山ベース→1名が犠牲

 

そして、山岳ベース事件の残党があさま山荘に逃げ込み、あの有名なあさま山荘事件を起こすことになります。

 

 

山岳ベースとは?

出典:gabareki.blog.jp

 

さて、事件の名前にもなっている「山岳ベース」とは一体何でしょうか?簡単に言うと、山に作られた隠れ基地です。

 

この後に詳しく説明しますが、山岳ベース事件を起こした連合赤軍(赤軍派+革命左派)は警察から厳しいマークを受けていて、都市部では思うように行動できなくなっていました。

 

そのため、警察の目が届かない山岳部に拠点を移し、山の中の小屋を基地(アジト)として、革命のための軍事訓練をするようになったのです。

 

山岳ベースは各拠点(各ベース)の総称で、基本的には棒名ベース、妙義山ベースのように「地名+ベース」で呼ばれていました。

 

 

山岳ベース事件を起こした連合赤軍とは

山岳ベース事件を起こした連合赤軍とはどんなグループ・どんな団体だったのかを見ていきましょう。

 

 

2つの異なる思想のグループが合体

出典:daisuki-kanda.com

 

連合赤軍は、次の2つの新左翼党派が合流して作られた新党です。

 

・赤軍派(共産主義者同盟赤軍派)
・革命左派(日本共産党(革命左派)神奈川県常任委員会)

 

■赤軍派

赤軍派の目的は世界同時革命です。世界で同時に資本主義を廃止し、共産主義に移行すべきという思想でした。

 

そして、革命のためには火炎瓶やゲバ棒では不十分であり、銃や爆弾による武装蜂起が必要であるとしました。

 

赤軍派は大菩薩峠事件やよど号ハイジャック事件を起こしていて、資金面が潤沢という特徴がありました。また、日本赤軍の母体となったグループでもあります。

 

 

■革命左派

革命左派は反米愛国を掲げ、資本主義から共産主義化を目指しているグループです。

 

新左翼の中でも過激で先鋭化していたグループであり、鉄砲店を襲うなどして武器は豊富に持っていました。

 

そのため、いち早く山岳ベースを作り、山岳ベースを拠点として軍事訓練などを行っていました。

 

 

すぐに空中分解するのは明らかだった

出典:sankei.com

 

連合赤軍は赤軍派と革命左派が合流して作られました。この合流は、お互いの利害が一致したために行われました。

 

・赤軍派=お金はあるけれど武器はない
・革命左派=武器はあるけれどお金はない

 

合流することで、お互いが不足しているものを補えるということですね。1971年7月15日付で「統一された『赤軍』(統一赤軍)」が作られました。

 

しかし、「新左翼」というベースは同じであるものの、どちらも過激で違う思想を持っていましたので、すぐに空中分解することは目に見えていた合流でした。

 

そして実際、すぐに空中分解を起こすことになるのです。その過程で、おぞましい山岳ベース事件が起こりました。

 

 

山岳ベース事件の主要メンバー(犯人):赤軍派3人

山岳ベース事件を起こした主要メンバー、つまり犯人たちはどんな人物だったのかを簡単に説明していきます。

 

まずは、赤軍派からです。

 

森恒夫

出典webronza.asahi.com

 

森恒夫は赤軍派の獄外最高指導者です。連合赤軍派の最高指導者として、独裁化することになります。大阪府出身で、子供の頃から在日朝鮮人・韓国人の問題に興味を持っていました。

 

大阪市立大学中国語学科在学中に、学生運動に身を投じることになります。

 

森恒夫の性格を一言で表すと、「気が弱い小心者」です。

 

・関東派襲撃事件で敵前逃亡する
・内ゲバで監禁された時は「リンチしないでくれ」と懇願する
・幹部からは「森は度胸がない」と評される
・山岳ベース事件逮捕後は自分1人で自供する
・罪の重さに耐えかねて自殺する

 

このように、森恒夫の「気が弱い小心者」を表すエピソードはたくさんあります。

 

気が弱い小心者でリーダーの器ではありませんでしたが、ディベートが上手く、人の弱点を突き論破する話術を持っていました。

 

さらに、赤軍派・連合赤軍ではリーダーになるような人がみんな逮捕されてしまったことから、リーダーに押し上げられてしまったのです。

 

リーダーの能力はないのに、あれよあれよという間にリーダーに押し上げられ、自分も勘違いしてしまったという、ある意味悲しい運命をたどった人物でもあります。

 

ちなみに、山岳ベース事件を起こした時には結婚していて子供もいました。

 

 

坂東國男

出典:asahi.com

 

山岳ベース事件の犯人、次は赤軍派の坂東國男です。坂東國男は赤軍派で坂東隊のリーダーとして「M作戦(金融機関強盗)」を実践しています。

 

山岳ベース事件では森の命令を忠実に実行し、積極的にリンチを行っていました。山岳ベース事件後は、警察の包囲網をかいくぐり、あさま山荘に逃げ込んで、あさま山荘事件を起こします。

 

あさま山荘事件で逮捕されたものの、日本赤軍のクアラルンプール事件による超法規的措置で釈放・国外脱出し、後に日本赤軍に合流します。

 

ダッカ日航機ハイジャック事件にも関与し、現在も国際手配中となっています。

 

