米村でんじろうの現在!嫁と子供/息子・大学など学歴/経歴・本名や年齢・ラヴィット出禁騒動もまとめ

サイエンスプロデューサーの米村でんじろうさんの現在が話題です。

 

この記事では米村でんじろうさんの本名や年齢、高校や大学と教師時代など経歴、結婚や嫁、子供は息子がいるなどの家族や自宅、ラヴィットへの出演と出禁騒動、現在の活動と今後の展望についてまとめました。

米村でんじろうのプロフィール

 

米村でんじろうのプロフィール

 

本名  :米村傳治郎(よねむら・でんじろう)

生年月日:1955年2月15日

出身地 :千葉県市原郡加茂村(現在の市原市)

 

米村でんじろうさんは、子供から大人まで科学の面白さを分かりやすく伝える「サイエンスプロデューサー」として活躍されている方です。

 

米村でんじろうさんの代名詞ともいえる「サイエンスショー」は、教育とエンターテイメントを融合させた画期的なパフォーマンスとして、全国各地で人気を博しています。

 

近年では、情報番組「ラヴィット!」への出演でさらに人気を急上昇させており、その活動はますます多岐にわたっています。

 

 

米村でんじろうの本名は「米村傳治郎」

 

出典:https://i.ytimg.com/

 

米村でんじろうさんの本名は米村傳治郎(よねむら・でんじろう)」です。

 

テレビなどで見かける「でんじろう」という親しみやすい名前は芸名のようですが本名をひらがな表記したものです。

 

ただ、出生時の本名の姓は「戸谷(とや)」でした。後述しますが、米村でんじろうさんは大学院を卒業した後に結婚し、婿養子として妻の姓である「米村」を名乗ることになったという経緯があります。

 

「傳治郎」という本名は、現代では少し珍しく感じられるかもしれませんが、そのキャラクターと相まって、1度聞いたら忘れられない強い印象を与えるものとなっています。

 

 

米村でんじろうの年齢

 

出典:https://encount.press/

 

米村でんじろうさんは1955年(昭和30年)2月15日生まれです。

 

したがって2025年11月時点の年齢は「70歳」になります。

 

テレビで見るエネルギッシュな姿からはこの年齢だとは想像しにくいかもしれませんが、長年にわたり日本の科学教育の分野で第一線を走り続けてきた大ベテランです。

 

米村でんじろうさんの年齢が70歳である事を知って驚いたという声もネット上では多くみられます。

 

 

ちなみに、米村でんじろうさんの誕生日は「近代科学の父」とも称されるガリレオ・ガリレイと同じ日です。この偶然の一致は、科学の楽しさを伝えることを生業とする米村でんじろうさんにとって何か運命的なものを感じさせるものです。

 

 

米村でんじろうの経歴① 幼少期から千葉県立市原高校入学まで

 

後列右の端が少年時代の米村でんじろうさん

 

現在の華々しい活躍からは想像しがたいですが、米村でんじろうさんがサイエンスプロデューサーとして成功を収めるまでの道のりは、決して平坦なものではありませんでした。

 

ここからは、米村でんじろうさんの幼少期から高校や大学など学生時代、そして教師を経て独立に至るまでの波乱に満ちた経歴を詳しく追っていきます。

 

米村でんじろうさんは、1955年2月15日、千葉県市原郡加茂村(現在の市原市)の農家に、4人兄弟の末っ子として生まれました。幼少期は、房総丘陵の豊かな自然に囲まれて育ち、川で魚を釣ったり、山で松ヤニを集めたりと、自然の中で遊ぶことが大好きだったそうです。

 

この頃から、内気で人見知りな性格で、集団で遊ぶよりも1人で工作に没頭することが多かったといいます。

 

小学校時代には、人気アニメ「鉄腕アトム」に登場するお茶の水博士に憧れを抱き、壊れたラジオの部品を使って電磁石を作ったり、望遠鏡を自作したりと、科学への好奇心を育んだのだとか。

 

当時の学業成績は決して良い方ではありませんでしたが、理科と工作だけは得意で、「ものしり博士」と呼ばれることもありました。

 

中学時代は化学部に所属し、科学への探求心をさらに加速させています。この時期、彼は火薬や火縄銃といった危険なものにも興味を持ち、自作していたという驚きのエピソードも残っています。高校は、地元の「千葉県立市原高等学校」(現在の偏差値は37)に進学されています。

 

 

米村でんじろうの経歴② 三浪の末に東京学芸大学理科B類へ

 

出典:https://bunshun.ismcdn.jp/

 

米村でんじろうさんは、高校3年生の時に父親が工場の事故で亡くなるという不幸に見舞われます。

 

この出来事は彼の人生に大きな影響を与え、経済的な理由から授業料の安い国立大学を志望するも、受験に失敗してしまいます。

 

