戦前から活躍されていた女優の中村メイコさんが89歳で亡くなりました。
この記事では中村メイコさんの若い頃の経歴や画像、身長、最終学歴小卒の理由、結婚した旦那さんの神津善行さんや息子や娘ら子供、自宅の大豪邸と車いす生活、現在と死因についてまとめました。
この記事の目次
- 中村メイコのプロフィール
- 中村メイコの若い頃① 2歳から子役として活動
- 中村メイコの若い頃② 10代から20代
- 中村メイコの若い頃③ 20代から30代にかけて映画女優として活躍
- 中村メイコの身長は153cm
- 中村メイコの学歴は小学校卒
- 中村メイコの結婚は1957年で旦那は作曲家の神津善行
- 中村メイコの旦那・神津善行のプロフィール
- 中村メイコの子供① 娘(長女)の神津カンナ
- 中村メイコの子供② 娘(次女)の神津はづき
- 中村メイコの子供③ 息子(長男)の神津善之介
- 中村メイコの自宅は世田谷区の大豪邸だったがその後3LDKマンションへ
- 中村メイコは車いす生活を告白していた
- 中村メイコの現在…死因は肺塞栓症で89歳で死去
- まとめ
中村メイコのプロフィール
中村メイコのプロフィール
本名 :神津五月(旧姓中村)
生年月日:1934年5月13日
没年月日:2023年12月31日(没年89歳)
出身地 :東京市杉並区下高井戸(現在の東京都)
身長 :153cm
血液型 :O型
中村メイコさんは、戦前の時代に子役として活動を始め、戦中、戦後から現在に至るまで現役で活動を続けて名女優でした。
中村メイコさんは数多くの作品に出演されていますが、その中でも子役時代のデビュー作の映画「江戸っ子、健ちゃん」、TBSのホームドラマ「おやじのヒゲ」シリーズ、1995年のNHK大河「八代将軍吉宗」、2008年のNHK大河「篤姫」などが代表作としてよく挙げられています。
その女優としての功績は高く評価されており、放送作家協会賞、NHK放送文化賞、松尾芸能賞演劇優秀賞などを受賞されています。
日本の芸能や放送の歴史を語る上で欠かせぬ存在であった中村メイコさんでしたが、2023年12月31日に89歳で死去した事が発表され悲しみが広がっています。
ここではこの中村メイコさんについて改めて紹介していきます。
中村メイコの若い頃① 2歳から子役として活動
中村メイコさんは、ナンセンス作家の中村正常さんと新劇女優のチエコさんの娘として生まれ、2歳8ヶ月で父に抱かれて雑誌「令女界」のグラビアに登場すると、これがP.C.L映画製作所(現在の東宝)の社長の目に留まり、1937年に映画「江戸っ子健ちゃん」で子役としてデビューします。
これをきっかけに中村メイコさんは映画やラジオドラマなどに多数出演し、様々な役柄を見事に演じ分けた事から、七色の声を持つ天才子役として話題になっています。
1940年6歳の時にはテレビの実験放送の2作目のドラマ「謡と代用品」でテレビデビューも果たしています。
1941年に太平洋戦争が始まった後も中村メイコさんは子役として活動を続けており、終戦直前の1945年には戦地の兵隊の慰問にも派遣されています。
中村メイコの若い頃② 10代から20代
日本が敗戦した後は、中村メイコさんはGHQや進駐軍の慰問にも行き英語の歌を歌って収入を得ています。
その後、中村メイコさんはラジオの仕事をしながら16歳の時にはアルバイトに憧れを抱き、父親の紹介で雑誌社で働き始めます。この雑誌社の編集長格だったのが作家の吉行淳之介さん(当時26歳)で、中村メイコさんはその洗練された雰囲気に「なんて素敵な人だろう」と一目惚れし、字を書いている仕草や書いている内容、人柄など全てに恋をしていたと後に語られています。
中村メイコさんは吉行淳之介さんと親しくなり何度かデートをしていますが、吉行淳之介さんはすでに結婚しており結ばれる事はなく、心の痛みに耐えかねてアルバイトを辞められたそうです。
中村メイコさんは1954年19歳の時から、NHKのコメディ番組「今晩わメイコです」に出演。20歳になった1955年には「雑木林に月が出た」で歌手デビューし2枚目のレコード「田舎のバス」がヒットしています。
[youtube https://www.youtube.com/watch?v=jpGTrCmdpPI?si=SLImnlgCN1dI2uf0]
中村メイコの若い頃③ 20代から30代にかけて映画女優として活躍
中村メイコさんは20代後半から30代にかけては映画女優としてかなり活躍されています。