 

植垣康弘

出典:twitter.com

 

赤軍派の植垣康弘は、坂東隊のメンバーとして「M作戦(金融機関強盗)」に参加し、山岳ベース事件でも積極的にリンチを行いました。

 

また、山岳ベース事件の合同軍事訓練中に革命左派の大槻節子と恋人関係になり、森・永田から「総括」を求められますが、暴行・リンチを受けるまでには至りませんでした。

 

 

山岳ベース事件の主要メンバー(犯人):革命左派3人

山岳ベース事件の犯人、次は革命左派のメンバーです。

 

 

永田洋子

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革命左派の永田洋子は東京都出身で、共立薬科大学薬学部卒業後は、慶應大学病院の研究生でした。その後は三水会病院や済生会病院に勤務します。

 

この永田洋子の性格を一言で表すと、「嫉妬深くヒステリー」です。

 

・バセドウ病を患い、子供を産めない体と認識するようになる
・実際に妊娠した時には医師から出産が大変と言われたこともあり中絶した
・脳腫瘍を患っていた

 

元々オシャレには興味がなかったものの、病のため目がギョロッとした顔立ちで、さらに子供が産めない体(中絶は革命左派のルール)のため、他の女性に異常なまでに嫉妬していたそう。

 

山岳ベース事件で犠牲になった女性のうち3人は、永田の嫉妬心によって「総括」させられたとも言われています。

 

 

坂口弘

出典:twitter.com

 

坂口弘は永田洋子の内縁の夫で、連合赤軍でもNo.3の地位にいた人物です。「総括」によるリンチ・暴行には疑問を抱きつつも、実行していました。

 

山岳ベース事件後はあさま山荘に逃げ込み、あさま山荘事件の総大将になっています。

 

 

吉野雅邦

出典:twitter.com

 

革命左派の吉野雅邦は、山岳ベース事件のきっかけの1つでもある印旛沼事件の実行犯であり、その実績を買われて革命左派の幹部になりました。

 

山岳ベース事件では積極的にリンチ・暴行に関与し、事件後はあさま山荘事件で籠城しています。

 

そんな吉野雅邦は、山岳ベース事件で妊婦の犠牲者となった金子みちよと結婚(内縁)していたことが判明しています。

 

 

山岳ベース事件を起こした連合赤軍メンバーの序列一覧

出典:twitter.com

 

山岳ベース事件を起こした連合赤軍メンバーの序列を見ていきましょう。

 

連合赤軍では、1972年1月3日に独自の中央委員会が結成されました。この中央委員会の序列が連合赤軍内での序列、つまり誰が一番力を持っていたかを表します。

 

No.1 森恒夫(赤軍派):委員長
No.2 永田洋子(革命左派):副委員長
No.3 坂口弘(革命左派):書記長
No.4 寺岡恒一(革命左派):中央委員
No.5 坂東國男(赤軍派):中央委員
No.6 山田隆(赤軍派):中央委員
No.7 吉野雅邦(革命左派):中央委員

 

連合赤軍はこのような序列でしたが、ほぼ森恒夫の独裁状態でした。森恒夫をNo.2の永田洋子とNo.5の坂東國男がサポートしていました。

 

 

山岳ベース事件の「総括」は脱走を防ぐためだったが次第にエスカレートした

出典:twitter.com

 

山岳ベース事件では「総括」という名のリンチが行われていました。この「総括」の内容や目的を説明していきます。

 

 

左翼にとっての総括

もともと左翼にとっての「総括」とは、過去を振り返り反省するものであり、自己批判・他者批判をすることで、悪い点をあぶり出し、改善していくために行われるものでした。

 

左翼の人たちは、この総括という思考方法を好んで使っていたんです。

 

しかし、連合赤軍ではこの総括が間違った方向にエスカレートしていき、どんどん過激になって、「総括=リンチ・暴行」という形になっていたのです。

 

 

山岳ベース事件の総括方法・手順

山岳ベース事件では、次のような手順で総括が行われていました。

 

1.森が少しでも気に入らないことをした人を総括の候補にする
2.森が徹底的に批判する
3.反論は一切受け付けずに、謎理論を用いて論破していく
4.永田がその時の気分に応じて総括するかどうか決める
5.総括できていないと難癖をつける
6.総括できるように「援助」と称した暴行・リンチをする
7.死亡するまで行う

 

山岳ベース事件での暴行・リンチでは、総括できない人が総括できるようにするための「援助」と称されていました。

 

「あなたは総括できていない。総括できるようにするためには、暴行が必要なの。私たちはあなたを助けてあげているのよ」という謎理論ですね。

 

なぜ、この謎理論が生まれたのか?それは森恒夫の不可思議な論理からです。

 

森恒夫は、「殴って気絶させ、目覚めたときには別の人格に生まれ変わり、完全な共産主義を受け入れ真の革命戦士になれる」という論理を展開させました。

 

森恒夫は高校時代に剣道をやっていましたが、試合中に気絶して目覚めた時には別人格に生まれ変わったような気がしたという体験をしています。

 

この体験から、気絶をすれば真の革命戦士になるという、到底理解不能な論理が生まれました。

 