その後、2年間の浪人生活を送りますが、母親から働くことを勧められ、工場で働いたり、予備校に通ったりするも、長続きしませんでした。

 

3年目には、新聞奨学生に応募するも断られ、牛乳配達のアルバEントをしながら自宅で浪人生活を続け、ついに1976年、東京学芸大学理科B類(物理)に合格します。

 

しかし、念願の大学に入学したものの、米村でんじろうさんの苦悩は続きます。物理学を専攻したものの、量子力学や相対性理論といった専門的な内容が理解できず、多くの単位を落としてしまったのだそうです。

 

集団生活が苦手な性格も相まって、大学生活は決して順風満帆とは言えなかったようです。そんな米村でんじろうさんにとって転機となったのが、研究室でのパソコン用理科教育ソフトの作成でした。

 

指導教官から初めて褒められたことで、「段階を踏んでやればできる」という自信が芽生えたと後に語っています。

 

そして、米村でんじろうさんは、「社会に出て働きたくない」という思いから、東京学芸大学大学院(理科教育専攻)へ進学します。この大学院生時代に、後の嫁となる律子さんと出会うことになります。

 

 

米村でんじろうの経歴③ 自由学園や東京都立稲城高校で教員職

 

出典:https://article-image-ix.nikkei.com/

 

米村でんじろうさんは大学院終了後、研究職を目指すも公務員試験などに落ち、研究生として大学に残る事になります。

 

その後、私立の「自由学園」で3年間、非常勤講師として教壇に立っています。ここで、米村でんじろうさんは、教科書にとらわれず実験を中心とした自由な授業を展開し、教師という仕事の面白さに目覚めます。

 

そして、1984年に東京都の教員採用試験に合格し、翌年から東京都立稲城高校に理科(物理)教師として赴任しました。

 

しかし、当時の稲城高校は、授業が成立しないほど荒れている学校でした。米村でんじろうさんの理想とはかけ離れた現実を前に、当初は苦悩の日々が続いたそうです。

 

それでも米村でんじろうさんはあきらめず、「どうすれば生徒たちが科学に興味を持ってくれるのか」を模索し、授業に様々な工夫を凝らしました。

 

例えば、「春を食べよう」と題して、生徒たちと野草を摘み、理科室で茹でて食べるというユニークな授業を行いました。このような型破りな授業は、生徒たちの心を掴み、科学への関心を引き出すきっかけとなっていきました。

 

米村でんじろうさんの教師としての情熱は、学内だけに留まりませんでした。身近な材料で作れる「リサイクル電池」を発明し、1996年には第一回科学技術体験活動アイデアコンテストで科学技術庁長官賞を受賞するという快挙を成し遂げています。この受賞が、米村でんじろうさんの人生を大きく変えることになります。

 

 

米村でんじろうの経歴④ サイエンスプロデューサーとして独立

 

出典:https://lh6.googleusercontent.com/

 

米村でんじろうさんは教師として生徒たちに科学の楽しさを伝えることにやりがいを感じていた一方で、より多くの人々に、そしてより自由に科学の魅力を伝えたいという思いを強めていきました。

 

そして1996年3月、11年間勤めた都立高校の教師を辞め、サイエンスプロデューサーとして独立する道を選びます。)

 

独立後、NHKのドキュメンタリー番組「オレは日本のガリレオだ!?」(1996年5月6日放送)に出演したことが大きな転機となります。

 

番組は大きな反響を呼び「第38回科学技術映像祭科学技術長官賞受賞」を受賞。米村でんじろうさんの名前は一躍全国に知られるようになりました。

 

これをきっかけに、講演会やイベントの依頼が殺到するようになります。

 

そして1998年、「米村でんじろうサイエンスプロダクション」を設立本格的にサイエンスプロデューサーとしての活動をスタートさせました。

 

当初は、講演だけでは時間が持たないという理由から実験を取り入れ始めましたが、これが現在の「サイエンスショー」の原型となっていきます。

 

この年には、第一回科学技術普及啓発功績者として、再び科学技術庁長官賞を受賞し、その活動が高く評価されました。

 

この「サイエンスプロデューサー」という肩書きは、元々存在したものではなく、彼自身が名乗り始めたものです。科学の面白さを、教育(Education)と楽しさ(Entertainment)を実験(Experiment)で繋ぐという理念のもと、彼はこの新しい職業を自ら切り拓いていったのです。

 

 

米村でんじろうは教育とエンタメを融合させたサイエンスショーでブレイク

 

出典:https://lh3.googleusercontent.com/

 

米村でんじろうさんの活動の中核をなすのが、全国各地で開催される「サイエンスショー」です。

 

これは単なる科学実験教室ではなく、多彩な演出を加え、教育とエンターテイメントを融合させた、世界でも類を見ない画期的なショーです。

 

 

米村でんじろうのサイエンスショーの魅力と特徴

 

