「カナダからの手紙」で大ブレイクした畑中葉子さんですが、デュエット相手の故・平尾昌晃さんとの関係も話題です。
今回は畑中葉子さんの若い頃の経歴と平尾昌晃さんとの関係、2人の旦那と娘、そして現在の活躍をまとめました。
この記事の目次
畑中葉子のプロフィール
プロフィール
名前:畑中 葉子(はたなか ようこ)
出身地:東京都八丈島
生年月日:1959年4月21日
年齢:58歳(執筆時)
身長:154cm
スリーサイズ:83-60-87
血液型:A型
学歴:日本大学櫻丘高等学校卒業
職業:歌手・女優
畑中葉子の若い頃① 「カナダからの手紙」で一躍大ブレイク
東京都八丈島出身という芸能界では珍しい経歴を持つ畑中葉子さんですが、父親の仕事の都合で中学2年生の頃に東京に引っ越しました。
歌手を夢みて、平尾昌晃歌謡スクールに通っていた畑中葉子さんは、高校卒業直前の1978年1月、平尾昌晃さんのデビュー20周年の記念曲「カナダからの手紙」で、歌手デビューします。
出典:https://www.sponichi.co.jp/
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=Vrs4wC1VMjk&w=560&h=315]
とっても愛らしく清純派でありながら、平尾昌晃さんの愛弟子なだけあって歌手としての実力もしっかりと備えた畑中葉子さん。
1970年代のデュエットブームと相まって、「カナダからの手紙」は大ヒットを記録し、その年の第29回NHK紅白歌合戦に初出場を飾りました。
また、ロマンティックな同曲に刺激されたせいか、カナダへの日本人旅行者が急増。
カナダ政府から表彰されるなど、「カナダからの手紙」の人気は、社会現象にもなったほどでした。
畑中葉子の若い頃② ソロデビュー・電撃結婚&離婚
事務所の反対を押し切ってソロデビューするも失敗に…
平尾昌晃さんとのデュエットが大当たりしたため、当時の所属事務所は、当然2曲目もデュエットで売り出そうとするのですが、畑中葉子さんは「アイドルで活動したい」と猛反発したそう。
出典:http://hiptankrecords.com/
畑中葉子さんは事務所の反対を押し切る形で、1979年に「ロミオ&ジュリエット’79」でソロデビューを果たすのですが…。
事務所が睨んだ通りだったのか、事務所の後押しが足りなかったのかはわかりませんが、その後の畑中葉子さんの人気は低迷していくことになります。
現実から逃れるように結婚するも…わずか8ヶ月で離婚
そんなソロデビューの失敗により、精神的に追い詰められた畑中葉子さんは、現実から逃れるように、当時の所属事務所には無断で、7歳年上の音楽ディレクターの男性と電撃結婚します。
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が、しかし!わずか8ヶ月後には離婚することになります。
当然、「勝手に結婚して勝手に離婚した!」と、当時のワイドショーや週刊誌は、畑中葉子さんを大バッシングしました。
畑中葉子の若い頃③ セクシー女優デビュー
清純派歌手からセクシー女優として鮮烈デビューを飾る
その後の畑中葉子さんは、プレイボーイに掲載されたセミ●ードのグラビアが話題になると、さらに日活ロマン●ルノに出演し、セクシー女優としても鮮烈デビューを果たしました。
出典:http://hiptankrecords.com/
当時、清純派歌手として売っていた畑中葉子さんの●ルノ映画出演は、世間に大きな衝撃を与え、初主演の「愛の白日夢」、2作目の「後から前から」は空前の大ヒットを記録しました。
畑中葉子と平尾昌晃の関係とは【熱愛の噂の真相】
大ヒット曲「カナダからの手紙」で、熱く見つめ合いながらデュエットする畑中葉子さんと平尾昌晃さんのラブラブな雰囲気に、いつしか男女の関係が疑われるようになっていました。
出典:https://www.daily.co.jp/
また、当時の畑中葉子さんと言えば、清純派の雰囲気を前面に出してはいるものの、セクシー女優として後に世間をアッと驚かせるほど、内に秘めたるものを持っていたことになります。
そんな目でもって、改めて思い返してみれば…デビュー当時からそこはかとないお色気を漂わせていたよな~なんて回想する諸兄も少なくありませんでした。
しかもです!デュエット相手の平尾昌晃さんと言えば、芸能界でも指折りのプレイボーイとして知られていたわけです。
そんな2人のただならぬ関係を詮索する声がそこかしこから湧き上がることは、もはや必然だったと言えるでしょう。
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果たして、畑中葉子さんと平尾昌晃さんはやっぱり男女の関係にあったのでしょうか?