そして、総括できない人を気絶させるために暴行・リンチを加え、まだ総括できていないと判断されれば(森や永田が気に入らなければ)、さらに暴行・リンチをし、死亡者が続出しました。

 

 

森と永田の性格の相乗効果で過激化していった

なぜ死ぬまで暴行・リンチが行われたのか?それは森のとんでもない理論があったからですが、普通に考えると、たとえ謎理論があっても死亡するまで暴行・リンチは行われないですよね。

 

これほどまでの暴行・リンチが行われたのは、森と永田の性格があったからと言われています

 

小心者の森は脱走や裏切りを恐れていました。そのため、暴力や恐怖で従わせ、さらにみんなを暴行の共犯にすることで、脱走できないようにしたのです。

 

そして、永田はキレやすくてヒステリックな上に、さらに嫉妬心が半端ない性格でした。

 

小心者の森が脱走を恐れて総括の候補者を挙げ、ヒステリックな永田が総括を過激化させていく…。連合赤軍のトップ2人の性格が、山岳ベース事件の奥底にあったと言えるでしょう。

 

 

山岳ベース事件の詳細① 事件につながる動き

出典:ameblo.jp

赤軍派と革命左派の急接近

赤軍派はお金はあるけれど武器がない、革命左派は武器はあるけれどお金はない。そんな中で、お互いの利害が一致し、赤軍派と革命左派は急接近していきます。

 

 

警察の目を逃れるために山岳地域へ

世の中では1970年になると、よど号ハイジャック事件やダイナマイト闘争などが起こります。

 

そして1971年以降、赤軍派や革命左派は「殲滅戦」(交番襲撃・警察官殺害)を本格化させていきます。その結果、警察の取り締まりが厳しくなり、都市部では行動できなくなりました。

 

そこで、革命左派は警察の目を逃れるために、山岳地域に拠点を移して軍事訓練を行うようになりました。そして、急接近していた赤軍派もそれに続くようになります。

 

都市部ではほかの人の目がありますが、山岳ベースは閉ざされた空間です。どんなことをしても、外部の人に知られることはありません。

 

この山岳ベースの閉ざされた空間が、リンチを過激化させ、山岳ベース事件を生み出したと言えるかもしれません。

 

 

印旛沼事件

1971年8月、印旛沼事件が起こります。印旛沼事件は、革命左派が脱走した2名(男女各1名)を殺害した事件です。

 

脱走した理由は「小説を書きたいし、大学にも行きたい」「彼氏に会いたい」というごく一般的なものでした。

 

2人が脱走したことで、革命左派の活動や拠点などが警察にバレると考えた永田洋子は、急接近していた赤軍派のリーダーの森恒夫に相談します。

 

当初は脱走した2人を殺害するつもりはなかった永田でしたが、森が「殺るべきだ」と提言したことで、脱走者の殺害が決まり、1971年8月に2人を絞殺、印旛沼に掘った穴に埋めたのです。

 

この印旛沼事件によって、「気に入らない仲間は殺害してOK!」という共通認識が生まれてしまいました。そして、この印旛沼事件が山岳ベース事件へとつながっていくのです。

 

 

福島県交番襲撃の時点で亀裂あり

1971年9月11日、赤軍派の森は坂東隊(坂東國男・植垣康博)に命じて、福島県の交番を襲撃させています。しかし、この襲撃は交番に警察官が不在だったため、失敗に終わっています。

 

この襲撃以前、赤軍派と革命左派は「殲滅戦は革命左派と共同で行う」という約束をしていましたが、交番を襲撃は赤軍派のみが行っており、赤軍派が約束を反故にしたことになります。

 

赤軍派は、革命左派に対して優位に立ちたいという思惑があったとされています。つまり、連合赤軍は山岳ベース事件前から亀裂があったということですね。

 

 

山岳ベース事件の詳細② 新倉ベースでの主導権争い

 

出典:jiji.com

 

新倉ベースで合同軍事訓練の開催決定

1971年10月下旬、赤軍派の森と革命左派の永田・坂口などが会談を行い、赤軍派の山岳ベースである「新倉ベース」で合同軍事訓練を行うことが決定しました。

 

これが、山岳ベース事件という地獄の始まりといっても良いでしょう。

 

 

12月2日~3日:水筒問題

1971年12月2日、革命左派のメンバーが赤軍派との合同軍事訓練に参加するために、新倉ベースの山道に到着しました。その時、革命左派のメンバーは水筒を持っていなかったんです。

 

革命左派が水筒を持っていないことに対し、赤軍派は批判を繰り返し、革命左派の永田洋子は自己批判まですることになります。

 

この水筒問題での革命左派批判は、赤軍派の森の指示によるものとされています。革命左派を批判することで、赤軍派が主導権を握りたかったんですね。

 

 

12月6日:遠山問題

12月6日には遠山問題と呼ばれるトラブルが起こります。赤軍派の遠山美枝子が軍事訓練中に指輪をしていたことに、革命左派が目を付けます。

 

注意したにも関わらず、翌日も指輪をつけていたことで、永田をはじめとした革命左派のメンバーは、遠山美枝子の身なりや闘争に対する姿勢を批判します。

 

これは、革命左派が赤軍派に対してやり返した、主導権を握ろうとしたということでしょう。

 