米村でんじろうさんのサイエンスショーの最大の魅力は、その圧倒的なスケールとエンターテイメント性です。巨大な空気砲から放たれるドーナツ状の煙の輪や、静電気を利用した百人おどしなど、観客の度肝を抜く派手な実験が次々と繰り広げられます。

 

しかし、その根底にあるのは、「科学の面白さを直接体験してほしい」という一貫した思いです。小さな子供から大人まで、誰もが直感的に「すごい!」、「面白い!」と感じられるよう、プログラムは緻密に計算されています。

 

サイエンスショーの後には、オリジナルデザインの実験キットが販売され、家庭でも科学に親しむきっかけを提供しています。このキットの売れ行きは好調で、ショーの感動が子供たちの探求心を刺激していることがうかがえます。

 

また、サイエンスショーは米村氏本人だけでなく、彼の指導を受けた弟子たちによっても全国各地で開催されており、より多くの人々に科学の楽しさを届ける体制が整えられています。

 

 

米村でんじろうのサイエンスショーの代表的な実験

 

米村でんじろうさんのサイエンスショーで披露される実験は数多くありますが、中でも特に有名なものをいくつか紹介します。

 

空気砲

 

出典:https://www.izumicityplaza.or.jp/

 

段ボール箱に穴を開けただけのシンプルな構造ながら、強力な空気の渦を発生させ、遠くの的を倒すことができる人気の実験です。

 

  • 静電気実験(百人おどし)

  •  
  • 手をつないだ大勢の人が一斉に静電気の衝撃を感じるという、一体感とスリルを味わえる実験です。

  •  

ペーパーブーメラン

 

出典:https://www.galaxcity.jp/

 

  • 厚紙で作った簡単なブーメランが、見事に手元に戻ってくる様子は、子供たちの知的好奇心を大いに刺激します。

  •  
  • 木炭電池

  •  
  • 身近にある木炭(活性炭)を使って電池を作り、ラジオを鳴らす実験。リサイクルの概念も学べる教育的な実験です。

  •  

これらの実験は、科学の原理を分かりやすく体感できるだけでなく、観客を巻き込み、会場全体を一体感で包み込む演出が施されています。

 

 

米村でんじろうの「ラヴィット!」出禁騒動も話題に

 

出典:https://assets.st-note.com/

 

サイエンスショーと並行して、米村でんじろうさんはテレビ番組にも多数出演し、お茶の間にも科学の楽しさを届けてきました。

 

特に近年、朝の情報番組「ラヴィット!」への出演は大きな話題を呼び、米村でんじろうさんの新たな一面を知らしめることとなりました。

 

 

数々のテレビ番組への出演と事故によるメディア露出激減

 

独立のきっかけとなったNHKの番組以降、「世界一受けたい授業」(日本テレビ系)や「どうぶつ奇想天外」(TBS系)など、米村でんじろうさんは数々の人気番組に出演しています。

 

 2019年からは、自身の冠番組「でんじろうのTHE実験」(フジテレビ系)が放送されるなど、テレビにおけるサイエンスの第一人者としての地位を確立しました。

 

しかし、2020年に「でんじろうのTHE実験」のロケ中に、出演者が怪我をする事故が発生。米村でんじろうさん自身は実験の監修に関わっていなかったものの、番組は2021年2月に打ち切りとなりました。この一件以降、メディアへの露出が減少した時期もありました。

 

 

「ラヴィット!」での“出禁”と“出禁解除”

 

出典:https://up.gc-img.net/

 

そんな中、米村でんじろうさんが再び大きな注目を集めるきっかけとなったのが、TBS系の朝の情報番組「ラヴィット!」への出演でした。

 

2022年2月15日、自身の誕生日に合わせて生出演した米村でんじろうさんは、静電気を使った実験でスタジオを阿鼻叫喚の渦に巻き込みました。

 

そのあまりの衝撃に、視聴者プレゼントのキーワードが「でんじろう出禁」になるという異例の事態に発展しました。

 

しかし、その翌年、2023年2月15日に再び同番組に登場。“出禁解除”と称されたこの出演でも、彼は期待を裏切らない過激な実験を披露し、スタジオを再びパニックに陥れました。

 

油断させておいて轟音を鳴らすなど、そのSっ気のあるキャラクターと予測不能な展開は、朝の番組に新たな刺激をもたらし、若い世代からも絶大な支持を得る結果となりました。

 

現在では、毎年2月15日の「ラヴィット!」出演が恒例となっており、多くの視聴者が米村でんじろうさんの登場を心待ちにしています。

 

 

米村でんじろうの結婚と嫁の律子さんについて

 

サイエンスプロデューサーとして多忙な日々を送る米村でんじろうさんですが、そのプライベートはあまり多く語られていません。ここからは、公表されている情報をもとに、米村でんじろうさんの結婚や嫁、子供などの家族構成や自宅について触れていきます。