とっても今更な話題ではありますが、今回、その点についても徹底調査してみました。
畑中葉子が「カナダからの手紙」で平尾昌晃のデュエット相手に選ばれた経緯
そもそも畑中葉子さんと平尾昌晃さんとの関係を紐解くと、畑中葉子さんが中学3年生の頃にまでさかのぼります。
畑中葉子さんは平尾昌晃さんとの出会いについて、後に次のように語っています。
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先生との出会いは私が中学3年生のとき。一家で八丈島から東京・中目黒に越したのですが、ある日、私は原宿でスカウトされました。両親は、「芸能界のことは分からないから」と当時、ご近所だった平尾先生に相談に行ったところ、「麻布十番で歌謡教室をやっているからおいでよ」と。
引用:平尾昌晃さん死去で畑中葉子独占告白「『カナダからの手紙』ヒットで鼻高になり失礼なことをした」 https://www.zakzak.co.jp/
畑中葉子さんがその当時暮らしていたマンション「中目黒ハイツ」の、なんと隣の隣の部屋に住んでいたのが平尾昌晃さんだったそうです。
出典:https://mainichi.jp/
幼い頃から歌手を夢見てきた畑中葉子さんは、平尾昌晃さんの歌謡教室で歌の基礎を学びながら、オーディションを受けまくっていたそうです。
しかし、なかなか合格できずに途方に暮れていたところに舞い込んだのが…平尾昌晃さんの20周年記念曲として作られた「カナダからの手紙」の話でした。
とは言え、平尾昌晃さんのデュエット相手として、最初から畑中葉子さんが選ばれていたわけではありません。
平尾昌晃さんの歌謡教室に通う多くの生徒の中から、オーディションで選ばれたのが、畑中葉子さんだったのです。
出典:https://www.zakzak.co.jp/
ちなみに、そのオーディションは平尾昌晃さんではなく、プロデューサーや作詞家の喜多條忠さんらによって行われていたそう。
ですので、決して平尾昌晃さんが畑中葉子さんに特別に目をかけたわけではないようです。
平尾昌晃にとって畑中葉子はご近所から預かった大切なお嬢さんだった?
ちなみに、「カナダからの手紙」がリリースされたのは、1978年1月10日だったので、当時、平尾昌晃さんは41歳で、一方の畑中葉子さんはまだ18歳だったんですよね。
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また、2人の出会いは、畑中葉子さんの両親が平尾昌晃さんに今後を相談したことがきっかけで、平尾昌晃さんにとって畑中葉子さんはご近所さんから預かった大切なお嬢さんなわけです。
しかも畑中葉子さんは当時まだ未成年でしたし、いくら平尾昌晃さんが名うてのプレイボーイだったとは言え、さすがに手を出すってのは考えにくいように思うのですが、いかがでしょうか?
ただし、平尾昌晃さんと言えば、34歳の時に、当時18歳の現役女子大生とデキちゃった結婚をしているんですよね。
その3年後には、当時16歳の歌手・小沢深雪さんとの不倫が原因で別居状態に。結局は離婚し、離婚成立後間もない1978年に、当時19歳になっていた小沢深雪さんと再婚していたりします。
つまり、平尾昌晃さんにとって1978年という年は、かたや19歳の畑中葉子さんとデュエット曲で大ヒットを飛ばし、一方で不倫の末に再婚した節目の年でもあったんですよね。
ってわけで、こと平尾昌晃さんに関して言えば、相手が未成年だから手を出さないはず!なんて常識は全く通用せず、畑中葉子さんとの関係を疑われても仕方のない人ではあるんですよね。
果たして真相やいかに!