 

12月6日:「山を降りたものは殺す」宣言

遠山美枝子の指輪への批判が起こっていた時、森は「革命左派は既に印旛沼事件でメンバーを殺害している」と赤軍派のメンバーに伝えます。

 

さらに「山を降りたものは殺す」と語り、「遠山美枝子が総括できるまでは誰も山を下りてはいけない」と伝えたんです。

 

 

12月7日:共同軍事訓練最終日に永田は興醒め

遠山問題で揺れていた新倉ベースでしたが、共同軍事訓練は12月7日に最終日を迎えます。

 

厳しい訓練を終え、みんなが感想を言い合っている中で雰囲気は高揚し、リーダーの森は感極まって泣き出すまでになりました。

 

皆が感動的な雰囲気になり、もらい泣きをする人もいる中、冷静な目で見ていたのが永田洋子です。永田洋子は「なんでみんなが泣いているのかわからなかった」と温度差を感じていました。

 

 

山岳ベース事件の詳細③ 棒名ベース~最初の犠牲者

出典:detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

 

新倉ベースでの合同軍事訓練が終わった後、次は12月20日から革命左派の山岳ベースである棒名ベースで指導部会議が行われることが決まりました。

 

 

12月20日~21日:永田が森を信頼

12月20日、赤軍派のメンバーの森と坂東が棒名ベースに到着します。そして、徹夜で開かれた会議の中で、森の理論を聞いて永田は森に心酔するようになります。

 

これにより、永田が森を指導者として認め、信頼を深めていくことになりました。

 

翌日の12月21日には、永田洋子は赤軍派と革命左派が「我々になった」と発言します。森もこれに同意します。

 

これを持って、赤軍派と革命左派は連合赤軍として1つになったと言えるでしょう。

 

 

12月22日~:初めてのリンチ

12月22日ごろから、森恒夫は革命左派の加藤能敬と小嶋和子に目をつけ、革命左派の歌などに難癖をつけ始め、総括を要求するようになりました。

 

そして12月25日には、今まで「加藤君」「小嶋さん」と呼んでいたのに、「加藤」「小嶋」と呼び捨てにするようになります。

 

さらに「総括に集中させるため」と称して、2人に食事を与えないように指示しました。

 

このような状態の中、加藤能敬と小嶋和子は隠れてキスをし、それを目撃した永田洋子は怒り狂います。

 

・永田:「神聖な『我々』の場をけがした!許せない!キィー!!!」
・永田:「ねぇねぇ、あいつらどうする?」
・森:「殴るか!ほかにも隠していることがあるだろうから、殴って吐かせよう」
・森:「殴ることは指導だから」
・森:「殴って気絶して目覚めると、別の人格に生まれ変わるんだ」
・森:「だから、2人は気絶するまで殴れ。これ命令な」
 
このようなやり取りで、棒名ベースでの初めてのリンチが行われました。
 
メンバー全員で加藤能敬と小嶋和子を取り囲み、リンチを始めます。加藤能敬の実の弟にも殴らせました。
 
2人が肉体関係を持ったことを告白すると、永田洋子は怒り狂い、さらにリンチは激しくなります。
 
しかし、2人は明け方まで殴られても気絶することはなく、トイレに行きたいと懇願しても許されず、そのまま放置されました。

 

この2人へのリンチは、翌日以降も続けられました。

 

 

12月27日~31日:尾崎充男が標的に

そんな中、12月27日に加藤能敬にリンチしている際に尾崎充男が「よくも俺のことをプチブル主義者と言ったな」と言いながら、加藤を殴りました。

 

その発言を聞いた森が「個人的な恨みで殴るなんておかしい」と批判します。そして、尾崎充男が総括を要求されるようになったんです。

 

余計な一言を言ったために、自分が標的になってしまったということですね。

 

12月29日には総括のために、尾崎充男が警官役の坂口弘と対決することになりましたが、結局は一方的にボコボコにされて終わりました。

 

ボコボコにされた尾崎充男が、森恒夫に媚びている様子を見て、永田洋子は「甘えるな!」と一喝して批判しています。

 

そして翌日以降、尾崎充男は立ったまま縛られ、食事も与えられず、最初の犠牲者となるのです。

 

 

山岳ベース事件の詳細④ 遠山美枝子・大槻節子・妊婦など犠牲者12名

1971年12月下旬に始まったリンチは、どんどんエスカレートしていき、12月31日にとうとう最初の犠牲者が出ました。

 

そして、約1ヶ月半の間に12名もの犠牲者が出たのです。

 

 

犠牲者① 12月31日:尾崎充男(22歳・革命左派)

出典:geikichi.blog.fc2.com

 

最初の犠牲者は、余計な一言で総括の標的となってしまった尾崎充男です。

 

■総括の理由

加藤能敬にリンチしている際、「よくも俺のことをプチブル主義者と言ったな」と言ったことを咎められた。総括の最中に「すいとん、すいとん」とつぶやいていた。

 

■リンチの詳細

・警察官役の坂口と決闘し、ボコボコにされる。

・腹部をボコボコに殴られる

・立ったまま縛られて、食事を与えられなかった

 

