1990年代の人気番組「料理の鉄人」に出演していた鉄人たちは番組内ではもちろん、番組外でも人気になりましたが、その鉄人の1人が坂井宏行さんです。
坂井宏行さんのプロフィールや身長、筋肉、学歴・経歴、結婚した嫁や子供(息子)と自宅や弟子、現在をまとめました。
この記事の目次
坂井宏行はフレンチの鉄人
出典:hitosara.com
坂井宏行
生年月日:1942年4月2日
出身:鹿児島県出水市
活動:料理人
坂井宏行さんは、フランス料理人です。
フランス料理に日本の懐石料理の手法を取り入れ、日本人のためのフランス料理という新しい料理スタイルを生み出し、人気フレンチシェフとなりました。
1993年~1999年に放送されたフジテレビの料理バラエティ番組「料理の鉄人」ではフレンチの鉄人として、並み居る挑戦者たちを退け、フランス料理の鉄人として人気になりました。
坂井宏行の身長
坂井宏行さんの身長は173cmです。
日本人の平均身長とほぼ同じになりますが、坂井宏行さんは1942年生まれで、2024年で82歳になりますので、年齢を考えると、坂井宏行さんは身長が高いと言えるでしょう。
料理評論家の服部幸應さん(身長172cm)と並んだ写真だと、確かに坂井宏行さんの方が少し身長が高い。和食の鉄人である道場六三郎さん(身長168cm)と並んだ写真だと、坂井宏行さんの方が明らかに身長が高いことがわかります。
坂井宏行の筋肉がすごい
料理人というと、あまり筋骨隆々というイメージはないかもしれません。でも、坂井宏行さんは筋肉がすごいんです。
坂井宏行さんは2024年で82歳になりますが、現在でもベンチプレスを80kg上げることができると話していました。
ジムは長年通っているといい、ベンチプレスやバーベルを使った筋トレをしているという。現在も週2回のトレーニングはかかさず、ベンチプレスは「若い時は120キロで、今は80キロぐらい“しか”あげられないですよね」と苦笑で明かし、会場を驚かせた。
引用:「料理の鉄人」コンビ、93歳・道場六三郎氏&82歳・坂井宏行氏 散歩と筋トレで健康維持― スポニチ Sponichi Annex 芸能
あまり筋トレをやらない人は「ベンチプレス80キロ」がどのくらいすごいことなのかがよく分からないと思いますが、九州大学の研究によると、筋トレをしてない男子大学生がベンチプレスをした場合の平均は40kgとのこと。
男子大学生の平均が40kgであることを考慮すると、坂井宏行さんが82歳で80kgをあげるのはどれだけすごいことか分かると思います。
料理人は体力勝負の仕事なので、坂井宏行さんはジムに行くなどトレーニングをして、筋肉量を保っているのでしょう。
坂井宏行さんはインスタグラムに筋トレの様子を載せています。その時の写真や動画を見ると、腕の筋肉が本当にすごいことがわかります。
この腕の筋肉や胸板の厚さは、とても80代とは思えないですよね。
坂井宏行の生い立ち
坂井宏行さんは、1942年4月2日に朝鮮で生まれました。父親が仕事の関係で朝鮮に渡っていたためです。しかし、3歳の時に父親が戦争で死亡し、母親と姉、妹と共に鹿児島県にある母親の実家で生活することになりました。
終戦直後ということもあり、鹿児島での母子家庭生活は非常に貧しいものでした。母親は昼は日雇いの仕事、夜は和裁の仕事をしていましたが、それでも厳しい生活で、カボチャやサツマイモは当時の生活を思い起こすために、今でも苦手であると語っていました。
学校の弁当は焼き芋。だるまストーブに置き、あったかいところを食べる。あのころ、サツマイモは一生分食っちゃったから、いまは苦手なんだよね(笑)。
中学生になると、忙しい母や姉に代わって、坂井さんが台所に立つようになりました。
坂井宏行の学歴
坂井宏行さんの最終学歴は中学卒業です。高校には進学しませんでした。
母親は高校進学を希望していましたが、坂井さんは「母親を助けたい」という思いがあり、中学卒業後すぐに料理の世界に飛び込んでいます。
「高校だけは行っとけ」。おふくろはそう言ってくれたけど、苦しいのを見ていましたからね。やっぱり長男だし、子ども心に「おふくろを助けなきゃ」という思いがあったんです。
中学生の頃から台所に立つようになり、母親からは「手に職をつけろ」と言われていたこともあり、料理の世界に進むことは坂井さんにとっては自然のことだったようです。
坂井宏行の経歴
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料理人としてスタート
