選択的シングルマザーとして3人の子供を育てる歩りえこさんがヌード写真集を発表し話題です。
この記事では歩りえこさんの若い頃の経歴や画像、電撃結婚と台湾人の旦那そして離婚原因となった壮絶なDV、3人の子供、大腸がんでの闘病と現在などについてまとめました。
この記事の目次
歩りえこのプロフィール
歩りえこのプロフィール
本名 :非公開
生年月日:1981年9月22日
出身地 :東京都(幼少期宮城県仙台市)
身長 :160cm
血液型 :B型
女優、旅行作家、グラビアアイドル、そして3人の子どもを育てるシングルマザーとして、ボーダーレスな活躍を続ける歩りえこ(あゆみ・りえこ)さん。
20代で五大陸94カ国をバックパッカーとして制覇し、その経験を綴った著書『ブラを捨て旅に出よう』(講談社文庫)は水原希子さん主演でドラマ化もされるなど、大きな話題を呼びました。
しかし、彼女の華やかな「旅ドル(旅するアイドル)」としてのキャリアの裏には、想像を絶する波乱万丈な人生が隠されています。台湾人男性との電撃結婚、そして壮絶なDVが原因となった離婚。さらには未婚での第3子出産という選択的シングルマザーとしての決断や、40代で突如襲いかかった「大腸がん」の闘病と現在に至る後遺症との闘い……。
この記事ではそんな歩りえこさんについて詳しくまとめていきます。
歩りえこの若い頃…引きこもりから世界94ヵ国を巡る「旅ドル」へ

歩りえこさんは1981年9月22日、東京都に生まれました。
現在の行動力にあふれた姿からは想像がつきませんが、高校時代には心臓に異常が見つかり、一時期は自宅に引きこもる無気力な日々を送っていたといいます。
そんな彼女の人生を劇的に変えたのは、短大時代に経験した初めての海外でした。所属していたチアリーディング部が全国優勝を果たし、アメリカ・フロリダ州で開催された全米選手権大会へ参加した際、彼女は衝撃的な光景を目の当たりにします。
それは、「ノーブラで堂々と街を闊歩する女性たち」の姿でした。日本の常識や固定観念に縛られていた彼女にとって、他人の目を気にせず自由を謳歌するその姿は眩しく、「自分を縛り付けている枠組み(ブラジャー)を外して、ありのままの自分で生きたい」と強く思うきっかけになったのだそうです。

短大卒業後、清泉女子大学に編入して文化史学を学び、さらに写真学校でカメラの技術を身につけた歩りえこさんは、長年の夢だったアメリカ留学を目指します。
しかし、資金不足で留学を断念せざるを得ませんでした。そこで彼女が急遽選んだのが、「貧乏バックパッカーとしての世界一周旅行」でした。
わずか150万円の資金を手に、替えのパンツは2枚だけ。ノーブラで五大陸94カ国を巡り、現地の民族衣装を着て大家族の家にホームステイするなど、観光地を巡るだけではない独自のディープな国際交流を重ねました。
また、写真の技術を活かし、世界中の人々の笑顔をフィルムに収め続けました。

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帰国後、この圧倒的な体験をまとめた著書『ブラを捨て旅に出よう 貧乏乙女の“世界一周”旅行記』は大ヒットを記録。
端正なルックスとFカップ(後にIカップとも公称)のプロポーションを併せ持つ彼女は、「旅するアイドル=旅ドル」としてメディアの注目を集め、数多くのテレビ番組や雑誌のコラム連載を抱える売れっ子となりました。
歩りえこの結婚と旦那…台湾人男性との電撃スピード婚

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世界中を飛び回ってキャリアを築いていた歩りえこさんが結婚を発表したのは、2014年12月、33歳の時でした。お相手(旦那)は、3歳年下の台湾人男性・アランさんです。
二人の出会いは非常に劇的でした。2014年7月、歩さんが台湾の観光名所を訪れていた際に、彼からナンパされたことがきっかけだったといいます。
当時、台湾に頻繁に足を運んでいた歩りえこさんですが、現地で体調を崩した際に親身になって助けてくれたのが彼であり、歩りえこさんにとって「救世主」のような存在でした。
交際からわずか3ヶ月後の10月15日(歩さんの祖母の誕生日)に入籍し、12月23日には横浜で結婚式を挙げるという絵に描いたようなスピード婚でした。
吉本興業の東京本部で行われた結婚会見では、純白のウェディングドレス姿と指輪を披露。「穏やかで温かい家庭を築いていきたい」と幸せいっぱいの笑顔で語っていました。
結婚を機に彼女は夫の住む台湾へ移住し、愛する台湾での新しい生活をスタートさせました。
歩りえこの子供2人の誕生からのスピード離婚とその原因