この状態で放置されて、12月31日の夜に死亡。森は死亡したのが想定外だったようで、尾崎の死は「総括できなかったところの敗北死」とほかのメンバーに説明された。

 

 

犠牲者② 1月1日:進藤隆三郎(21歳・赤軍派)

出典:geikichi.blog.fc2.com

 

次の犠牲者は赤軍派の進藤隆三郎です。

 

■総括の理由

女性からモテてチャラついていて、女性問題があったため、元々嫉妬されていた
・リンチされているメンバーや戸口の方ばかり見て落ち着きがなかった

・森に「赤軍派への加入はM作戦の金が目的だった」「逃亡を考えている」と思われた

 

■リンチの詳細

・総括を要求されるも反論したため、後ろ手に縛られた状態でリンチされた

・リンチは明け方まで続き、肋骨6本を骨折・肝臓破裂という状態まで暴行された

・肝臓が破裂したことで、腹部は緑色に変色していた

 

夜明け後に極寒の外に縛られ、死の直前に「もうだめだ」という言葉を残して死亡したそうです。

 

 

犠牲者③ 1月1日:小嶋和子(22歳・革命左派)

出典:geikichi.blog.fc2.com

 

3人目の犠牲者は小嶋和子です。小嶋和子は、山岳ベース事件で最初にリンチに遭った人ですね。

 

■総括の理由

・12月26日に加藤能敬とキスをしていた

 

■リンチの詳細

・顔を中心に殴られる

・トイレに行くことすら許されず、その場で排泄しながら総括を受けた

・山岳ベース内では縛られ、食事も与えられていなかった 

 

12月31日の夜、最初の犠牲者の尾崎が死亡したことを知られないために、外で縛られています。雨が降ってきたため、床下に入れられたものの、1月1日に容体が急変し死亡しました。

 

 

犠牲者④ 1月4日:加藤能敬(22歳・革命左派)

出典:geikichi.blog.fc2.com

 

山岳ベース事件の4人目の犠牲者は、加藤能敬です。加藤も小嶋と同じく、最初にリンチに遭いました。

 

■総括の理由

・小嶋和子とキスしていた

 

■リンチの詳細

・12月27日未明からリンチに遭い、12月31日に小嶋和子と同様に極寒の外で縛られる

・「寒さで総括に集中できないから」と柱に頭を打ち付けていたことを森に評価され、1人で小屋の中に戻される

 

1度は許されたように見えましたが、1月4日、「小屋に戻ってから総括を深めておらず、逃げようとしているだろう」と森に疑われ、殴られ、立ったまま縛られて、そのまま死亡しました。

 

 

犠牲者⑤ 1月7日:遠山美枝子(25歳・赤軍派)

出典:geikichi.blog.fc2.com

 

5人目の犠牲者は遠山美枝子です。指輪をはめたまま軍事訓練を行ったとして、永田洋子に批判された女性ですね。

 

遠山美枝子は赤軍派幹部の内縁の妻で、重信房子の親友だったので、本来は森恒夫よりも立場は上という事情がありました。

 

また、革命左派では女性も活動家でしたが、赤軍派では女性は「活動家の妻」という考え方の違いがありました。この考え方の違いが、総括の理由につながっていきます。

 

 

■総括の理由

・軍事訓練中に指輪をしている

・リップクリームを塗るなどの女性的なオシャレが、永田洋子の嫉妬を生んだ

 

■リンチの詳細

・永田に小嶋の死体を埋めることで総括を完了させることを提案され、実行(森はそれを総括として認めず) 

・自分で自分の顔を殴るように命じられ、30分間殴り続ける

・殴ってパンパンに腫れた顔を永田に鏡で見せられ、さらに丸坊主にされる

・恋愛遍歴を追求され、「今は森が好き」と言うと、永田に「保身のためにリーダーを好きになる」と批判され、逆エビ型に縛られる

 

1月2日ごろから、自分が永田を中心に批判されていることを感じていた遠山美枝子。

 

1月6日、「今にお母さんを幸せにするから待っててね」「手が痛い。誰か手を切って。誰か縄をほどいて」「いいの。縄をほどかなくていいの。頑張る」と呟くなど、異常が見られます。

 

そして翌日に衰弱死しています。

 

 

犠牲者⑥ 1月9日:行方正時(25歳・赤軍派)

出典:geikichi.blog.fc2.com

 

山岳ベース事件の犠牲者の6人目は、行方正時です。

 

■総括の理由

・1月3日に新倉ベースで自殺を考えていた

以前の逮捕で自供しようとしていたこと、逃走しようとしていたことを告白した

 

■リンチの詳細

・小嶋の死体を埋めるのを手伝わされる

・1月6日に薪などで殴られてボコボコにされる

 

1月8日になると衰弱し、童謡を歌ったり、「ジャンケンポン、アイコデショ」「悪かったよー、自己批判するようー、許してくれようー」と叫び出すようになったそうです。

 

1月9日午前1時ごろに死亡しています。

 

 

犠牲者⑦ 1月17日:寺岡恒一(24歳・革命左派)

出典:geikichi.blog.fc2.com

 

山岳ベース事件の7人目の犠牲者は寺岡恒一です。寺岡は連合赤軍の序列4番目だった人物です。序列4番目でもリンチされて死亡したのです。

 