坂井宏行さんは中学卒業後に料理の世界に飛び込みました。台所に自然に立っていたことや「手に職をつける」という以外にも、外国航路の客船のコックの姿がカッコいいと思ったことや料理人ならひもじい思いをしなくて良いという考えもありました。
中学卒業後は中学校の紹介で大阪の仕出し弁当やで住み込みで働きました。しかし、そこでの仕事は坂井さんが目指す世界とは違うと感じていて、先輩から「ホテル新大阪」を紹介してもらい、そこで働くことになりました。
ホテル新大阪に転職して配属された先は、茨城カントリークラブ。そこで、ミートソースやハンバーグなどの洋食を学びます。
しかし、料理人の世界は丁稚奉公の縦社会。料理の世界に入ったばかりの坂井さんは掃除や洗濯、鍋洗いがメインの仕事で、包丁を使うのはジャガイモの皮むきだけという状態でした。少しでも早く料理を覚えたいと思った坂井さんはオーストラリアからの求人に飛びつきました。
オーストラリアのパースにある「オリエンタルホテル」で日本人コックの求人が出ていたため、19歳でオーストラリアに渡ります。もちろん、英語も何もわからない状態でしたが、日本人料理人として重宝され、そこで1年8ヶ月修行をしました。
フランス料理の修行
オーストラリアから戻った坂井宏行さんは「フランス料理のシェフになる」と決め、銀座の数寄屋橋近くにオープンするフランス料理店「四季」で働くことになりました。この「四季」のシェフは吉田茂首相の料理番をしていたこともある志度藤雄さんでした。
ここで〝吉田茂の料理番〟として知られる伝説の料理人、志度藤雄氏に3年間師事し、フランス料理の本質を学びます。
フランス料理の基礎を学んだ坂井さんは、28歳の時に金谷鮮治さんに〝西洋膳所ジョンカナヤ麻布〟の初代料理長に抜擢されました。
金谷さんは西麻布にオープンする店のシェフを探していたんです。いろんな人が応募してきたけれど、「若い世代でいろんなものに挑戦できる人がほしい」と金谷さんが言って、なかなか決まらない。それで僕が紹介されたんです。
金谷さんは日光金谷ホテル創業者の孫で美食家としても知られている人物です。この金谷鮮治さんは、日本人の胃と舌に合うようにフランス料理と懐石料理のテイストを取り入れようと考え、「西洋膳所ジョンカナヤ麻布」をオープンさせました。
そのため、坂井宏行さんも懐石料理を学ぶことになります。最初はフランス料理と懐石料理の融合はしっくりきませんでしたが、試行錯誤の結果、新しいフランス料理ができあがり、西洋膳所ジョンカナヤ麻布は人気店になりました。
ラ・ロシェルをオープン
フランス料理と懐石料理を融合させた料理で人気シェフになった坂井宏行さんは、1980年に念願の自分自身の店である「ラ・ロシェル」を南青山にオープンさせました。
1989年には渋谷に移転しましたが、バブル崩壊とともに客足が遠のくようになります。借金が増えていき、坂井宏行さん自身は自殺を考えるほど追い込まれ、坂井さん自身が渋谷の駅前でチラシを配ることもありました。
坂井さんはレストランウエディングを発案します。作り置きではなく、その場でアツアツの本格フレンチを出すことを売りに必死に営業した結果、少しずつ予約が入るようになり、経営は持ち直しました。
料理の鉄人に出演して人気に
ラ・ロシェルの経営が持ち直した1993年、坂井宏行さんにフジテレビの「料理の鉄人」出演のオファーがありました。最初は出演を断ったそうです。
最初は断ったんです、ヘンテコな衣裳を着てテレビカメラの前で料理をするなんて恥ずかしいじゃないですか。
しかし、スタッフの押しに負けて、ワンクールだけという条件で出演をOKしました。ワンクールだけのつもりが、結局出演は6年間も続きました。心身ともに負担は大きかったようですが、番組のおかげで店の知名度は上がり、さらにシェフの社会的立場の向上にも役立ったと話していました。
なにより、料理人やシェフという職業の社会的ステータスを高めたという点で、あの番組が果たした功績は大きいと思います。
料理の鉄人以外にもCMやバラエティ番組に出演したり、料理学校の講師や講演なども行っていますし、「ラ・ロシェル」も支店を増やしました。
2009年には厚生労働省の卓越した技能者表彰により「現代の名工」に選定され、2021年には文化庁長官の表彰を受けています。
坂井宏行の結婚した嫁や子供
1970年ごろに結婚
出典:goetheweb.jp
坂井宏行さんは結婚していて、子供が1人います。
結婚した時期は不明ですが、過去のインタビューなどを見ると、1970年ごろに結婚したものと思われます。
1971年に「ジョンカナヤ麻布」がオープンしますが、その頃にはすでに結婚していたようです。
そのころもう結婚していて、子どもが生まれたばかりでした。焦りがなかったわけじゃありません。
