競輪のトップレーサーの1人、諸橋愛選手が落車事故により亡くなりました。
この記事では諸橋愛選手の生い立ちから競輪選手としての輝かしい経歴、推定の賞金総額、結婚や嫁や子供など家族、落車事故の詳細と衝撃的な動画、事故後の容態と死因までを詳しくまとめました。
この記事の目次
諸橋愛は長年トップレーサーとして活躍した競輪選手で落車事故により死去
諸橋愛のプロフィール
生年月日:1977年7月21日
没年月日:2026年9月21日(49歳没)
出身地 :新潟県西蒲原郡(現在の燕市)
身長 :172cm
競輪界で長年にわたりトップレーサーとして活躍し、多くのファンから愛された諸橋愛(もろはし・めぐむ)選手。S級1班に20年以上在籍し、GII制覇やS級S班への昇格など輝かしい実績を残した名選手でしたが、2026年9月、レース中の落車事故により49歳という若さでこの世を去りました。
諸橋愛の基本情報とアマチュア時代の経歴
諸橋愛選手は、1977(昭和52)年7月21日、新潟県西蒲原郡(現在の燕市)に生まれました。身長172cm、体重75kgという競輪選手としては標準的な体格ながら、人一倍の負けず嫌いな性格とストイックな練習姿勢で才能を開花させていきます。
幼少期からスポーツ万能であった諸橋愛選手ですが、自転車競技に本格的に打ち込むようになったのは高校時代からです。地元の新潟県立吉田商業高等学校に進学した彼は自転車競技部に所属し、めきめきと頭角を現します。
高校在学中に出場した全国高等学校総合体育大会自転車競技大会(インターハイ)では、4000メートル速度競走種目で見事に優勝を果たし、全国にその名を轟かせました。このアマチュア時代の実績を提げ、彼はプロの競輪選手への道を歩むことになります。
日本競輪学校(現在の日本競輪選手養成所)には第79期生として入校。在校競走成績は32位(11勝)と、決してトップクラスの成績ではありませんでしたが、ここから彼の弛まぬ努力と競輪への情熱がプロの世界で花開くことになります。
諸橋愛のトップ競輪選手としての偉大な経歴とスタイル
諸橋愛の競輪選手としての経歴① デビューからS級定着まで

1997年4月13日、諸橋愛選手は地元・新潟のホームバンクである弥彦競輪場でプロデビューを果たしました(結果は3着)。初勝利は直後の同年4月23日の松戸競輪場、さらに同年5月5日の静岡競輪場では初優勝(完全優勝)を飾り、早くからその実力の片鱗を見せつけます。
すぐにB級(当時)からA級へと特別昇級し、同年の新人選手の登竜門であるルーキーチャンピオンレースでは4着に入りました。
諸橋愛選手の最大の強みは「追込(マーク)」という脚質です。自らが風を切って先行するのではなく、前を走る選手(先行選手)の番手(後ろ)につき、最後の直線で一気に差し切る戦法を得意としていました。
追込選手には、前の選手を他ラインの攻撃から守る技術(ブロック技術)や、瞬時の判断力、そして何より他選手に当たり負けしない強靭な肉体と精神力が求められます。諸橋愛選手は「独自の美学を持っている」と評されるほど、レースに対する執念が強く、時には激しいブロック(頭突きでの牽制など)を見せるなど、気迫あふれるレーススタイルでファンを魅了しました。
諸橋愛の競輪選手としての経歴② 2017年の大ブレイクとS級S班への昇格
諸橋愛選手のキャリアの中で最も輝かしい時期と言えるのが、デビュー20年目を迎えた2017年です。
同年7月、地元の弥彦競輪場で開催されたGIII「ふるさとカップ(弥彦記念)」で優勝を果たし、地元ファンを熱狂させました。(この弥彦記念では2017年から2019年まで怒涛の3連覇を達成しています)。
そして同年9月、武雄競輪場で開催された第33回共同通信社杯(GII)において、関東地区の後輩であり絶対的エースの平原康多選手とラインを組み決勝に進出。平原選手の強烈な仕掛けにしっかりと追走し、ゴール前で鋭く差し切って見事優勝。これが諸橋愛選手にとってデビュー20年目にして初の特別競輪(ビッグレース)制覇となりました。
この年の快進撃により、諸橋愛選手は年間獲得賞金ランキングの上位(6位)に食い込み、年末の頂上決戦である「KEIRINグランプリ2017」への初出場を果たしました。
グランプリ本番では不運にも落車棄権(失格)となってしまいましたが、翌2018年には競輪界でたった9名しか選ばれない最高峰のランク「S級S班」に所属し、名実ともに日本トップレーサーの仲間入りを果たしました。