■総括の理由

・小嶋和子の死を「敗北死」ではなく「反革命の死」としたことで、スターリン主義と言われた

・吉野に過去のまずい言動をばらされた

・総括中に「永田と坂口が逮捕されれば良い」と言った

 

吉野にばらされた過去の言動とは、

 

・革命左派に入ったのは、小さな組織なら自分がすぐに幹部になれると思ったから
・印旛沼事件の時は殺害に加担せずに自分だけ車の中に残った
・札幌のアジトから永田と坂口を先に上京させたのは、安全に上京できるかの確認だった

 

なかなかのクズですね。これらをばらされてしまったのです。

 

■リンチの詳細

森に追求されている時に「永田と坂口が逮捕されれば良い」と白状し、リンチが開始します。

・「坂東との山岳調査の際に坂東を殺して逃亡しようと考えていた」
・「宮殿をつくって、女を沢山はべらかせて王様のような生活をするつもりだった」
・「いろいろな女性と寝ることを夢想する。例えば、大槻節子」
・「(ハーレムには)あんた(永田)は関係ない。殺すことになっているから」

 

大槻節子は自分の名前を挙げられた時、寺岡を殴りました。また、殺すことになっていると言われた永田は怒り狂ったと言います。

 

処刑が決まり、森と何人かが寺岡の心臓をアイスピックで刺すものの、なかなか死なないので、最後は絞殺したようです。

 

ちなみに、大槻節子は男性の間で大人気だった女性です。一方、寺岡の永田洋子に対する扱いは確かにひどいです。

 

ハーレムに置く女性として大槻節子の名前が出た時、「私はどうなのさ」と永田自ら尋ねたそうです。そうしたら、「あんたは関係ない。殺すことになっているから」との答え。

 

永田の女としてのプライドはズタボロにされたのです。

 

 

犠牲者⑧ 1月19日:山崎順(21歳・赤軍派)

出典:geikichi.blog.fc2.com

 

山岳ベース事件の8人目の犠牲者は、山崎順です。

 

■総括の理由

・寺岡の処刑に消極的だった

・死刑回避で安心しきっていた

脱走して警察に逃げ込もうとしていた

・警察では7人の死には自分は関係ないと供述しようとしていた

 

■リンチの詳細

1月19日、山崎にニセ死刑宣告をして様子を見ることを永田が提案します。

 

坂口に押さえられ、森にナイフを突きつけられるものの、坂口が力を抜いて芝居だと暗に伝えたことで、「今は革命戦士になりきって生きていきたい」と発言し、死刑を何とか回避しました。

 

1月20日、死刑を回避して安心した様子を森が問題視して批判が始まります。追及された山崎は、脱走したかったことを告白したことで、死刑が決定します。

 

肋骨が6本も折れるほどのリンチを受け、さらにアイスピックで胸を刺されるものの、絶命することなく、絞殺されて死亡しました。

 

 

犠牲者⑨ 1月30日:山本順一(28歳・革命左派)

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山岳ベース事件の9人目の犠牲者は山本順一です。山本順一は妻の保子と生後18日の長女と一緒に棒名ベースに参加していました。

 

■総括の理由

・リュックサックに赤ちゃんのオムツを入れるのを手伝った
・寺岡の処刑に対して、スターリン主義に触れた
・車をぬかるみにはめたのに他人事の態度だった
・「自分としては革命のお手伝いをしに来ただけだ」と他人事な発言をする

 

■リンチの詳細

・1月26日に他人事な態度を問題視されて、正座させられ、さらに殴られ、逆エビに縛られた 

・1月29日に新ベース(迦葉山ベース)に移動し、外で縛られる

・自殺を図ったとして、猿ぐつわをさせられる

 

妻の保子は、外で縛られた山本の胸に顔をうずめ、「どうして総括しないの?総括してよ」と泣き崩れたそうです。山本は夜に死亡しています。

 

 

犠牲者⑩ 1月30日:大槻節子(23歳・革命左派)

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山岳ベース事件の10人目の犠牲者は大槻節子です。大槻節子は男性から人気がある「モテ女」でした。

 

印旛沼事件の犠牲者だった男性の元カノでしたし、寺岡からはハーレムに置きたい女性(ヤリたい女)として名前を挙げられています。

 

さらに、加藤倫教も大槻節子に憧れていて、植垣は「大槻を好きになったので結婚したい」と言っています。

 

■総括の理由

・買い物に行った時に連合赤軍のお金で美容室で髪を切った
・シンパ(ファン)からもらったお金で洋服を買った
・投獄中の革命左派メンバーと恋愛関係にあった

・印旛沼事件の犠牲者と性的関係を持っていた

 

永田洋子は大槻節子への嫉妬がメラメラと燃え上がり、次のように批判しています。

 

・頭が良すぎる
・あんた可愛すぎるのよ
・男にこびる方法を無意識に身につけてしまっている
・動作や仕草などなんでも男に気に入られるようにやってしまっている

 

永田の嫉妬が悲しすぎて、見ていて切なくなるほどです。

 

■リンチの詳細

・総括するも、なぜかそれを認めてもらえず、1月25日には縛られるようになる

・迦葉山ベースに移動後は床下に縛られるが、迦葉山ベースに来てからは真面目に総括しなくなったとして、リンチが決定する

 