この頃の代表的出演作としては、1958年映画「暖簾」、1960年公開映画「春の夢」、1963年公開映画「拝啓天皇陛下様」、1964年から1968年にかけての「喜劇駅前」シリーズなどがあります。
中村メイコの身長は153cm
中村メイコさんの身長は「153cm」です。
所属していたホリプロのオフィシャルプロフィールには身長は記載されていませんが、業界向けのキャスティング用のプロフィールデータなどには身長は153cmと記載されています。
中村メイコの学歴は小学校卒
中村メイコさんの最終学歴は小学校卒業で、出身小学校は「東京都新宿区立市谷小学校」です。
中村メイコさんの最終学歴が小学校卒業である理由は、反戦主義者であった父親の中村正常さんが、戦争に染まる学校教育を嫌ったため、小学校卒業後は中学には進学させずにに自宅学習(父親の中村正常さんからのマンツーマン指導)をさせたためでした。
また、中村メイコさんは子役の時代から俳優として人気を得て、若い頃からずっと芸能の世界で活躍されているため改めて学校に通う時間も必要性も特になかったと考えられます。
中村メイコの結婚は1957年で旦那は作曲家の神津善行
中村メイコさんは、1957年、23歳の時に作曲家の神津善行さんと結婚されています。
中村メイコさんは10代の頃、売れっ子の女優として多忙を極め、睡眠不足でノイローゼ気味になり、それで自殺をしようと海に入った事があったそうです。
この時、中村メイコさんは偶然その場にいたというマルチタレントの徳川夢声さんに引き上げられて助かりますが、親に連絡が行くとショックを与えてしまうと考えて、たまたま連絡先を知っていた神津善行さんに連絡してもらったそうです。
助けてくれたのが、偶然にも昭和の元祖マルチタレントとして活躍していた、徳川夢声さんだったという。家族を呼ぼうとする徳川さんを、中村は「家族は呼ばないで下さい。心配するから」と制し、代わりに来てもらったのが、連絡先を知っていた神津善行さん。現在の夫だったという。
神津善行さんは連絡を受けてすぐに駆けつけてくれたのだそうで、これがきっかけとなってその後に交際するようになったそうです。
たまたま神津さんの電話番号が書かれたメモが入っていたんです。私は一人っ子でしたから、親に連絡が行くと、ものすごくショックを受けるだろうと思い、代わりに「このメモの電話番号に連絡してください」とお願いしたんです。すると、神津さんはすっ飛んで来てくれました。まだお付き合いする前でしたね。これは、ラブロマンスになるのかしら。それより、運命と言うんでしょうかね。
中村メイコさんと旦那さんの神津善行さんは3年ほどの交際期間を経て結婚。
結婚当初、中村メイコさんと旦那さんの神津善行さんは2人きりで生活を始めますが、マスコミの取材攻勢で度々写真を撮られたそうです。
その後、子供が生まれてからは神津善行さんの母とも同居するようになったのだそうです。
旦那さんの神津善行さんは音楽大学の出身のインテリの芸術家でレディーファーストな方だったようで、家事も手伝い、子育てにも積極的に参加するなど、当時としては非常に珍しいタイプの男性だったようです。
中村メイコさんは晩年に骨折して車いすの生活になってからは、旦那さんの神津善行さんが朝食や夕食の支度や洗い物も全てやってくれるようになったのだそうです。
中村メイコの旦那・神津善行のプロフィール
中村メイコの旦那・神津善行のプロフィール
生年月日:1932年1月2日
出身地 :東京府(現在の東京都)
中村メイコさんの旦那さんの神津善行さんは、麻布中学校から国立音楽高等学校、国立音楽大学器楽科を卒業という音楽家として国内ではトップクラスのエリート学歴を持つ作曲家です。
若い頃から活躍し、映画音楽、テレビ番組のテーマ曲などを中心に300曲以上を作曲しており、歌謡曲や吹奏楽の分野も手がけます。
現在は90歳超の高齢ですが健在で、早稲田大学理工学部特別研究員、東京交響楽団理事、日本民謡協会理事などを務められています。
中村メイコの子供① 娘(長女)の神津カンナ
中村メイコの娘の神津カンナのプロフィール
本名 :神津十月(読みは同じ)
生年月日:1958年10月23日
出身地 :東京都
中村メイコさんの子供は娘が2人と息子が1人の3人です。
中村メイコさんの1人目の子供は、1958年10月23日に生まれた娘(長女)の神津カンナさんです。