畑中葉子の旦那① わずか8ヶ月で離婚した最初の旦那について
畑中葉子さんの最初の旦那さんは、「ロミオ&ジュリエット’79」でソロデビューを果たした1979年5月に、事務所にも内緒で電撃結婚した、7歳年上の音楽ディレクターの檀雄二さんです。
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この結婚によって、畑中葉子さんは一時、歌手活動を休止しています。この時、畑中葉子さんは20歳の春のことでした。
ちなみに…このことを平尾昌晃さんに報告した際、ただただ苦笑いをしながら「しょうがないなぁ、何やってるんだよ」と言われただけだったそうです。
畑中葉子さんは、平尾昌晃さんのこの言葉に泣いてしまったそうです。
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しかし、ただ若さだけで突っ走った新婚生活はわずか8ヶ月で破綻し、翌1980年1月には離婚に至るのですが、実は、結婚した年の夏頃には別居状態になっていたのだとか。
実質的な結婚生活は3~4ヶ月ってところだったようです。
畑中葉子の旦那② 再婚相手は当時のマネージャー
日活ロマン●ルノで4作の映画に主演した畑中葉子さんですが、25歳の時に脱ぐのを辞める決意をしたそうです。
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そして、1991年1月に当時、畑中葉子さんのマネージャーを担当していた一般男性と再婚し、同年10月には長女を、93年には長男を出産しています。
ちなみに、2番目の旦那さんとは畑中葉子さんの芸能活動が行き詰まった頃から、二人三脚で頑張ってきた“戦友”のような存在だったのだとか。
ところが、事務所スタッフの結婚式の二次会で、ふと手を引かれたことがきっかけで、それ以来男性として急に意識するようになり、畑中葉子さんからアプローチした末の再婚だったそう。
ただ、あくまで一般男性であるため、この2番目の旦那さんに関する詳しい情報はありませんでした。
畑中葉子の愛娘は現在アイドルとして活躍中
小学生から中学生時代は不登校だった畑中葉子の娘
畑中葉子さんの娘さんも息子さんも、現在では立派に成人されていますが、実は娘さんが小学生から中学生の頃にかけて、不登校に悩まされたそうです。
杏奈は「中学の3年間、ほとんど学校に行かなかった。理由は特にない」と明かす。芸能活動を休業中だった畑中はカウンセラーの元に通い、「親のレールに乗りたくないという自我がそういう形で出た」と受け止めた。対策は「何も言わないこと」。親として「それが一番きつかった」という、その思いは伝わった。杏奈は「あえて言わないでいてくれてるんだろうと。勉強して高校に行きたいと自分から思うようになった」と振り返る。
引用:畑中葉子の27歳娘・杏奈が芸能界デビュー 中学時代に不登校を克服…母と二人三脚で https://www.daily.co.jp/
「理由は特にない」とありますが、もしかすると、セクシー女優として、かつて一世を風靡した“あの畑中葉子がお母さん”ということもあったのかも知れませんね。
特に女の子は、そういう方面には多感な年頃なわけですし…。
出典:https://jisin.jp/
現在は芸能界デビューを果たしている畑中葉子の愛娘
畑中葉子さんの娘・杏奈さんは、現在、お母さんと同じ事務所から芸能界デビューしていたりします。
「もともと、娘はモデルをやりたいと思っていた時期があったんです。そのときは『あなたは背が低いから無理!』って冷たく言って終わったんです。実は昨年11月、私のデビュー40周年の記念ライブに娘が見にきたら、今の所属事務所の社長が『キャラが面白いから、デビューしてみますか?』と声をかけてくださって……。私も4月で還暦ですし、娘には『人生やりたいことをやって!』と後押ししたんです」
引用:畑中葉子 愛娘が芸能界デビュー!不登校を克服した愛娘へエール https://jisin.jp/
現在はジュエリーショップに勤めており、今後はショップに勤務しながら芸能活動との両立を目指していくそうです。
畑中葉子の現在
再婚後は子育てもあって、芸能活動から遠ざかっていた畑中葉子さんですが、2011年4月から太田プロダクション所属のタレントとして芸能活動を再開しました。
2012年7月放送の「ガチ桜」の企画「ニュース時事能力検定2級に合格できなかったら事務所を解雇」に出演した畑中葉子さん。なんと不合格で、本当に解雇処分になってしまいました。
事務所のプロフィールからも削除された畑中葉子さんですが、2012年12月には再び太田プロダクションに復帰が叶いました。
出典:https://ja.whotwi.com/
しかし歌手活動に専念するため、2014年6月1日よりビクターミュージックアーツに移籍し、2014年8月20日発売の復刻アルバム「後から前からBOX」が週間チャート1位を獲得しました。
2015年からはフリーとして活動している畑中葉子さんは、2016年5月11日には、33年ぶりのオリジナル・アルバム「GET BACK YOKO!!」を発売しています。
また、同年の映画「貌斬り KAOKIRI~戯曲「スタニスラフスキー探偵団」より~」に出演するなど、女優としても精力的に活動されているようです。
紅白歌合戦の映像から平尾先生の音声だけを切り出して、畑中葉子さんのパートと伴奏は生という、ファンにはとっても胸熱な共演が実現しました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。
故・平尾昌晃さんとのデュエット・ソング「カナダからの手紙」のヒットで、一躍大ブレイクを果たした畑中葉子さん。
そんな畑中葉子さんの若い頃の経歴と平尾昌晃さんとの関係、2人の旦那さんと芸能界デビューを果たした娘さん、そして現在の活躍についてまとめてみました。
今後、親子共演が見られる日も来るかもしれませんね。