台湾での結婚生活の中で、歩りえこさんは2人の子供に恵まれます。2015年5月に第1子となる長女を、そして2016年10月に第2子となる長男を出産しました。
しかし、長男が生まれてからわずか3ヶ月後の2017年1月、歩さんは2年半の結婚生活にピリオドを打ち、離婚届を提出します。
2017年7月に自身が出演するラジオ番組の後に開かれた離婚会見では、離婚の原因について「初めての年子育児でいっぱいいっぱいになってしまった」「夫の仕事が多忙で月に1〜2日しか休みがなく、すれ違いが生じた」と語っていました。
慰謝料や養育費についても「私が言い出したことだから、相手には新しい家庭を築いてほしいので受け取らない」と気丈に振る舞い、円満離婚であることを強調していました。
しかし、それから数年後、歩りえこさん自身の口から語られた「真の離婚原因」は、世間の想像を絶するほど凄惨なものでした。実は、元旦那から度重なる壮絶なドメスティック・バイオレンス(DV)を受けていたのです。
DVは第2子(長男)を妊娠している最中から日常化しました。つわりで苦しんでいる時期や、第1子を出産した直後で体がボロボロの時でさえ、旦那は自身の欲求を優先して執拗に性生活を求め、思い通りにならないと暴力を振るいました。
昼夜を問わず年子の育児に追われ、寝る間もない歩さんにとって、家庭は心安らぐ場所ではなく元旦那の暴力にビクビク怯えながら過ごす「地獄」と化していたと言います。
事態が決定的に動いたのは、元旦那の暴力によって歩さんと、生まれたばかりの幼い娘までもが負傷し、大学病院に搬送された時でした。
度重なる不自然な怪我に気づいた病院側が台湾政府の機関に通報し、歩りえこさんは子供たちと共に現地のDVシェルターへと保護されたのです。
携帯の電波も届かないシェルターには、歩りえこさんと同じように顔や身体に殴られた痕のある女性たちが多数保護されていました。
しかし、生活力がないために結局はDV夫の元へ戻っていく女性たちの現実を目の当たりにした歩りえこさんは、「絶対にこんな人生は嫌だ」と強く決意します。
シェルター運営者の勧めもあり、子供たちを連れて日本へ逃げるように帰国。その後、半年間にわたる泥沼の離婚裁判を経て、ようやく正式な離婚を勝ち取りました。
歩りえこの選択的シングルマザーと未婚での3人目の子供出産

日本へ帰国後、シングルマザーとして2人の子どもを育てる生活が始まりました。
仕事とワンオペ育児の両立は過酷で、一時は新しいパートナーを求めて結婚相談所に登録したり、婚活パーティーに参加したこともあったそうです。
しかし、「自分の子供が欲しいから、他人の2人の子どもまでは見られない」といった男性陣のリアルな本音を突きつけられ、複雑な思いを抱えることになります。
歩りえこさん自身、過去のトラウマもあり「男性と数時間一緒にいるだけでも気を使いすぎて心がクタクタになる」と語るほど、自分が結婚という制度に向いていないことを自覚していました。
一方で、彼女にとって子育ては「自分が生まれてきた意味」と思えるほどの最大の生きがいでした。
そこで歩りえこさんは、「結婚という形にこだわらずに子どもを産み、家族を築く」という「選択的シングルマザー」の道を歩むことを決意します。
そして2024年、彼女は未婚のまま第3子となる次男を出産しました。42歳での高齢妊娠であり、過去には流産や子宮頸部高度異形成の切除手術を経験していたため、まさに命がけの出産でした。
明け方に破水して救急搬送され、早産で生まれた息子は全身管だらけの状態でNICU(新生児集中治療室)に入りました。
面会に行っても1分抱っこするのが限界で、ひたすら搾乳して病院へ届ける日々。無事に子供が退院できた日には、安堵から大号泣したといいます。こうして、3人の子供たちとの穏やかで新しい家族の形がスタートしました。
歩りえこを襲った突然の病魔…大腸がん(直腸がん)の発覚と壮絶な闘病