中村メイコさんの長女の神津カンナさんは作家、エッセイスト、コメンテーターとして活躍されています。
神津カンナさんは、1977年に東洋英和女学院高等部を卒業し、その年の5月からアメリカに渡り、サラ・ローレンス ・カレッジ演劇学科、コロンビア大学英語学科で学んでいます。
1980年5月に帰国後、1985年に発表した処女作「親離れするとき読む本」は、自身の体験的家族論として注目されてベストセラーとなり、神津カンナさんはこれを機に作家活動を開始。
以後、「会えてうれしい花いちもんめ」、「見えないオシャベリ」、「カンナの同級生気分」、「男と女の交差点」、「胸いっぱいの愛を」、「水燃えて火 – 山師と女優の電力革命」などの著作を発表し、いずれも幅広い層からの高い評価を得ています。
執筆活動の他にも多様な分野で活躍しており、これまでに内閣府男女共同参画会議議員、郵政行政審議会委員、エネルギー環境教育情報センター運営委員、総合資源エネルギー調査会原子力部会委員などを歴任し、2022年には女性で初めて日本相撲協会の幹事に就任し話題を集めました。
中村メイコの子供② 娘(次女)の神津はづき
中村メイコの娘・神津はづきのプロフィール
生年月日:1962年8月31日
出身地 :東京都
中村メイコさんの2人目の子供は、娘(次女)の神津はづきさんです。
中村メイコさんの次女の神津はづきさんは、東洋英和女学院高等部を卒業後、ニューヨーク大学に留学。帰国後の1983年にドラマ「わが家はカタログ」で女優活動をスタートさせ、若手の演技派として映画やテレビドラマを中心に活躍しました。
代表作としては、2005年映画「いつか読書する日」、2006年のNHK大河「功名が辻」などが知られています。
現在は主に刺繍作家として活動しており、2018年には大人女性のための家着ブランド「Petit Tailor R-60」を立ち上げるなどファッションの世界で活躍されています。
神津はづきの結婚した旦那は俳優の杉本哲太
神津はづきの旦那・杉本哲太のプロフィール
生年月日:1965年7月21日
出身地 :神奈川県茅ヶ崎市
身長 :180cm
血液型 :O型
中村メイコさんの娘の神津はづきさんは、1992年に人気俳優の杉本哲太さんと結婚されています。2人は共通の知人である岩崎良美さんを通じて知り合ったそうです。
神津はづきさんと旦那さんの杉本哲太さんの間には3人の子供が誕生しており、中村メイコさんにとっては孫にあたります。このうち息子さん太吉さんは「TAKICHI」の名義でドラマーとして活躍されています。
中村メイコの子供③ 息子(長男)の神津善之介
中村メイコの息子・神津善之介のプロフィール
生年 :1972年
出身地:東京都
中村メイコさんの3人目の子供は、息子(長男)の神津善之介(こうづ・よしのすけ)さんです。
中村メイコさんの息子さんの神津善之介さんは、洋画家として活躍されており、スペインに拠点を置いて活動されています。
神津善之介さんは武蔵工業大学在学中にスペインを代表する画家のホアキン・トレンツ・リャドに師事し、日本、スペイン、フランスで個展を開くなど活躍。
特にスペインでは高評価を得ており、マドリードの第65回サロン・デ・オトーニョ展入賞、マヨルカ島 バルセロ財団主催国際絵画展大賞、マドリードデュラン財団主催絵画コンクール大賞など受賞歴も多数あります。
中村メイコの自宅は世田谷区の大豪邸だったがその後3LDKマンションへ
出典:https://presidenthouse.net/
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中村メイコさんの自宅は、東京都世田谷区の高級住宅街に建つ豪邸だった事が知られています。
中村メイコさんの自宅の大豪邸は、敷地面積300坪、地下1階、地上2階で、中村メイコさんは後にメディアに「体育館並みに大きな家でした。」と語られています。
女優の中村メイコ(86才)。2才のときに子役で映画デビューして以来、映画やテレビ、舞台で活躍する彼女は、23才で作曲家の神津善行さん(88才)と結婚。それから何軒かの借家暮らしをしたのち、都内の高級住宅地にマイホームを建築した。敷地300坪、地下1階、地上2階建てという大豪邸だった。
その後、中村メイコさんと旦那さんの神津善行さんは老後を迎えてから長年暮らしたこの自宅を引き払い、都内の3LDKのマンションへと引っ越しされています。