ということは、坂井宏行さんは28歳前後で結婚したことになります。
坂井さんのインタビューで、嫁について言及しているものはほとんどありませんので、どのような女性と結婚したのかは不明です。
息子は経営者
坂井宏行さんの息子は、坂井慎吾さんです。この息子さんは超優秀!すごい経歴の持ち主なんです。
<坂井慎吾の学歴・経歴>
・コーネル大学大学院卒業
・イギリスミッドランド銀行勤務
・HSBS勤務
・イギリスバークレイズキャピタル証券会社勤務
とんでもないエリートの経歴です。英語はペラペラであることは間違いないですし、頭はキレッキレで経営面にも強い実績を持っていることがわかります。
外資系金融会社でキャリアを積んだ息子の慎吾さんは2008年に、坂井宏行さんの会社である株式会社サカイ食品に入社します。そして、2017年にサカイ食品の代表取締役社長に就任しました。
息子の慎吾さんは、坂井宏行さんにないものを持っているそうです。
宏行:慎吾も私にはないものを持っていますよ。まず数字に強いし、話を整理して皆に理解してもらう力にも優れている。
息子の慎吾さんは料理人ではありませんので、厨房には立ちませんが、経営面で父親を支えているんですね。親子がそれぞれ得意分野を生かして協力し合うという理想的な親子関係のようです。
それを促すのは、父と同じ料理人ではない私だからこそできることなのではないかなと思っています。スタッフたちが自力で活躍できるチャンスを作り、父とは違った新たなつながりでお客さまを発掘するのが私の仕事です。
父親と同じ道を進み、父親を越えられずにコンプレックスをこじらせることがありますが、この坂井宏行・慎吾親子にはそのような心配は無縁のようです。
坂井宏行の自宅は派手?
出典:ぐっすり.com
坂井宏行さんの自宅は、とても派手です。ビックリするような派手さなんです。坂井宏行さん本人も、自宅は派手であるとインタビューで答えていました。
我が家の寝室は、とっても派手ですよ。「寝室は華やかに」というのが僕のこだわりですから、ベッドカバーは色彩豊かなゴブラン織りで、ヨーロッパの花畑を思わせるようなモチーフです。 飾っている絵も、和服を着た美しい女性の裸婦画ですからね。
ヨーロッパの花畑がモチーフとのこと。寝室をそのような派手なモチーフにしたのは、「華やかなものを目にしながら眠りにつくと良い夢を見られそうだから」とのこと。坂井宏行さんなりのこだわりがあって、自宅を派手にしていたんですね。
出典:youtube.com
出典:youtube.com
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和の鉄人の道場六三郎さんがYouTubeチャンネルの中で坂井宏行さんの自宅を訪問したことがありましたが、玄関がまず派手でした。赤の壁の玄関なんて、見たことがありません。でも、それが似合ってしまうムッシュ!さすがです。
また、自宅のいろいろなところに筋トレ用の道具がありましたし、キッチンはキチンスタジオのようにきれいで広く、そこでYouTubeの動画も撮影しているとのことです。
坂井宏行の現在!弟子とのYouTube動画が人気
出典:youtube.com
坂井宏行さんは、現在YouTubeチャンネルを2つ持っています。1つは、「ムッシュ坂井宏行【味は人なり】」というチャンネルで、自宅でもできるようなオシャレな料理を紹介しています。
もう1つのチャンネルが「【ラ・ロシェル坂井宏行】師匠と弟子」です。こちらは坂井宏行さんのお店であるラ・ロシェルの公式チャンネルですが、師匠と弟子をテーマにして動画をアップしています。
坂井宏行さんは現在はラ・ロシェルの厨房に立つことはないようですが、弟子の川島孝シェフや工藤敏之シェフは、「坂井宏行の弟子」としてラ・ロシェルの総料理長を務め、メディアに出演したり、講師や本の執筆などを行っています。
また、2024年9月には、道場六三郎さんと噛むことが困難な高齢者でも食事が楽しめることをコンセプトにした「100歳ごはん」を発表しました。
服部学園では講師として教えることもあるようです。
ラ・ロシェルの厨房に立つことはなくても、まだまだ料理への探求心は持ち続けているムッシュ。インスタグラムはほぼ毎日更新されていますので、82歳になった現在でも精力的に活動を続けています。
坂井宏行のまとめ
フレンチの鉄人である坂井宏行さんのプロフィールや身長、筋肉・筋トレ、生い立ちや学歴・経歴と結婚した嫁や子供、息子との関係、自宅や現在・弟子などをまとめました。
80代になったとは思えないほどの精力的なムッシュ・坂井宏行さん。今後、どのような料理を編み出していくのか楽しみですね。