その後も、ビッグレース制覇は1度のみであったものの、2003年下期から20年以上にわたってS級1班という厳しいクラスを維持し続けたことは、彼がいかに自己管理を徹底し、高いモチベーションを保ち続けていたかの証明です。
記者に対して「クビになるまで走りたい」と語っていたほど、競輪への深い愛と情熱を持っていた選手でした。
諸橋愛の生涯獲得賞金と年収

競輪界のトップを走り続けた諸橋愛選手は、その獲得賞金額も桁外れでした。
KEIRINグランプリに出場し、GIIを制覇した2017年の年収(年間獲得賞金)は数千万円後半から1億円近くに達したと推測されます。
また、S級1班に長年定着していたため、一般的な年でも平均して2000万円〜4000万円以上の賞金をコンスタントに稼ぎ出していました。例えば、2021年のデータでも約4200万円を獲得して賞金ランキングのトップ層に名を連ねていました。
2025年〜2026年時点での現役競輪選手の「通算獲得賞金ランキング」のデータによれば、諸橋選手の生涯獲得賞金は実に約9億5000万円(9億5036万8900円など)に達していました。
競輪は完全な実力主義の世界であり、怪我や落車のリスクと常に隣り合わせの中で、これだけの賞金を生涯にわたって積み上げたことは、彼の圧倒的な実力と、長く第一線で戦い抜いた強靭な身体の賜物と言えるでしょう。
諸橋愛の家族…結婚と嫁や子供について

競輪に対してストイックな顔を見せる一方で、諸橋愛選手は家族をこよなく愛する良き夫であり、良き父親でもありました。
彼は25歳だった2002年に、一般女性である恵(めぐみ)さんと結婚しています。その後、2人の娘さんに恵まれ、奥様と娘2人の4人家族として幸せな家庭を築いていました。
大人の色気と端正なルックスで女性ファンも多かった諸橋愛選手ですが、私生活では妻(嫁)の恵さんと非常に強い絆で結ばれていました。過酷なトレーニングと全国各地を転戦する過密スケジュールの競輪選手にとって、家庭のサポートは不可欠です。恵さんは、命懸けで戦う夫を献身的に支え続けました。
後述する悲劇的な事故の後、妻(嫁)の恵さんはご自身のSNSを通じて、以下のように痛切な思いを綴っています。
「愛が亡くなりやらなければいけない事がありすぎて…悲しんでいる暇が今はまだない…この世の中から色がなくなってしまった感覚…優しさに溢れる人だった…」
また、「お通夜や葬儀で色んな方から話を聞いて、改めて愛だけに愛されていると実感しました。今までありがとうございました」とも発信し、深い悲しみの中にあっても気丈に振る舞い、夫への永遠の愛とファンへの感謝を伝える姿に、多くの競輪ファンが涙しました。
愛が亡くなりやらなければいけない事がありすぎて…悲しんでいる暇が今はまだない… この世の中から色がなくなってしまった感覚… 優しさに溢れる人だった… お通夜、葬儀などで色んな方と愛について話を聞いたり話たりできて改めて愛だけに愛されていると実感しました 今までありがとうございました https://t.co/HRg6WjG0dg
— 諸橋恵 (@wu33GCsdTr2eDAL) October 3, 2026
諸橋愛の落車事故の詳細と衝撃的な動画
いつまでも走り続けると思われていた諸橋愛選手のキャリアは、突如として断たれることになります。
悲劇的な落車事故が起きたのは、2026年9月12日。奈良競輪場で開催されていたGIII「向日町記念」の3日目、第11レース(準決勝)でした。
レースは最終周回に突入し、熾烈なポジション争いが繰り広げられていました。残り半周地点(最終2センター)において、諸橋愛選手はインコースを突いて好位を狙いにいきました。
しかし、その瞬間、外側から他選手に押し出されるような形で激しく接触。バランスを崩した諸橋愛選手は自転車もろとも高速で前方のバンク(競走路)へと投げ出され、顔面と頭部から激しく地面に叩きつけられてしまいました。
競輪は時速60km以上でブレーキのない自転車に乗って走る過酷な競技です。この落車事故の瞬間は、レースの生中継を通じて多くのファンの目に焼き付けられました。
インターネット上やSNS、YouTubeなどでは、事故の衝撃的な動画や画像が拡散され、「激しすぎる」「首から落ちているように見えた」「どうか無事でいてほしい」と、諸橋選愛手の安否を絶望的に心配する声が瞬く間に溢れ返りました。
なお、落車事故の動画はあまりに衝撃的な内容であるためか、現在はネット上からはほとんど削除されています。