この自宅を引きはらうきっかけは旦那さんの神津善行さんの以下のような言葉だったそうです。
「きみはなんでもたくさん持っている。それをそろそろやめないか? もしきみが先に死んじゃったら、ぼくはきみの山のようなパンストに埋もれながら、それをどうするか考えなきゃならない。そんなじいさん、嫌だろう? ついては生活を縮小しよう」
中村メイコは車いす生活を告白していた
出典:https://img.topics.smt.news.goo.ne.jp/
中村メイコさんは2019年に旦那さんの神津善行さんの演奏会の楽屋で滑って転倒して股関節を複雑骨折し、それ以来車いす生活になっている事を明かされていました。
中村メイコさんは、「大した転び方じゃなかったのに折れちゃうなんてびっくりでした」と語られていますが、高齢で骨が脆くなっていたそうです。
転倒して股関節を骨折したため、最近は車いすで生活しているという。「股関節の複雑骨折だから、ちょっと入院した時から車いすだった。嫌だからなるべく歩くようにしていたんですけどね」と明かした。
中村メイコさんは車いすで生活していたという事でしたが、全く歩けないというわけではなく、自宅では杖を使って歩いたりされていたそうです。
中村メイコの現在…死因は肺塞栓症で89歳で死去
中村メイコさんは2023年12月31日に89歳で死去しており、現在はこの世にいません。
中村メイコさんの死因は「肺塞栓症」と発表されています。
女優、タレントとして幅広く活躍した中村メイコさん(本名・神津五月=こうづ・さつき)が12月31日に肺塞栓(そくせん)症で亡くなったと7日、所属するホリプロが発表した。89歳だった。
中村メイコさんの死因の肺塞栓症は、社会福祉法人恩賜財団済生会のWebページ掲載の大阪府済生会富田林病院の救急センター長兼副院長の大谷正勝さんの解説によると、以下の内容の疾患です。
肺塞栓症は肺の血管が突然詰まる病気で、エコノミークラス症候群として知られています。飛行機のエコノミークラスで旅行すると、狭いシートに同じ姿勢で長時間座ったままになりがちです。すると、足の血液循環が悪くなって、静脈に血の塊(静脈血栓といいます)ができやすくなります。長時間の飛行機移動後、飛行機を降りて歩き始めると、静脈血栓は足の血管壁から離れ、血流に乗って肺に移動し、肺の血管(肺動脈)を詰まらせてしまいます。
中村メイコさんの死因である肺塞栓症は、長時間同じ姿勢で座っている事で血液循環が悪化して血栓ができ、歩き始めたさいに血栓が血流にのって肺に移動して肺の血管を詰まらせるとの事です。
中村メイコさんは車いす生活を告白していたため、長時間車いすに座っていた後に、杖を使って歩き始めた際にこの肺血栓症の症状が起こったのではないかと推測する向きもあるようですが、実際のところは不明です。
中村メイコさんの死去に、旦那さんの神津善行さんはホリプロを通じて以下のコメントを発表されています。
夫の神津善行さんはホリプロを通じて「2歳8か月で映画デビューしてから86年という芸能生活を、生涯現役のまま幕をおろすことになりました。長い時間をこの世界に存在させていただいたこと、皆さまに深く感謝申し上げます」とのコメントを発表した。
まとめ
今回は、戦前の時代に子役として活動をスタートさせ、現在(2023年)まで現役で活躍されていた女優の中村メイコさんについてまとめてみました。
中村メイコさんの若い頃は、2歳の時に子役として映画やラジオドラマに出演し始め、七色の声を操る天才子役として人気となりました。テレビが普及した後はテレビドラマやタレントとしても活躍。その後、80歳を超えてからも現役の女優として活躍を続けていました。
中村メイコさんの身長は「153cm」で、最終学歴は小学校卒ですが、これは作家だった父親の中村正常さんが、当時の戦争色に染まる学校教育に抵抗を覚えたためでした。
中村メイコさんは1957年に作曲家の神津善行さんと結婚され、将来連れ添っています。
中村メイコさんと旦那さんの神津善行さんの間には娘2人と息子1人の合計3人の子供が生まれており、娘は作家でエッセイストの神津カンナさんと女優の神津はづきさん、息子は洋画家の神津善之介さんです。
中村メイコさんの自宅は、東京都世田谷区の高級住宅街に建つ大豪邸である事が知られていましたが、老後は3LDKのマンションに引っ越されています。
現在、中村メイコさんは2023年12月31日に89歳で死去しこの世にいません。死因は「肺塞栓症」と発表されています。