未婚での第3子出産を乗り越え、幸せな日々を取り戻したかに見えた2025年9月、歩りえこさんを予期せぬ病魔が襲います。自身のInstagramにて「大腸がん(直腸がん)」に罹患していることを公表したのです。当時44歳でした。
発覚のきっかけは産後の体調不良でした。便秘と下痢を繰り返し、一向に体調が改善しないことを友人に相談したところ、大腸内視鏡検査を強く勧められました。
実は彼女の父親と兄も大腸がんのサバイバーであり、家系的なリスクを抱えていました。過去に2度、検査用の下剤(2リットル)を飲むことができず検査を断念した経験がありましたが、今回は医師の提案で「胃カメラと同時に胃から直接下剤を注入する」という特殊な方法を取り、3度目の正直で検査を受けることができました。
その結果、大腸から見つかった6つのポリープのうちの1つ(2センチ大)が悪性腫瘍であることが判明。医師から「直腸がん」の告知を受けた瞬間、歩りえこさんは呆然とし、涙がポロポロと溢れて止まらなかったといいます。
まだ幼い子供たちを遺して死ぬわけにはいかないという強い思いから、すぐに入院と手術を決断しました。
手術は成功し、がんは切除できたものの、彼女を待っていたのは「排便障害」という大腸がん特有の過酷な後遺症でした。直腸を切除した影響で便意のコントロールができなくなり、退院直後は1日に80回もトイレに駆け込む状態でした。
整腸剤などを駆使して徐々に回数は減ったものの、術後1年が経過しようとする現在でも「1日に50回ほどトイレに行く」という極めて不自由な生活が続いています。
また、闘病中にはSNS上で「がんのステージを公表していない」という理由だけで心無い誹謗中傷を受けることもありました。
しかし歩りえこさんは、「がんになっただけでも十分しんどいのに、なぜそこを叩かれるのか。向き合い方は人それぞれであり、正解はひとつじゃない」と毅然とした態度で反論し、同じ境遇で苦しむ人々の代弁者として発信を続けています。
歩りえこの現在…40代でのヌード写真集挑戦と前を向く姿勢

2026年10月現在、歩りえこさんは45歳を迎えました。大腸がんの手術と排便障害という重い十字架を背負いながらも、彼女のアグレッシブな挑戦は全く立ち止まっていません。
病気が発覚する前の2022年7月(当時40歳)には、人生初となるヘアヌード写真集『スフィア』(講談社)を出版し、大きな話題を呼んでいました。
離婚やワンオペ育児が少し落ち着いた頃、「最近自分に何も新しいことが起きていない」と刺激を求めていた彼女は、ヌードのオファーからわずか3分で決断。
「80歳になった時に自分のヌードを残しておけば絶対に後悔しない」「40歳になって身体が朽ちていくだけなので、今出せるものを出し尽くす」と、豊かなバストと熟れたボディラインを惜しげもなく披露し、世間の度肝を抜きました。
そして、がん闘病を乗り越えた直後の2026年9月下旬には、待望の復帰作となる2作目の写真集『Voyage』を発売しました。
発売記念イベントに登壇した歩りえこさんは、「出来栄えは200点です!」と満面の笑みで語り、命が助かったことへの感謝とともに、大腸がんの早期発見・定期検査の重要性を社会に向けて力強く呼びかけました。
「人生には終わりが来る。ある日突然病気になって亡くなる可能性もあるのだと、身をもって気づきました。だからこそ、今日できることは今日やらないといけない」。がんを経験して死生観が大きく変わったという歩さんは、現在も排便障害の後遺症を抱えながら、3人の子供たちを連れて様々な場所へ出向き、1日1日を全力で生きています。
かつて五大陸をノーブラで駆け抜けた彼女は今、「排便障害がずっと治らないなら、世界中のトイレ情報をリポートする『トイレを探して旅に出よう』という本を書くのもいいかもしれない」と笑い飛ばすほどの逞しさを持ち合わせています。
まとめ
今回は、女優、旅行作家、グラビアアイドル、そして3人の子供を育てるシングルマザーとしても注目されている歩りえこさんについてまとめてみました。
歩りえこさんの半生は、「事実は小説よりも奇なり」を地で行くような激動の連続です。世界を股にかけた自由奔放な20代、国際結婚とDV被害に苦しみ抜いた30代。そして、選択的シングルマザーとしての未婚での出産と、大腸がんという命の危機に直面した40代。
幾度となく深い絶望の淵に立たされながらも、彼女はその度に既存の価値観という「ブラを捨てて」立ち上がり、しなやかで強い生命力で困難を乗り越えてきました。
3人の子どもたちへの溢れんばかりの愛情を原動力に、これからも彼女は唯一無二の「Voyage(航海)」を力強く進んでいくことでしょう。歩りえこさんの今後のさらなる活躍と、新たな表現の旅から目が離せません。



