 

 

結婚と妻(嫁)の存在

 

米村でんじろうさんは結婚しており、嫁は律子(りつこ)さんという方です。2人の出会いは東京学芸大学の大学院時代で、卒業後の1982年、米村でんじろうさんが26歳の時に結婚しました。

 

前述の通り、米村でんじろうさんは結婚を機に嫁の姓である「米村」を名乗る婿養子となりました。

 

大学院卒業後、研究職を目指していたものの職が見つからなかった時期には、教師として働く律子さんが家計を支えていたといいます。長年にわたり、公私ともに米村でんじろうさんを支え続けてきた律子さんは、米村でんじろうさんの活動にとって不可欠な存在であると言えるでしょう。

 

 

米村でんじろうの子供

 

米村でんじろうさんの子供については、息子が1人いるという情報がありますが、子供が何人いるのかや、子供の名前や年齢、職業といった詳細な情報は一切公表されていません。

 

これは、一般人である家族のプライバシーを尊重してのことだと考えられます。

 

一部で、サイエンスアクターとして活躍する岡元気(いちおか・げんき)さんが米村でんじろうさんの息子ではないかという噂がありましたが、これは誤りです。

 

市岡元気さんは米村でんじろうさんのサイエンスプロダクションに所属していた一番弟子であり、現在は独立して活動しています。

 

 

米村でんじろうの自宅

 

米村でんじろうさんの自宅に関する詳細な情報は、プライバシーの観点から公表されていません。

 

しかし、過去の情報によれば、東京都文京区に地下1階、地上3階建ての実験専門ビルを所有しているとされています。

 

これは、米村でんじろうさんの科学への情熱と探求心が詰まった、まさに「秘密基地」のような場所であるといわれていますが、ここを自宅としているわけではないようです。

 

また、YouTubeチャンネルでは「サイエンス村」と称して、野山を切り拓き、実験スペースを作る企画も行っており、自然の中での活動も楽しんでいる様子がうかがえます。

 

 

米村でんじろうの現在と今後の展望

 

米村でんじろうさんは年齢70歳を迎えた現在もサイエンスプロデューサーとして精力的に活動されています。

 

 

米村でんじろうの現在① 多岐にわたる現在の活動

 

現在の米村でんじろうさんの活動の主軸は、引き続き全国各地で開催されるサイエンスショーです。教育とエンターテイメントを融合させた米村でんじろうさんのショーは、今もなお多くの親子連れを魅了し続けています。

 

テレビでは、年に一度の「ラヴィット!」出演が恒例となっているほか、様々な番組にゲストとして登場し、科学の魅力を伝え続けています。

 

さらに、2011年からは公式YouTubeチャンネル「でんじろう先生[公式]」を開設しており、サイエンスショーの様子や、家庭でできる簡単な実験などを動画で配信しています。現在のチャンネル登録者数は27.9万人にのぼり、新たな世代のファンを獲得しています。

 

 

米村でんじろうの現在② 今後の展望

 

冠番組の終了や、YouTubeの再生回数の伸び悩みといった課題も指摘されていますが、米村でんじろうさんの活動意欲は少しも衰えていません。

 

将来的な夢として、「サイエンスショーに特化したホール」の建設を掲げています。既存の施設では制約が多く、実現できないような大規模な実験を、より自由に行える場所を作りたいという壮大な構想を持たれているようです。

 

科学を単なる学問としてではなく、1つの「文化」として社会に根付かせたいと語る米村でんじろうさんの挑戦は今後も続いていくと思われます。

 

 

まとめ

 

今回は、サイエンスプロデューサーとして活躍する米村でんじろうさんについてまとめてみました。

 

米村でんじろうさんの本名は「米村傳治郎」(読みは同じ)で、2025年11月現在の年齢は「70歳」です。

 

米村でんじろうさんは、三浪の末に入学した大学での挫折、荒れた高校での教師生活といった数々の困難を乗り越え、「科学の楽しさを伝えたい」という純粋な情熱1つで、「サイエンスプロデューサー」という前人未到の道を切り拓いた経歴を持ちます。

 

米村でんじろうさんは結婚していて嫁がおり、子供は息子がいるといわれていますが、一般の方のため詳細は不明です。

 

そんな米村でんじろうさんですが、現在は毎年の誕生日に「ラヴィット!」に出演してマッドサイエンティスト的な破天荒なキャラクターで新たなファンを獲得しています。

 

70歳を迎えた現在もなお、新たな夢に向かって走り続ける米村でんじろうさんの存在は、「好き」を突き詰めることの素晴らしさと、学び続けることの楽しさを教えてくれています。今後も、唯一無二のサイエンスプロデューサーとして、日本中に驚きと感動、そして科学の光を届け続けてくれる事と思います。

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