諸橋愛選手 落車事故の瞬間 吉田拓矢も巻き込まれ 頚髄損傷から多臓器不全 9日間闘病 49歳死去 , 諸橋愛 落車 死去 何が起きた , 諸橋愛選手 奈良競輪落車 頚髄損傷 多臓器不全で49歳死去 🔗https://t.co/Oz6XmUQXg8 https://t.co/ETzRdcHh0d
— full video (@ahmedsalem57987) September 22, 2026
諸橋愛の落車事故後の容態と死因
落車直後、諸橋愛選手は意識不明の重体となり、ただちに奈良市内の病院へと緊急搬送されました。
搬送先の病院ではICU(集中治療室)に入れられ、懸命な救命処置が行われました。当時、妻(嫁)の恵さんはファンからの心配の声に対し、SNS等を通じて「頸椎(けいつい)の骨折・損傷により下半身が動かない状態であること」を明かしていました。
ファンからは「たとえ選手としては復帰できなくても、せめて命だけは助かってほしい」「車椅子でもいいから生きて帰ってきて」と奇跡を祈る声が多く上がっていました。
しかし、頭部および頸部へのダメージはあまりにも致命的でした。
懸命の治療と家族の祈りも虚しく、事故から9日後となる2026年9月21日、諸橋愛選手は息を引き取りました。享年49歳。あまりにも早すぎる旅立ちでした。
公式に発表された死因は「頸髄(けいずい)損傷による多臓器不全」です。
頸髄(首の神経)を強く損傷したことで、呼吸を司る神経や全身の自律神経のコントロールが失われ、その結果として心臓や肺、腎臓などの複数の臓器が正常に機能しなくなる「多臓器不全」を引き起こしたことが死因となりました。
諸橋愛の死去が競輪界に与えた衝撃と相次ぐ死亡事故への懸念の声

諸橋愛選手の訃報は、スポーツ新聞各紙やニュース番組で大々的に報じられ、競輪界に激震を走らせました。
地元の弥彦競輪場や、静岡競輪場など全国の関連施設では、故人を偲ぶための献花台や記帳台が設置され、数え切れないほどのファンが別れを惜しむために足を運びました。同郷・新潟のガールズケイリン選手である加瀬加奈子選手をはじめ、多くの関係者が「受け入れがたい現実」「喪失感が大きすぎる」と深い悲しみを表明しました。
また、この事故を巡っては「競輪の安全性」に関する深刻な議論が巻き起こりました。
実は同年(2026年)の7月には、競輪界のレジェンドであり五輪メダリストでもあった伏見俊昭選手が、レース中の落車(金網に突っ込む労災事故)によって命を落とすという痛ましい出来事が起きたばかりだったのです。
わずか数ヶ月の間に、長年S級で活躍したスター選手が2人も落車事故で殉職するという異常事態に対し、SNSやネット掲示板では「ヘルメットやプロテクターの基準を見直すべきだ」「金網や緩衝材の構造に問題はないのか」「前輪のスポークやブロックのルール改正が必要ではないか」といった、選手を守るための抜本的な安全対策を求める声が強く噴出しました。
そもそもがギリギリの攻防が魅力の競技であるとはいっても、ファンに感動を与える選手たちがこれ以上命を落とすことがないよう、諸橋愛選手の事故は競輪界全体に対して重い課題を突きつける結果となりました。
まとめ
今回は、落車事故により命を落としたトップ競輪選手・諸橋愛さんについてまとめてみました。
諸橋愛選手は、決してエリート街道を歩んできたわけではありません。競輪学校での成績は平凡でしたが、プロ入り後に血の滲むような努力を重ね、己の肉体と精神を鍛え上げることで、デビュー20年目にして特別競輪制覇とS級S班という頂点まで登り詰めました。
彼の代名詞であった「諦めない追込」と、前の選手を徹底的に守り抜く義理堅いレーススタイルは、多くのファンの心を打ち、車券を買うファンにとって「諸橋が後ろにいれば安心だ」と思わせる絶大な信頼感がありました。
生涯獲得賞金9億5000万円以上という数字は、彼がいかに怪我に負けず、年齢を重ねてもなおトップレベルの脚力を維持し続けたかの勲章です。
そして、妻(嫁)の恵さんと2人の子供(娘)に深い愛情を注ぎ、家族の支えを力に変えて走り続けた姿は、人間・諸橋愛の魅力そのものでした。
49歳という若さでの不慮の事故による逝去は、ご家族の悲しみはもちろんのこと、競輪界にとって計り知れない損失です。しかし、彼が残した「クビになるまで走りたい」という競輪への純粋な愛と、数々の記憶に残る熱いレースは、今後も競輪史に燦然と輝き続けることでしょう。
心より、諸橋愛選手のご冥福をお祈りいたします。


