実際はリンチされる前である、1月30日に死亡しているのが確認されました。

 

森は大槻節子の死を「リンチされることに対してのショック死」としていますが、実際は衰弱死、または凍死と思われます。

 

 

犠牲者⑪ 2月4日:金子みちよ(妊婦)+胎児(24歳・革命左派)

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山岳ベース事件の犠牲者の10人目は金子みちよです。金子みちよは吉野雅邦の内縁の妻で、妊婦でした。リンチに遭った時は妊娠8ヶ月の時です。

 

■総括の理由

・言動が「主婦的」だった
・内縁の夫の吉野の世話を焼いていた

・身重で積極的に訓練に参加できない

 

■リンチの詳細

金子みちよはなぜか森に目をつけられていて、1月25日は森から「電池を隠している」、「タオルを隠している」と濡れ衣を着せられました。

 

ただ、永田が荷物検査をしても、金子みちよの荷物からは電池もタオルも見つかっていません。

 

また、森から「永田に反抗的」と決めつけられ、縛られて、食事は当面与えられないと決定されました。

 

その後、森は「金子が子どもを私物化することを許してはならず、子どもを(腹から)取り出すことも考えておかねばならない」と発言。

 

さらに、「いざという時には自分が子供を取り出す」「組織の子として育てる」と森が発言し、永田や内縁の夫の吉野が同意しました。

 

しかし、ずっと縛られたままだった金子みちよは2月4日に死亡し、胎児も死亡しています。

 

 

犠牲者⑫ 2月12日:山田孝(27歳・赤軍派)

出典:geikichi.blog.fc2.com

 

山岳ベース事件の12人目の犠牲者は山田孝です。山田孝は連合赤軍の序列は6番目でした。

 

■総括の理由

・1月24日に銭湯に行った
・一時期赤軍派の活動を休止していた

 

■リンチの詳細

・2月2日に雪の上で正座させられ、2月3日は水しか与えられず、薪拾いをさせられる

・薪拾いに手間取ったことで暴行を加えられ、逆エビ型で縛られた。

 

坂口は山田を助けようとしたものの力及ばず、寝袋に入れられたまま放置され、凍傷が悪化していき、死ぬ直前に「総括しろだって? ちくしょう」と言って、2月12日に死亡。

 

 

山岳ベース事件の詳細④ 森と永田の逮捕

2月4日:森と永田が東京に戻り、脱走者が出る

出典:home.r07.itscom.net

 

2月4日、森と永田は資金調達のために山岳ベースを離れ、東京に戻りました。

 

これにより、山岳ベース内の雰囲気が少しゆるんだのか、山本順一の妻など3名の脱走者が出ました。

 

脱走者が出たことで、山岳ベースを妙義山ベースに移動することになります。

 

脱走者が出た時点で、連合赤軍は既に空中分解が始まっていたということでしょう。

 

 

2月13日~14日:永田が恋愛モード

出典:twitter.com

 

東京に戻っていた永田洋子は、解放感からか、一転して恋愛モードに突入します。

 

永田洋子は同じ革命左派で連合赤軍の坂口弘と結婚していましたが、坂口との離婚を決意します。

 

2月13日に、「森さんが好きになったので、坂口さんと離婚し、森さんと結婚することにする」と発言し、坂口はこれを了承しました。

 

森と永田は、東京に2人でいる間に内縁関係になったようです。

 

しかし、翌日の朝に坂口と2人きりになると、「本当はあなたが好きなの」と言い出す始末。

 

大槻節子をはじめ、山岳ベースの女性メンバーに嫉妬心をあらわにしていた永田洋子が、「結婚・離婚・好き」なんて、「お前が言うな!」とツッコミたくなりますね。

 

 

2月17日:森・永田逮捕

出典:asagei.com

 

2月15日に妙義山ベースに戻るために東京を出発した森と永田は、2月16日に山狩り中の警察官に職務質問を受けますが、身元はバレずに解放されます。

 

2月17日に妙義山ベースに到着したものの、この時、坂口などは既に逃亡のために出発した後でした。

 

警察に既に包囲されていることを知った森と永田。森は刃渡り15cmの匕首とやすりで作った鎧どおしを振りかざして、警察官の集団の中に突入しますが、2人とも逮捕されています。

 

森は赤軍派のリーダー、永田は革命左派のリーダーでした。異なる2つのグループリーダーが一緒にいて、連合赤軍を作っていたことを警察は把握していなかったと言われています。

 

 

2月19日~28日:あさま山荘事件

出典:zakzak.co.jp

 

森と永田が逮捕され、警察による山狩りが行われていた中で、山越えをした残党グループは軽井沢にたどり着きます

 

そして、警察に囲まれていることを知った坂口・坂東・吉野・加藤兄弟の5人はあさま山荘に逃げ込みました。

 

そして、あの有名なあさま山荘事件へと発展していくことになります。

 

 

山岳ベース事件のその後

森がなぜか自供する

出典:nounai-backpacker.hatenablog.jp

 

あさま山荘事件で坂口、坂東、吉野、加藤兄弟が逮捕され、山岳ベース事件も明るみになる中、森は「遺体を遺族に返すため」と、3月8日に事件を記した上申書を裁判所に提出しました。

 

この上申書によって、一気に捜査は進んでいきます。

 

しかし、逮捕されたほかのメンバーはこの森の自供に唖然とします。なぜなら、森は逮捕されても自供するなと厳命していたからです。

 

みんなには自供するなと言っておきながら、自分はあっさり自供するなんて、信じられませんよね。

 

これも、森の気が弱い小心者という性格から来る行動なのかもしれません。

 

 

次々に自供

出典:twitter.com

 

森は上申書は自供とは思っていなかったという説もありますが、自供には変わりなく、この森の自供を知らされた他のメンバーは次々に自供するようになり、捜査は進んでいきました。

 

そして、妙義山、迦葉山、榛名山麓で合計12名の遺体が発見されたんです。

 

また、事件が明るみに出たことで、山岳ベース事件で生き残ったメンバー全員(17名)が逮捕されました。

 

山岳ベース事件は犠牲者12名・逮捕者17名という結末を迎えました。

 

 

事件の全容がわかり警察庁長官が絶句

出典:bunshun.jp

 

12名の遺体が発見され、事件の全容がわかると、あまりにも残忍な事件であることに当時の警察庁長官の後藤田正晴氏は「君、そんな馬鹿な…」と絶句したと言います。

 

山岳ベースでは、排泄物(糞尿)がこびりつき切り裂かれた衣服が発見されました。

 

さらに、発見された遺体はやせ細っていたり、性別が分からなくなるほど暴力を受けていたり、顔の判別がつかなかったりなど、凄惨なものばかりでした。

 

この山岳ベース事件は日本全体に衝撃を与え、さらに連合赤軍を擁護してきた一部の議員やマスコミは社会的信用を無くすことになりました。

 

 

山岳ベース事件の犯人のその後

森恒夫のその後

出典:twitter.com

 

森恒夫は2月17日に逮捕され、3月8日に事件の全容を書いた上申書を裁判所に提出しました。

 

そして、その後は1972年4月から5月にかけて、原稿用紙500枚にも及ぶ自己批判書を書き上げ、「事件の責任は自身と永田にある」としました。

 

1973年に初公判が開かれる予定でしたが、1973年の元日、東京拘置所の独房で首を吊っているところを発見されます。すぐに救命処置が行われましたが、間もなく死亡しました。

 

逮捕後はキリスト教に興味を持っていて、「自己の責任の重さに絶望…自らに死刑を下す」と遺書に記されていました。

 

 

永田洋子のその後

出典:twitter.com

 

森恒夫と一緒に逮捕された永田洋子は、獄中で森の自殺を聞かされた時に「ずるい!」と叫んでいます。そして、獄中からも新左翼の活動に積極的に参加を表明していました。

 

そのような中で裁判は進み、山岳ベース事件は永田の「不信感、猜疑心、嫉妬心、敵愾心」「女性特有の執拗さ、底意地の悪さ、冷酷な加虐趣味」が原因と裁判で結論付けられています。

 

1983年に死刑判決を受けた永田は「自分は主犯ではなく、従犯であった」として、控訴・上告しますが、1993年に最高裁で死刑が確定。2001年に再審請求をするも、2006年に棄却。

 

この再審請求の半年前から脳腫瘍が悪化し、寝たきりの状態になっていました。

 

そして、2011年2月5日に東京拘置所で脳萎縮と誤嚥性肺炎で死去しています。享年65歳でした。

 

 

山岳ベース事件を題材にした脱走映画と漫画を紹介

日本全体に衝撃を与えた山岳ベース事件は、映画や漫画の題材にもなっています。

 

 

映画:実録・連合赤軍 あさま山荘への道程

出典:amazon.co.jp

 

山岳ベース事件を映画化した作品は、「実録・連合赤軍 あさま山荘への道程」です。

 

・監督:若松孝二
・永田洋子役:並木愛枝
・坂口弘役:ARATA
・遠山美枝子役:坂井真紀
・森恒夫役:地曵豪

 

山岳ベース事件やあさま山荘事件、連合赤軍をもっと知りたい人にはおすすめの作品です。

 

 

漫画:レッド

出典:amazon.co.jp

 

山岳ベース事件を扱った漫画は、山本直樹作「レッド」です。革命左派と赤軍派をモデルにして作られた漫画です。

 

1巻から読むと、赤軍派や革命左派がなぜ山岳ベース事件・あさま山荘事件に向かっていったのかがより深く理解できます。

 

とりあえず山岳ベース事件を知りたい人は、「レッド 最後の60日そしてあさま山荘へ」全4巻を読むことをおすすめします。

 

 

山岳ベース事件のまとめ

山岳ベース事件の概要や場所、連合赤軍について、事件の詳細や犠牲者、犯人のその後、山岳ベース事件を題材にした脱出映画や漫画をまとめました。

 

現代の感覚で見ると、「何を馬鹿なことをやっているの?」「あまりにも幼稚すぎる」と感じてしまいますが、当時の彼らは本気で革命を信じ、革命を目指していました。

 

そして、彼らの残虐な犯罪を決して許さずに取り締まった警察をはじめ、たくさんの努力があったから、現在の平和な日本があるのだと思います。

 

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